タレントの麻木久仁子が、通信制大学「放送大学」での学業を継続することを決め、この春から2年目を迎えた。○全科目を最高評価「マルA」で修了2010年に脳梗塞を経験し、2012年に初期の乳がんが見つかった麻木。昨年、還暦を機に「放送大学」に入学し、第1学期、第2学期を通して、8科目を受講。すべての科目を最高評価の「マルA」で修了したが、「できる範囲で無理なく受講したので、思ったよりも自然に学問を生活のリズムの中に組み込むことができた」と振り返り、「2年目も同じペースで続けていきたい」と意気込んだ。「食と健康」「睡眠と健康」「健康長寿のためのスポートロジー」など、「興味のある科目だけを受講した」という麻木は、「“学ぶ方法”を選べるのは大人の特権」だと強調。1年間の学びを経て、「今は“人生100年時代”。情報や知識があるのかないのかで、老後の生き方に差が出てくる」と感じたそうで、「自ら学んで得た知識は、人生の最後の瞬間まで武器になる」と力を込めた。また、2年目も続けようと思った理由について、「面白くてやめられなくなった」と打ち明け、「2年目を終えてまた興味がわけば、3年目も続けると思います」と気合い十分。今後の目標として、「科目群履修認証制度(放送大学エキスパート)」の取得を掲げ、「単位取得が優先になるため、マルAを続けられなくなるかもしれませんが、挑戦してみたい」と笑顔で語っていた。
2024年04月20日昨年、還暦を機に放送大学に入学したタレント・国際薬膳師の麻木久仁子(61)がこの春、2年目も継続することを決め、授業がスタートした。昨年度、第1・第2学期を通して8科目を受講しすべてを最高評価の「マルA」で修めた麻木。大学生として学問に励んだ1年間を振り返り、2年目も続けようと思った理由を語った。■2023年度はすべての科目で「マルA」を修得昨年10月から始まった放送大学の2023年度第2学期で、麻木は前期同様「選科履修生」として「健康と社会(’23)」、「睡眠と健康(’21)」、「発達心理学概論(’17)」、「健康長寿のためのスポートロジー(’19)」の4科目を受講した。すでに第1学期の4科目はすべて最高評価の「マルA」で単位を修得しているが、気になる第2学期の成績を尋ねられると、麻木は「第2学期の成績もおかげさまですべて『マルA』でした」と年間を通して8科目すべてで『マルA』を修得したことを明かした。■還暦で大学生になるも、無理なく自然に学ぶことができた昨年、還暦で放送大学の門戸を叩いたが「できる範囲で無理なく受講したので、思ったよりも自然に学問を生活のリズムの中に組み込むことができました」と振り返った。「入学する前は『大学に通うなんて無理』と思っていたのですが、放送大学には自分の好きな講義を1科目から受講できる『選科履修生』というシステムがあることを知りました。実際に試してみたら自分の生活の中で自然に学ぶことができたので、1科目から受講できる放送大学の特徴がありがたいなと実感しました。2年目も同じペースで続けて行こうと思います」と声を弾ませた。■自分で選択できるのが“大人の学び”「麻木さんにとっての“学び”とは?」と質問されると「私の場合は自分の仕事があってその仕事をより深めていくうえでもっとたくさんの知識を得たい、しかも仕事と両立しながら学びたいという思いがありました。なので、興味のある科目だけを受講したのですが、逆に言うと、好きな科目だけを取って、そうでない科目を受けなくて済むということです(笑)」とにっこり。さらに「自分にとって必要な“学び”だけをチョイスするやり方が放送大学なら可能でした。他の方法でやろうとしたらカルチャースクールなどに通うことになると思いますが、『大学で学問として学ぶ』ことを自分で主体的に選択できるのは放送大学だけなのだと思います」と自身のスタイルを説明。「先日、あるタレントさんが有名私立大学法学部の通信教育課程を卒業したというニュースが流れました。実は私と同じ歳なのですが、その方が成し遂げられたことはとてつもなくすごいことです。詳しいことは分かりませんが、その方は大学にしっかりと通い学位を取得することを選択されました。自分の“学ぶ目的”や“学びたいという思い”にそって“学ぶ方法”を選べるのは大人の特権だと思いますし、自分で選択できるのが“大人の学び”だと思います。大人はそれまでの人生経験があったうえでのチョイスになるので、全科履修生になることも、選科履修生になることも受け入れられます。それが若いときとは違うのかなと思います」と実感を込めて言葉にした。■人生100年時代、武器になるのは知識さらに、放送大学に通った1年間で“学び”に対する意識が変わったそう。「今は『人生100年時代』で、いかに寿命を延ばして健康に生きていくかということが言われています。放送大学で色々と学んでみて、情報や知識があるのかないのかで、老後の生き方に差が出て来ると感じました」と言葉に。「これから体はどんどん衰えていくので、情報にアクセスする方法を知っていることが自分の身を守ることになるのかなと感じています。とくに情報が溢れている世の中だからこそ、リテラシーを見に着けることが重要だし、リスクを回避することにも繋がると思います。