次男を妊娠中、高齢出産ということもあり、妊娠15週でクアトロ検査をおこないました。結果はまさかの陽性。おなかに針を刺すことによってリスクが生じるおそれのある羊水検査をおこなうかどうかの選択をしなければならず、悩んだ結果、羊水検査を選択した私の体験談です。 軽い気持ちで受けたクアトロ検査妊娠当時、私は36歳で出産時には37歳。高齢出産になる年齢でした。高齢出産ではダウン症などの出産率も高いと聞いていて、漠然とした不安感がありました。 そんなとき、通院している産院で「クアトロ検査が受けられます」という張り紙を見つけたのです。値段もそれほど高くなく、血液検査だけでおこなえるというのも魅力的でした。 まさかの陽性結果クアトロ検査をした結果はまさかの陽性でした。医師から陽性の結果を告げられ、羊水検査をどうするか聞かれました。続いて羊水検査には破水のリスクがあると説明されたときには、「受けません!」と言って号泣……。それまでの健診で一度も異常を指摘されたことがなくて順調だったこともあり、まさか陽性の結果が出るとは思いもよらず、ただ陰性の結果を見て安心したかっただけの自分に気付きました。 真剣に悩んだ結果…その後、どうするかは保留にし、一度帰宅しました。夫にも検査結果を伝え、もし子どもがダウン症だった場合、自分たちに育てられるのか? きょうだいがダウン症だった場合、長男にどんな影響があるのか? と話し合いました。私の気持ちはもちろん、夫の意見や2歳になる長男の言葉の遅れで発達に不安があったことも考え、羊水検査を受けることにしました。 羊水検査は陰性検査の日、私はとても緊張していて、少しでも動けば破水してしまうのではないかと怖くて仕方なかったです。検査自体はすぐに終わりましたが、その後もおなかに刺激を与えるのが怖くてずっと布団で横になっていました。 検査の結果は陰性で、遺伝子に関する病気も一切なくひと安心! 羊水検査の結果でおなかの子どもが男の子であることも判明したのでした。 クアトロ検査を軽い気持ちで受けたのが間違いでした。ただ漠然と「高齢出産で不安だから安心したい」という理由で安易に受けたことを後悔しました。しかし、当時の周りの環境や夫の意見、自分の気持ちを考え羊水検査を選択したことに後悔はありません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月11日1人目で、36時間の出産を経験しました。2人目のときは、妊娠40週0日に陣痛が来て入院。先生から、また長時間の出産になる可能性もあるため陣痛促進剤を使用するかどうかの判断を迫られましたが、薬を使わず自然に産むことを決断。「歩いてください」という先生の助言を受け、私がどのように陣痛を乗り越えたかを紹介します。 とにかく歩いて下半身を動かした2人目は、妊娠40週0日のときに陣痛が来て入院。入院中は院内の自由に歩くスペースを利用して、夫と一緒に散歩気分でとにかく歩きました。陣痛の波が来ると壁にもたれかかり、テニスボールで尾てい骨付近をグッと押してもらいながら痛みに耐え、ゆっくりとした呼吸を意識しました。 私の場合は、ベッドで横になっているよりも歩いたほうが痛みを強く感じ、陣痛間隔も5分間隔から2〜3分間隔へと狭くなってきたので、「この調子! もうすぐ赤ちゃんに会えるんだ!」と前向きに考え、足を動かしました。 水分補給はラズベリーリーフティ 私は1人目の妊娠後期〜出産時に、インターネットでお産を軽くすると話題になっているラズベリーリーフティを飲みながら過ごしました。2人目の妊娠後期は1人目のときと同じように、安産になると信じお守り代わりに飲み続けていたので、陣痛中もこまめにラズベリーリーフティで水分補給。 陣痛中は不安と緊張が続き、心身ともに疲れが溜まってくるのですが、ラズベリーリーフティを飲むとホッと気持ちが軽くなり、本当によかったです。 夫と前向きな楽しい会話を心がけた陣痛中、夫と歩き回っているとき、できるだけ私は「痛い、つらい」などの言葉を発さないように心がけました。「赤ちゃんに会えるの楽しみだね、どんな子かな?」