北京五輪スノーボード・ハーフパイプで金メダルを獲得した平野歩夢(JMPA代表撮影)三度目の正直だ!2014年のソチ、2018年の平昌で銀メダルだった平野歩夢選手が、北京五輪スノーボード・ハーフパイプで日本人初の金メダルを獲得した。弟の海祝選手とともに幼い頃からスケートボードに触れて育った平野選手だが、彼の夢を競技活動を支えてきたのは父であり、そして家族だった。おめでとう、金メダル! 平野歩夢が3大会目にしてついに悲願を達成した。「まさに三度目の正直です。ソチ、平昌では同じハーフパイプで銀メダルでしたから。この競技では日本初の金メダルとなりました。トリプルコーク1440という大技を成功させ、96・00の高得点で圧勝。弟の海祝選手も出場して9位。お兄さんの英樹さんも選手で、スノーボード三兄弟です」(スポーツ紙記者)平野は東京オリンピックでもスケートボードに出場しており、日本で5人目の夏冬五輪出場選手となった。「サーフィンが好きだった父の影響で、息子たちもボード遊びが大好きに。それを見た父は、800万円の借金をして地元の新潟県村上市にスケートパークを開設。三兄弟は幼いころからボードに触れて育ったんです」(同・スポーツ紙記者)スケートボード日本代表監督の西川隆氏は、兄弟たちを小学生時代から見てきた。「すでにスケートボードで有名だった兄の後を追っかけてきたという感じでしたね。おとなしい性格ですが努力家で、まわりからは一目置かれていました」■ニコニコしたいいお兄ちゃん父がつくった日本海スケートパークは2019年に閉鎖され、代わりに市営の村上市スケートパークがオープン。「歩夢選手は昨年9月に来て練習していました。スノボに備えて感覚を磨いていたのでしょう。クールでひょうひょうとしたイメージですが、子どもたちの前では、いつもニコニコしていますよ。弟の海祝くんとともに、“いいお兄ちゃん”という感じです。メダリストなのに、ほかの子どもたちと一緒に並んで順番待ちをしていますよ」(村上市スケートパーク関係者)後援会理事長の佐藤巧氏は、平野の父と20年来の友人。三兄弟を見守ってきた。「今回は金メダルを取ると確信していましたよ。環境が整っていないころからお父さんが一生懸命やってきて、それが花開いたんですね」(佐藤氏、以下同)平野の快挙には、兄弟の力の後押しもあったという。「歩夢くんはお兄ちゃんの後を追いかけ、抜いてやろうという気持ちがあったんですね。小さなころから目の前にはっきりとした目標がありました。選手として兄貴の背中を追い続けることで成長し、自分の信じる道を進むことができたんです。今回の金メダルは英樹くんも自分のことのように喜んでると思いますよ」そして、競技本番では弟に助けられている。「歩夢くんはジャンプが高いぶん、雪が解けてくると角度がずれてコースを外れる可能性がある。不安だったはずですが、先に滑走した海祝くんがいい点数を取ってくれた。それで自分もやれる、と思い切って行けたんですよ。弟が頑張ってくれたから、何の心配もなく集中できた」父が切り開いた道を兄弟3人が歩み、協力して勝ち取った金メダルなのだ。
2022年02月15日五輪“3連覇”ポーズをとる羽生結弦(日本スケート連盟公式Twitterより)2月4日に開会式が行われ、いよいよ北京五輪が開幕した。「フィギュアスケートは団体戦からスタートしましたが、羽生結弦選手は出場せず、8日にショートプログラム、10日にフリースケーティングが行われる個人戦にすべてを注ぎます」(スポーツ紙記者)羽生が団体戦に出場しなかった理由を、元フィギュアスケート選手の渡部絵美さんが分析する。「3連覇に向けて集中するためだと思います。試合会場の雰囲気や氷に慣れるために、1回でも多く本番のリンクで滑ることはとても重要ですが、羽生選手は冬季五輪出場も3度目のベテラン選手。なので、問題ないと判断したのでしょう」そして、ついに始まる個人戦の勝負の行方には、世界中からの熱い視線が注がれる。「北京は、ヨーロッパやアメリカの選手にとっては大きな時差があります。国内で練習していた日本の選手は時差の影響を受けづらく、その点では有利でしょう。日本の男子選手には、表彰台を独占してほしいですし、その可能性は十分あると思います」(渡部さん、以下同)それほどに、おのおのが仕上がっているのだという。■メダルに期待がかかる日本人選手フィギュアの日本代表では最年少、18歳の鍵山優真は、初の五輪出場だ。「父でコーチの正和さんは、1992年のアルベールビル五輪と1994年のリレハンメル五輪の2度、オリンピックに出場経験があるので、それを踏まえたリアルなアドバイスを受けているはず。初出場だからと意識しすぎず、普段どおりの演技をすれば、輝かしい結果になると思います。特に、4回転ジャンプは無理のない自然な姿勢で跳んでいて、世界的にも評価されています」宇野昌磨は、団体戦ショートプログラムに挑み、アメリカのネイサン・チェンに次ぐ高得点を記録した。「今シーズンは非常に安定しています。ステファン・ランビエールコーチが渡航前の検査でコロナ陽性になってしまい団体戦には不在でしたが、連携がよくできていて、ジャンプも好調。プレッシャーがある中でもしっかりまとめてくるでしょう」3連覇の期待がかかる羽生はどうか。「羽生選手は、その表現力が見どころ。4回転半に挑むことが注目されていますが、ひとつの技だけではなく、演技全体を通して、彼ならではの壮大な世界観を表現してくれると思います」2月3日、日本スケート連盟のTwitterに投稿された動画で、羽生は北京五輪についてこう語っている。「4A(4回転アクセル)も含めて、絶対に勝ちを獲りにいきたいなと思っています」昨年12月に行われた北京五輪代表の選考会『全日本選手権』まで、五輪については明言を避けてきた羽生。3連覇への決意を固めたのは、『全日本』優勝後、五輪代表のジャージに袖を通してからだという。その思いを後押しすべく動いたのが、地元の宮城県仙台市。450人を動員する予定だったパブリックビューイングこそ、コロナの影響で中止になったが、県内外から応援の声が届いたこともあり、市役所には応援看板が設置され、等身大パネルなどの展示が行われている。「羽生選手は前回大会で、男子フィギュアでは66年ぶりとなる2連覇の偉業を成し遂げられました。3連覇を目指して、これまで培った力を存分に発揮されますよう、仙台市民一同、応援しております」(仙台市スポーツ振興課担当者)■北京はあまり考えていなかったそして、宮城県登米市には、工業高校で教師をしていた羽生の祖父の同僚を中心に結成された『羽生結弦 ふ・る・さ・と応援団』がある。エールを送るのは、団長の春日了剛さんだ。「2014年のソチ五輪、2018年の平昌五輪では、近隣住民や結弦くんのおじいさんと面識のあった人が集まって応援をしました。3連覇を果たしたら、日本人としては前人未到の偉業ですし、世界的にも素晴らしいこと。叶えられるよう、心から応援しています」多くの人の思いが込められた3連覇。当の羽生は、最新のフィギュアスケート専門誌でこう語っていた。《五輪2連覇が子どものころから常に強く描いていた夢であり目標だったので、北京はあまり考えていなかった五輪となります。(中略)2連覇を強い覚悟でつかみとることができたからこそ、この五輪で、2連覇という実績を壊してしまわないかという怖さもあります》(『アイスジュエルズ』Vol.15)そんな危惧を抱く羽生を支えたのが“精神的な柱”だと語る父の存在だった。「結弦くんのお父さんは、仙台市の中学校で校長をしています。“スケートだけじゃなく勉強もしっかりやらないとダメ”と、常日ごろ言っていた厳格な方で、2020年度には教育に関する論文が県で入選したこともあります。ただ、スケートについてはお母さんがいちばん近くで支えていることもあり、お父さんが口出しをするようなことはありません。練習の送り迎えなどはしますが、一歩下がって見守っています」(羽生家の知人)前出の春日さんも続ける。「結弦くんのおじいさんは、律義で面倒見のいい親分肌でした。なので、結弦くんのお父さんもそれを受け継いでいる部分があるかもしれませんね」■校長の父親が語った「チャレンジ」そんな父が勤める中学校では、『全日本選手権』開催中に2学期の終業式が行われた。「終業式では、羽生校長から式辞が述べられました。“年齢を重ねると時間の体感が短くなる。3年生は受験を目前に控えて焦る気持ちになると思うが、時間は万人に等しく流れるので今を大切にして、冬休みはいろいろなことにチャレンジし、自分を磨く期間にしてほしい”という内容でした」(中学校の保護者)この思いは、羽生にも届いたに違いない。「羽生選手は、悩んだときには家族に相談をするといいます。それがきっかけで、気持ちが好転していくことも多いそう。北京五輪に向けて、4回転半の成功と3連覇のプレッシャーが彼にかかりますが、お父さんの“金言”を胸に、北京五輪に向けて演技を磨き続けたことでしょう」(スケート連盟関係者)“今がいちばんうまい”と自負を持って挑む羽生の集大成。その演技で、北京から世界中を魅了してほしい!渡部絵美◎元フィギュアスケート選手。日本代表として世界選手権などで活躍。2度の五輪出場経験があり、’80年のレークプラシッド五輪では6位入賞
2022年02月08日「12年間『Going! Sports&News』にレギュラー出演する上田晋也さんは、ロンドン、ソチ、リオ、平昌五輪と夏冬4大会連続で現地取材。今回の東京五輪でもスペシャルサポーターとして活躍が期待されましたが、7月24日にコロナ陽性が判明して出演できなくなりました。困り果てた日テレの窮地を救ってくれたのは、『Going~』で共演する亀梨和也さん(35)だったんです」(日本テレビ関係者)日本テレビは東京五輪期間中、特別中継態勢を組み放映。明石家さんま(66)、上田晋也(51)、有働由美子(52)、吉田沙保里(38)という“最強の布陣”で臨んだ。しかし、五輪開幕と同時に上田の新型コロナ感染が発覚――。「もともと亀梨さんは今回の五輪中継のメインメンバーではありませんでした。ただ、野球を中心に各界のアスリートとも親交が深い亀梨さんを局内で推す声があり、各競技会場に足を運び、アスリートの生の声を拾ってくる“現場レポーター”として五輪中継に参加していたんです」(前出・日本テレビ関係者)小学6年生時、軟式野球の世界大会にも出場した実力を持つ亀梨。本誌も、7月27日、横浜スタジアムで行われた米国とのソフトボール決勝戦で、意欲的に取材に臨む亀梨の姿を目撃している。待ち時間、彼は柔軟体操で体をほぐし、スタッフの緊張も和らげていた。前出の日本テレビ関係者は言う。「特に8月1日の出来事が忘れられません。日本テレビは朝から深夜までずっと五輪中継でした。重点的に放送を予定していた競技で予想外に日本人選手が敗退し、“目玉”がなく困り果てていたのです。唯一の期待はマスターズを制した松山英樹選手が出場する男子ゴルフの最終ラウンド。局としては、炎天下のゴルフレポートをタレントの方にはなかなか頼めない。でも亀梨さんは自ら志願して、全18ホール同行取材してくれたんです」残念ながら松山はメダル獲得とはならなかったが……。「この亀梨さんの金メダル級の“奮闘”に現場の士気が高まったのは事実。『亀梨さんとは末永くご一緒したい』と話すスポーツ局の関係者も多かったです」(別の日本テレビ関係者)8月9日、上田は日本テレビの五輪特番にVTR出演し、「オリンピック初日にコロナ発症しまして、関連番組すべて出られなくなりまして、日テレさんに“あいつ使えねーな”って言われているオリンピックキャスター上田晋也でございます」と苦笑いしていたが、亀梨の見事な“代役”ぶりに真っ青!?
