私は現在2児の母です。1人目・2人目ともに、出産予定日を過ぎても子宮口がまったくといっていいほど開かず、計画入院をしてバルーンや陣痛促進剤を使用して出産しました。特に1人目の出産は壮絶で、なんと生まれるまで4日間もかかりました。今回は1人目の出産のときの体験談をお話ししたいと思います。 計画入院は怖くなかった出産予定日を1週間過ぎても、出産の兆候はまったくといっていいほどなかった私。妊娠41週ちょうどのとき、とうとう「計画入院して赤ちゃんを出そう」と医師に言われました。 いわゆるバルーン(風船のように膨らむ医療器具で子宮口を広げる処置)や陣痛促進剤を使った出産になるのですが、不思議と怖くはなかったです。なぜならば、出産そのものが奇跡だという価値観だったからです。命がけで出産に臨む覚悟はもうできていました。 バルーン挿入と陣痛促進剤を投与午前10時に入院。まずはバルーンを挿入し、陣痛促進剤も投与しながら、子宮口が開くか様子を見ようということになりました。陣痛促進剤を入れて2時間もすると、悶絶するほどの激痛が。 最初はいきみ逃しに、ベッドの近くにある手すりを強く握りしめながら痛みと闘っていたのですが、数時間後別の助産師さんに担当が代わったとき、「その方法では体力を消耗するから、何も握らず呼吸法でいきみ逃しをするように」と指示がありました。 アドバイス通りいきみ逃しをしたら⋯最初は何も握らずこの激痛と闘うのは無理! と絶望していましたが、このままでは体力を消耗して出産を乗り越えられないと思い、指示に従うことに。激痛時には大きく息を吐いて、いきみ逃しをおこないました。慣れてくると確かに無駄に体力を消耗することはなく、あのとき助産師さんのアドバイスを受け入れてよかったと今でも感謝しています。 しかし夜の診察時にはまだ子宮口は2~3cmほどしか開いておらず、20時くらいを目処に一旦バルーンと陣痛促進剤を休止。休止後も痛みはなくなることはなく、微弱陣痛と闘いながら不安な夜を過ごしました。 3日目に突入した夜中から和痛分娩を開始そして2日目も、午前10時から陣痛促進剤とバルーンを再開し、また激痛と闘い始めました。そして3日目の夜中にとうとう痛みの限界がきた私に、医師から「出産が難航しているので、帝王切開か和痛分娩になる」と説明があり、私は和痛分娩を選択。確かに痛みは治まりましたが、下半身がまったく動かず、別の意味できつかったです。 そして医師に「子宮口の開きが進行してきたら麻酔は止める。分娩時はお母さんの踏ん張りの力も必要だから」と言われ、4日目の夜中に破水。そのとき子宮口は8cm開いていました。そしてやっとの思いで4日目の午前8時半に出産しました。 分娩誘発から出産まで4日という難産で、分娩所要時間はなんと43時間かかり、羊水込みで1.3Lの大量出血でした。しかし、実家などに頼れず退院初日からワンオペ育児がスタート。誰かを頼るということがほとんど許されなかった私ですが、そんな壮絶な経験を乗り越えたからこそ、2人目の妊娠・出産では感情的にならず、合理的にさまざまな問題に対処できました。自分の身を振り返る時間がないからこそ、育児を通してたくましく成長できたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身が毒親に育てられた。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年12月09日発達障害の長男は、赤ちゃんのときから「寝ない子」でした。長男を産む前の私は、子どもは一度寝たらぐっすり寝るものだと思っていましたし、寝付くときも30分くらいで寝るものだと思っていました。しかし、いざ育児が始まると現実はあまりにも違っていたので、もしかしたら長男は「寝ない子」ではないかと感じるようになりました。そのときの私の思いや、長男が寝なかった理由などについてご紹介します。 とにかく寝なくて大変だった乳児期長男は生後6カ月から保育園に入ったのですが、30分くらいしか昼寝をしないので保育園の先生がとても心配するほどでした。家でも授乳中には寝るものの布団に寝かせるとすぐに起きてしまうのです。1歳を過ぎても昼も夜もなかなか寝付かず、2時間近くゴロゴロ転がってばかりで全然寝ないので、私のほうがだんだんイライラ……。長男が寝ないことへのストレスと、成長への影響の不安がどんどん募っていきました。 寝なくてもいいやと発想を変えた結果1歳を過ぎてもあまりに寝ないので、疲れ果てた私は発想をガラリと変えてみました。