極楽山本語る、激励をし続けてくれた恩人・萩本欽一への感謝
でも、実は萩本さんは2年ごとに必ず、あのノンビリした口調で『やってんのかぁ〜』と電話をくれていたんです」
中山「それは知らなかったですね。さすが萩本さん。見捨てずに見守るんですね」
山本「もう本当に頭が上がりません。ありがたくて……。僕は’15年1月に初めて1人で舞台をやったんですね。どこの事務所にも所属せずにフリーでやる舞台だったので、自分でビラを手作りして、下北沢の劇場近くでビラ配りをしました。それがSNSなどで拡散したのですが、その舞台の前日に萩本さんから電話があったんです」
中山「萩本さんから!」
山本「僕はもっと大きな舞台での復帰なら、絶対に連絡をしていたのですが、まだこぢんまりした一人舞台で不安定な状態だったので、萩本さんに連絡できずにいたんです。そんなとき、萩本さんに『お前、明日やるんだってな。
舞台の前にウチに寄ってくれないか』と言われて、ご自宅に伺いました。そしたら、『おめでとうな』ってご祝儀を……。『誰よりも最初にな、俺が渡さないといけないから。