自ら学んで得た知識というものは人生の最後の瞬間まで武器になると感じています」と力を込めて語った。■2年目も続けようと思った理由は「面白くてやめられない」から「2年目も続けようと思った理由は?」との質問には「特別な決断とか決心はなくて、……単純に面白くてやめられなくなりました」と回答。「魅力を感じる講義がなかったらやめていたと思いますが、まだまだ受けてみたい講義がたくさんあります。しかも、興味が湧いたらすぐに選択して受講することができるんです。なので、2年目を終えてまた興味が湧けば3年目も続けると思います。軽い気持ちで入って気づいたら何年も放送大学に通っているという“放送大学あるある”かもしれません(笑)」とも。■今後の目標は「科目群履修認証制度(放送大学エキスパート)」2年目に突入した放送大学での“学び”。今後の目標には「科目群履修認証制度(放送大学エキスパート)」を掲げた。「科目群履修認証制度(放送大学エキスパート)」とは指定された特定の授業科目群を履修することにより、ある分野に目的・関心を持ち、そのための学習を体系的に行ったことを証明する制度で、学校教育法第105条「履修証明制度」に対応している。具体的には、放送大学では「健康福祉指導プラン(健康福祉運動指導者)」、「福祉コーディネータプラン(福祉コーディネータ)」、「社会生活企画プラン(社会生活プランナー)」をはじめ17のプランを実施。例えば、「健康福祉指導プラン」を履修すると「健康福祉運動指導者」の認証状が発行される。「健康福祉指導プラン(健康福祉運動指導者)」を履修するためには授業科目群46単位の中から必修科目10単位を含め20単位以上を修得することになり、科目数でいうとおおよそ10科目以上の履修が必要にある。だが、授業科目群に入っている講義の中には麻木がすでに履修済みのものもあり「頑張れば今年、認証状がもらえるかもしれません。正式な認証状なので履歴書に書けるんです」と目を輝かせる。「エキスパートを目標にしちゃうと、単位取得を優先しちゃうためマルAを続けられなくなっちゃうかもしれませんが、挑戦してみたいです」と笑顔を弾けさせた。最後に「今のご自身にとって放送大学はどんな場所?」との質問が出ると、麻木は「学ぶ楽しさを与えてくれる場所です」と笑顔を見せた。麻木は、2010年に脳梗塞を経験し2012年に初期の乳がんが見つかった。食生活を見直し、国際薬膳師、国際中医師、温活指導士の資格を取得。食を通して「体を温め、免疫力を高める」という考えなどを多方面で提案し、60歳になったことをきっかけに漠然と学びたいと思っていたことを「いつかやろう」ではなく「今やろう」と決意。2023年4月に放送大学に入学した。放送大学は、文部科学省・総務省所管の通信制大学。4月と10月の年2回、出願書類による選考で入学可能。BS放送、ラジオ、ネットなどを通じて好きな時間に学習できることが特徴で、大学卒業(学位取得)を目指す「全科履修生」(最大10年間まで在学可能)、好きな科目だけ学べる「選科履修生」、「科目履修生」がある。麻木は、2023年度第1学期に「がんとともに生きる(’18)」「フードシステムと日本農業(’22)」「食と健康(’18)」「食の安全(’21)」を、同第2学期に「健康と社会(’23)」、「睡眠と健康(’21)」「発達心理学概論(’17)」「健康長寿のためのスポートロジー(’19)」を受講し、8科目ですべて最高評価の「マルA」の成績を修めた。2024年度第1学期は「運動と健康(’22)」「リハビリテーション(’19)」「今日のメンタルヘルス(’23)」「地域・在宅看護論(’23)」を受講中。
2024年04月18日タレントの麻木久仁子が、4月に放送大学に入学したことが28日、わかった。2010年に脳梗塞、2012年に初期の乳がんが見つかったことから、検診の大切さと自身の体験を講演会や情報番組などで伝え、国際薬膳師、国際中医師の資格を取得した麻木。還暦を迎えたことを機に、選科履修生として同学に入学した。■麻木久仁子インタビュー――“大学の授業を受講する”という形で、新たな学びをスタートさせた理由を教えてください。50歳になるタイミングで脳梗塞と乳がんという大きな病気をしました。それがキッカケで“食”にまつわることに興味を持ち、東洋医学に基づいた国際薬膳師の資格を取りました。その後、国際中医師や温活指導士、漢方薬のアドバイスをしたくて登録販売者の資格も取得したのですが、“食”に関する活動をしていく中で、人間の体と食の関係や、日本全体で食を取り巻く環境がどうなっているのかなどを、もっと俯瞰的な視点で過不足なく学びたくなりました。58歳から59歳になったときも、59歳から60歳になったときも具体的には何も変わらなかったのですが、やはり60歳はひとつの節目だと感じました。50歳になるときにがんを患ったのですが、それから10年生き延びて、これから先どうなるのだろうと思ったとき、時間の大切さをすごく感じました。「時間って尊いな」、「この時間をどう使ったらいいんだろうな」と思ったときに、今まで漠然と学びたいと思っていたことを「いつかやろう」じゃなくて「今やろう」と思ったのですね。――なぜ、放送大学を選んだのですか?