難病の長女5年で2万枚撮り続けた写真家語る“母の使命”
「こんなかわいい子はいないのに、こんないい子はいないのにって。私が先に泣いて、夫が泣きはじめた。でも、夫の涙を見ているうちに、なんだか少し冷静になってきて、“がんばらなきゃ”スイッチが入りました」(芽衣さん)
闘病の不安の中で、彼女を救ってくれたのはカメラだった。写真は、芽衣さんの長年の趣味だった。中学、高校と写真部。その後もカメラはいつも身近にあった。
「抱えている不安や恐怖をあるがままに伝えようとシャッターを切りました。いまこの瞬間を撮って、考えるのはあとでいいや、と。
ファインダーを通すことで、少し落ちついてわが子や、治療の様子を見られるようにもなりました」(芽衣さん)
’15年から、難病の子供たちとその家族の会「ニモカカクラブ」を主宰している芽衣さん。同年、写真を本格的に学ぶため、ドキュメンタリー写真家・佐藤秀明氏に師事。そして’16年12月、「名取洋之助写真賞」に応募した「娘(病)」とともに生きていく」で、激励賞を受賞する。
「感無量でした。