「先日、12月に歌舞伎座で行われる市川團十郎白猿の襲名披露興行に、性加害問題で活動自粛中の香川照之さんが出演すると報道されましたが、実際にその方向で話が進んでいます。もちろん、海老蔵さんは昔から香川さんと交流があり、好意から手を差し伸べた面はあるでしょう。ただ、襲名披露興行のチケット売れ行きが意外に苦戦していることから、“話題作りになる”と考えている節もあるようです」(歌舞伎関係者)性加害報道で9月から活動休止の香川照之(56)。復帰報道で元気を取り戻したかと思いきやーー。「いままで連日のように届いていたドラマや映画のオファーが途絶えたことで、本人はひどく落ち込んでいます。近しい人に急に怒りだしたり、『俺なんか……』と弱気になってみたり、精神的にも不安定になっているようです。イメージダウンに伴い、香川さんがプロデュースするアパレルブランドは大打撃を受けています。なかでもいちばん痛いのはCMの違約金のようです」(映像関係者)香川が出演していたのは、トヨタや東洋水産など7社のCMだ。「香川さんクラスだと出演料は1年契約で4千万〜5千万円。一般的に違約金は実際に放送できなくなった日数分が日割りで生じることになります。たとえばサントリーは10月から香川さんの新CMを放送する予定でした。もし撮影済みだった場合は、数千万円の再撮影費用の補償を求められる可能性もあります。そうしたことなどから考えると、違約金は1億円程度になるでしょう」(広告代理店関係者)先々の収入が見込めなくなったうえに巨額の違約金の支払い—。この苦境に、長男・市川團子(18)と中学生になる長女とともに暮らしている元妻・A子さんも頭を抱えているという。「香川さんは、私立に通う子供2人の学費などを含めて毎月40万〜50万円の養育費をA子さんに支払っていると聞いています。現在の香川さんの“窮状”を聞き、養育費の支払いが滞らないか、A子さんも心配しているようです」(後援会関係者)騒動後、香川は息子・團子と直接話す機会をもうけたと別の歌舞伎関係者は言う。「父親として逃げるわけにはいかなかった香川さんは、團子さんに今回の事件で、家族に迷惑をかけたことを心から詫びたそうです。そして團子さんに“これからお父さんは好きなことしかしない”“あなたは将来の猿之助になる人間なんだから、身を引き締めて頑張りなさい”と伝えたそうです」息子を通じて元妻にも“土下座”釈明した香川ーー。主演映画『宮松と山下』はお蔵入りになることなく、11月18日公開が決まった。翌月の團十郎襲名披露への出演を機に“窮状”をしのぐことはできるのだろうか。
2022年10月26日10月24日、10代女性にわいせつな行為をしようとしたとして、強制わいせつ未遂の疑いで警視庁に逮捕された田中秀和容疑者(35)。作曲家として『アイドルマスターシリーズシンデレラガールズ』や『アイカツ!』、『ウマ娘プリティーダービー』など、人気ゲームやアニメに楽曲を提供していたこともあり、ネット上では波紋が広がっている。複数の報道によると、事件が発生したのは8月20日午後10時半ごろ。東京都・目黒区内の駐輪場で面識のない10代女性に、卑猥な言葉で声をかけながら無理やり手を引っ張り人気のない場所に連れて行ったという。駐輪場の暗がりのスペースに連れ込まれた女性は抵抗し、その場から逃げて近くの交番に被害を訴えたとのこと。防犯カメラの映像などから特定され逮捕に至ったといい、田中容疑者は調べに対し、「別の駅で女性を見つけ、好みのタイプだと思って、電車に乗ってついてきた」などと供述していると報じられている。そんな田中容疑者は事件発生日から8日後の8月28日、Twitterで《Animelo Summer Live 2022 -Sparkle- 最高の夏の思い出をありがとうございました!》とさいたまスーパーアリーナで行われたアニソンイベントに参加したことを報告していた。また、逮捕される2日前の10月22日には、Twitterに合掌の絵文字を3つ添えて4枚の写真を投稿。会食でもあったのだろうか、瓶ビール2本と刺身、寿司などが写っていた。「田中容疑者はアニメやゲームファンの間では、カリスマ的な人気を誇っていた作曲家。特に、アニメ『這いよれ! ニャル子さんW』の主題歌『恋は渾沌の隷也』は有名で、YouTubeでも“歌ってみた系動画”が多数アップされています。携わっている作品が多数あるため、運営会社などは今後の対応に追われるでしょう」(アニメ関係者)カリスマ作曲家の“裏の顔”に、ネット上では《えぇ。まじか……》《ビックリ》などと驚きの声が。加えて、田中容疑者が犯した行為に対して厳しい声が相次いでいる。《田中秀和逮捕って…めちゃんこ好きな作曲家さんなのにつら… 逮捕がつらいんじゃなくて、逮捕されるようなくそ人間だったことがつらい》《田中秀和のことずっと好きだったけど、被害者のこと考えたらもう聴きたくないし戻ってこなくていい》《田中秀和 強姦未遂とかどれだけ良いものを作った人間とか関係なく軽蔑する行為だよ 悲しい》いっぽう、田中容疑者が逮捕されたことで“楽曲が配信停止になる”などと心配する一部のファンに対して、諫める声も上がっている。《犯罪者がクリエイター系だったことで多くの作品が配信停止になる風潮が悪いのではなく、そもそも犯罪やらかした奴が全部悪いに決まってんだよ。だから「田中秀和よくもこんなことやってくれたな」って当人への怒りしかないし彼が関わっているコンテンツを考えると未成年相手の性犯罪とかマジ最悪じゃん》《作曲家の田中秀和が逮捕されたニュースを見て、彼が関わったアニメや楽曲が「配信停止」されることをまず気にするのはおかしいのではないか。逮捕報道の時点で邪推を含めたコメントをするのは控えるべきだけど、どんな事件にも被害者がいるということだけは言っておきたい》
2022年10月25日《橋本環奈と中川大志熱愛!?顔面レベル最強のカップル爆誕で泣けるそんなの最強じゃん!》10月24日に本誌が報じた、橋本環奈(23)と中川大志(24)の熱愛スクープ。“顔面最強”ビッグカップルの誕生が、ネットを中心に大きな反響を呼んでいる。本誌がキャッチしたのは、10月中旬に中川の自宅マンションを出入りする橋本の姿。自らの愛犬をマンションから連れて帰っていた。さらにその数日後には中川宅から朝10時ごろ出て、迎えにきた事務所車に乗り込む姿を目撃している。本誌の取材に対して、双方の事務所から期日までにコメントは得られなかったが、25日報道の日刊スポーツによれば、ともに「プライベートは本人に任せております」とコメント。交際を否定しなかったという。「2人が距離を縮めるきっかけとなったのが、共演する12月公開の映画『ブラックナイトパレード』。今年6月ごろから撮影が始まり、そこで親睦を深めていったといいます。中川さんは、今年8月放送の『スッキリ』(日本テレビ)にVTR出演した際、橋本さんと共演した心境を『ビビりました。最初、絵なのかと思いました』と明かし、彼女のビジュアルを絶賛していました」(芸能関係者)橋本がブレイクしたのは13年。福岡のローカルアイドル時代に撮影された写真が「奇跡の一枚」「千年に一人の逸材」と話題を呼んだ。16年には初主演した映画『セーラー服と機関銃-卒業-』では日本アカデミー賞新人賞を受賞。スターダムを駆け上がった。「テレビや映画に引っ張りだことなった橋本さんですが、収入を大きく伸ばすきっかけとなったのは、CM出演でしょう。20年には22社のCMに起用され、全タレント中、堂々の1位。彼女のCM出演料は年間契約で1本2千500万~3千万円といわれていますから、単純計算でCMだけで年間5億円以上の収入になります。そして、この年に21歳の若さで都内に約3億円の高級マンションを購入しています」(芸能関係者)さらに今年は『第73回NHK紅白歌合戦』の司会にも抜擢されることに。自宅は3億マンション、恋人は中川大志という“圧倒的勝ち組”ぶりに、ネットでは感嘆の声が上がっている。《20代前半でお金もめっちゃあって、顔面最強ってなると、どんな恋愛するんだろうか。環奈ちゃん3億のマンション持ってるらしいし。いろいろ異次元過ぎて想像もできん》《中川大志くん自身もイケメンでいろんな美人女優さんと共演してきたろうに、それでも絵かと思うほどかわいいハシカン大優勝すぎる。21歳で3億のマンションだか家だか買ったハシカン女前すぎて本当にすち》《橋本環奈ってほんと勝ち組だよね可愛いくて面白いし高級マンション買ったし彼氏もできて紅白の司会にもなって。うわあああ橋本環奈になりてええ》
2022年10月25日米ワシントン州郊外で、1人の女性が奇跡的な生還を果たした。UNILADによると、韓国系アメリカ人アン・ヨンスクさんは10月16日午後1時頃、夫のアン・チェギョンに強引に連れていかれた。妻側からの離婚申請で夫婦は別居していたが、この日はチェギョンがヨンスクさんの家の洗濯機を借りて洗濯していたという。2人は離婚時のお金のことで口論しており、チェギョンは「退職金をお前に渡すくらいなら死んだ方マシだ」と怒鳴っていたと伝えられている。口論はエスカレートし、チェギョンは着替えのため寝室にいたヨンスクさんを襲い、ダクトテープで拘束して車に乗せ、森へと連れ去った。Daily Beastによると、チェギョンは退役軍人で、たびたびヨンスクさんを殺すと脅していたそうだ。ヨンスクさんは車に乗せられる前、背中側で縛られた腕にはめたApple Watchで911に通報。この時のことをオペレーターは警官に「猿ぐつわをされているかのように声がくぐもっていて何を言っているかわからなかった。叫び声がしたかと思ったら急に静かになり、何も聞こえなくなった」と話していたという。当局は発信元を辿り、通報があった住所を特定したが、既に誰もいなかった。過去にDVがあった家として記録されていたため、すぐに捜査網が敷かれた。その頃、ヨンスクさんは森の中でチェギョンに胸を刺され、穴に落とされて土をかけられていた。穴の中で、ヨンスクさんは土が顔を覆わないよう体をよじらせながら、夫が自分の上を歩く音を聞いていたという。頼みの綱だったApple Watchは、この時には壊されてしまっていた。日が落ち、森が闇に包まれた頃、ヨンスクさんは自力で穴から這い出すことができた。見知らぬ家に助けを求め、警察が到着するやいなや、「夫に殺されそうになった!助けて!あいつはきっとまだ森の中にいるのよ!」と彼女は叫んだと、前出のDaily Beastは伝えている。ヨンスクさんの首や四肢にはダクトテープが巻かれたままだった。17日夜、チェギョンは警察に逮捕された。保釈されれば自分を殺しに来る、とヨンスクさんが裁判所に訴え出たため、チェギョンは拘留されたままだと前出のUNILADは報じている。
2022年10月25日10月19日に急性硬膜下血腫のため亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さん(享年81)。18日に横浜市内で横断歩道のない交差点を渡ろうとしていたところ、直進してきたワゴン車にはねられ、搬送先の病院で緊急手術を受けるも帰らぬ人となってしまった。国民的大スターの訃報に日本中が悲しみに包まれるなか、仲本さんと12年7月に結婚した27歳年下の妻で演歌歌手の純歌(54)もショックを受けているようだ。「出会いは約20年前に仲本さんが仕事で訪れた高知県で、純歌さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組に出演したこと。仲本さんは純歌さんの歌手活動をサポートするなどゾッコンでしたが、2人は夫婦とはいっても籍は入れずに事実婚だったといいます。純歌さんは事故当時、病室で懸命に夫を看病していたそうです。23日に営まれた葬儀では出棺後、純歌さんは仲本さんの遺影を抱えて車で火葬場に移動しましたが、その表情からは疲労感がにじみ出ていました」(スポーツ紙記者)いっぽう仲本さんが亡くなる1週間前、「週刊新潮」は純歌が昨年夏以降にペットの犬や猫とともに仲本さんを置き去りにして家を出てしまったと報じていた。仲本さんは生前、純歌とどのような夫婦生活を送っていたのだろうか?本誌は22年11月8日号で、2人の結婚生活における“裏側”を報じている。仲本さんが亡くなった翌日の20日、純歌の姿は都内の斎場にあった。弔問客の応接が落ち着いた後、斎場を抜け出してスタッフたちと向かった先は焼き肉店だった。亡くなった仲本さんについて「ばかだよね、ドジだよね。本当に困るし、寂しいよ」と惜しんでいたが、やや声量を落としながら戒名料についてこう話し出したのだ。「向こうが言ってきたの。60万渡すから自分が取ろうが相手に渡そうが自由にしてください。領収書さえくれれば。で、●●さんに正直なのを言おうと思うのね。いくら?と聞いたら、“じゃあ半々にする?”って言うと思うんだよね」詳細は判然としないが、預かっている戒名料の一部を自分たちのものにしようとする相談だったようだ。本誌は今年5月、純歌が横浜でカレー店を開いたことや仲本さんと暮らす自宅から家出したことをいち早く報じている。当時、仲本さんは本誌の直撃に、「俺、毎日そっちに行ってるんだから」と横浜にある妻の店に通っていることを明かしていた。■急に呼び出され、「3万円持ってきてくれない?」と金銭をせびられることも……そんな“自由奔放”な純歌について、仲本夫妻の知人・X氏は本誌にこう証言している。「純歌さんは掃除、洗濯をまったくしませんからね。家があれほどゴミだらけになっても気にしないところはちょっと信じられないレベルです。もともと『(仲本さんの)介護はしたくない』と言っていた純歌さんが、家出をして横浜に部屋を借りるようになったのにはカレー店の開店とは別の理由もあります。2年ほど前から、純歌さんは海釣りにハマっています。仲本さんは同行することはなく、一人で海に行っていたのですが、とある男性・A氏と知り合い、デートを重ねる仲になったのです」それでも、足しげく妻のもとに通っていたという仲本さんの献身ぶりについて、前出のX氏はこう明かした。「東京の家を出て横浜で暮らし始めた純歌さんですが、朝7時とかに突然電話で仲本さんを呼び出していましたね。『おいしい魚が入ったから朝ごはん食べに来ない?』なんて日もあれば、『麻雀やりたいから来て!』とか。仲本さんが『純歌が麻雀をやめないから毎日呼び出される』『俺を呼んでおいて、夕方になると俺のことを置いて先に帰っちゃうんだよ。参ったよ』とぼやいていたのを聞いたこともあります」そんな純歌は自らの趣味のため、夫に金銭をせびることもあったというのだ。「純歌さんの趣味は麻雀にパチンコ。それに買い物好きでいつもお金が足りないので、仲本さんに『3万円持ってきてくれない?』などと毎日のように連絡していました」(前出・Xさん)本誌の取材に応じた純歌は、焼き肉店で仲本さんの所属事務所に対する不満を話していたことについて、「そりゃいろいろありますよ。でも和解しながら言っているので。(事務所も)一生懸命やってくれましたから」と回答。また、戒名料については「事務所のほうから渡した金額の範囲でやってもらっていいですか、と頼まれました。(お金をごまかすことは)ないですよ」と説明。そしてA氏のことを「彼氏ができた」と話していたということについては、「事実じゃないです」と否定していた。焼き肉店では、「敵が100人いたって、何億人いたっていいのよ。生きていかなきゃいけないからさ」と気丈に語っていた純歌。しかし、仲本さんに無理を強いるような数々の言動に、ネット上ではあ然とする声が上がっている。《亡くなった直後に焼肉って……》《夫婦のことは夫婦にしか分かりませんが、加トちゃん夫妻とのギャップが激しすぎて、仲本さんが可哀想に思えてしまいます。大切にしてあげて欲しかったです》《「仲は良かった」で済ませられないほど、往年の仲本さんを知る方には我慢できないような状況に置かれてしまっていたのではないでしょうか》《ただ仲本さんに甘えるだけしかしてないよね。。 結果やりたい放題。。救いようがない》