2021年08月18日日本人選手の金メダルラッシュに沸き上がった東京五輪。アスリートの活躍はうれしい限りだが、今回の五輪についてまわるのは“お金”の問題。そこで本誌では、今回の五輪で話題になっている「あれ」の“お値段”を調査した。選手がSNSにおいしいとアップして評判の選手村の食事。テレビ中継で目にする、猛暑の中、選手が体に当てているアイシング用の氷。また、開会式でのパフォーマンスが話題となった“動くピクトグラム”の費用は次のとおり。【選手村の食事】2,824円/1食各国の選手たちに「オイシイ♪」と評判の選手村の食事。1日あたりの提供可能数はメインダイニングで4万5,000食、カジュアルダイニングで3,000食。和食、洋食、アジア、ベジタリアン向けなど700種類とメニューも充実。食堂を取り仕切るのは、社員食堂や学校の食堂を展開するエームサービス。約62億円の契約金を入村期間の提供可能食数で割ってみると約3,000円に。【ピクトグラム】3,258万7,500円競技をわかりやすくデザイン記号で伝えるピクトグラム。今大会ではアニメーションとなっており、開会式では競技紹介のパントマイムが話題をさらった。開会式を取り仕切る電通が入札でセリ落としたのは、ピクトグラムの使用料を他社に請求されることを防ぐのが狙いか。【1日の氷代】964万4,451円/日連日の猛暑のなか、ほてった体を氷で冷やすアスリートの姿も。選手村でのアイスバス(氷風呂)やアイシングに使われる氷の発注額は約7,844万円。飲用なども含め、競技会場で使用される氷の費用は約2億1,089万円。「大会終了までにブロック氷1キロ入りを40万4,000個用意しました」とは氷を納入する小久保製氷冷蔵の担当者。【ドローン パフォーマンス】1億131万円全体的に地味でショボいといわれた開会式で人々の度肝を抜いたドローンの演出。「平昌五輪のパクリ」という批判の声もあったが、スポンサーのインテルの技術協力によるもの。200台のパッケージで約1,100万円。開会式で1,842機が空を舞った費用は、推計1億131万円に!【選手村】1,057億円選手村の建設費は、ロンドン五輪で1,800億円、リオ五輪で880億円。ロンドンの選手村は民間に売却され、2,800戸の低所得者層向け賃貸住宅にした一方、東京の選手村は大会終了後、「晴海フラッグ」の高級分譲マンションに。【金メダルの原価】9万8,145円廃棄された電子機器から集められた金属で作られた今回のメダル(重さは金556グラム、銀550グラム、銅450グラム)。金メダルは銀製のメダルに6グラム以上の金メッキをしたもの。金・銀の相場と重さから、原価は9万8,145円と推計される。
2021年08月12日ついに東京オリンピックが開幕。五輪に向けて鍛錬を重ねた選手たちの奮闘を毎日テレビの前で見守っているというご家庭も多いと思います。そんな中、Twitterに投稿された子どもたちの独特すぎる五輪の楽しみ方が話題に!その発想の可愛さとシュールな写真に、吹き出してしまう人が続出しているようです(笑)。 子どもたちなりの「お・も・て・な・し」 3万RT、8万いいね(※7月下旬現在)がつくほどバズっているのが、2人の女の子ママ、うみのもずく(@bibouroku_2020)さんが投稿したこちらのツイート。子どもたちがテレビに写っている選手にヨーグルトを分けてあげている様子の写真なのですが、撮影タイミングがあまりにも神すぎて、まるで選手がヨーグルトを吹き出しちゃってるみたいな図に(笑)。優しくて可愛らしい子どもの発想にほっこりしつつも、画像を見るとつい笑っちゃうというカオスなツイートになっています(笑)。 時にはプールサイドの方にも うみのもずくさんいわく「選手の頑張っている姿が子どもたちの心に響いた」そうで、子どもたちなりに選手を気遣いながら、よりヨーグルトを食べてもらいやすいシーンを探したり、時にはプールサイドに控えている選手にも差し出したり。写真のインパクトには笑ってしまいますが、子どもたちの優しさが感じられる、素敵なエピソードですよね。 新型コロナの影響で1年延期された末、ようやく開幕した東京五輪。東京で行われる夏季オリンピックを見られるなんて、少なくともあと十数年はない貴重な機会です。子どもたちの心にも、きっと強く残るはず。ぜひ家族で、この貴重な五輪期間を楽しんでくださいね。
2021年07月27日いよいよ2021年7月23日の20時に開会式が行われる、東京五輪。当日の13時頃、開催を記念して航空自衛隊のアクロバット飛行チーム『ブルーインパルス』が都心でパフォーマンスを披露しました。東京都新宿区の国立競技場上空付近に到着した全6機の編隊は、青色や黄色、黒色、緑色、赤色のカラースモークで、青空に五輪マークを描いたのです。東京都千代田区の日比谷で撮影された、ブルーインパルスの姿がこちらです! #航空自衛隊 の #ブルーインパルス は、 #Tokyo2020 開会日に、東京都内上空での展示飛行を行いました✈︎✈︎✈︎写真はその様子です✨ pic.twitter.com/bIquomGgVn — 防衛省・自衛隊 (@ModJapan_jp) July 23, 2021 素晴らしい編成技術で、青空を飛び回るブルーインパルス。これまでもブルーインパルスは、いろいろな式典に出演したり、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の最前線で闘う医療従事者に感謝の意を表したりと、曲技飛行を披露してきました。コロナウイルスが感染する中での開催ということもあり、不安視する人も多い今回の東京五輪。しかし、ブルーインパルスのパフォーマンスは見た人たちに笑顔を届けてくれたのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2021年07月23日東京五輪が開幕を目前に控えるなか、Twitter上では7月20日ごろから「#もううんざりだよ東京五輪」のハッシュタグを添えた呟きが広がっている。五輪開催を反対する意見もあれば、新型コロナの感染拡大や生活を不安視する声など様々だ。そんななか、脳科学者の茂木健一郎氏(58)が21日午前にツイートした“怒りの呟き”が物議を醸している。《このハッシュタグでつぶやいている、ごちゃごちゃうるさいノイジーマイノリティの方が、うんざり。勝手にやってなさい。ぼくたちはホスト国として東京オリンピック盛り上げます。まずは今日のソフトボールから!》五輪開催に不安を抱える人や反対する人を“声の大きな少数派”を指す「ノイジーマイノリティ」と括り、「#もううんざりだよ東京五輪」のハッシュタグを添えた茂木氏。続くツイートでは《このハッシュタグにのって、コロナ対策と五輪があたかも二者択一であるかのようなことを言うひとたちの非論理性と粗雑な思考にいちばん腹が立つ》と補足したものの、批判が殺到し“炎上騒動”となっている。《「ごちゃごちゃうるさいノイジーマイノリティの方」対「ぼくたち」茂木さん、意識的か無意識的か知らんけど、こうやって分断を煽るのはオリンピック精神に反するのでは?》《茂木先生、これはあんまりだわザルな水際対策、低いワクチン接種率、緊急事態宣言下での五輪開催……何ら有効な対策もなしで、私達の命と生活が脅かされる危機だから、怒ってる。ノイジーマイノリティのレッテル貼りで、当たり前の怒りの声を奪わないでほしい》《抗議の声にうんざりするのは自由だけど、世論調査を見ても「ノイジーマイノリティ」というのは明らかにおかしいでしょ。なぜこの言葉を使うんですかね。願望ですか?》■専門家の見解は「占い」「役立たず」とも……また茂木氏は政府分科会の尾身茂会長(72)が「8月1週目には東京都で感染者が3千人近く増加する」との見解を示した記事を引用し、《適当な数理モデルで占いみたいなことばかり言ってないで、とっとと医療体制のcontingency planを立てればいいのに》などと投稿。さらに《「専門家」の予想なんて、どうせトイモデルで当たらないんだから、メディアもいちいち報道する必要なし!それよりも、contingency planが重要。ずっと言っているのに、「専門家会議」は適当な予想と人々の行動変容のよびかけばかり。役立たず。うんざり》と、痛烈に批判した。専門家の分析を「占い」と呼び、「当たらない」「役立たず」と断じた茂木氏だが、果たして本当にそうだろうか。厚労省が6月30日に公開した京都大学などの研究資料によると、東京都の感染状況について《最も楽観的なシナリオでも7月中に1日の感染者報告数は1,000人を超え、その後2,000人程度まで増加しうる》と指摘していた。実際に7月14日以降、東京都では1,000人を超える感染者が報告され、21日には1,832人にまで達している。また朝日新聞社が17、18日に実施した世論調査によると、五輪開催について賛成は33%、反対は55%。また「安全・安心の大会」の実現には、「できる」との回答が21%、「できない」との回答は68%にのぼったという。「今大会では感染防止対策として、五輪関係者と一般市民が接触しないように『バブル方式』が採用されていますがすでに『機能していない』とも指摘されています。今月に入ってから、67人もの大会関係者の感染者が出ています。茂木さんの非難する『#もううんざりだよ東京五輪』を添えた投稿には、一方的に五輪反対を唱えるものばかりではありません。選手たちを応援しつつも、国民が安心できるような感染対策を講じていない政府や組織委員会のやり方に異議を唱えるコメントもあります。盛り上げたくても盛り上がれない人もいるのです」(スポーツ紙記者)144万人以上ものフォロワーを抱える茂木氏。自身のフォロワーにも五輪反対派がいる可能性は考えなかったのだろうかーー。
2021年07月22日「私は五輪とともに生きてきました。アスリートは、自国開催の五輪で金メダルを取ることを夢見ます。しかしなかなか巡り合うことはありません。今は、生まれた国で五輪を開催し、最高の舞台に整える幸せを感じ、やり遂げる使命を感じています」こう語ったのは東京五輪競技大会組織委員会の橋本聖子会長(56)だ。『日刊スポーツ』によると橋本会長は7月20日、国際オリンピック委員会の総会で冒頭のようにコメント。さらにコロナ禍のなかでの開催について「五輪の価値を問い直して発信できるきっかけになるのではないでしょうか。これを東京モデルとして新たなレガシーとしていきたい」と意気込んだという。‘64年の東京五輪開会式の5日前に生まれ、聖火にちなんで聖子と名付けられた橋本会長。のちにスピードスケートや自転車の選手となり、五輪には7度も出場。そのため“オリンピックの申し子”と呼ばれてきた。しかし優先すべきことは、自身の使命感ではなく「東京五輪の不安を国民から払拭すること」ではないだろうか。「空港検疫で、ウガンダ選手団の1人が陽性者だと判明。しかし濃厚接触者は隔離されず、同じバスで移動することに。そうして別の陽性者も出ることとなりました。6月、菅義偉首相(72)は羽田空港を視察し、水際対策を徹底するよう指示したものの『全然できていない』との指摘が自民党のなかからも聞こえてきます」(全国紙記者)東京五輪に関する問題は新型コロナだけではない。「東京は連日、猛暑日が続いています。そのためアメリカの『CNN』は『五輪史上最大級の猛暑』と報じました。ですが、東京都から提案されている暑さ対策は打ち水やアサガオを植えることなど、原始的なものばかり。またトライアスロンなどの競技が行われるお台場海浜公園の周辺水域では19年、基準の2倍以上もの大腸菌が検出されました。『トイレのような臭いだった』との報告もあり、約1億2,000万円もかけて覆砂を行うなどの対策を取りました。しかし、その効果を疑問視する専門家は後を絶ちません」(前出・全国紙記者)Twitterを見ると東京五輪について《五輪の失態、グダグダっぷり》《恥を世界に発信》と呆れ混じりのツイートも多く見られる。そんななか「やり遂げる使命を感じている」と語った橋本会長にネットでは厳しい声が相次いでいる。《自分一人でやり遂げろやそれもできずに使命とか言うな》《私は、五輪と共に生きていません五輪は4年に一度のスポーツイベントという感覚です》《あんたの使命なんか知らんがな。そんなにやりたけりゃ1人でやって下さい》《人の命より自分の個人的思い入れを上に置くわけね。アカンやろ》
2021年07月22日東京五輪の開会式で楽曲制作を担当するミュージシャンの小山田圭吾氏(52)。五輪開幕まで残すところ4日と迫っているが、小山田氏が90年代に音楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』で語った“いじめ告白”の余波が広がり続けている。組織委員会は7月14日、東京五輪の制作・演出に関わるクリエイターを発表。その内の一人に小山田氏が名を連ねていたことから、“いじめ告白”の内容がSNS上で拡散。相次ぐ批判を受けて小山田氏は16日に、約1,500文字に及ぶ謝罪文を発表。しかし騒動は収まらず、’94年に小山田氏のインタビューを掲載した「ロッキング・オン・ジャパン」も18日に声明を発表する事態となった。「小山田氏の起用が発表された直後から、SNSで過去の“いじめ告白”を問題視する声や辞任を求める声が続出しました。小山田さんのインタビュー記事は、障がい者とされる同級生らへの虐待行為を武勇伝かのように語る内容でした。90年代の当時でも、その凄惨な内容に嫌悪感を抱いた音楽ファンは数多くいました。今回の東京大会では、一人ひとりが互いに認め合う『多様性と調和』が基本的コンセプト。小山田さんの行いは、そのような理念に大きく反すると言えるでしょう」(音楽誌ライター)小山田氏の“いじめ告白”は瞬く間に情報番組でも取り上げられ、議論の対象となった。なかでも東京五輪に携わるのが、「小山田氏でなければならない理由の説明」を求める声も上がった。18日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)に出演したメイプル超合金のカズレーザー(37)は、「(小山田氏の件について)知りませんでしたではなくて、知っても譲れないんですっていうことを説明しなければいけない」と主張。さらに現段階で「すでに音楽や演出は決まっているはず」とし、「(小山田氏が)辞任しても、別に組織としては成立するはず。辞任させることができないことを、丸川さんとかが説明すればいいだけのこと」と指摘した。さらに19日には加藤勝信官房長官(65)も、会見で「障害の有無に関わらず、いじめや虐待はあってはならない行為だ。政府として共生社会の実現に向けた取り組みを進めており、こうしたことに照らしても全く許されるものではない」と発言。小山田氏の処遇について適切な対応を組織委にもとめていた。■“知らぬ存ぜぬ”の丸川五輪相組織委員会の武藤敏郎事務総長(78)は17日の会見で、小山田氏について「現時点において十分に謝罪をして反省をして、倫理観を持って行動したいと言っている」とフォロー。組織委員会として「引き続き最後まで準備に尽力していだたきたい」と、小山田氏を続投させる意向を示したのだ。組織委員会が小山田氏を擁護するなか、東京五輪をサポートする立場である丸川珠代五輪相(50)の対応も問題視されている。小山田氏について報じられ始めた16日、丸川氏は会見で「まだ報道を確認していない」「組織委員会が対応されていると思うので、組織委に確認してください」と“知らぬ存ぜぬ”な対応をしたのだった。組織委員会と連携しているはずの丸川氏だが、小山田氏の件が問題になっていることについて「知らない」で済ませて良いのだろうか。「開幕が迫っているとはいえ、小山田氏の続投には批判の声が殺到しています。“五輪のサポート役”であるはずの丸川大臣は、完全にスルー状態です。IOCのバッハ会長とコーツ調整委員長の広島・長崎訪問についても、3日前にも関わらず『伺っていない』『橋本聖子会長に確認します』と受け流していました。その一方で、バッハ会長の歓迎会にはしっかり出席しているのです。丸川大臣は元アナウンサーでもあります。たとえ小山田氏の存在を知らなかったとしても、起用前に調べるなどして組織委員会に助言するといったこともできたのではないでしょうか。きっちり説明しないまま開幕に持ち込んでしまうと、いっそう批判を浴びることになるでしょう」(スポーツ紙記者)“都合の悪いことは知らんふり”とばかりに組織委員会に押し付ける丸川氏の対応に、五輪相としての存在意義を問う声が広がっている。《丸川ってなんの為にいる?知らぬ存ぜぬばかり。辞任して下さい》《何でもかんでも知らぬ存ぜぬで通るとでも思ってるんでしょうか?この方の勉強不足には辟易します》《丸川さんは、五輪担当大臣として何なら知ってるのだろう?承知していない、聞いていない、報告を受けていない(以下略)。いくら別の地平にいるからって、状況把握しようとせず、責任逃れが過ぎやしませんか》
