1人目を妊娠しているときから、「子どもは2人欲しいよね」と夫婦の意見は一致。ですが1人目を不妊治療で授かったので、「2人目不妊になるのでは?」と心配に……。なぜなら1人目ができるまでに、3年かかっていたからです。1人目が落ち着いたら……と、そのときの私はのんびり考えていられませんでした。そのような状況で2人目を授かり、私が感じたことをお伝えします。 2人目不妊を想定して早めに妊活を開始1人目は不妊専門の病院に3年通い続けて、妊娠した経験があります。そのため、子ども同士の年の差を気にしていられませんでした。2人目も不妊となると、1人目を連れて頻回に病院に通わなければいけません。薬の副作用で思うように体が動かないことも……。万が一の事を考えると、私は1日でも早く妊娠できる体に整える必要があると考え、30歳で2人目の妊活をスタート。産後6カ月目のとき生理が再開したので基礎体温の測定を開始して、安定するのを待ちました。そして1人目が生後10カ月のころに断乳をして、葉酸摂取を開始したのです。 予想に反して2人目はすぐに妊娠!結果、1人目を妊娠するまでに3年かかったのですが、2人目は妊活を開始して2カ月で妊娠しました。一番心配していた不妊問題もあっさり解決して、私たち夫婦は晴れて年子を授かることができました。年子は大変だな……と思いましたが、子育てが落ち着いたら早めに再就職をしなければいけなかったので、早々に子宝に恵まれてよかったと一安心! 不妊治療には高額な治療費がかかるため、その分を教育費に回せられると考えると安心できました。 1人目に対してフォローしたこと子育ては1人だけでも十分大変ですが、子ども同士の年齢が近ければより手がかかるかもしれない、と感じていた私。早々に2人目を考えていたこともあり、1人目には自分でできることはなるべく自分でさせるようにしていました。 自分でごはんを食べる・簡単な脱ぎ着はもちろん、外では抱っこを極力せず「赤いボールまで歩こう!」「あっちにワンワンがいるよ! 見に行こう!」と声掛けをして、歩くことの楽しさを子どもに感じてもらえるよう工夫をしました。しかし1人目も1歳6カ月で、まだまだ甘えたい時期だったと思います。寂しい思いをさせないために、2人目の授乳中も1人目を一緒に抱っこをしたり、2人目が寝ているときは1人目との時間をたっぷりつくるよう意識しました。 私の場合は「不妊」の可能性があったため、2人目はかなり焦って妊活をしました。そのため子ども同士の年齢差も考慮できず、1歳6カ月差に……。ですが常にライバルであり心強い仲間になった子どもたちを見て、今は年子で本当によかったなと思っています。 著者:太田 いこ岡山県在住、年子姉妹の母。フルタイムで働きながらライターとしても活動中。主に、不妊・育児・ママ友などのテーマで記事を執筆している。
2019年11月22日不妊治療は、精神的にも時間的にも経済的にも大変なもの。私の場合、まずは地元の産婦人科に通い、そこから大きな病院に転院しました。通院自体も大変なうえに服薬に複数の検査……。しかし、その終わりが来たのは突然でした。そんな私の不妊治療体験談をお伝えします。 赤ちゃんはそのうち授かるものだと思っていた……結婚3年目にして赤ちゃんを授からない私に、母が「それは不妊だよ」と言いました。当時、恥ずかしながら私自身は焦ってもおらず、のんびりと構えていたのですが、このことを機に少し考えるようになりました。 そこで、地元の産婦人科へ行ったのが不妊治療の始まりでした。最初はタイミング療法で「問題がなければすぐにできる」と言われたものの、結局半年経っても赤ちゃんを授かりませんでした。そして、医師に「うちよりも検査が充実した病院に行ったほうがいいね」と、地元で一番大きな病院を紹介されたのです。 通院と検査と服薬の日々不妊治療専門の病院に毎月車で通い、タイミング療法に加えて、私と夫の生殖機能検査、毎月の服薬に卵巣の確認、人工授精……。これらを何度か実施しましたが、半年以上経っても、一向に赤ちゃんを授かる気配がなく、少し疲れてきたころでした。 医師から「子宮卵管造影検査をしてみないか」と打診を受けて、これを実施。しかし、その直後も妊娠はできず、ゴールの見えない治療にあきらめかけ、熱心に取り組めなくなってしまいました。 久しぶりの“治療をしなかった”月に通院している病院が諸事情で1週間ほど休診になったことがあるのですが、折しも私のスケジュールとぴったり合致してしまい、そこで久々の「服薬も検査も何もしない月」ができてしまいました。 次の通院のために記していた基礎体温がなかなか下がらず、まさかと思って妊娠検査薬を用いてみたところ、なんと陽性! そのときに宿ってくれた赤ちゃんは、結果、私たちの子どもとして生まれてきてくれることになったのです。 とはいえ、私としては治療が無意味だったわけでなく、服薬や基礎体温の管理で「妊娠しやすい体」になっていたのかもという印象でした。そして、久々の「服薬も検査も何もしない月」に、気負わずリラックスしていたこともよかったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:半田あきら一児の母で専業主婦。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年11月03日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! 夫と「これが最後」と決めた不妊治療をおこなっています。 夫は1個に賭けようとしていましたが、私は、最後に賭けたかった…。「卵を2個を戻す」その決断を、夫は受け入れてくれました。そして、いよいよ妊娠判定の日……! つづく。 かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT ✿❀ベビカレ秋のマンガ祭り❀✿大好評のマンガ記事を増量してお届けする期間限定“マンガ祭り”開催中! 人気レギュラー連載10作品に加え、新たにゲスト連載8作品が登場♪ 育児や家事、仕事などの合間の息抜きタイムにどうぞ♡著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!blog:「おじゃったもんせ双子~笑いと涙の双子育児」Instagram:かよポン@kayoponkan
2019年11月03日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! 夫と「これが最後」と決めた不妊治療をおこなっています。洗浄の痛みに耐え、採卵を終えて帰宅しました。前回採卵したときに受精したのは、わずか2個。今回も…。せめて1個だけでも…。そんな気持ちで電話を待ちました。嬉しさと安ど感でホッとしたのもつかの間、今度は、次回の胚盤胞移植までキャンセルの電話が来ないことを祈る日々……。まだまだ気の抜けないときが続きます。 かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT ✿❀ベビカレ秋のマンガ祭り❀✿大好評のマンガ記事を増量してお届けする期間限定“マンガ祭り”開催中! 人気レギュラー連載10作品に加え、新たにゲスト連載8作品が登場♪ 育児や家事、仕事などの合間の息抜きタイムにどうぞ♡著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!blog:「おじゃったもんせ双子~笑いと涙の双子育児」Instagram:かよポン@kayoponkan
2019年11月02日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! ~ あらすじ ~旦那さんと出会って半年でスピード婚。結婚当時、仕事が忙しく、不正出血が何週間も続き、婦人科を受診したところ左右両方の卵管が詰まっていることが判明!「自然妊娠は90%以上難しい」と告げられ、不妊治療を開始するも、出血が続き命の危険に……! その後、顕微授精、体外受精を試みるも妊娠判定は陰性。一度赤ちゃんを諦めようとしたものの、やっぱり赤ちゃんが欲しい…! 自分の周囲の赤ちゃんや子どもの姿をうらやましいと思いつつ、『夫婦二人で過ごすのもいいかもしれない』。そんな風に思い始めた矢先に、義母の病気が再発しました。義母に…子どもの顔をみせてあげたい。 やってみてダメならそれでいい。でも、やらずに諦めるのはいやだ。私にはまだ治療を頑張れる時間が残されている。だから、やりたいんだ。やってみたいんだ。 ついにダンナが「1回だけ…本当に治療はこれが最後、ダメなら諦めること」と、承諾してくれたのでした。個人差はあるものの、私の場合採卵よりも、その前の洗浄が「ひぃぃーーっ!」と、飛び上りたくなるほどの鈍痛で、永遠とも感じる時間を耐えに耐えました。 その時、看護師さんに「赤ちゃんほしいんだったらがんばる!」と励まされたものの、「わかっとるわい!」と心の中で思い切り毒づいてしまった私でした。そして、卵は無事、5つ採ることができました。 かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT ✿❀ベビカレ秋のマンガ祭り❀✿大好評のマンガ記事を増量してお届けする期間限定“マンガ祭り”開催中! 人気レギュラー連載10作品に加え、新たにゲスト連載8作品が登場♪ 育児や家事、仕事などの合間の息抜きタイムにどうぞ♡ 著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!blog:「おじゃったもんせ双子~笑いと涙の双子育児」Instagram:かよポン@kayoponkan
2019年11月01日ウーマンエキサイトをご覧の皆様、こんにちは! 妊娠を望む方たちのサポートをしている、ファミワンです。今回担当しますのは、ファミワンの不妊症看護認定看護師の西岡です。妊活のこと不妊治療のことを専門にしています。前回は「受診の目安」についてお伝えしましたね。いかがでしたか?「病院行ってみようかな」と思われた方も少なくないのではないでしょうか。「病院に行こう!」と思った次にはこの悩みを多く聞きます。それは「どこの病院に行ったらいいのかわからない」ということです。医療機関の区分についてまず、不妊治療を行う医療機関には大きく分けて「一般婦人科」と「不妊治療専門病院」があります。「一般婦人科」は、様々な婦人科疾患の治療や、検診を行っています。「不妊治療専門病院」は、不妊検査、治療だけを行っています。どちらを選ぶことも考え次第ですが、「不妊症かどうかわからないから一般婦人科にかかる」という選択はお勧めできません。それを確認するための検査だからです。「不妊治療専門病院」は専門医療機関ならではの、検査や治療をおこなうための設備と人がそろい、配慮がされています。検査や治療を効率よく進めていこうとされるなら、「不妊治療専門病院」が向いているのではないでしょうか。病院選びをする4つのポイント病院選びをする4つのポイントは下記です。▼病院に行く目的を明確にする▼通院しやすい病院を選ぶ▼実績がある病院を選ぶ▼信頼のできる医師を選ぶ病院に行く目的を明確にする不妊の検査をしたいのか、婦人科検診がしたいのか、どんな治療まで考えているか。なんとなく、ではなく「不妊についてまずは相談したい」「不妊検査をしたい」「妊娠できる身体かどうか知りたい」「人工授精がしたい」「体外受精がしたい」などしっかりと決めておけると病院選びへの迷いを減らせるかもしれません。通院しやすい病院を選ぶ診療時間、診療している曜日は病院によって違います。日曜日や平日の夕方診察している病院もあれば、日曜日祝日は休診にしている病院もあります。自宅の近くが通院しやすい方もいますし、お仕事場の近くが通院しやすい方もいますね。自分のライフスタイルに合った病院を選ぶことは重要です。実績がある病院を選ぶ病院によって提示の方法は違いますが、ホームページや説明会などで治療周期数や年齢別妊娠率などを提示していますので、確認してみてください。信頼のできる医師を選ぶこれはとても重要なことになります。不妊治療は人生を変える治療と言っても過言ではありません。自分の妊活を、人生を「この医師に任せたい」と思える医師かどうかは重要になります。医師との信頼関係がないまま治療を続けることは難しいことです。モヤモヤを抱えながらの妊活はあとで悔やむことに繋がるかもしれません。「あの時こうしておいてよかった」と思えるように妊活を進めて行くためには、一つ一つの「決めること」が重要になります。中でも病院選びは不妊治療のはじめの大きな一歩となります。いかがでしょうか。ファミワンでは皆様の病院選びをのお手伝いも可能です。ご自身の妊活の大きな一歩である「病院選び」。妊活や不妊治療についてよくわからない状況で決めなければならないところが辛いところですね。でも、だからこそ、お2人で良く考え、自分たちに合った病院を選んで欲しいと思います。もちろん、通院中でなかなか妊娠しなかったり、「なんか合わないな」と思ったりすることもあるかもしれません。そんな時は転院することも一つの選択肢ですね。納得して、進めていきましょう!なかなか決めることが難しい場合は、お気軽に私たち 「ファミワン」 にご相談くださいね。