2022年10月25日10月公開の主演映画『カラダ探し』がヒットし、『第73回NHK紅白歌合戦』での司会にも大抜擢されるなど、向かうところ敵なしの橋本環奈(23)。そんな橋本の“初ロマンス”を本誌は目撃した。10月中旬の午後7時過ぎ、愛犬を抱えて都内の高級マンションから出てきた橋本。その30分前にマンションへ入る際は、愛犬を連れていなかったので、誰かの家に預けていたことに。その“誰か”とは、世帯数の少ないこのマンションの住人でもある俳優の中川大志(24)だ。この数日後の朝10時ごろには、中川のマンションから仕事に向かう橋本の姿を目撃。事務所車はマンションのエントランスまで橋本を迎えにきていた。“千年に一度の美少女”として話題を集め、スターダムを駆け上がった橋本だったが、熱愛が報じられるのは初。そんな2人の馴れ初めについて、芸能関係者は言う。「14年放送のテレビドラマで共演したものの、一緒に撮影することはほとんどなかったそうです。しかし、共演する今年12月公開の映画『ブラックナイトパレード』の撮影が今年6月ごろから始まり、そこで親睦を深めていったといいます」これまで数々の話題作に出演し、放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)での畠山重忠の演技が高く評価されるなど、若手屈指の実力派として知られる中川。対する橋本も、好きな女優ランキングで軒並み上位に入り、オファーが絶えないCM女王。そんな“超人気者”同士の熱愛だけに、ネット上では祝福する声があるいっぽうでショックを受けてしまう人も少なくなかった。《冷静になるんだ俺、これは夢》《人の恋愛なんてわいにとって1ミリも関係ないし、個人の自由やから放っておいてやれよと思うんですよね、わいは。 ということで本日仕事できそうにありません、鬱です。》《わしの人生終了_______________》《一週間大学院休みます》《詰みました》
2022年10月25日31回目となる10月23日の誕生日直前、眞子さんに、夫から最高の“プレゼント”が届いた。10月20日(現地時間)、3度目の挑戦をしていたニューヨーク州司法試験に、小室圭さんが合格を果たしたのだ。小室さんはすぐに、アメリカ留学など、これまで小室さんを支援してきた奥野善彦弁護士に報告したという。NHKによれば、それは次のような内容だった。「今回は合格しました。弁護士の仲間入りができました。本当に先生のおかげです」遠いNYの地での眞子さんと小室さんの生活を案じていた秋篠宮ご夫妻も、胸をなで下ろされているようで――。「宮内庁の職員たちは、『殿下に合否を直接お聞きするわけにはいかないし、報道を待つしか……』と声を潜めて話していました。もし小室さんが3度目も不合格となって法律事務所を解雇されたら、物価も高騰しているNYでの生活が立ちゆかなくなり、日本に戻ってくる可能性も囁かれていましたからね。合格の知らせを受けて、秋篠宮ご夫妻や佳子さまも安堵されたご様子だったと聞いております」(宮内庁関係者)26日に控える結婚1周年の記念日に花を添えた夫の快挙。眞子さんも手放しで喜んでいるかと思われたが、実はメトロポリタン美術館(THE MET、以下MET)の学芸員として、“壁”が立ちはだかり懊悩しているという。NY在住の日本人ジャーナリストはこう語る。「彼女には、METの日本美術部門のトップで、著名なキュレーターであるジョン・T・カーペンター氏が常に同行するなど、有能なスタッフがついてサポートしています。しかし、『まだまだ名門美術館の学芸員としては力不足なのでは』という声が、NYの美術関係者からは聞こえてくるのです」これまで本誌は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)などの有名美術館や有名ギャラリーを、眞子さんがMETのスタッフとともに“視察”していたことを報じている。小室さんの司法試験合格だけを当てにするわけにはいかないと考えたのか、自身も学芸員を目指して本格的に活動を始めていたのだ。あるMETの関係者は、NY美術界で囁かれている眞子さんの“本当の評判”を明かす。「眞子さんはこの夏、ブルックリン美術館で開かれているモネを中心とした印象派展にMETのスタッフといっしょに足を運びました。居合わせた関係者と初期印象派の画家について話が及んだとき、眞子さんがモネと同世代のシスレーやバジールの名を口にしたことに、周囲は『さすが、よく知っていますね』と彼女をほめちぎっていたそうです。しかし、シスレーやバジールは美術館の学芸員でなくても広く知られている有名画家です。名前を知っていたから評価されるのではなく、画家が生きた時代背景や、作品についての学術的な知識や見解が学芸員には求められています。つまり、周囲にいるスタッフたちはまだ眞子さんを“プロの学芸員”として評価していなかったのです。まだまだ知識不足は否めないということでしょう」実際に最近眞子さんに会ったNYの美術関係者は、年齢よりも幼い印象を持ったという。「礼儀正しく、見た目もチャーミングな女性という印象を受けました。しかしアメリカ人の感覚で考えると、彼女との会話の内容も、幼く感じるところがあると思いました。また、美術関係者の集まりにも、買い物に出かけるときに目撃されているような、黒い服にぺったんこの靴で来ていました。誰も直接指摘しなかったものの、もう少しTPOを考えたコーディネートをするべきだったのではないかとの思いも残りました」■危機感で奮闘…METが期待する将来性こうした印象は、別の美術関係者も同様に抱いていて、「英会話はとてもスムーズで、日常生活や仕事で支障が生じることはないと思います。周囲のスタッフともファーストネームで呼び合い、信頼関係も築けています。しかし語彙が豊富とは言いがたく、難しい言葉や専門用語を使って話すことは少ないように感じました。METやNYの有名美術館にいる学芸員は、世界レベルで評価を集める研究者でもあります。そうした同僚たちと肩を並べて働くうえでは、英語力もさらに磨いていく必要があります」このままでは眞子さんは、NY美術界で、“学芸員として失格!”という評価を下されかねない。そうした危機感に駆られ、眞子さんも奮闘せざるをえないのだろう。だがMETにとって眞子さんは、学芸員としてのキャリアが不足しているままであっても、スタッフとして受け入れるメリットがあまりにも大きいのだという。「METが優秀なスタッフを周囲につけ、NYの美術関係者に眞子さんをアピールする場を増やしているのは、彼女の将来性に期待しているからです。学芸員として経験や知識を蓄えてもらって、将来眞子さんには日本の美術品の買い付けや、企画展の開催を担当してもらいたいというMETの思惑があるのです。眞子さんには、日本の人間国宝たちを中心に組織されている日本工芸会の総裁を務めていた実績があります。その肩書は、日本での美術品の買い付けや借り受けの際に威力を発揮するとMETは考えているようなのです」(前出・NY在住のジャーナリスト)なにより、“将来の天皇の姉”であることは、皇室に受け継がれる美術品をMETが借り受けることを容易にするという。皇室担当記者は、「古くから皇室に伝わる美術品には、国宝に指定されたものも少なくありません。昨年は、伊藤若冲の代表作『動植綵絵』などが指定され、今後も増えていくとされています。こうした数多くの美術品が所蔵されている三の丸尚蔵館から借り受けるにあたっても、“元内親王が皇室由来の美術品を海外に紹介したい”という大義名分があれば十分でしょう」眞子さんも、日本美術をアメリカで紹介したいという夢を語っていて――。「彼女は美術関係の知人たちに、『私もMETで日本美術のすばらしさを伝えられるような展覧会を開きたい』と語っていたそうです。METで働くことは、世界中の学芸員たちが夢見ること。眞子さんはその立場を手にしたのです。小室さんが弁護士としての仕事を着実にこなしていけば、収入も増えていくでしょう。いまは“見習い”の立場で、厳しい評価を受けていても、眞子さんが取り組みたい仕事や研究に打ち込める環境は、少しずつ整ってきていると思います」(前出・NY在住のジャーナリスト)夫の司法試験合格に喜ぶ一方で、眞子さんの新たなる試練が始まっていた。
2022年10月25日仲本工事さん(享年81)急逝の翌日の10月20日、遺体が運び込まれた都内の斎場に、仲本さんの妻で演歌歌手の三代純歌(54)の姿はあった。弔問客の応接が落ち着いた彼女が斎場を抜け出しスタッフたちと向かったのは、近くの焼き肉店だった。「それにしても疲れたね」焼き肉を食べながら労をねぎらう純歌だったが、仲本さんの所属事務所への不満を口にした。「いつもそうだよ、(事務所トップの)意地悪で邪魔されて」亡くなった仲本さんについては、「ばかだよね、ドジだよね。本当に困るし、寂しいよ」と語ったが、会話は故人を悼むものだけではなかった。純歌はやや声量を落としながら、戒名料に関して話し始めた。「向こうが言ってきたの。60万渡すから自分が取ろうが相手に渡そうが自由にしてください。領収書さえくれれば。で、●●さんに正直なのを言おうと思うのね。いくら?と聞いたら、“じゃあ半々にする?”って言うと思うんだよね」詳細は判然としないが、預かっている戒名料の一部を自分たちのものにしようという相談だったようだ。一世を風靡した『8時だョ!全員集合』(TBS系)など、ザ・ドリフターズのメンバーとして日本全国に笑いを届けた仲本工事さん。10月19日22時22分、急性硬膜下血腫のため亡くなった。「前日の午前9時過ぎに横浜市内の信号のない道路を歩いて渡ろうとしていたところ、車にはねられました。同市内の大学病院に緊急搬送されましたが、翌日に仲本さんの前妻の娘さんや現在の妻の純歌さんに見守られながら息を引き取ったそうです」(スポーツ紙記者)本誌は病院関係者から事故直後の様子について聞くことができた。「仲本さんの顔はちょっと見ただけでは本人と判別できないほど、青紫色に腫れ上がっていました。肋骨も折れていました。加藤茶さん(79)と高木ブーさん(89)もすぐに横浜まで来られましたが、仲本さんの意識が戻ることはありませんでした」仲本さんの急逝により、弔問客の対応などに追われることになった妻の純歌。彼女は仲本さんにとって“3番目の妻”だ。スポーツ紙記者が語る。「仲本さんは最初の妻と’82年に死別。再婚した妻との間に2児をもうけますが’04年に離婚。そして、三代純歌さんとラジオ番組で知り合い、’12年7月に再々婚しました。この前年には加藤茶さんが綾菜夫人(34)と“45歳差婚”していたので、27歳年下である純歌さんも話題になったのです」生前の仲本さんは、純歌とスナックや居酒屋を開き、ときおり一緒にメディアに登場するなど仲むつまじいところを見せていた。しかし、結婚10年目の今年5月、本誌は純歌が「カレー店を開く」と言ってスナックを閉め、仲本さんとの自宅から家出していたことを報じている。仲本さんは本誌の直撃に「いや、そうじゃなくて……」などと語っていたが、寂しげな様子だった。さらに、仲本さんが亡くなった前週には「『仲本工事』を虐げる27歳下『モンスター妻』」というタイトルで『週刊新潮』が“ゴミ屋敷に夫放置”“家賃一年滞納で火の車”といった内容を報じたのだ。■「3万円持ってきてくれない?」頻発した純歌の“お願い”夫婦の間にいったい何が起こっていたのか。仲本夫妻の知人・Xさんは本誌にこう証言した。「純歌さんは掃除、洗濯をまったくしませんからね。家があれほどゴミだらけになっても気にしないところはちょっと信じられないレベルです。もともと『(仲本さんの)介護はしたくない』と言っていた純歌さんが、家出をして横浜に部屋を借りるようになったのにはカレー店の開店とは別の理由もあります。2年ほど前から、純歌さんは海釣りにハマっています。仲本さんは同行することはなく、一人で海に行っていたのですが、とある男性・A氏と知り合い、デートを重ねる仲になったのです」彼女の周囲には、いつも複数の男性の影があったという。仲本さんは妻の男性関係をどう思っていたのだろうか。Xさんが続ける。「自宅で純歌さんと知り合いの男性が一緒にベッドで寝ているところを、仲本さんが目撃したこともありました。ただ、仲本さんは『しょうがないよ。俺も年だし』などと言って不問に付したのです」2人の関係が変わってしまった理由はほかにもあった。「新型コロナが流行してからの純歌さんの口癖は『おカネがない』でした。お店の売り上げや仲本さんの収入が減ってしまったことに対して、不満を口にするようになったのです」(前出・Xさん)仲本さんの経済状況について、夫妻の別の知人・Yさんに話を聞いた。「仲本さんは2回目の離婚の際、所有していた都内のマンションや地方の別荘といった不動産などを慰謝料として取られ、ほぼ全財産を失ってしまいました。加えて投資詐欺にあってしまい、多額の負債を背負ってしまったとも聞いたことがあります。それでも純歌さんと知り合ったころの仲本さんは、テレビや舞台の収入が月に200万円ほどあったそうです。しかし、コロナの影響で舞台やイベントなど仲本さんの仕事は減っていき、ほぼ無収入になってしまったのです。