保育園に行くために夜8時半には寝かせたかったのですが、寝る時間にこだわることをやめました。 それまでの私は、長男を寝かしつけた後に、家事を済ませたり自分の時間を過ごしたりしていたのですが、それをすべて夕食の後にすることにしたのです。そして夜10時になったら長男と一緒に寝てしまうスタイルに変えてみました。お互いに好きな時間を過ごせるようになったので、私のストレスも減っていきました。 長男が寝たくない理由とはその後しばらく経って、長男が年長のときに寝なかった理由を聞いたことがあります。理由は2つありました。1つ目は、「音とか光が気になって眠れない」。もう1つは、「起きていれば、もっとおもしろいことがありそうだから」でした。なるほど、と思いました。長男は感覚過敏があり、蛍光灯が苦手です。そして音にもとても敏感なのです。起きている間は自分の興味のあることに熱中しています。私が起きていれば、長男も「何かおもしろいことを見つけて遊べる」と思っていたのでしょう。 小学5年生になった今でも、睡眠時間は少ないほうだと思います。「子どもは早く寝るもの」という大人の理想に当てはめず、長男のペースに合わせることで、私の気持ちが「寝られないものは寝られないんだ」と割り切ることができました。感覚過敏がある、発達障害という特性があることで、当時は不安を感じてしまっていたのです。寝る時間が少ない、ということは、理想の生活習慣を身につけるには本当は良くないのかもしれません。しかし、長男の成長を信じてやっていこうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2019年12月07日昨年、予定していなかった3人目の妊娠が判明。当時小学1年生の長男と年中の長女、普段まったくと言っていいほど家事を手伝わない夫と暮らしていました。ワンオペ育児のため、出産で入院する間の家事・育児のことが心配になった私は、出産前にわが家の育児マニュアルを作成! そして家事と育児を夫に引き継ぎ、たくさんの人に助けてもらい、産前・産後を乗り切った体験をご紹介します。 不安だらけの出産準備長男が逆子による帝王切開での出産だったため、長女も帝王切開、そして今回も予定帝王切開になり、入院期間は9日間の予定でした。長女の出産時は入院中の家事・育児を実母にお願いしましたが、今回の出産前に実母は少し体調を崩してしまい、全面的に手伝ってもらうのは残念ながら無理……。普通分娩より入院が長引くので、入院中の家事・育児全般、学校や幼稚園の準備、習い事の送り迎えなど、ワンオペ状態の私は心配なことだらけでした。 入院中の家事・育児は誰がやる?夫に相談して話し合った結果、子どもたちのお世話や片づけ、掃除、洗濯は夫が担当することに決定。そして夫が仕事中の幼稚園送り迎えや料理などは、実母が担当し、家事を分担することになりました。さらに私が入院している9日間のうち、2日間は義母と義姉が来てくれることに。しかし、子どもたちの朝の準備や送り迎えの時間、方法など、私以外の人には未経験のわからないことだらけです。いろいろ考えた結果、夫だけでなく実母、義母、義姉にもわかりやすいようにわが家の家事・育児マニュアルを作成することにしました。 家事・育児マニュアルのファイルを作成!まずは子どもたちの平日の予定、時間や持ち物を記載したスケジュール表を作成。小学校と幼稚園では持ち物が全然違うので色分けし、パッと見てわかりやすくしました。ちなみに持ち物はそれぞれ自分で準備できるように子どもたちに収納場所を伝えました。あとは収納棚にテプラを使ってラベルを貼るなど、誰にでもどこに何があるかわかるよう心がけました。ゴミ出しの曜日・時間、学校や小児科の連絡先もファイルに記載し、「テレビは1日30分!」「21時までには寝る!」など、わが家のルールも記載。もし私に万一のことがあっても、このファイルさえあれば、この子たちは普段通りに生活できるんだろうなぁ……と少し寂しく思いながら、マニュアルを作っていました。 マニュアルの効果マニュアルが完成したときの安堵感、やりきった感はすごかったです。「これで安心して出産できる! 」と心から思いました。そして今年の3月に無事元気な男の子を出産。お見舞いに来てくれた長男は、なぜかピチピチの長女のスキニ―パンツを穿いていました……。 わからないながらも、マニュアルを頼りに一生懸命に家庭を守ってくれた夫、実母、義母、義姉に感謝です。夫には言葉で伝えるよりも、マニュアルがあるほうが断然わかりやすかったそうです。