2019年11月01日日本経済新聞・電子版が日本の本年度の出生数が90万人を割るのではと10月7日に報じた。それを受け、不妊治療の保険適用を全面的に望む声が高まっている。同紙によると日本の出生数は1~7月、前年同期に比べて5.9%減。30年ぶりの減少ペースだという。その理由を「団塊ジュニア世代が40代後半になり、出産期の女性が減ったことが大きい」と説明。さらにグラフとともに、「16年に100万人を下回ってからわずか3年で、19年は90万人を割る可能性が高い」と述べられている。同記事がアップされると、Twitterでは「出生数90万人割れ」がトレンド入り。さらに、こんな声が上がっている。《待機児童の問題 子育てに優しくない社会環境 団塊ジュニア世代と就職氷河期が重なり、非正規労働者の増加による経済的な不安 こんな社会で産み育てたいと思う人が減るのは仕方ない事》《出生数90万人割れは妥当。ほぼ貰えない年金を払い続け、老後のために貯金、税金もどんどん上がりってなら自分の生活で精一杯。かつかつの家庭で子ども育てても子どもの幸せには繋がらない。貧困だと子どもの教育に対してかける投資に理解ないからね。学歴社会なのに》《一生懸命働いても安い給料から自動的に税金が引かれて、じゃあこれからどうやって生きていくかって考えたら「結婚しない」「子供作らない」ってなるよな。唯一自分で選べる「手取りを減らさない」防御対策なんだから。これぞ自己責任でしょ?》そんななか「不妊治療の保険適用を全面的に認めるべきでは?」といった声が上がっている。現在、不妊治療には保険適用されていないものも多い。そのため「#不妊治療費が保険適用外っておかしくね」というハッシュタグなど、“産みたくても産めない人”をサポートするよう願う声が寄せられているのだ。《出生数90万人割れって騒ぐなら、普通に産める人達に「諸々環境整えたから産んで」って促すのも必要だけど、産みたいのに治療費が高いせいで諦めてる人達を救うのも大切なんじゃないの》《産みたくても経済的に産めない人もいるし少子化を問題視する割には不妊治療は保険適応外って矛盾してる お金が無くなって不妊治療やめた人もいるせっかく産もうと頑張ってるんだから保険適応にしたらいいのに》《出生数90万人割れがトレンド入ってるけど、私も旦那も不妊で不妊治療してたけど、田舎で給料も安い上に不妊治療は保険適用外。これ以上続けるのは金銭的にかなり厳しい。国が少子化を問題化してるなら、せめて保険適用してくれませんかね?》
2019年10月07日「先週、ヨルダンから帰国したばかりなんです。終わりの見えない内戦が続くシリアでは多くの難民が安全を求めて国境を越え、ヨルダンの難民キャンプで生活しています。その多くは子どもたちです。私が訪れた難民キャンプでは100%電気が供給されるなど、ライフラインは改善されていますが、恵まれない状況に変わりありません」真っすぐな瞳で語るのは、報道キャスター・長野智子さん(56)だ。世界の難題の最前線で飛び回っている。凛と立つ姿勢に、彼女の仕事の充実ぶりがうかがえた。現在、『サンデーステーション』(テレビ朝日系)の報道キャスターに加えネットニュースサイトの「ハフポスト日本版」編集主幹。並行して国連UNHCR協会(国連難民高等弁務官事務所の日本における公式支援窓口)の報道ディレクターとしての活動にも心血を注いでいる。「’00年に鳥越俊太郎さんの『ザ・スクープ』(テレビ朝日系)に参加した私は、9.11後のパレスチナに飛びました。その後も各地の難民キャンプを取材して、痛感したんです。難民、特に子どもたちを支援することは、彼らのコミュニティの未来を救うことであり、いま世界が直面している問題を根本から解決することにもつながるのではないかと。そうした思いから、国連UNHCR協会の活動に関わるようになりました。出会った難民一人ひとりが、私たちと何もかわらない、生きることを選んだ強い意志を持つ人たちだということ、もっともっと多くの人に、難民支援の意義を伝えたい。来年の『TOKYO2020』にはリオに続き、難民選手団が来日することが決まっています。自分の国の国旗を掲げることのできない彼らを、日本の皆さんに応援していただけるよう国連UNHCR協会のサポーターを増やすことが、私の役割だと思っています」長野さんは日本では数少ない、ニュースの現場を知り、現場を語ることができる硬派の報道キャスターだ。’80年代、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の“3代目ひょうきんアナ”だった彼女からは想像しがたい現在の立ち位置ではあるものの、硬派というには柔らかな人柄がにじみ出ている。スラリとした長身に、ごく薄いグレーの柔らかなツーピースが軽やかだ。肩肘張らない自然体で、さっそうとわが道を行く長野さん。だからこそ彼女が書いた直近のコラムは、あまりに衝撃的だった。《39歳で始めた不妊治療。結局、47歳まで続けました。(中略)それまで、いろいろなコンプレックスを克服して強くなってきたつもりだったけど、努力しても乗り越えられないものってあるんだな、と初めて思いました》(「ハフポスト日本版」7月18日付より)治療を断念して10年。いま、子どもができなかった悲しみと不妊治療の苦しみを告白するのは、何かを犠牲にする、男社会の働き方を変えたいからだ。『ザ・スクープ』時代、長野さんに現場主義を徹底的にたたき込んだ鳥越俊太郎さんは、こう話す。「不妊治療のことは、当時、本人から聞いていました。残念にも子どもができなかったとき、彼女が持て余したエネルギーは、報道アンカーという新しい出口を見つけて噴出した。いまも彼女はひたむきですね。必死です。個人的な経験に加え、多くの現場を踏んだ実績に裏打ちされた女性キャスターはほかにいない。長野さんには、報道番組で人の心に染み入る話のできる人になってほしい。若さばかり求められる日本女性の立ち位置を変える象徴になってほしいと思っています」実際、“女子アナ”から報道キャスターへと、階段を上り続けてきた長野さんに相談にくる後輩アナウンサーは多いという。「職場での性差別に関して、いちばん多く聞く声が『いまも本質は変わっていません』。私たち世代は男性並みに働くことが当たり前だし、『女は面倒くさい』と言われたくないと思ってきました。その意味で、男性の価値観を変えずにきたのであれば、申し訳ないなぁ、と。でも、私たちはあれをやるしかなかったなぁ」かつて長野さんが、ひょうきんアナとして、世間から認知されたきっかけは、番組中に胸を触った芸人を蹴飛ばしたからだった。長野さんが入社した’85年は、男女雇用機会均等法が制定された年。いま以上に、性差別が容認され、胸を触るような悪質なセクハラも、公共の電波に乗って堂々と全国に流れる時代だった。蹴飛ばして、セクハラに対抗した長野さんは、『面白い女子アナが出てきたゾ』と、斬新だったのだ。「変わっていないように見えても、少しずつ変わってきている。セクハラやパワハラに対して、これだけ声が上がるということは、やっぱり変わってきているんです。私は、女性の働く環境を変えるには、男性の働き方や生き方を変えないといけないと言っていますが、そういう議論ができることでも、30年前とは違います。前向きに変わっていると思いますよ」と、後輩たちにエールを送った。「テレビの仕事はずっと続けたい。共同作業であるテレビは、スタッフ全員の力が結集したとき、大きな力になって、ダイナミックな結果に直結することがあります。報道を重ねていくことで、『ストーカー規制法』の制定に結びついた『桶川ストーカー殺人事件』(’99年)がそうでした。テレビが大好きだからこそ、肩書はジャーナリストではなく、『報道キャスター』です。夢は、ホワイトハウスで大統領にインタビューすること(笑)。あとは、冤罪事件の取材・報道など聞こえない声を権力に届けたい。『ハフポスト日本版』も、多様性があり、誰もが生きやすい社会を推進するために、中央に声を届けるものでありたいです」
2019年09月30日不妊に悩む人はどのくらい?あなたのまわりは、「望んでいるのだけれど、なかなか赤ちゃんができない」という人はいませんか?「子どもは望めばいつでもできるもの」と思っている人もいるかもしれませんね。実際に、望んだときにすぐできた、という人もいるかもしれませんが、そうでない人も、実はたくさんいるのです。その割合は、どれくらいだと思いますか?国立社会保障・人口問題研究所「第15回出生動向基本調査」(2015年実施)によると、不妊を心配したり悩んだりしたことがある夫婦は35%という結果でした。つまり、3組に1組の夫婦が「もしかして不妊かも?」と心配した経験があるということ。そして、子どものいない夫婦の場合では、この数字は55.2%、半数以上にものぼります。(※1)不妊は、とても身近な存在なのです。 実際に治療を受けたカップルは5.5組に1組では、病院やクリニックを受診して、不妊の検査や治療を受けたことがある人は、どれくらいいるのでしょうか。同調査によると、不妊の検査や治療を受けたことがある夫婦、または現在受けている夫婦は、全体で18.2%でした。ということは、夫婦の約5.5組に1組が、不妊の検査や治療を受けたということ。そして、子どものいない夫婦での治療経験は、28.2%という結果でした。(※1) 子どもがいても不妊?!子どもが1人いる夫婦の場合の調査結果もあります。子どもが1人いる夫婦で不妊の心配をしたことがある割合は45.4%と、半数に近い数字です。そして、検査や治療を受けたことがある割合は25.7%でした。不妊を配したものの自然に子どもを授かることができた、または治療で子どもを授かった。もしくは、「1人目の子どもは自然に授かったけれど2人目がなかなかできないと心配している」といったケースもあることでしょう。 どのような背景があるかは具体的にはわかりませんが、いま子どもがいたとしても、「もしかして不妊かも?」と心配した経験のある人は、これだけ多いということです。こうしたことから想定すると、あなたのまわりにも、きっとたくさんの不妊体験者がいることでしょう。 不妊とはどういう状態のことなの?ところで、不妊とは、どういう状態をいうのか知っていますか?日本では、健康な男女が定期的に性交渉をもっているにもかかわらず、1年以上妊娠しないことを「不妊」といいます。ただし、女性は加齢とともに妊娠しにくくなるので、20代の人と40代の人をいっしょに語ることはできないでしょう。一概にはいえませんが、年齢が高い女性は若いときよりも妊娠しにくい状態である可能性が高く、妊娠するまでに時間がかかることもあります。もちろん、1年を待たずして、病院で検査や治療を受けてもかまいません。妊娠しにくい原因がないかどうか調べておくことは、妊活の第一歩といえます。とくに生理不順や子宮内膜症、子宮筋腫などの婦人科系の病気がある場合は、早めに受診したほうがいいといわれます。また、男性側に不妊原因があるケースもあります。1年というのは、「もしかして妊娠しにくいのかも?」と考えて、検査を受ける目安になりそうです。 不妊治療は身近な存在いかがでしょうか? 不妊で悩む人は、あなたが想像していたよりも、ずっと多い数ではありませんか? おそらくそれは、治療をしていると相手が言わないために、あなたが知らないだけなのかもしれません。実は、不妊治療によって子どもを授かっている人は多いのです。2016年の日本産科婦人科学会のデータでは、体外受精や顕微授精などの高度な生殖補助医療(ART)によって生まれた子どもは54,110人となっています。その年の日本の出生児の約18人に1人の赤ちゃんがARTによって誕生していることになるのです。 2018年に日本で生まれた赤ちゃんは、921,000人でした。(※2)そのうちのどれくらいの赤ちゃんが、両親に望まれて、積極的な妊活である不妊治療によって、この世に生を受けたのでしょうか。3組に1組の夫婦が「もしかして不妊かも?」と心配する現在。あなたのまわりにも、きっとそんな経験をした人がいるはず。もしかして、あなた自身が不妊を心配したことがあったり、不妊治療を体験していたかもしれませんね。そう、あなただけではなく、たくさんの人が不妊で悩んでいる(いた)のです。いまや不妊や不妊治療は、とても身近な存在です。 ほかのママとは違う……不妊体験後の感情不妊を体験したあと、妊娠・出産、育児をしていて、なんとなくまわりとの違和感を感じたり、気持ちがざわついたりする……そうしたことはありませんか?「難なく子どもを授かった人と自分は違う。でも、子どもがいる自分は、不妊仲間には入れない。こんな気持ちを誰にも話せない……」こうした気持ちは、不妊を体験したゆえの独特の感情なのだそうです。NPO法人Fineでは、そうした人のためのグループカウンセリングを行なっています。生殖心理カウンセラーが同席して、不妊を体験したあとの特有の心理についてサポートしています。 参考:※1:2015 年社会保障・人口問題基本調査 <結婚と出産に関する全国調査>※2:平成 30 年(2018) 人口動態統計の年間推計 - 厚生労働省NPO法人Fine〜現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会 著者:ライター NPO法人Fineスタッフ 高井紀子北海道生まれ。編集者・ライター。広報誌、雑誌、書籍、ウェブサイトなどで、妊活や不妊治療に関する企画・記事を数多く手がける。不妊体験者を支援するNPO法人Fine()スタッフ。コミュニティFM「渋谷ラジオ」に出演中。趣味は月を見ること、温泉めぐり、ボルダリングなど。健康マスター(ベーシック)。