2人は夫婦といっても籍を入れていませんでしたが、別居は金銭問題が原因なのだと純歌さん本人は話していました」こうして別居にいたった仲本さんと純歌だが、意外にも頻繁に会っていた。前出のXさんが言う。「東京の家を出て横浜で暮らし始めた純歌さんですが、朝7時とかに突然電話で仲本さんを呼び出していましたね。『おいしい魚が入ったから朝ごはん食べに来ない?』なんて日もあれば、『麻雀やりたいから来て!』とか。仲本さんが『純歌が麻雀をやめないから毎日呼び出される』『俺を呼んどいて、夕方になると俺のこと置いて先に帰っちゃうんだよ。参ったよ』とぼやいていたのを聞いたこともあります。純歌さんの趣味は麻雀にパチンコ。それに買い物好きでいつもお金が足りないので、仲本さんに『3万円持ってきてくれない?』などと毎日のように連絡していました」■本誌の取材に“ゴミ屋敷放置”妻は…知人たちの証言によれば、“鬼妻”ともいえる存在だったが、なぜ仲本さんは別れようとしなかったのか。前出のYさんは言う。「私たちが別れるように言っても、いつも純歌さんをかばっていました。仲本さんはこれが3回目の結婚で、もう高齢でした。いま純歌さんを怒らせたら一人になってしまう……という思いがあったのではないでしょうか。仲本さんを励まそうと、2月に食事会が開かれたのですが、仲本さんが店の外で煙草を吸いながらふいに、『この年になってゴミ屋敷に住まわされるなんてなぁ』と嘆いていましたがね」夫婦にしかわからない思いもあるのか。冒頭の“焼き肉密談”について確認するために、本誌は純歌に連絡を取った。「取材は受けていない」と語っていた彼女だが、取材が焼き肉店の会話についてであることを伝えると、答え始めた。――仲本さんの所属事務所への不満を話していましたが?「そりゃいろいろありますよ。でも和解しながら言っているので。(事務所も)一生懸命やってくれましたから」――戒名料の件は?「事務所のほうから渡した金額の範囲でやってもらっていいですか、と頼まれました。(お金をごまかすことは)ないですよ」――A氏のことを「彼氏ができた」と話していたそうですが?「事実じゃないです」男性関係や戒名料に関する疑惑については否定した純歌。彼女は焼き肉店でこうも語っていた。「敵が100人いたって、何億人いたっていいのよ。生きていかなきゃいけないからさ」夫を亡くしながらも、たくましく生きていこうとする妻の姿に、天国の仲本さんは何を思うのか。
2022年10月25日「本人に合否が通知されるよりかなり前に、小室さんが勤務する法律事務所のウェブサイトに彼の顔写真が掲載されていました。本人も勤務先に手ごたえを伝えていたのでしょう」こう話すのは、NY在住の日本人ジャーナリストだ。本誌は10月18日発売号で、小室圭さんが勤務する法律事務所「ローウェンスタイン・サンドラー」(以下LS)のウェブサイトに、これまで削除されたままだった小室さんの写真が突如掲載されたことを報じた。2度目の試験に不合格となった際、“5点足りなかった”と関係者に話していたという小室さん。しかし、7月の試験で感じていた自信は、LSだけに伝えていたわけではなかった。前出のNY在住のジャーナリストは、「合否を知る前に、小室さんは知人に、『合格したら、大手を振ってブルーノート本店に行きたい』と話していたと聞きました。NYのダウンタウンにあるブルーノートの本店は、“ジャズの聖地”として知られる老舗ジャズクラブ。以前から小室さんはジャズを好んで聴いているそうです。合格したら眞子さんを連れて祝杯を挙げたいということなのでしょう。コロナ禍と円安で、日本人観光客も減っており、人目を気にせず遊ぶことができますからね」これまで仕事と試験勉強の日々に耐えた小室さんは、合格を勝ち取ったご褒美にNYで観光を楽しみたいと考えているのだろう。「小室さんは知人に目を輝かせながらこう語っていたとも聞いています。『将来は、暖炉があってピアノが置ける広いリビングのある家に住んで、自分や眞子さんの気が置けない仲間たちを呼んでホームパーティを開いて、即興のジャズ演奏を楽しみたい』と……」(前出・NY在住のジャーナリスト)だが、NYの法曹関係者は小室さんの今後をこう案じる。「これまでは、LSのロークラーク(法務助手)として、起業家の資金調達などに関わるチームの補助役でした。正式に彼が弁護士として働きだせば、業績を出すことに伴って収入も上がっていきます。しかし今後は弁護士として顧客と会うことになります。重大な責任が伴う立場になった以上、仕事で感じるプレッシャーもこれまでとは比べものになりません。合格後の弁護士としての展望を語らずに、遊ぶことばかり口にしていたとしたら、少々心配になってしまいます」悲願の司法試験合格で、お気楽すぎる将来設計への自信も強めていなければいいのだが――。
2022年10月25日大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で壮絶な討ち死にシーンを演じ切り、役者としての評価がうなぎ上りの中川大志(24)。仕事だけでなく、プライベートも“絶好調”な姿を、本誌は目撃した。橋本環奈(23)と“おうちデート”を楽しんでいたのだ。10月中旬の午後6時半ごろ、橋本が自身の自宅にも近い中川の自宅マンションを訪問。その約30分後、黒い愛犬を両手に抱えて出てきたのだ。愛犬を預けるほど、中川を信頼している様子がうかがえた。また、数日後の朝10時ごろ、本誌は再び橋本が中川のマンションから出てくる様子をキャッチ。事務所車がエントランスに到着すると、橋本は慌ただしく乗り込んでいた。すると約1時間後、今度は中川が黒ずくめの服装でマンションのエントランスに登場。彼は迎えにきたタクシーに乗ると、仕事先へと向かっていった。2人の馴れ初めについて、ある芸能関係者が明かす。「もともと’14年のドラマ『水球ヤンキース』(フジテレビ系)で共演経験のある2人ですが、同作では役柄の設定上、からみはほとんどありませんでした。しかし、今年の6月に再共演作である映画『ブラックナイトパレード』の撮影がスタート。夏の終わりまでロケが続くなか、次第に仲を深めていったといいます」“おうちデート”で橋本との愛を育む中川。本誌’21年7月20日号で、理想の恋愛についてこう語っている。「スリリングな恋よりも、穏やかな恋のほうがいいかなあ。自分のペースや生き方を持っている女性が理想で、尊重し合える関係が最高だと思います。ただ、僕だってイチャイチャはしたいですよ(笑)。でも、ずっとイチャイチャだとちょっと……とも思います(笑)」「自分のペースや生き方を持っている女性が理想」という中川にとって、橋本は“理想”にぴったりのお相手といえそうだ。「橋本さんはもともと動じない性格。初主演映画である『セーラー服と機関銃 -卒業-』では、薬師丸ひろ子さん(58)や原田知世さん(54)、長澤まさみさん(35)といった名だたる先輩女優たちが演じてきた“星泉”役でしたが、製作発表会見では『重圧を封印します!』と笑顔で宣言。その堂々とした姿に、周囲も驚いていました。また今年8月13日に『クランクイン!』が公開したインタビュー記事では、橋本さんは『先を考えて“ああしたい、こうしたい”といったことは考えていません。とにかく誠実に積み重ねていくだけです』とも語っています」(芸能関係者)橋本の芯の強さに、中川も惹かれているのだろう。
2022年10月25日10月25日発売の本誌がスクープしたのは、橋本環奈(23)と中川大志(24)の熱愛だ。10月中旬、橋本が中川の自宅マンションから自らの愛犬を連れて帰り、その数日後は、中川の自宅マンションでお泊りする姿をキャッチ。今を時めく人気若手俳優同士の交際のきっかけは、ある映画の撮影だった。「橋本さんと中川さんは、’14年のドラマ『水球ヤンキース』(フジテレビ系)で初共演を果たしています。本人役で出演していたアイドル・橋本環奈に憧れる高校生役を中川さんは演じていましたが、一緒に撮影する機会はほとんどなかったといいます。2人が再会したのは、12月公開の映画『ブラックナイトパレード』。同作は『聖☆おにいさん』などを手掛ける人気漫画家・中村光さんの最新作が原作です。良い子のところには、欲しいプレゼントを持った赤いサンタクロースが、悪い子には欲しくもないプレゼントを渡しに黒いサンタがやってくる、といったサンタの伝承をベースにしたクリスマスコメディです。今年の6月から8月下旬まで撮影していたのですが、2人は撮影現場で距離を縮めたみたいです」(芸能関係者)同作の主演・吉沢亮(28)は、橋本と中川の両者と何度も共演経験がある。前出の芸能関係者は続ける。「橋本さんは『キングダム』や『銀魂』などで吉沢さんと共演し、『頼りにしている』と明かしていました。いっぽう、中川さんと吉沢さんは、『水球ヤンキース』や、『なつぞら』(NHK)などで共演。プライベートでも一緒に釣りに行ったり、温泉に行ったりする仲。今年の8月に放送されたテレビ番組『TOKIOカケル』(フジテレビ)に中川さんが出演した際、“合コンすると仮定した場合、誰を呼ぶか?”と聞かれ、吉沢さんの名前をあげているほどです。撮影現場では、3人が共通して好きだという人狼ゲームの話などで盛り上がったのではないでしょうか」本誌は6月下旬に関東近郊の教会で行われた『ブラックナイトパレード』の撮影へ向かう吉沢の姿を目撃している。撮影の序盤戦、季節外れの暑さを記録していたものの吉沢は気丈な様子で撮影に向かっていたーー。「『ブラックナイトパレード』は座長の吉沢亮さんがムードメーカーとして引っ張っていったおかげで、現場の雰囲気は大変良かったみたいですよ。そうしたなかで中川さんも橋本さんも自然と惹かれあっていったのだとか」(前出・芸能関係者)本誌が目撃した日、吉沢は真夏の教会で何を祈っていたのかーー。『ブラックナイトパレード』公式サイトの出演者コメントで、橋本は「中川さんが演じた皇帝君は、話し方とかも一癖ある役なので、どんなふうに演じられたのか、是非劇場で確かめてください!」と語っていた。2人が躍動する同作は、今年最大の注目作になりそうだ。
2022年10月25日10月23日、YouTuberで少年革命家のゆたぼん(13)が広島県を訪れたとして「原爆ドームは胸が痛かった」と題する動画をアップ。現在、クラウドファンディングで資金を募って用意した専用車「スタディ号」で、“自らと同じ不登校の子どもたちに元気や勇気を与えたい”との目的で日本全国を一周中だ。広島平和記念資料館を訪れたゆたぼんは、「ここでは原爆についてとか、あとは原爆でお亡くなりになってしまった人たちの服とかが置いてたりするんですね。まぁ、俺もねYouTubeで、日本の広島県に原爆が落とされたってYouTubeで見たことあるんで、今からね、見に行こうと思います」とコメント。その後、資料館から出てきたゆたぼんは、沈痛な面持ちで感想をこう述べた。「なんていうか、ホンマに、原爆って……。あ、最初、原爆が落ちる前は、あの、もうすごい、あの、みんな平和だったし。平和だったのに、原爆が落ちた後はもうホント、バラバラになったりとか、人がお亡くなりになったりとかして、お亡くなりになった人たちの死体とかそういうのを見てるとホントに胸が痛くなるし、初めての経験でホント、そういうのを見てるとフラフラしたりとか胸が痛くなったりとかするなと思って。初めての経験ですごく悲しいし、あの、原爆とか戦争ってホンマに怖いなって思いました。そういうことがホンマにあったんやなって学べたと思います」次に原爆ドームに移動し、「ひとつの爆弾によって20万人以上の人々が亡くなられたっていう、ホント悲しいなって思います」とコメントしたゆたぼん。じっくり見学をした後、案内板の前に立って、「原爆が落ちる前はもうすごい平和やったのに、原爆が落ちた後はこんな感じで焼け野原になって、あの、何もかもがなくなってしまって。いまで77年ですけど、77年経って、いまこんな感じでこうしている(残っている)っていう感じで、ホントにすごいなと感じます」と写真を紹介しながら語った。ゆたぼんは最後に、「原子爆弾は第二次世界大戦中の1945年8月6日に、あの、アメリカが日本の広島県と長崎県に原爆を落としたんですね。で、まぁ、それで20万人以上の人がお亡くなりになられて。で、その原爆の跡がこの原爆ドームなんですよ」と改めて紹介。続けて、「ホントに戦争ってやっちゃいけないことだし、こういうことはホントに覚えとかなくちゃいけないなって思いましたね。で、この原爆ドームがこういうことを伝えてくれてるんじゃないかなって思います。まぁ、みんなも広島県に来たらこの原爆ドーム見たりとか、あとは、広島平和記念資料館に行ったりしてみてください」と呼びかけ、原爆ドームに向けて手を合わせ深々と頭を下げたのだった。現在までにこの動画は7000回以上再生されており、《原爆ドームか…日本人なら一度は行くべき場所ですね》《ゆたぼんさん。今まで以上に真面目です。真剣さが伝わって来ます》《ゆたぼんが珍しく、それも悲しそうにスタディしてる…。資料館行ったことあるけど衝撃的だよね…》などの声が寄せられた。いっぽう、ゆたぼんが動画内で「1945年8月6日にアメリカが日本の広島県と長崎県に原爆を落とした」と説明していたことから、ネット上では《長崎県は8月9日なんですが》といった指摘も上がっている。