と想像を膨らませたり、陣痛の波が来るたびに、「いい陣痛が来たね! きっともうすぐだね!」と夫と2人で声を掛け合いました。 私にとって苦しい陣痛ではあったものの、心強い夫と二人三脚で楽しく、陣痛〜出産を乗り越えられたことが一番の良い思い出です。そして私たち夫婦が、「早く会いたい」という言葉をかけていたことが赤ちゃんに伝わったのではないかと信じています。 結果的に2人目の出産は陣痛開始から15時間の出産となり、1人目の36時間の出産と比べて、半分以下の分娩時間で済みました。先生からは「頑張って歩いたから赤ちゃんも早く出てきてくれたんだね」とうれしい言葉をかけてもらい、肩の力が抜けたことを覚えています。陣痛中によく動き、よく笑った結果、1人目のときよりも早く赤ちゃんに会えたことは私にとって最高の思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月05日わが家は、第一子妊娠をきっかけにセックスレスになり、その後3年ほどその状態が続きました。2人目が欲しいけれど、したくない。私は夫のことを嫌いになってしまったのだろうか。どうしたらセックスレス生活から抜け出せるのかと、長い間悩みました。そんな私の体験談をご紹介します。 第一子妊娠をきっかけに、セックスレスに私は夫とのスキンシップが大好きでした。第一子を妊娠するまでは、多いと週数回、少なくとも週1回はセックスをしていました。 ところが第一子の妊娠がわかってからは、セックスに対して、赤ちゃんへの後ろめたさを感じるように。私が夫の誘いを何度かはぐらかすうちに、夫も私の気持ちに気づいたのか、誘ってこなくなりました。 2人目が欲しいけれど、したくない第一子妊娠中は、赤ちゃんに後ろめたい気持ちからセックスを避けていましたが、産後は「夫のセックス相手の対象とされるのが気持ち悪い」と感じるようになり、夫自身に嫌悪感まで覚えるようになりました。 産後1年ほど経ち、第二子を考えるようになってからも気持ちは変わりません。子どもは欲しいけれど、セックスはしたくない。夫は産後2カ月くらいから再び誘ってくれるようになったのですが、そんな夫にも申し訳ない。どうしたら良いか、とても悩みました。 解消したきっかけは、生理再開私は産後2年以上、生理が再開しませんでした。セックスレス解消に向けて積極的になれなかった理由に、「今、セックスをしても子どもは授かれない」という想いもありました。 出産から2年後に生理が再開したときは、「どうしよう、生理が再開してしまった。セックスもしないといけないのかな……」と憂うつな気分になりましたが、その後、気持ちに変化が。後日、夫からの誘いがあったときにまったく嫌な気持ちにならなかったのです。第一子妊娠から産後2年、合計3年にもおよぶセックスレスがあっさり解消してしまいました! 3年にもおよぶセックスレス生活は、生理再開のタイミングで突然解消されました。それまでの嫌悪感や憂うつな気持ちは、ホルモンバランスのせいだったのかなと思っています。夫のことをまた大好きになることができて、ほっとした出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ子育て中のママ。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年12月24日義父母にとって、待望の初孫である娘はとてもかわいがってもらっています。私自身も結婚当初から良好な関係を築けていますが、1度だけ困ったことがありました。今回はその体験と、私がとった対応法をお伝えしたいと思います。 服の趣味が合わない⋯娘が生後7カ月のころ、初めて飛行機に乗り、遠く離れた義理の両親の家へ連れて行ったときのことです。初めて孫が泊まりに来るということで、気合いを入れて準備してくれていました。家中をきれいに片付け、安全対策も万全にし、すごく安かったからと子ども服も10着ほど買っておいてくれました。とてもありがたかったのですが、洋服だけは困惑してしまいました。