これまでも大学に入学したいという思いはあったのですが、仕事もあるし、体力的にもハードルが高いなと感じていました。そんなときに知人から「放送大学なら自分の興味のある科目を選んで履修することができるよ」って聞いたんです。気になってネットで調べたら、第1次産業から外食産業に至るまで人々の口に入るものすべてを学べる「フードシステムと日本農業」の講義があったのですね。「まさにこれじゃん!」と思いました。「食と健康」や「食の安全」の講義もあり、授業料もたいへんお手頃だったので、受講してみようと思いました。――放送大学で学び始めた背景には、脳梗塞と乳がんという2つの大病を経験したことと、還暦を迎えられたことがあるようですね。病気をした後に国際薬膳師の資格を取ったのですが、資格取得を目指して勉強した中で、学ぶ楽しさが蘇ってきました。60歳を迎え「いよいよセカンドライフか」と思いましたし、実際に体力と気力がガクッと落ちて「私、年取ったな」と思うときがあるんです。「自分の人生がこの先どこまで続いていくのか」と考えたときに、時間を無駄にしたくないと思いましたし、楽しく過ごしたいと思ったのですね。――講義は始まっているとのことですが、視聴した感想からお願いします。まだ、2回しか受講していないのですが、まさしく、“ここから進んで行けば正しい地図ができあがる”と思いました。その代わり、学問だから講義の1回、1回が濃密です。一瞬たりとも聞き逃せなくて、それが45分間びっしり続きます。自宅で視聴しているのですが、いつの間にか正座していました。――麻木さんが正座される様子が目に浮かびます。キャスターの経験を含めて、色々な方のお話を聞く機会はこれまでにたくさんありました。色んな場面で色んな知識を得ることは、それはそれで役に立っているのですが、その場、その場で知識を得るのではなく、知の体形が枠組みを持って存在しているところに一歩足を踏み入れると、やっぱりそれとは違って、“まさに学問!”という感じでした。――麻木さんにとっての「学ぶことの楽しさ」とは何ですか?何なのでしょうね。今は、とにかく知らないことを知ることが楽しいです。放送大学の1週間の番組表を見ると、色んな講義があって、世の中には私が知らないことが本当にたくさんあるのだなと思います。たくさんの人が楽しみながらそれぞれの講義を受けているのだと思うと、やはり、知に触れることは人間の喜びなのだなと思います。――麻木さんといえば「クイズの女王」とも呼ばれましたが、独自の勉強方法はあるのでしょうか?クイズは学問というよりもスポーツに近いんです。野球みたいにストライクゾーンがあって、そのギリギリのところにクイズ作家の方が問題を投げて来ます。こっちは球種を読んで、コースを読んで、どこで振るかを決めます。例えば、クイズでは原子や分子の構成表に関する問題は出ないんです。なぜかというと、答えを聞いたからといって、誰も翌日職場で「ねえ知ってる? 原子ってね」としゃべろうと思わないからです。一方で、東京スカイツリーの高さは「ムサシ」で634mなのですが、「ねえ知ってる? 東京スカイツリーの高さってムサシなんだよ」って言いたくなります。だから、出題されるのです。なので、クイズにはセオリーがあって、セオリーがあるから攻略方法があります。そういった“攻略”も楽しいのですが、放送大学の講義を受け始めて、知識を学ぶことに対して攻略方はないのだなと気づきました。講師の方が話すことにはすべて意味がありますし、裏読みをする必要もないんです。学問には攻略法がないから、愚直に講義を受け続ける以外の方法はないのだなと思います。――別の科目を受講してみたい気持ちはありますか?おもしろそうな科目はいっぱいあるのですが、「錯覚の科学」という人間の脳の特徴などを学ぶ講義は、もしかして私も色んなことを錯覚しているのかもしれないと思って気になっています。興味の範囲でいえばK-POPが好きなので韓国語の講義も受けてみたいですし、歴史や美術も楽しそうです。――最後に、今後の夢を教えてください。“食”に関する発信をしていきたいです。いちばんの目標は薬膳の普及なので、放送大学で“食”に関することを体系的にしっかり学んで、健康でおいしいごはんをみんなに食べさせることが夢です。
2023年04月28日ラクうまな温活薬膳で、冷えとり習慣をはじめよう2023年1月19日、合同出版から、麻木久仁子の新刊『からだ整う 温活薬膳ごはん』が発売されました。同書では、簡単でおいしい温活薬膳レシピを紹介。からだを温める食材を意識的に増やし、冷えを解消していくことを目指します。「アサリのオイル蒸し」や「青ジソのジェノベーゼ風パスタ」「サバのナッツ焼き」など、簡単でおいしいレシピに注目です。販売価格は1,540円です。Amazonや楽天ブックスなどで販売されています。手足が冷たい人や、便秘に悩んでいる人、寝つきが悪いと感じている人などにオススメです。司会者やコメンテーターとして活躍麻木久仁子は1962年11月12日生まれ、東京都出身。株式会社 パールダッシュに所属し、タレントして活躍しています。2010年に脳梗塞を発症し、2012年には初期の乳がんを手術しています。自身の経験を活かして食事を見直し、その後、国際薬膳師、国際中医師などの資格を取得しました。著書には『ゆらいだら、薬膳』『一生、元気でいたいから 生命力を足すレシピ』『おひとりさま薬膳 還暦からのごきげん食卓スタイル』があります。(画像は麻木久仁子オフィシャルブログより)【参考】※Amazon※楽天ブックス※麻木久仁子オフィシャルブログ※株式会社パールダッシュ