2022年10月25日10月21日からスタートした平野紫耀(25)主演の新ドラマ『クロサギ』(TBS系)。各メディアによると、初回放送の平均世帯視聴率は9.2%で、個人視聴率は5.3%(ともに関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったという。同じTBSで放送された06年版では主人公・黒崎を山下智久(37)が、ヒロインの吉川氷柱を堀北真希(34)が演じ、08年には映画化もされた。いっぽう、今作では氷柱を黒島結菜(25)が演じ、刑事・神志名将役には井之脇海(36)が登場。2人は先月末に最終回を迎えたNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』に出演した“朝ドラコンビ”でもあり、ネット上では歓喜の声が上がっている。《黒島結菜さんと井之脇海さんのちむどんどんコンビも密かに楽しみ》《黒島結菜ちゃんも井之脇海くんも朝ドラ終わってすぐ別のドラマって大変そうだけど朝ドラとは違う人として見れるのさすが役者さんだなぁ》《黒島さんと井之脇さん 今後絡みがあるのかなー ちむどんとまた雰囲気が全然違って役者さんすごいー》「Twitterでは『#クロサギ』が世界と日本でトレンド1位になるなど、平野さんをはじめとするキャスティングが話題を呼んでいます。『ちむどんどん』では黒島さんがヒロイン・暢子を演じ、井之脇さんは暢子と共に働く料理人を演じました。実は氷柱の弟役を演じている田中奏生くん(16)も、『ちむどんどん』で暢子の夫・青柳和彦の少年時代を演じていたのです」(テレビ誌ライター)『クロサギ』での黒島について“ぴったり”“応援したくなった”と好演を評価する声もあるいっぽう、「暢子」を重ねてしまう人もいるようで……。ネット上では厳しい声も上がっているのだ。《ドラマ自体は面白い。スピード感もある。でも、冒頭のナレーションから「暢子」。拙い英語で道案内する感じも「暢子」。「暢子」の残像ばかりがチラつく。黒島結菜ってどれも一本調子。「お金、いくらぐらいなくなったの?」って完全にデジャヴ》《黒島結菜ちゃん、やっぱり暢子にしか見えない もう少し演じ分けてほしかったな》《黒島結菜ちゃん暢子抜けてない、、、 暢子にしか見えない…… 平野なのに見る気にならない…… なんてこった》黒島演じる氷柱のキャラクターは、努力家で正義感が強い女子大生。父親が詐欺被害に遭ったことを機に黒崎と出会うが、詐欺師を詐欺でやり返す方法に納得がいかず反対する一幕も。尾を引く『ちむどんどん』の影響について、テレビ局関係者は言う。「氷柱の真っ直ぐなキャラクターが暢子を彷彿させている面もあるかもしれません。暢子は突如として大勢の前で決意表明したり、相手に対して一方的な物言いで主張したりすることもあり、視聴者から“ヒロインなのに共感できない”といった声が相次ぎました。『ちむどんどん』は強引なストーリー展開や粗削りな演出に、放送が進むにつれて徐々に批判が増加。通常の朝ドラでは結婚や出産を経てヒロインの人間的な成長が描かれるものですが、暢子の空気の読めなさは変わらないままでした。決して黒島さんに非があるわけではないのに、脚本や演出のせいでドラマ終了後も暢子のイメージを背負ったままになっているようです」『クロサギ』はまだ始まったばかり。暢子の呪縛を払拭し、『クロサギ』が新たな代表作となることを期待したい。
2022年10月24日≪演技について。19歳で俳優を志し、以来多事ありでした。が、今86歳を前にして、本当に演技することが楽しい、と思う。これまで自分を守っていた「憶病」が殆どなくなり、発想が自由になった≫10月20日、山崎努(85)がTwitterに“演技論”を投稿した。今年4月にTwitterアカウントを開設したばかりだが、この呟きは大きな反響を呼び、10月24日時点で7.1万いいねを記録している。黒澤明監督の映画『天国と地獄』(’63年)で注目を浴び、半世紀近くにわたって第一線で活躍し続けてきた山崎。そんな山崎の60年以上の経験や思いが込められたツイートに、コメントが集まっている。《カッコ良すぎる。 私も86歳まで生きてこの言葉を振り返りたい。》《ここまで含蓄ある言葉に出会ったの久々、辿り着けるかなこんな風に》《単純に憧れてはいけないと思いつつ、やっぱり仰ぎ見てしまう。この境地にたどり着ける役者さんが、いったい何人ぐらいいるんだろう。私には逆立ちしてもたどり着けない場所だけれど、その境地を想像しただけで鳥肌が立つ。》今年4月からスタートした山下智久(37)が主演する連続ドラマ『正直不動産』(NHK)では、第1話と最終話でゲストとして出演。しかし、実は’19年5月公開の映画『長いお別れ』への出演以降、2年以上も表舞台から遠ざかっていた時期があったのだ。休業状態だった背景には、妻である黛ひかるさん(82)への“老老介助”があったという。その現場を、本誌は昨年6月に目撃していた。築約30年の、石段を積み重ねた自宅近くで、訪問介護のヘルパーと思しき女性に付き添われながらゆっくりと歩くひかるさん。そして、そのすぐ後ろには、杖をつきながら優しく妻を見守る山崎の姿があった。「一昨年に、山崎さんの奥さまが自宅の階段で足を踏み外して、骨折してしまったそうです。これまでと同じように家事ができなくなったこともあって、訪問介護を依頼するように。山崎さんは家事を奥さまに任せることが多かったですが、家事だけでなく、奥さまを献身的に支えていたといいます」(山崎をよく知る近隣住民の女性)山崎は、冒頭のツイートをこんな風に締めくくっている。≪楽しい。よかった。ここまで身体、アタマが壊れなくてよかった、正直な感想です≫60年を超える俳優人生、さらに妻の老老介助を経て新たな境地にたどり着いた山崎の演技がますます楽しみだ。
2022年10月24日’20年夏に認知症を公表するも“最後の絵画展”を開催するために一念発起!?今回は、絵画展のための作品を描きながら、脳も活性化できる一石二鳥の“脳活アート”に挑戦した蛭子能収さん(75)。はたして作品は完成するのだろうか……。■蛭子さんになんとか絵を描かせたい!認知症になった蛭子さんの展覧会をやりたい──。そんな『女性自身』の編集デスク・吉田のムチャぶりを受け、私、「蛭子能収の人生相談」の担当記者・山内は悩んでいた。認知症を公表して2年。最近の蛭子さんのやる気は低下の一途。「絵を描いてください」と頼んでも「いや~、面倒くさいですね」と頭をかきながら笑ってごまかす。画材を用意しても、ペンを持って10分ほどで「大丈夫?次の仕事があるから」と、マネージャーを見ながらペンを置いてしまう。仕事などないのに……。認知症という病気は、サブカル界のカリスマ“芸術家・蛭子能収”の才能と集中力を奪い去ったのか。悩める私にある日、ひとつのアイデアが浮かんだ。それが「臨床美術」だ。彫刻家の故・金子健二さんが、医療や福祉の専門家とともに開発した日本初のアートプログラムメソッド。認知症の予防や改善だけでなく、子どもの感性教育、社会人のメンタルヘルスケアなどにも取り入れられている。「認知症の予防や症状改善を目的とした臨床美術には、誰もが楽しみながら作品をつくれるように考えられたプログラムがあり、創作活動を通して脳が活性化します」そう語るのは「芸術造形研究所」の臨床美術士・大倉葉子さん。これまでも認知症患者の意欲と潜在能力を引き出してきたベテラン臨床美術士である。彼女の手にかかれば、「面倒くさい」とペンを投げ出す蛭子さんのやる気も、引き出してくれるかもしれない──。■会話で蛭子さんの心を解きほぐす!いよいよ蛭子さんに臨床美術にチャレンジしてもらう日が来た。「今日は絵を教えていただこうと思ってやってきました」臨床美術士の大倉葉子さんは、蛭子さんにこう語りかけた。初対面の人の前ではいつも表情が硬くなる蛭子さんの目元が少しゆるんだ。「蛭子さんの本を3冊読ませてもらいました。好きなものも知っています。カレーライスにラーメンですね」と語る大倉さんに、蛭子さんは「そうですね」と笑顔を見せる。「私は蛭子さんの描く人の顔が好きなんですよ。見る人によって悲しそうにも、うれしそうにも見えますよね。どうやって描くんですか?」と、大倉さんは紙とペンを取り出した。脳を活性化させる「臨床美術」だが、まずは蛭子さんの心を開いていくコミュニケーションが重要のようだ。「どうやったかな……」と、頭をかきながら蛭子さんが自らペンを手にした!知らない人の前だとモジモジして何事も出だしが遅くなる蛭子さんだが大倉さんとの自然な会話で心がほぐれたのか、スムーズにペンを動かした。■ネガティブ思考でペンの動きが止まるその次に、蛭子さんの目の前に、展覧会用のイラストボードが用意された。ただならぬ雰囲気に蛭子さんの表情が固まった。すかさず大倉さんは、バッグから競艇専門誌『ボートボーイ』を取り出し「今日は大好きなものを描きましょう」と話しかけた。たちまち目を細めてページをめくり始める蛭子さん。「オレは、ボート走って行くときに、波があがるところが好きなんだよね」と、イラストボードの中央に競艇のボートを描き始めた。認知症になってから蛭子さんの絵は、紙の隅に小さく描かれるのが特徴だった。大胆な構図が魅力の蛭子さんが戻ってきた?そんな矢先、「実は、オレは競艇でずいぶん負けました。家族にも怒られたんですよね」とぽつり。蛭子さんの手が止まった。絵を描いていくうちに競艇に対するネガティブ思考が充満してきたようだ。表情も硬くなる。こうなると絵は進まない。さあ、どうなるか?【後編】“最後の絵画展”蛭子さんの今が描かれた作品が完成!へ続く※今回、蛭子さんが体験したのは臨床美術の手法によるコミュニケーションを通した絵画制作であり、実際の臨床美術のプログラムとは異なります。
2022年10月24日【前編】蛭子さん“最後の絵画展プロジェクト”のため、脳活アートに挑戦!から続く’20年夏に認知症を公表するも“最後の絵画展”を開催するために一念発起!?今回は、絵画展のための作品を描きながら、脳も活性化できる一石二鳥の“脳活アート”に挑戦した蛭子能収さん(75)。はたして作品は完成するのだろうか……。■「おやつタイム」で大復活!順調に展覧会用の作品を描いていた蛭子さんだが、競艇で負けたときの記憶がよみがえり、ペンがいっこうに進まない。これまでなら「蛭子さん、がんばって、ほら、ここに線を描けばいいですよ」と急かしていた。ところが大倉さんは「そうなんですね」と蛭子さんのネガティブ思考を受け入れた。ペンを置いた蛭子さんをそっと見守る。そして「蛭子さんが東京に来て驚いたことはなんですか?」と話しかけた。「富士山ですね、本物を見たときの衝撃は忘れられませんね」「どんな富士山でした?雪はありました?」「え~とですね、こんな富士山でした」蛭子さんがスラスラと雄大な山を描きはじめた。ネガティブ思考ではなく、楽しかった思い出や感情を掘り起こして、それを絵として表現していく。これが臨床美術では重要なようだ。大倉さんは、その手元よりも蛭子さんの表情をよく見ている。蛭子さんの表情が曇りがちになると、奥さんのこと、映画やテレビ出演のことなど、蛭子さんにとって楽しい思い出を掘り起こしていく。■苦手の色つけを始めた!「富士山に色をつけていきませんか?」と大倉さんが、16色セットのオイルパステルを置いた。その誘いに、蛭子さんは、迷うことなくピンク色のパステルに手を伸ばした。「山なら青か緑じゃないですか」と、私が口出ししようとしたとき、それを遮るように大倉さんが「いいですね、赤富士ならぬ桃富士!」と声をかけた。「色を自分で選ぶだけでも脳が活性化するんですよ」と小さな声で付け足した。蛭子さんが52年前に見た日本一の山の記憶は、いま桃色となって心に残っているのかもしれない。そっくりに描かなくてもいい。心のおもむくままに描きたいものを、塗りたい色で仕上げていくことが臨床美術の重要なポイントだ。「色をつけるのは面倒くさい」が口癖だった蛭子さんがいま、夢中になって富士山を桃色に輝かせていく。安心して没頭できる環境作り、心を揺り動かすコミュニケーションによって、蛭子さんはスイッチが入ったように創作に取り組んでいる。大倉さんは、臨床美術士は伴走者だと話していた。「ヒモを引いて誘導するのではなく、その人が持っている感性を引き出すことです」認知症で記憶は失われるかもしれないけれど感情は残る。その人らしさに寄り添い続けることを忘れてはいけないようだ。■絵が完成!蛭子さんが一言「売れますかね?」豪快に滑走するボートに色づけをしていた蛭子さんが、手にしていたオイルパステルを置いた。上気した顔にはいつもの笑みが戻っている。自由奔放な色彩と不思議でエネルギッシュな絵柄。一世を風靡した蛭子さんのヘタウマ画風が戻ってきた。大倉さんは、蛭子さんのやり切った笑顔に満足している。蛭子さんの才能はまったく涸れていない。感性を刺激して自信を持たせればいいのだ。「いい絵ですね。蛭子さんの絵は人を引きつけますね」と褒められた蛭子さんは、頭をポリポリしながら、「いくらで売れますかね?」お金を稼ぐどん欲さは認知症になってもならなくても変わらない。「これからも描いていきましょう」。大倉さんは蛭子さんのやる気スイッチをまたひとつ見つけたようだ。蛭子さんの展覧会は夢物語ではなく、実現に一歩近づいた。〈おわり〉※今回、蛭子さんが体験したのは臨床美術の手法によるコミュニケーションを通した絵画制作であり、実際の臨床美術のプログラムとは異なります。
2022年10月24日鳥のフンによる被害や、その相談件数が増加傾向にあるという。多くの害鳥獣駆除業者が加盟する日本鳥獣被害対策協会の専務理事・石橋慎示さんはこう話す。「私たちは、企業や自治体の依頼で、工場や倉庫、公共施設などでの駆除や忌避対策の施工をしていますが、最近は一般の方からの相談が急増しています。この10年で3~4倍になったと感じています」激増の原因として、石橋さんは次の2点を挙げる。「1つは凝ったデザインのマンションや戸建てが増えたこと。そのため、建物の外周りに多くの凹凸部が設けられるようになった。2つ目は、後付けの太陽光パネルを設置する住居が増えたこと。結果、風雨が直接当たらない場所が増え、そこにハトなどの鳥が営巣するようになったと考えられます」ベランダに干していた洗濯物を汚される、悪臭に悩まされるなどのいわゆる「フン害」。経験した読者も少なくないだろう。だが、そんな被害はまだまだかわいいものかもしれない。じつはハトなど鳥のフンが、恐ろしい健康被害を引き起こすこともあるという。「ハトが群れをなしている大きなお寺のお坊さん、その3人に1人がオウム病を罹患している、などという噂もあります」(石橋さん)これは本当のことだろうか?「あながち、的外れな数字ではないでしょう」こう話すのは、岐阜大学応用生物科学部共同獣医学科の福士秀人教授だ。「昨今、オウム病の原因としてもっとも問題視されているのが野生のハトです。少し前の話ですが、駆除業者さんに協力してもらってある地域のハトを調査しました。結果、2~3割のハトのフンからオウム病の病原体であるクラミジアが検出された。その数字から考えても、神社仏閣等で大量にたまったフンの掃除などを日常的にしていたら、チリ状に舞い上がった埃=フンを吸い込んでオウム病に感染してしまう人が一定割合いても不思議ではありません」発熱やせきなど、かぜやインフルエンザに似た症状が出るというオウム病。病原体であるクラミジアは、乾燥したフンの中でも1~2カ月は残存しているという。人に感染し、重症化すると肺炎を起こすことも。ときには病原体が脳に達し、意識障害につながることまである。福士教授によれば「20年ほど前までは、死に至るケースも年間1~2例あった」という。’14年には神奈川県内の福祉施設で集団感染が起きている。「同福祉施設では、換気扇の排気口にハトが営巣。強風の日にその換気扇を止め、ほかの換気扇を使い続けた結果、逆流した空気に乗って、チリ状に飛散したフンが屋内に入り込んだとみられている。結果、施設の職員、利用者など12人が感染してしまったのだ。鳥のフンが原因と思われる健康被害はオウム病だけではない。「クリプトコックス症やヒストプラズマ症などが挙げられます。特にクリプトコックス症は厄介な病気で、軽症であれば皮膚炎程度ですが、免疫力が低下した人が感染し、重症化すると脳脊髄膜炎になって、死に至ることも」(福士教授)まさか、ハトのフンが脳障害をもたらすとは……。前出の石橋さんは「鳥からうつる吸血性のダニの被害も多かった」と話す。「最近は雨戸そのものがない家もありますが、以前よくあったのが、雨戸の戸袋にムクドリやスズメが巣を作ってしまったケース。これらの鳥に寄生しているのがトリサシダニで、戸袋のある部屋に寝起きしている子供などが、ダニにかまれて強い痒みを伴う皮疹が出たり、アレルギー反応を起こすという事案が数多くありました」いったいどう対処すればいいのだろうか。福士教授は「適正な距離を保つことが大切」と話す。「原則として、鳥のフンに近づかないことです。もし、フンが堆積した場所の清掃をしなくてはならない場合、最初に軽く打ち水などをしてフンを湿らせ、飛散するのを防いだうえで、不織布のマスクと手袋を着用して臨んでください」もしも鳥の巣を発見した場合には、ただちに自治体や専門業者に撤去を依頼すること。最後に福士教授はこう話し取材を締めくくった。「20年ほど前に、呼吸器内科の医師たちが熱心に研究を重ねた結果、オウム病は抗生物質を用いる治療法も確立されました。診断さえしっかりつけば、きちんと治る病気ですし、健康な人であれば、そこまで重症化することもないはず。ですから、必要以上に怖がる必要はありません。ベランダなど家の周囲を小まめに片付けたり、防鳥ネットなどを活用して適正な距離を保ち、鳥との共存を図っていただきたい、そう願っています」