2019年09月10日不妊治療をしている上で大切なもの、それは「お金」と「時間」「お金」は、助成金を受けられると言っても額は決まっている上、後日給付なので一度は支払いをしなければなりませんし、長引けば長引くほどその金額は大きくなっていきます。そして「時間」、排卵日とホルモンの状態を、血液検査と内診で医師が予測しながら治療を進めていく為、どうしても急な診察や連日の病院通いがある上に、予約制ながらも待ち時間はかなりのものです。1回の診察で文庫本1冊読みきれます。(しかも病院によっては椅子が足りなかったりしてかなりしんどい)時は金なりという言葉にもある通り、時間を失うとそれだけお金を稼ぐ機会が減る訳で、この2つのバランスを取るのが非常に難しかったです。私はたまたま退職する機会とも重なったので、正社員から、比較的休みを取りやすいオフィスワークのパートに転職しました。最初に不妊治療中という事を知ってもらえていれば気持ちも楽かもと、求職中、いくつかの会社には面接で「不妊治療中です」と伝えてみたら見事に全部不採用でした。パートは日曜定休で週4の9時~17時のシフト制でしたが、休みをスムーズにとる為にしていたのは「他の人が急に休みを取る事になった時は進んで自分が代わりに出勤する事」。時給制だったのでシフトに入ればお金も稼げるし、急に通院の予定が入った時も普段から代わりに出勤していれば罪悪感も多少減るし、上司も快くお休みをくれるという打算的な理由で… 本当ならこんな気を使ったりせず、どの会社でも、どんな理由でも「お休みもらいますー」「どうぞー」っていう世の中になってほしいですが。そして助成金ももっと幅広くしてほしいですが。連日の通院で仕事の日程の調整を何度も余儀なくされ、もう働きたくない! と思った事もありましたが、やはり治療自体にかなりのお金がかかるので働き続けなければなりませんでした。心と体に影響の多い不妊治療中に、仕事と治療の調整でストレスを溜める事はできるだけ避けたいですよね。
2019年09月05日朝の情報番組で放送していた不妊治療特集で、採卵の針が話題になっていたので、自分の苦い採卵の記憶を思い出しました…。病院や先生、治療を受ける本人によっていろんな事が違うとは思いますが、こういう場合もあるんだーと読んでやってください!■初めての採卵! 耐えられると思っていたけれど…体外受精をするにあたって、私が通院を決めた所は、体への負担やよりよい卵子を取る為、極力薬を使わない自然周期の採卵を行なっている病院でした。無麻酔で。痛みが少ないよう設計された細い針を使う為、麻酔の必要がないそうで、安静時間も短くすぐに帰宅が出来るとのこと。初めての経験に不安はあるものの、卵管造影検査が悶え苦しむレベルの痛みだった私は、多少痛くても耐えられるだろう…なにより、これが終われば子どもを持つという夢に一歩近づけるという希望で胸いっぱいのまま、その日を迎えました。恐怖の中、採卵がスタート。■いよいよ採卵開始…この時私の体にあった卵胞は「空胞」で卵子が入っていない状態で、空胞かどうかは採卵してみないと分からないと看護師さんから説明を受けましたが、処置後の痛みと採卵数0の衝撃で頭に入ってきませんでした。排卵痛がある方は是非、排卵痛の痛みを5倍くらいにして想像してくださると分かりやすいかなと思います…(私も排卵痛持ち)結局、出産に至るまであと2回採卵を行ったのですが、毎回泣く程痛かったです。トラウマすぎて娘を出産する際、陣痛中ずっと「無麻酔の採卵を耐えた私だぜ!? まだまだぁぁ!! 来いやぁぁ!」みたいにずっと耐えてたら、子宮口全開であやうく陣痛室で産まれそうになりました。しかし、同じ病院で体外受精をした姉は、同じく無麻酔採卵を経験したのですが、ほとんど痛くなかったと言っていたので完全に個人差だと思われます…羨ましい。
2019年08月06日希望しているのにもかかわらず、なかなか妊娠しない場合は、早めに対策を取ることも大切です。今回は、不妊症や男女の不妊の原因、不妊の検査や治療について解説します。 不妊症とは不妊症とは「妊娠を望む健康な男女が避妊せずに性交しても1年以上妊娠しないこと」と定義されています。(※) 不妊症は、男性側または女性側に原因がある場合と、両方に原因がある場合、原因がわからない場合があります。これまでは一方的に女性が原因と思われることが多くありましたが、男性や女性に原因がある割合は、ほぼ半々とされています。 ※参考:日本産科婦人科学会「不妊症」 女性の不妊の原因女性にみられる不妊の原因には、次のようなものがあります。■排卵に問題がある場合ホルモンバランスに問題があり、卵胞が育たなかったり排卵が起こらなかったりする場合があります。特にホルモンバランスの乱れによる月経不順では、月経時に出血があっても排卵が伴わないことがあります。月経不順の方は排卵障害の可能性がありますので、なかなか妊娠できない場合は病院へ受診してみましょう。<ホルモンバランスの乱れの原因となる疾患>・甲状腺疾患・高プロラクチン血症・多嚢胞性卵巣症候群・早発卵巣不全・精神的ストレス・極度の肥満、ダイエットによる月経不順■卵管に問題がある場合細菌感染や炎症などによって卵管がふさがったり、くっついたりすると精子が卵子に到達できなくなり、妊娠の確率は低くなります。<原因となる疾患>・卵管閉塞・卵管狭窄・性器クラミジア感染症・子宮内膜症■子宮に問題がある場合子宮筋腫や子宮の形に異常がある場合、受精卵が着床できないことがあります。<原因となる疾患>・子宮奇形・子宮筋腫・子宮内膜ポリープ・子宮粘膜化筋腫・アッシャーマン症候群(子宮内膜の細胞の層の一部が欠けてしまい、くっついてしまう病気)■子宮頸管に問題がある場合子宮頸管を満たす粘液量が少なかったり、精子が侵入しにくい形をしていると、不妊症の原因になることがあります。<原因となる疾患>・子宮の奇形や子宮頸部の手術後・子宮頸部の炎症・頸管粘液の異常■免疫に問題がある場合免疫異常で抗精子抗体(精子を障害する抗体)を持つ女性の場合、精子の動きが悪くなるため、精子が卵子に到達することができません。 男性の不妊の原因男性にみられる不妊の原因には、次のものがあります。■精子の形成に問題がある場合精子の数が少なかったり、精子の運動性が悪かったりすると、不妊症の原因になります。<原因となる疾患>・精索静脈瘤(精巣周辺の陰嚢部に発達した静脈のこぶ)・染色体異常・停留睾丸(陰嚢の中に睾丸が入ってない状態)■射精に問題がある場合過去の炎症(精巣上体炎)などにより精子が通る管が詰まっている場合があります。精子がペニスの先端まで通る道が詰まっていると、射精しても精子が排出できません。■男性の性機能に問題がある場合ストレス、動脈硬化や糖尿病の疾患の原因などなんらかの原因でペニスの勃起に問題が生じることを性行為がうまくいかなくなることがあります(ED:勃起障害)。■加齢による影響男性は35歳ごろから、精子の質の低下が起こります。 不妊症検査の内容と費用日本生殖医学会では、不妊期間を1年として不妊症と診断し、検査と治療を開始したほうが良いとしています。■女性に対する検査産婦人科の不妊外来を受診した際に、問診により、既往歴、月経周期、喫煙、飲酒などの生活習慣などが質問されます。その後、診察して以下のような検査がおこなわれます。・内診・経膣超音波検査超音波プローブを腟に挿入して、子宮内膜症、子宮筋腫、卵巣のう腫などの病気の検査をおこないます。病気の疑いがある場合は、さらにMRI検査や腹腔鏡検査をおこなうことも。・子宮卵管造影検査子宮の入り口から造影剤を注入し、子宮の形に異常がないか、卵管の詰まりがないかを調べる検査です。子宮卵管造影により治療的な効果もあり、卵管の通りがよくなることもあります。・ホルモン検査血液検査では、女性ホルモンの分泌や甲状腺の機能などを調べます。月経周期にあわせて検査がおこなわれます。・AMHアンチミュラー菅ホルモン検査卵巣の予備能力や卵がどれくらいあるのか予測でき、卵巣年齢を知る検査です。・性交後試験・フーナーテスト性交渉をおこなった翌日に受診し、女性の子宮頸管粘液を採取して、その中に運動している精子が進入しているか、精子の数や運動率を調べます。体調によっても精子の状態は変化しますので、数回だけの検査することもあります。・クラミジア抗体検査性感染症の原因でもあるクラミジアは卵管をくっつけてしまうため、血液検査によって感染の有無を調べます。・子宮がん検査子宮頸部の細胞を採取し、がん細胞の検査をおこないます。■男性に対する検査・精液検査プライバシーに配慮された個室に案内され、マスターベーションで採取した精液を検査します。もしくは自宅で採取した精子を2時間以内に病院に持参したものを検査します。精液量、精子濃度、運動率、運動の質、精子の形態、感染の有無などを調べます。検査結果に異常がある場合、精密検査がおこなわれます。・泌尿器科的検査精液検査で異常があった場合におこないます。不妊症に関する病気の既往歴の有無、勃起や射精などの性生活など問診をおこないます。精巣などの外陰部の診察、精巣サイズの測定、精索静脈瘤の有無などを触診でチェックします。■検査費用について不妊検査は、保険適用になる分と自己負担になる分がありますので、初診では2~3万円は準備しましょう。初診は、問診、内診、超音波検査、血液検査などがおこなわれ、一般的に内診と血液検査だと5,000円で健康保険適用内になります。精密検査が必要になれば、数十万円の費用がかかる可能性もあります。病院によって不妊検査の費用が異なりますので、あらかじめ費用の目安についても確認しておくとよいでしょう。 ※参考:日本生殖医学会「一般のみなさまへ 不妊症Q&A」 不妊治療の内容と費用不妊治療のステップとして、タイミング法など自然妊娠をサポートするものから、排卵誘発や体外受精など人工的な授精が段階的におこなわれます。●治療内容について・タイミング法排卵日の2日前から排卵日までに、夫婦の性生活をもつタイミングの指導がおこなわれます。排卵予定日数日前に経腟超音波検査で、卵巣内の卵胞の大きさを測定することで、排卵日を推定します。また、ホルモンの分泌状態から排卵日を予測します。・排卵誘発法内服薬や注射で卵巣を刺激して排卵を促す方法です。排卵のない女性に使用されますが、人工授精や体外受精などにも使用されることがあります。・人工授精手を使って採取した精液から運動している成熟精子を回収して、子宮の中に注入する方法です。妊娠に至らない場合は体外受精へ進みます。・体外受精腟から細い針を穿刺して卵巣から卵子を取り出し、体外で精子と受精させます。受精に成功した受精卵は、培養して分割させ、子宮の中へ移植します。1回の体外受精で複数の受精卵が得られた場合、残った受精卵は凍結します。・顕微授精体外受精で精子と卵子が自然に受精しない場合に、細い針で精子を卵子の中に注入して受精させる方法です。●費用について不妊治療でも気になる人が多いのが、治療にかかる費用です。不妊治療にかかる費用の目安は以下のようになります。【健康保険適用内】タイミング法 1~2万円【健康保険適用外】人工授精 1~4万円体外受精 20~60万円顕微授精 30~70万円 まとめ不妊治療がうまくいかないと、気分も落ち込むことも多いと思います。不妊治療をきっかけに夫婦が険悪な雰囲気になってしまうケースも少なくありません。そのため、不妊治療は高額で長期間に及ぶこともあるので、夫婦でコミュニケーションをしっかり取ることが大切です。不妊で悩んでいる場合は、まずは原因を明らかにするために医療機関に相談してみましょう。 ※参考:・日本生殖医学会「一般のみなさまへ 不妊症Q&A」・日本産科婦人科学会「不妊症」・一橋大学 国際・公共政策大学院「コンサルティングプロジェクト最終報告書『不妊治療をめぐる現状と課題』」・日本産科婦人科学会・Reason for your choice「生殖補助医療(assisted reproductive technology: ART)の実際」 監修者:医師 おおたレディースクリニック院長 太田 篤之 先生順天堂大学卒後、派遣病院勤務を経て、平成22年より順天堂静岡病院周産期センター准教授就任。退職後、平成24年8月より祖父の代から続いている「おおたレディースクリニック」院長に就任し現在に至る。