なぜなら、あまりにも私の趣味からかけ離れていたからです。私はシンプルな服を好むのですが、頂いた服は「愛ラブmama」と大きく書いてあったり、「向日葵」と刺繍された法被だったり……。外では着せにくいと感じるものでした。 反応に困ってしまった正直どう反応して良いか困りました。気持ちはありがたいけれど、あまり着せたい服ではない。しかもそれが大量にあるので、狭いわが家では収納にも困る。笑顔で受け取るべきか、でも喜んでいると思われて今後もずっと同じような服をもらうことになったらどうしよう……など考えてしまいました。とりあえずその場はお礼を言い、夜、夫と2人になったときに気持ちを伝えました。夫も私と同じように感じていたようで、今後は服はいらないと伝えてくれることになったのです。 義理の母に正直な気持ちを伝える翌日、夫が義母に伝えてくれました。しかし、実の親に対してなので遠慮がなく、「ダサい服はいくら安くてもいらない」と伝えてしまったのでヒヤリとしました。言い方についても、2人で打ち合わせておけばよかったと思いました。私もなるべく傷つけないよう言葉を選びながら「親戚からのお下がりがたくさんある」「初めての子どもなので自分たちも服選びを楽しみたい」と自分の気持ちを伝えました。義母は私たちの想いを理解してくれたようで、その後は肌着やおもちゃを中心に用意してくれるようになったのです。これらは頂いて本当にうれしいです。 趣味の合わないものをもらい続け、たんすの肥やしにするのも申し訳ないので、最初に意思表示ができてよかったと思っています。この一件後も、わが家と義理の両親はとても良好な関係を保っています。子どものことで「このようにしてほしい」というのは今後も出てくるかと思いますが、うまく気持ちを伝え、お互いストレスフリーでいられたらよいなと思います。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年09月15日33歳で第一子を出産し、2人目についても考えていました。育児雑誌やネットの体験談を見ると、年子は大変だとか何歳あけたらいいとか、いろいろな情報が飛び交っています。私は1人目の子をたっぷり抱っこしてあげたかったので、しっかり歩けるようになった1歳5カ月ごろから子作りを開始。しかし、さまざまな事情から2人目を授かることが難しく、結果あきらめることにしたのです。そのときのお話をしたいと思います。 1年の間にすっかりパパとママになった初めての子育ては思ったより忙しく、1年があっという間に過ぎました。私は体力的にも疲れていて、気分的にも2人目を作るという気分にはなれず、1年間以上セックスレスでした。そして性生活を再開したのは、私が授乳を終えた産後1年2カ月を過ぎたころです。授乳が終了したことで夜中に起きる回数も減り、体力的にも余裕ができましたが、気持ちの切り替えが難しかったのを覚えています。1年の間に夫と私はすっかりパパとママになっていたのです。 2人目が欲しい…でも妊娠せず…それでも2人目が欲しかったので、1人目が1歳5カ月になったころから子作りを開始しました。排卵日を計算してタイミングを合わせたり、冷えや食べ物にも注意したりしました。けれどなかなか妊娠しなかったのです。私の場合、1人目をのときは妊活開始から半年で授かりました。妊娠経験もあるし、2人目もすぐに妊娠するだろうと根拠のない自信をもっていたのですが、なかなか妊娠しない状況に焦りました。そのときの私の年齢は35歳。1人出産したからといって、2人目をすぐに授かれるとは限らないんだと当たり前のことに気づいたのです。 2年で妊活をやめた毎月来る生理にがっかりしながら妊活を続けました。不妊治療はしないと決めていたので、生活習慣の見直しや食生活改善、そして基礎体温をつけたり、排卵検査薬で妊娠しやすい時期を測ったり、できる範囲で妊娠に向けて夫婦で頑張りました。 しかし2年経っても妊娠には至らず、毎月がっかりするのに疲れてしまい……。妊活をやめることはとても勇気がいりましたが、精神的につらくなっていたので夫に打ち明けると、「そんなに悩ませてごめんね。