2022年10月24日大鶴義丹さん(54)が、北海道移住を諦めて逃げ出したとの報道があったことを、覚えているだろうか。移住先である美瑛町でクマが出没したり、巨大なガが飛んできたりして、怖すぎて家から出られなくなったという。そして酒浸りになり、体を壊し、3カ月で東京に逃げ帰ってしまったそうだ。コロナ禍のリモートワークや失業などを理由に、「地方移住」が目立ったこの2年。そんなにも地方移住はハードルが高いのか。そこで、経験者に話を聞いた。夢を抱いて向かった先は、天国だったか地獄だったか……。■クマ、シカ、キツネがトラウマ(42歳・飲食店パート)私たち一家は、北海道とはいえ都会の札幌市への移住を決めたので、安心しきっていました。昨年移り住んだのは、クマが生息しているはずのない静かな住宅街。なのに、自宅のごく近くでヒグマが出没。人が何人か襲われニュースにもなりました。娘の通う小学校では集団下校となり、戦々恐々とする日々。でも、夫婦でラーメン店を開店させたばかりで、帰るのは思いとどまりました。しかし、その後道東のほうへ車を走らせていたある夜、ドンっという衝撃音とともに、フロントガラスが蜘蛛の巣状に。「人轢いた?」と、これで人生終わったと思いました。車外へ出ると、立派な角を持った雄ジカが横たわっていて。もう腰が抜けそうになりました。即、地域の人に話をしたら、「よくあるんだよ。自分はキツネを2回轢いたさ」と。日中に道路をよく見ると「鹿飛び出し注意」の看板がそこかしこに掲示されています。その衝撃から立ち直れないまま店もはやらず、1年で閉店させ関東の地元へ帰りました。シカの呪いか、夫とはその後離婚。いまでもトラウマです。■豪雪地帯は危険地帯(48歳・IT企業勤務)雪のない地域で育った私にとって、美しい雪景色は憧れ。そこで、オンライン勤務が可能な私たち夫婦が移住先に選んだのは、豪雪地帯の旭川市でした。格安で見つけた借家は広くて風情があり、お気に入りだったのですが、屋根の形状から雪が積もりやすく、つららができやすいのが難点。でも、最初は「氷の彫刻みたいで素敵」とうっとり眺めていました。2年目の冬、屋根の雪をそのままにしておいたところ、わが家にやってきた東京からの知人の頭上に大きな「つらら」が直撃して、おデコが見事にパックリ。頭にけがをしてしまって!これには真っ青。命に別条はなかったものの、わが家の雪で災害にあったということで、法的には私たちに責任があるとのこと。保険にも未加入だったため、実費を私たちが負担することで折り合いがついたのですが、もし亡くなっていたらと思うとゾーッ。結局、雪は凶器!とてもじゃないけど扱えない、ということになり、今年は初雪の前に東京へ戻るかも。■拭えない医療不信……(41歳・元自治体嘱託職員)移住で最も気をつけるべきはやはり医療です。自治体の政策にひかれて移り住んだのは山陰地方のある町。一定の条件を満たせば家は無料で貸与され、仕事も紹介してもらえるということでした。でも、ただほど高いものはない。慣れない土地で体調を崩し、生理も不順になり出血が止まらない。ストレスかな?と思っていたのですが、現地で受診したところ子宮頸がんの前がん状態とのこと。「リスクもあるし、摘出してしまってもいいでしょう」と断定的に言われたんです。まだ40歳になったばかり。独身ではありますが、出産の可能性もあるのにこんな言い方ありえないと。地元(地方都市)へ戻り改めてがん拠点病院を受診したところ、最小限の切除手術で、もちろん子宮は温存。「これで再発リスクも軽減できますよ」と。この時点でもう田舎の医療に不信感が芽生えていましたが、その後、急に歯痛があり、やはり移住先の歯科医院で受診した際に、「これしかないから」となんと口を開けたら見える位置にしれっと銀歯を入れられて。ストレスから胃が毎日シクシク。こんなはずじゃなかった。■長野の昆虫食パーティで卒倒!(38歳・IT関連企業勤務)長野県の某市に移り住んだのですが、食べ物もおいしく、子どものクラスメートたちも明るく親切で、ママ友たちともなじめたのでホッと一安心。そんななか、ある日招かれたホームパーティでびっくり。なんと、料理の上に昆虫が!実は昆虫食が盛んだということを、初めて知りました。ですが、私たち家族は大の虫嫌い。無邪気に、「健康にいいよー」と昆虫のせピザを差し出されたときは、ドン引きしながら仕方なく、一切れ口の中に押し込みました(泣)。「ザザ虫のディップはあつあつのご飯にのせて」と笑顔ですすめられたのも断れず……。子どもたちは順応性があるのか「おいしかったよ」と言うので複雑な気持ちに。この食文化に、耐えていけるかな……。■台風で車が3回転半!?(52歳・主婦)コロナ禍の勢いで移住を決めたのは宮崎県。夫の親戚が農業の手伝いを探していたため、私たち夫婦2人で名乗りを上げたのです。行ってみると確かに朝はつらい。夜も明けないうちに起床し、見たこともない大きな虫や土との格闘もありました。それは覚悟していたのですが、年に何度も襲来するという台風には命の危険を感じました。台風の時期は屋根が飛ばないよう、窓や隙間に目張りをしたり、それなりの備えはするのですが、ある暴風雨の夜、夫が「田んぼの様子を見てくる」といって車で出かけようとしました。心配なので「私も」と2人で見に行ったところ、途中の突風で車が横転どころか綺麗に3回転半!その瞬間は何回転したのかなどわかりませんが、後でドライブレコーダーで確認して感動さえ覚えたのです。側溝にハマって奇跡的にかすり傷でしたが、愛車は廃車に。翌日、台風一過の秋晴れのなか、「私たち、甘かったね」と。■秋田美人ママにぞっこん(50歳・WEBデザイナー)横浜で学習塾を開いていたのですが、コロナ禍で不景気のためか生徒が激減。そこで親戚のつてがあり、教育熱心な県として知られる秋田県秋田市へ移住を決意。ここならたくさんの生徒が来てくれる?と期待して移り住みました。昔から「秋田美人」という言葉があるように、本当に、目鼻立ちの整った美人さんが多いなぁというのが最初の印象。近所のママさんたちも「みなさん美人ですね」と褒めると「こんなのはよくある顔なのよ」と異口同音に、ご謙遜。性格も爽やかでユーモアセンスもあり、とても付き合いやすい方々です。そんな場所で塾を始めた夫は、もう生徒のママさんたちにメロメロ。最初は我慢していたのですが、そのうち「よく見るとお前はさえない」「ブスの部類」と暴言を吐くように。何かあるなと思って探ってみると、藤あや子さん激似のスナックママの元へ通いつめるようになっていました。このままいたら本当に夫は入れ込んでしまうと思い、またつてをたどって別の場所への移住を画策しています。「都会を離れてあこがれのスローライフ」の厳しい現実。地方移住は慎重に決めたほうがよさそうだ。
2022年10月24日紙の通帳の有料化や硬貨入金手数料の創設など、利用者にとって“改悪”が続く銀行だが、10月11日から10万円以下なら無料で送金できる「ことら」が始まった。「間違いなくお得なサービスです」そう語るファイナンシャル・プランナーの丸山晴美さんに、ことらについて詳しく聞いてきた。「ことらは10万円以下限定ですが、他行間での送金手数料無料が最大のメリットです。また、相手の口座番号を知らなくても携帯電話番号で送金でき、24時間どこでも手続きできます」(丸山さん・以下同)利用にはまず、ことらが対応する銀行アプリをダウンロードする。3メガバンクならBank Pay、横浜銀行ならはまPayなど、取引銀行によってアプリが異なる。次に、自分の口座情報や携帯電話番号などを登録する。送金先は相手の携帯電話番号かメールアドレスで探し、見つかったら送金額を入力して送金ボタンを押すだけ。スマホに不慣れな人でも簡単だ。「ただし、送金相手もことら対応の銀行アプリが必要です」現在ことらが使えるのは20行だけだが、あと37行は参加が決まっていて、来年にはもっと広がる見込みだという。「子どもや親に仕送りをする人は、ことらを使えば手数料0円。銀行ATMに並ぶ必要もありません」このほか、会費を集める、食事会などで割り勘をする場合にも便利だ。1円単位で送金できるので小銭が足りなくても、おつりがなくても精算可能。履歴が残るので、誰が払ったかも一目瞭然だ。■大手5行が母体だから安心して使える「実はPayPayなどのコード決済アプリでも、個人送金はすでに無料。でも送金後はそのコード決済でしか使えません。ことらなら銀行口座に入金されるので、現金化できるのがポイントです」とはいえ、ことらはあくまでも個人間送金が対象なので、買い物代金などの支払いには使えない。「おすすめは、自分の給与振込口座から自分の別口座への預け替えに、ことらを使うことです」授業料の引き落としなどに、毎月預け替えを行う人は多いだろう。これまではA銀行で出金しB銀行で入金する手間をかけるか、手数料を払って振り込むか。だがことらなら、手間も費用もかからない。物価高で家計が厳しい今、手数料などのムダ金は払えない。みずほ、三菱UFJ、三井住友、りそな、埼玉りそなの大手5行が株主のことらで、0円送金を始めよう。【10月11日から『ことら送金』に対応する銀行】・みずほ銀行・三井住友銀行・三菱UFJ銀行・りそな銀行・埼玉りそな銀行・足利銀行・常陽銀行・横浜銀行・山梨中央銀行・十六銀行・関西みらい銀行・南都銀行・百五銀行・みなと銀行・広島銀行・山陰合同銀行・十八銀行・福岡銀行・熊本銀行・佐賀銀行※11月24日から京都銀行、千葉銀行、西日本シティ銀行なども参加
2022年10月24日都内一等地にある低層の高級マンションから、1匹の黒い愛犬を両手で抱えた女性が出てきた。女優の橋本環奈(23)だ。10月中旬の午後7時過ぎ、黒のキャップを目深にかぶり、ジャンパーに白のパンツ、スニーカーという普段着と思しきカジュアルな服装だった。その30分ほど前、慣れた様子でマンションの中に入っていった際には、橋本は愛犬を連れていなかった。“安心して預けられる人”がいるのだろうか。自宅にほど近いこのマンションの一室に愛犬を託していたようだ。そうして橋本は呼んでおいたタクシーに乗り込むと、自宅へと帰っていったーー。「橋本さんは、今月10日に今年の『NHK紅白歌合戦』の司会に決まったことが電撃発表されました。テレビに映画に引っ張りだこの橋本さんは、今夏、テレビ番組に出演したときに、日々の睡眠時間を聞かれ、『4時間ぐらい』と答えています」(テレビ局関係者)この日、多忙な橋本が訪れていた世帯数の少ないマンションに住んでいるのは、俳優の中川大志(24)だ。「中川さんは今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で畠山重忠役を務め、9月18日の放送回では討ち死にする壮絶なシーンを見事に演じ切りました。この熱演に対する視聴者からの反響は絶大で、役者としての評価はうなぎのぼりです」(スポーツ紙記者)今まさに注目を集める橋本と中川。2人の馴れ初めについて、ある芸能関係者はこう明かす。「’14年に橋本さんにとって初めての全国放送のドラマだった『水球ヤンキース』(フジテレビ系)で、共演しています。しかし役柄の設定上、2人のからみはほとんどなかったそうです。ですが、今年の6月に撮影が始まった12月公開の映画『ブラックナイトパレード』の現場で、2人は再会しました。ロケは夏の終わりまで続いたそうですが、そこで仲を深めていったと聞いています」橋本は’21年8月放送の『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)に出演した際、番組MCの田中みな実(35)に「まだ本当の恋を知らない可能性がある」と言われて、「結構いろんな方に言われます」と認めていた。中川との距離はどう縮まっていったのだろうか。■橋本と中川を近づけた“共通点”「橋本さんは本当に仕事熱心で、アイドル時代には『彼氏は三十路になってから』と語り、上京してから3年間は女性マネージャーと同居していました。その結果、CM女王となり、20年には21歳の若さで都内に約3億円の超高級マンションを購入しています。『一目惚れはしないタイプ』と公言している橋本さんだけに、恋愛には慎重なところがあるようです。ですが、『ブラックナイトパレード』の撮影現場で中川さんと再会。この現場の座長は橋本さんと中川さんの両方と何度も共演していて、気心の知れている吉沢亮さん(28)でした。吉沢さんがムードメーカーとなり、いい作品を作ろうと切磋琢磨していくうちに、橋本さんと中川さんは、自然と引かれ合っていったようです」(前出・芸能関係者)8月2日放送の『スッキリ』(日本テレビ)に中川はVTR出演。その際、『ブラックナイトパレード』で橋本と共演した心境を、「ビビりました。最初、絵なのかと思いました」と明かし、橋本のビジュアルを絶賛していた。いっぽう橋本は『non・no』(’20年10月号)のインタビューで《好きになるのは、自分と似ている人or自分と全然違う人?》という問いに、《共通点を探すかも》と答えていたがーー。「橋本さんは、多忙な日々の癒しはヨークシャーテリアと、ミニチュアシュナウザーとトイプードルのミックスの2匹の愛犬だと語っていました。そして中川さんも2匹のフレンチブルドッグを飼うほどの犬好きなんです。またお酒好きで知られる橋本さんは、好きな男性のタイプについて『お酒は好きなほうがいいですね』と言っていましたが、これはまさに中川さんにあてはまります。なんでもコロナ前には、週3でスナック通いしていたこともあるそうで、特に麦焼酎が好きだとか。多いときはボトル1本空けてしまうほどの酒豪だそうですよ。お互い多忙のなか時間を見つけて、家で愛犬たちと戯れながら、お酒を飲んだりしているそうです」(前出・芸能関係者)冒頭の橋本が愛犬同伴おウチデートをした数日後の朝10時ごろ、橋本がまた中川のマンションから出てきた。橋本の事務所車がエントランスに到着すると、彼女があわただしく乗り込み、車は走り去っていった。そして、その約1時間後、黒ずくめの服装で、中川がマンションのエントランスに現れた。迎えにきたタクシーに乗り、仕事先へと向かっていった。本誌は橋本と中川双方の所属事務所に2人の交際について問い合わせたが、コメントは得られなかった。“千年に一人”の初熱愛は、今後どんな展開を見せるのだろうか。