2019年08月03日不妊治療をしていた頃、ふと気になって調べた事がありました。それは「不妊治療している、もしくはしていた事を両親や義実家に話すべきなのか」です。もしかしたら、悩んでいる方の何かの役に立つかもと思ったので、我が家の場合を書いてみたいと思います。母が私を生んだのが35年前なので、その頃はまだ不妊治療が一般的ではなかっただろうし、きっと、よくわからない治療を娘がする事に不安を感じたんだろうなと今なら思うんですが、その時は、母に分かってもらえず悲しい気持ちが少なからずありました。結局、その後不妊治療について改めて話をする事もなく、その場をおさめて終わったきりになっているので、うちの両親は体外受精をした事を今も知らないままです。娘が体外受精によって産まれた事を隠している訳ではないですが、わざわざ改めて言う必要もないかなと。同じように、義実家にも特に治療の話はしていないのですが、出産後…遠方で年に1度しか合わないので孫の話も特にされないなーと思ってたんですが、どうやら夫には言っていたようでした。私に原因のある不妊だったので、きっと義実家に直接催促されていたら精神的にしんどかったろうなと思います。それを分かってか、私の耳に入らないようにしてくれた事はとても嬉しかったのですが、立ち会い出産の際に株が下がりに下がりまくっていたので(前日に飲みに行って陣痛室のソファーで爆睡、からのいざ産むって時に行方不明)プラマイゼロくらいな感じでした笑。ただでさえ肉体的にも精神的にも負担の多い不妊治療なので、余計な事は考えずに挑みたいですよね。
2019年06月25日私は不妊治療を約6年おこない、ようやく子どもを授かることができた40代のパパです。不妊治療にここまで時間がかかるとは想像していませんでしたが、結果的に妻も高齢出産になってしまいました。そのため、無事に出産ができるのだろうかという新たな問題が発生し、出生前診断をおこなった体験談です。 時間のかかった不妊治療不妊治療開始時に、病院で高齢出産に対しての説明を受けました。説明を受けたときの私たちの年齢は、私は30半ば、妻が30代前半だったので、私たちにはあまり必要のないことだという認識しかありませんでした。 ただ、私たちの不妊治療は想像以上にお金と時間がかかってしまい、ようやく妊娠できたのは不妊治療を開始してから約6年が経過したころ。私たちにとって待望の妊娠だったのですが、そのとき初めて高齢出産に対するリスクを認識しました。 妊娠がゴールという錯覚不妊治療の期間が私たちの予想より長かったため、私は次第に妊娠することが目標になっていました。妊娠前に高齢出産の知識を得て不妊治療をおこなっていれば、治療期間を短く設けていたかもしれません。ただ、原因不明の続発性不妊症(※1)だったため、「いつか妊娠するのでは」という思いでずるずると長い治療期間になってしまいました。 しかし、出生前診断をおこなう期間は限られていたので、いつまでも決断を先送りすることができませんでした。 出生前診断するか否か、決断する難しさ最近よくさまざまなメディアでも目にする「命の選別」という言葉が私たちを悩ませ、簡単に決断できませんでした。 ただ、もし赤ちゃんが障害を持って生まれた場合、高齢出産である私たちは将来に不安を抱えたまま過ごすことになると予測できます。検査費用もNIPT(新型出生前診断)の場合、約20万円とわが家にとっては高額だったため、不妊治療を長年おこなっていた私たちには相当な負担額でした。 そして待望の妊娠にも関わらず、診断の結果次第で子どもを諦めなければならない状況になることにも、気持ちの落とし所が見つかりませんでした。 前向きになるための診断最後は、「不安な状態での出産を迎えるより、どのような診断結果であれ受け止め、産み育てたい」という思いで、診断を受けることに決めました。 検査から約2週間で結果が出る予定でしたが、その間も「この検査は受けてよかったのか?」という自問自答を繰り返し続けていました。2週間後、診断の結果は「陰性(異常なし)」。どのような結果であれ産むつもりでいたので、出産に向けての悩みがようやく解消されたような気持ちになりました。 順風満帆ではありませんでしたが、悩みのない状態で出産を迎えられたのは、長い間夫婦で不妊治療に向き合い、コミュニケーションを取り続けた結果だと思っています。世間の風潮に惑わされるとこなく、家族全員が納得するように悩みを共有し、診断をおこなうか否かを決めることが大切なのではないかと、私は感じました。 (※1)続発性不妊症:1人目は自然妊娠できたのに、2人目がなかなかできない不妊症のこと。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2019年05月12日28歳のときに不妊治療で第一子を授かり、出産した筆者。第一子である娘が1歳を過ぎたころから第二子の不妊治療を始めたのですが、治療を受けるなかで失敗したと思うことがいくつかあります。今回はその失敗体験を紹介します。 不妊治療の記録をすべて捨てた待望の第一子は、タイミング法を3回した後の人工授精3回目で授かりました。おなかの赤ちゃんは順調に育ってめでたく出産となったのですが、産後2カ月が経った後に急遽夫の転勤で引越しをすることに。 引越し後は見知らぬ土地で子育てをしながら片付けにハマり、勢い余って第一子の不妊治療に関する書類をすべて捨ててしまったのです。第二子の治療は引越し先の病院で受けたため、過去の資料が一切なくて困ったのを覚えています。 領収書の管理がいいかげん第一子の不妊治療では人工授精3回目で娘を授かることができたので、治療にかかる費用はそこまで高額にならず助成金の申請はおこないませんでした。 けれど、第二子の不妊治療では10回を超える人工授精をおこなっても子どもを授かることができませんでした。治療費も高額になったため助成金申請をしようとしたところ、領収書がいろいろな場所に保管してあったり日付通りでなかったりして大変な手間がかかり、領収書の管理はきちんとしておく必要があると痛感しました。 妊娠に対する考えが甘かった不妊治療当初から「自然妊娠をする確率はほぼゼロで体外受精でも難しい」 と先生から言われていましたが、娘を3回目の人工授精で授かったので次も思っているよりも簡単に妊娠すると考えていました。 ところが、人工授精12回、体外受精を1回おこなったものの未だに妊娠に至っていません。筆者も夫も年齢はどんどん高くなり、体も衰えていくなかでどこまで治療を続けるのかまだ決めていません。出費は増え続ける一方なので、子どもが授からなかった場合にいつ諦めるのかを考えなくてはならないなと思っています。 不妊治療をしていると、まだ見ぬ未来の赤ちゃんと会える日を楽しみに気持ちが前向きになる一方で、現実的に考えなくてはならないことがたくさんあり、気持ちが後ろ向きになることもあります。それでも、後悔のないように納得のいくまで治療に取り組んでいきたいです。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年04月29日「2015年社会保障・人口問題基本調査」 によると、5.5組に1組の夫婦が不妊の検査や治療を受けたことがあるそうです。わが家もそのうちの1組で、筆者が27歳、夫が33歳のときに不妊治療を始め、約1年の治療期間を経て第一子を授かりました。今回は筆者と夫が不妊治療を始めたきっかけについてお伝えします。 今赤ちゃんができたら困る筆者が結婚したのは25歳のときで、就職して3年目の仕事もまだまだ半人前のころ。6歳年上の夫は早めに子どもが欲しかったようですが、筆者は 「まだ仕事がきちんとできないのに、今赤ちゃんができたら困るな……。あと2年くらい子どもは欲しくない」 と考えていました。 夫も筆者の考えを尊重してくれて、その間は妊娠しないようにしていましたが、そのころは 「子どもが欲しくなればいつでも妊娠できるだろう」 と軽く考えていました。 そろそろ赤ちゃんが欲しいと思ったら結婚して2年が経ったころ、筆者が仕事に少し慣れたこともあり 「そろそろ赤ちゃんが欲しいな……」 と思うようになりました。職場には妊娠して出産する女性もたくさんいたし、妊活を始めればすぐに子どもを授かるだろうと考えていたのです。 ところが、基礎体温をつけてタイミングを図ってもなかなか妊娠せず……。数カ月しても妊娠しなかったため、不妊治療のできる病院を調べて診察を受けることにしました。 自然妊娠する確率はゼロに等しいと言われてしまう生殖医療婦人科を受診し、血液検査や卵管造影などの検査を進めながらタイミング法での治療を始めました。しかしタイミング法を3度おこなっても妊娠しなかったため、人工授精での治療をおこなうことに。ところが、人工授精をするために精液を提出したところ、 「この数値だと自然妊娠する確率はゼロに等しいです。顕微授精でないと難しいでしょう」 と先生に言われたのです。 夫婦で治療の進め方を話し合った結果、顕微授精は高額になるということもあり、まずは人工授精に10回程度までチャレンジしてそれでもだめならば顕微授精にステップアップしようということになりました。 結局第一子は人工授精3回目で授かることができましたが、まさか自分たちが不妊治療をしないと子どもを授かることが難しいとは想像もしていませんでした。赤ちゃんが欲しいと思ってから早いうちに検査や治療を受けたことで、必要な治療が受けられたのはよかったと思っています。著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年04月25日筆者は不妊治療をして娘を授かりました。現在は第二子妊娠のために再び不妊治療中です。今、娘は幼稚園に通っていますが、入園前は一緒に病院へ連れて行っていました。そこで子連れでの不妊治療の経験を元に筆者が考えた「子どもを抱えながら不妊治療に通いやすい病院の条件」をご紹介します。 子どもを連れて行きやすい雰囲気かどうか子連れで不妊治療に通える病院かどうかというのは1人目の不妊治療では考えなくていいことですが、第二子以降の不妊治療では重要だと思います。他の患者さんへの配慮で子連れでの来院を断る病院もあると聞いたことがあり、筆者は最初の予約の際に電話で確認をしました。また、子連れでの通院が可能であっても、子どもが遊ぶスペースやおもちゃがないこともあります。混んでいる病院であれば数時間待つこともあるので、子どもが飽きない工夫は必要だと思います。 託児の施設が近くにあるかどうか筆者が不妊治療に通う病院には、すぐ近くに病院が運営している託児所があるのですごく助かりました。空いているときの診察や注射のみの場合はあまり時間がかからないので一緒に通院することも可能ですが、人工授精や検査などで時間がかかるときは預かってもらえる場所があるというのはすごく便利です。また、病院の診察のための託児であれば通常よりも安く預かってもらえるという制度であったため、金銭的にも非常に助かりました。 家から近いかどうかこれは一人目の不妊治療の際にも大切な条件かもしれません。人工授精や体外受精などをおこなう場合は、朝早く病院に行かなければならないこともあります。筆者が体外受精をおこなったときには、深夜に排卵を促す注射を打ちに行かなくてはならないこともありました。治療の内容によっても通院の頻度は違いますが、子どもがいる場合は特に準備に時間がかかるため、家から病院が近いと通院をすることのストレスは少なく済んでいます。 いつか生まれてきてくれるわが子のためにと思っても、不妊治療に通うのは肉体的にも精神的にも金銭的にも負担がかかります。少しでも通院することに対するストレスを減らすことができれば、治療に対するモチベーションの維持もしやすいと思いました。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年04月09日はじめまして! この度新しく連載をさせて頂きますトキヒロと申します。4歳女児と日々をダラつきながら過ごす34歳児、よろしくお願いします!!記念すべき第1回は妊娠前まで遡ろうかと思います。子どもが欲しいと思いながらなかなか授からず、不妊治療をしていた頃の話です。当時不妊治療をしてる事は誰にも話していなかったので、平静を装っていましたが数年間の治療でだいぶ精神的に消耗していました。何よりもおめでたいことなのに、100パーセントの気持ちで祝福出来ない自分の心が醜くて、それが余計に自分を追い詰めているような状態でした。落ち込んだ気分の時にネット検索すると、わざわざマイナスな情報や言葉を探して吸収して頭が膨れ上がっていくような気がします。それでもどこかに答えがあるんじゃないかと色々な情報を読み漁りドツボにハマっていくという…まさに迷路でした。これは妊娠中や子どもが生まれて育児に行き詰まった時も、同じような事になったので、つくづくネットが向いてない(笑)。この頃から7年経ち、今思う事。あの頃の私だけじゃなく、不妊治療をしていると、行き場のない焦燥感や劣等感で、自分を責めてしまう事が多いですが、大好きな人との子どもが欲しいと頑張る自分を、少しでも褒めてあげてして欲しいなと思います。
