「あの日は大雨警報が出たほどの豪雨でしたが、投票所に来た小室さんはデートに行くようなおしゃれな格好でしたよ。婚約会見の日には地元の駅前でイベントが行われたほどですから、周りの視線も気にしたのでしょう」 こう語るのは、秋篠宮家の長女・眞子さまと婚約が内定した小室圭さん(26)の自宅近くに住む主婦。 衆議院選挙の投票日だった10月22日。翌日には眞子さま26歳の誕生日を控えていた。本来なら週末のデートが予定されていたのかもしれないが、巨大な台風21号が関東地方に上陸したこの日、小室さんが姿を見せたのは自宅近くの投票所だった。 「午前11時ごろ、小室さんはスーツ姿の護衛1人に付き添われてやって来ました。メガネをかけた小室さんは、白いシャツに黒のジャケットを羽織り、茶色の革靴を合わせていて、爽やかでしたよ。実は護衛の方は投票所にも待機していて、3人体制の厳重な警備だったようです」(前出・主婦) 皇族である眞子さまには戸籍がなく、選挙権もない。だが結婚により皇籍を離脱すれば、投票所入場券が送られてくるようになる。 来年の秋に結婚式を挙げる予定のお2人。夫婦そろっての投票は、2年後の参議院選挙になりそうだ。 「眞子さまのお誕生日だった23日も小室さんは残業だったようです。勤務先の法律事務所を退社したのは午後7時ごろでした」(皇室担当記者) 婚約内定会見で「今は目の前の仕事と勉学にしっかりと取り組む」と語っていた小室さん。その言葉に嘘はなかったようだ。
2017年11月05日音楽プロデューサーの小室哲哉(58)が21日、自身のツイッターを更新し、来年9月16日をもって引退すると発表した歌手の安室奈美恵(40)についてコメントした。「CAN YOU CELEBRATE?」「Don’t wanna cry」など、安室の代表曲の数々を手掛けた小室。ツイッターでは「正直、仕事で何とも言えない寂しさを感じるのは初めてです」と素直な思いを吐露した。また、「これからいよいよブレイクして行くのだなあという瞬間に立ち会えてから20年、あらゆる奇跡を起こし、足跡を残し、そんな姿を誇らしく思い、そして、あと1年で卒業という現実を知る。このプロセスはなかなか味わう事はないでしょう」とつづり、「奈美恵ちゃんには、最高の日々を過ごしてもらいたいです」とエールも送った。安室は20日、自身の公式サイトで「今日は、私が長年心に思い、 この25周年という節目の年に決意した事を書きたいと思います。『わたくし安室奈美恵は、 2018年9月16日をもって引退することを決意致しましたので、 この場を借りてファンの皆様にご報告させていただきます』」と引退を発表した。
2017年09月21日9月3日にご婚約会見を終えられた秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまと、国際基督教大学(ICU)時代の同級生・小室圭さん。結婚式は来年秋の予定。新婚生活のスタートもまだまだ先となるが、小室さんは婚約内定会見も間近に迫った8月下旬、地元の書店に姿を見せた。買い求めたのは、『月たった2万円のふたりごはん』(幻冬舎)という書籍だった。 著者の奥田けいさん(27)が、声を弾ませる。 「節約しながら2人でおいしいご飯を食べよう、をテーマにしています。私も今年2月に芸人を夢見ている主人と結婚。買い物も料理も一緒に楽しむことで、夫婦円満です。ぜひ眞子さまと小室さんにも、本のレシピを参考にしていただければ光栄です!」 料理好きの小室さんは、一足先に新婚生活の準備を始めたようだ。そんな中、小室さんが勤務する法律事務所関係者からはこんな話が聞こえてきた。 「小室さんはすでに外国での仕事を探しているらしいのです。それに宮内庁が関係している、という噂も聞きました」 宮内庁関係者に聞くと、 「公式には動けませんが、幹部職員が個人的に対応することは、ないとはいえません。