実母がいる実家で産前産後を過ごすのが一番安心だと思った私は、初めての出産は地元の産院を選びました。里帰り出産については、義母から義実家で過ごしてほしいと話がありました。産後の私の世話をしたいと言う義母には感謝の言葉しかありませんでしたが、気兼ねなく過ごせる実家で過ごしたかったので、義母には丁寧にお断りをしたのです。しかし、義母は納得してくれず、夫や実母に何度も連絡をし、義実家で里帰り出産をするよう私を説得してほしいと話をしていました。それが私には重荷で、やはり実家での里帰りを決めたのです。退院後、毎日義母から電話が……義実家から産院まで車で3時間の距離でしたが、無事に娘の出産を終えたあと、義母はすぐに産院までお見舞いに来てくれました。初孫の誕生を大変喜んでくれ、出産後の私をねぎらってくれました。退院後、私は予定通り実家で過ごしていたのですが、毎日義母から電話がかかってくるようになったのです。 出産前、義母は穏やかでやさしく、私は良好な関係を築けていると思っていました。しかし、里帰り出産をどこでするかという話から、義母との関係が少しずつ崩れてきたのです。 母乳の出をチェックしてくる!義母からの電話は、私の母乳の出のチェックから始まります。何時間おきに母乳をあげているのか、乳房の張り具合、娘がしっかりと母乳を飲めているのか……。初めての母乳育児のため不安なことがあり、最初は義母に母乳の悩みの相談をしました。 しかし、昔、母乳育児をしていた義母ですが、母乳の出がよかったそうで悩みなんてなかったとのこと。「母乳がたくさん出て大変だったのよ」と、私からすると自慢のようにも感じられる発言ばかりで、私の母乳の悩みの相談には乗ってくれませんでした。 義母からの電話に出るのをやめたら……母乳の他に、沐浴、おむつ交換、赤ちゃんのあやし方などの育児について、どうやっているのか毎日のように義母に聞かれ、次第に私は義母からの電話がおっくうになり、静かに過ごしたいと思うようになっていきました。それでも、義母からの電話は毎日続き、私は電話に出ることをやめてしまったのです。 義母には産後のため疲れており、毎日電話には出られないことを伝えたのですが、それがしゃくに障ってしまったようで、夫に「とても失礼な嫁だ!」と話していたようです。夫は私をかばってくれたようですが、義母の怒りは、しばらくの間、静まりませんでした……。 出産前は義母とトラブルもなく過ごしていたのですが、出産をきっかけに関係が変化しました。義母からすると、私の育児が頼りなく心配だったのでしょう。現在は離乳食の進め方が心配なようで、3日に1度は連絡が来ます。義母も私との距離の取り方を模索しているような気がします。嫁姑の関係は長いからこそ、ゆっくりお互いの心地良い距離を見極めていこうと思います。 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2022年09月18日主人公・みちこは、浮気夫との間にできた第二子を妊娠・出産しながらも、その夫と離婚協議中。浮気相手や夫との揉めごとを乗り越え、ついに離婚届にサインをしますが…。主人公・みちこは、美容部員。長女と家族3人で暮らしていたが、ある日、夫が学生時代の先輩と浮気をしていたことが発覚。離婚を決意して浮気の証拠を集めるものの、夫との第二子を妊娠していることが判明。 子どもに罪はないと産むことを決意しますが、浮気相手の失踪や夫の警察沙汰など、キツいつわりと並行して事件が多々起こります。出産を終えたある日、ついに離婚が成立しますが……。 離婚届を役所に提出。ここからが第二の人生のスタートと思いきや… ついに、希望通りの慰謝料や養育費を確保して離婚が成立したみちこさん。たくさん悩んで苦しんだ分、絶対に子どもたちと幸せになると誓います。 そして、娘さんの笑顔を見た瞬間、張り詰めていた心の糸が切れて、涙がとめどなく流れ出ます。みなさんは、何か目的を達成したり、大事なプロジェクトをやり遂げた際、どんな気持ちでしたか? 著者:マンガ家・イラストレーター サレ妻 みちこ
2022年09月17日私は現在2児の母親であり、2人目が生後半年ごろに心療内科から自身が「適応障害」であると診断を受けています。「ずっと苦しかったけど、まさか自分に精神疾患の病名がついてしまうとは……」と、診断が下された当初は戸惑いを隠しきれませんでした。主な原因となったのは育児でしたので、少しでもラクになるよう改善に向けておこなったことをお話ししていきます。 下の子出産後から心身が苦しくなった下の子を出産した直後から「感情のコントロールがききづらくなり、上の子に対して当たりがキツくなる」「泣いたらいけない公共の場面で急に涙が溢れる」など日常生活に支障が出始め、心身共に常に苦しい気持ちや憂うつさが抜けなくなる状態がずっと続いていました。 しかし、当時の私の心療内科のイメージと言えば「死にそうなくらいに苦しくなったときに受診するもの」で、「それまでは気の持ちようでなんとかなる」との考えがありました。 薬の服用はあくまで対処療法と気づく心療内科を受診することに大きなためらいがあったのですが、無理をして育児をおこない、その結果メンタルを崩している私を見かねた夫の助言もあり、下の子が生後半年のころにやっと心療内科を受診しました。 そこで漢方薬や精神安定剤を処方され服用してみると、たしかに以前よりも気持ちは落ち着くし、前より感情面の起伏はフラットになったので一定の効果はありました。しかし、心療内科へ通院してみて初めて、薬を服用してもそれは単なる対症療法だと気づいたのです。 育児をひとりで背負い込む責任の重さ結局、私のメンタル不調の大きな足枷となっていたのが子どもたちのお世話です。しかし、過去の私の考え方は「ママになれば皆していることなのに、なぜ私は不必要にイライラしてしまったり怒鳴ったりしてしまうの? 」「皆と同じことがこなせない。子どもたちにずっと笑顔で接することができない」などと、今思えば不必要に自分を攻め込んでいました。 そんな最中、「なぜ、自分をそこまで追い詰めるのだろう」とふと考えてみたら、私は「子どもが順調に育たなければすべて私の責任だ」と、自分ひとりで育児を背負い込む思考になっていることに気づいたのです。 書籍やTVの情報が私を救ってくれた育児のつらさを解消したいがためにさまざまな書籍などを読み漁り、特に感銘を受けたのがNHKで放送されていた『ママ達が非常事態!?』という番組。放送の中で、人間は本来、ひとりで子育てするのではなく「たくさんの仲間とつながって共同的に育てていきたい」という本能があるという知識を授かりました。 私の育児環境を見直すと、たしかに上の子のときから里帰り出産すらせず、かといって夫も育休取得ができず、ずっと平日はワンオペ育児で慢性的な孤独を抱え込んだまま育児をしていたのだな、と自分の考えを改めるきっかけとなったのです。「そうか、だから私はこんなに育児がつらかったのか」と原因がわかれば、自分が何をすべきか見えてきました。 以前は「3歳ごろまでは自宅で子どもをみないと!」と固執する自分がいたのですが、現在は考えも柔軟になり、日中は保育園を活用してプロの方に子どもたちを任せることにしました。共同で子どもたちを育てている感覚になれて、余裕が生まれるとともに前向きさを取り戻すことができました。保育園には感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月17日私は里帰り出産をしました。実母は私の妊娠がわかってから大変喜んでくれ、出産を心待ちにしてくれていました。しかし、普段から家事を嫌う実母は特に料理が苦手で、私の産後の肥立ちを考え栄養バランスの良い食事を作ることや、頻繁に汚れる孫の肌着の洗濯などが重荷になっていったようでした。 日に日にイライラしていく実母産院から退院して3日を過ぎたころから実母の様子が変化していきました。家事をするたびにため息をつくのです。私は出産時に会陰切開をしていて、座ったときに特に痛みがあり、退院後も続いている状態でした。実母にすべて頼ってしまって申し訳ないと思いましたが、なかなか自分の思うように体を動かすことができなかったのです。 実母は私や孫の世話で疲れてしまったのだろうと思い、その後は自分でできることは自分ですることにしました。しかし、外出はまだ控えていたため、買い物は引き続き実母にお願いしていたのですが、それも負担だったようです。実母から買い物が大変だと毎日のように言われるように……。 今は実母に甘えていいの?生後1カ月を過ぎたころに、保健師さんの新生児訪問が実家でおこなわれることに。