2019年01月29日いよいよ妊婦さんとしての日々が始まり、出産の日を迎えたこてつさん。最後に改めて、3年間の治療を振り返って感じたことを綴っています。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。最終回です。妊娠から出産までの日々2009年7月20日。干し梅のような姿だった透明の卵が、人間の赤ちゃんとしてこの世に現れました。4回目の移植で妊娠した私は、不妊治療中にもそうであったように、ネット検索魔に変身。妊娠中にとったほうがいいサプリメント、カフェインはどこまで摂取していいのか、おすすめ食材・おすすめしない食材、体重の増加について怒られないようにする方法(笑)、妊娠線の出ない方法、安産のためにやらねばならない運動など、ありとあらゆる方法を調べました。コーヒーを飲み過ぎではととがめるオットと険悪な雰囲気になったり、栄養士さんの話を聞いてから昆布やいりこでだしをとるようになったり、黒酢たくさん飲んだりしました。安産のためにとにかく歩こう! と愛犬と一緒に散歩しまくり、10km近く歩く日もありました。頭でっかち、おなかでっかちな妊婦になりました(笑)。 妊娠5カ月になってから周囲の人には伝えました。それまでは「何があるかは分からないから」とずっと秘密にしていました。マイナートラブルはあるものの妊娠経過は順調。力を合わせて産道をくぐり抜け、産声をあげる我が子と対面することを何度も想像し、安産に向けて毎日毎日歩きました。出産予定日。うんともすんともいいません。そのまま予定日を1週間超過しようかというとき陣痛がきました。陣痛は進みが遅く、徐々にひどくなる痛みに2日間耐え抜きました。子宮口がやっと全開近くになり、最後は先生におなかを押さえつけられながらいきんだものの…生めませんでした。不妊治療(特に体外受精・顕微授精など)で妊娠した子は「貴重児」と呼ばれていました。万が一のことがあったとき次の妊娠が難しい、妊娠するまでにかなりの労力を費やしている、という理由からそう呼ばれるようです。そのほか、不育症であった、流産・死産の経験がある、なども貴重児と分類されるとのこと。初めから帝王切開をすすめられるケースもあったと聞いています。バースプランを決めるとき、なるべく普通分娩で生みたいと言いました。さんざん人工的な不妊治療をしてきたのだから、出産くらいは自然な形で普通に生みたいと思っていました。だけど、自然に生むことが普通? 治療中も初めは「できれば自然に」と考えていました。自然=普通? なんで普通になりたいんだろう、私。…普通って、なんだっけ? 数人がかりでサポートされながらいきんだ後、帝王切開を提案されました。「せっかく不妊治療してまで授かった命だからこそ、最後の最後でリスクを背負うことはないよ」。先生が言いました。このまま頑張れば普通分娩で生めるかもしれないけれど、万が一のために帝王切開で安全に取り出したほうがいいとのことでした。手術が決まるとあれよあれよと準備が進み、私は手術台の上で張りつけの状態に。始まって数分、泣き声が聞こえました。「へその緒が2重巻きで回旋異常だったよ。だから出てこられなかったんだねぇ」と先生。あー、そうだったんだ~。帝王切開でよかった…無事でよかった…。出産くらいは普通がいい。そう思っていた気持ちはなくなっていました。(この後しばらくして、「おっぱいくらいは普通にあげたい!」となるのですが…こりない私。苦笑)視線の先に、助産師さんに体を拭かれながら泣きじゃくる声と我が子の足が見えました。まだ手術台に張りつけにされたままの私の手に頭が触れるよう、計測等をすませた赤ちゃんを連れてきてくれました。その頭は、まだシットリ湿っていました。「久しぶり~」心の中で声をかけました。なぜ「久しぶり」かというと、0.1mmの受精卵以来の再会だったから。こうして私の不妊治療は幕を閉じました。自分の中のさまざまな気持ちに苦悩し、はいつくばって進むような日々。夫婦で本音をぶつけ、泣いたり、笑ったりした日々。いろいろなことを知り、いろいろなことを感じました。女性として生む・生まないを真剣に考えること。子どもがいることだけで幸せか不幸せかは決まらないこと。自分の体を知ること。家族の体を知ること。心と体はつながっていること。妊娠は思い通りにならないこと。自分の気持ちを奮起させて挑戦すること。失敗が続くとどんどん落ち込むこと。周囲の何気ない一言に疲弊すること。人の感じ方は自分の感じ方と違うこと。赤ちゃんはキラキラしていること。他人を妬む私がいること。平静を装う私がいること。他人のことは他人のことだと割り切ること。流れに身をまかせること。命が止まること。悲しみは他人と比べるものではないこと。夫婦にとって一番大切なこと。自分の心を掘り下げてみること。自分を認めてあげること。想像力を持って思いやる心、人も自分も大切にする生き方。3年間の不妊治療の体験を通して知りました。はっきりと思います。私には必要なプロセスだったと。そして時々、妄想します。不妊治療に挑んだけれど、結局子どもを持たなかった私の人生を。その人生を生きている私も、きっと幸せであるだろうと。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2019年01月23日陽性判定が出て、妊娠が判明。悪阻も始まり、正式に不妊治療クリニックを卒業する日を迎えました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。初めて見る赤ちゃんの心拍4回目の移植で陽性判定をもらい、3日後再受診しました。HCG(※)=394。※=ヒト絨毛性ゴナドトロピン。妊娠中に産生されるホルモン。前回の78より増えているので、とりあえず安心とのことです。ネットでいろいろ検索していたので、この数値だと双子ちゃんではないだろうなぁと分かりました。2個移植したのだから、両方とも育ってほしかったのが本音でしたが。さらに1週間後、超音波で胎嚢の確認をしました。胎嚢はしっかりと映っていました。胎嚢の中にペコペコ動くものあり。 心拍でした。 初めて見る心拍に「ほ~、これが…」と感心します。 少し前から悪阻も始まっていました。 ずっと船酔いのような感じです。 匂いにも敏感になりました。ネギ、玉ねぎなどの匂いがダメでした。 あと、口臭が…。オット&愛犬の口臭に毎回「ウッ」。 隣で寝ていると、寝息がこちらまで漂ってきて「ウッ」。 オットは悲しそうでした。心拍を確認してから1週間後、8週目の診察へ。 頭と体の区別がついていました。 体の丸いポチポチは手足だと説明されました。 芋虫みたいだったのに、人間らしくなってきたね。 身長1.65cm。 軽くなったと思った悪阻はなかなか完全にはなくならず、たまに横になることもありました。 出産予定日が決定。そして初めての母子手帳数日後、出血があり、心配になって受診するも、子宮内に血の塊が残っているのが原因とのことで、赤ちゃんもしっかり見えているし、大丈夫と言われ安心しました。前回とそんなに変わっていませんでしたが、今回は見ているときに動きました(!)。首をカクカクっと左右に振っていました。ベテランお笑い芸人さんのモノマネのような感じ(笑)。おいおい、動くとちょっとかわいいじゃないか。9週の診察。身長2.62cm。順調とのことで、今日は背骨が見えました。 内診後、ドクターが「7月12日だね」と言いました。 とうとう出産予定日が決まりました。「今週中に生む病院を決めて、来週予定している10週の診察後、転院しましょう」と提案されました。 「転院までに母子手帳をもらっておいてください」とも言われました。 …スゴイ。 ここまで来ました。 自分が母子手帳を持つなんて。 オットに母子手帳をもらえると伝えると「そっか~、そうなのか~」と感慨深げです。 自分たちの生活に縁のなかった事が次々とやってきます。 浮かれるというより、なんということだ…という気持ちでいっぱいです。 10週目の診察。これをクリアすると、不妊治療クリニックは卒業です。ドキドキしながら内診へ向かいます。赤ちゃんは、手をバタバタさせながら元気に動いていました。指を確認しました。マンガみたいな短い指。「今日でおしまいです、お疲れさまでした」とドクター。最後にしてはあっけない終わり方です。待合室でオットに報告メールを打ちます。「順調だったよ。とうとう卒業だよ。」と打とうとしたら、「とうとう」のところで急に胸がつまって涙が出そうになりました。必死に我慢しました。3年という月日が長いのか短いのか、よく分かりません。しかし、この3年間、夫婦でさまざまな感情を持ち寄って、話し合い、ぶつかり合い、理解し合ってきたことは事実です。失敗するたびに凹み、考え、立ち上がり、また挑んだことも事実。自分で自分の気持ちをこんなにも深く考えた出来事はこれまでの人生にありませんでした。私は、私をほめようと思います。まだまだ先は長いけれど、とりあえず卒業おめでとう。よく頑張ったぞ、私(…と、オット。笑)。 3年通った不妊治療クリニックを卒業しました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2019年01月09日「関節リウマチ」と聞いて、「治療が極めて難しい病気」と思っている人も多いはず。しかし今、症状の重さに差はあるが、早期発見できれば、怖い病気ではないという――。「現在、関節リウマチの患者数はわが国で70万~100万人と考えられています。いわゆる“お年寄りの病気”と思い込んでいる人も多いのですが、患者数は40~50代が山。全体の8割は女性なんです」そう語るのは、関節リウマチ治療の第一人者で、東京女子医科大学医学部膠原病リウマチ内科学の山中寿教授。手足など全身の関節の中にある薄い膜「滑膜」が炎症を起こし、痛みや腫れが生じる関節リウマチ。山中教授が病気のしくみと危険性について解説する。「本来なら自分の体を守るはずの免疫が誤って、自分の『滑膜』を攻撃してしまう“免疫異常”による病気です。進行すると『関節破壊』を起こし、骨や軟骨が壊れていく。その症状が火事のように体の中に広がっていって、手足の指が変形したり、場合によっては歩行困難を招くことも。さらに心臓、肺、腎臓、神経など全身に炎症が起こり、生命にかかわるケースもあります」徐々に進行することが多いため、症状がひどくなってから治療を受ける人もいるという。「症状の強さや進み方には個人差があり、発症前と同じような生活を送ることが難しいケースもありますが、それは10%ほど。知っておいてほしいのは、早期発見と適切な治療ができれば、日常生活を送ることはじゅうぶんに望めるということです」身近な“難病”ともいえる関節リウマチだが、21世紀になって、治療においては劇的な進化を見せている。「東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター」の患者調査によると、ほぼ進行を停止でき、寛解した患者は’01年の8%から、’17年には58%に急増!