2023年01月29日松竹株式会社メディア事業本部の藤井宏美と、ユーロスペース支配人の北條誠人がオンライン・コミュニティ「ミニシアタークラブ」で対談を行った。「ミニシアタークラブ」はミニシアターや映画好きのためのコミュニティ。そこにユーロスペースで特集上映されている「篠田正浩監督生誕90年祭『夜叉ケ池』への道モダニズムポップアートそしてニッポン」の企画者である藤井がゲストとして出演し、今回の対談に至ったのだという。現在上映中の『夜叉ヶ池』の話から特集上映に対する考え方などで盛り上がったトークセッションを以下にレポートする。――藤井の業務内容について。藤井:松竹のメディア事業部という部署に所属しています。劇場公開後のパッケージ、配信、TV、海外などいわゆる2次利用と言われるものの権利窓口を扱う部署です。その中で私は知財事業室というところにいるのですが、松竹の過去の作品をいかに多くの人に見ていただくかを考えて企画、推進していく仕事をしています。――特集上映開催までの経緯。藤井:篠田正浩監督と坂東玉三郎さんが登壇された初日舞台挨拶でもおっしゃってたんですが、昨年7月に、お二人が再会された時に、今の人たちにもう一度『夜叉ヶ池』を見てもらいたいですね、というお話になりその翌日には松竹に連絡をいただきました。『夜叉ヶ池』を多くの方に見ていただくには、現存のフィルムの状態やフィルム映写機がない劇場も多いことを考慮して4Kデジタルリマスター版を制作しようということになりました。デジタル化にあたってはいろんな方法があるんですが『夜叉ヶ池』ではフィルムの1コマ1コマを4Kでスキャンしリマスターしました。さらにそこから2次利用の素材も劇場上映用素材も作り、さらに篠田監督は海外でも非常に人気が高いので海外の映画祭でもかけられないか、など動き始めました。初日の舞台挨拶は北條さんに司会もしていただき本当に好評でした。北條:客層も幅広くて、盛況でした。※ユーロスペースでの『夜叉ヶ池 4Kデジタルリマスター』の上映は4Kデジタル上映マスター版をもとにした2K上映。――リマスターについて。北條:リマスターされる作品の条件というか基準などは何かあるんでしょうか?藤井:リマスターは、公開当時(の上映プリント)の状況を復元することなので、監修についていただける方、例えば当時を知るキャメラマンの方などに立ち会っていただけるかどうか、ということも重要な要素です。例えば小津監督作品でも『東京物語』からやったんですが、当時撮影助手でつかれていた川又昂キャメラマンに見ていただきました。あと『青春残酷物語』や『砂の器』なども。――特集上映の面白さとは。北條:篠田監督が今年90歳ということで、そのお祝いになるような企画ができないか?とはじめにお話をいただきました。その時、篠田監督の作品本数は非常に多いのでどうセレクトしていこうか?ということが頭をよぎりました。(笑)結果的に企画コンセプトとしては落ち着いたのは『夜叉ヶ池』に至るまでの10本を篠田監督に選んでいただくということで、上映作品を決定しました。司会:ユーロスペースの特集上映のジャンルを見るとかなり幅広く、バラエティーに富んでいると思うんですが狙いはあるんでしょうか?今年ですとイスラーム映画祭、相米慎二監督特集、タルコフスキー特集など。北條:日本映画に関して言いますと、全ての世代に向けて満遍なく、というのを意識しております。藤井:私たちは過去の作品や監督、俳優に新しいお客さんが出会って欲しいと思っているので、いろんな年代の客層がいらっしゃるユーロスペースさんは本当にありがたいです。『夜叉ヶ池』は玉三郎さんのファンと特撮ファンという要素があるので、まずは北條さんにご相談しました。――次の企画について。北條:次は小津120周年ですか?藤井:そうですね、2022年頃から準備に入ります。『周年』の企画というのは企画を立てやすいんですが、それ以外の企画も考えていきたいです。例えば、今を生きている私たちに考えるきっかけを与えてくれるような作品や監督、人物に焦点をあてたような。■配信情報ミニシアタークラブ対談「藤井宏美(松竹株式会社)×北條誠人(ユーロスペース支配人)」対談動画は、ミニシアタークラブに入会後、閲覧可能。■上映情報「篠田正浩監督生誕90年祭『夜叉ケ池』への道モダニズムポップアートそしてニッポン」7月30日(金)まで上映劇場:ユーロスペーストークショー7月17日(土)13:00回の上映後ゲスト:樋口真嗣(映画監督)聞き手:樋口尚文(映画評論家 / 映画監督)※オンライントークになる場合もあり。