わが子は順調に成長していると話があり安心したのですが、保健師さんから「産後を実家で過ごせるのはとても恵まれている。自宅に戻ったら家事・育児で忙しくなるから、今のうちにお母さんにたくさん甘えなさい」と言われ、実母はその会話を笑顔で聞いていました。また、保健師さんは実母に「娘さんとお孫さんのお世話は大変だと思いますが、お任せしますね。お母さんがいれば私たちも安心です!」と言っていました。 早く自宅に帰ってほしいと言われ…保健師さんから言われた「今のうちにお母さんに甘えなさい」という言葉が気になっていました。現状、私は甘えることができないのです。実母が疲れないようにできるだけ家事をしていたので、私もどんどん疲れていきました。そのうちに、わが子も泣く頻度が増え、私は1日中抱っこすることが増えていきました。そして、実父から「母さんがおまえたちの世話でとても疲れている。早く自宅に帰ってほしいと言っている。母さんがおまえに面と向かって言えないから俺から言った」と告げられたです。 果たして実母の本心は?正直ショックを隠し切れませんでした。そして、同時にそれは実父からではなく、実母から直接話してほしかったと思いました。その後、実母と話をすることに。実母は「父さんは母さんを気づかって言ってくれたけど、まだ実家にいていいのよ」と言うのです。 しかし、実母の本心としては、きっとかなりの負担があったのではないかと思います。そのため、私は産後1カ月が過ぎたころ、自宅に戻ることにしたのです。 里帰り出産は、実家で気兼ねなく心身共に休めるものだと思っていました。しかし、私が年齢を重ねた分、実母も年齢を重ねたということ。実家への滞在中、実母の体力が以前よりなくなっていると感じました。今後、子どもの世話などで実家を頼りたくなることもあると思います。そのときは、実家によく相談をして、無理のない範囲でお願いしたいと考えています。 イラストレーター/まっふ 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2022年09月17日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。卵巣のう腫が破裂し、緊急手術をしたあと、えんさんは手術の際に見つかった子宮内膜症の薬を飲みながら生活を送っていました。しばらくして、夫となるハト氏さんと出会い結婚を考えるタイミングに。いずれ子どもの話にもなる、とえんさんはハト氏さんに手術をしたこと、現在も子宮内膜症の薬を服用していることを話すと、ハト氏さんから返ってきたのは「話はたしかに聞きました」という言葉だけ。言葉の真意はわからないまま――。 えんさんがつらい生理痛、卵巣のう腫の手術を経て、ぽっぽちゃんを妊娠、出産するまでの体験談をお届けします。 「子どもは欲しい?」夫に聞くと… 結婚する前、えんさんが過去の手術や病気のことをハト氏さんに話した際、ハト氏さんは「確かに聞きました」という返事だけで多くを語ることはありませんでしたが、このとき「子どものことは諦めていた」と言うのです。 あのときの言葉は、えんさんのことを思ってのハト氏さんなりの必要最低限の言葉だったのかもしれないですね。 しかし、妊娠できないと決まったわけではありませんでした。「今すぐにでも子どもが欲しい」と言うハト氏さんの言葉に、妊活への思いが前向きになっていったえんさん。そしてタイミングを見ながら妊活をスタートさせることとなりました。 本格的に妊活をスタートさせたえんさん。しかし気がかりなことが……。第10話に続きます! 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年09月16日2人目を出産後に、上の娘さんについつい感情的になってしまったママ。その後、上の娘さんに対してどのようにケアしていったのか、そしてどうやって自身の気持ちを持ち直したのかを紹介しています。 長女は産前産後要件で保育園に入園させた現在、3歳と生後7カ月の姉妹のママをしていますが、産後は基本的にワンオペ育児でした。しかし、ありがたいことに、私が住んでいる自治体では保育園の入園要件として「産前産後要件」というものがありました。これは、おおむね妊娠後期~産後2カ月ごろまで「保育に欠ける」と認定された子どもは入園の要件を満たし、保育園に優先して入園できる権利がもらえるというものです。私は本当に運が良く、長女を自宅近くの保育園に入園させることができたので、日中は主に保育園に通わせていました。 長女の赤ちゃん返りにイライラしかし、そう簡単になんでもうまくいくわけがありません。長女は、私の妊娠中はわりと泣きもせず落ち着いて登園できていたのですが、次女を出産後は次第に「保育園に行きたくない!」と言うようになったのです。さらに「家で2人で一体何をしているの?」と聞いてくることも……。ほかにも一度泣き出せば1時間はひたすら泣き叫んでいたり、長女はよく食べる子だったので、ストレスを食事で解消しようとし、食べ過ぎてしまったりすることがありました。私も今の状況をうまく長女に説明することができず、いわゆる「長女の赤ちゃん返り」に対して次第にイライラすることが増えていったのです。 長女を罵倒し、物に当たる毎日今思うと産後1~2カ月ごろが長女に対して一番当たりがキツかったように思います。正直に申し上げると、授乳しているところを邪魔しようとしたり、育児用ミルクを作っている最中にぶつかってきたり、次女が泣き叫んでいても「トイレついてきて」「抱っこして」と要求が止まらない長女に、「うるさい!」「ひとりでできるでしょ!」と罵倒し、腹が立ちすぎておもちゃを壁にぶつけてストレス解消したこともあります。当然長女はそんな私を見てさらに不安定になっていきました。感情的に怒鳴るたびに反省と後悔の毎日で、その場では「ごめんね……」と反省しても、なかなか穏やかなママとはなれず、理想とはほど遠い私でした。 長女優先をできる限り徹底したしかし、産後3カ月ごろになるとだんだんと冷静になれて、「これではいけない」と思い「長女ファースト」の思考をできる限り徹底しました。家事は最低限しかおこなわず、基本的に夫が休みの日だけ掃除機をかけたり風呂掃除などをおこないました。また、次女が寝たらなるべく長女と2人の時間を過ごすことや、夫に次女を預けて長女だけと遠くへお出かけして、特別感を与えるなど思い付く限りのことをやり切りました。 そして次女が生後6カ月ごろ、ようやく長女の気持ちも安定してきて「保育園に行きたい!」「私がひとりでする!」といった自立に向けた前向きな発言が増えていきました。産後まもなくは私も不安定で一時的に感情的になってしまいましたが、すぐに軌道修正を図れば必ず子どもとの関係をやり直すことはできるんだ、と今は実感しています。 著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラストレーター/まっふ
2022年09月15日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。「卵巣のう腫がある、いつ破裂してもおかしくない」と告げられてから約1カ月半……卵巣のう腫が破裂し、えんさんは緊急手術をおこなうことに。術後、医師から言われたのは子宮内膜症であること、再発の可能性があることで――。えんさんがつらい生理痛、卵巣のう腫の手術を経て、ぽっぽちゃんを妊娠、出産するまでの体験談をお届けします。 子どものことなど将来を考え… 後の夫となるハト氏に、病気のこと手術のことを告白したえんさん。 ハト氏さんから返ってきたのは……「話はたしかに聞きました」という言葉だけ。 ハト氏さんがどんな気持ちで病気のことを受けとめたのか、えんさんはわからぬまま……。えんさんは後にハト氏さんのこの言葉に込められた思いを知ることとなりますが、何も言われないというのもちょっと不安になってしまいますね。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年09月15日私たち夫婦は子どもが生まれるまで、ほとんど喧嘩をしたことがありませんでした。状況が変わったのは子どもが生まれてから。相手にこうあってほしいと思う面が出てくるようになり、言い合いになることも。今回は夫婦喧嘩が勃発した、わが家の原因ランキングをご紹介します。 3.自己中心的な行動私は子育てが始まってから、自然と「自分は頑張っているアピール」を夫に放っていました。「こんなに大変な思いをしているのだから手伝ってよ」といった態度で夫に接していたことで、夫婦関係はギクシャク。 