三笠宮家の甯子さんと結婚した近衛忠煇さん(現日本赤十字社社長)は、結婚後に日赤に入社。ジュネーブの国際赤十字本部に、おふたりで出向なさっていましたね」 小室さんは海外への移住を見据えて、食費を倹約しようと考えたのか。ベテランの皇室ジャーナリストによれば、元皇族が夫婦で海外に移住するのはさほど難しくないという。 「天皇陛下の妹、島津貴子さんも結婚後、銀行員だった夫の島津久永さんの転勤に伴いアメリカのワシントンに行かれています。その後はオーストラリアにも住んでいます。ですので、眞子さまがご結婚後に海外に行かれても不思議はないのです。警備は手薄になりますが、そのぶん日本にいるよりも一般の生活に溶け込んで、リラックスして暮らすことができるのではないでしょうか」 誰に頼ることもなく、2人で支え合う海外での新生活。その食卓には、小室さんの温かい手料理が――。
2017年09月06日9月3日にご婚約会見を終えられた秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまと、国際基督教大学(ICU)時代の同級生・小室圭さん。本誌には眞子さまにゆかりの方たちからも、お祝いのメッセージが寄せられた。 宮田拓矢さん(45)は元宮内庁大膳課職員で、眞子さまが小学生のころに秋篠宮家の料理人を務めていた。 「私がキッチンで調理していると、眞子さまと佳子さまがいらして、『今日のごはんは何ですか?』と。眞子さまの後ろに佳子さまが隠れるようにして、とても仲が良く、可愛らしいご様子でした。紀子さまは、自らお弁当のメニューを考案されて、素材の鮮度にも気を配っていらっしゃいました。料理も家庭も温かいのが一番。きっとそういうご家庭になるでしょう」 合掌作りで知られる岩瀬家の岩瀬幹夫さん(83)も、眞子さまの素顔を知る一人だ。富山県の越中五箇山は、合掌作りの家並みが美しい集落。’03年には、秋篠宮家がご家族で訪問されている。 「かなり長くお話をさせていただいたのですが、その間、ご家族はずっと正座で聞いてくださいました。途中、楽にしてくださいと申し上げたのですが、お小さかった眞子さまも佳子さまも、脚を崩されることはありませんでした」 そのエピソードを知った皇室ジャーナリストが言う。 「秋篠宮家ではお子さま方のご興味や進路についての自由なお考えを尊重される一方、礼儀や作法、年長者への接し方をきちんと躾けられる。そうした教育のもと、眞子さまは自主性と気品の両方を身につけられたのでしょう」 まっすぐな姿勢は、ご自身の夢についても。眞子さまは現在、東大総合研究博物館で特任研究員を務め、広く美術の研究に取り組まれているが、ご興味が芽生えたのは小学生のときだった。 秋篠宮家と親交があり、眞子さまの美術に関するご研究に大きな影響を与えたのが、日本画家の上村淳之さん(84)だ。 「秋篠宮さまが学会で私の住む奈良の鳥類研究所にいらしたとき、眞子さまもご一緒で、鳥を描くときには生態を知ることが大切といった話をさせていただきました。そのことを眞子さまは学習院初等科の卒業文集にお書きくださったのですが、確かな文章力に感動いたしました」 さらに、両陛下、秋篠宮ご一家が利用されている岩手県大槌町のホテル『三陸花ホテルはまぎく』の千代川茂社長が、眞子さまのエピソードを明かす。 「眞子さまには、’04年と’06年にご家族で、’13年には、秋篠宮さまとお二人でお泊まりいただきました。ご家族でいらっしゃったときは、みなさんが同じ部屋で仲良くお休みになったのを覚えています。秋篠宮さまの『イトヨの学会』に同伴された’13年は、眞子さまが、学会に参加した2人の女性研究者とご一緒に大浴場に入られたのです。皇族の方であるのに、一般の女性とも、そうしたご交流のできる方なのだと感心いたしました」 気品ある佇まいでありながら、気さくな一面も持ち合わせていらっしゃる眞子さま。皇室を離れての生活にも、心配はないことだろう。