退院後に見たファイルの中には、学校や幼稚園からのお手紙や郵便物など、大切な書類もきちんと入れてくれていて、本当に助かりました。 産後はこれで夫も少しは家事を手伝ってくれるようになるかと淡い期待を寄せていましたが、見事に期待は裏切られ、現在もワンオペ育児は続いています。ただ、夫もやるときはやってくれる、という安心感が芽生えたので、心が少し軽くなりました。今は生後7カ月となった次男のお世話と家事でてんやわんやの毎日です。 著者:西 さくら3児の母。2級建築士・整理収納アドバイザーの資格を取得。自身の体験をもとに、インテリアと子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年12月06日1人目の子を妊娠していたときは経過が順調で、普通に仕事や生活をしていました。2人目のときも順調かと思っていたら……妊娠32週でいきなりおなかが張り、破水してしまいました。大変だったそのときのことをお話しします。 いつもよりおなかが張る2人目を妊娠したのは上の子が4歳で甘えざかりのころ。何の異常もなく、仕事もフルで働き、上の子のお世話も普通にしながら生活していました。 しかし、妊娠32週のある日のことです。いつもよりおなかの張りがあるなと思い、休憩をしながら夕飯を食べ、上の子と一緒に早く寝ました。 少し時間が経つと、何かが出たような感じがあり、もしかしたら……と思って確認すると、出血が! どんどん流れ出してきたので、急いでかかりつけの産婦人科に連絡をしました。 大きな病院へ緊急搬送、そして入院に……急いでかかりつけの産婦人科に行き、診察してもらった結果、破水はしていなかったものの、「早産の可能性があるので、大きい病院に移ってもらいます」と言われました。そして、生まれて初めて救急車に乗り、大きな病院に搬送されたのです。 転院先での診察の結果、切迫早産という診断がおり、安静ため緊急入院となりました。入院後は、何かあれば緊急帝王切開になるかもしれないといわれ、おなかの張りを抑える点滴を24時間管理でおこない、移動はすべて車椅子の生活に。 とにかく妊娠37週まで私は、妊娠37週まではもってほしいと毎日おなかの子に語りかけていました。そしてわたしの声が届いたのか、状態は安定し、妊娠36週で退院することができ、元の産婦人科にも戻ることができました。 退院後は、いつ産んでもいいから今度は動いてと言われ、動くようにしました。しかし、安静の期間が長かったせいか、筋力も体力も落ちてしまい、すごくしんどかったです。 結局、2人目の子は妊娠38週までおなかの中にいてくれました。陣痛が来てからはあっという間だったのですが、最後に陣痛促進剤を使い、吸引分娩で元気な男の子が生まれました。大変な出産でしたが、何より無事に生まれてきてくれてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:加藤美紀4歳と生後3カ月の二児の男の子のママ。仕事はフルタイムの事務職で、現在は育児休暇中。4歳の兄をこども園に預けている間はアフタービクスに行くなどしてアクティブに育児を楽しんでいる。
2019年12月06日次男が1歳のときブランコから転落し、前歯が1本折れてしまう事故がありました。その後、半年近くワイヤーで折れた歯を固定していたのですが……。「いつ折れた歯が抜けてしまうのか?」と不安に思った、事故後のエピソードを紹介します。 ワイヤーが外れた!1歳のときに対象年齢外のブランコに乗せてしまい、転落、前歯が折れてしまった次男。その後、治療を受け折れた歯をワイヤーで固定することになり、定期的に歯医者に通い、レントゲンでチェックしてもらっていました。 幸いにも折れた歯はぐらつきがあるものの、普通の歯と変わらず食事もとることができ一安心でした。しかしある日、歯磨きをしているときに前歯に違和感が。よく見るとワイヤーの一部が浮いているように見えます。慌てて歯医者に連れて行くと、ワイヤーと歯を接着していた部分が一部取れてしまっているとのことでした。 接着をすべて外すことに 医師と話し、半年固定したからもう外したほうがよいということになり、ワイヤーを外すことになりました。あとは、折れた歯がどうなるかは自然に任せることになりました。 一度折れた歯はやはり抜けやすくなるようで、実際に次男の折れた歯を触ると、明らかに他の歯よりも揺れが大きいです。医師にはすぐに抜けるか、永久歯が生えるまで抜けないかはわからないと言われました。 