今思えば、そういった私の態度は夫にプレッシャーを与えていたようです。夫だって仕事を頑張っています。自分だけ頑張っているという態度をぶつけるだけでは、相手にとっていい気持ちはしないと反省しました。 2.金銭に関すること育児費の負担を減らすため、夫のおこづかいを5,000円減らすことを提案しました。夫はおこづかいが減ることが嫌で、なかなか納得してくれませんでした。私は自由に使うことのできるおこづかいがあるだけいいと思うのですが、金銭面の価値観は男女で異なるのかもしれません。 しばらく夫婦間はピリピリしていましたが、夫が折れてくれました。どちらかが相手の言い分を受け入れること、妥協することも、時には必要だと思うのです。 1.言葉使い産後3カ月ごろまでは、自分のことで精いっぱいでした。心に余裕を持つことができず、相手を思いやる気持ちすら忘れていました。 夫が「ごはん、まだ?」と言ってくることに対し、私は「すぐに作れるわけない!」とぶっきらぼうに応えたことがあります。私の言葉使いが気に入らなかった夫は機嫌が悪くなり、夫婦喧嘩が勃発。ささいなことによる喧嘩を避けるためにも、言葉使いには気を付けるべきだと感じました。 わが家の夫婦喧嘩はささいなことから勃発することが多かったです。普段から会話をする時間を持つなど、コミュニケーションの大切さも感じています。そして忘れたくないのが売り言葉に買い言葉。いったん冷静になることが私の目標です。 監修/助産師REIKOイラストレーター/ムチコ著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2022年09月14日2人目の息子を出産したときのお話です。1人目は陣痛が始まってから出産まで18時間かかったので、2人目もそんなにすぐには生まれないだろうと思っていました。そのため陣痛が来てからも「どうせまだまだかかるし」とたかをくくっていたところ、まさかの事態に……。 前駆陣痛?出産予定日を1日過ぎた日の朝4時ごろ、断続的なおなかの張りを感じ、目が覚めました。「予定日は過ぎたし、もしかしたらそろそろかも?」と思いつつも、まだまだ軽い生理痛のような痛み。 前日の健診でも子宮口は2cm程度しか開いておらず、先生からもまだかかりそうだと言われていました。そのうえ妊娠37週に入ってからはしょっちゅう前駆陣痛があったので、また前駆陣痛かもしれないと、そのまま眠りにつきました。 これはもしや陣痛?再び眠りについたあと、午前7時半ごろ息子に起こされ、目が覚めました。そのころにはおなかの張りもなかったので、やはり朝方の痛みは前駆陣痛だったんだと思い、普段通りに食事をして、息子、夫、私の3人でショッピングモールへ出かけることに。その後たまにおなかの張りを感じつつも、昼食をショッピングモールで購入してから里帰り先である私の実家に帰宅したのですが、家に着いた瞬間、なんとなくダルさを感じた私はすぐにベッドに横になりました。 するとおなかの張りがどんどん強くなり、痛みも出てきました。「これは陣痛かもしれない!」と思いましたが、「本格的な陣痛はこんなもんじゃない、もっと痛いからこれではまだまだ生まれないはず」とたかをくくっていた私は、そのまま実家で様子を見ることに。 これはやばい! いきみたい!陣痛かもしれないと自覚してから30分程、ベッドで痛みに悶えつつも、「こんな痛みじゃまだまだだ」と我慢していました。ですが突然「やばい! いきみたい! 」とまで感じるように。 子宮口が開いていないうちはいきまないようにと助産師さんに言われていたので、深呼吸をしながら必死にいきみ逃しをしていましたが、さすがに焦った私はすぐに産院に電話をし、夫や息子、両親とともに車で産院へ向かいました。 助産師さんが放った衝撃のひと言産院に到着し、先生が診察室に到着するのを待つ間、助産師さんに内診してもらうことになりました。すると私の腟を見た助産師さんがすぐさま、「え! もう頭見えてる! 子宮口全開してるよ! もう生まれる!」と衝撃のひと言。まだ弱い痛みだと感じていた私は、まさかの事態に動揺していましたが、すぐに助産師さんが車椅子を持ってきてくれ、そのまま分娩台へ。 そしてそれから30分後、何度かいきんだあと、息子が生まれてきてくれました。陣痛が弱く感じたことを先生や助産師さんに伝えると、「微弱陣痛というのもあるから、それだったのかもね」と言われ納得。1人目の出産のときはもっと強い痛みでしたが、「痛さ」に基準はないんだと感じました。 1人目のお産に時間がかかった私は、陣痛が来てもまだ弱い痛みだからとすぐ産院に行くことはせず、自宅で我慢していました。でも実際は産院に着いて1時間もしないうちに出産。あと30分でも行くのが遅かったらと思うとゾッとします。出産はそのときによってまったく異なるもの。「こうだろう」と決めつけずに、早めの行動がいかに大切かを痛感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/山口がたこ監修/助産師 松田玲子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2022年09月14日初めての出産、慣れない育児。さらにパパは夜勤のある仕事。ひとりで不安いっぱいだったママが、パパの言動で孤独やストレスを感じず育児をできるようになった体験談です。 アプリで育児記録を共有育児を長時間ひとりでするという孤独感を解消するのに役立ったのが、育児記録を共有できるアプリです。 夫は休憩中に、アプリで育児記録を確認。「昨夜はあまり寝られなかったんだね。今日帰ったら娘と散歩するから、その間ママはお昼寝して休んでね」「今日はうんちが多くて、おむつ替えが大変だったね」など、私に対する気づかいや、娘の様子をうかがう連絡をくれるようになりました。 夫は家にはいないけれど、私はひとりじゃないのだと思い、孤独感が解消されました。 休日は夫とともに育児休みの日は夫が積極的に育児をして娘と関わっています。はじめはうんちのおむつ替えが苦手だったり、何をするにも私に聞いてきたり、私ひとりで育児をするほうが要領よくできると思うこともありました。 しかし、今では夫は授乳以外の育児はすべてできると言っても過言ではありません。夫と娘だけで児童館へ出かけたり、夫婦で離乳食を作ったりもしています。夜勤の日の私の育児負担は大きいですが、休みの日に積極的に育児をしてくれるので負担が軽減されています。 実家に頼ることをすすめてくれた私は産後里帰りをせず、産後1カ月間、実母が夫の夜勤の日だけ泊まりで手伝いに来てくれていました。その期間が終わろうとしていたころ、夫が「今後もたまには僕が夜勤の日に実家に頼らせてもらえたらいいなぁ」と言ってきました。 いつまでも実家に頼っていてはいけない、私の実家ばかり頼ることを夫は快く思わないのではと思っていた私にとってうれしい言葉でした。この夫の言葉で、産後1カ月以降も育児でしんどい日は実家に帰省したり実母に助けに来てもらったり、実家に甘えやすくなり、ストレスなく育児を乗り切っています。 夫が夜勤のある仕事で、初めての育児。不安、孤独で押しつぶされそうなときもありました。しかし夫の気づかいや実家の助けもあり、「私はひとりじゃない」……そう思えたことで、夜勤中の育児も乗り切ることができました。 著者:谷 まゆみ京都府在住、0歳の娘の母。妊娠を機に退職し、現在は専業主婦。妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。 イラストレーター/まっふ