2021年07月19日新国立競技場に掲げられる五輪の輪「お・も・て・な・し」滝沢クリステルのこの言葉で始まった、今回の東京五輪。想定外だった新型コロナウイルスの猛威によって開催自体の是非や開催方法について、開会式まで3週間を切った現在でも揺れている。「無観客も軸として考えていく必要がある」東京都の小池百合子知事が7月2日の会見で語ったように、近々の問題は、五輪の観客をどうするかが大きな争点となっている。有観客か無観客か――。比較対象となる大きなスポーツ大会が、現在ヨーロッパと南米で開催されている。「サッカーのヨーロッパ選手権『ユーロ2020』が1年遅れで、同じくサッカーの南米選手権『コパ・アメリカ』が現在開催されています。ユーロは11都市に開催地が分かれ、コパ・アメリカは共催する予定だったコロンビアとアルゼンチンが開催を返上し、“コロナは風邪”と公言するブラジルのボルソナロ大統領の判断により同地で開催されています。ユーロは有観客、コパ・アメリカは無観客です」(スポーツ紙記者)■有観客大会の影響が確実に出ている有観客と無観客、対照的な開催方式となっているが、やはりそこにはコロナの影響が大きく出ている。「有観客のユーロは、各地でそれぞれのコロナ対策をとっており、スタジアムの収容人数制限もバラバラです。8都市が収容人数の22%~45%を上限とし1万2000人〜2万2500人、ほか50%となる3万4000人までという制限を設けている都市もあれば、ハンガリーのスタジアムはほぼ満員となる6万人以上を容認しています。試合映像を見ると、今の日本の状況からすればビックリしてしまうほどにパンパンの“密”で大盛り上がり。ほとんどの観客はマスクを付けず、それどころか半裸になって叫んでいる人も珍しくない。サッカーへの思い入れが日本とは比較にならないほど“熱い”欧州の日常が戻ってきている様子が見られます。しかし、本当の日常が戻ってきているわけではなく、スコットランドではユーロに関係する感染者が累計2000人近くになるなど、やはりその影響は大きく出ています」(同・スポーツ紙記者)一方のブラジル開催で無観客にしているコパ・アメリカだが、選手とコーチ陣が集団感染するケースが続出。「国によっては、試合が成立しないのではと思わせるくらいの感染者数です。元ブラジル代表選手が皮肉を込めて “もうこれはサッカーの大会ではない。1人の感染者も出さなかったチームを勝ちにすればいいのでは”と発言しているほどです」(同・スポーツ紙記者)ヨーロッパやブラジルで起きているようなクラスターを見ていると、決して他人事とは思えなくなってくるが、果たして東京で起きないと言えるのか。東京五輪を有観客で行った場合のコロナ感染について、医師に話を聞いた。「結論から言って、観客を入れてもクラスターは起こらないと思います」そう話すのは、新潟大学名誉教授で医療統計の第一人者と呼ばれる医学博士の岡田正彦先生。「コロナの感染は、ほとんどの場合が飲食を介して感染者の唾液で感染します。席を1つ置きにして間隔を空ける、お酒や食べ物といった水分補給以外の飲食を禁止するといった対策をとることで、会場内で感染することはほぼないと思います。もちろん客席で大声を上げて、顔に唾液がかかるような環境では感染してしまいます。そのため、ヨーロッパの観客のように、密集してマスクを付けず、大声を出すようなことはしないという前提です。ただ、この1年、日本人は基本的にはまじめに感染予防を守ってきましたから、会場でそういった振る舞いをすることは少ないのではないかと思います」(岡田先生、以下同)■試合後に大騒ぎするサポーターただ、問題は会場だけではない。「ユーロの試合が行われた後に、会場の外でサポーターが大騒ぎしている映像を見ましたが、そういったことはもちろん、食事や飲み会に行くのも危険です。試合が終わったらまっすぐ帰宅する。クラスターを起こさないためにも、徹底してほしいですね」日本はワクチン接種が遅れており、欧米は進んでいると言われる。実際にユーロではマスクをつけない観客が多く、アメリカではマスクなしの音楽ライブなどが開催されだしている。ワクチンを接種していれば“ノーマスクでOK”なのか。「それは絶対ダメですね。ワクチンそのものが世間で言われているほど“効かない”という調査結果は、世界的に見ると実は多い。有効率95%とうたっていますが、実際にはこれよりもかなり低いと考えます。またワクチンを2回接種したとしても、有効期限はせいぜい3~6か月。日本はゆっくり接種が進んでいますが、2月くらいに接種した人はもう期限が切れているかもしれません。ワクチンを摂取しているか、していないかは、感染予防にはあまり影響しないと思います。ヨーロッパの大会で感染者が多くなってしまったのは、もともとの感染者が多いうえに、先ほど話した感染対策がまったくなされていないことが原因でしょう」岡田先生は、今取り沙汰されている“有観客か無観客か”よりも、はるかにリスクが高いことがあると指摘する。「今、日本ではプロ野球やJリーグなどでは観客を入れて開催していますが、感染源にはなっていません。国内の人が動くのであれば、きちんと対策を取っていれば、リスクがないとは言いませんが、それほど問題があるとは思いません。しかし、選手や大会関係者など合わせて海外から9万人が来日すると言われていますよね。その人数が入ってくること自体が恐ろしいですね。ニュースでもやっていますが、空港での検疫が心配です。今現在、最も厳しくした対応を見ても、まだ不十分だと私は考えます。外国から来日した人は最低限10日間は隔離するべきです。10日間隔離して症状がなくて、はじめて感染していないという安全性が担保されます。PCR検査の是非も問われていますが、4割ほどは見落としがあると言われています。検査で陰性だったから、すぐ自由に行動していいという話では決してありません」■東京五輪は“変異株の祭典”に五輪関係者が万単位で来日することによって、ありとあらゆる変異株が持ち込まれる可能性も……。「ものすごい数の外国人が狭い日本に来ることで“変異株の祭典”になってしまうんじゃないかという恐怖感があります。来日するのは基本的に選手と関係者ですが、9万人もいればユーロの観客のような対策を考えない不埒な人がなかにはいると十分想定できますので」東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は6月の会見で、選手や関係者、また報道陣を対象に、以下の考えを示した。「事前に了解を得て、入国の際に持参したスマートフォンのGPS機能をオンにしてもらう。常に監視するためではなく、GPSがオンになっているからきちんと自分の行動が証明できる」この対策については……。「GPSがあったとしても、“どこかに行った”とわかった時点で手遅れですので、十分な対策とはいえません」(岡田先生)このコロナ禍においては、「おもてなし」をしないことが、もっとも双方にとっていいおもてなしなのかも……。
2021年07月08日東京五輪・パラリンピックを巡る数々の“迷言”で、これまでも批判を浴びてきた丸川珠代五輪相(50)。またしても、丸川五輪相の発言が物議を醸している。6月23日、政府や組織委員会、競技会場がある自治体などの連絡協議会がオンラインで開かれた。各紙によると埼玉県の大野元裕知事(57)と千葉県の熊谷俊人知事(43)は、午後9時以降に開催される競技について無観客での開催を要請。知事たちの要請を受け、組織委員会は「まん延防止等重点措置」の期限である7月11日までに判断する方針を示したという。この件について24日、丸川五輪相は産経新聞の取材に応じ、「地域ごとに感染の状況が違う中で、国としても知事の判断の権限は非常に大きいと認識している」とコメント。その上で、「仮に知事がどうしても慎重な判断をせざるを得ないときには、最終的に国は受け止めるべきだと思っている」と発言したのだ。さらに続けて「仮に知事が人流の抑制が必要だと判断するときには無観客も検討しなければならないことは頭の中に置いている。基本的には観客を入れることとしているが、工夫できることがないか調整している」と述べたという。■「当事者意識、全くなし」「知事の判断」を全面的に押し出した丸川五輪相だが、誤解を招くことにはならないだろうか。全国紙記者が語る。「埼玉県ではバスケットボールやサッカー、千葉県ではフェンシングやテコンドーなど午後9時以降に予定されている試合もあります。いっぽう首都圏1都3県では感染症対策として、現在、イベントの開催時間は午後9時までです。そのため観客の有無以前に、五輪競技だけ時間制限を緩和することは『矛盾している』といった指摘もあがっています。しかしながら五輪に関する判断について、競技会場のある自治体の知事に決定権はありません。丸川大臣の説明ですと、『判断するのは知事』と責任を押し付けているように受け取られてもおかしくありません」“最終的な判断は知事に委ねる”とも言わんばかりの丸川五輪相の発言に、ネット上では「無責任」と存在意義を問う声が相次いでいる。《「判断」という表現が卑怯ですね。知事は要請する側で、判断するのはあなたでしょう?判断主体を知事であるかのように表現していては、丸川大臣あなたは何のためにいるのでしょうか?批判を受けない為に知事に責任を丸投げしてるようにしか、思えません》《夜間無観客は知事判断でできる…ってこの方は言ってるんですかね?ならば昼間無観客も知事判断できるんですかね?その権限を大臣が認めた、ということでいいんですかね?》《当事者意識、全くなし》また、丸川五輪相はコロナ禍で五輪を開催する意義について問われ、次のようにも述べたという。「アスリートがどれほどの努力を重ねてきたか、実際競技をしている姿を見ることを通じて、『これから社会を動かそう。自分たちの生活を、もう一度動かし始めよう』と思う勇気を分かち合う大会になれば素晴らしい」「社会」や「生活」を持ち出すのであれば、もっと寄り添う姿勢が必要なのではないだろうか。
2021年06月26日2021年4月4日、競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手が、東京五輪の代表に内定しました。池江選手は100mバタフライ決勝で57秒77の記録を打ち出して優勝。また、400mメドレーリレーの派遣標準記録を突破しています。インタビュー中では感極まり、美しい涙を流した池江選手。代表の内定について、このようにコメントをしています。「57秒台が出るとは思わなかったし、リレーの派遣標準記録も切れると思わなかった。一番戻ってくるのが時間がかかる種目だと思っていた。優勝も狙っていなかったけど、何番でもここにいることに幸せを感じようと思った。仲間たちが全力で送り出してくれて、とても幸せ。本当にうれしかった。言葉にできない。ものすごく自信がついたレースだった」サンケイスポーツーより引用池江選手は2019年2月に、白血病であることを公表。当時、東京五輪は2020年に開催が予定されていたため、多くの人から惜しむ声が寄せられていました。五輪は多くのアスリートにとって、目標といえる大会です。池江選手は白血病の発覚に加え、東京五輪への出場が絶望的だったことに大きなショックを受けたことでしょう。つらい治療を乗り越えた後、リハビリや練習に励んできた池江選手。今回の内定に対し、多くの人から祝福する声が寄せられています。[文・構成/grape編集部]
2021年04月04日東京五輪・パラリンピック組織委員会は4月1日、『週刊文春』及び『文春オンライン』に掲載された、五輪の開閉会式の演出に関する記事について、厳重抗議したと発表した。同委員会は、内部資料を掲載して販売することは著作権の侵害にあたるとし、掲載誌回収やオンライン記事の全面削除、資料破棄などを求めている。『週刊文春』で報じられたのは、開閉会式制作チームのメンバーだった振付師のMIKIKO氏のチームがIOCにプレゼンした280ページに及ぶ内部資料(昨年4月6日付)。記事内では演出内容についての言及や、資料の一部画像が掲載されている。MIKIKO氏は当時、五輪開閉会式の演出担当の責任者を務めていた。同誌の報道によると、昨年4月にはIOCに開会式案のプレゼンも行っており、その企画は高い評価を得ていたという。しかし昨年5月、急遽責任者が佐々木宏氏(66)に変更となる。その後佐々木氏は、それまでのMIKIKO氏の企画案を無視し、IOCに新たな企画案のプレゼンを重ねた。しかし、それらの案はIOCに認められなかったため、佐々木氏はMIKIKO氏の案を切り貼りして作成した企画を提出していたという。佐々木氏は、女性芸能人の容姿侮蔑を理由に、3月18日に辞任している。組織委員会の抗議文書には《さらに、制作チームの当時のクリエイティブディレクターなど、内容を知りうる全ての関係者には、あらためて守秘義務の遵守徹底を求めてまいります》とMIKIKO氏を示唆するような表現も。MIKIKO氏は、文春の直撃を受けても「守秘義務からお答えできない」と報じられていた――。再び巻き込まれる形となったMIKIKO氏には、同情の声がSNS上で多く寄せられている。《MIKIKOさん、はた迷惑だろうな》《今回の暴露で、mikiko氏が傷ついてしまうことが一番心配》《何の罪もないMIKIKO先生の負担があるんじゃないかと心配になります…》さらに、今回の抗議声明をうけて五輪組織委員会への批判も高まるいっぽうだ。《おそらくは元々の案をそのままではないにせよ、切り貼りしたような案で進めているのでは》《ボツにしたんでしょ? なら公開してもいいじゃないのよ? 》《え?クビにした人のプランですよね》身から出た錆、と組織委員会に対する世間の視線は冷ややかだ。「不採用になった案を“勝手に公開していい”という機密保持契約はほとんどないでしょうから、情報の漏洩がに批判が集まるのは仕方ないでしょう。しかし、これだけの報道があった後『MIKIKOさんの企画案を一度ボツにしたにもかかわらず、やっぱりその案を切り貼りして開会式を行おうとしていたんだ』と、組織委員会の自分勝手な行動が推測されてしまった。火に油を注ぐ形になってしまいましたね」(社会部記者)この状況下、はたしてどのような開会式が開催されるのだろうか――。