2022年10月24日その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、吉本興業所属の“霊がよく見える”芸人・シークエンスはやとも。『ポップな心霊論』は、そんな彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載!【ある女性についていた首を絞める生き霊】先日、仕事関係の食事会に参加したとき、初めてお会いする女性がいて。なんの気なしに霊視してみたら、思い切り首を絞めるような体勢で、女性の生き霊がついていたんです。あまりに異様な状態だったので、さすがに警告したほうがいいかもと思い、帰りがけにこっそり「実は……」とお話ししました。すると、その方が急に泣き出してしまって。なんでも、ついている生き霊が誰なのか、心当たりがあるそうなんです。彼女がいまお付き合いしている男性は、もともとほかの女性と婚約していたとか。それを知らずに好きになってしまったそうなのですが、事実が判明したときに、彼が「ちゃんと別れる」と約束してくれたのだといいます。その後、晴れてお付き合いできることになったのですが、元カノからの嫌がらせのメールや電話が、毎日のように来るようになり、それが4年経った現在も続いているんだとか。きっと彼氏さんが、円満にお別れできなかったんでしょうね。その恨みが彼女のほうへ向かい、首を絞める生き霊として現れているんだと思います。略奪愛の代償は大きいので、僕はあまりおすすめしません……!【PROFILE】シークエンスはやとも1991年生まれ。吉本興業所属。『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)などで見せた芸能人の霊視も話題に。自身のYouTubeチャンネルでも心霊話を配信中。本連載をまとめた著書『ヤバい生き霊』(光文社)が発売中。
2022年10月23日先日Twitter上で、“球場でのゴミ拾い”に関する投稿が注目を集めた。その投稿は、野球場で“ゴミを袋にまとめて捨てる行為”をやめてほしい、という球場のスタッフAさんからのお願いがつづられたもの。まとめられたゴミは球場スタッフが回収し、袋を開けて中身を分別し直さなければいけないのだという。しかし、袋にまとめられたゴミのほとんどがいろいろな種類のゴミが混ざった状態。そのため、Aさんは分別がとても大変だと訴えていた。自主的にゴミをまとめる人の姿がSNS上で話題になることもあり、好意的な反応が寄せられることがほとんど。しかし、善意でしていることが、球場で働くスタッフの負担を生んでいるかもしれない……。そこで、本誌はAさんに“投稿した理由”を詳しく聞くために取材を申し込むと、Aさんは書面で回答してくれた。■袋のなかに嘔吐物やダメになった食べ物が……Aさんのいう「球場でゴミをまとめている人」とはどういった人のことを指すのだろうか?「これは“試合の後などに、1つのゴミ袋に燃えるゴミやペットボトル等を分別せずにまとめて捨てに来るかた”という意味です。例えば床に落ちているゴミなど、目に付いたゴミをまとめるかた。もしくは自分の隣の席だけでなく、自分の席の列やブロックなどのゴミをまとめる方もいらっしゃいます」Aさんは「ゴミをまとめてくださる方は、球場の美化を意識してくださっているんだろうと思います。球場スタッフの負担が減ると考え、善意でして下さっているとも思います」という。では、なぜ「やめてほしいです」とツイートしたのだろうか?「“言い方がよくない”といった返信も受けたように、確かにあの投稿は私の愚痴でした。ただ投稿日の前日、ある特定球団ファンの方がごみ拾いをしたというツイートを見かけました。それは1つの袋にゴミを集めるというもので、『ファンの鑑だ』『自分たちもやろう』というリプライや引用RTも散見されたんです」Aさんの働く球場では試合終了後、スタッフは全員ゴミの分別に参加することになっている。その際、Aさんたちはゴミ置き場や回収したすべてのゴミ袋を開けて、薄い手袋をはめて、そして燃えるゴミや燃えないゴミ、びんに缶にペットボトル、食べ残しや飲み残しを分別しているという。「少しでも負担を減らすために、燃えるゴミの班と燃えないゴミの班に分かれてゴミを回収し、分別しています。ですが、数万人規模の球場です。ゴミの量が非常に多いため、毎回終電までかかってしまうんです。終電を過ぎても作業をしているかたもいます。一つの袋にゴミをまとめてくださっても、分別する際に全部ほどく必要があります。作業が増えるだけでなく、何が入っているか分からないために神経を使います。例えば飲み残しで服が汚れたり。最悪の場合、嘔吐物や時間が経ってダメになった食べ物といった汚物にも当たります。それを処理するのも、私たちの仕事です」■分別した上で、ゴミをまとめて持ってきてほしいそういった仕事をこなすうちにAさんは、前述のように、1つの袋にゴミをまとめることを讃えるような投稿を発見したのだ。「班で分かれてゴミを回収すれば工数削減になるのに、個人で何でもかんでも分別せずにまとめられた袋が増える。私たちはそれを全部ほどいて分別しなければならない……。直観的に『やめてくれ!』と思い、当該ツイートを投稿しました」Aさんは「『お客様が善意として行っていることが、球場スタッフにとってはそうでないこともある』と、もっと伝わればいいなと思いました」と述べる。そして、こう“お願い”した。「ベストなのは、お客様それぞれがゴミ箱に分別して、ゴミを捨てていただくことです。分別してある分、こちらの手間も省けます。また自分のものではないゴミを見つけた場合も、分別した上でゴミをまとめて持ってきていただけたらと思います。いっぽうで球場からお客様がご退場されない限りこちらも動けないので、恐縮ですが、速やかなご退出も心掛けていただけたらと思います」最後に、Aさんは「今回お話ししたことは球場スタッフを代表する意見ではなく、あくまで私個人の意見として受け止めて欲しいです」といい、こう結んだ。「球場での仕事は楽しく、今回の件で自分がスタッフとして働いている球場を責めるつもりはありません。また、分別してゴミを捨ててくださるお客様にはいつも感謝しています。ただお願いばかりで申し訳ないのですが、“こういう声がある”と覚えておいていただけたら有難いです」
2022年10月23日新型コロナウイルスの水際対策も緩和され、海外アーティストの来日も復活の兆しを見せてきた。そんななか、先日来日した“大物アーティスト”の貴重なイベントを巡って、ひと波乱あったようだ。10月18日昼すぎ、アメリカの音楽プロデューサーで、トラックメイカーやDJとしても活躍するアーティスト・Skrillex(スクリレックス)が同日深夜に東京・渋谷のクラブに出演することが突如発表された。これまで何度も来日し、宇多田ヒカル(39)ともコラボした曲を発表など日本での人気も高いSkrillexと会える予期せぬイベントにファンも大喜び。イベントの開始時間は18日の午後11時45分からだったが、世界的DJが出演するとあって、開始の数時間前から長蛇の列が。イベントが行われた会場のキャパシティは数百人ほどだっただけに、並んだ全員が入場できるわけではなく、入場規制がしかれることに。熾烈な入場待ちに耐えてSkrillexと対面する機会を得た幸運な人もいるいっぽうで、叶わなかった人もいたようだ。SNS上ではこんな声が。《スクリレックス、目の前まで行って入れなかったの》《Baia全然入れなすぎて列の人が個々でスクリレックス流してる》《スクリレックス、22:30から待って待って待って待って待って、ゲストが涼しい顔して入って行ってるのも耐えて耐えて耐えて耐えて、結局見れなかったので帰ります!!!!!!!ありがとうございました!!!!!スクリ、2019のedc以来の再会と思ったけどな!!!!まぁ、また来てくれや!!!》会えなかったファンのためにも、近い将来、来日することを期待したい。
2022年10月23日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎日聴いていた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「かなりのアナログ人間で、スマホやパソコンで音楽をダウンロードする方法とかよくわからないんです(笑)。音楽配信サービスは便利そうだし、アプリが薦めてくれる曲も新しい発見があって楽しそうですが、自分でしっかり選んだ1枚を聴くという方法が身についてしまって……。だから、いまだに車の中ではCDで音楽を聴いています。研ナオコさんのベスト盤、松田聖子さんの名盤などを、そのときの気分で入れ替えているのですが、常にセットしているのが大黒摩季さんの曲。これがあれば、渋滞も怖くありません」こう語るのは、タレントの中山エミリさん(44)。小学生当時をこう振り返る。「小学校低学年のときは聖子ちゃん、明菜ちゃんが好きで、フワフワ、キラキラした衣装を見るのが好きでした。当時は歌番組も多くて、内容も斬新。『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)では、大きな円形のセットで、マッチが360度回転するバイクに乗りながら歌っていた演出に衝撃を受けました。新幹線の途中下車駅で歌って、また慌てて新幹線に乗り込むという場面など、歌だけでなくショー的な要素も楽しみの一つでした」小学校高学年になったころ大人気だったのが光GENJI。「光GENJIの影響でローラースケートが欲しいと親におねだりしたのですが、買ってもらえたのは、靴とローラーが一体型になったおしゃれなものではなく、ローラー部分を普通の靴の底にバンドで装着するタイプ。不安定ですぐに外れそうになるのですが、シャーシャーと音を鳴らしながら滑って遊んでいました。テレビをつければアイドルがとにかくたくさんいた時代。小・中学生時代はWinkファンも多かったですね」音楽を聴くのは好きだったが、年代的にレコードを買ったことはないという。「雑誌の付録についていた『宇宙刑事ギャバン』(’82~’83年・テレビ朝日系)のソノシートが、唯一の“レコード”。小6のときに初めて地元のディスカウントストア『ダイクマ』で買ったCDは、来日して話題になっていたマドンナの『ヴォーグ』(’90年)だったと思います。“洋楽を買っている自分”がカッコいいという気持ちもありました」中学に入ると、そのマドンナやマイケル・ジャクソンなど、相次ぐスターの来日コンサートを生で見るチャンスに恵まれた。「親戚がプラチナチケットを入手できたので『うん、じゃあ見に行く』という軽い感じ(笑)。今ならぜいたくなことだとわかりますが、当時はそのありがたみがわかっていませんでした。英語ができないから、マドンナが何を言っているのかもわからないし、歌詞の意味もまだ理解できない年齢。でも、やっぱり感動するし、ライブに魅せられました」■大黒摩季はウイットに富んだ視点や爽快感が魅力芸能プロダクションにスカウトされたのは、’93年、中学3年生のとき。修学旅行を控え、友人と髪をカットしに行ったときのできごとだった。「渋谷・宇田川町の交番前で芸能事務所の人に声をかけられて。アイドルのフリフリとした衣装に憧れはありましたが、歌やお芝居を勉強して芸能人になりたいなんていう強い思いはまったくありませんでした。それでも熱心に誘ってくれたんです。“失敗したら大学を目指せばいい”。まだ中学生だったからいくらでも軌道修正できると思って、飛び込みました」そんな人生の転機に知ったのが、大黒摩季だった。「初めて聴いた曲は、アニメ『SLAM DUNK』(’93~’96年・テレビ朝日系)のエンディング『あなただけ見つめてる』(’93年)。それから少し大人になって自分でCDが買えるようになると、リリースに合わせて新譜をチェックしたり、遡って過去の作品を買い求めたり。歌詞の意味がわかるようになり、ますます惹かれていきました。『夏が来る』(’94年)は、白馬に乗った王子様がいつか自分を迎えに来るなんて妄想していても、結局選ばれるのは、すぐに『え~、わかんな~い』とか言いそうな何もできないお嬢様という内容で、深く共感しました。ウイットに富んだ視点や、爽快感も魅力。誰かに依存するよりも、自分一人で強く生きる女性がイメージされる歌詞と力強い歌声が重なって、私の中では大黒摩季=カッコいい女性です。『ら・ら・ら』(’95年)も好きで、コロナ禍では自粛していたカラオケに行きたくなります」大黒摩季と同じくらい聴き込んでいたのは、槇原敬之だ。「やっぱり『どんなときも。』(’91年)からかな。言葉のチョイスが絶妙で、『冬がはじまるよ』(’91年)を聴くと、自然に雪の舞う冬の景色が浮かび上がるなど、神奈川生まれの私が知らなかった体験をした気分。それに何といっても、マッキーさんの声は独特で、とにかく癒されます」一方、『ヤングマガジン』の表紙グラビアから芸能の仕事を始めた中山さんは、『おれはO型・牡羊座』(’94年・日本テレビ系)でドラマデビュー。バラエティ番組の仕事も増えていった。「どこの仕事現場に行っても新しいことの連続で、目の前の仕事を一つ一つ、なんとか乗り越える毎日でした」中山さんの新人時代は、’80年代から始まったバブル経済がすでに弾けていたものの、テレビ業界はまだまだ元気で、“とにかく前に進もう”という勢いがあった。「まわりの勢いについていくことで必死。疲れたときは、まずはマッキーさんの曲に癒され、それから大黒摩季さんの曲でお尻をたたいてもらっていました。毎日必死だった’90年代に聴いていた曲を、今ではBGMとして特別じゃない雰囲気で聴いたりしています。こうした曲たちは、私のDNAにしっかり刻まれていて、おばさんになった今でも、元気づけてくれたり、テンションを上げてくれたりするんです」【PROFILE】中山エミリ’78年、神奈川県生まれ。’94年のドラマデビュー後、’96年には歌手としてもデビュー。バラエティ番組でも活躍し、’00年代には『速報!歌の大辞テン!!』など、多くの人気番組の司会も務めた。’10年にプロライフセーバーの飯沼誠司と結婚、’15年に長女を出産した