この数字の背景には、薬物治療の進歩があげられる。「かつて、関節リウマチの治療といえば、鎮痛剤で痛みを和らげることしかできませんでした。しかし、現在では炎症を引き起こす免疫の働きを抑えるメトトレキサートや、炎症を引き起こすサイトカインという物質に狙いを定めた生物学的製剤と呼ばれる特効薬が治療現場で使われ、いまでも関節リウマチの新薬は続々登場しています。症状を緩和するだけの薬物治療から、関節破壊の進行自体を抑える治療にシフトチェンジしているのです」もうひとつは、検査方法の進歩。高い確率での、早期発見が可能になった。「従来は、血液検査のほかに、骨の一部が欠けたり、骨びらん(骨の表面の細かな損傷)の有無、関節の変形が起きているかどうかを確認するエックス線検査が行われていました。それが、数年前から、エックス線検査よりも早い段階で異常を見つけられる関節超音波検査が全国の専門医療機関で一般的に使用されるようになりました。滑膜の炎症そのものを観察できるため、初期症状で発見することが可能になっているのです」それでは、関節リウマチを予防する方法はあるのだろうか。「今のところ、関節リウマチの予防に有効な手立てはない」と山中教授は語るが、医学の進歩により、この病気の謎は解明されつつあると付け加える。「最近の研究では、発症に関する遺伝子がいくつも見つかっているので、予防医療が進んでいくと思われます。現在、明らかになっている危険要因は喫煙。関節リウマチは遺伝性の病気ではありませんが、両親が患者だった場合は遺伝的要因を持っている可能性があり、そんな人が喫煙すると、発症リスクが約20倍も高くなることが明らかになっています。また、歯周病も原因のひとつとして指摘されています。歯の衛生も心がけるようにしましょう」予防医療も期待される関節リウマチ。“治らない病気”と怖がらず、症状を感じたら早期に医師の診断を仰ごう。
2019年01月06日3回目の受精卵移植失敗の後、心理カウンセリングを受けたことにより、新たな心持ちになれたこてつさん。4回目の移植に臨みました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。4回目の受精卵移植を行いましたカウンセリングを受けた後日、4回目の移植をしました。前回のように管が子宮に入らないなどのトラブルはなく、スムーズに終わりました。今回も2個移植で、受精卵(1)はグレードBB、受精卵(2)は「収縮中」。当時、担当してくださった培養士さん曰く、胚盤胞は収縮と拡張を繰り返しながら大きくなっていくとのこと。収縮したまま移植した卵は、時間がたてば普通の卵と同じようになるかもしれないし、ならないかもしれない。すでに移植して子宮の中なので見ることはできない、などの説明を受けました。そっか~…。残りの凍結卵は1回分です。それは今回のものよりも状態は良くないとのこと。グレードは関係ないというけれど、やっぱり気にしてしまいます。とりあえず、今回のものが着床してくれるよう、今は卵の持つ力を信じよう。その後、黄体補充の注射をして帰宅しました。4回目ともなると心穏やかに…待てるわけもなく、そわそわしながら迎えた判定日前日。夕方に出血しました。少量でしたが、見た瞬間ガーンとなって、冷静ではいられなくなりました。またか。なんで私だけ。そんな思いがグルグルと頭の中をかけめぐります。油断すると涙が出そうになりました。腹痛もありました。生理痛とにている痛み…。今までの移植でホルモン補充をやめる前にリセットすることは一度もなかったので、心の準備もできていませんでした。飲み会だったオットが帰ってきて、出血があったことを説明したら我慢できなくなって涙が出ました。そのまま翌朝になり、重い気持ちでクリニックへ。診察室に呼ばれ、ドクターから妊娠判定の結果が言い渡されました。 結果は「陽性」。え? 前日、リセットと思って泣いたはずが…。…そうか、よくよく考えたら着床出血とも考えられるんだよね。陰性続きで、まさか自分が妊娠するとは考えられずパニックになってしまい、その可能性を微塵も思い出しませんでした…(苦笑)。すっかり出血は生理だと思っていたオットも「ええっ!!」とビックリしていました(笑)。出血はこの時期よくあることだそうです。HCG(※)=78。まだ胎嚢すら見えません。次回は3日後、HCGがググっと上がっていなければなりませんが、今の時期はどうなるにしても卵の力次第。再び、妊娠しました。自分の中では、喜びもあるし、戸惑い・ためらいもあります。それは、妊娠で得るものもあるけれど、失うものもあるから。カウンセリングで教えてもらえていたので穏やかに受け止められました。どっちも自分の本当の気持ち。でも、それでいいんだよね。それが今の私。I'm OK. I'm OK.※=ヒト絨毛性ゴナドトロピン。妊娠中にのみ産生されるホルモン。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年12月26日3回目の受精卵移植失敗後、心理カウンセリングを受けたこてつさん。深い自己分析をすることで、治療に対する意識にも新たな発見があったようです。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。心理カウンセリングで見えてきた「自分の本音」前回のカウンセリングの続きです。姉弟間の関係で、両親から「必要とされていない感」をずっと感じていた私…。 高校での部活の話もしました。私はキャプテンでしたが、監督は厳しく、何かあると「お前にその資格はない!」とすぐにキャプテンを交代させられました。しかも私は上手いほうではなく、キャプテンなのに補欠というポジション。プレイが上手くないうえに、部員を力強く引っ張ることもできず、「監督は別の人に本当はキャプテンになってほしいんだろうな…」と、劣等感と自分が必要とされていない感を強く感じていました。実際、両親や監督がそんな風に思っていたわけではないのかもしれません。でも、私の受け取り方はそうであったことは事実。ずっと自分を必要としてくれる人、愛情に飢えていたのかもしれません。そんな中、オットに出会いました。年が一回りも離れたオットに対して、私はとても安心感を持ちました。自分に自信がないから、同年代と付き合うことはありませんでした。「若い」分、捨てられないはずという歪んだ考えがあったのです。愛情に飢えていた分、オットと出会ったことで今までの人生を『生き直して』いるのかもしれませんね、と心理士さんが言いました。だから、すごく2人の生活が幸せで、満足している。そんな中に、「赤ちゃん」という存在がやってきたら? オットはその子をとても愛するだろう。そしたら私は? 私の幸せな生活が壊れてしまう? せっかく私を必要としてくれる人が現れたのに…。…心理士さんは教えてくれました。妊娠することで喜びや希望を得る反面、失うものもある、と。それは、2人の楽しい生活だったり、経済的な余裕であったり、好きに人生を謳歌できる自由であったり。それを「喪失」と言うのだそう。「喪失」という言葉は「毎周期、妊娠できなかったときに感じる気持ち」としても以前学んでいました。でも、妊娠した場合も、喪失を感じるとは…。だから私は妊娠できたとき、激しく動揺し、怖かったのかもしれません。だから私は子どもを強く求めないのかもしれません。心理士さんから言わせれば、私が生まれて育ってきた環境を考えると、そういった思考になることは当たり前のことであるとのこと。妊娠して流産して、気付くことができたことは、かえって良かったのかもしれないと。ずっと、嫌われないように、丸く収まるように、気付かないうちに自分を犠牲にしてきたことも多かったのでは?あなたは他人にはOKを出すけど、自分自身にはOKを出さない人。他人にNOを出すことに罪悪感を感じる人なのでは? と聞かれました。本当にその通りです。だからイヤなことがあっても「でも、これがあるからいいか~」と、別の良い面でカバーしてイヤなことを放置してしまう。 イヤなことはイヤだなと感じることも必要。「○○がイヤだ~っ!」と思っていいんですよ、そこに罪悪感を感じる必要はないんですよ、と心理士さんは続けます。 良い面でイヤな面を隠すことは、見えなくなるだけで結局解決してはいないのです。争い事は嫌い。だから少しくらい自分が不満でも丸く収まるほうがいい。そうやって首尾よく生きてきたのに、不妊治療を始めたときに、頭では分かっているのに、心がついていかなかったのでしょう。初めて「なんだかイヤだな」とモヤッと思い、そこから矛盾を感じました。 「この時点で気付けたことは幸いだった。OKだった」と言われました。今後どうしていけばいいかには、まず自分をほめましょう。自分にOKを出しましょう、と。思考をプラスに変えていくことは、とても大事だと気づかされました。自分でも薄々感じていましたが、私はかなりのマイナス思考らしいです。それを隠したいので、反動でおちゃらけているのです、いつも。寝る前に、今日1日を振り返り、あんなことをした、これができた、OK! OK! よくやった自分! と、ほめることから始めてみてはと提案されました。寝る前に1日を振り返るのは私の癖です。けれども、今までは振り返って「あぁ言わなきゃよかった~」とか「あの行動はまずかったな…」など反省と後悔ばかりしていました。まったく真逆のことをしていたようです…(苦笑)。自分で自分にOKを出す。これまで30年間、マイナス思考で生きてきているから、案外難しい…。でも、過去と他人は変えられないけれど、自分は変えられるのだ…。それから「矛盾していると感じたままの治療には、旦那さんを理由にしてもいいんですよ」と言われました。「オットが欲しがっているから」と旦那さんのせいにしちゃえばいいんですよ、と。今まで私は、それは責任転嫁・罪悪だと感じていたのです。そっか、そういう理由があってもいいのか…。心にストンと落ちるものを感じました。40分の予定が結局、1時間30分くらい話しました。話しているうちにモヤッと感じていることが形になってきて、自分というものが少し理解できて、カウンセリングを受けてすごく良かったと思いました。心理士さんは、最終的に「今日は悩みはないんだけど~」と世間話に来てくれるのが理想。とおっしゃっていました。人に話すことって大事なんだなあとすごく感じました。このカウンセリングのおかげで、これまでとは少し違った心持ちで4回目の移植を受けられそうな気がしました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年12月12日3回目の受精卵移植が失敗。回を重ねるごとに気持ちが凹む。そこで、心理士さんにカウンセリングを受けたこてつさん。そこで納得のいく分析をしてもらい…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。心理カウンセリングを受けました3回目の受精卵移植が失敗に終わってから3日後。生理がきました。4回目の移植に向けて始動です。子宮内膜をふかふかにすべく、内服薬を飲み始めます。めそめそしている暇もない(苦笑)。でも、それくらいがちょうどいいかな…。前回の卵も「いい卵」と言われていました。その前も。その前も。子宮内膜も問題なく厚くなりました。それなのに、どうして上手くいかないのか。まだ3回しか移植していないのに、そんなことを考えるのは気が早いのでしょうか。1度は着床しているわけだし、回数をこなすしかないのかな。人工授精のときもそうだったけれど、回を重ねるごとに凹み方が激しくなります。この頃、心理士によるカウンセリングを受けました。病院と提携した先生だけど、希望がない限りクリニックには内容を伝えないとのことでした。40代くらいの女性の心理士さんでした。悩みというわけではないけれど…と自分の今の気持ちをポツポツと話しました。…なぜ自分が子どもが欲しいのか理由がないまま、すごく欲しいと思えないのに治療に通っている、それは矛盾しているのではと思う。前回、妊娠できたときにヤッタ! というよりどうしよう…という動揺の気持ちが大きかった。結局流産して、とても悲しい気持ち。欲しくないわけではない、生まれたらきっとかわいい。子どもを求める気持ちが100%ないのは、夫婦2人でも充分楽しいのに、その生活を否定するような気がするのかもしれないと思っている…。などなど、会話を挟みながら話しました。心理士の先生はそれを聞きながら、「今まで達成感を感じたことがないのでは?」と私に聞きました。たしかに、それはありました。