2021年04月02日羽生結弦選手東日本大震災から10年。特別な思いで迎えているのがフィギュアスケートの羽生結弦選手だ。■被災地や被災者に寄り添う羽生結弦選手当時、16歳の羽生選手は故郷・仙台市にあるアイスリンク仙台で練習中に被災、避難所生活を送った。練習リンクは大きな被害を受けた。「このままフィギュアスケートを続けられるのか」。不安を抱えていた。震災前年にジュニアのグランプリファイナルと世界選手権を優勝。次代のエースとして期待が集まるなか、羽生選手は練習環境と復興支援目的のために全国のアイスショーに出演して競技を続けた。17歳からは拠点をカナダに移したが、アイスリンクの復興支援キャラクター「アイリン」の手袋をはめて練習してPRにひと役。人気となり品切れになるほどだった。折々には被災地や被災者に寄り添う発言をしている。19歳でソチ五輪金メダルに輝いた際は「希望であったり、みなさんの応援の象徴になったらうれしい」平昌五輪では66年ぶりの連覇を達成。快挙に仙台で凱旋パレードが行われ、国民栄誉賞を受賞した。「まだまだ復興に課題があるなかで、手助けになるような行動をしていきたい」■“共に、前へ”の思いを伝える展覧会10年の節目に『羽生結弦展 共に、前へ東日本大震災 あの日、そして今』が仙台で26日から開催(事前予約制)されている。東京での開催はすでに終了し、仙台のほか今後は大阪、宮崎を巡回する予定だ。“共に、前へ”踏み出せるようにと願う羽生選手の思いを伝える展覧会で、「羽生選手自身の避難所での体験や被災地で出会った人たちとの“あの日”と“今”を伝えるとともに、震災の風化が進むなかで、改めて震災について考え、防災への意識を高める機会になればと思います」と関係者。会場入り口には「自分が持っているものを一生懸命やるっていうのが、僕の勇気の出し方かな」と羽生選手のコメントが紹介されている。■4年ぶりに世界王者を奪還できるか3月22日からはスウェーデンのストックホルムで、新型コロナウイルスの影響で中止された世界選手権が2年ぶりに開催を予定している。昨年末の全日本フィギュアスケート選手権で合計319.36点をマークし、2位に35点近い差をつけて圧勝した羽生選手。全日本5年ぶり5回目の優勝に、特別な思いを口にした。「(コロナ禍での)医療従事者の献身ぶり、職を失ったり、お金が入らない生活で苦しい方々がいるなか、フィギュアスケートをやれることは恵まれている。少しでも自分の演技が、そのときだけ一瞬でも生きる活力になれたら」世界選手権2連覇中のライバル、ネイサン・チェン(米国)との対戦に注目が集まり、4年ぶりに世界王者を奪還できるのか。「優勝するためには、ミスをしないのがいちばん大切。全日本での完璧な演技での優勝は、ミスをしてはいけないことを証明してみせました。難易度の高いジャンプを組み込むかどうか。(基礎点の高い)ツッルを入れるのか。4回転アクセルに挑戦するのか。どう作戦を練ってくるのか楽しみです」(解説者の佐野さん)震災、コロナ禍と悲しみや苦しみに直面した人々に寄り添う羽生選手が、氷上で持てる力を表現し頂点に立つことは、多くの人の癒しとなり“風化させない”手助けと活力につながっている。
2021年03月01日女子1500メートルで3位になりメダルを手に喜ぶ橋本聖子(1992年アルベールビル五輪)東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の新会長に就任した橋本聖子。しかし、就任するや否や“7年前の黒歴史”が掘り起こされてしまった。その過去とは2014年にソチ五輪の打ち上げパーティーでフィギュアスケートの高橋大輔にキスをする“セクハラ行為”に及んだというもの。嫌がる高橋を前に1回や2回でなく「一度はじまったら収拾がつかない」ほどの熱烈ぶりだったという。現在も国際大会の会長に選出された彼女への追及は止まず、浅田真央に安倍晋三元首相との“ハグを強要”していた過去も報じられることに。改めて高橋大輔とのキス写真を確認してみる。よくもこんなに多くの人に囲まれているなか堂々とやったものだ。パシャパシャと写真を撮られるなか、周囲が引くくらいの濃厚ぶりをみせつけたあと、「口外しないように」と釘をさしたらしい。酒の力と当時の選手団会長という立場を利用した、まごうことなきセクハラ&パワハラである。要職に就くと私利私欲のために権力を行使してしまう習性は男女平等か。聖火にちなんで聖子と名付けられ、スピードスケートと自転車競技で夏冬あわせて7度の五輪に出場。オリンピックにすべてを捧げたストイックさから「五輪の申し子」と呼ばれた橋本聖子。セクハラの一件が発覚する前の彼女といえば、選手と議員を両立させたり、結婚後は6人の子の母(うち3人は夫の連れ子)として育児もこなすママ議員のパイオニア的存在だった。産休を制度化させたことをはじめ、さまざまな政策にも取り組んできた。そんな彼女がなぜ大セクハラを働いたのか。今更ながら考えてみたい。その一因に彼女の、自らに対して“抑圧を課してきた半生”があるのではないかと思う。■ボーリングのピンを倒さないと殴る父橋本聖子、1964年北海道生まれ。父が家に帰ってきたら三つ指をついて「おかえりなさいませ」と出迎えなけばならないほど厳格な環境に育ったという。ボーリングの大会に親子ペアで出場すればまず一投目を投げるのは父で、子どもだった彼女が2投目の“スペアを狙いに行く”役まわりだったようだ。それでいて、ピンを倒せないと殴られたそう。実に不条理である。のちにインタビューで「父との生活で教えられた厳しさ以上につらいことはありませんでした」とも語っていた。スケート選手を目指しはじめてから、より一層日常はストイックに。身長156センチ、自力で酸素を吸うことが困難な「呼吸筋不全症」を患い、肺活量も少なかった彼女は尋常じゃない努力を重ねる必要があった。スクワットで150キロをあげるほどの超人になったかわりに失ったものは、いわゆる“普通の生活”と呼ばれるものであろうか──。《私、映画が大好きだったんです。と言っても、社会人になるまで映画館には行ったことありませんでした。スケート選手は映画館や喫茶店に入るべきではないと思っていたんです》(『週刊現代』2003年11 月8日号)なぜスケート選手は茶をしばくことさえ許されないのか、理屈は全くわからない。逆になぜボーリング場はアリだったのかも気になるが、ともあれ、同学年の女子と大きく異なった生活ぶりだったことがわかる。■高橋大輔は“初恋の人に似ている”むろん、社会人になった後もストイックぶりは変わらない。32歳まで続けた現役アスリート時代は富士急行に勤めながら、1日6時間を練習に費やした。むろん、恋愛などしている暇はない。《就寝はだいたい21時を心がけていましたから、飲み会に行っても一次会で帰ってたんですよね(笑)。だから選手時代は恋愛とはまったく無縁でしたね。なかには交際している選手もいましたけれど、「恋にトキめいている姿なんか、私に似合うはずないじゃない…」、そんなふうに自分で決めつけていたところがあったのかもしれない」》(『SAY』2003年3月)自制がきいて、酒に飲まれず、かつ奥手なこの子がまさか後に公衆の面前でパワハラキッスとは……。人は変わる。というか、緩むのか。そんなこんなで1998年に議員に当選、まもなく電撃婚を果たすと次はママに。選手であり、議員であり、妻であり、母であり……。何足のわらじを履くのだという話だが、もともとスポーツ以外は経験不足な点が多かったにも関わらず彼女の人生はとにかく目まぐるしい。子どもにも忙殺される日々が続いたという。そして、日本スケート連盟の会長になったのが2006年。ついに高橋大輔と出会う。『女性自身』には当時の高橋への傾倒っぷりをあらわす自民党関係者の証言が報じられた。《女性議員の会合で、橋本議員は『大輔は、高校時代のときに憧れた初恋の先輩に似ているのよね』と、高橋選手が好みのタイプだと自ら告白していました。酔っ払っては会話のなかで「大ちゃんは」「大ちゃんは」と連呼し、うっとりしていたそうです》──青春が遅れてやってきたのである。幼いころから自らに課してきた抑圧から解き放たれたそのとき、彼女の心はJKに戻ってしまったのかもしれない。そのファンぶりは相当なもので、他の選手そっちのけで「大ちゃんの演技だけはちゃんと見なきゃ!」状態だったそう。長らくストイックに生きてきた彼女がようやく見つけた心のオアシス。それが大輔。“会いに行けるアイドル”の追っかけをやる分にはまだいい、問題は当時の橋本がプロデューサー的、つまり秋元康の立場であったことだ。“アイドルにお熱な秋元康”……これはまずいだろう。乙女の心、そして欲望を実現できる権力とが兼ね備わった結果、セクハラ大臣が爆誕したのである。現在もセクハラ・パワハラの“余罪”はところどころで報じられているが、2014年までこの実態が表面化しなかったのはなぜか。それは「職務もしっかりこなす」一面も併せもっていたからだと思われる。2010年、スノーボードの國母和宏が選手団の正装を着ながらワイシャツを外に出し、腰パン状態だったのを記者に問われ「ちっうっせーな」「反省してま〜す」とかましたのはバンクーバー五輪のこと。スキー連盟から出場辞退を申し入れられた彼を指導し、改心させたのが選手団団長の橋本だった。のちのインタビューでその時の心境を《学校で悪さをした子どもを引き取りにいく心境ですよ》と回想し、愛ある説教は《まさに息子に怒っている感じ》だったと熱弁してみせる(『週刊文春』2010年6月24日号)。それから4年後。高橋大輔への泥酔キスを「なぜしてしまったのか」について、周囲にこう言い訳をしていたと『文春』が伝えている。《息子に、ママのところに来なさい、という思い。最初は嫌がっていたが、その後はそんなことなかった》(2014年8月28日号)女性であることに頼り、ママを言い訳に使う時点で、ジェンダーレスがうたわれる世界基準からは程遠い。今回のオリンピック、マスコミが注視すべきは閉会後の打ち上げである。〈皿乃まる美・コラムニスト〉
2021年02月27日「会長選びについて、菅義偉首相(72)は『もっと若い人はいないのかね』『女性から選ぶことはできないか』と2点注文したそうです。それが“天の声”となって、大会組織委員会では『それなら橋本さんしかいない』と意見がまとまったのです」そう語るのは、政治評論家の有馬晴海さんだ。2月18日に東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長への就任が決定した橋本聖子氏(56)。しかし 、同時に’14年の高橋大輔選手(34)とのキス事件が世界に拡散。ソチ五輪後の打ち上げで起きたという“セクハラ”疑惑が再燃しているのだ。「『週刊文春』’14年8月28日号によると、橋本さんが高橋さんにキスを迫ったとのこと。キス写真も掲載されていたことから、『セクハラだ』と問題視されました。当時は高橋さん本人がセクハラ被害を否定したこともあり、騒動は鎮火しました。しかし今回再び注目が集まり、海外メディアでも報じられる事態になっています。森喜朗前会長(83)が女性蔑視発言で辞任したこともあり、人事に疑問を抱く論調が多いようです」(スポーツ紙記者)そんななか、当の高橋選手は何を思うのか。本誌は実母・清登さんに話を聞いた。──当時はファンからクレームの電話などもあったそうですが、改めて当時の“息子さんへのキス”をどうお考えですか?「そんなこともありましたね(笑)。でも、もうとっくに終わったことです。そもそも、場を盛り上げるためにやったこと。大輔が何も思っていないのですから、私も同じように忘れます」憤りなど微塵もない“まさかの対応”を見せた清登さん。周囲がヒートアップしているのとは裏腹に、すでに“許して”いるようだ。それどころか、橋本氏に向かってこんなエールを送った。「私は橋本さんが会長に適任だと思っているんです。まず競技者だったので、選手の気持ちもよくおわかりになるでしょう。また子育てもしっかりこなしてきましたし、さらに大臣としても奮闘してきました。そんないろいろな経験をされた方なので、みんなを引っ張っていく場にふさわしいと思うんです。今はただでさえコロナでオリンピックもどうなるかわからない状況です。だからこそ、橋本さんのような方に頑張ってほしいです」息子が受けたセクハラ被害と、スケート界への尽力。そんな恩讐を超えて応援する高橋の母からの期待に、橋本新会長は応えることができるのだろうか。「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月22日Hanako本誌の人気連載「LOCKER ROOM」で紹介しきれなかった写真&こぼれネタをご紹介。今回は1193号から、スケートボード・平野歩夢選手。今回、『LOCKER ROOM』に登場してくれたのは、ソチ五輪、平昌五輪のスノーボード「ハーフパイプ」で2大会連続銀メダルを獲得した平野歩夢選手。現在はスケートボード「パーク」での東京五輪出場を目指し、スケートボードとスノーボードの二刀流の道をひた走る。多忙を極める中、取材に対応してくれた平野選手。練習拠点の『村上市スケートパーク』にオジャマすると、ボウルセクションを想像以上のスピードで滑り、軽快にトリックを決める平野選手を目撃。間近で見ると迫力はケタ違いで、本誌スタッフもクギ付けに!さらに今号では、現在放送中のスケートボードを題材にしたTVアニメ『SK∞ エスケーエイト』とのコラボ企画も行われ、主要キャラクターの声を務める声優の畠中祐さん&小林千晃さんとのリモート鼎談が実現。インタビューが始まると、平野選手は声優キャストふたりからの問いかけに気さくに答え、男子トークで盛り上がる。試合で見せるクールで大人びた表情とは違う、22歳のチャーミングな笑顔がハジけていました。・Birthday…1998/11/29・Blood type …O・Height…165cm・Birthplace…NIIGATAひらの・あゆむ/プロスノーボーダー。2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪のスノーボード「ハーフパイプ」では2大会連続で銀メダルを獲得。現在はスケートボードの練習も本格的に行い、2019年のスケートボード日本選手権では初優勝に輝く。(photo:Takahiro Setsu text&edit:Naoko Sekikawa)
2021年02月01日今夏に延期された東京五輪・パラリンピックまで残すところあと半年。未だ終息の兆しが見えないコロナ禍で開催も危ぶまれるなか、橋本聖子五輪相(56)の発言が非難を浴びている。26日に行われた衆議院予算委員会でのこと。立憲民主党の辻元清美議員(60)が予算に「Go To」事業の計上中止し、医療拡充に回すことなど政府のコロナ対策を追及。その流れで、橋本大臣は東京五輪の開催に必要な医療スタッフについて「1人5日間程度の勤務をお願いすることを前提に、大会期間中1万人程度の方に依頼をして医療スタッフ確保を図っている」と答弁した。いっぽうで橋本大臣は連日、医療従事者が新型コロナウイルス対応に追われている状況から「地域医療に支障が生じてしまってはいけない」とも述べ、「大会に協力する医療機関の負担軽減の検討も含め、準備を進める」とも語っていた。五輪開催中の医療スタッフ確保に自信をのぞかせた橋本大臣だが、状況は決してよくない。1月26日時点、東京では入院・療養調整中の人が5,540人、重症者数は148人と過去最多レベルを記録(ともに東京都のHPより)。医療体制は依然、逼迫しており、一部では“医療崩壊”を指摘する声も出ている。感染者数も東京で1,000人を下回る日はあるものの、予断を許さない状況であることに変わりはない。そんな希望の兆しが見えない状況下での、橋本大臣の発言にはSNS上から批判が相次いだ。《本気ですか?これ以上医療現場に負担をかけないで下さい。やめてください。》《絵に描いた餅の「1万人」だと思いますよ。1万人の動員力が本当にあったら、コロナ医療だってもうちょっとまともにできるでしょう。》
