2021年2月25日 18:00
良きライバル、ターナーと競い合った因縁の展示の再現も! 三菱一号館美術館『コンスタブル展』をレポート
19世紀に入ると、コンスタブルは戸外に出て自然を目の前に風景画を描くようになっていった。
展示風景より。ターナーやコンスタブルが描いた水彩画
コンスタブルの風景画は次第に評価を集め、1819年にイギリス画壇の権威的団体であるロイヤル・アカデミーの准教授に選出されることとなる。ロンドンに拠点を移した後も、彼は肖像画の注文を受けつつ風景画に情熱を注ぎ続けた。
左:ジョン・コンスタブル《ジェイムズ・アンドリュー卿》1818年右:ジョン・コンスタブル《ジェイムズ・アンドリュー夫人》1818年
アンドリュー夫妻の肖像画も、ロンドン時代にコンスタブルが注文を受けたもののひとつ。風景画を得意としていたコンスタブルだが、人物の柔らかい表情や、特に女性の衣装などを非常に巧みに描いている。
展示風景より左:ジョン・コンスタブル《ブライトン近郊の風車》1824年右:ジョン・コンスタブル《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年
そして、本展の目玉となるのは、1832年のロイヤル・アカデミー展で隣り合わせて展示されていた、ターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》と、コンスタブルの《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)