2017年09月06日9月3日、秋篠宮家の長女、眞子さま(25)と、国際基督教大学(ICU)時代の同級生、小室圭さん(25)のご婚約内定会見が開かれた。 午前中に皇居・御所を訪問し、天皇皇后両陛下から裁可を受けられ、正式にご婚約が内定した眞子さまと小室さん。午後3時から始まった会見では、はじめてツーショットでの登場となった。 小室さんは膝の上で拳を固く握り、緊張した面持ち。眞子さまもまず「7月の九州北部豪雨と、その後の各地における豪雨の影響で、今もなお大変な思いをされている方々がいらっしゃいます」と被災地を気遣う言葉を述べられた。 おふたりの顔がほころんだのは「普段はお互いをどう呼び合っているか」という質問のときだった。眞子さまと小室さんは揃って「普段はお名前で呼んでおります」と明言を避けたものの、記者からはさらに「具体的にはどういうふうな」と質問が飛んだ。 顔を見合わせ困惑した様子のおふたりだったが、眞子さまは「ちょっとここでは実演はご遠慮申し上げるのですけれども」とかわしつつ、「お互いファーストネームで呼びあっております」と笑顔で明かされたのだった。 Twitter上では《見事な切り返し》《眞子さまの対応が大人すぎ》《実演するわけにも公開するわけにもいかないおふたりの対応が微笑ましい》と、眞子さまの対応に絶賛の声が上がっていた。 5年間の交際を経てご婚約内定となった眞子さまと小室さん。「ファーストネームで呼び合う」というおふたりの親密さが伝わる会見となった。
2017年09月05日7月8日に予定されていた秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんのご婚約会見は、九州北部を襲った豪雨により延期となった。被災地の状況を気づかったお二人が、延期を申し入れられたという。 日本全国の注目が集まるお二人のご婚約会見。皇族女性のご結婚は、14年の千家典子さん、05年の黒田清子さん(紀宮さま)の例があるが、清子さん以前には昭和35年の島津貴子さん(清宮さま)まで遡る。 実はこの貴子さん、常に“自分らしさ”を貫いてきたプリンセスなのだ。一般社会へと嫁ぐ皇族女性のモデルともいえる、その半生を振り返ってみよう。 島津貴子さんは昭和天皇の第五皇女で、現在の天皇陛下の妹にあたる。清宮(すがのみや)の称号の「ス」、貴子の「タ」をとって「おスタちゃん」の愛称で親しまれた。 一躍話題となったのは昭和34年3月、貴子さん20歳の誕生日に行われた記者会見での一言。「お好きな男性のタイプは?」という質問に対し、「私が選んだ人を見てください」と切り返したのだった。 同じ月に婚約を発表。「選んだ人」は当時銀行員で、薩摩藩主の末裔・島津久永さん。お見合いから3回のデートを経て、交際わずか2カ月での婚約発表だった。自身の恋愛をも包み隠さない姿勢は、皇族として異例のことだった。 結婚に伴い学習院大学を中退し、主婦として暮らしていた貴子さん。31歳のとき、東京プリンスホテル内のショッピングモール『西武ピサ』に就職。「皇族出身者初の民間企業就職」となった。その後も百貨店のブティックや『プリンスホテル』の重役など、キャリアウーマンとして経歴を重ねていった。 小室圭さんとのご結婚後は皇籍を離れ、一般市民としての生活を始められる眞子さま。島津貴子さんのように、キャリアウーマンとして活躍する姿を見せてくださるかもしれない。