2021年01月27日2018年に現役を引退し、今年7月に女優に転身したソチ五輪ペアスケーティングの元日本代表の高橋成美(28)だ。3歳でフィギュアスケートを始め、小学校5年生のときに師事する都築章一郎コーチ(82)のもとで、羽生結弦(25)と出会い「五輪の金メダルをとりたいね」と夢を語りあった彼女。3歳年下の“親友”にも引っ張られ、トップスケーターとして高橋成美は頭角をあらわしてくる。■駆け足で成長する羽生に嫉妬は感じなかった仙台市にある都築コーチのもとで半年ほど過ごしたのち、再び中国へ。12歳のときにペアへ転向し、“中国での全国大会”に出場すると6位入賞と才能が開花した。だが突然「中国に国籍に変えない限り、もうリンクには上げられない」と中国フィギュアスケート協会から通告される。将来の中国代表の強力なライバルを育成するわけにはいかないという判断が働いたのだろう。失意のなか、中学2年生の終わりに帰国を余儀なくされた。日本にはペアが練習できる環境は少なく、千葉の学校に通いながら、当時、横浜市で指導していた恩師の都築氏の元へ通った。そこで、中学生になった羽生と、久しぶりの再会を果たす。「ゆづはすごく身長が伸びていて、ダブルアクセルが大得意で、トリプルアクセルの習得の最中でした。まだかろうじて私の方がジャンプが上手で、いろいろ聞いてくれたんですけど……。1年も経ったころには、5種類のジャンプを全部飛べるようになっていて」駆け足で成長していく羽生。トップアスリートらしく“負けず嫌い”の性格を自認している高橋成美だが……。「でも、ゆづに対しては、昔から不思議と悔しい気持ちを感じたことがありません。逆に『私も頑張らなきゃ』っていつも思わせてくれるんです」3歳年下の羽生に感じたのは憧れにも似た気持ち。幼少期から羽生がエフゲニー・プルシェンコに憧れていたのは有名な話だ。「ほかにも好きな選手がいたけれど、ゆづがプルシェンコと言ってからは、私も彼一筋になって(笑)。男の子だったら、私もマッシュルームカットにしてたくらい。ゆづが、『モンスターハンター』(ゲームの名前)を始めたら、私もすぐにハマりましたね。それから、私はもともと首にかけるファイテン(磁器ネックレス)を愛用していたんですが、その効果を共有できるのもゆづでした。当時から『これ体軽くなるよね』とかも話していましたね」■アイスをほお張りながら「太らなくていいね」と羽生は14歳にして世界ジュニア選手権に出場し、世界の舞台で戦うようになっていた。「そのころ、ゆづは金のラインが入った日本代表ジャージを着ていて、それをなかなか脱ぎたがらないんですけど(笑)。そのブカブカなジャージのままアクセルを飛んでしまう。ゆづが飛ぶと、みんな見るんですよ、一般の人も。『あの子すごい』って、なるくらい目立っていました」ジュニアになり羽生は、ストイックに自分を律していたという。「試合後のバンケット(打ち上げパーティー)も、顔は出しますが、すぐに静かに自室に戻っていく。私も真似をして、そっと自室に戻って。そこで1人で『モンハン』していました(笑)」10代の少年らしいかわいい素顔をのぞかせることも……。「横浜時代、『なるは何食べても太らなくていいな』ってゆづは言うんです。大きなソフトクリーム食べながら(笑)。『それはゆづでしょ。私は気を付けているよ』って」中国語、英語、スペイン語など、五カ国語を話せる彼女。羽生が練習拠点をカナダへ移す前には「英語をどう勉強すればいいの?」と、相談された。「『いっぱい(英語)喋ればいいよ』とか『最初はスケートの言葉とかを喋って。Why?とかだけ覚えれば大丈夫』とか軽く流してしまった気が……。ゆづは頭もいいし、いろいろなセンスが本当にあるのは知っていたので、“どうせ大丈夫でしょ”と思ってたんでしょうね(笑)」一方、ゆづのアドバイスに救われたことも……。「アイスショーで一緒になったとき、滑る直前に『サルコウが不安なんだよね。どうやったら飛べるの?』って聞いたら、『シュッとやったら飛べるよ』と言われて(笑)。それで本番でシュッとやってみたらきれいに飛べて。きっと考えすぎだったんでしょうね」■平常心を保つため五輪にガンプラを持参2014年、ともにソチオリンピックに出場を果たす。「結団式では、『このお菓子おいしいね』みたいな何気ない話しかしませんでした。メダル候補として、ゆづに沢山のプレッシャーがかかっていたのも知っていましたから」自らは、木原龍一(28)とのペアで出場。コーチから「平常心を大切に」とアドバイスを受けた。「夢のオリンピックですが、それを意識しすぎると、日ごろのパフォーマンスができません。『これは一つの試合に過ぎない』と思えるように、私はオリンピック村に、ガンダムのプラモデルを持っていって、それを作って平常心を保とうとしました」団体戦で日本は5位。ペアでは18位と、メダルには届かなかった。「自分たちの出番が終わった後、練習拠点のデトロイトに戻らないといけなくて。世界選手権が迫っていたので、練習しないといけなかった。リンクにあるテレビで、スケーター仲間たちとゆづを応援しました」羽生は、アジア人男性初の金メダルを獲得した。小学生のころ、ともに語り合った夢を叶えたのだ。【PROFILE】高橋成美1992年千葉県出身。3歳からフィギュアスケートを始める。マーヴィン・トラン(カナダ)とのペアで2012年に世界選手権3位。2014年、木原龍一とのペアでソチ五輪に出場。2018年に現役を引退。今年7月に松竹芸能に入り、女優業を開始。慶応義塾大学総合政策学部に在学中。「女性自身」2020年10月13日号 掲載
2020年09月29日「聞こえました。特に成美ちゃんの声が。本当に心強かった」。2014年のソチ五輪団体戦で、伝説となった完璧な演技のあと、羽生結弦(25)はこう語った。羽生が言う“成美ちゃん”とは、ともにソチ五輪を戦っていたペア代表の高橋成美(28)のこと。じつは遡ること約10年、2人は五輪の夢を語りあったことがあるという。2018年に現役を引退し、今年7月に女優に転身した彼女がスケート人生の原点を語った。■姉の背を追って3歳でスケートをはじめた「小学生のころ、ゆづ(羽生結弦)と2人で『オリンピックで1位になる』と夢を語り合いました。周囲に言うと、『はいはい、出るだけで大変なんだからね』と諭されたけれど、ゆづと2人だと『金メダルを目指すのは当たり前だね』という気持ちになれた。私は五輪のメダルは取れなかったんですけど、その約束があったから、高橋成美なりに頑張ってこれたと思います」148センチの小柄な体から、ハキハキと明瞭に言葉を紡ぐのは、フィギュアスケートのペアで活躍した高橋成美だ。当時、日本ではあまり知られていなかったペア競技で、2012年には、世界選手権で日本代表初の銅メダルを獲得する快挙を成し遂げた。2014年のソチ五輪では、羽生結弦(25)、高橋大輔(34)、浅田真央(29)ら、“レジェンド”と共に日の丸を背負う夢を実現させた。2018年に選手を引退。慶應義塾大学に通いながら、今年7月、第二の人生「女優」の道を歩むことを発表し話題を呼んでいる。「3歳でスケートを始めました。やんちゃすぎる私を、親が、少しでも女性らしくとフィギュアスケートを選んだんです。でも小さい頃は、モーニング娘。が大好きで、スケートよりアイドルになりたかったんです」そう笑う彼女だが、スケートの神様は彼女の小さな体にありったけの才能を詰め込んでいた。恐いもの知らずで、ジャンプに果敢に挑戦し、軽々と飛んで周囲を驚かせたという。小学4年生のときに父の転勤で中国の北京に移住。ペア大国の中国で、憧れの選手と一緒に練習する機会にも恵まれた。5年生になり一時帰国したとき、単身、恩師である都築章一郎コーチ(82)の仙台市の自宅に下宿をして学校と練習に通った。ここで出会ったのが、同門の練習生だった3歳年下の羽生だ。「小学校も同じ学校。練習生のなかでも、特にゆづと私がやんちゃで、いつも一緒に走り回っていました」■ゆづとやった“葉っぱ隊”の踊り親や姉妹とも離れての“スケート修行”。共に過ごす仲間は、高橋さんにとっての家族のようなものだ。その中でも、“ゆづ”とは特に気が合った。「やんちゃな“ゆづなるコンビ“でいろんな遊びをしました。当時、人気だった『笑う犬の冒険』(フジテレビ系)というバラエティ番組が2人とも大好きでした。リンクの製氷中に、一緒にこの番組の“はっぱ隊”の踊りの真似をしたり、リンクにいるお姉さんの前で『いいから、いいから〜』(テリー&ドリーというコントのセリフ)とやって笑わせたり……。“お馬鹿”なことをするのはいつも“ゆづなる”だったんです」スケート場では鬼ごっこも楽しかったと笑う。「鬼ごっこでいろいろなエッジワークを使うし、走り回るので自然にスピードも速くなりいい練習になりました。先生もあたたかく見守ってくれていました」指導する都築氏も、無邪気な2人を可愛がってくれた。とはいえ、なぜかいつも怒られるのは、自分だけ。「リンクで遊んでいても、ゆづは怒られないのに、なぜか私だけ怒られて……。何度も怒られるので、『なんでゆづはいいの?』と、都築先生に聞くと、『結弦はできるだろう』って言われて、『確かに!』と思って(笑)。そこで、私もジャンプや新しいスピンとかができるようになったとき、都築先生に『遊んでいいの?』と聞いたんです。そしたら、『結弦は何歳だと思ってるんだ』って……。『確かに!』ですね(笑)」3つ年下の羽生には、その頃からカリスマ性があったと振り返る。「大親友のゆづと、氷上での羽生結弦は別人格だと、このころから思っていました。彼がいると場が明るくなる。誰かに注目されたり試合になると、ふだん以上の力が出せる恵まれた力を持った子だと思っていました」【PROFILE】高橋成美1992年千葉県出身。3歳からフィギュアスケートを始める。マーヴィン・トラン(カナダ)とのペアで2012年に世界選手権3位。2014年、木原龍一とのペアでソチ五輪に出場。2018年に現役を引退。今年7月に松竹芸能に入り、女優業を開始。慶応義塾大学総合政策学部に在学中。「女性自身」2020年10月13日号 掲載
2020年09月29日2018年に現役を引退し、今年7月に女優に転身したソチ五輪ペアスケーティングの元日本代表の高橋成美(28)。3歳でフィギュアスケートを始めた彼女は、同門の“三歳年下の親友”羽生結弦(25)からの刺激もあり、五輪出場という夢を叶える。引退した彼女が新たに選んだ戦場は、“女優”というまったく違う世界だった。元トップアスリートが明かす新しい挑戦の理由。■ゆづから学んだ「人を喜ばせる幸せ」ソチ五輪出場から6年ーー。高橋成美は女優という新たなチャレンジをはじめている。「アイスホッケーもやってみました。本当に楽しかったけど、何か足りない。それは何かと考えてみたら、“表現”だと。人前で自分が表現をしたことに誰かがリアクションをしてくれたり、心に響いたり、それがいちばんの幸せや達成感を感じられることに気づいたんです」そこにも羽生の影響がある。「ゆづは『スケートが好き』『注目されるのが好き』というので、スケートを始めたんだと思います。でも、成長するにつれて、自分だけじゃなくて、みんなのため、応援してくれる人のために、滑っていくようになった。そんなゆづを見て、心を動かされて……。スケートは自分のためという思いが大きかった私ですが、ゆづの成長する姿を見て、私も誰かを喜ばせることに、幸せを見出すようになったんです」夢は「カメレオン役者」だ。元々スケーターとしても、プログラムごとに“成りきる”ことに定評があった。映画『パラサイト半地下の家族』の父役のソン・ガンホの存在感に衝撃を受けた。「私自身は、町を歩いていてもなじめる普通のタイプだと思っています。だからこそ、ソンさんのように日常の中にいそうだけれど存在感のある俳優になりたい。そして与えられた役ごとに本気で取りくんでカメレオン役者といわれたら、いちばんの誉め言葉です」週に2回、レッスンにも通っているが、フィギュアと芝居との違いも感じている。「体での表現と、お芝居の言葉を使っての感情表現は、似て非なるもの。振り付けを覚えるのは得意ですが、セリフの暗記が難しい。そこで、振りをしながらセリフを覚えてみると、すぐに体にも頭にも入ることを発見しました」■日本の文化を世界に発信していきたい大好きなアニメの声優の仕事や、語学力を活かした仕事もしたいと考えている。「第二の母国語の中国語や、英語などを活かして、日本文化を世界に発信していきたいんです」学業や女優業と並行して、コーチとして後輩の育成も行っている。「ゆづが次のオリンピックに出るときに、私が携わるペアの子のコーチとして一緒にオリンピックにいけたら、夢のようですね」年下の憧れの人、羽生結弦。彼の存在があったから、頑張ってこられた。「本当に高く昇っていくので、私も懸命に追いつこうとしたら、高橋成美なりの高い位置にまで上れました。感謝しかありません」ゆづから多くの影響を受けてきたが、恨んでいることも……。「ゆづはイヤホンにすごいこだわりを持っていて、曲やTPOにあわせて使い分けてるんです。私もその影響を受けてハマっちゃって……。お金が貯まるとイヤホンを買ってしまう。これだけは、ゆづに憧れなきゃよかったですね」そう言うと、氷上で多くの人を魅了したとびきりの笑顔で笑った高橋成美。近い日に、別の舞台でその笑顔に出会えるかもしれない。【PROFILE】高橋成美1992年千葉県出身。3歳からフィギュアスケートを始める。マーヴィン・トラン(カナダ)とのペアで2012年に世界選手権3位。2014年、木原龍一とのペアでソチ五輪に出場。2018年に現役を引退。今年7月に松竹芸能に入り、女優業を開始。慶応義塾大学総合政策学部に在学中。「女性自身」2020年10月13日号 掲載
2020年09月29日ユリア・リプニツカヤ「現役時代とは、まったく違う立場のコーチは、とても面白いですが、難しいと感じています」こう語るのは、ソチ五輪フィギュアスケート団体金メダリストのユリア・リプニツカヤ(21)。■「コーチ」としての難しさ代名詞“キャンドル・スピン”に象徴される柔軟性と高いスケーティング技術で、世界を魅了した15歳の少女は、ケガの影響などもあって19歳で現役を引退。その後は、フィギュアスケート養成機関『アカデミー・オブ・チャンピオンズ イリニフ-リプニツカヤ』を設立、指導者としてロシアをはじめ日本、ノルウェー、ルーマニア、メキシコなど世界各国を訪れて、教えている。昨年に続いて、フィギュアスケート教室のために来日。東京、大阪で指導したほか、福島でチャリティーイベントを開催し、忙しい合間を縫ってインタビューに応じた。選手時代との違いについては、こう語る。「選手のときは、ジャンプやスピンといった技をひたすら練習して、コーチやトレーナーの指示を遂行することが大切でした。教える立場というのは、技術を教えるだけでなく、いろんな選択肢を持っていなくてはいけない。そのうえで、技量のレベルや年齢といった違いなど、その人の状況によって、何が最適なのかを見極めて、指導することが重要だと思います」■「私の学校を作りたい」師事したエテリ・トゥトベリーゼは、平昌五輪金メダリストのアリーナ・ザギトワ、今シーズン表彰台を独占するアリョーナ・コストルナヤ、アンナ・シェルバコワ、アレクサンドラ・トゥルソワの3選手を育てた名コーチ。そういったコーチからの影響はあるのだろうか。「自身が指導を受けているときには、コーチからの情報を選手として受け止めます。そして、自身が指導者として道を歩き始めたとき、コーチから言われたことを思い出し、それを活用し、また自身で必要だと考えることをつけ足しながら新しいことも試していきます。幸いにも私は多くの素晴らしい指導者から指導を受けました。それは今の私個人にとって、とてもありがたく尊い経験であり、現在の活動にもとても役立っています」いずれは“第2のリプニツカヤ”を育てたい?「そのような目的はありませんが、将来、モスクワに自分たちの(スケート)学校とチームを立ち上げられたらと思っています。その場合は、ロシア人選手だけでなく、世界中の選手たちを受け入れるつもりです。だからこそ、今の私たちが行っている、すべての活動が大切です。ロシア国内、またあらゆる国で開催させていただいているスケート教室などは、私にとって重要かつ非常に大きな経験となっています」教室には初心者から競技上級者まで幅広いフィギュア経験者が参加している。「どの国でもそうですが、フィギュアが好きで参加してくれていることをうれしく思いますし、そういう方たちからの質問には、最大限わかりやすく伝えることが仕事だと思っています。全日本に出場するような方もいて、私たちのプログラムに興味を持ってもらえたことも、うれしかったことのひとつです」日本滞在中の楽しみは?「東京だけでなく、いろんな街を散歩して、その景色を見ることです。日本食は、寿司が好き。ネタはトロ、サーモンがお気に入りです」ファンへのメッセージには真摯な姿がにじむ。「日本で私たちの活動に関心を持っていただき、また支えていただいていることに、とても感謝し、本当にうれしく思っています。レッスンでみなさんとお目にかかり、質問に答え、できる限り力になることにいつも喜びを感じています」昨年は、アイスショー『氷艶』に出演、華麗な演技を披露した。今後の予定は?「日本でアイスショーに出演する機会があれば喜んで、また来させていただきます」コーチ、プロスケーター、新たなフィールドでも輝きを放ってほしい。ユリア・リプニツカヤ/1998年6月5日、ロシア生まれ。4歳からフィギュアスケートを始める。世界ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナル、欧州選手権で優勝。世界選手権&グランプリファイナル銀メダル。ソチ五輪団体金メダル『アカデミー・オブ・チャンピオンズ イリニフ‐リプニツカヤ』、ユリア・リプニツカヤに関する問い合わせは、EU JAPAN SPORTSまで。