2022年09月14日私の1人目の赤ちゃんは出生体重が3,500g近くありました。1人目は里帰り出産であったため母がいてくれ、また、出産予定日がGW中だったので夫も泊まりに来ている中での出産となりました。2人目も健診のたびに「大きいねー」と言われ続け、出産予定日1カヶ月前で、すでに1人目の出生体重に迫っていました。今回は里帰り出産はせず、夫と娘しか近くにいない中での衝撃の出産体験を紹介します。 これからお産が始まると直感…出産予定日10日前の夜中の出来事です。これといって生まれそうな気配もなく、健診のたびに体重が増え大きくなるおなかの赤ちゃんに恐々しながらも、その日も先生に「まだ産まれそうにないね」と言われて帰りました。 夜中の2時ごろトイレに行きたくなり起きた私は、トイレに行って、キッチンにあった食器を洗って布団に戻りました。 でもやっぱりトイレに行きたいと思ってトイレに行くと少し出血が……。このときはまだ陣痛らしきおなかの痛みはありませんでした。しかし、 これは「1人目のときと同じだ!」と、1人目の陣痛開始のときと同じ雰囲気だったのでこれから陣痛が始まると直感し、入院準備の確認を始めました。 入院の準備をしているとおなかが痛くなってきて、「やっぱり……」と思いつつ、まだまだ痛みは強くはなく動ける余裕がありました。間隔を計ってみると5分間隔……。これも1人目のときと同じで、初めから間隔が短いのが私の陣痛の特徴のようでした。 突然の痛みに身動きがとれず…するとそのとき、普段はどんなことがあっても起きない夫が珍しく起きてきたのです。 「どうしたの?」と聞かれ、「多分陣痛、間隔何回か計ってから病院に電話するわ」と伝え、夫はトイレへ。 夫が戻って来たとき5分間隔が3回、4回続いていたので病院に電話することに。 電話口で、陣痛が始まってまだ20分くらいしか経っていないけど、5分間隔なこと、1人目もそんな感じで出産まで6時間と早かったこと、出血もあったことなどを伝えると、「経産婦さんだとさらに早く生まれることもあるので、念のため病院に来てください」と言われて電話を切りました。 その途端、今までの痛みとは全然違う痛みが襲ってきたのです。「いたたたたー!」と叫びおなか腹を抱えて動けなくなる私。 「早く車へ乗って!」と焦る夫。 痛みが治まっても次の痛みまで1分くらいしかなく、痛みの余韻もあってなかなか動けず、痛みと痛みの間に移動できる距離はわずか。 この痛みは「ただ事じゃない」思い、痛みの合間に夫に「病院に電話して」と伝えましたが、「病院の電話番号は?」と今さらなことを言う始末……。携帯電話に登録させておけばよかったと思っても後の祭り。 なんとか私の携帯電話のロックを解除し、電話してもらったところで痛みが最高潮……。部屋から3mくらいしか離れていない玄関にようやくたどり着いたところで病院に電話がつながり、夫がどうすればいいか対応を聞いていたとき、「もう動けません! 痛い!」と叫んでいました。 ズボンの中の膨らみの正体とは…!?そしてそのとき、突然痛みがなくなり、「動ける! 今なら行ける!」と立ち上がったら、股に違和感が……。 ふと足の間を見るとパジャマのズボンの中になにやら膨らみが。「赤ちゃんが……!」と急いでズボンを下ろすと、膜に包まれたままの赤ちゃんがずるりと出てきてしまったのです。 夫が急いで膜を破ると赤ちゃんが見え、泣き声も聞こえました。電話越しに助産師さんが慌てているのが聞こえてきましたが、私は突然の出産に放心状態。夫がなんとか状況を説明し、赤ちゃんを冷やさないようにバスタオルに包んで病院に連れて行くことに。 車に乗せるまで、私は自分で赤ちゃんを抱き抱え、まだつながっているへその緒に気をつけながら駐車場まで歩きました。車に乗ろうとしたところ、ずるりと胎盤が出てきた感触があったので下を見ると、駐車場に胎盤が落ちてしまいました……。 自分で胎盤を掴み上げ、胎盤も車に乗せて夫の運転で病院へ急ぎました。夜中だったこともあり他の車が走っていなかったので、5分くらいで病院に到着。こんな事態なのにコロナ禍もあって中に入れない夫は、無情にも駐車場でバイバイすることに。 赤ちゃんは3,700gのビックベイビー。少し低体温になっていましたが、とても元気で、半日保育器に入っただけでなんの問題もないとのことでした。私は、股も切れてなかったようで「縫う必要もないね」と先生に言われ、他に異常もなく、母子共に健康で奇跡の自宅出産となりました。 入院中、あらゆる看護師さんや助産師さんに「あんな大きい赤ちゃんよく自宅であのスピードで産めたね」と感心され、出産に慣れている人たちたちにとっても珍しいことなんだなと実感しました。 ちなみに夫は、病院からすごすごと帰って部屋の中や駐車場に散らばった血を明け方の眠い中、必死に掃除していたそうです……。 2人目は早いと聞いていましたが、まさかの陣痛開始から出産まで40分もないスピード出産でした。しかも本気で痛い陣痛は10分くらいだったと思います。2人とも無事だったので笑い話、武勇伝として話せますが、「夫がいるときの陣痛でよかった。そして赤ちゃんに本当に何もなくてよかった」と思うと共に、もし3人目を産む機会があるなら、今度はどれだけ早く出てくるのか……と、ふと思うのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:すほママ3歳と1歳の女の子のママ。親戚も友達もいない土地にて専業主婦として家事に育児に大忙しの日々を過ごす。毎日、娘たちとどう過ごすのか、どこに行くかを考えるのに、頭を悩ませている。
2022年09月13日■前回のあらすじ両親に電話すると、娘の身を案じていた母の気持ちが伝わってきました。親になった今だからこそ、痛いほどその気持ちがわかります。最後の内診命がけで出産した日を思い出して出産とは長い時間をかけて、たくさんの人の協力、自らの命もかけてようやく1つの小さな命が産まれるんですよね。私自身この漫画を描きながら改めて命の重さを考えることができました。最後まで読んでいただきありがとうございました。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年09月13日約7年前、ママ友の出産に付き添ったときの体験談です。一緒に病院へ向かう途中、産気づいてしまって……!?友人の出産に付き添うことに…約7年前の話です。当時、私の娘2人は小学生、友人が5人目を妊娠していました。もともと出産に付き添う予定はなかったのですが、ある日、娘たちが学校に行ったあと、朝から陣痛が来ていると電話があったので、私は友人の第4子を抱っこしながら第3子を幼稚園に連れていきました。 友人宅に戻ると、生まれそうだということで、私が陣痛タクシーを呼び、友人の第4子を私が抱っこして一緒にタクシーに乗りました。友人は「ヒーヒーフー」と言いながら、「生まれちゃいそう」と言うので、私は助産師さんに連絡。 タクシーの運転手さんはカーナビ通りに走っているのですが、明らかに遠回りなので、助産師さんに電話をしながらタクシーの運転手さんに道案内をしました。 「生まれそう」と友人が言うので、「えー! どうしよう……」と思いつつ、「もう少しで着くから頑張って~」と声をかけたのですが……。 え、タクシーで生まれちゃう!?次の瞬間、「ダメだぁ〜」と言って、赤ちゃんがツルっと出てきてしまいました。私が赤ちゃんを取り上げたのですが、どうしていいかわからず慌てていると、友人が「泣かせて〜」と言うので、一生懸命背中をトントンして泣かせました。 なかなか泣かなかったので、一瞬焦りましたが、ちゃんと泣いたのでひと安心。それから産院に着くまでの間、赤ちゃんと友人がへその緒でつながっていたので、どうしようもできず、私はすごい格好で赤ちゃんを抱っこすることに。案の定、筋肉痛になりました。 助産師さんには、「赤ちゃんにタオルをかけてあげたら満点だった」と言われましたが、そんなことを考える余裕もありませんでした。まだまだ暑い季節でしたが、とてもきれいな出産でした。 武勇伝のように伝えてあげたい無事に生まれてきたのでよかったのですが、何かあったらと思うと恐ろしいです。タクシーの運転手さんも陣痛タクシーとはいえ、「実際にタクシーで生まれちゃったのは初めて」と言っていました。 その後、友人の夫も駆けつけ、私がいなかったらタクシーで生めなかっただろうと感謝されました。 いまだに友人関係は続いており、その赤ちゃんは小学生になりました。少しずつタクシーで生まれたことを教えているのですが、まだちゃんと話せません。いつか、たとえば結婚するとき、奥さんになる人に教えてあげたいです。 友人の出産に付き添ったところ、タクシーの中で生まれたという、本当にありえないような体験でした。出産は、看護師さんや助産師さんがいて、環境が整った中で生まれるのが当たり前だと思っていましたが、「本当に何が起こるかわからないもの」と感じた出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:kazueno中1・高1の娘の母です。子供達もだいぶ大きくなり、少しずつ自分の時間増え、5年前、11年ぶりに、パートですが、仕事を始めました。
2022年09月12日■前回のあらすじ吸引でとうとう産まれた赤ちゃんは、4452gの、貫禄たっぷりの巨大児でした!両親と電話で…親が子を想う気持ちはつながっていくこの時のことは今思い出しても目頭が熱くなります。母の言葉にハッとさせられた瞬間でした。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く 「2人目は巨大児でした」(全33話)は12時更新!