2017年07月14日秋篠宮家の長女・眞子さまと、ICU時代の同級生・小室圭さんのご婚約会見が7月8日に開かれる。ご婚約報道翌日には記者の質問に小室さんが「時期が来たら……」と申し訳なさそうに答えていたが、今度の会見ではどんなお話をしてくれるだろうか。 ところで、6月29日は秋篠宮さまと紀子さまの結婚記念日だった。眞子さまのご婚約を控え、感慨深い記念日だったはず。改めてご両親の出会いからプロポーズまでを振り返ってみたい。 お二人が出会ったのは’85年の春。学習院大学に入学したばかりだった紀子さまは構内の書店に本を探しに行き、そこで秋篠宮さまに出会われた。秋篠宮さまは1年先輩の2年生だった。 その後、紀子さまは秋篠宮さまに誘われ、東宮御所で開いていたテニスの会やサークル『自然文化研究会』へご参加。学友とともに仲を深められた。 ふたりの初デートはその年の冬。紀子さまは鎌倉に住む祖母といとこの3人で、逗子のホテルにお泊まりだった。そこへ秋篠宮さまから電話がかかってきた。このとき、秋篠宮さまも両陛下とともに葉山へ滞在されていた。 翌朝フォルクスワーゲンを運転して、紀子さまをお迎えにきた秋篠宮さま。 「では、紀子さんをお借りします」 そう丁寧に挨拶され、葉山へと紀子さまを連れていかれた。そして三浦半島を散歩中の両陛下に、紀子さまを紹介されたという。 こうして両陛下の“公認”を得たおふたり。翌’86年6月、プロポーズは目白駅近くの横断歩道だった。『自然文化研究会』の集まりから帰られる途中、信号待ちをしている間のことだった。 「私と一緒になってくれませんか?」 そう秋篠宮さまが突然のプロポーズ。紀子さまは驚きのあまり「よく考えさせていただけませんか?」と答えた。だがプロポーズを受け入れ、6年間の交際を経て’90年にご婚約。27年間、幸せな結婚生活を送られている。 秋篠宮ご夫妻と同じく、学生時代に出会われた眞子さまと小室さん。小室さんのプロポーズはどんな言葉だったのだろうか。7月8日の会見で明かされるのを楽しみに待ちたい。
2017年07月03日5月16日の夜、「眞子さまご婚約」のニュースが全国を駆け巡った。一躍“時の人”となったお相手は、国際基督教大学で眞子さまの同級生だった横浜育ちの小室圭さん(25)だ。圭さんが幼いころに、バイオリンを教えていた山内純子さん(66)は次のように話す。 「圭くんは私が教室を開いて最初の生徒でした。当時はまだ3歳。その年齢ですとジッとしていられないお子さんが多いのですが、圭くんはお母さんに注意されることもない“おりこうさん”でした。横浜市役所にお勤めだったお父さんが、レッスンや発表会に足を運ばれることもあり、とてもステキなご家族だと思っていました」 温かい愛情に満ちた小室家の生活が一変したのは、圭さんが10歳、小学5年生のときだった。父親が急逝--。 「通勤中に倒れられ亡くなってしまったと……。お2人(圭さんと母・佳代さん)とも大変なショックを受けられて。まもなくバイオリンのレッスンもやめてしまわれました」(山内さん) 圭さんの自宅マンションは、東急東横線沿線。父親が存命中の’94年に新築を購入している。現在は、祖父、母親、圭さんの3人暮らしだ。昔から家族を知る60代の主婦はこう語る。 「お父さまが突然死されて、お母さまはケーキ屋さんで働き始めました。私立の音楽学校は学費も高いでしょうしね。お母さまから直接、弱音を聞いたことはありませんが、お金のことでは苦労したはず。そんな姿を見ていた圭くんは、いつか恩返ししたいという思いを抱いているでしょうね」 お母さんは今も東京都目黒区のケーキ店で働いている。圭さんは国立市の音楽大学の付属小学校卒業後、中学、高校と東京都品川区の「カナディアン・インターナショナルスクール」に通った。幼稚園(年間学費約200万円)から高校(年間学費約300万円)まで、カナダのカリキュラムで一貫教育を行っている。同校の赤羽典子事務長(67)から、入学時の面接での印象を聞くことができた。 「3月に面接したのですが、小学生にしてはハキハキと受け答えできて、お母さまも教育熱心でした。ただ私どものスクールは英語で授業を行っておりますので、日常的な会話ができないと理解できないのです。日本の小学校を卒業したばかりの圭くんは、そのレベルではありませんでした。