2020年03月15日見るたびに、ため息が出そうになる羽生結弦(25)の優雅な立ち姿。だが、それは名伯楽の秘密のレッスンあってのものだった。「美姿勢をつくるエクササイズ」で、ゆづのように美しい姿勢を手に入れようーー。「結弦がつねに心がけているのが美しい姿勢です。ふだんの姿勢の悪さは、試合でのジャンプの出来にも大きく影響します。美姿勢を保つことも、彼の戦いなんです」そう語るのは、羽生結弦(25)が小学校2年生の時から、体のケアをしてきた元専属トレーナーの菊地晃さん(63)。2月7日、韓国・ソウルで行われる「四大陸フィギュアスケート選手権」で人類初の4回転半ジャンプに挑む羽生。なぜ姿勢がそれほどまでに大事なのか?「結弦のジャンプがほかの選手と違うのは、回転軸がぶれずに高速で回れること。そのためには、頭のてっぺんが糸で引っぱられているように背筋が伸び、骨盤が適度に前傾している美しい姿勢を維持しなければなりません。結弦のように、長い手足を持つ選手は本来軸がぶれやすい。でも、ふだんから正しい姿勢をとることで、試合の激しい動きの中でも、ほとんど意識せずに、軸を安定させられるのです」(菊地さん・以下同)日常からの“美姿勢”があの素晴らしい演技の秘密なのだ。“でも、私はゆづのようにアスリートでもないし、関係ないわ”と思ったそこのあなた、美姿勢は一般の人にとっても、生活を豊かにしてくれる大切なものだ。「背筋を伸ばすだけで見た目が10歳以上若く見えます。逆に姿勢が悪い状態が続くと、全身の血流が悪化し、肩こりや腰痛、疲労などさまざまな不調を招く。美しい姿勢は、体の外も内も美しくしてくれるのです」実際に羽生が行ってきたもののなかから、美姿勢をつくるのに役立つ運動を、“ゆづの思い出”と共に、菊地さんに教えてもらおう。美姿勢のためには、体幹の強化が欠かせない。■美しい姿勢を保つ「体幹アップ・スクワット」(1)壁を背にしてまっすぐ立つ。両足は肩幅に開き、頭、腰、かかとは壁につける。(2)息を吐きながら、壁を支えにひざが120度になるところまでゆっくり腰を下ろす。息を吸いながら元の体勢に戻す。1日10回を目安に。■体幹をしなやかにする「自転車こぎ腹筋」(1)あおむけになり、両手を後ろに組む。(2)息を吐きながら、自転車をこぐように両足を交互に伸ばしながら、ゆっくりと上げる。真上にきたところで、息継ぎをして、息を吐きながらゆっくりと下げる。5秒ほどで1セット。1日3回。「おなかの中心をコルセットのように取り囲んでいる腹横筋や、背骨を固定させる多裂筋など、体の深部にある筋肉を鍛えることで、背中が丸まるのを防げます。ジュニア時代の結弦が実践していたのが『体幹アップ・スクワット』と『自転車こぎ腹筋』のトレーニング。『きついよ!』と文句を言いながら、いつまでも続けていました」姿勢は、疲労や長時間座っていることなどでも、すぐに乱れる。そんなときは、次の運動が効果的。■頭を正しい位置に持っていく「姿勢矯正ストレッチ」(1)背筋を伸ばして椅子に座る。(2)頭を後ろに傾け、首を伸ばす。(3)首を伸ばしたまま、頭をひっぱり上げられるようにゆっくり立ち上がる。(4)ゆっくり首を戻す。立ったまま、ふたたび首を後ろに傾けて伸ばす。その状態で椅子に座り、首を戻す。この一連の動作を1日7回ほど行う。「試合会場に向かうバス移動だけで、姿勢が歪むことがあります。そのままでは演技のキレがなくなり、本来のパフォーマンスを十分発揮できません。ソチ五輪の本番前、結弦に姿勢の乱れがあったので、『姿勢矯正ストレッチ』をさせました。結弦は『なんで?』という顔をしていましたが『だまってやれ!』と(笑)。姿勢が悪くなると、首が本来の位置ではなく前に傾きます。そのため首の筋肉が硬くなります。そのコリを解消しながら、首を正しい位置に戻すのです」羽生の精神力の強さにも「美姿勢トレーニング」が生きていると、菊地さんはこう語る。「不安だったり、逆に意気込みすぎたりすると、骨盤が後ろに倒れてしまい姿勢の悪化を招きます。2連覇がかかった平昌五輪では、結弦の骨盤の位置が少しずれていました。本番前の結弦に指示したのが『菊地流腹筋』の運動です。本人もちょっとした体の異変を感じていたようで、黙々と続けていました」■骨盤の歪みを解消する「菊地流腹筋」(1)テーブルなどに手をつき、背筋が伸びるように、足をテーブルから離す。手の幅は肩幅に。(2)息を吐きながら、足を内側にねじりながら引き上げる。同時にひじを曲げる。息を吸いながら、最初の姿勢に戻る。右足と左足を交互に、計4回ほど行う。「体を大きくねじることで骨盤の位置が整い、背筋がスーッと伸びます。気管が広がり呼吸が深くなるリラックス効果もあり、自信をもって演技に臨めたのです」あんなジャンプはできないけれど、菊地さんの「エクササイズ」で、ゆづの美姿勢を手に入れよう。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月07日朱塗りの春日灯籠が並ぶ貴船神社本宮の表参道。神秘的な空気が流れ心が浄化されていく日本には八百万の神様がいらっしゃいます。数えきれないほどの神様は、それぞれに個性があって、それぞれに得意分野があります。せっかく願かけするのですから、願いを聞き届けてくださる、最高パワーの神様のいらっしゃる神社に詣でましょう。どこの神社に参拝すればいいのかを、神仏探偵の本田不二雄さんにガイドしてもらいました。そこに行けば、きっとあなたの願い事も届きますよ!!◆◆◆今から、あなたの願いを叶えてくれるかもしれない神様を紹介しよう。金運の神様、健康運の神様、恋愛成就の神様はどこの神社にいらっしゃるのかが、この記事を読めば、もうばっちり。でも「へえ、そこの神社にお参りすればいいんだ」と形式的に参拝するだけでは、神様も本気になってくれません。大事なのは神様とお近づきになること。「神様とコンタクトをとり、ご神縁を結ぶことで、あなたの願いを受け止めてくれるのです」(本田さん)では、どうやったら神様と縁を結ぶことができるのか、教えて!本田さん!!■神様のパーソナリティを理解しよう神社にお参りするときは、独特の作法があるのは知っていますよね。参道は端を歩く、鳥居をくぐる前に本殿に向かって一礼をする、手水で心身の汚れを落とす、神様へのご挨拶の基本は二礼二拍手一礼……ついつい、こうしたことに気をとられてしまいがちですが、「あまりとらわれる必要はないのですが、ひとつだけ守ってほしいのが、参道をちゃんと歩くこと」(本田さん、以下同)ちゃんと歩くとは、一の鳥居、二の鳥居と順番にくぐりながら参道を歩くこと。「日常から、神様の鎮座する非日常の世界に向かうために、気持ちを整えるのが参道の役割です。境内が広いからと、近道するなどもってのほかですよ」参道を歩きながら、神様と縁をつなぐ喜びを感じ、わくわくと気持ちが盛り上がっていくのを実感するのが大事なんですね。「日本の神様は“隠身”といって、隠れていて、力だけ及ぼしてくる神様なんです。神社にお参りするからには、見えないけれど、ここにいらっしゃるのだと信じてほしいですね」。さらに、お参りするからには、神様のパーソナリティーも理解しておいてほしいと本田さんは言います。例えばイザナギとイザナミが夫婦神であると知っていれば、この2柱をお祀りしているから、縁結びの神社なんだとわかります。イザナギの左目から生まれたのが太陽の神様のアマテラスで、鼻から生まれたのが乱暴者のスサノオ。でもスサノオはクシナダヒメと結婚し子どもが生まれ孫も生まれます。「こういう神様だから、こういうご利益があるのだと理解できれば、神様の力を信じることができるでしょう」神社にお参りして、せっかく神様とご神縁を結べても、日常の生活に戻ってしまえば、神様を感じることもなくなります。そこでお守りの登場です。「お守りを通して日常的に神様とコンタクトができるから」。ご神縁が途切れないというわけです。■やっぱり金運が大事よねというあなたへ消費税も10%になり、家計もきつくなってきたこのごろ「やっぱりお金が欲しい」という人が急増中。金運のイチオシ神社は、3年続けていくと一生お金に困らなくなるといわれている金華山黄金山神社(宮城県)。日本最古にして最強の金運パワースポットとして全国に知られている。「牡鹿半島の南端に浮かぶ島で、島全体が聖地です。行くのは大変ですが、だからこそご利益も期待できるってわけです。苦労してご神縁を結べば、それだけご利益効果も期待していいと思います」。だからこそ、とっても不便なところなのに、全国からお参りする人が後を絶たない。人々が向かうは、弁財天をお祀りする奉安殿で、ここには銭洗い所があって、ざるを使ってお金を洗う作法が伝わっている。あなたも3年連続に挑戦してみない?ここだけでなく銭洗いができる神社は全国各地にあるが、品川神社(東京都)の境内には見逃せないお社が。「お稲荷さんを祀っているこのお社の横に湧き出しているのが、一粒万倍の水といって、印鑑や銭を清めると、万倍にもなって戻ってくるそうです。試してみる価値ありですよ」。三光稲荷神社(愛知県)の銭洗い池は、「このご神水でお金を洗うと倍返しだそうです」蛇信仰も金運・財運につながっている。「蛇は脱皮を繰り返して成長していくことから、財産が増えるイメージに結びついたのでしょう」。蛇窪神社(東京都)のお社には白蛇の像が巻きついていて、ちょっとユーモラスだけれど、迫力満点。岩国白蛇神社(山口県)は世界でもここだけの本物の白蛇の聖域。白蛇の袴(脱皮した皮)入りのお守りは人気が殺到。金運といえばお金。金属にまつわる神様を祀る神社では、まず聖神社(埼玉県)。奈良時代の貨幣の和同開珎ゆかりの神社で、拝殿に置かれた巨大なお金のモニュメントにまずびっくり。「銭神様と呼ばれているのですが、掲示板にはご利益のご報告が並んでいて、ご利益パワーを実感しますよ」。そして御金神社(京都市)のご祭神のカナヤマヒコは金属に関わる神様。「おびただしい金運向上の絵馬にまじり、収入アップありがとうございましたという、絵馬も目につきます」さっそく、お参りに出かけましょう。■人生を賭けた勝負に勝ちたいあなたへ新しいことに挑戦して、それを見事成功させたいなら、鹿島神宮(茨城県)にお参りすべし。「“鹿島立ち”という言葉があるのですが、その由来は、これから辺境の地に向かう防人や武士が、鹿島神宮に参詣したこと。また鹿島神宮に祀られている神様のタケミカヅチが、この地から日本国を平定していったという神話にあるといわれています。困難に打ち勝つ勝負運の力を持っているのが鹿島神宮の神様です」。勝負の神の幟がはためくのは秋保神社(宮城県)。オリンピック出場選手や楽天イーグルス関係者などが奉納した幟です。当社の勝負の勝守も人気。入登山神社(長野県)は標高が777メートルであることから、勝負ごとの神社として人気。「でも実は、江戸の昔から博打を打つ人がわざわざ山や谷を越えてお参りに来ていたとか。そのころから霊験あらたかな神社だったのでしょう」ちょっと面白い名の神社が皆中稲荷神社(東京都)。“みなあたるの稲荷”と呼ばれている。宝くじを買ったらお参りしておきたい。フィギュアスケートの羽生結弦選手がお参りして、ソチ五輪で金メダルを獲得したことでブレイクしたのが弓弦羽神社(兵庫県)。新キャラクターのゆづ丸に、あなたの願いを託しましょう。■出世したいあなたへ出世開運の神様として有名なのが、高麗神社(埼玉県)。「大正から昭和の前期にかけて、参拝者から6人もの総理大臣を輩出しています」そのご神徳にあやかりたいなら、“出世開運守”をいただいて。愛宕神社(東京都)の通称“出世の階段”は86段。ゆっくりでもいいから、振り返らずに一気に上ろう。豊臣秀吉を祀っているのが豊国神社(京都市)。太閤さんとご神縁を結び、立身出世と開運を祈願しましょう。■無病息災、健康を祈るあなたへ病気平癒を引き受けてくれる神様の中でも、多くの人が頼りにし、お願いに詣でるのが“石切さん”で知られる石切劔箭神社(大阪府)。「今でも“お百度参り”が熱心に行われています。でんぼ(腫れ物の)神様といわれ、おできから悪性腫瘍まで、人に害をなす腫れ物を神様の力で断ち切ってくれると信じられているんです」同じ大阪には、少彦名神社(大阪市)もある。「薬問屋が軒を連ねる道修町にあり、医療関係者や製薬会社の人も多くお参りしています」。ご祭神は医薬の神様のスクナヒコナで、さらに中国の薬祖神である神農神も一緒に祀られている。五條天神社(東京都)もスクナヒコナを祀っている神社だ。主祭神の大貴己命とは、オオクニヌシのこと。つまりオオクニヌシとスクナヒコナがご祭神で、この2柱の神様は、一緒に全国を旅しながら、国づくりを行ったほどの仲よし。だから力を合わせて、病気も治しててくれるに違いない。お守りはかわいい草履のストラップが人気で、足の痛み、腰の痛みが消えるように祈願されているそう。八坂神社(京都市)といえば、祇園祭。この祇園祭は、1000年以上も前の平安時代に疫病が流行したときに、災厄の除去を祈ったことがその始まり。つまりそんな昔から病気平癒の神社だったのだ。最近注目されているのが、西院春日神社(京都市)。平安時代に皇女が疱瘡の平癒を祈ったところ、春日の大神が石に病気を転移させて治したという話が残っている。それがなんと「この石が発見されたというのです」。霊石に病気治癒を託して祈れば、ご利益あり。今宮神社(京都市)のやすらい人形は、人形に厄を遷し病気を鎮める健康祈願。「赤い紙を折ったヒトガタに住所、氏名、年齢、性別を記入し、人形の真ん中にある、蘇民将来子孫也のお札を抜いてご奉納します」京都御所のすぐ近くにある護王神社(京都市)の祭神は、皇室存続の危機を救った和気清麻呂。「清麻呂は道鏡という僧侶からパワハラを受けながら、頑張ったんですね。パワハラなどの職難を落とし、仕事運を守護してくれる頼もしい神社です」■縁結びの神様、オオクニヌシは浮気者だった恋愛成就、縁結びの神様の代表は、イザナギとイザナミの夫婦神系、イザナギの鼻から生まれたスサノオと美しい妻のクシナダヒメ系、そしてスサノオとクシナダヒメの子孫になるオオクニヌシ系の神社に分かれる。オオクニヌシはスサノオの娘・スセリヒメを妻に迎えますが、気が多くて何人もの妻を持ってしまいます。でも仲直りしてからは、末永く一緒に暮らしたそう。それでオオクニヌシも縁結びの神様となったというわけ。さて、日本でいちばん有名な縁結びの聖地といえばオオクニヌシが鎮座する出雲大社(島根県)。ここで授与されている有名なお守りが赤と白の絹糸で作られた縁結びの糸。「糸を大切な人にも分けてあげることで、よいご縁が結ばれます」。恋人でなくても、末永く親しくお付き合いしたい人にも効果的だそう。氣多大社(石川県)もオオクニヌシをお祀りしていて、恋愛や願い事が叶ったという報告が7万8000以上もあり、今も増え続けているそうだ。日本で初めて神前式の結婚式が行われたのが、東京大神宮(東京都)。今、もっともホットな縁結びのパワースポットになっている。ここで人気なのが、結び札。神様とご神縁を結ぶことができる札だ。ペアの招き猫が参詣者の目を引く今戸神社(東京都)は、イザナギ、イザナミがご祭神。招き猫は商売繁盛が一般的だが、ここでは良縁を招く猫。カップルでお参りし、成婚できたという実績も数多あるそうだ。後に続きたいですよね。関東の名峰・筑波山は西の男体山にイザナギを、東の女体山にイザナミを祀る聖なるお山。筑波山神社(茨城県)の参詣は両参りするのが基本。2つのお社を参拝したら、「女体山本殿背後の天浮橋を渡ってください。良縁ポイントですよ」。叶神社(神奈川県)も2つの神社の両参りをすることで良縁に恵まれる。浦賀湾をはさんで向き合う東西2つの叶神社は、渡し船で結ばれていて、お参りするのも旅気分で楽しい。小江戸・川越の総鎮守として崇敬を集めてきた川越氷川神社(埼玉県)は、スサノオとクシナダヒメや、オオクニヌシなどが祭神。ご神徳は縁結びと夫婦円満。樹齢600年を超えるご神木も縁起よし。鯛を吊り上げるおみくじは楽しいし、新たな出会いを願うお守りも持っているとテンションが上がってくるくらいかわいらしい。「お守りは神様と自分とのかかわりをつなぐもの。