2021年07月16日文:北條誠人(ユーロスペース支配人)今日は6月1日月曜日。「非常事態宣言」をうけての4月8日から53日間続いた休館がようやく終わり、いよいよ上映再開です。2月中旬からお客さんが徐々に減ってきていましたから、私たちは3か月半の期間を新型コロナウイルスと戦ってきたことになります。そしてこの戦いはまだしばらくつづきそうです。それぞれの映画館が上映再開にあたっては何を上映しようかと思いを込めて考えていると思いますが、ユーロスペースの再開第一弾はアキ・カウリスマキ監督の『希望のかなた』を35mmフィルムで上映します。シリアで生きはぐれた妹をお兄さんがヘルシンキの人たちの力を借りて再会する物語。ほんとうに普通の人が困っている人を助けるというだけのことがなんと心に沁み込むことかと今、あらためて思います。今回のフィルムはロードショウの時に全国のミニシアター15館でリレーのように廻して上映をしてもらったもの。こんな機会がなければスクリーンで再会することもなかったでしょう。もう片方のスクリーンは『ようこそ、革命シネマへ』。スーダンでは1989年に軍事政権が発足してから映画産業も映画館もなくなってしまいました。それから35年、年をとった4人の映画人が閉館している映画館をなんとか復活させようとがんばる、まさに上映再開へのすがたをとらえたドキュメンタリー映画。いずれもまず観ていただきたい映画として選びました。今回のコロナ禍をミニシアターで経験して考えたこと、感じたことはさまざまにありますが、一番の驚きは、多くのかたからのミニシアターへの思いです。「ミニシアター・エイド基金」のクライドファンディング、「Save the Cinema ミニシアターを救おう!」の署名と参加していただいた方々にはお礼のことばしかありません。それだけではなく直接に間接に映画館に応援のことばや支援をいただき、その量と熱さが本当に自分たちに向けられているのかと疑いたくなるくらいでした。この疑問は、今から思えば恥ずかしい限りです。仕事に対して無自覚でありすぎました。ミニシアター・エイド、仮設の映画館、Save the Cinema……"若い力"ともに、ミニシアターのルネサンスを!ここ数年、私たちミニシアターを取り巻く環境は決して恵まれていたものではないと思っていました。その環境は若い人のミニシアター離れやシネコンとの競争、デジタル化による作品の膨大な増加が問題点としてまず挙げられますが、そこで働いている者がこの状況を変えていくための方策をきちんと持っていたり、今後の将来的なヴィジョンを説明できるかといえばまったく心もとない状況が、新型コロナウィルスの感染拡大まで続いていました。果たして自分たちの仕事はどう見られているのか。社会から置いていかれている小さな産業になってしまっていないか。そんな疑問を心の片隅に追いやって仕事を続けてきていたのかもしれません。好きな映画を上映できていればいいと。ですから、今回の多くのかたからのミニシアターへの応援は、私たちの今までの仕事の見直しを嫌でも強いてきます。「ミニシアター・エイド基金」や「仮設の映画館」が若い映画監督や配給会社のメンバーなどによってすぐに立ち上がって進んでいったこと。「Save the Cinema」の運営に若い世代の人たちが参加してくれていること。もしクラウドファンディングや署名に若い人たちが参加してくれていれば、ミニシアターのこれからは若い文化にもなっていくのではないかと期待しています。私が今回のことで一番学んだことはこの“若い力”。そして一緒に動いていく“協同の力”。これがなければ、たぶん全国のミニシアターは生き残ることはできなかったでしょう。多くのかたがたからの応援の声を帆にいっぱい受けて、今日からの上映再開の海に漕ぎ出していきます。はたしてその海はどんな海なのかはまったく予想ができませんが、これからは私たちの海図を作りながら進んでいくことになります。先日、友人が「コロナが落ち着いたらミニシアターのルネサンスがきますよ」と声をかけてくれました。中世のペスト大流行のあとにルネサンス文化が花開いたことをふと思いだしましたが、この友人の船出への手向けのことばを全国のミニシアターと共有したいと思います。競争の時代ではなく共同の時代がきました。北條誠人(撮影:平辻哲也連載『発信する!映画館』から)プロフィール北條誠人(ほうじょう・まさと)1961年、静岡県清水市(現静岡市)生まれ。大学在学中から映画の自主上映に携わり、1985年、ユーロスペースに入社、1987年から支配人を務める。全国各地域の映画・映像文化を担う組織で構成する、一般社団法人コミュニティシネマセンター理事。SaveTheCinema「ミニシアターを救え!」呼びかけ人のひとり。