ですから、9月の本入学前の段階で、英語の強化クラスに入っていただく必要がありましたし、毎日出されるレポートやサマースクールも……。それを見事にクリアして英語力を身につけたわけですから、本人だけではなくサポートするお母さまにも相当の覚悟がおありだったのでしょう」(赤羽事務長) 毎年、制作される全学年共通のYear Bookには、圭さんはハロウィーンパーティでメークした姿や、チェス大会の成績、生徒会での活躍ぶりなどさまざま思い出が載っていた。そんな充実した学園生活を送りながら、圭さんは高校時代からアルバイトも。その雇い主が、海老名市の居酒屋「のん処」の店主・五井憲治さん(70)。バイトは以前、五井さんが経営していた「ビストロ・ファミーユ」という仏風居酒屋だ。五井さんは当時のことをこう振り返る。 「お母さんと店によく来ていたから、僕が『よかったら手伝ってよ』って言ったかもしれない。それで、高2か高3のときから大学2年まで、主に週末働いてもらいました。とにかく親孝行。お父さんが亡くなったとき、小学生の圭くんが『ずっとそばにいるよ』って慰めてくれたっていうのは、お母さんに聞いていたんです。すごいでしょ。で、僕は圭くんが高3のとき、本人にも聞いたんです。『うちはお父さんいないし、僕がお母さんを守っていくんです。僕がしっかりしなきゃいけないんです』ってね。ジーンときましたよ」(五井さん) 国際基督教大学に進学した圭さんは、’10年、神奈川県藤沢市観光協会が主催するコンテストで「湘南江の島海の王子」に選ばれ、同市のPR活動を行った、同年の「海の女王」に選ばれて一緒に活動した藤沢市職員の並河理奈さん(26)は、圭さんを評して「爽やかでかっこいい、本当の王子さまみたいな人です」と話す。 眞子さまが“ずっとこの人のそばに”と決めた男性は、17日、日本中が見守るテレビカメラの前で、「今日の朝、電話で『行ってきます』『行ってらっしゃい』と軽い会話をさせていただきました」と語った。いつも自然体な“王子さま”だった--。
2017年05月26日音楽プロデューサーの小室哲哉が26日、自身のツイッターを更新。年内で解散するSMAPへの思いを記した。小室は、同日に放送されたSMAPの冠番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)最終回の終了後に、「SMAPには、何曲、作詞作曲で提出したかなぁ~」とツイート。「なかなか採用にならなかったけどアルバムの楽曲で5人に唄ってもらったときは嬉しかったし、皆んなとそれぞれの思い出もあり全てが音楽で繋がっていて」と思い出を明かした。そして、「小さくても、関われた幸せ、、」とつづり、「ほんとうに、ありがとうございました」と感謝の思いを伝えた。
2016年12月27日音楽プロデューサーの小室哲哉が13日に放送されたテレビ東京系のドキュメンタリー番組『クロスロード』(毎週土曜22:30~23:00)に出演し、療養中の妻・KEIKOの現状について語った。番組が密着する間、小室は地方の仕事でホテルの部屋に入るなり、KEIKOに電話。KEIKOは、5年前にくも膜下出血で倒れ、今も記憶障害の後遺症があるというが、受話器からかすかに聞こえる肉声では「元気に行ってきてね」「いってらっしゃーい」など、はっきりした口調で、小室に話しかけていた。小室は、KEIKOの現状について、「いろんな意味で元気になってきたかな。少なくとも口調が早くなって、元に戻ってきたりとか、記憶も思い出すことも増えてきた」と説明。音楽に全く興味を示さなかった時期もあったそうだが、「前みたいに歌えたら歌いたいよ」といったことも、時折話しているという。また、2人だけでカラオケに行くと、歌ってくれることもあるそう。小室は「これがいつの日か、プロの方にKEIKOが戻って歌ってくれるのか。