改めて事故と向き合うことに事故後折れた歯は口内に取り付けられたので、ワイヤーこそあれ次男の見た目にそれほど変わりはありませんでした。しかし接着が外れた今は、いつ前歯が抜けてもおかしくない状態です。 前歯が完全になくなるという現実を突きつけられたようで、私は大変ショックを受けました。また、回避できたはずの事故に次男をあわせてしまった後悔も改めて強く感じました。 現在事故から10カ月経ち、歯は黄色く変色していますが、まだ抜けていません。歯磨きのときなどは揺れが気になりひやひやしてしまいます。特に最近は揺れが大きくなっているようで、いつ取れてしまうか心配でたまりません。できれば永久歯が生えるまで抜けないでほしいです。しかし、本来であれば事故のときに欠損していた歯が10カ月以上ももったのですから、幸運と思わなければいけないのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2019年12月06日私の息子は卵アレルギーがあります。離乳食開始前から食物アレルギーについて調べ、慎重に進めていたつもりでした。しかし、息子のアレルギー判明後に私の進め方とは正反対な文献を見つけ、間違っていたのかも……と後悔した体験談をお話しします。 離乳食開始前の情報収集アレルギーを起こさないために、息子の離乳食は慎重に進めようと考えていました。そして雑誌や育児書、自治体のパンフレット、インターネットなど複数の媒体から集めた情報を元に、生後6カ月から離乳食を開始することに。10倍がゆ、次はにんじん、さつまいもとアレルギーの起きにくいと言われている食材から始め、大豆や肉、卵などは生後6カ月後半から7カ月にかけて少しずつゆっくり与えることにしようと考えていました。 恐れていた食物アレルギーに離乳食中期までは特に問題なく進み、小麦や乳、卵などを与えても大丈夫だと安心していましたが、当時生後9カ月だった息子に初めて蒸しパンをあげたところ、なんと卵アレルギーが判明したのです。ゆで卵を食べさせたときは問題なかったのでとても驚きましたが、幸い受診してすぐに落ち着き、以降は医師の指示のもと慣れさせる練習をしています。 私の離乳食の進め方が間違っていた?その後、アレルギー児の卵への慣れさせ方についてインターネットで調べていました。そのとき食物アレルギーの予防についての記事があり、そこには「卵は生後5カ月半ごろに極少量を与える」「与える時期を遅らせない」という記述が。息子の卵アレルギーが判明した同時期の2019年3月に、厚生労働省の「授乳・離乳の支援ガイド」の改定により、卵を与える時期が変更されたのです。卵黄は離乳食初期(生後5カ月後半〜生後6カ月)となったそうです。私が息子に卵を初めて与えたのは、卵黄が生後6カ月の後半、卵白は生後7カ月になってからでした。ガイドラインで卵を与える時期が改定されているのを知り、ショックを受けました。「もしも最新版のガイドライン通り、もっと早めに卵を食べさせていたら、息子のアレルギーを防ぐことができたのかな?」と後悔が残りました。 もちろん食品を与える時期だけがアレルギー発症の有無を決めるわけではありません。けれど、離乳食の進め方が間違っていたのかな? もっと息子のために私にできることがあったのかな? という後悔は心の中に残ることとなってしまいました。今後は息子の卵アレルギー克服のために尽力していきたいと考えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2019年12月05日赤ちゃんにとって、生活の流れを習慣づけることはとても大切なことなんだなあと実感することが多くあります。寝かしつけも同じ。わが家の場合は、お風呂に入ったら寝る、ということを繰り返しおこないました。初めのうちはリズムも何もなく寝たり起きたりしていただけなので、意味があるのかわかりにくかったのですが、それでも続けることの大切さを後から実感しました。 生後1カ月からの習慣づけ生後1カ月までの沐浴期間は、産院から「機嫌のいい早目の時間に」と指導があったので、午前10時に沐浴をしていました。しかし大人と同じお風呂に入れるようになってからはずっと、夜寝る前にお風呂に入れるようになりました。 生後早い段階から同じリズムで生活したことで、寝るまでの流れがスムーズになるのが早かったように感じました。生後すぐは昼夜の区別もついていない状態でしたが、お風呂→授乳→睡眠の流れは欠かさずおこないました。 次第にスムーズに!