2020年06月01日「よく言えば、頑張り屋、完璧主義。だけど、つまりはゆとりのなさだったんです」 そう語るのは、タレントの麻木久仁子(55)。乳がんの手術を受けたのは’12年のこと。それから5年がたった昨年10月、治療に一区切りついたことを発表した。がん罹患の2年前には、脳梗塞を発症していたことも明かしている。 麻木といえば、知性派のイメージと親しみやすいキャラクターを兼ね備え、これまでクイズやバラエティ番組で活躍してきた。加えて近年は、講演会を中心に、自身の闘病経験や検診の大切さを伝える活動を行い、予後について語る機会も多い。初の料理エッセイ本『ゆらいだら、薬膳』(光文社)では、毎日作りやすい薬膳レシピのほか、導き出した“生きやすい生き方”についても紹介している。 麻木は、’83年に芸能界デビュー。初仕事は、その年に開業したディズニーランドのテレビCMだった。が、以降はなかなか芽が出ず、ようやく情報番組の司会やクイズ番組などに出演するようになったのは、20代後半のこと。つかんだチャンスを逃すまいと、30代、40代は仕事に邁進した。 「『自分が信じた道を行くんだ!』という、ポジティブな完璧主義ならいいんでしょうけれど、私の場合は、人の評価ありきだったから。ちょっとでもうまくいかないと、すぐに人の目が気になって。今考えれば、それって、自分の力ではどうすることもできないことだとわかるんですけどね」(麻木・以下同) 思い悩む性格に由来するのか--8年前、脳梗塞を起こした際、その要因とされたのはストレスだった。 「私生活でつまずきがあって、それを報道された時期だったから、先生もそう判断されたのかもしれませんね」 仕事はどんどん減り、不安から眠れずに、お酒の量が増えた。街を歩いていても人目が気になり、家にこもりがちになっていった。そんな鬱々とした生活が続いていくようにも思えたが、ある日のこと……。 「当時高校生だった娘が、散歩に誘ってくれたんです。『もうそろそろいいんじゃない?一緒に出かけよう?』って。いやがる私の手を引いて。そして、『ママ、立ち直ろうよ。また一から出直せばいいじゃない』と言ってくれたんです。これじゃ親子逆転じゃない、なんて情けなく思いながらも、胸が熱くなって……」 娘の成長に伴い、2人の関係性が形を変えることはあっても、つねに、互いを唯一無二の存在だと認め合っている。 「『世間が思うほど、ママって賢くないもんね』なんてサラリと言ってくるのも、この世界に娘だけ。その一方で『ママ、大好き!』と言って抱きついてくれるのも、彼女をおいてほかにはいません。恋愛の話もしてくれるし、仲はいいですね。ただし、私が何かアドバイスでもしようものなら、『ママにだけは恋愛相談はしない、って決めてるんだけど』なんて、ズバリ言われて(笑)。褒めるのとは違うけれど、『ママはそれでいいと思う』と、私の人生を肯定してくれている。それがわかるから、今の心の余裕につながっている気がします」 人生を四季にたとえれば、50代はまさに秋。更年期障害や老眼が始まり、白髪やシワだって増えてくる。 「重力に対する抵抗力もだいぶ衰えました。でも、人相としては、よくも悪くも力が抜けて、丸くなったかな。秋は、実りの秋でもあるわけです。振り返れば、日照りの日もあった。台風の日もあった。でも、のど元過ぎれば熱さ忘れるもので、最近は、すべてが人生の一部だと思えるんです。多くの挫折を経て、こうして実りの時期に入ったんだもの、収穫にかからなくちゃ!」 残りの人生を充実したものにするもしないも、50代からの生き方次第。 「今はもう『こうあるべき!』という考えがまったくなくて。結婚だって、するともしないとも断言しません。人生って、思いどおりにならないんだもの。『明日は明日の風が吹く』と思っているくらいがいいんです。でも、新しいことにはまだまだ挑戦したい。今しかない!と思っています」
2018年02月25日「48歳のときに脳梗塞、50歳目前で今度は乳がんが見つかって。思いもしない大病を患ったことが、生き方を見つめ直すきっかけでした」 こう語るのは、タレントの麻木久仁子(55)。乳がんの手術を受けたのは’12年のこと。それから5年がたった昨年10月、治療に一区切りついたことを発表した。がん罹患の2年前には、脳梗塞を発症していたことも明かしている。 麻木といえば、知性派のイメージと親しみやすいキャラクターを兼ね備え、これまでクイズやバラエティ番組で活躍してきた。加えて近年は、講演会を中心に、自身の闘病経験や検診の大切さを伝える活動を行い、予後について語る機会も多い。初の料理エッセイ本『ゆらいだら、薬膳』(光文社)では、毎日作りやすい薬膳レシピのほか、導き出した“生きやすい生き方”についても紹介している。 「もともと血圧は低い、コレステロール値も低い。健康にはそこそこ自信があったんです。特別、気をつかうこともなかった。それが大病を重ねたことで、食生活だけでも見直そうと思い始めて」(麻木・以下同) とりあえず料理教室にでも通うか、と考えているときに、偶然目に留まったのが「薬膳」の文字だった。 「薬膳って、薬という文字が入っているせいか、苦い、味は二の次、と思われがちだけれど、漢方薬とは違うわけで。むしろ折々で、本当に自分にふさわしい、本当においしい料理があるんだと知りました。私の薬膳の先生は、『おいしくなきゃ滋養にならないわよ』とおっしゃるくらい」 とはいえ、食材の入手が難しそう、細かいルールがありそう、専門の料理人が調理するもの、というイメージがまだまだ一般的に思える。 「それは、たとえるなら“F1ドライバーの薬膳”ですよね。一方で、普通免許証の薬膳もあるわけです。そもそも薬膳というのは食養生なので、ご飯を食べて体を健康にすることが目的でしょう?それが、高いお金を払って年に1回しか食べられないんだったら、体をつくれないじゃないですか。毎日食べなきゃ、身にならないもの」 がん治療を続けながら薬膳の世界にのめり込み、’16年には、国際薬膳師の資格を取得するまでに。