それとも、歌を職業としない人として、歌が好きで歌う方に行くのか。どちらにしても、彼女のために作曲をどこかでできるといいな」と希望を語った。そして、あらためて現在のKEIKOとの関係性について「ちょっと普通の夫婦の関係とは違うかもしれない。父親と娘の関係値みたいなところも若干あるかもしれない」と分析。その上で、「絶対にいつも見てあげているという安心感を与えてあげる」と強い決意を示し、KEIKOが「音楽をやって守ってくれてるんだ」と思うことが、「最高に幸せなことというか、助かることですよね」と語った。同番組では、2006年に著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺事件で逮捕・起訴された当時の心境についても告白。「ブームからの壁にぶち当たったりして、一度(人生を)0にリセットせざるをえないみたいなところで、自暴自棄になってたところもありますし、分からなくなっていた」と振り返った。
2016年08月14日音楽プロデューサーの小室哲哉(57)が右足関節を骨折したことが30日、公式サイトを通じて発表された。これに伴い、4月9日に台北「ATT SHOW BOX」で開催を予定していた公演「小室哲哉 PIANO BIOGRAPHY feat.坂本美雨」の延期も決定した。サイトでは、「小室哲哉の右足関節骨折診断のため、急遽延期させていただくこととなりました」と伝え、「公演を楽しみにされていたお客様をはじめ、関係機関の皆様方に多大なご迷惑をおかけし事を深くお詫び申し上げます」と謝罪。振替公演日は6月9日で、「4月9日の公演チケットをお持ちのお客様は、振替公演にそのまま有効となりますので、振替公演日までの間、大切に保管していただきます様 お願い申し上げます。なお、残念ながら振替公演にご来場頂けないお客様には、払い戻しを承ります」としている。小室はツイッターでも「ご迷惑を、おかけします。明日、手術なのでまた術後報告しますね。仕事は休まない様、努めます」とつづっている。
2016年03月30日さまざまな分野を縦横無尽に活躍するエイジレスな女性たち。彼女たちが好きな人・空間・コトには、ずっと探していた「キレイ」のヒントが隠されているはず。 “KIREI interview” では、そんな彼女たちのキレイの秘密を探ります。裏地 桂子さん / ギフトコンシェルジュギフトコンシェルジュとして雑誌・TVなどでもおなじみの裏地桂子さん。忙しい日々の著述業やお仕事のかたわらで、美しくあることへの気配りはもちろん、周囲への心配りも驚くほどきめ細やか。すでに8冊もの著書を発表するパワフルウーマンでありながら、常にしなやかでチャーミング。会うたびに輝きを増す彼女の「キレイ」の秘密を探ります。裏地桂子 Keiko Uraji ギフトコンシェルジュ。クリエイティブコーディネーター。草月流師範。1996年より、『Grazia』『メイプル』『和樂』などの女性誌でライター、コーディネーターとして活躍後、衣食住ライフスタイル全般に精通した知識とそのセンスを生かし、プロデュース、ブランディングなどを数多く手がけている。食通、きもの好き、京都好きでも知られ、講演会やトークショー、執筆活動にも力を入れている。著書に『わたし好みのHAPPYデザインギフト100選』(小学館)、『ほめられきもの宣言』(小学館)、『贈る心得。ご縁結びのスイーツ』(講談社)など多数。昨年10月ワニブックスより刊行した『ごきげん力 8つの育て方』も話題に。裏地桂子ホームページ www.uraji-keiko.com― 先日刊行された著書『ごきげん力』ですが、ページをめくるごとに勇気をもらうメッセージやキーワードが次々と飛び込んできて、「ああ、今この本を読んで本当によかった!」という清々しい読了感。「悩みも心配ごともたくさん。