使いかたに注意! ママに向ける「大変だね」という言葉への違和感とは
子育てをしていると、「大変だね」と声を掛け合うことが珍しくない。「夜泣きが多くて大変ね」「やんちゃな子で大変だね」なんて、よく言い合うものだ。
私はその「大変だね」にどこか違和感を感じていた。その違和感がハッキリしたのは、とある友人が十数種類のアレルギーを持つ長男に、「かわいそうだね」「大変だね」と繰り返したときである。
いたわりの「大変」か、好奇の目の「大変」か。
友人は何度もかわいそうと言いながら、「うちの子は何もないからさ、市販品は何でも食べられて楽だけど、大変だね~」と続けた。そこでやっと違和感の正体に気が付いた。
彼女の言う「大変だね」は、「ねぎらいやいたわり」の意味を持ったそれとは違う。
一番言いたいのは「うちの子は何もなくて楽」であって、私(長男)に対する「大変だね」はどこか好奇の目を持った、釈然としない「大変だね」なのだ。
だからだろう、大変と言われるたびにドンドン自分が「大変でかわいそうな存在」になっているように感じてしまう。彼女と話した後はドッと疲れてしまうのだ。
私はほんとうに大変?
では私はほんとうに大変なのだろうか?これは他のママとも意見が共通したが、自分にとっての「基準は我が子」。