元日の地震で被災は3度目…輪島塗「藤八屋」を何度でも立ち上がらせる思い
「当時の本店は道路に面した前側が鉄筋3階建て。奥が木造の建物で、それ以外に明治時代の土蔵がありましたが、店に入ったら、商品がぐちゃぐちゃに散乱し、足の踏み場もない状態。『お義母さん、大丈夫!?』と声をかけたら、奥から『蔵、蔵を見て!』という義母の声が聞こえて。言われるがまま蔵を見に行くと壁が傾き、屋根が崩れてしまっていて。蔵の中から空が見えたのを覚えていますね」
木造部分はもちろん、鉄筋の建物も歪んでしまって、使い続けることは不可能と判定された。すべて解体し、建て直すほかなかった。
「時間もかかりましたけど、お金も。市からの補助や、保険も入れると億近くかかりました」
こう話す純永さん。
隣で黙って聞いている正英さんに向かって「この人はお金のことには関与しないの、気に留めないから」と苦笑い。正英さんは言う。
「どうせ建て直すなら塗師屋魂を込めたいいものにしたい、そういう思いだけが強かったですね」
正英さんは新たに建てる本店の図面をもとに、自ら方眼紙で立体模型を作るほどの力の入れようだった。このとき、藤八屋の再建には多くの人が手を差し伸べてくれたという。純永さんがこう続ける。
「予算が限られているから、壁はクロス張りにしようと思っていたら、製材会社の社長さんが『予算、いくら?その予算で材木を出してあげるから木の壁にしなよ』って言ってくださったり。