だって人間だもの」というくだりから「そうかぁ。そうよね!」と。相当前のめり気味に読ませていただきました。嬉しいわ。本当に書いているとおり「どうしていつもそんなに元気いっぱいなの?」「悩みごとなんてないでしょう?」ってよく言われるの(笑)過ぎた今だから振り返ってそう思えるのだけど、30代ってまだまだ若いのよね。とにかく体力があるし、周囲から評価もされるようにもなってキャリアもどんどん磨かれて。続いて訪れる40代は、私自身は雑誌のライターを辞めていまのキャリアへとこぎ出す大きな転機となった時期で、それこそ「いけいけどんどん」。新しいことへの挑戦が次から次へと繋がって、変化していくこと自体が楽しくて仕方がなかった時代。でも、いざ「50代」に突入するとなった時、正直想像できないことだらけだったの。明らかな体力の変化に戸惑うことも多かったし、とにかく不安だらけ。でもいちいち落ち込んでいても仕方がないないでしょう? 上を見ればきりがないし、下を見ても仕方がないのよね。そう思って、自分なりにあれこれと試行錯誤しながら「いつまでもキラキラしていたい!」という目的に向かって行き着いた解決策が、この本の主題にもなっている「ごきげんに暮らす」ことだったんです。― これまでの書籍は、贈り物や手土産のテーマや、京都好き、食通、着物などご自身の「好き」が主題でした。今回の『ごきげん力』は今までにないアプローチですよね。本書を書くに至ったきっかけは何だったのでしょう?最近よく若い女性から人生相談を受けるようになって。おしなべて感じるのは、30代は焦っている人が多い。揺れているのよね。私だってそうだったもの。だからご相談を受けるたびに思うんです。今、世の中はセルフコントロールの時代。自分のことは自分にしかわからないのだから、どんどん自分のことを知る作業を重ねるべきなのよって。でも、話を聞いているとみな大体自分で答えを決めているの。私がしてあげられるのは、背中を押してあげることなんだな~と。本書を書く原動力になったのは、自分自身が紆余曲折してたどり着いた答えを共有することで、揺れているもやもやした気持ちや悩んでいる背中を押してあげれるかも! と感じたからなんです。― 本書ではマーカー片手に読みたくなるほど、心にすとんと落ちるキーワードがたくさん登場するのですが、なかでも「好きのあぶり出し」ということばには、膝を打つ女性たちも多いように思います。現代の荒波をくぐって前向きに生きていくには強いセルフコントロール力が必要だと思うんです。まず第一に「私って幸せ!」と思えることはものすごく大切で、そう感じることが多ければ多いほど「ごきげん力」を養うことができると思うんです。本書でも書いてますが、 “好きのあぶり出し” はマスト作業なんですよね。ものすごくシンプルな作業で、頭に思い浮かぶ「好き」なことを何でも良いから紙に書き出していくんです。このステップを踏むと、「どうすれば自分が喜ぶのか」を知ることができるでしょう? たとえ何かで落ち込んでも「そういえば私、朝からお風呂に入ってシャンパン飲むのが好きだったじゃない?」って。そうやって少し自分を甘やかしてあげると「心のリカバリー」が早いんです。― 裏地さんは会うたびに「これものすごくいいわよ!」って、コスメでもなんでも惜しみなく情報公開してくださるんですよね。なおかつその情報がものすごく信憑性があって、どれもこれもすぐ買いに走りたくなるものばかり。50数年生きてきた分、失敗もたくさん。だからその試行錯誤の末に出会った良いものはどんどん人に共有していきたいって思うんです。本に書いていることも含めて、自分が本当に良いなと思ったものはできるだけ多くの人と共有したい。すべて「お福分け」だと思ってるんです。 【後編】へ続く>> (インタビュー・文:松浦明)★裏地さんインタビュー記事【後編】では、「キレイ」になれる愛用品の数々をご紹介! 【後編】はこちら>> 『ごきげん力 8つの育て方』(ワニブックス刊)前向きになりたいと願っているのに、何か心が晴れない。いつもなにか不安に苛まれている。“揺れやすい”女性たちの心に一筋の光が差し込むような感覚で、思わず一気に読み上げたくなる一冊。「自分のご機嫌をとれるのは自分だけ」「好感度をあなどるなかれ」「言霊(ことだま)は私の守り神」「その『いつか』はいつくるの?」気になる章はどこから読んでもOK。マル高出産で子育てと仕事の両立に奮闘中の私自身(インタビュアー)も元気をいただいた一冊です。