初めのうちは大泣きでなかなか寝ませんでしたが、お風呂の時間など試行錯誤を重ねていると、生後3カ月になるころから、15分くらいで寝てくれる日が出てきました。その後、寝る前の流れをルーチン化し、お風呂の後にベビーマッサージや絵本の時間を導入しました。 しかし、お風呂の後に寝ることだけで入眠儀式となっていたことから、必要性が感じられず、すぐやめてしまいました。 そして現在現在、息子は1歳。月齢が上がるにつれて遊ぶのが楽しくなり、お風呂から上がったらコテンと寝るということはなくなりましたが、それでもお風呂から上がって電気を消すと自分から布団でゴロゴロし始め、途中遊んだりしながらも、だいたい1時間位で寝ています。 寝かしつけ方法はずっと抱っこでしたが、時々はゴロゴロしたまま眠りについてくれるようにもなり、助かっています。 お昼寝では抱っこは必須なので、夜に時々でも抱っこなしで寝てくれるのは、寝るまでの流れが習慣化されているおかげだと思います。わが家は、早い段階から寝るまでの流れを習慣づけしておくことで、その後の寝かしつけがラクになりました。著者:谷口菜穂一男の母。保育士資格、幼稚園教員免許、小学校教員免許を取得。出産後、仕事を退職。日に日にできることが増えていく子どもの成長におどろく毎日。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月03日娘が1歳半になる秋に、私は謎の高熱で動けなくなってしまいました。当時私は専業主婦で、娘を自宅でみていた時期。夫は仕事が休めず、移動に2時間かかる距離にある実家や義実家から応援に来てもらい、数日間どうにか面倒をみてもらいました。それでも治る気配はなく毎晩高熱が続くので、娘を連れて実家へ帰ることに。実家近くの病院で検査をしてもらった結果、なんと肺炎でした。当時のことを詳しくご紹介します。 激しい悪寒からの高熱私が35歳のときのこと。当時私は2人目妊活中で、娘のお昼寝中に激しい悪寒と関節痛に襲われました。もしかして、妊娠して体温が上がっているのかな? と期待が高まったのを覚えています。毛布にくるまってしばらくすると悪寒はおさまりました。そんなことが3日間続き、4日目はお昼から発熱。風邪の症状はなく、このときはまだ家事も育児もどうにかこなせる程度でした。しかしその翌日のお昼過ぎからどんどん熱が上がり、夕方には40度に。念のため実家から応援に来てもらっていたので、娘を預けて、私は高熱のなか自転車で病院へ向かいました。 原因不明! 症状は高熱だけ病院でインフルエンザの検査をしましたが、結果は陰性。そのときたまたま下痢気味で、「腸から来る発熱かもしれないので、もうしばらく様子をみましょう」と、整腸剤と解熱剤が処方されました。翌日は義母に来てもらい、1日中娘をみてもらうことに。解熱剤を飲むと、2時間ほどかけて40度から37.5度くらいまで下がり、1時間ほど経つとまた熱が上がりだします。この日は関節痛が酷く、寝返りも息を吸うのも痛い状態でした。解熱剤を飲んで、熱が少し下がると動けるようになり、その隙になんとか食事をしました。 娘は状況を理解できていませんでしたが、ただごとではないと察しているようで、あまり私に近づこうとはしませんでした。 娘を連れて実家へ回復の兆しが見られず、自宅にいるのは限界と判断。娘を連れて実家で療養することにしました。翌日、実家から車で迎えに来てもらいましたが、移動時間は2時間。その間に娘が車に酔ってしまい、嘔吐を繰り返して処理に追われる事態に。娘も本当にかわいそうだし、私もしんどいしで大変でした。家に戻ってからはひたすら寝込み、娘の面倒は実家の家族がみてくれました。娘はあまりママっ子ではなかったので、そこは助かったポイントだと思います。痛かった関節痛も治まり、日中は微熱になって動けるように。しかし、夜間には40度の高熱に苦しむ毎日。土日を挟んでも治らず、週明けに実家の近くの病院へ行くことになりました。 ようやく肺炎の診断病院でレントゲンを撮ると肺に影があり、肺炎とのこと。咳はほとんど出なかったのでびっくりしましたが、やっと原因がわかりホッとしたのも正直なところ。その後、大きい病院を紹介してもらい、精密検査を受け、そこでもらった抗生物質を飲むと間もなく症状は落ち着きました。娘も安心したのか、ようやく私の膝の上に座りに来るように。その様子を見て一番安堵したのは、娘の面倒を見続けてくれた実家の家族でした。とはいえ、1週間以上の経過観察が必要で、出産後の里帰り以来の実家長期滞在となったのです。 