成功したことでも何かしら後悔・反省点を見つけて、いつまでもマイナスな方にウジウジ考え続けるタイプです…自分に設定するハードルが高いのか、低いはずなのに高く見えてしまっているのか、どちらにしろ自分を過小評価してしまうところがあるようですねぇと先生。それを言われて、それなら思い当たることがあると自分の家庭環境を話しました。私は、姉・姉・私・弟の4姉弟です。両親は男児を切望していて、男の子が生まれるまで生み続けるつもりだったと冗談交じりに聞いたことがあります。加えて姉から、弟が生まれたとき母は泣いて喜んでいた、と聞きました。「あれ? じゃあ三女の私って残念な子…? ハズレだった?」 ずっとそんな気持ちを心の中に持っていました。「必要とされていない感」をすごく感じていました(だいぶ後に、そうではなかったと誤解は解けましたが)。それを聞くと先生は納得したようで、「きょうだい葛藤」という言葉を教えてくれました。生まれたポジションによって感じる私のような気持ちを、そう呼ぶのだそうです。長子は長子なりに、末子は末子なりに、間の子は間の子なりに、いろいろな葛藤があるそうです。長子は初めての子だからかわいがられる、末子はやはり一番小さいからかわいい。そんな中、中間子は、親になんとか注目されようと目立ちたがり屋だったり、変な子と言われるタイプが多いとのこと。当たっています(笑)。そして、よっぽど秀でた才能(一般的に認められる、勉強やスポーツなど)がない場合、「褒められた」と感じることが少ないそうです。カウンセリングは続きます。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年11月28日3回目の受精卵移植の結果が判明。その後、治療仲間と飲みに出かけ、占い師さんにも占ってもらったところ…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。3回目の移植判定結果が判明。3回目の移植の判定を聞きにいきました。結果、見事に陰性。HCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン。早期の妊娠検査に用いられる)=2以下…望みなし、と自分でも思いました。今回もいい卵だったんだけどね~、とドクター。次回も2個移植になるでしょうとの話を受けて退室します。その後、看護師さんと別室でお話。自分の中では次の周期からまた移植準備に入ろうと決めていたので、特に話すこともないかな~と思っていたのですが「残念でしたね、いい卵だったのに、ねー。」なんて優しく言われると涙が…。少し泣いて、確率から言って4、5回は挑戦して、悩むのはそれからにしたいと思います、と伝える。今日から薬を飲まなければ、2~3日後に子宮はリセットする予定です。そうしたら、また一から内膜作り。とりあえず、やれるところまではやるつもり…でも…どこまでやればいいんだろう。頑張っても報われないこともある、ということをヒシヒシと感じつつありました。オットが帰宅しました。今回も、2人でヤケ酒を飲みに行くことに。その前にギューと抱きしめてもらって、ひと泣きしました。愛犬がそのまわりをうれしそうにウロウロするので、笑ってしまいました。しばらく泣いて、もう大丈夫。また明日から、頑張りましょう。とりあえず、今は、前進あるのみ。それから後は、そのときになってから、また考えよう。4回目の移植に向けて、治療仲間と3人で飲みに行きました。その飲み会の帰り、酔った勢いもあり、人生で初めて手相を見てもらいました。占い師さんは街角に座っていた着物の女性。治療仲間みんなが見てもらいました。みんな聞きたいことはひとつ!(笑)「今後、子宝に恵まれるか」3人が3人とも同じことを聞いて、占い師さんはどう思っただろう(笑)。結果、3人とも「できない相ではない」とのこと。焦らずリラックスして。と、皆言われました。そりゃ、分かってるけどさ(笑)。「(当時)結婚8年目です」と言うと、そんなにできないなら神様におはらいをしてもらうのも手かも、とも言われました。高度生殖医療をしてもまだできない。と愚痴ると、排卵にもタイミングがあるから数うちゃあたるというものでもないです的なことを言われました。ん? この占い師さん意味分かってる? 適当なこと言ってない? 疑いの目を向ける私(笑)。 そのほか気をつけることとして、言葉に注意と言われました。特に目上の人に対して気をつけなければ、災いを招きかねないそうで、人相(口)を見てもそういう相が出ているもよう。それは私がしゃくれているからですか?(受け口です…笑)たしかに、自分でも口は悪いと思います。言ってしまって後悔、ってことがよくあります…。そのほかにも、親を大事に、夫と仲良く。占い師さんを疑わず(あ、これは言われてないです~笑)。当たり前のことが大事なようです。そうしたら、いつか私のところには赤ちゃんがきてくれるのだそうです。今はこんな占いも信じたい気分です。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年11月14日2回目の受精卵移植が着床せず、続いて3回目にトライ。今回は2個を戻すと先生に言われたものの、見せられた写真には1個しか見当たらず、不安になるこてつさん。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。受精卵移植3回目「初めての2個同時移植」前回の妊娠(その後、初期流産)から買い続けているものがありました。それは…「たまごクラブ」。バカだよなぁ~、と思いつつ買うのをやめられません。予習のつもりもありましたが、現役妊婦さんたちが1カ月ごとに妊娠経過を紹介する妊婦日記の企画があり、その方たちが無事に産めるのか、どんな名前をつけるのか。一番楽しみなページでした。この頃は妊活雑誌「赤ちゃんが欲しい」と「たまごクラブ」を両方購読していました。いつか、たまごクラブだけを買う日がくることを信じて。両方ともまとめて買うのは少し恥ずかしかった記憶があります。3回目の移植が始まりました。グレードの良い卵があと1個残っているけれど、これまでの結果から考慮して、3回目は少しグレードの落ちる2個を戻すことになりました。多胎のリスクもありますと言われ、「まぁそれも運命でしょう」と悟りきった老人のような返答をしてしまいました(笑)。これまで同様、薬で子宮内膜を厚くしました。加えて、今回は初めて子宮内膜刺激というものを行うことになりました。移植の2日前に子宮の壁に少し傷をつけ、その傷が修復する働きを着床にも利用するとのこと。傷をつけるといっても、移植のときのカテーテルを挿入するのと同じことで、痛みはほとんどないと言われました。実際、カテーテルを挿入し、つんつんと当たったな~と思ったらもう終了でした。その後も注射を続け、移植日になりました。昼過ぎ、クリニックに到着後、すぐに診察室に呼ばれます。ドクターから1枚の写真を見せられ、「これが今回移植する胚盤胞です」。見ると1個、すでに脱出中の卵が。…あれ? 1個???たしか前回の診察で、次回は2個って言われたよなぁ…。それとも2個融解したけど1個はダメだった?? でもそれならそう説明するよなぁ…。頭の中に「?」マークがたくさん浮かんでいるうちに、さっさと移植室に移動させられます。診察室を出たあと付き添ってくれているオットと「…1個だったね??」と言い合います。看護師さんに疑問をぶつけました。「今回2個と聞いてたんですが、私の勘違いだったんでしょうか?」それを聞いた看護師さんは慌てて確認をとりに行き…また診察室へ呼ばれました。どうやら私の勘違いではなく、病院の手違いだったようです。すぐにもう1個融解することになり、さらに遅い時間で移植をするはめになりました。しかも今度融解するのは2個同時に凍結している分で、ということは卵が1個余ります。「それはどうなるの??? 捨てられちゃうの???」と不安になりましたが、よい状態なら再度凍結するとのことでホッとしました。近くの電気店で時間をつぶします。テレビ、洗濯機、掃除機…欲しい。でも治療にお金がかかるから我慢我慢。電話がありクリニックに戻ります。今回移植する2個の卵の写真を見せてもらいます。1個は最初の胚盤胞、さっきより成長しています。後から融解した1個は、アシステッドハッチングをしているものの、まだ脱出していません。グレード「回復中(4割)」と書いてありました。凍結時にグレードABだったから、それよりちょっと悪いくらいなのかな。ちなみに今回移植しない胚盤胞は凍結時グレードCB。融解後の感じは、移植できるかどうか…というくらいの状態で、結局再凍結は無理でした。これで、3回目の移植で妊娠できなかったら、凍結胚は残り2回分です。消毒後、カテーテルを挿入…のはずが、子宮が左に曲がっているらしく(たまにあることだそう)、柔らかいチューブが入っていきません。なかなか長い時間グリグリされましたが、やはり入らなかったようで硬いチューブに変更しました。ちょっと子宮をひっぱりま~すと言われ、ピンセットみたいなもので引っ張られました。痛い…。ドクターがなにやら苦労している様子でしたが、ようやくチューブも入り、やっと胚盤胞を移植することができました。そんなこんなで普段より移植時間もかかり(約40分)、終了したのは19時前。下半身むき出しの体に、エアコンがガンガン効いた移植室は寒かったです。その後、注射をしてお会計をしました。約8万円也。電化製品はまだまだ新調できそうにありません(笑)。不妊治療、本当にお金がかかる!!初の2個移植、いろいろハプニングはありましたが無事にすみ安心しました。判定日までなるべく無理せず、ゆっくり過ごすことにしました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。【お知らせ】第38話 「不妊治療中「一生忘れない!」怒りにふるえたオットの一言」 の記事下アンケート「Q1. 夫の何気ない一言が「許せない…」と思ったことはありますか?」のアンケート結果はこちら↓≫ 「夫の気遣いの方向性完全間違ってます! 夫が妻に言ってはいけない一言」
2018年10月24日流産を乗り越え、2回目の受精卵移植にトライしたこてつさん。結果そのものよりも、オットの態度に落ち込んでしまい…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。2回目の受精卵移植「我慢の日々、かさむ費用…」2回目の移植に向け、準備を始めました。まずは子宮内膜を厚くするための投薬開始。今回、前回と続けて生理周期が普段より少し長めでした。まだ卵巣が回復していないのではと気になり、この状態で移植をしてもいいのかと質問しました。ドクター曰く、ホルモン補充していくので問題はないとのこと。それに、排卵までの期間が長くなるのは、PCOS(多嚢胞)の人にはよく見られる傾向だそうです。 「卵巣がサボりだしたんでしょうねぇ」とドクター。これからも段々周期が長くなる可能性もありますよ、とのこと。でも体質だからしょうがないですねと言うと、そうですねとの返答でした。移植予定日が決定しました。それにより、オットの会社のイベントに合わせ、ついて行こうと企んでいた旅行もキャンセルが確定しました。移植後の飲酒は禁止なので、夫婦で飲みに行きました。もし妊娠できたら2年近くアルコールとはオサラバか。参加予定だったスポーツ大会も移植後になってしまうので、キャンセルしました。今はすべてにおいて治療が優先ですが、悲しい…。いやいや、いっときの我慢。子どもができたら我慢することはもっとあるはずだしね。世の中のお母さんたちは本当にえらいなー。今は最優先すべきことに集中しよう…。そう自分に言い聞かせ、移植日を迎えました。移植前に融解した胚盤胞の写真を見せてもらいます。成熟胚盤胞グレードAA。おぉ、いい感じ。受精卵は優秀です、とドクター。アシステッドハッチング(胚を包む透明帯という膜を少し破ったり薄くしたりして、着床率の向上を図る生殖補助技術)をしているので、そこからドロリといった感じ(ただのイメージです)で中身が出てきていました。その部分から着床していくとのこと。子宮内を消毒します。これが毎回地味に痛いのです。看護師さんがおなかから超音波をあて、ドクターはカテーテルを使って子宮内へ受精卵を送ります。その様子は頭上のモニターで確認できます。管を通って前進する白い光が見えました。受精卵だ。まるで蛍みたい。 カテーテルが抜かれると、白く光る受精卵だけが子宮内に残りました。その輝きが続くのか、季節とともに去っていくのか、知っているのは神様のみ。1回目の移植を参考にお金を準備していました。が、料金が足りませんでした。クリニックの階下には銀行もあるけど、あいにくすぐに下ろせる口座の残金は480円…(マジです)。