いいよ」と言ってくれました。その後は2人の気分で性生活を営なみ、妊娠だけを目的にすることはなくなりました。2人目は授かれませんでしたが、いい夫婦関係を築けたので2人目の妊活をしたことはよかったと思っています。 1人目を妊娠・出産したからといって2人目がスムーズにできるとは限らないという事実を突きつけられ、心が折れそうになりました。結果として2人目の妊娠はありませんでしたが、妊活を通して夫婦でさまざまなことを考え、さらに絆が深まったことはよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年09月05日私は結婚してから5年間妊活を続け、やっと赤ちゃんを授かりました。妊娠するまでは大変でしたが妊娠経過は順調そのもの。仕事をしながらでしたが、近所に住む義理の母を頼ることなく妊娠前と変わらない生活を送ることができました。しかし、ほどよい距離感を保っていたはずだったのが、その関係が崩れてしまったのです。原因となった産後のできごとについてお伝えします。 出産前はいい距離感だった私と義理の母の関係妊娠経過が順調だった私は妊娠前と変わらず仕事に行き、家事も食事も通常運行。大変だったら近所に住む義理の母に手伝ってもらおうと思っていましたが、つわりもなかったのでそれも不要でした。 義理の母も「順調で安心だわ」と突然訪問するということもなく、用事があって来るときも必ず事前に連絡をくれていました。なれなれしすぎず、お互いにいい距離感を保った関係だったのですが、産後あることがきっかけでそれが崩れてしまったのです。 出産後すぐ夜中に押しかけて来てびっくりいよいよ出産となり、産院に行くことを義理の母に連絡すると、「頑張ってね」と応援の言葉をもらいました。無事に息子を出産し、時間は夜の11時過ぎ。夫は両親に無事出産したことを連絡し、面会は明日時間を決めて来てほしいと伝えたそうです。するとその30分後に「今、産院の前に来ている、鍵がかかっているから開けてもらえないか聞いてほしい」と義理の母から夫に電話がかかってきたのです。 私は出産後の処置を受けながら、夫が電話口で怒り口調で会話しているのを聞きました。夫はきっぱりと「無理だ」と伝えると、家に帰ったようです。よっぽどうれしかったんだなと思う反面、ちょっとモヤモヤした気持ちが残りました。 翌日、伺いもなく部屋に入ってきた出産時に出血が多かった私は、貧血で体もつらく、息子の世話以外は横になって体を休めていました。助産師さんからも休養が大事なので、授乳や沐浴以外は今日は新生児室でみますと言われました。スマホを見ることすらつらかったのですが、義理の母は早く会いたがっているだろうと思い、朝一番に面会の時間を伺うメールを送りましたが一向に返事はありませんでした。 すると面会時間を少し過ぎた時間に突然病室のドアが開き、そこには義理の母の姿が! びっくりしている私にはお構いなく、「こんにちは! 赤ちゃんはどこ?」が第一声でした。私は休養が必要な状態であることと、そのために息子は新生児室にいることを説明し、急いで新生児室に息子を迎えに行きました。 出産直後に「2人目は?」の言葉息子を病室に連れ戻り、念願の初対面を果たした義理の母。喜ぶ姿がとてもうれしく、今までの行動も気にしないでおこうと思った矢先、「2人目ももちろん考えているんでしょう?」と言われたのです。 義理の母は私たち夫婦がなかなか子どもを授からなかったことを知っているのに、産後すぐの私にこんなひと言が出るなんて……とショックでした。このとき、これまで通りの関係は続けられない、できれば関わりたくないとさえ思ってしまったのです。その後も連絡をしてから来てほしいと伝えているのに、「通りかかったから」と授乳中に急に面会に来られるなど、嫌な思いをしたこともあり、産後は少しずつ距離を置くようになりました。 孫の誕生のうれしさによる義理の母の言動があまりにショックで、それまでの良い関係が崩れてしまいました。気持ちが高揚してしまったことによるものだとは理解していますが、耐えられませんでした。