しっかりご神縁が結べる神社だと思います」宝満宮竈門神社(福岡県)には、ちょっとドキドキする恋占いの石がある。本殿奥の敬愛の石は、目を閉じて左の石から右の石にたどりつけるかどうかで恋の行方を占う。心に秘する人がいて、でも相手の気持ちがつかめないというときは、遠野の卯子酉様(岩手県)のお力を借りよう。言い伝えによると、祠の前にある木々の枝に左手だけで赤い布を結ぶことができたら。縁が結ばれるという。それで境内は真っ赤な異空間に。たくさんの片思いの人が、自分の思いを成就させようと祈っているのが伝わってくる。なんでこんなに不便な神社にお参りしなければいけないのぉと、ぼやいてしまいそうなほどアクセスが大変なのが白山比め神社(石川県)。金沢から北陸鉄道石川線に乗り、終点で今度はバスに乗って神社を目指す。でも、苦労すればするほど、参拝の喜びは大きく、神様とも親しくなれる気がしてくるというもの。■縁を切りたい、もう1度やり直したいときは北海道にあるのが、悪縁を切り幸せな出会いを招く西野神社。しつこい元カレや嫌な上司と縁を切りたいなら安井金比羅宮(京都市)。ここには縁切り縁結びの碑があり、真ん中の人が通れるくらいの穴を、表から裏側にくぐれば悪縁が切れ、裏から表側へくぐれば良縁が結べる。“夫と不倫している相手”との縁も断ち切れるそう。別れたいと願う人もいればイヤイヤ、別れたくないの!と願う人だっているはず。京都を代表する古社の貴船神社(京都市)には、復縁を願う人が多くお参りしている。「平安時代の歌人、和泉式部が、夫との復縁を祈ったところ願いが叶ったという逸話があるそうです。本宮と奥宮の間にある結社は、良縁・復縁のお宮なので、復縁を願うなら、ここにぜひお参りしてください」決断と行動の神様・アカルヒメを祀る姫嶋神社(大阪)は、やりなおしの神社。ここから人生の再スタートを切れば、きっといい人生になるでしょう。さあ、あなたの願いを叶えてくれる神社は、見つかりましたか。■あなたに幸せをもたらす神様物語神社に祀られている神様の多くは、神話の世界から登場しました。崇徳天皇や徳川家康、豊臣秀吉など、もともとは人間だった神様もいます。ウサギや白蛇もご祭神になりました。神様たちの物語を知れば、神様がより身近に感じられるでしょう。【神話出身の神様】日本最古の歴史書『古事記』や『日本書紀』には、何もない世界に天地が創られ、神々が登場する様子が語られています。イザナギとイザナミは日本を作った神様で、地上で多くの神様を生み出しました。イザナギとイザナミを祀った神社は、恋愛成就の筑波山神社や今戸神社。スサノオとクシナダヒメも縁結び、夫婦円満の神様で、津島神社や川越氷川神社。オオクニヌシを祀った出雲大社や氣田大社も縁結びの神社。そのオオクニヌシと海辺で出会ったスクナヒコナは無病息災の神様で、少彦名神社や五條天神社に祀られています。【もとは人間だった神様】受験の神様として知られる菅原道真公は天神様としてよく知られていますよね。平安時代の陰陽師の安倍晴明は、京都の安倍晴明神社に祀られています。江戸幕府を開いた徳川家康は、東照大権現という名で、世界遺産の日光東照宮のほか、全国の東照宮に祀られています。その、もと人間の神様たちの中から、この記事中では、さまざまな悲運にあいながらもすべてを断ち切った崇徳天皇をお祀りした縁切りの安井金比羅宮と、戦国武将で大出世を遂げた豊臣秀吉を祀った出世運の豊国神社を紹介しています。【ご神木で神様とつながる】悠久のときを超えて生き続けるご神木。中でも樹齢2000年ともいわれる來宮神社の大楠は、幹まわりが約24メートルあり、一周すると1年寿命が延びるそう。萩日吉神社の杉の木は、樹齢800年の縁結び・子授けのご利益が。志多備神社のスダジイ(神社でよく見かけるどんぐりがなるシイの木)は総荒神の宿るご神木で、樹齢は一説には500年とも。名古屋の城山八幡宮にある「連理木」は、木の途中から幹が2つに分かれ、再び合一することから縁結び、男女和合のシンボルとして信仰されています。【キツネや蛇、ウサギたち】商売繁盛のご利益があるといわれているのが、キツネでおなじみのお稲荷さん。稲荷神社に祀られているのは稲荷神(「いなりしん」と呼ぶ)という神様。稲荷神=キツネと思っている人が多いのですが、実はキツネは神様のお使いなんです。宝くじを当てたい、コンサートチケットを手に入れたいなら「みな当たるのいなり」と呼ばれる皆中稲荷神社。金運財運のシンボルの白蛇を祀った神社から、岩国白蛇神社と蛇窪神社を紹介しています。ウサギでは恋愛の神様として大人気の岩手県遠野の卯子酉様。《取材・文/つきぐみ(水口陽子・渡辺晴美)》本田不二雄(ほんだ・ふじお)神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集に長年従事する。近年は日本で唯一の「神仏探偵」として、多方面で活躍中。主な著書に『へんな仏像』(学研プラス)、『ミステリーな仏像』(駒草出版)、『噂の神社めぐり』(学研プラス)、『今を生きるための密教』(天夢人/共著)など多数。
2019年12月02日11月14日、15日に執り行われる「大嘗祭」。天皇陛下が皇位継承に際して行う祭祀の時期は、運気の潮目になるターニングポイントだと江原啓之さんは言います。そこで、新しい時代を前に、自らを浄化するための“自宅でできる儀式”を伝授。今こそ謙虚な気持ちを取り戻し、感謝を込めて神様をお迎えしましょう。「今日本に住んでいるすべての人に、国籍や宗教観にかかわらず、『大嘗祭』が執り行われる2日間を大切に過ごしてほしいと思います。これは神様をお迎えする儀式であり、私たち国民のための祭祀でもあるのです」こう話すのは、かつて東京・世田谷の北沢八幡宮で神職として奉職した江原啓之さん。いよいよ11月14〜15日に執り行われる大嘗祭は、天皇一代につき一度きりの祭祀。来るべき日に向けて、皇居・東御苑には大嘗宮が建設され、亀卜(亀の甲を焼いて生じた亀裂を見て占う方法)で選ばれた東西の2カ所の土地で栽培された新米を準備。さらに、儀式に供えられる海の幸・山の幸が全国から献上されている。「日本は稲作文化の国ですから、天皇陛下は毎年秋、その年の収穫に感謝し、翌年の豊穣を祈願する祭儀『新嘗祭』を行ってくださっています。そして即位後初めて迎える新嘗祭を『大嘗祭』としているのです。数十年に一度しか行われないだけに、『何をする儀式なの?』という人も多いかもしれないですね」今回、江原さんにこの儀式「大嘗祭」をいかに過ごすべきかの心得をうかがった。昨今は洋食中心の家庭も増えているが、江原さんは大嘗祭の時季だからこそ、和の心を大切にした弁当作りを勧める。「ご家庭ではぜひ祈りを込めて、お弁当をこしらえてみてください。大嘗祭でも供えられる日本各地の農林水産物、“海川山野のためつもの”を参考にした料理を詰め込み、これを携え、神社にお参りに行くのもよき日の過ごし方です」江原さんお勧めの「大嘗祭弁当」の内容とその意味を紹介。【鮭の由庵焼き】勢いよく遡上する鮭は、みなぎるエネルギーの象徴。栄養価が高く、体を温めるともいわれる食材を食べて、生命力を高めたい。【ほうれん草の磯辺焼き】栄養価の高い冬場のほうれん草を使った一品。古代の文書は“巻き物”が多かったことから、のり巻きも文化発展を願う縁起物とされる。【結びこんにゃくの煮物】馬の手綱のような形の結びこんにゃく。「手綱を締める」というように、心を引き締め、戦いに備えるという意味を。【梅肉れんこん】れんこんは、複数の穴があることから「見通しが利く」という意味を持つ開運食材。極楽浄土で咲く花も蓮だ。【さつまいもとりんごの甘煮】黄金色に輝く財宝に見立てたさつまいもとりんごを、爽やかにアレンジ。実り豊かな御代になることを願って。【たたきごぼう】地中にしっかりと根を張り、細く長くまっすぐ伸びていくごぼうは縁起材料の代表格。食物繊維やアルギニンを多く含み、栄養も満点。【五穀米の俵おにぎり】「五穀豊穣」の意味も込めて、五穀米を俵形に。羽生結弦選手も俵形のおにぎりで縁起をかつぎ、ソチ五輪の前に食べたそう。【白米の俵おにぎり】「米」という漢字は「八十八」からできたといわれており、「八」には末広がりの意味が、のりを巻くことで良縁を結ぼう。「使う食材は、大嘗祭にちなみ、御代の安寧、招福、ご縁の広がりの象徴となるものを。神様へのお供えもの『神饌』として使われる米、酒、野菜、魚、乾物、果物を意識して取り入れるのもよし。実りの時期への感謝が、自然と湧いてくるでしょう」(江原さん)
2019年11月13日「参議院議員で入閣できる人数は数人程度です。橋本聖子さんと三原じゅん子さんは2人とも参院議員で、しかも女性。選ばれるのは、どちらか1人だけと予測されていました」と語るのは、ジャーナリストの安積明子さん。9月11日に第4次安倍再改造内閣が発足。五輪兼女性活躍担当相として、橋本聖子議員(54)が初入閣を果たした。9月6日には“三原じゅん子議員の初入閣に向け調整中”といった報道もあったのだが、大臣争奪戦の勝者は橋本議員だったのだ。「2人は五輪相を巡ってのライバルという報道もありました。当選5回の橋本議員と当選2回の三原議員はキャリアに大きな差がありますが、2人とも64年生まれの“同級生”です。橋本議員は冬季と夏季で計7回も五輪に出場しているレジェンドアスリート。結婚相手の連れ子も含めて、6人の母でもあります。いっぽうの三原議員は、安倍首相のお気に入りと目されていました。今年6月の参院本会議で安倍首相の問責決議案を提出した野党に対し『愚か者の所業』『恥を知りなさい』と演説して話題を集めたのです」(全国紙・政治部記者)三原議員はドラマ『3年B組金八先生』では不良少女役を演じたこともあり、いまも元スケバンのイメージが残っている。しかし“女番長=スケ番”ぶりでは橋本議員も負けていないという。「“敵を作らない人柄”とも評されていますが、根は体育会。本人もお父さんから、厳しい教育を受けたと語っており、また自分の子供たちへもスパルタ教育で臨んだそうです」(前出・政治部記者)インタビューでは次のように語っている。《子どものお尻や頭、ほっぺたも叩きますし、泣き止むまで怒り続けたり、直立不動にさせて怒ったり。善悪を教えるには、「ヤキを入れるしかない」》(『読売ウイークリー』’07年4月15日)また橋本議員を知るスポーツ関係者は言う。「ソチ五輪閉会式終了後の打ち上げパーティで高橋大輔選手とダンスをし、キスまでしたとして、猛批判を受けました。まずアルコールの持ち込みが禁止されている選手村で酒席を設けたのは、日本選手団団長として問題でした。また自身も取り組んでいたスケート競技の選手たちを招集したことも、個人的に権力をふるったと指摘されても仕方がないことでした」自民党スケ番対決を制した橋本議員の今後について、政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。「橋本さんは東京五輪の組織委員会会長・森喜朗元首相の秘蔵っ子です。5期目で無事に入閣も果たし、順調にいけば6期目ごろには、参議院を代表する要職・参議院議長を務めるのではないでしょうか。ゆくゆくはスポーツ界で絶大な影響力をふるう森元首相と同じような立場になると思われます」女番長から女帝へ……、橋本議員の出世スピードは加速し続けている。
2019年09月20日「嵐」の大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤がゲストとともにトークやゲームで盛り上がるバラエティー「嵐にしやがれ」の6月15日(土)今夜放送回に、フィギュアスケーターの浅田真央がゲスト出演。また音楽アーティスト「HY」の仲宗根泉も登場する。5歳でスケートと出会い、小学6年生で全日本選手権に出場、天才少女と呼ばれると、2004~2005シーズンには世界ジュニア選手権で初出場初優勝を果たした浅田さん。2008年の世界選手権で日本人選手5人目の世界女王に輝くと2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得。次のソチ五輪でも健闘したのち、1年間の休養を経て現役に復帰。2015年のジャパンオープンで女子1位となるも、2017年春に引退を表明。現在はプロスケーターやタレントとしても活動している。今回は浅田さんを迎えて「記念館」企画を実施。実家に大切に保管されていたテレビ初出しの貴重なアイテムが登場するほか、日本中が涙に包まれた伝説のソチ五輪の映像をノーカット放送。その裏側を本人が激白してくれる。また浅田さんがいまハマっているというフィギュアスケートよりもやりたかったことを告白する。そして「隠れ家ARASHI」には“恋愛の神様”「HY」の仲宗根泉が登場。旦那に会えない気持ちを歌った曲をスタジオ生歌唱。さらに仲宗根さんと櫻井さんによる即興ソング作りも。2人の奇跡&爆笑歌コラボをお楽しみに。浅田さんは「浅田真央サンクスツアー ~浅田真央が全国に感謝を届けます~」を全国で開催中。これはいままで応援してくださった方々への感謝を込め、全国でこれまで滑ってきたプログラムをメドレーという形で披露していくアイスショーとなっており、6月22日(土)、23日(日)に新潟、MGC三菱ガス化学アイスアリーナ、7月13日(土)、14日(日)に滋賀、滋賀県立アイスアリーナ、8月10日(土)、11日(日)に北海道苫小牧、白鳥王子アイスアリーナ、8月17日(土)、18日(日)に北海道帯広の帯広の森アイスアリーナで開催される。また仲宗根さんのユニット「HY」は13枚目のオリジナルアルバムにして結成20周年記念作となる「RAINBOW」を6月12日にリリース。「嵐にしやがれ」は6月15日(土)今夜21時~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2019年06月15日激動の平成が終わりを告げてからまもなく1カ月。30年の間、本誌は時代を彩った驚きの現場を多数目撃してきた。そのなかでも特に反響の大きかったスクープを改めてお届けしたい。浅田真央(28)とともに平成の日本女子フィギュアスケート界を牽引した安藤美姫(31)。世界選手権で2度優勝するなど輝かしい記録を持つ安藤だが、13年7月には突然の出産を発表し日本中を驚かせた。シングルマザーとして奮闘を続けるなか、逢瀬を重ねる相手が。それは羽生結弦選手(24)と王座を争った“スペインの貴公子”だった(以下、2014年10月28日号掲載記事)。本誌が安藤美姫(当時26)のキスシーンを目撃したのは14年10月6日午後3時半過ぎのこと。場所は新横浜駅バスターミナル。男性が乗るバスの出発時間が訪れると、真顔になった彼女は目をつむり、彼と唇を重ねる。2人をしばしば沈黙が包み込んだが、彼をまっすぐに見つめる安藤の瞳には、せつなさと愛おしさがあふれていた――。お相手は男子フィギュアスケートのハビエル・フェルナンデス選手(当時23)。2月のソチ五輪では4位に入賞、’13年’14年には2年連続、欧州選手権で優勝を飾ったスペインの国民的選手だ。さいたまスーパーアリーナで10月4日に開催された『ジャパンオープン2014』。この大会に出場するため、ハビエルは来日していた。「競技後にはエキシビション『カーニバル・オン・アイス』が開催され、安藤も出演しています。選手たちはその夜、主催者側が用意したさいたま市内のホテルに宿泊し、翌5日には海外選手たちもそれぞれ帰国の途についたそうですが……」(前出・フィギュア関係者)関東へも刻々と台風が近づくなか、本拠地であるカナダへの帰国を1日延ばし、ハビエルが向かったのは、さいたま市から60キロ以上離れた横浜市だったのだ。「現在、安藤は新横浜スケートセンターで練習しており、横浜市内には個人事務所を兼ねた彼女の自宅もあります」(スポーツ紙記者)この夜には、安藤の自宅付近で彼女とハビエルの姿も目撃されている。ディナーからの帰りのようだったという。台風が通過し晴れあがった6日午後3時過ぎ、肩を並べて安藤の自宅マンションに入っていく2人を目撃。そしてそれから20分後、大きな荷物を持った2人が再び姿を現した。ハビエルが安藤の自宅に置いていたものだ。ハビエルがスーツケースを引き、安藤が彼の大きなバッグを持ちながら、2人は冒頭のバスターミナルに向かった。安藤とハビエルの密会について、安藤の個人事務所の担当者は、次のように答えた。「ハビエル・フェルナンデスさんは、ジュニア時代からの友人ですが、恋愛関係では現在ありません。5日夜は、こちらが手配したホテルに(彼は)宿泊されています。またキスは、別れ際の挨拶で、誰にでもするもので、特別ではありません」別れの際、ハビエルの乗るバスに向かって、手を振り続けていた安藤。この日の表情からは、“ひとりの女性”としての思いが、ひしひしと伝わってきた――。