現在はタレント活動のかたわら、クッキングセミナーにて薬膳講座の講師も務めている。 「私の乳がんの原因が何だったのか、本当のところは誰もわからない。遺伝子かもしれないし、それまで褒められた食生活じゃなかったから、食事の問題かもしれない。運動も嫌いだしね。でも、世の中には、たばこを吸わないのに肺がんになる人もいれば、健康の秘訣は喫煙だと話すご長寿さんもいる。だから、しょせん理不尽なんですよ。こういうものを食べていれば治るよ、と言う気はさらさらないけれど、でも、よりよく生きていこう、自分の人生を大事に生きていきたいという気持ちがあるなら、おいしいものをおいしく食べる、という選択肢は、誰にでも等しくあると思うんです。一回一回のご飯がおいしかったって思えることが、すごく大事なんじゃないのかなって」 薬膳には、食べてはいけない食材がないという。そして、〝体にいいもの〟は季節や体調によって変わる。 「『今日は寒かったかな』という日に、おかゆの中にしょうがを刻んで入れれば、それだけで薬膳。いつもの紅茶に、体を温めるみかんの皮を加えてみれば、それも薬膳。食材1個。ちょい足しでいいんです。つねに自分の体の状態を意識して、必要な食材をおいしくいただくことで、心身ともに調子のいい日が増えました。腹も立たなくなったし、くよくよしなくなったし、55代の今がいちばん健やかです」
2018年02月25日「テレビショッピングの醍醐味は“偶然の出合い”です」 こう話してくれたのは、通販が大好きという麻木久仁子さん(55)。麻木さんが“買って成功”だったという商品の中から、今回2つを紹介してくれた。 【ナイサーダイサーマジックキューブ】 4面すべてが刃で、20種類もの切り方ができるスライサー。 「スライサーは次々新商品が出るので、つい買ってしまいます。拍子木切りができるスライサーは珍しいんです」(麻木さん・以下同) 【アップカート】 片側3輪、計6輪のカート。 「でこぼこ道も段差もズンズン進めるという映像を見て、衝動買い。特に階段を下れるというのが決め手!でも、出番はまだ来ていません(苦笑) 今回は、“買って成功”だった商品を紹介してくれた麻木さんだが……。 「実は、失敗した買い物もたくさん!私の場合、ダイエットグッズは全部ダメでした。テレビを見ていると『すぐに痩せそう』『これなら私でもできる』と思ってつい電話してしまうのですが、全然効果がなかった(笑)。おなかにパッドを貼って筋肉を動かす機械は、すぐに面倒になって使わなくなりましたし、ルームランナーや足踏みステッパーも部屋のオブジェとなりました」 買っては飽き、飽きては買いを繰り返し、運動系ダイエット商品の購入はまさに“ムダ遣い”だったという。 「でも、実際の商品を見ないで買うので、買い物の失敗は仕方ないと思うんです。番組を見ながら電話している時間が最高に楽しいので“買うこと自体がエンタメ”と思うようにしています。これからもいろんなアイデアを楽しみながら、買い続けますよ(笑)」
2018年02月24日麻木久仁子(55)が2月18日、都内で自著「ゆらいだら、薬膳」刊行記念イベントを開催した。イベント内で麻木は、乳ガンのホルモン治療が昨年11月をもって無事終了したと報告した。 麻木は50歳を前に乳ガンを患ったものの、初期段階での発見だったため治療経過がすべて終了したという。主治医にも「『おめでとうございます』と言っていただけました」と笑顔を見せた。 そんな麻木の闘病を支えたのは主治医を務めた男性医師の言葉だと14年6月、インタビューで明かしている。乳ガンが判明した際、気丈に振る舞っていたものの内心は揺れていたという麻木。理由は、数年前にも脳梗塞で倒れていたためだ。そんな麻木に、男性医師はこう言った。 「ま、長いお付き合いになりますな」 「長い付き合い」とは“まだ治療の効く段階”だと、麻木はすぐに理解した。「ああ、私、大丈夫なんだ」と胸を撫で下ろしたのと同時に、男性医師のどこか飄々とした人柄に安心感を覚えたという。 さらに治療を進めるなかでも、男性医師の言葉は支えとなった。気遣いつつ乳房を切除するか否かなど提案することに麻木が「先生も大変ですね」と声をかけたときのことだ。男性医師は「女性にとって乳房がどれだけ大切かわからないから、患者さんの意思が何より大事」と語った。 「でも、自分は医療のプロだから、説明の仕方で患者さんの選択も変わってしまう。医師の責任は重いよね」 その言葉から患者を尊重してくれていること、それから医師としての強い責任感が伝わった。「このひとを信頼してよかった」と麻木はさらに安心し、乳ガンの治療に取り組めたそうだ。 自著のイベントの終盤では、先月30日に亡くなった有賀さつきさん(享年52)にも触れた麻木。有賀さんとは数多くのクイズ番組で共演しており、麻木は「私も娘が1人で、同じような境遇だけに…」と言葉を詰まらせた。そしてこう語った。 「ただ一生懸命生きて行かなきゃと……同世代として思いました」