発熱が落ち着いてからも、すっきり回復とはなりませんでした。よくわからない吐き気に襲われ、その後自宅へ11日ぶりに戻ったときも、ブランクで頭がまわらず、体力の衰えも感じました。子育て中にママが寝込んでしまうと、本当にどうしようもないことを痛感しました。でも、いざとなったら家族が助けてくれることは本当にありがたかったです。それ以来、外から帰ったら手洗いうがいを徹底するとともに、目や鼻、口にあまり触れないようにも気を付けています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ひらたかおる二児の母。趣味はメルカリと写真。自分の備忘録と、いつか誰かの役に立つことを願って妊活中からブログを続けている。2018年から、自身の妊活や子育てでの経験をさらに活かすべくライターとして活動している。
2019年12月02日私の場合、1人目も2人目も陣痛が始まってから4時間以内のスピード出産でした。「早いとラクでいいね!」と言われますが、2人目以降は臨月になると病院への移動などが間に合わなかったらどうしようといつも不安でした。今回は3人目の出産エピソードをお伝えします。 前駆陣痛から本格的な陣痛へ3人目の出産は夜中の前駆陣痛から始まりました。はじめはいつものおなかの張りかな? と思い、そのまま寝ようとしていました。しかし、何かおなかの張り方がいつもと違う感覚がして気になったので、数分後におなかの張りの間隔をカウントをしてみました。 すると、すでに4〜5分間隔!すぐに病院へ電話して向かいました。病院へ到着したときには本格的な陣痛がきていて、痛みが収まっているタイミングで病院内に入っていきました。 慌ただしい出産助産師さんに迎えられて、車いすで陣痛室へ行くと、すでに子宮口は全開でした。すぐに「分娩室に移動しようか」と言われ、分娩台に上がり、次の陣痛を待ちました。私は横向きが楽なので横向きになるとすぐに破水し、その2秒後にはポーンと一度も止まらずに生まれてきてくれました。 先生や助産師さんもあまりにもスムーズな出産で「すごく早かったね!!」と、とても驚き、慌てていました。 スピード出産にも危険が?無事に出産しましたが、「勢いがよく出てきたから出血が多いね。多めに点滴を打ってゆっくりしようね」と先生に言われ、産後は5時間ほど、分娩室でのんびりと過ごしました。あとから助産師さんに、通常の2倍の量の出血があったと聞き、スピード出産もいいことばかりではないことを実感しました。あのまま陣痛だと気付かずに寝ていたらと思うと怖くなりました。前駆陣痛か陣痛かわからなくて困ったとき、間違っているかもしれないと思うと、電話しにくい場合もありますよね。病院へ着くまでに赤ちゃんが生まれてしまっては大変なので、遠慮せずに医療機関へ電話することをおすすめします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:新山紗季6歳、4歳、1歳の三児の母。現在は医療機関で働くかたわら、記事執筆をおこなう。不妊治療や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月01日低体重、低血糖で生まれた娘は、生後数日が経っても血糖値が上がらず、高インスリン性低血糖症との診断を受けて1カ月入院しました。その後も毎日の投薬治療と血糖値測定をおこない、定期通院を経て1歳ごろに軽快に至りました。それまでの経過をお伝えしたいと思います。 娘の病気と自責の念に駆られた産後妊娠36週6日で生まれた娘は、低出生体重児で出生時の血糖値もかなり低い状態でした。生後数日経っても血糖値が安定せず、「高インスリン性低血糖症」と診断されたのです。低血糖の状態が続くと脳に影響が出る恐れがあるとのことで、すぐに治療開始へ。 小さく産んだだけでなく、脳への影響もあり得る病気だなんて私のせいだ……この子にかわいそうなことをした、とひたすら自分を責めました。NICUにいる娘を想い病室でもずっとひとりで泣いていました。 乳児に毎日針を刺し採血するつらさ1カ月ほどで娘は退院し、自宅での治療を開始。身の回りのお世話に加え、1日3回の投薬と血糖値の測定を毎日欠かさずにおこなう必要がありました。血糖値の測定は足の裏に細い針を刺し、そこから出た少量の血液を測定器に当てて測定します。 針を刺す場所を間違えてしまうと娘が痛がって泣いたり、血液が出てこず何度も刺し直さなければいけなくなったりと大変で、まだ小さな娘の足に針を刺すたびに心が痛むつらい作業でした。 