2022年10月23日「チエさん。ここは『ぬくもりの里』の談話室やで、わかる?」「……」介護スタッフの細井恵美子さん(91)が声をかけるが、車いすに座ってうつむいた状態のチエさん(80)は、無言のまま。それでも細井さんは、根気よく語りかけを続ける。「今日はあいにくの雨やなぁ、うっとうしいな」やわらかな京都弁を口にしながら、細井さんが自らの左手をチエさんの背中に当てたとき、ようやく彼女の首が「うん」とうなずくように、小さく動いた。「お返事、ありがとう。元気そうやね。じゃ、お薬飲みましょか」服薬の介助を終えると、次には隣で計算ドリルをやっている女性の元へ。「ヤスコさん。3×2はいくつですか……違う違う、足すのやない、かけるんやで」その後も、血圧を測ったり、入浴を終えた利用者の髪の毛をドライヤーで乾かしたりと、5人の高齢女性を相手に、一瞬たりとも休むヒマはない働きぶりだ。10月初旬の金曜日の午前。朝から冷たい雨が降り続いており、屋外での体感温度は10度近かった。ここは、京都府木津川市の山あいにある「山城ぬくもりの里」。特別養護老人ホームやケアハウスも併設する総合福祉施設だ。デイサービスの談話室での光景は、一見、どこにでもある介護の現場のようだが、ほかの施設と大きく違うのは、介護職で同施設の顧問も務める細井さんが91歳で、利用者たちが80代や70代など、介護者より年下ということだ。「今日の5人の方たちは、全員が認知症を患っていらっしゃいます。私は17歳で看護師になって74年になりますが、看護や介護の現場でずっと大切にしてきたのは会話。それは、認知症の方を相手にしたときも同じです。私、病棟勤務のころから、ナースステーションにいるより現場が好きな、おしゃべりな婦長さんで有名やったんです(笑)。この年やし、こんな小さな体ですから、体力では若いスタッフにかないませんが、会話なら年寄りの私でも自由にできるでしょう」なるほど、細井さんが利用者と目の高さが同じになるまで腰をかがめ、まずは「○○さん」と呼びかけると、それまで無表情だった相手も自然に笑顔になるのだった。同施設を運営する「らくじ会」の森山憲克社長(43)が言う。「しかし、同じことをしても、若いスタッフでは、ああはいきません。細井さんの長年の経験と人心掌握術、加えて、やはり利用者の方と世代が近いことで、互いの距離感も近くなるようです。うちはグループ全体で670人のスタッフがいますが、細井さんは間違いなく最年長者で、唯一無二の介護界のカリスマです」■利用者の話に合わせていると、その人がどんな人生を送ってきたか分かり、会話の糸口に「勤務は朝の10時から17時30分まで。お昼を食べるときを除いて、私、ほとんど休まんのです。自分で言うのもなんやけど、よう仕事してますよ(笑)」80歳まで施設長を務め、現在は顧問として月・水・金の週3日の勤務。6時間半をかけて各施設を回り、利用者への声かけの「ラウンド」を続ける。「まあ、かっこよく横文字でラウンドなんて言いますけど(笑)、私は、もう70年以上、ただ現場が好きやから回っているだけ」その仕事ぶりに密着した日も、濃紺の制服姿の細井さんは、ほとんど立ちっぱなし、動きっぱなしだった。大谷直美さん(55)は、同施設の設立時から細井さんと共に働くベテランの介護スタッフだ。「私が細井顧問から最初に教わったのは、『相手を敬う心』でした。その一つの表れが、目を合わせての会話です。それを思うと、コロナ前は、この談話室のテーブルも円形に配置され、みんなの顔も見え、コミュニケーションも取りやすかったのが、今は全員が前を向く教室のような配置なのが少し残念です」当の細井さんは、いつもと変わらず、マスク姿で利用者との会話を続けていた。「挨拶一つから、その方の状態がわかる。昨日まであった返事がなかったり、逆に妙にテンションが高いと、熱があったり。誰もがいちばん反応するのは、やっぱり、お母さんの話やね。100歳近い女性が『お母ちゃんが家で心配しとるから、はよ帰らんと』と言う。80代の男性は『さっき、おふくろにゴツンとやられた』とニコニコ頭をさすってる。ああ、きっとやんちゃ坊主だったんやろうなと想像しながら聞くんです。無理に話を合わせようともしません。つじつまが合わん話には、一緒にケタケタ笑ってます。そうやって話してるうちに、その人にどんな家族がいて、どんな人生を送ってきたかがわかり、その後の会話の糸口にもなります」そう語りながらも、利用者の湯飲みをチェックしながら、こまめにポットとテーブルの間を往復する細井さんだった。ずっと気になっていたことを、尋ねてみた。自分より年下の利用者を介護することを、どう感じているのだろうか。「私は、お相手が年下とか年上とか、認知症であるかなどは、あまり考えません。それ以前に、まず一人の人間として向き合おうと思ってるだけなんです」■当面の目標は100歳まで現役でいること。「もうけっこうです」と言われるまで働く「5年前から、一人暮らしです。朝は6時に起きて、朝食を済ませると、家を出て1時間かけて電車で通勤してます。帰宅後は、すぐに夕飯の支度。献立はバランスに注意して、肉と魚を交互にしたり、豆類を入れたり。あと、チーズは毎日食べます。睡眠時間は8時間。でも、休みの前は夜中の1時まで起きてることもありますね。なにしてるかって?本を読んだり、パソコンのメールをチェックしたりです」たしかに、自宅リビングのテーブルの中央には、デンと1台のノートパソコンが。「私、もともと機械好きで、タイプもワープロも覚えるのが早かったんです。パソコンもすぐに使い始めましたし、LINEやZoomで打ち合わせもしますよ。だから、『女性自身』の記者さんからはがきをもらったときは、いまどきはがきなんて、どんなおじいちゃんが取材に来るんやろうと楽しみにしてましたよ(笑)」趣味や息抜きも、「必要ない」と言う。「まあ、91歳だから、疲れて、フ〜ッもあるけど、働けるのは楽しいし、ときどき2人の孫や4人のひ孫も遊びに来てくれるしね。老いると、誰でもいろんな機能は落ちます。これも、介護と同じで、自分自身とどう向き合うか。できないことを嘆くのやなしに、できることを見つけて、さらに磨きをかけることが大事。私が、もういっぺん勉強したいと佛教大学に入学したのは48歳。通信で卒業まで10年かかりましたけど、生きる張りになりました」当面の目標は、100歳まで現役でいること。「それを達成するためには、心構えとしては、その10年先まで見据えて『110歳まで頑張る』ことを目標にせなあかんと思うんです。これからも日々の出会いや会話を大切にしながら、『もうけっこうです』と言われるまで、働けるだけ働こうと思うてますけど、いや、私、欲張りやろか(笑)」(※文中の施設利用者の方はすべて仮名です)【後編】91歳、現役介護看護師の74年間利用者と目を合わせ、話に耳を傾け、肌を合わせるに続く
2022年10月23日【前編】91歳、現役介護看護師74年間さすり続けた掌のぬくもりより続くここは、京都府木津川市の山あいにある「山城ぬくもりの里」。特別養護老人ホームやケアハウスも併設する総合福祉施設だ。デイサービスの談話室での光景は、一見、どこにでもある介護の現場のようだが、ほかの施設と大きく違うのは、介護職で同施設の顧問も務める細井恵美子さんさんが91歳で、利用者たちが80代や70代など、介護者より年下ということだ。「今日の5人の方たちは、全員が認知症を患っていらっしゃいます。私は17歳で看護師になって74年になりますが、看護や介護の現場でずっと大切にしてきたのは会話。それは、認知症の方を相手にしたときも同じです。私、病棟勤務のころから、ナースステーションにいるより現場が好きな、おしゃべりな婦長さんで有名やったんです(笑)。この年やし、こんな小さな体ですから、体力では若いスタッフにかないませんが、会話なら年寄りの私でも自由にできるでしょう」なるほど、細井さんが利用者と目の高さが同じになるまで腰をかがめ、まずは「○○さん」と呼びかけると、それまで無表情だった相手も自然に笑顔になるのだった。■学生時代はずっと戦争と共に。看護婦養成所で引き揚げてきた元日本兵を看護「満州事変の年に生まれて、小1で父が日中戦争で召集され、14歳で終戦して、翌年に看護学校を卒業。だから、私の学生時代は、ずっと戦争と共にあったんです」1931年(昭和6年)4月18日、京都は丹後の農村に生まれた細井さん。両親と兄、祖父母との生活だったが、大黒柱の父親は出征しており、生活は苦しかった。「本も勉強も好きでしたが、それよりも田畑や牛飼いの手伝いが先やった。放課後は、新聞配達もして家計を支えました」「看護師になるとは思ってもいなかった。担任の先生は師範学校への進学を勧めてくれましたが、帰還していた父が『女は早く手に職をつけろ』と、看護師学校を決めてきたんです」養成所のあった舞鶴は、日本有数の旧ソ連などからの引揚げ港だった。「シベリアの抑留生活で両手をなくした元兵隊さんは、心身共にクタクタに疲れ切っていて、この人は帰郷後にどんな生活をするんやろう、と思ったり。一方、相変わらず軍服のまま威張り散らす人もいて、私は戦争というものが根っから嫌いになりました」17歳で養成所を出ると、そのまま舞鶴病院の防疫班などに勤務。結婚は19歳で、2年後には長男が生まれた。しかし、船員だった夫は、新婚当初から、ほとんど家庭を顧みなかったという。「舞鶴病院のあとの丹後中央病院のころは、准看護学校で教務の仕事に就いて自立もでき、夜勤もなかったので、息子が小2のとき離婚しました」■退院間近の高齢男性の飛び降り自殺が契機に国内でも先駆けとなる訪問看護を開始当時から先進的な医療に取り組んでいた京都南病院へ移ったのは36歳のときで、総婦長に抜てきされる。ここで、大きな転機となる出来事が起きる。入院患者の自殺だった。「よくお話をする患者さんの一人で、退院間近の高齢の男性でした。その日、ご家族の面会が終わったあと、寂しそうに打ち明けてくれたんです。『さっき、おじいちゃんの部屋はもう孫の勉強部屋になっている、と告げられた』と。 退院しても、実家に自分の居場所はないと悲観したんでしょうね。その後、3階の病室の窓から飛び降りはりました。私は、男性の話を聞かされたとき、『家に帰るのも、いろいろ大変ですね』としか言えませんでした」深い後悔に襲われた細井さんは、こんなことを考え始める。「患者さんが、退院しても、ご自宅で家族と共に潤いある生活を続けられるようケアをすることが大事。そのために何ができるやろうか」こうして細井さんの提案で、訪問看護がスタートする。国内でも先駆けとなる取り組みだった。「自宅で療養する患者さん宅を訪ねて、おむつを替えたり、パート勤務の奥さんが作っていったおにぎりを食べさせたり。当初は無料で、やがて車代の500円だけいただきましたが、なかには、『なんで看護婦にお金を払わんといけんのや』と言うご家族もいらして」しかし、3週間もすると家族の対応もガラリと変わり、そして、こんな言葉をかけられるように。「お医者の先生より、看護婦さんが来たほうが、よっぽどええわ」そうした声に後押しされ、細井さんたちのグループは、当時の厚生省へも何度も出向いた。「まだまだ訪問看護や老人施設に対するバックアップは足りませんでしたから、もっと体制を整えてほしいと談判しました」そして、’86年には老人保健施設の制度がスタートする。「すでに始まっていた高齢化社会で、どんな介護が求められるかを考え、リハビリや医療ケアをより充実させて高齢者の在宅復帰を促す施設を目指しました」聴診器を首から下げた看護師の姿も今では一般的だが、これも細井さんが先駆けとなった。「京都南病院に、男か女かや、医者か看護師かといった分け隔てのない考えの循環器系の医師がいらして、その先生が『ICUや透析の患者さんに対するときは、看護婦も聴診器で患者の体調を的確に見極める必要がある』と認めてくれたんです」 その後、前述のとおり、60歳で定年退職したあとも、老人福祉施設の設立に関わったり、社会復帰のためのイベントを企画したりしながら、看護から介護の現場へと活動の足場を移していった。現在の山城ぬくもりの里の設立には準備段階から関わり、’01年4月にオープンしたときには、初代施設長に就任。こうした活動に対して、’12年には京都ヒューマン賞を、翌年には京都府看護功労賞知事賞を受賞している。■突然声を張り上げた認知症の女性に寄り添い、ソファに並んで、背中をさすって話を「勤務は朝の10時から17時30分まで。お昼を食べるときを除いて、私、ほとんど休まんのです。自分で言うのもなんやけど、よう仕事してますよ(笑)」80歳まで施設長を務め、現在は顧問として月・水・金の週3日の勤務。6時間半をかけて各施設を回り、利用者への声かけの「ラウンド」を続ける。「まあ、かっこよく横文字でラウンドなんて言いますけど(笑)、私は、もう70年以上、ただ現場が好きやから回っているだけ」その仕事ぶりに密着した日も、濃紺の制服姿の細井さんは、ほとんど立ちっぱなし、動きっぱなしだった。そんなときだった、静まり返っていた部屋に、突然、大きな声が轟いた。「こんな変な色のついたもんは飲めん!」湯呑みを前に、一人の女性利用者が声を張り上げていた。認知症の一つの症状で、突然怒りだすことがあるというのは、事前に聞かされていた。続いて、女性はブツブツ言いながら談話室を出ていく。あわてて追いかけようとするスタッフを制して、細井さんが隣に寄り添う。「ちょっと、玄関のソファでおしゃべりしよか」やがて、ソファに並んで腰掛けた二人。細井さんが、女性の背中をさすりながら、「ゆうべは眠れたんかな?」「ぜんぜん眠れへん」「それは、しんどいなぁ。部屋で横になってもいいんやで」「いや、話、してたい」「はい、じゃ、そうしよう。ほら、見てごらん。山の緑も、もうじき紅葉の季節やね」「うん」ようやく女性が落ち着いた絶妙のタイミングで、大谷さんがお盆に熱いお茶を2つ持って現れた。そのまま、ガラス戸越しに山を眺めての世間話は20分近く続いた。細井さんは、「認知症では、幻覚や幻聴もありますから、私たちには見えなくても、この方にはなにか見えているのかな、と想像します。終戦後の舞鶴の病院のころから、認知症ではありませんが、同じような光景を何度も体験してきました。驚いたり戸惑ったりする前に、相手を理解しようとすることが大切です。もっと言えば、今の女性の怒りの態度も、今日は朝から大雨でしたから、ついバタバタしてしまっていた私たちスタッフの感情が鏡になって彼女に表れたかな、と思ったりもするんです」■91歳と80歳長い人生の機微を刻んだしわくちゃの手が重ねられて気づけば、時刻は11時30分前。早くも昼食の介助が始まるという時間になっていた。先ほどの認知症の女性が落ち着いたのを見届け、談話室に戻った細井さんは、冒頭で、薬を飲んだあと再び黙り込んだままだった車いすのチエさんの隣へ。「今日のお昼はなんやろうね。それにしても、朝から雨で冷えるな」その両手をさすりながら、語りかける。するとチエさんが、「あったかい手」今日、初めて言葉を発したのだった。細井さんもうれしそう。「そやけど、心の冷たい人のほうが手があったかい、って言うな」「そんなことあらへん」「そうか。チエさん。ありがとう」91歳と80歳。長い人生の機微を刻んだしわくちゃの手が、もう一つのしわくちゃの手をギュウとやさしく握り返した。(※文中の施設利用者の方はすべて仮名です)
