尾上が演じる“私”は強い。反対に、自己愛だけに支えられた柿澤“彼”がみせる強気は、不憫に思うほど脆さを感じさせ、そこがたまらない魅力となって観る者をせつなくさせる。息詰まるスピードで展開するふたりのやりとりを追ううちに、この“私”なら“彼”を戒め、ふたりもろとも地獄に堕ちるのを容易く防げたのではないか……と思えてくる。でも意図して、そうはしなかった。“私”は“彼”の共犯者になってしまったのではなく、自らが主体となって“彼”を共犯者にしたのだ。尾上&柿澤ペアが強烈に伝えてくる本質的な“私”の悔恨に、新たな興奮と胸の痛みを味わった。以前の取材で、尾上が「本来の自分からすれば“彼”役を演じるタイプだと思う」と言い、柿澤が「何だ、このペアは!?と観客は戸惑うのでは」と語っていたことを思い出した。当人たちの予想を上回る思いがけない化学反応は確かに起こり、作品をより熟成させたように感じた。
俳優の組み合わせの違いによって、作品の見える角度が変わり、思わぬ気づきが訪れる。『スリル・ミー』が何度も上演を熱望されるのは作品自体の完成度もさることながら、キャスティングの妙に負うところが大きい。三組それぞれが道筋を変えて放つ新たなスリルを、ぜひ体感してもらいたい。