2022年09月12日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。「卵巣のう腫がある、いつ破裂してもおかしくない」と告げられてから約1カ月半……えんさんは突然、おなかの激痛に襲われました。緊急搬送され、医師に診てもらうとやはり卵巣のう腫は破裂。そのまま手術となり、無事手術を終えたえんさんは……。 えんさんがつらい生理痛、卵巣のう腫の手術を経て、ぽっぽちゃんを妊娠、出産するまでの体験談をお届けします。 術後、動くのが大変… 手術を終え、その後のう腫は良性であることがわかりましたが、同時に子宮内膜症であることもわかりました。今後は、排卵を抑える薬を服用し、体の様子を見ていくことに。 手術が終わり痛みもなくなって少しホッとした……のも束の間のこと。再発の可能性や、子宮内膜症であることを告げられ……えんさんは複雑な心境だったことと思います。 監修/助産師REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年09月12日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!義母の帰宅時に…義母と完全同居して4年目になります。家事や料理全般は私が担当しているのですが、幼い子どもふたりを見ながらの夕食作りは困難を極め、その日は義母の帰宅時間に間に合いませんでした。義母はキッチンに入ってくるやいなや、お菓子棚をゴソゴソしはじめました。出典:lamire私が泣き止まない息子をおんぶしながら「まだ料理が終わっていなくて…。しばらくかかりそうです。すみません」と謝ると、「帰ってきてすぐが1番お腹がすくのよね〜」とぶっきらぼうに文句を言い放ち、不機嫌な様子でバリバリとお菓子を食べ出したのです。その後も義母はお菓子を食べながら、キッチン内で夕食が出来上がるのを待ち続け、無言で夕食を食べはじめました。家事を全く手伝おうとせず、自分勝手な義母には呆れてしまいます…。勝手に名前を…第一子出産前の話です。妊娠後、性別判断で男の子だということがわかりました。義両親は「跡取りができたと」と、大喜び。妊娠後期に突然手紙でお腹の子の名前を書いた紙が送られてきました。「どういうことですか?」と聞いたら、名前をいくつか決めて、神社で祈祷してもらったから選んでという話でした。それまでそんな話はまったく聞いておらず、子どもの名前に関しては、当然親である私と主人が決めるものだと思っていたので、主人に問い詰めたら「実家の伝統では家長(この場合、義父)が決めることになっている」とのことでした。主人は「名前は自分たちで考える」と事前に伝えていたそうなのですが、それを無視して、しかも私には一言も相談なく、神社で名前を書いた用紙を祈祷してもらって、いきなり送ってきたのです。もう 怒りを通り越して、虚しさと失笑…。この先、義実家とは付き合いたくないと思った瞬間でした。結局、主人が義両親を説得して、名前は自分達で決めました。あれから9年経った今でも、忘れられません。(女性/看護師兼保育士)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。子どものためにも適度な距離を保ちながら、いい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブルエピソードでした。次回の「義実家トラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年09月11日お互いに転勤が決まり、彼と「遠距離恋愛になっちゃうね」と話していたタイミングで、私が妊娠していることが判明! 妊娠がきっかけで彼がプロポーズしてくれ、私たちは結婚することになりました。しかし、彼はそのまま地方へと転勤してしまい、私はひとりで出産することに。なんと、次に彼と会えたのは1年後だったのです! 妊娠がきっかけで彼と結婚することに!お互いに転勤が決まったころ、私の妊娠が判明しました。当時、私はキャリアアップを考えていて、遠距離恋愛中は「仕事に集中しよう」と考えていたため、このタイミングでの妊娠は予想外でした。 とはいえ、好きな人との子どもができたことが素直にうれしかった私。産まないという選択肢はなく、彼も遠距離恋愛になるとわかったうえで、「結婚しよう」と言ってくれました。 長い入院生活が始まり…その後、私が妊娠したことを職場に伝えると、上司からは退職をすすめられました。結婚して出産するなら、転勤する彼についていくべきだと言われたのです。キャリアアップを目指していた私は、仕事を続けるか、上司の言葉に従って仕事を辞めるか、とても迷いました。 迷いながらも仕事を続けていた私ですが、次第につわりが悪化してきてしまい、朝目覚めてもベッドから起きあがれない日も出てきて、仕事を休みがちになりました。 その後、重症妊娠悪阻で入院することに。結局、寿退社に近い形で会社を辞めました。そして、切迫流産と切迫早産により、私は妊娠生活のほとんどを病院で過ごしました。そのころ、彼は転勤で地方へと引っ越し。私の妊娠中に籍を入れたものの、彼とはしばらく会えない日々が続きました。 1年後、ようやく彼と再会!そうして、彼がいないなか、私は無事に子どもを出産。つわりによる不調や初めての出産でずっと不安だったのですが、出産という大仕事を終えて、どこかホッとしたような気分になりました。 しかし、子どもが産まれてからも私の体調は回復せず、しばらく入院生活が続きました。その間は面会もできず、彼とは会えない状況。その後、ようやく退院できることになったのですが、体調不良が続いていて家族のサポートを受けたいと思った私は、実家に帰ることにしました。 そして、我が子を連れて実家に帰った私ですが、退院後も出歩かないままいつの間にか1年が経過。私は、彼に一度も、子どもの顔を直接見せることができていませんでした。そんな状況でも、彼に子どもの成長を写真や動画で伝えたり、電話で話したりすると楽しんでくれて……。それが私の心の支えでした。 その後、私が育児に少し慣れて体調も回復したころに、彼から「一緒に住もう」と提案が! 1年ぶりに会った彼は激務によって若干痩せていましたが、初めて肉眼で見た子どもをやさしく抱き上げ、幸せを噛みしめるように微笑んでくれました。 私が1年間彼と会わなかった理由は、体調不良はもちろんですが、体調が悪く明らかに病人だった姿を、彼に見せたくなかったこともあります。それに、会えば彼がまた遠くに帰ってしまうことがつらく、それならいっそ会いたくないという気持ちもありました。 ひとりきりの入院生活や出産は本当に大変で、長引く体調不良に、精神的にもかなり参りました。でも、「今を乗り越えたらきっと幸せな結婚生活が待っている」と思うことで、つらい時期を乗り切ることができました! これからは、家族三人で幸せな家庭を築いていきたいと思っています。 著者/乙葉えり作画/こいでちゃこ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ちゃこ漫画のお仕事をしています。インスタグラムでグルメ備忘録を更新中。
