フードコーディネーターが明かす「料理の鉄人」の舞台裏
「鮎は、すいかの風味に似ているんです。それを思いついて、対決中にもかかわらず陳さんにすいかを放っていました。『同じ香りだから、デザートでお願い』って。私、基本はおもしろがり屋なんです」
奇をてらった組み合わせに、陳さんは目をむいたが、それでもおいしく仕上げたのは、さすが鉄人の実力だった。
当初3カ月の放送予定だった番組は人気を博し、一時代を築いていく。スタジオには結城さんの、「こうして、こうして」というリクエストの声が響き、それに対応しようとする料理人たちの臨機応変な動きがライブ感を生み、人間ドラマとなって感動を呼んだ。
「じつは『料理の鉄人』は、味くらべではないんですね。1時間という限られた時間で引き出されるのは、料理人としての本質。
できあがった料理には、その密度の差がはっきり表れます。ほんとに格闘技のような勝負なんです」
結城さんが、絶体絶命のピンチに陥ったのは、’96年10月の北京ロケだった。
紫禁城の中の宮殿に、『料理の鉄人』の広大なセットを組んだのだが、市場から大量の食材を運ぶ段になって、番組スタッフの手配したトラックは規制により、北京市内には入れないことが判明したのである。