治療の結果、血糖値が安定するように生後3カ月ごろまでは血糖値が安定せず、2週に1回通院していました。そのころは治療がいつまで続くのかがわからず不安になり、治療も子育てもうまくいかないと、自分が不甲斐なくて泣くことも多々ありました。やがて娘が離乳食を開始し、私の身体的負担を軽くするために混合授乳から育児用ミルクに切り替えた生後6カ月ごろ、血糖値が安定するようになったのです。発達も順調であることがわかり、治療や子育てに対する私の不安も次第に和らいでいきました。 1歳を過ぎてからの娘の様子それから薬の量も減っていき、1歳の誕生日を迎えるころには薬がなくても血糖値が安定してきました。毎日の血糖値測定も不要となり、血糖値測定キットが必要なくなったときは「ああやっと終わったね、よく頑張ったね」と娘と喜びを分かち合いました。その後も半年に1回ほど定期通院をしていますが、発達も問題なく経過も順調とのこと。通院も3歳で終了予定だったので、ようやく一安心です。 娘の病気に対し不安も多々ありましたが、何よりも小さな娘自身が痛い血糖値測定や、苦い服薬も頑張ってくれたので乗り越えることができました。今は元気な娘の姿にとても幸せを感じます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:金岡莉緒1女の母。独身時代から住宅関連企業に勤務し、産休育休を経て時短勤務中。妊娠・出産・子育てに関する自らの経験を中心に執筆している。
2019年12月01日2人目出産の際、おなかの中の赤ちゃんが妊娠38週で逆子になってしまいました。急きょ帝王切開になるかと思いきや、手術予定日当日の朝、奇跡的に赤ちゃんが頭位に戻ってくれたおかげで、最終的に自然分娩で出産することができました。出産を目前に控えた臨月のわずか1週間のうちに、逆子判明と逆子解消の両方を体験した、私の奇跡的な出産体験談をお伝えします。 妊娠38週で、まさかの逆子!妊娠38週に入り経過も順調だったので、あとはもう元気な赤ちゃんに会えるのを楽しみに待つばかりでした。しかし、妊婦健診に訪れた病院で先生から思いもよらない一言を聞かされます。 「あれ? 頭が下にないな。逆子になっちゃってるね」 驚くことに、出産予定日まであと10日と差し迫っているタイミングにもかかわらず、逆子になってしまったのです。自然分娩予定が急きょ、3日後に予定帝王切開手術を受けることになり、大慌てで心電図やレントゲン、血液検査を受けました。 逆子体操NG逆子と診断を受けてすぐ、逆子体操をすべきかどうかも先生に伺いましたが、私の場合はすすめられませんでした。臨月に入ってから逆子体操をすることでお産が進みやすくなる傾向にあるそうです。 そして逆子のままお産を迎えてしまうと緊急帝王切開になり、普通の帝王切開手術よりもさらにリスクが上がってしまうので、逆子体操はせず、できるだけ安静にしているように説明を受けました。 前日はまだ逆子私の出産した病院では、予定帝王切開の場合は手術する日の前日に入院します。感染症予防のために助産師さんに毛を剃ってもらったり、母体と赤ちゃんの健康状態を確認したり、前日の夜から飲食を中止したり、夫と一緒に手術について最終的な説明を受けて同意書を記入したりしました。この日のエコー検査では、残念ながら赤ちゃんはまだ逆子のまま。それでも先生から手術当日の朝も確認して、もしそのときに頭が下に戻っていたら、自然分娩にまた切り替えると説明を受けていたので、祈るような気持ちで一晩を過ごしました。 当日の朝、奇跡が!帝王切開を受ける当日の朝、目が覚めるとそれまで恥骨のあたりで感じていた胎動が肋骨のあたりで感じられたことをはっきりと覚えています。これはもしかして……と期待を胸に診察を受けると、本当に赤ちゃんの頭が下にあり、逆子が直っていました。 通常は、逆子が戻ると陣痛を待って出産するために一時的に帰宅するそうですが、私の場合はまた逆子になるリスクがあったので、そのまま陣痛促進剤を使用して出産することに。先生から陣痛中もまた回ってしまうこともあると言われていたので、陣痛の痛みを耐えた上でさらにおなかを切られるなんて⋯⋯! とハラハラドキドキ。幸い陣痛中はもう一度逆子に戻ることなく、どうにか自然分娩で出産することができました。 「臨月でこんなにぐるぐる回る子は滅多にいない」と、病院の先生と助産師さんにも驚かれた私の赤ちゃん。ようやく赤ちゃんに会えたときは、生まれてきてくれた感動はもちろんですが、自然分娩で無事産めて本当にホッとした思いでした。