2022年09月11日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。婦人科の検診で、えんさんは医師から「右の卵巣が腫れていること、いつ破裂してもおかしくないこと」を告げられました。2カ月後の手術まで普段と変わらない日々を過ごしていた際、急に強い腹痛が!病院へ運ばれ、翌朝ようやく医師に診てもらえることに……。えんさんがつらい生理痛、卵巣のう腫の手術を経て、ぽっぽちゃんを妊娠、出産するまでの体験談をお届けします。 ようやく診察室へ… 動くたびに言葉にできないほどの痛みに襲われ、車いすに乗ることも、服を脱ぐことも、内診台に上がることもままならなかったと言うえんさん。医師に診てもらうとやはり卵巣のう腫は破裂していました。満身創痍の中、そのまま緊急手術へ……。 このとき着ていた服は「痛みを思い出すから捨ててしまった」とのことですから、えんさんにとって相当つらい思い出になってしまったことは間違いないですね……。無事に手術が終わり、痛みがなくなって本当によかったです。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年09月11日妊娠を機に、夫が家に帰って来なくなってしまったさちこさん。かくまっていた同居中の義母に話を聞くと、前の奥さんが妊娠した時も「大きなおなかが気持ち悪い」と言って離婚したそう。悪びれもせずに裏で手を引く義母に恐怖を感じ、さちこさんはおなかが痛くなってしまいます。すぐに病院に運ばれて、切迫流産で入院。かずおさんとは何の進展もないまま管理入院は続き、3カ月後に1人で双子の男の子を出産しました。さちこさんは話し合う為に一度、義実家へ戻ると……。退院して義実家へ戻ると、真剣に謝る義母。子どもたちのベビーベッドなどを揃えてくれていたことに対して、さちこさんがお礼を言うと「かずおと一緒に揃えたのよ!」と嬉しそうに話します。更には、入院中に一度も会っていないかずおさんが帰って来ると言うのです「カチャカチャ、ガチャン」……。 かずおとの再会 妊娠中に自分から出て行ったかずおさんですが、出産してさちこさんのおなかがへこんだのを見ると「会いたかったよ〜!」と抱きつこうとします。 バチーン!!さちこさんは思わずビンタしてしまいます。 「生理的に無理だったんだ。でも、僕はさちこを愛してる」と言うかずおさんに、鳥肌が立つさちこさん。 「やっとかずおさんの気持ちが分かった。愛していたの。でも、生理的に無理。気持ち悪い」 何カ月も放置して、出てきた言葉が「愛してる」なんて信じられません。どこまでも自分勝手なかずおさんにイライラが止まりませんね。皆さんならこんな時どうしますか? もちさんの最新投稿は、ブログから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:マンガ家・イラストレーター もち
2022年09月10日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!アドバイスしてくれたのに…出産した際、「初孫だから」と、義両親がはるばる遠方から病院に来てくれました。義母は「しっかり休んでね。睡眠が大切よ、寝れるときには寝るのよ。」とアドバイスしてくれたのですが…。退院後、義両親もなぜかそのまま我が家へ。来たからと言って何か家事などを手伝ってくれるわけもなく、子どもをずっと抱っこしていて、オムツ変えになると私にバトンタッチ。私は疲れて寝たいのに、義両親に遠慮して結局全く寝れず…。「私に言ったあのアドバイスなんだったの!?」と思いました。(女性/会社員)義母の来訪遠距離恋愛を経て新婚生活がスタート。義母が娘を心配して、新居へ月に2〜3回ほど泊まりにきていました。私も義母が来ることには特に抵抗がなく、「仕方ないか」と思っていたのですが、あるときから急に“義実家からの交通費”を求めてくるようになりました。1ヶ月で数万円ほどの費用がかかっていたようなので、「もう来なくていいですよ」とやんわり伝えたところ、「どういうこと!?」と逆ギレのような反応が…。結局、その後も何度も泊まりに来ていて、精神的にも経済的にもつらかったです…。出典:lamire(男性/会社員)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。適度な距離を保ちながら、いい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブルエピソードでした。次回の「義実家トラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年09月10日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。婦人科の検診で、えんさんは医師から「右の卵巣が腫れていること、いつ破裂してもおかしくないこと」を告げられました。2カ月後の手術まで普段と変わらない日々を過ごしていた際、急に強い腹痛が!病院へ運ばれましたが、医師に診てもらえるのは翌朝で……。えんさんがつらい生理痛、卵巣のう腫の手術を経て、ぽっぽちゃんを妊娠、出産するまでの体験談をお届けします。 深夜2時に聞こえたのは… 深夜の病室で聞こえた、誰かの名前を呼ぶ声。それは、同じ病室にいた患者さんの声のようでした。しばらく続いたようで、看護師さんが言っていた「ごめんなさいね」の意味は、「声が気になって眠れないのでは」という意味での言葉だったと思う、とえんさんは振り返ります。 しかし、痛みでそもそも眠れず、女性の声を聞きながら……えんさんは朝を迎えることになったそうです。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年09月10日■前回のあらすじとうとう赤ちゃんの頭が見え、これで最後かもといきんだのですが…頭が大きいために、半分出かかった状態で止まってしまいました。「ちょっと切るね」が聞こえて恐怖!そんなに広くない分娩室にたくさんの見届け人!これで終わる!多くの見届け人がいる中…最後は痛いのに寝れそうでした。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く 「2人目は巨大児でした」(全33話)は12時更新!
2022年09月10日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。もともと生理痛に悩まされていたえんさん。婦人科の検診で医師から「右の卵巣が腫れていること、いつ破裂してもおかしくないこと」を告げられました。手術までの2カ月待つことになったのですが、急に腹痛に襲われて……。えんさんがつらい生理痛、卵巣のう腫の手術を経て、ぽっぽちゃんを妊娠、出産するまでの体験談をお届けします。 少し動くだけで激痛… 救急車で運ばれたえんさん。痛みはどんどん増していき、少し動くだけでも体中に激痛が。痛み止めはまったく効かず、医師に診てもらえるのは朝になってから……。手術になるかもしれないため水も飲めなかったそうで、苦しい時間が続くことになってしまいました。 後に、えんさんが想像した通り、卵巣のう腫は破裂していたとのことですから、えんさんは相当な痛みに耐え続けていたことと思います。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年09月09日LINEの普及で人と簡単に繋がることができるようになった現代。 とても便利になった反面、この便利さが時にはトラブルの引き金になったりして…!? 今回は実際に募集したLINEトラブルエピソードをご紹介します。可愛い顔のドアップを…職場でいもむしを育てています。最初は私も嫌々でしたが、葉っぱを美味しそうに食べてプクプク大きくなるのが可愛くなってきて、最近では行くたびに写真や動画をとっています。先日、夫が「いもむしの顔の正面を見たい」と言っていたので、どアップ画像をLINEで送りました。しばらく反応がなく、おかしいな?と思ったら、間違って虫が大っ嫌いな母に送りつけていました。母には後日ケーキでお詫びしました。(女性/学芸員)出産の喜びも束の間…出産当日、産み終わって病室で休んでいたとき、赤ちゃんが部屋に来るまでスマホをいじっていたら夫からのLINE。少し前まで一緒にいて、お昼を買うからと出かけてすぐだったので何か欲しいものでも聞かれるのかと開いてみると「赤ちゃん産まれたからもう会うのは無理だけど、会社で話そうね大好きだよ」と…。出典:lamire一瞬なんの事か分からなかったものの、すぐ浮気相手に送った物だとわかりました。慌てて夫が病室に帰って来て色々と説明しようとしてきましたが、笑顔で追い出し、それ以降退院まで赤ちゃんには触らせませんでした。その後は相手の女とも話し合いし、女から慰謝料を頂き別れて頂きました。未だに夫は私からその事でちくちく言われています。(女性/主婦)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?誤爆なんてそんなのあるわけない…と思いがちですが皆さん結構な頻度でやってしまっている様子。宛先確認はしっかりしましょうね。以上、LINEトラブルエピソードでした。