2016年01月29日10月29日(水)に小室哲哉・TM NETWORKデビュー30周年メモリアルブック『TM NETWORK 30th Anniversary Special Issue 小室哲哉ぴあTK編』が発売される。同書は、今年の4月に発売されたTM NETWORKとしての活動に迫った『TM編』に続き、小室哲哉のソロワークに迫ったもの。小室哲哉の最新インタビューや、秋元康、ジェイ・コウガミとの対談、TM NETWORKの木根尚登や宇都宮隆、TRFのDJ KOOや観月ありさなどTKサウンドに深く携わった人々の証言、ファンが選んだTKソング100曲を小室自身が解説する企画や、森進一やAAAなど著名人・関係者からの激励コメントなどが掲載されている。同誌の発売に際し、小室哲哉は「この本では僕のプロデュースワーク・ソロ活動のキャリアを、振り返ってみました。この本の取材を通し、自分にとって新たな目標もできました。曲を初めて作ったのは、中学生の頃。ソフトを作る人間か、ハードを作る人間か、環境を作る人間か。20世紀に生まれた人の生涯では、どれかひとつしか全うできないのかな。だから僕は21世紀に入った現在も、コンテンツ作りの人間でいることを、本当によかったと思っています。22世紀はどうなっているか分からないけど、ハードウェアが進化し続け、発表させてもらえる場を作ってもらっていることに、すごく感謝しています。もう少し貫けるかなって・・・。メンバー、関係者の方、そしてファンのみなさんに、感謝を込めて・・・」とコメントを寄せている。なお、「BOOK ぴあ」で購入した方には特典としてオリジナルカバーが付属。特典はなくなり次第終了となるので、気になる方はご確認を。■TM NETWORK 30TH ANNIVERSARY SPECIAL ISSUE 小室哲哉ぴあ TK編10月29日(水)発売販売価格:1,620円(税込)128 ページ
2014年10月28日命に別条はないそうだが…音楽プロデューサー小室哲哉の妻でglobeのボーカルでもあるKEIKOが24日夕方、自宅で倒れ、都内の病院に救急搬送されていたことが分かった。詳しい病状などは不明という。25日、スポーツ紙をはじめ各報道が伝えている。報道から明らかになっている状況では、KEIKOは自宅で突然体調を崩して倒れたそうで、24日夜の時点では病院で治療がつづけられているものの、命に別条はないという。小室は、彼女につきっきりで見守っているそうだ。献身的に支えてきていた彼女…心配広がるソロとしても歌手活動を行うなど、その歌声を響かせてきた彼女。2008年には夫である小室が詐欺容疑で逮捕、09年5月には有罪判決を受けるといった事件もあった。しかし、離婚はすることなく、ずっと小室を献身的に支えてきていた。2010年、彼が本格的に音楽活動に復帰してからもその状況は変わっていない。こうしたなかでの突然のニュース。命に別条はないという知らせが救いではあるが、体調のほうが心配だ。彼女はTwitterに20日、「TK(=小室)忙しいですよ。それに勝手につられ、バタバタしてます」などと書き込んでいるが、それ以降の更新はない。仮に過労が原因であれば、今はゆっくり休み、回復してくれることを願うばかりだ。元の記事を読む
2011年10月26日