「飽きる」ことからの脱却をはかろう/誰に見せるでもない爪
第2回:「飽き」からの脱却
先日、髪を切ったときのはなし。
ここ数年はボブで過ごしているので、また昔みたいに伸ばしてみようと思っていた。
「肩あたりで我慢できなくなるんですけどね」と美容師に軽口をたたいたその数分後、「すみません、やっぱりそこ切っちゃっていいです」と言ってしまったのだ。
結局ボブ。我慢する気がない。やっぱりこれが好き。某サランラップのCMさながらに店を後にした。
その日、私は無性にパスタが食べたくて、どこでもいいから食べられるお店を探していたのに、気づいたらうどん屋に入っていた。
うどんが好きで、年がら年中食べているにも関わらずに、だ。さらに食後は大満足しちゃって、もうパスタのことなどどうでもよくなっていた。
この”うどんマインド“から脱却するために、私は衝動的にぶどうを買った。
「美味しい。なんでもっと早く食べなかったんだろう」
普段、家であまりフルーツを食べない私にとって、朝から一粒一粒ぶどうを食べるこの幸福感は、些細なようで大きい発見だった。
しかし、後日スーパーに行ったら、旬は終わって値上がりしており、脳内の旬も終了した。
「飽き」は安心感の裏返しでもあるので、脱却するにはそれなりの意志が必要だ。