いつもは気づかいができる義理の母だったということ、また産後のとてもセンシティブな状態のときだったからかもしれませんが、残念でなりません。ほどほどにお付き合いはしていますが、私の心の奥のモヤモヤは消えません。著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年07月19日私は産後3カ月目に産後うつを発症し、通院し始めました。現在は周囲の理解と助けのおかげで回復傾向にあり、新しい仕事を始めることができています。産後うつと診断されショックでしたが、自分を追い詰め過ぎないようにしたことで次第に気持ちが明るくなりました。そのときの私の経験をお伝えします。 育児を楽しみたいのに苦痛で仕方がない初めての出産を無事に終えた私はうれしさと達成感に溢れ、育児を楽しもうと意気込んでいました。でもその気持ちとは裏腹、身体がついていかずに悔しい思いをする日々。夫の仕事の都合で出産前に引っ越し、赤ちゃんとの新生活は新居にてスタートしたため、生活に慣れることと初めての育児との両立は想像していた以上に大変だったのです。 私の母は他界し、父は存命ですが仕事が忙しく頼ることができません。義実家に頼らざるを得ない状況で、関係は良いほうですが付き合いにストレスを感じることも時折ありました。私はそれでも乗り切れる! と意気込んでいたものの、体調不良を繰り返したり、落ち込みやすくなったりと、異変を感じるように……。 産後うつと診断され、ショックを受ける何をするにも苦痛を感じるようになり、産後3カ月ごろに親族のすすめで心療内科を受診しました。医師からは産後うつの症状と診断され、極力ストレスを溜めないようにと言われました。 妊娠する前から産後うつという病名はテレビやネットで見聞きしていましたが、「自分が罹るはずなんてない」と思い込んでいたのでショックを受けました。でも、夫や周囲の人たちが精神疾患に理解があり、偏見を持たずに受診をすすめてくれたことが幸いでした。 心をラクにする方法を探し、快方を目指す産後うつを和らげるには時間がかかる場合があると聞き、物事を焦り過ぎないようにしようと思いましたが、不安定な感情や気分の上下、それが引き金となる周囲の人との衝突に悩み、ひどく落ち込むことも……。 しかし、病気と向き合って今の自分の姿を認めていくことで、かえって気持ちがラクになることに気付いたのです。少しでも育児をラクに乗り切る方法が見つけられるようになった現在は、2歳の子どもと接することを楽しめるまで余裕が出てきました。そして、不安感や焦燥感に悩まされることも徐々に少なくなり、夫が新しく始めた自営業をサポートできるまで回復しました。 産後うつは決して他人事ではないということを思い知りました。産後のストレスや疲労などから、気付かぬうちに不安定な状態に陥ることもあります。でも、悲観し過ぎることなく病に向き合い、いつかは元気になりたいという希望を持ち続けたことが、今の私が元気に過ごせる活力の源となっています。著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月10日現在、アメリカに在住なのですが、体力と健康は誰よりも自信がありました。しかし初めての妊娠時、検査で妊娠糖尿病が判明し、とてもショックでしばらく落ち込んでしまいました。それでも、何とか妊娠生活を楽しみたいと前向きに血糖値コントロールを頑張ったときのことをお伝えします。 まさか、妊娠糖尿病だなんて…妊娠7カ月の定期健診で妊娠糖尿病と診断され、「え!? うそでしょ?」とショックで数日の間は暗い気持ちが続きました。その後、私の担当医がすすめてくれた、栄養士が開催する食事管理のクラスを受けることに。 さすが肥満大国アメリカ、クラスには肥満の妊婦さんがたくさんいてビックリ!そこでは、管理栄養士から毎日4回、血糖値を測るように指示を受けました。初めての妊娠や出産準備だけでも不安だったのに、心の負担が増えたような気がして、ますます落ち込みました。 