次回の「LINEトラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年09月09日結婚がしたい、出産がしたい。焦る気持ちが高まると、ついいつもの自分では選ばないような相手を選んだり、しないような保守的な判断をしてしまったりすることってありませんか。それでうまくいけばいいのですが、なんだか違和感が日に日に大きくなることも…。ライフイベント重視で恋人を選ぶと、その後の人生で失敗するリスクが高まるときがあります。失敗とは、例えば離婚をしたり楽しくない生活を送ったりするということ。ではこうした失敗を回避する婚活の取り組み方について、お伝えします。結婚や出産ばかり考えて恋人を選ぶと失敗するわけ【おおしまりえの恋愛道場】vol. 187「結婚したい!出産したい!」そう思うものの、結婚や出産への気持ちが高まりすぎて、相手選びも「早く結婚して出産を叶えてくれる人」という視点“だけ”で見すぎていませんか。条件をガチガチにして婚活を進めると、相手が見つかったとしても、その後の夫婦生活で失敗するリスクが高まります。今回は結婚や出産という夢を叶え、その先の人生も幸せを続けるための、相手選びの注意点についてご紹介します。焦りから気持ちよりも条件優先!誰しもあることだけど…ちゃんと結婚願望があってしかも早くしたい人!出産についても希望が一致していて協力的な男性がいい!結婚や出産を焦る女性なら、こうしたことを考えるのは普通のことです。しかし、結婚や出産に条件を出しすぎてしまうと、視点が気持ちではなく条件優先になりがちです。「この人は年収が高いから、安定した生活が送れそうだ」「この人は一人暮らしが長いから、家事育児のレベルも高そうだ」「この人は自営業だから、安定感がなくて結婚は無理そうだ」気持ちは高まっていないのに、こんな判断をしたことはありませんか。誰しも条件や希望をもつものですが、思考にとらわれて恋愛をすすめると、後になって大きな問題が出てきます。それは、“頭での判断と感情での判断のズレ”による苦しみです。感情がともなっていない相手と人生を歩むのはハード頭ではいい人だと思っていても、感情では「うーん、いまいち」という判断になっている。それでも、将来の希望や年収など諸条件がいいし、向こうも好意を寄せてくれている。だから断るに断れない。こうした矛盾を抱えたまま婚活をすすめると、いろんな判断が遅くなったりします。判断が遅くなるだけならまだいいんです。気持ちは冷めているのに「もっと長く付き合ったら私の気持ちも変わるかも」と考え、ダラダラと恋愛してしまう人も多いです。また最悪なケースは、「好きじゃないけど、相性も悪いわけじゃないし生活も安定しそうだから、この人と結婚しよう」と、気持ちが迷ったまま(冷めたまま)結婚まで進むケースも過去には聞いたことがあります。この場合、物理的な安定はたしかに得られるかもしれません。しかし好意がそこまで伴っていませんから、共同生活という真正面からの付き合いが生まれたとき、我慢できないカベとなってしまう可能性が高まります。ゴールは「結婚と出産」ではなく「幸せな人生」過去に筆者が出会ったケースをひとつご紹介します。彼女はとにかく周りに自慢できる、安定した高学歴男性との結婚と妊娠を希望していました。そこでマッチングアプリで出会った公務員の男性と交際に至ったのですが、なんと彼への好意はゼロのまま結婚。ほどなくして結婚生活をスタートさせたのですが、気持ちがなさすぎるため、仕事を理由に一人暮らしからの引っ越しを先延ばし、共同生活の目処がいつまでも立たないそうです。こうしたケースは極端ですが、もっとマイルドなケースであれば、結婚後に居心地が悪く、解消するエネルギーもなくて仲がギクシャクするとか、夫婦の営みに対して向き合えないといった問題がよくあがります。これら問題の根っこにあるのは、ひとつは「誤ったゴール設定」をすることにあります。頭で考える人は「早く結婚すること」「結婚して子どもを産むこと」を何よりのゴールにすえて婚活をしています。しかし、本当は「幸せな人生をおくること」をゴールにおき、自分にとっての幸せに必要なモノを考え、努力をしていくのが健全です。焦る気持ちもわかりますが、人は余裕がないときほど判断を焦って間違うことがあります。結婚や出産など年齢が関係する問題ほど、焦りがさらなる焦りを生み出します。そういう時は直近のゴール(結婚するとか出産したいとか)から一歩視線を広げ、どういう生き方がしたいのかを考え、そこから結婚や出産を考えていきましょう。頭での判断より気持ちの判断を振り返る習慣をもつこれと合わせて、もうひとつ普段から取り組むと効果的なことがあります。それは頭で考えた答えと心で感じる答え、それぞれに気づくということです。「この人は公務員で次男で結婚願望も強いからいいな」といった頭での判断はすぐ理解できると思います。これと同時に「でもなんか別にドキドキワクワクしないな〜」といった心の感覚も、気づくようにしてほしいのです。その後で、「気持ちはドキドキしてないけど、もう少しデートしたら変わるかも」という答えを出してもよし。その場でお断りするもよし。感覚や気持ちといった心の答えを無視しないということが、幸せな選択には大切です。ゴールを幸せな人生をおくることに変え、気持ちがワクワク反応する方を選び、その上で努力や判断をする。結婚を見据えた婚活で失敗続きの女性は、こうしたシンプルな取り組みに、一度立ち返ってみてはいかがでしょう。きっと見えてくる景色も、また変わっていくと思います。おおしまりえ/恋愛ジャーナリスト10代より水商売やプロ雀士などに身を投じ、のべ1万人の男性を接客。本音を見抜く観察眼と、男女のコミュニケーション術を研究し、恋愛ジャーナリストとして活動を開始。私生活では20代で結婚離婚を経験した後、現在「女性自身」「週刊SPA!」など大手メディアを中心にコラムを執筆中。©Maria Casinos/Gettyimages©Manuel Arias Duran/Gettyimages文・おおしまりえ
2022年09月08日’19年2月、3歳下の実業家・A氏と結婚した元AKB48の篠田麻里子(36)。「交際0日婚」として話題になった後、’20年4月には第一子となる長女を出産。順風満帆かと思いきや、雲行きが怪しくなっている。8月25日、『NEWSポストセブン』によってA氏との別居が報じられたのだ。報道後、篠田は沈黙を貫いていたが、9月7日に篠田とA氏がすでに離婚調停に入っていると『NEWSポストセブン』が続報を。今後は長女の親権が争われる見込みだという。そんな篠田は長女を出産した後、’21年5月に「第13回ベストマザー賞2021」を受賞。その後は日本マザーズ協会公認の「子育て応援、ママ応援大使」就任、同年12月に子育てグッズを表彰する「マザーズコレクション大賞2021・受賞発表会」に登場した。また現在『マイナビ子育て』で育児エッセイ『篠田麻里子の毎日ドタバタです!』を連載するなど、ママタレとして積極的に活動している。「篠田さんは娘さんの名前と顔も公開し、SNSではツーショットも頻繁にアップ。さらに出産から4ヵ月で、YouTubeチャンネル『篠田麻里子ん家』を開設しました。そこでは育児に関する日々の記録や子供のためのレシピ、ママのファッションやオススメのベビーグッズを紹介。ママ向けの情報発信をメインに行っています」(広告関係者)ママタレの急先鋒と目されていた篠田。ところが、今や危機に瀕しているという。「『篠田麻里子ん家』の最新動画は、8月30日にアップされたもの。しかし、そこでは篠田さんの娘さんがタンポポの綿毛を吹いて遊ぶ姿が。それも長袖を着ているんです。そのため、春頃に撮影したものではと話題になっています。報道が事実なら、最近はYouTubeを楽しく撮影できるような家族仲ではないということなのかもしれません。また離婚によって親権がAさんに渡った場合、ママタレとしての需要が大きく減ることが予想されます。篠田さんは大きな強みを失うわけですから、芸能活動の幅が狭まる可能性もあります」(前出・広告関係者)’21年1月に配信された『AERA.dot』のインタビューで、子育てで悩んでいるとき、同じくAKB48出身の先輩ママ・前田敦子(31)の「考えすぎないで、いい意味で適当でいいんだよ!」という言葉に励まされたと明かしている篠田。しかし今は「適当でいい!」と気楽にはいえない状況にいるようだ。