2018年02月19日こんにちは、海外在住プロママライターのさとうあきこです。これまでバリバリと働いてきた女性にとって、初めての長期休暇ともいえる育休期間をどう過ごすかは、その後の社会人としての人生を左右する可能性があります。育休を後押ししてくれる会社に所属していれば、育児に専念する数週間から数か月、数年の後にも復職はできます。でも、その間もバリバリと一線で働いていた同僚たちとの差は歴然と開いていきます。また、会社が育休をそれほど応援してくれない場合には、育休中に“それなり”の努力をしてその成果を見せなければ復職しにくいこともあります。では、育休は働く女性にとって常にマイナスなのかというと、必ずしもそうではありません。育休の過ごし方次第では、復職後のキャリアアップも夢ではないのです。ここでは、育休後にスムーズな復職を目指すために、ママにできることを4つご紹介します。●(1)ワンランク上のポストに復職するためにMBAを取得『MBA』は日本語では『経営学修士』と呼び、ビジネス系の大学院やビジネススクールで一定単位を取得することで授与される学位の一つです。ビジネスマンたちが更なるキャリアアップを狙って、平日の夜や週末、さらにはオンラインを利用して数か月から数年単位でマーケティング、アカウンティング、ファイナンス、経営戦略などを学びます。ただ、フルタイムで働きながらだと残業とのやりくりが厳しく、通いきれなくなることも多いもの。途中でドロップアウトしたり、当初の予定期間を大幅に越えてようやくMBA取得にたどりついたりする例も少なくありません。ところが、育休中なら逆に時間の都合はつけやすい 場合もあります。在宅オンラインを有効活用し、さらには家族に育児を頼める時間、保育所に預けられる時間などを使うことで、勤務中よりも短期間でMBAを取得することも可能かもしれないのです。●(2)自分が求めるポストや仕事を得るための“育休プチMBA勉強会”育休中に仕事から多少の距離ができるのは仕方ないとしても、育児は復職後も続きます。時間的にも体力的にもある程度限定されてしまう復職後の働き方を考え、それに備えて十分な能力を身につけようという試みが近年始まっています。その一つが“育休プチMBA勉強会”です。育休プチMBA勉強会では、乳幼児を連れて学べる環境の中 で、将来的に育児と仕事を両立していくためのマネジメント思考力や実社会で必要とされる人材となる能力の向上を目指します。この勉強会をきっかけに実際にMBA取得を目指す人もいれば、学位としてのMBAにこだわらず、実務能力の向上を目指す人もいます。共通するのは、復職するだけでなく復職後の自分に求められるものと自分が求めるもの、たとえばポストや給与、福利厚生などについて前向きに考えて、そのために学んでいるところでしょう。●(3)“語学”や“パソコン技術”を磨いて資格取得MBAを取得するほどの時間や経済的な余裕がないとしても、夜に数時間パソコンに向かう、または週に1回程度のスクール通いなら可能かもしれませんね。例えば、育休中に語学をブラッシュアップしてTOEICなどの点数として成果を出しておく 、または、職場で必要とされるパソコン操作を学んでおく といった育休期間の有効活用もアリでしょう。語学はいつだってどこだって万能です。復職だけでなく転職に際しても常に有利になる能力の一つといえます。パソコンも同じ。使いこなせるかどうかで、復職後に任される仕事の幅が変わってきます。語学もパソコンも、MBAのように学校に通わずとも、習い事感覚や在宅オンラインのみでもそれなりの効果をあげることができる手軽さが嬉しいですね。●(4)同じ職場への復職を希望するなら、パートや嘱託、在宅としてできることを自分の育休中、同僚たちはバリバリ働いて仕事の経験値を上げています。育児は大切ですが、その間焦りを感じてしまうのも確かですね。そこで、同じ職場の同じ職種でフルタイム勤務は無理だとしても、パートや嘱託、在宅勤務でできることを探して、会社に交渉して続けていく という方法もあります。社内にそのような規定がない場合がほとんどなので、これは育休を取る段階で自分が働きかけて上司や会社を動かす必要がありますが、やってみる価値はあります。焦りや置いてけぼり感を減らせるだけでなく、自分と会社の関係をつなぎ続けられる点でも、復職は大きくスムーズになるはずです。●まとめとして自分が復職しようと思う職種や、育休期間の長さによってもできることは変わってくるでしょう。家族の協力の有無や経済的な余裕も関わってきます。だからこそ、自分にできることをできる限りやってみることで、やった結果は必ず自分自身の自信となり、復職後のポストや働きやすさにつながっていきます。また、教育訓練給付金などのさまざまな補助制度を上手に使うのも大切なポイント。公的な制度だけでなく、社内制度にも目を向けてみましょう。復職後を視野に入れて過ごす育休は、子育てで得ることのできる充実感にプラスして達成感も得られそうですね。【参考文献】・『働く女性が子どもを産むとき読む本ー妊娠〜休職〜出産〜復職まで、スケジュールと手続きが全部わかる!』北條麻木・著【参考リンク】・W.S.Iについて | Work Shift Institute()・教育訓練給付制度について | 厚生労働省()・失業された方へのご案内 | ハローワーク()●ライター/さとうあきこ(海外在住プロママライター)●モデル/大上留依(莉瑚ちゃん)
2017年05月17日