前向きに食事管理と毎日ウォーキング食事管理を始めましたが、私の場合は指定されていた量以下の炭水化物を摂っても血糖値がかなり上がってしまい、何を食べたらよいのか分からなくなり…。そんなとき、産科の看護師に「炭水化物以外なら制限せずにしっかり食べたらいいのよ!」とアドバイスを受け、気持ちを切り替えることができたのです。そこから炭水化物は最低限に抑え、炭水化物以外の食品をたっぷり食べるようにしました。また栄養士にもすすめられたので、体調に合わせてウォーキングを実施することに! 血糖値コントロールと出産を乗り切った!妊娠8カ月の後半に食事だけでは血糖値が下がらず服薬することになり、これもショックを受けました。しかし、「健康な赤ちゃんを産むため!」と前向きに気持ちを切り替えて生活改善することにしたのです。診断を受けてから数カ月、食事も運動も気を付けてかなり健康的な生活をしたおかげか、体調もよくて体重が増え過ぎる事もありませんでした。血糖値コントロールも服薬も出産直前まで続け、そして予定日より少し早く元気な女の子を無事に出産することができたのです。 妊娠糖尿病という事実はとてもショックで不安でした。初めての妊娠で慣れないことばかりなのに、心がいっぱいいっぱいになりました。それでも前向きな生活を送りたいと気持ちを切り替えて頑張ったおかげで、診断前の生活よりも健康的な妊娠生活を送ることができたと思います。著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年06月18日私は妊娠前からマラソンを走ったり、ジムに通ったりするほど運動が好きでした。食べることも大好きなので、健康管理のためにもずっと運動を続けていました。妊娠しても走り続けたい! 産後は運動を楽しめる余裕がなくなるかもしれないから、今のうちに! と思い、医師に相談しながらできる範囲で体を動かしていました。妊娠中のエクササイズのよかった経験、悪かった経験を紹介します。 無理のない範囲でのんびりエクササイズ私の住むアメリカでは、妊婦さんが積極的にエクササイズを楽しむ姿をよく目にします。私も妊娠前からスポーツが大好きで、妊娠中も続けたいと思っていました。 担当の医師からは、妊娠前にやっていた以上の強度の運動や激しく心拍数の上がる運動、体を強くぶつける可能性のある運動等を避け、疲れすぎない程度なら大丈夫と指導されていました。 そこで、体調が良いときは軽いジョギング、おなかの大きさが目立ち始めた妊娠5カ月ごろからは主にウォーキングを楽しみました。 適度な運動で気分転換担当の医師からは、ほかにも出産に向けての体づくりになる妊婦体操の指導を受けていました。それを体調が良いときに続けていました。適度に続けていたことが腰痛の改善につながったと思います。 またその医師より、体力と筋力を維持したほうが、出産と産後の体の回復を助けるとアドバイスを受けていたので、無理をしない範囲で積極的に体を動かしました。私にとって妊娠中も運動を続けることは、体力維持だけではなく、気分転換と楽しく充実した妊娠生活を過ごすことに役立ったと思います。 体は正直。無理はNG!自分のそれまでの運動経験を過信して、無理をしてしまったこともありました。まだ軽いつわりが続いていたころ、気分転換がしたくて寒い中ウォーキングをしたのですが、思ったよりも調子が良く、長時間歩いてしまい体を冷やしてしまいました。その日は帰宅してからずっとひどい倦怠感と胸やけで苦しみました。 また、妊娠8カ月ごろの暑い日には、飲料水を持っていくのを忘れてウォーキングに出てしまい、途中でおなかの張りがひどくなり、張りが収まるまでとても不安な時間を過ごしたこともありました。 妊娠初期から出産数日前まで、できる範囲で運動を続けました。運動を続けたことは、体力維持の面でもとてもよかったと思いますが、それ以上に運動を継続できたという達成感を得ることができ、出産に向けての不安を打ち消す自信にもなったと思います。著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年06月10日