2022年10月23日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎日聴いていた音楽の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「先日、あるテレビ番組で大黒摩季さんとご一緒したのですが、いまの時代に合ったラブソングを書くために、あえて若い男性と交際することを堂々と話していて……。サバサバして男前でカッコいい、そんな印象を抱きました」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。大黒摩季は3歳からクラシックピアノを習い始め、幼いときから作曲していたという。’89年、レコード会社ビーイングのオーディションに合格したものの、しばらくはB’zや織田哲郎など、同社所属アーティストのコーラスを担当。’92年に『STOP MOTION』で念願のデビューを果たした。「ソウル、R&B、ブラックミュージックを彷彿とさせるパンチの利いた歌い方で注目を集めました。また『DA・KA・RA』(’92年)、『別れましょう私から消えましょうあなたから』(’93年)、『夏が来る』(’94年)など、“男なんてそんなもんでしょ。なんだかんだ言ってカワイイ女のコが好きなんでしょ”と、投げやりな部分もありながら、フラれても落ち込まず、力強く心の内を吐き出すような歌詞に多くの女性が共感。一方、中居正広さんの主演ドラマ『味いちもんめ』(’95年・テレビ朝日系)の主題歌『ら・ら・ら』(’95年)は、それまでとは異なり、優しく温かみある曲調。さらなる魅力が引き出され、ミリオンセラーを記録しました」■「実在しない説」が出るほどのまぼろし感もカッコよかったアーティスト色が強く、テレビの露出がなかったことも特徴だ。「以前なら、アイドル歌手が歌番組やアイドル雑誌で私生活を語り、ファンが親近感を抱いたものです。しかし時代が変わり、大黒さんやZARDなどのビーイング所属のアーティストは、雰囲気のあるミュージックビデオくらいでしか、姿を見せてくれません。そのミステリアスさが逆に、想像力をかき立てる魅力となりました」“大黒摩季は実在しない”などの都市伝説もあった。「だからこそ、’97年に東京・有明で行われた初ソロライブは衝撃的でした。私も見に行ったのですが、始まる直前まで“今日も登場しないのでは”と会場はザワザワ(笑)」順風満帆だった音楽生活だが、’10年には病気療養のため一時的に活動停止したことも。「こうした経験も、その後の音楽活動に影響しているのではないでしょうか。地元・北海道の中学校の校歌を作ったり、北海道地震(’18年)の被災地支援ライブを開催したりと、社会貢献を積極的に行う姿もカッコいいですよね」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年10月23日秋篠宮家の長女・眞子さんの夫である小室圭さんがついに悲願を達成した。10月21日、3度目の挑戦となった米国・ニューヨーク州の司法試験に合格したことが明らかになり、同州の司法試験委員会の合格者リストにも「KOMURO,KEI」と名前が掲載された。さかのぼること’18年8月に単身渡米し、ニューヨーク州の弁護士資格の取得を目指してフォーダム大学に留学。昨年5月にロースクールを卒業した後は、現地の法律事務所で法務助手として勤務しながら試験勉強に励んできた。しかし、1度目となる昨年7月の試験は不合格に。小室さんの代理人弁護士は同年11月、再受験について「仕事をしながらの勉強で大変だとは思いますが、前回合格しなかったのは学力の問題ではないので、体調を万全に整えて臨むことになると思います」と本誌にコメントしていた。しかし、今年2月の試験でも不合格となり、合格点まで「あと5点」という惜しい結果だったという。今回の試験での合格率は66%で、なかでも2度目以上の再受験者の合格率は23%だったという。狭き門にもかかわらず、粘り強い努力によって合格を掴み取った小室さん。留学中はコロナ禍という予想外の事態に見舞われたものの、学業での成果を残してきた。1年目には成績優秀者(学部150人中15位から37位のグループ)に入り、大学のホームページには小室さんの名前が掲載された。さらに1年目に引き続き、2年目も年間約650万円の学費が免除されたのだった。この奨学金を獲得できるのは、ごく限られた人だけだという。また本誌は、小室さんが法律専門誌『NY Business Law Journal』’19年夏号に、注釈を含めて9ページにも及ぶ論文を投稿していたことをスクープしている。その論文は’20年に、ニューヨーク州弁護士会が主催する論文コンペティションで2位を受賞。さらに、昨年は眞子さんの誕生日の前日に、同コンペで小室さんが優勝したことが明らかになり2年連続での快挙となった。■勤務先の法律事務所も小室さんを高く評価いっぽう、勤務先である法律事務所「ローウェンスタイン・サンドラー(以下LS)」も小室さんを高く評価しているようだ。LSは今年4月28日、ウェブサイトに《Client Alert(顧客向けのお知らせ)》として、長文のレポートを掲載。当時、ニューヨーク州弁護士のリッキー徳永さんは、本誌の取材にこう解説をしてくれた。「金融・投資関連のセクションからの発表で、おそらくLSには投資家や投資業務関係者のような顧客も多いのではないでしょうか。文章の内容は、アメリカのSEC(証券取引委員会)が新たに発表した投資リスクなどに関するガイドラインについて、LSとして解説を加えたものです。このレポートが注目されているのは、3人の執筆者のなかに、小室圭さんの名前も含まれているからです。彼はロークラーク(法務助手)という立場ですから、レポートの作成には、あくまでもアシスタント的な立場で参加したものと思われますが、LS内でそれなりに評価されているのは間違いないでしょう」このような小室さんの処遇について、NY在住の日本人ジャーナリストは言う。「小室さん以外の執筆者はLSのパートナー弁護士、つまり役員です。同事務所にロークラークは6人いるようです。しかし、ウェブサイトのインフォメーションなどにも彼らの名前は記載されていますが、少なくとも最近の署名原稿で執筆者として名を連ねているロークラークは、小室さん1人だけ。破格の好待遇といえるでしょう」司法試験は苦戦したが、優秀な能力によって存在感を発揮してきた小室さん。晴れて弁護士資格を取得したことで、さらなる活躍が期待されている。
2022年10月23日10月23日、31回目の誕生日を迎えた秋篠宮家の長女・眞子さん。10月21日には夫の小室圭さんが、3度目の挑戦となったニューヨーク州の司法試験に合格。26日の結婚記念日が目前に迫っていることも相まって、眞子さんにとって喜ばしい“プレゼント”となったことだろう。小室さんは18年8月に渡米し、ニューヨーク州の弁護士資格を取得するためフォーダム大学に留学。21年5月にロースクールを卒業し、以降は現地の法律事務所で法務助手として働きながら受験勉強に励んできた。昨年10月26日に行われた結婚会見のなかで、眞子さんは小室さんの留学についてこう述べていた。「圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました。留学に際して私は一切の援助をできませんでしたが、圭さんが厳しい状況のなか努力してくれたことを有り難く思っています」そして、会見の最後には、「私たちは二人で新しい生活を始めることになります。 これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います。しかし、これまでもそうであったように、二人で力を合わせて共に歩いていきたいと思っています」と誓っていた。だが、結婚会見から4日後、小室さんが1度目の試験に失敗したことが明らかに。当時のNHKの報道によると、小室さんが日本で勤務していた法律事務所の所長・奧野善彦弁護士は電話で報告を受けたという。また、眞子さんが奥野氏とも話したといい、「小室さんの話をそのとおりに受け止めています」と夫の勉強を支える意思を示していたと報じられた。それから2週間後、小室夫妻はニューヨークへ渡り新生活を始めたが、そこでも試練が待ち受けていた。「小室さんは今年2月の試験も、“あと5点”というところで不合格となりました。法務助手として働く小室さんの年収は約600万円だといわれています。夫妻が暮らす地区のマンションの家賃相場は月40万円ほどで、収入のほとんどが家賃に消えてしまいます。さらに小室さんが3度目の試験に落ちた場合、勤務先から解雇されてしまう可能性も指摘されていました。眞子さんもファッションこそ、アイテムをうまく着まわして、あまりお金をかけないようにしているようです」(NY在住の日本人ジャーナリスト)しかし、そうした苦境においても、眞子さんは小室さんとのニューヨーク生活に幸せを見出していたという。「眞子さんはメトロポリタン美術館での仕事を本格的に始動しています。眞子さんは研修、圭さんは試験勉強と、やるべきことが明確になったことで夫妻の結束力はより強くなったといいます。最近でも眞子さんは、『NYに来て本当によかったです。私たちは、いまがいちばん幸せです』と周囲に話していたと聞きました。これから小室さんが弁護士として働き始めることで、より充実した生活が送れることでしょう」(NY在住の日系人)夫婦二人三脚で夢を叶えたことに、眞子さんの喜びもひとしおだろう。
2022年10月23日10月21日、自称“少年革命家”のゆたぼん(13)が自身のYouTubeチャンネルを更新。現在、ゆたぼんは自身と同じ不登校の境遇に悩む子供たちに勇気を与えるという名目で、専用車「スタディ号」にて日本を一周する企画を実施している。今回投稿された動画は「アンチは『不登校でも生きられる』と知れ」と題されたもの。動画内で、ゆたぼんは鳥取県に住む40代男性・ツチヤマさんの自宅を訪れ、非水洗式のトイレや五右衛門風呂、バーベキューなどを楽しんだ。動画の後半には、ゆたぼんがツチヤマさんの不登校でも幸せに生きていけたという体験談に耳を傾ける場面も。ツチヤマさんが「どんだけ高学歴でもどんだけいい会社に就職しても、それで人生反対なわけじゃなくて。学校行く行かないっていう枠を取払って、みんな本当に納得のいく人生を歩んでいってほしいなと思っています」と語ると、ゆたぼんは「ありがとうございます!いや本当にもうその通りだと思います」とうなずいて共感を示した。さらにゆたぼんは「高学歴であっても本当に不幸だっていう。まああの、俺のYouTubeでね、アンチとかそういうのおるんで、アンチとかも学校行っててもこういうことしかできないんで。学校行ってなくてもこういうことができるよっていうことを、あの証明してくれてるので本当にすごいなと思います」とコメント。不登校でも自由に生きていけることを強調した。この動画の更新にあわせて、ゆたぼんは自身のTwitterを更新。自宅に招いてくれた40代の男性に感謝を述べたうえで、《アンチも『不登校でも生きられる』ってことをもっと知った方がええで》と投稿し、改めてアンチに対抗する姿勢をみせた。ゆたぼんは直近でも、10月17日にTwitterで《動物園行ったらみんな人気の動物とかカワイイ動物と写真撮るやろでもウンチとは写真撮らんやろwアンチはウンチやから誰も写真撮りたがらんねん!!人気者の俺にウンチが嫉妬してて臭いだけや》と投稿。アンチのことを汚物呼ばわりしていた。ゆたぼんの一連の投稿に対し、SNS上では《アンチは今まで無難な選択肢、安全牌ばかり選んで生きてきたから、そうじゃない生き方もあるということがわからないのでしょう!》《不登校先輩これからも頑張ってください》と賛同の声が。その一方で、ゆたぼん自身がアンチへの反論のために“不登校は生きていけない”と決めつけているのではないかと、疑問を呈する声も上がっている。《不登校は死ぬような前提でモノを言うな。そういうとこ直そうね》《あなたが今やるべき事は、「不登校でも生きられる」ことの証明ではありません。「不登校で生き辛さ」を抱えてる人を助けることです。今まで何をやってきたんですか?》《不登校では生きられないなんて誰が言ってるんだ?そんなコメ見た記憶がない。むしろ不登校のイメージを貶めて誤解を生んでいるのは君達親子と口汚くアンチ叩きしているこの支援者じゃないのかな?》
2022年10月22日