ということで1万円未納にしてもらいました。しかもお金のことで頭がいっぱいだったのか、座薬や飲み薬を入れた紙袋を置き忘れ、途中まで帰っていたのだけど、気づいて引き返しました。いろいろ恥ずかしい…。なんだかドタバタした移植後となってしまいました。そして、10日後の判定日。グレードAAの輝かしい胚盤胞は…着床していませんでした。2回目だし、本当はもっと凹まないはずだったのです。はずだったのに…。実際、家に帰るまでは、そんなに落ち込んでもいませんでした。それなのに、帰宅してオットと口けんかになりました。オットはなにをどう勘違いしたのか、「私が暗いのは、旅行に行けないことを不満に感じているのだ」と思ったのでした。それなのに(会社のイベントなので)自分は行かねばならないことに後ろめたさもあったのか、理不尽に怒っていました。 その怒りの矛先は私には向けられないので、物に当たって、すごい音がして、なんだか妙にそれがショックで…。どちらかというと着床しなかったことより、けんかのことがショックで、2日ほど思い出しては泣いていました。移植に失敗して暗いのは当たり前に想像がつくでしょ、普通…。私は凹んでいる(と気づかってくれてもいい)のに、そんな日になんでそんなにキレるんだよぉ。ダブルショックだよぅ。そんな思いでいっぱいで、さめざめと泣いた結果、まぶたがはれてひどい顔になりました。「今回は、残念ながら妊娠しなかったみたい」とドクターに言われ「まぁ、そういうこともあるだろうなぁ」と素直に受け止めることができました。判定後、今後の治療方針について看護師さんと話し合い、2回連続で移植しているし、しばらくお休みにしようと決めました。身体的には、すぐ次周期で3回目の移植をしても問題はないとのことでした。でも精神的に、少し休憩したい気分です。帰宅後のけんかでその思いはいっそう強くなった、というか、そのときは「もうやめたい」と思いました。旅行も大会もキャンセルしたのに、妊娠せず。オットにはキレられ、いい思い出のない2回目の移植は幕を閉じました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年10月10日子どもを授かるために、禁煙に努めていた夫。しかしある日、つらい治療に励むこてつさんにとっては聞き捨てならない言葉が飛び出し…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。「たばこは精子の運動率を下げる」とドクターに言われて以来、オットは1年近く禁煙をがんばっていました。杜仲茶(とちゅうちゃ)の葉を使ったニコチンレスのたばこを吸ってみたりしたけれど、完全にはやめられませんでした。「まず買わない」という作戦もとっていましたが、飲み会などではどうしても吸いたくなるらしく、同僚にもらっていました。また、私と口げんかをしてイライラしたときには吸っていました。採卵が終わったくらいから、徐々に増えてきているような気がしていました。自分の役割はもう終わったと?(怒)やめられるのは本人の意思のみだと思っているので、私もあえてやめてとは言いませんでした。そんな禁煙に努力している中、オットは私が一生忘れないであろう言葉を言ったのです。やめようやめようと努力しても、なかなかやめられず困っていたオットに、私は「病院に行ってみれば? 禁煙外来とかあるらしいよ」と提案してみました。すると、「それは絶対に嫌だ」と言います。「どうして?」と聞いて返ってきた言葉が…言葉が…今思い出しても腹が立ちます(笑)。オットは言いました。 「(通院するのは)ストレスになる!!」と…。 …絶句する私。数秒後、「なぁぁぁにぃぃぃぃ?! 今、何と言ったぁぁ、ごるぁぁぁ!」と、叫…べたらよかったのですが、あまりのショックに言葉まで引っ込んでいました。心の中で叫びます。「どの口でそんな言葉が言えるんじゃぁっ!? 毎日のように治療に通っている妻の目の前で! ストレスを理由に病院行かなくていいんなら、私だって行ってないわ!! このボケカスがぁぁぁぁぁっっ!!」この時は信じられない気持ちと怒り、ショックでぐっちゃぐちゃになり、私の思考回路はショート寸前(笑)。目を見開いたまま突っ立っていた気がします。言った本人は全く気にしていません。それは私が言わない・怒らないから当たり前なのですが。今思えば、この時に言葉にして言えばよかったのですよね。私の悪いクセです。嫌ならそれをすぐに伝えれば、相手に分かってもらえることは多いのに。しかし、怒らないけど忘れない。私はじっくり怒りを熟成させるタイプです(暗)。「このことは一生、絶対に忘れないからな! いつかこの仕打ちに対する仕返しはさせてもらうからな!」…と、心で叫んでいました。(笑)そして、10年後…。今、こうしてインターネットでオットをさらす私がいます。さらしてもなお、この一言は一生忘れないでしょう。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年09月26日流産後の回復期間中。なかなか心の回復がままならず、ちょっとした誤送信メールを受け取ったり、友だちの会話を聞くだけで複雑な思いに陥っていました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産の手術後、体は順調に回復していました。しかし、どうにも心が回復できず、起き上がるのも億劫(おっくう)な日々を過ごしていました。人と話すことは極力避けたいし、避けていました。やることはあるのに、やる気が起きない。寝てばかりの毎日。心と体のバランスがじょうずに取れない。「子どもを欲しい」と心からは思えない…と暗くなり、気持ちを切り替えて「よしやったるぞ!」と治療に奮闘し、妊娠して動揺し、流産で申し訳ない気持ちと悲しみを感じ、今また落ち込んでいる。めちゃくちゃな私の心。治療を始める前はこんなに不安定ではなかったのに。術後、ちょうど1カ月で生理がきました。子宮鏡の結果によれば経過も良好、子宮はきれいな状態に戻っているとのこと。この頃には落ち込んでいた気持ちも回復し、平常心で過ごせていました。さらに次の生理が始まったら、2回目の移植に向けて準備していくことになりました。生理3日目までにクリニックへ行き、ホルモン剤の内服を始めます。生理を待つ間、こんな出来事がありました。家を新築した友だちから、新住所の連絡メールが届きました。送る相手を間違えたのでしょう、住所のあとに『育児うまくいってる?』の言葉が添えられていました。『もうハイハイで目が離せないころかな。つかまり立ちは? また成長を教えてね』その後もう1件届いたメールには、同じく住所のお知らせと『ぜひ遊びにきてね』の文字。こっちが私宛の正しいメールだろうな…。手術直後じゃなくて、だいぶ立ち直っている今でよかったよ。苦笑いと少し複雑な気持ちが、コーヒーに入れたミルクみたいにくるりと回って溶けていきました。濁った液体をごくりと飲み干し、返信しました。『うん。地の底をはいずり回って、必死に何かにしがみついて立ち上がろうとしているよ。少しは成長しているかなぁ、私』 …なんて打つはずもなく、『遊びに行けるのを楽しみにしてるね』と。こんなこともありました。ゴールデンウィークにオットの地元に帰省したとき、オットの親友家族たちとBBQをしました。その当時42歳のオット。親友の中には、成人を迎えた息子さんがいる人もいました。私が結婚した当初、小学生だった娘さんは、高校3年生になって彼氏の話をしていました。宴もたけなわ、ほどよく酔っ払い、ふわふわしていた私の耳に隣の会話が聞こえてきました。「自分の子どもたちが結婚したら…」「早く孫が欲しい…」親友たちがその話をしている最中、オットは愛犬と追いかけっこをして遊んでいました。無心に。楽しそうに。そう見えるように。親友たちのその会話にオットが混ざることはありませんでした。子育ての話をする友だちの会話から、何かの用事にかこつけてそっとフェードアウトしたり、表情を読み取られないように上手な顔で端っこに座っていたりすることを私はよくやっていました。オットを見ていて、そのときの自分を思い出しました。不妊でつらい想いをするのは女性だけではないようです。愛犬と遊ぶオットの声を聞きながら、もう片方の耳では、親友たちの子どもの話を聞いていました。猛烈に切なくなりました。オットを早く「お父さん」にしてあげたいとすごくすごく思いました。泣きそうになるのをぐっとこらえて、その後はあおるように飲み続けました。不妊治療を始めてから、意識していなくとも『子ども』というキーワードが目につき、耳に入るようになりました。自分に関係がなくとも、胸を締め付けられたり、モヤッとしたり、心がざわりとしたりすることもあります。誰も悪くない。そう分かっているので、そんな出来事があるたびに、心が少し疲れてしまうのです。前向きにいきたい、と意識しても、無意識に疲れてしまうのです。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年09月12日流産後の処置の話です。生理で体外に流れ出ることを待ったものの、胎嚢が残ってしまったため、そうは手術を受けることに。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。初めての「そうは手術」を経験「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて…次に目を覚ますと手術は終わっていました。初の、そうは(掻爬)手術。全身麻酔、日帰りです。家族の付き添いが必要ということで、オットに休みを取ってもらいました。いつもの不妊治療クリニックではなく、地元の産婦人科での手術となりました。朝9時に病院へ。子宮口をひろげるための処置をして、病室へ入院しました。血圧、熱を測り、点滴の針を入れました。途中、抗生剤などの液も入れるとのこと。 が、これが曲者でした。針は5cmくらい。それを全て血管に刺さなきゃいけないもよう。私はもともと血管の出にくい女。看護師Aさんは、初めから自信なさげ。「針が長いんですよね~」と言い訳(?)しながら、ぷすり。ぐりぐりと血管を探し、針を出し入れされます。痛い…。2回目も同じく、散々ぐりぐりしたあと、点滴を投入するも液漏れしてきて超痛い…。看護師Bさんにチェンジしました。おなじく失敗。右手に変えて4回目にチャレンジ。失敗。すでに不信感でいっぱいです(笑)。すると看護師Bさんは頭を使いました。洗面所にお湯をたくさんため、ここにしばらく手を浸けててくださいとのこと。温まって血行がよくなり血管が見えやすくなるという。なるほど。5度目の正直で無事成功! が、すぐに点滴につながなかったので血がタラタラタラと逆流してシーツを汚しました… 妊娠してかかるならこの病院かと思っていたけど、考え直そうと本気で思いました…。しばらく、テレビをみながら点滴を受けました。出産が控えているということで、予定より早めに手術台へ上がりました。足をくくられ、鼻に酸素チューブをさされ、口元に酸素マスクを当てられます。「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて、返事をしたところまでは覚えています。次に意識が戻ったときは「終わりましたからね~」と言われた時でした。 朦朧とした意識の中で、病室で待っているオットのことを思い出したら、涙が出てきました。涙はとまらず、やがて号泣に。自分で拭くこともできず、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で病室に戻り、麻酔が覚めるまで横になっていました。経過は問題なく、夕方に退院できました。 術後は、たくさん泣きました。夜寝るときも涙があふれて止らず、オットがティッシュで何度も拭いてくれました。成長していないと分かった時点で、お腹にはもう赤ちゃん(の魂)はいないと思っていたので手術自体に抵抗はありませんでした。でも、それまでの「いろいろ」を思い出して泣きました。ごめん…ありがとう…ごめん…。泣きすぎて頭痛がひどく、痛み止めを飲みました。次は、1週間後に検査結果を聞きに手術をした産婦人科へ。そして1ヶ月後(もっと長い可能性もありとのこと)に生理がきたら不妊クリニックへ。そこで子宮鏡をして取り残しがないか、状態が正常に戻っているかなどをチェックし、さらに次の生理から2度目の移植の準備に入ります。不妊治療の長いトンネルはまだ終わりが見えませんでした。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年08月22日