くらし情報『史上初!喜界島での「俊寛」奉納公演が決定 文楽界を代表する師匠3名が参加』

2024年4月23日 09:30

史上初!喜界島での「俊寛」奉納公演が決定 文楽界を代表する師匠3名が参加

が喜界島に来訪した時に、ふと口にした「俊寛の像がなぜ喜界島に?」という言葉でした。
平家物語に描かれた俊寛僧都流刑の島は、鹿児島県「硫黄島」、鹿児島県「喜界島」、長崎県「伊王島」と3つの説があると言われています。
「硫黄島説は知っていたが、喜界島は知らなかった」と驚く藤本氏に、さらに「俊寛像近くの墓から、高貴な人と思われる古い人骨が出てきた」ことを説明すると、「これは是非、文楽の方にお話して、喜界島を舞台に俊寛の文楽公演をすることで、俊寛終焉の地としての喜界島を改めて世の中に発信しましょう」ということとなり、驚くべきスピードで、文楽の最高峰である豊竹 呂太夫師匠にまで話が繋がったのです。

■喜界島と俊寛 歴史的背景
喜界空港から徒歩10分の場所に立つ俊寛像。その奥には墓石があり、地元の人々は長年「ボーズンメ(坊主前)」と呼び、俊寛の墓とされていました。

1975年、墓の下から人骨と木片などが見つかり、地元自治体は国立科学博物館人類研究部長の鈴木 尚氏に鑑定を依頼。その結果、かなり古い時代のもので、島外の相当身分の高い人物だとされました。
この鑑定結果により、地元では俊寛が最後を迎えた島は喜界島であると考えています。

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