2018年5月21日 06:00
89歳短大名誉教授の金言…女性の50代は“リスタート適齢期”
16歳で終戦を迎えた尾関さんは、洋裁の専門学校に通った。父は小学校の先生で、趣味に絽刺しをしており、手先が器用なのは親譲り。支店長の依頼で、銀行員などをして働き、’53年4月に見合い結婚をした。ところが、3カ月で離婚。
「嫁ぎ先での気苦労のせいか相当やつれてしまったようで、義父から『実家に帰って養生したら』と勧められたんです。実家に帰ったら親が『もう戻らなくていい』と、婚家先とはそれきりに。私は出戻るのが嫌で、実家に帰らず、東京の伯母の家で暮らすことになりました。そして、『もう結婚しないと決めたのだから、好きなことをとことんやる』と、手に職をつけようと手芸などを習い始めました」(尾関さん・以下同)
3年後、名古屋で人形教室を始めた。
当時、結婚するときに日本人形を持参する習慣があり、結婚前の女性たちが習いに来た。生徒たちの作品展を開いたところ、それを見た東海学園の関係者から「手芸の先生になってほしい」と懇願され、’64年に東海学園女子短大の講師として教壇に立ち、後に助教授になった。
大きな転機が訪れたのは41歳のとき。一家の大黒柱だった父(享年63)