2022年09月08日株式会社文藝春秋コミック編集部は『大難産』(山野一)を刊行します。全国書店にて9月8日(木)に発売します。電子版も同時配信し、マンガアプリでも順次配信を開始します。双子で難病!?50歳目前で双子を授かった元・鬼畜漫画家の、超大変&ドラマティックな出産・育児コミック元・鬼畜漫画家の“やすお”が50歳を目前にようやく授かった双子は、胎内でTTTS(双胎間輸血症候群)という一卵性双生児特有の病気にかかっていた。TTTSとは、本来独立しているはずの胎児二人の血管がつながっていて、供血児から受血児へ一方通行で流れている状態。成長に差が出るだけでなく、様々な症状の原因となるという……。妻の“クチ子”は「特殊漫画家のお前がせっせと描いた鬼畜漫画のカルマ返りだ」と憤慨する一方、やすおは「二人の血液型は適合してるんでしょうか」とトンチンカンな疑問を呈する。運命に翻弄されつつも、生まれてくる双子たちに会える日を待ち望む二人であった……。病院をたらい回しされた末、ついに最先端医療設備と名医たちに出会う。母クチ子は双子の命を救うべく、最先端のレーザー手術に挑む。クチ子の診察中、胎児の心音を耳にしたやすおは、窓の外に巨大みじんこが浮遊する光景を幻視する。これは一体、何の予兆なのか……。(山野一のコメント)「ウチの双子の女の子の妊娠時代のお話です。双胎間輸血症候群という珍しい病気にかかっており、親も子もかなりこっぴどい目にも遭いましたが、どなたも気軽に読めるお話となっております。お手にとっていただければ幸いです!」書名:大難産販売価格:1199円(税込)体裁:B6判 並製カバー装(画像はプレスリリースより)【参考】※公式サイト
2022年09月08日妊娠中や出産後の性生活、みんなはどうしているのか気になりますよね。わが家の場合、妊娠中期から産後1年ごろまでは、私の体調の関係もあり、セックスレスの状態でした。恥ずかしながら、今回はわが家の産後の性生活についてお伝えしたいと思います。妊娠中から性生活ストップ妊娠したばかりのころはラブラブで、夫の要求も受け入れていました。ところが妊娠7カ月ごろになってくると、おなかが張ったり圧迫感があったりして、だんだんとおっくうに。そのうち「おなかが痛くなるから」と夫の要求を断るようになりました。 ただ、まったく性生活がないと夫がかわいそうだと思い、スキンシップのために抱き合って寝ていました。妊娠後期は寝苦しい毎日で熟睡できなかったため、夫とは別の布団で寝ていました。 出産後は子育て中心で性生活なしそして待望の赤ちゃん誕生! ところが、幸い無事だったものの難産によって赤ちゃんは仮死状態で生まれ、私も体力を使い果たし、産後は体調不良の日々が続きました。2カ月ほど実家で過ごしたあと、自宅に帰ることに。 産後数カ月は、私が家事・育児に追われているところも見ていましたし、布団に入る時間帯もずれていたからか、特に夫からの誘いはなく、私自身もまったく性欲がわかなかったのでセックスレス状態。半年くらいすると夫から誘われることもありましたが、疲れから断っていました。 出産後1年経過してから性生活再開一般的に出産後はホルモンの関係で性欲がわかないと言われているのだそうです。私もそうで、とにかく赤ちゃんのお世話で手一杯。夫も私の体調や気持ちを大事にしてくれたので助かりました。 そして1年が経過したころ、赤ちゃんのお世話にも慣れて気持ちに余裕ができ、自然とまた性欲がわいてきました。新婚当初ほどではありませんが、わが家の場合は、出産後1年ほどして性生活が再開したのです。 妊娠と出産でママは体も心もとてもデリケートになります。重要なのは、お互いの気持ちを伝え合い、夫婦でよく話をすることだと思います。出産後は無理のない性生活を送れたらいいですね。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2022年09月08日「産後の肥立ちは重要」と昔から言われていますが、私自身、身をもってそう感じた経験があります。そんな時期に別のある病気にも悩まされました。産後1年目、私が「原田病」を発症してしまったときの体験談を紹介します。 朝起きたら目の前が真っ白難産で長女を出産後、長女がNICUへ入院していたため、多少無理をして病院に通っていました。そのため、産後の肥立ちが悪い状態が半年ほど続き、体調にも影響が。産後の肥立ちの大切さを実感しました。 そんな産後の体調不良も、だいぶ回復してきたときのこと。出産から約1年が経ったある日、後頭部が今までにないくらいにガンガンと痛くなりました。 しばらく痛みが続いたので横になり、そのまま夜を迎えました。ところが翌朝、起きたときに、目の前が霧がかかったように真っ白になっていたのです。見えるのはほんの一部という状態でした。 目が見えにくい状態での子育て初めてのことで驚きましたが、一次的なものですぐに落ち着くだろうと思いました。ところが、翌朝になっても変わらぬまま……。 眼科へ行くと総合病院を紹介され、その結果、「原田病」と診断されました。自己免疫疾患の一種で、目の網膜を免疫が攻撃している状況とのことでした。 点眼治療でしたが、目が見えない状態での子育てには厳しいものがありました。子どもの顔もきちんと見えず、家事も大変だったので、実家にお世話になって治療することにしました。 3カ月で症状が落ち着いてきた治療中は度が強いメガネを作り、それをかけて過ごしました。また、外では日の光でさらに目の前が真っ白になってしまうので、できるだけ外出は控えることに。病院へ行くときはサングラスをかけて家族に手を引いてもらいました。 外出が制限されることはなかったのですが、目が見えない生活は非常に大変だと痛感。症状のピークは発症から1カ月後くらいで、徐々に症状も落ち着き、だんだんと目が見えるようになっていきました。そして、3カ月後くらいには問題なく日常生活を送れるようになったのです。 幸い、目が見えにくいだけで、産後の体調は回復してきた状態だったので、なんとか乗り越えることができました。突然、こんな病気に悩まされることになるなんて……。あのとき、サポートしてくれた家族には感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/はたこ監修/助産師 松田玲子 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2022年09月08日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。ひどい生理痛で悩んでいたえんさんは、婦人科でピルを処方してもらい、生理痛のない生活を送ることができるようになりました。しかし、あるときの検診で医師から「右の卵巣がパンパンに腫れていて、いつ破裂してもおかしくない状態です」と告げられて……。えんさんがつらい生理痛、卵巣のう腫の手術を経て、ぽっぽちゃんを妊娠、出産するまでの体験談をお届けします。 卵巣が破裂?…怖すぎる かかりつけの病院では手術をすることができず、大きな病院を紹介してもらうことになりました。しかし、手術は2カ月後……。 えんさんは「卵巣がいつ破裂するかわからない状態」のまま、手術までの2カ月を過ごすことになりました。不安はあったそうですが、痛みや違和感はなく普段通りに過ごせたとのこと。また、救急車を呼ぶシミュレーションもしていたようでしたが「まさか呼ぶことにならないだろう」と思っていたそうです。 しかし、そのときは突然やってきました。友人との外食中、えんさんは腹部の痛みに襲われました。痛みはどんどん強くなり、「破裂したのかも」とえんさんは救急車を呼ぶことに……。卵巣のう腫の破裂や卵巣がねじれてしまう茎捻転などは、生理痛と比べ物にならないほどの痛みを感じる場合がほとんど。意識を失ってしまう人もいるほどです。このときのえんさんの痛みもきっと想像を絶するものだったのではないかと思います。すぐに救急車を呼べてよかったです。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年09月07日