2019年05月25日※写真はイメージです「平成という時代を振り返ってみると、この30年でスポーツのグローバル化が劇的に進みました」こう話すのは、数多くのスポーツ中継を担当し、名勝負をお茶の間に伝えてきた元NHKのエグゼクティブアナウンサー、工藤三郎さん。■スポーツの“形”が変わった平成平成7年、野茂英雄がメジャーリーグに挑戦し、そのあとイチローや松井秀喜といった野手もメジャーでチームを支える戦力として認められるように。大谷翔平に至っては打者と投手の“二刀流”で、ベーブ・ルースの再来とまで評されている。また、野球の世界一を決めるべく開催されたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、平成18年と21年を“サムライジャパン”が連覇した。テニスでも錦織圭が日本人男子選手として、初めて世界ランキングでベスト10入り。大坂なおみは4大大会の全米、全豪で優勝し、世界ランキング1位に上りつめ、女王となった。“サムライブルー”も躍進。平成9年には前大会の予選最終戦の“ドーハの悲劇”を乗り越え、サッカー日本代表がワールドカップ初出場を決めた。オリンピックでは平成4年のバルセロナ大会で、競泳女子の岩崎恭子が平泳ぎで世界競泳史上最年少の金メダリストとなり、平成26年のソチ、平成30年の平昌大会でフィギュアスケートの羽生結弦が、2大会連続で金メダルを獲得した。このようなグローバル化の背景には、スポーツビジネスの急成長があり、選手の意識や、環境も激変したことが理由にあげられる。工藤さんは、伝える立場からスポーツ界の変遷をこう話す。「時代の転換を感じたのは、平成5年のJリーグ開幕のときですね。当時、プロスポーツといえば野球と相撲が中心で、ほかの競技はほとんどがアマチュア競技だったわけです。それがプロスポーツとして、ビジネスとして成立させることによって、選手側にも金銭面の待遇や練習場所といった、いろいろなことがメリットとして還元されるようになった。スポーツのありようが変わってきたのです」スポーツ団体が、元選手など身内だけによって構成される、いわゆる体育会系の運営ではなくなったことも影響している。プロの経営者の目が入ることで、選手たちにも大きなチャンスになっているという。「育成や宣伝を組織的に、効率的に行うノウハウがJリーグの運営の中ででき始めてきて、ほかの競技にも波及し始めています。最近ではバスケットのBリーグが成功した例といえるのではないでしょうか。昔ながらの先輩・後輩といった関係や、体育会の仲間の中だけでやっている競技会ではなく、もっと開かれた形で運営をしていけば、選手たちの意識も変わってくるでしょう。“井の中の蛙”ではなく、それこそ“世界”を見据えて挑戦できる環境にもなると思います」(工藤さん)スポーツ界の仕組みが変わり始めた、平成という時代。その“現場”にいた人の、今だから話せる証言を聞いていこう。■オリンピック名場面、プレーバック平成に開催されたオリンピック・パラリンピックは、夏季7回、冬季8回の計15回。日本の総メダル数は、実に夏季195個(パラ227個)、冬季51個(パラ88個)!メダルの有無を問わず、そこにはさまざまなドラマが−−。平成最初に行われた夏季バルセロナ五輪では、岩崎恭子(当時14)が200メートル平泳ぎで金メダルを獲得し、「今まで生きてきた中で、いちばん幸せです」のひと言が大流行。平成6年に開催された冬季リレハンメル五輪は、それまで夏冬同じ年に開催していた五輪を隔年開催にするために、前回の冬季アルベールビル五輪からわずか2年後に開かれたことも話題に。荻原健司選手を筆頭としたノルディック複合団体が金メダルを獲得するなど、日本のノルディック複合は黄金時代を迎えた。続く夏季アトランタ五輪では、田村亮子選手が決勝で敗れ、まさかの2大会連続の銀。男子サッカーでは、大本命のブラジルを破る“マイアミの奇跡”を起こすなど、五輪でもサッカー人気は不動のものに。2年後の冬季長野五輪は、何といっても男子ラージヒル団体の金メダルに尽きる。前大会で銀メダルに終わる原因を作ってしまった原田雅彦選手が、汚名返上の大ジャンプ。「立て、立て、立ってくれ!」の実況が忘れられない。「用意していた言葉ではなく、心の底から出た言葉でした」とは、多くの平成五輪で実況、キャスターを務めてきた前出・工藤アナ。その後の「船木ぃ~」と見守る原田選手の姿を含め、平成スポーツ史の名場面だ。ちなみに、今をときめくカーリングも長野で正式種目に。平成12年の夏季シドニー五輪では、高橋尚子選手が日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得。なんと女子マラソン中継の最高視聴率は59・5%を記録。■レジェンドが続々と生まれた2年後の冬季ソルトレークシティー五輪は、長野で金の里谷多英選手がフリースタイルスキー女子モーグルで銅メダル、同じく前回金の清水宏保選手がスピードスケート男子500メートルで銀メダルを獲得した。「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」の名実況を生んだ体操男子団体総合や、「ママでも金」宣言を有言実行したヤワラちゃんを筆頭に、夏季アテネ大会は16個の金メダル獲得。歴代で最多金メダル数の五輪となった。平成18年開催の冬季トリノ五輪のハイライトは、フィギュアスケート女子シングルの荒川静香選手の金。誰しも1度はイナバウアーのまねをしたはず。前回のアテネ大会の「チョー気持ちいい」に続く名言、「何も言えねえ」が飛び出した男子100メートル平泳ぎの北島康介選手が、2大会連続制覇を達成した夏季北京五輪も印象的。ソフトボール日本代表も金、フェンシング男子フルーレの太田雄貴選手の銀メダル獲得も話題に。アテネ大会で、アーチェリー男子個人銀メダルに輝いた“中年の星”山本博選手を含め、このころから、あまりなじみのないスポーツが脚光を浴びるように。続く、冬季バンクーバー五輪は金メダル0に終わるも、浅田真央選手が銀メダルを。平成24年の夏季ロンドン五輪では、ボクシング男子ミドル75キログラム級の村田諒太選手、体操男子個人総合の内村航平選手が快挙を達成。また、パラリンピックでは、車いすテニスシングルスの国枝慎吾選手が2大会連続(ダブルスを含めると3大会連続)で金メダルを獲得するなど、日本でもパラリンピックへの関心度が高まるようになった。続く冬季ソチ五輪では、フィギュアスケート男子シングルで羽生結弦選手が金を、男子ラージヒル個人の葛西紀明選手が銀を獲得して“レジェンド”に!平成最後の夏季冬季大会リオデジャネイロ&平昌五輪では、バドミントンやカヌー、パシュートやハーフパイプでメダルを獲得するなど、日本のお家芸以外の躍進が目立つようになったのは記憶に新しいところ。ほんの一部を振り返ってもこれだけのドラマがあるオリンピック。そのドラマを間近で見てきた、工藤アナに直撃!■そのとき感じた言葉を紡ぐことが大事「負けた人にも、報道で取り上げられないところにドラマがあります」長野五輪の男子ラージヒル団体や、北京五輪の女子ソフトボール決勝など、数々の名場面に立ち会ってきた工藤三郎さんはこう語る。「名実況と呼ばれるもののほとんどは、視聴者の気持ちと重なりやすい、期待の選手が勝ったときに生まれます。ですから、期待していた選手が負けたときほど難しい実況はありません。肩入れしすぎると、負けたときに取り繕った実況しかできなくなる。あくまで冷静に、事実をお伝えする。期待の選手が負けたということは、それ以上に称えるべき選手がいるということですからね」“勝者を称えつつ、敗者の健闘も忘れない”。冬季ソチ五輪で、誰もがメダルを獲得すると信じて疑わなかった高梨沙羅選手が4位に終わった際、直後のインタビューで工藤さんは、「よく頑張りました」と最後に声をかけ、大きな好感を呼んだ。「斟酌(しんしゃく)せずに、“敗因は?”と聞くこともプロフェッショナルな姿だと思います。ですが、選手の姿を取材し、見続けてきた側からすると、そのときに感じた言葉を紡ぐことも大事。バルセロナ五輪の400メートル決勝で、高野進選手が8位でフィニッシュしたときもそうです。“メダル獲得ならず”ではなく、自然に“高野は世界の8位”という言葉が出てきたんです」この決勝前の予選で起きた、あるエピソードが印象に残っていると工藤さんは話す。「準決勝で、メダル候補との呼び声が高かったイギリスのレドモンド選手が足を引きずるアクシデントに見舞われました。失格をまぬがれたい彼は何とか走ろうとした。ところが、見知らぬおじさんが侵入し、彼を抱きかかえてしまった。後にわかるのですが、レドモンド選手の父親だったんです。格上の彼のアクシデントがなければ、高野選手の決勝進出はなかったかもしれない」ロンドン五輪の際、レドモンド選手が会場に姿を現すと、大歓声に包まれたという。「私たち同様に、それぞれの国にドラマがある。だからこそ、誰が勝ってもスポーツの凄みや醍醐味が伝わるように、アナウンサーは実況をしなければいけません。できることなら、日本人選手以外にも関心を抱いてほしいですからね」長年、スポーツとかかわってきた工藤さんにとって、平成の30年間でスポーツはどう変わったのか尋ねると、「“やる”“見る”以外に、“サポート”“マネージメント”“プロモーション”といった要素が顕著になったことでしょうか。単なる興行ではなく、エンターテイメントやビジネスとしてスポーツを成り立たせるように変わりました。同時に、平成の幕開けとともに、ベルリンの壁、ソ連が崩壊したことで、東西冷戦は終結。オリンピックが政争の道具として扱われる機会も激減しました」だからこそ、オリンピックは商業的な側面を強めていったともいえるだろう。また、「アナウンサーに限った話」として、こんな指摘も。「インターネットによって情報が手に入りやすくなり、実況の形も進化しました。バルセロナまでは、選手の情報は英字新聞か現地取材でしか得られなかった。ところが、ロンドン五輪になると、ネットを通じてリアルタイムで全競技が視聴できる時代になり、実況における情報も格段に増えました。先の平昌五輪では、アイスホッケーの試合において、NHKでも実験的にロボット実況を投入したほどです」驚くことに、AIはそつなく実況をこなし、評価も上々だったとか。となると、今後は工藤さんのような名実況が生まれなくなる!?「アナウンサーにとっては踏んばりどきです(笑)。“生身の人間の実況がいい”と言ってもらえるように、私たちも選手たちに負けない努力をしていかなければなりません。今後は、さまざまな実況が登場することが予想されますから、試合だけでなく実況にも注目すると、よりスポーツが楽しめると思いますよ」《識者PROFILE》くどう・さぶろう◎元NHKのエグゼクティブアナウンサー。プロ野球を中心に実況を行い、平成オリンピックのほとんどの大会で現場入りしている。
2019年02月28日「’20年の東京五輪では、11万人ものボランティアが駆り出されます。この数は、’16年のリオ五輪で動員されたボランティアの数、約7万人の1.5倍。五輪史上最高です。にもかかわらず、ボランティアの条件は、とんでもなくブラック。応募される方は、十分注意してほしい」そう警鐘を鳴らすのは、『ブラックボランティア』(角川新書)の著者で、著述家の本間龍さんだ。’20年7月24日~8月9日、8月25日~9月6日に開催される東京五輪。この運営を手伝うボランティアの募集が9月中旬から始まる。ボランティアは、大会の運営に直接関係する「大会ボランティア」(8万人)と、競技場が所在する自治体で、交通案内などを行う都市ボランティア(3万人)の2種類ある。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下・組織委)のホームページには、参加を呼びかける文言が並ぶ。「これが、まるで“やりがい詐欺”と批判されているんです」本間さんは、’20年東京五輪のボランティアがブラックである理由として、次のことを挙げる。【1】交通費・宿泊費は自己負担【2】1日8時間、10日以上の参加は必須。でも報酬はナシ【3】心構えにまで注文を付けるこうしたボランティアのターゲットにされているのが、比較的時間に融通がつきやすい主婦や学生なのだ。だが、組織委のホームページにアップされている『役員及び評議員の報酬並びに費用関する規程』という書類には、最高月額200万円という役員報酬が設定されていた。「ボランティアだけ無報酬はおかしい。リオ五輪(ボランティア数・約7万人)では有償ボランティアも存在しましたし、平昌五輪(ボランティア数・約2万人)では宿泊費や交通費、3食の食事が支給されました」(本間さん)毎日新聞の報道によると、現在インドネシアのジャカルタで開催されている『第18回アジア競技大会』(ボランティア数・約1万5,000人)では、ジャカルタの最低賃金の約3倍の30万ルピア(日本円で約2,300円※交通費と食費を含む)が日当として、ボランティアに支給されているという。本間さんは、組織委が売りにする“やりがい”も満たされない可能性が大きいと予測する。「会場で熱気を分かち合えるのは、ほんの一握り。多くの人が、会場周辺で観客や関係者を案内する係や、手荷物検査をするセキュリティチェックなどに回されるでしょう。しかもボランティアが、熱中症で命の危険にさらされる、非常に過酷な現場です」こうした悪条件下でボランティアは集まるのか。文科省は7月末、全国の大学と高等専門学校に対し、’20年東京五輪の開催期間中は授業や試験を避け、学生にボランティア参加を求めるような通知を出した、との報道があった。文科省のこうした動きに対し、東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩さんは厳しく批判する。「各大学は、いまでも授業日数が足りなくて始業式の前から授業を始めているのに、どうしろと言うのか。国がお達しを出してまで五輪に学生や子どもを動員する構図は、まるで戦時中の学徒出陣です」本誌は組織委に、ボランティアの“雇用条件”に対する批判と対策を尋ねた。無償であることの批判については、「五輪では、これまでも多くの方がボランティアとして活躍している。参加してこられた方からは、好意的な意見をうかがっているので、多くの方に応募いただきたい」とのこと。熱中症対策については「一人ひとりが正しい知識を身につけることで重症化の予防につながるため、コンディション管理に関する研修などを行うほか、休憩をとれる管理体制をとり連続屋外活動の上限を設定するなど、環境整備に努めていきます」との回答だった。これに対し、青木クリニック院長で災害医療詳しい青木正美医師は、健康管理の認識が甘い、と次のように批判する。「熱中症対策の研修を行っても、実際、会場で観客の誘導や、試合のサポートを行っていたら、自分のペースで給水や休憩をとることはむずかしい。熱中症で倒れる人が続出しても、8月は夏季休暇をとっている医師が多いので医療体制も手薄。大量の熱中症患者が出るという最悪の事態を想定して、いまから医療体制を万全に整える必要があります」そもそも、開催時期の決定の仕方から問題があった。「開催時期は、夏季に視聴率が低迷するアメリカのテレビ局の意向。日本オリンピック委員会は、『この時期の東京は雨が少なく温暖』とウソを並べて招致したんです。そのせいでマラソン開催時には高温になった道路の表面温度を下げる路面剤を敷き直すとか、会場の外にミスト装置を並べるなどの猛暑対策案が出ています。テロ対策費用も含めると、東京五輪にかかる総額は当初見込んでいた約7,300億円から大きく増えて、3兆円規模になるのでは」(本間さん)善意の悪利用の結果、高い役員報酬と、かさむ対策費のシワ寄せは、“タダ働き”のボランティアに回ってくるのだ。
2018年08月30日