今回の出産を通じて、逆子から頭位に自分で戻ってくれた赤ちゃんにも、直前まで戻ることを諦めずに待ってくださった病院の先生と助産師さんにも、心から感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山本加奈子5歳女児と0歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月30日妊娠34週目に里帰り先の産婦人科で、胎児に病気があることがわかりました。詳しい検査が必要となり、総合病院に転院。切迫早産の診断がおり、胎児は横隔膜ヘルニアの疑いがあるとのことでした。生まれてみないと詳しくはわからないと言われたときの心境と、出産までにしたこと、出産後のことをお話しします。 「横隔膜ヘルニアの疑いがある」と言われ…県外から、妊娠34週に飛行機で里帰りしてきました。里帰り先の産婦人科で切迫早産の診断がおり、胎児が小さめと先生に言われました。そして1週間後、再度妊婦健診を受けると、「胎児に横隔膜ヘルニアの疑いがあるので、明日総合病院で診てもらってください」と言われました。 エコー写真を見ながら淡々と話をする先生の言葉が耳に入ってきませんでしたが、異常があるということだけが頭の中をグルグルまわり、涙が出てきました。 なんで? 自分の子どもが? おなかの中では元気に動いているのに……。 勝手に出てくる涙は止まらず、先生から「ご主人と今後のことを話し合ったほうがいい」と言われ、急きょ、夫に6時間かけて実家に来てもらいました。 帝王切開で出産することに次の日、総合病院で診察してもらいましたが、やはり病気があるとのこと。「生まれてすぐに治療しないと何かあっては遅いから、帝王切開で産みましょう」と言われ、私も夫も、気持ちの整理がつかないまま日程が決まっていきました。 病気について調べ、どのような予後になるのか体験談なども読んだところ、生後まもなく亡くなってしまう赤ちゃんもいることも知りました。毎日夜はひとりで泣いて自分を責めました。「ちゃんとおなかの中で育ててあげることができなくてごめんね」と……。 子どもと一緒に頑張ろう帝王切開当日。たくさんの先生方が手術室に待機していました。無事出産し、産声が聞こえましたが、カンガルーケアもできないまま、すぐに保育器でNICUに連れていかれました。 大丈夫なのかな? 何もわからないまま、私は病室に戻りました。赤ちゃんの状態は安定しているけれど、横隔膜ヘルニアは手術をしないと治らないため、生後3日目に手術をおこなうことになり、無事終了しました。 その後も胸に水が溜まったりしましたが、なんとか状態が落ち着き、退院のめどがつきました。やっと一緒に生活できる! という喜びもありつつ、少し不安もありますが、子どもと一緒に成長していけたらと思っています。 自分のせいで生まれたばかりの子どもに大きな手術を受けさせてしまって、母親失格だと落ち込んだこともありましたが、子どもの頑張りや成長を見ると、私もそれ以上に頑張らないと! と思わされ、今は情緒も安定し、前向きに考えられるようになっています。なるべくひとりで考えすぎず、周りの人にも助けてもらいながら、育児ができればと思えるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:長里 紗々0歳児のシングルマザー。医療機関で働きながら子育て真っ最中。
2019年11月30日24時間フル稼働の育児に疲れたこともあり、第一子のときも第二子のときも産後はしばらくだるさが続いていました。ところが、産後にほとんど休めなかった第三子のときはまた様子が違っていました。産後の肥立ちの重要性を実感した、私の体験談を紹介します。 産後6カ月で急にダウン第三子出産後、6カ月が経過したころのことです。少し前まで子どもたちが鼻風邪をひいていて、頻繁に通院していたこともあり、私の疲労は心身ともにかなり蓄積していました。 その日は、次男の水ぼうそうの診断のために小児科に行っていたのですが、帰宅後、子どもたちと入浴していると、急に寒気を感じ、震えが止まらなくなってしまったのです。 つらくて涙しながらの家事・育児お風呂からあがり、フラつきながらなんとか着替え、熱を測ると40度超えの高熱でした。夫は出張中で翌々日まで帰宅しません。「病院に行きたいけれど、水ぼうそうの次男は今病院に連れて行けないし、どうしよう……」と、ぼーっとする頭でいろいろと考えました。 水ぼうそうの次男を抱え、休みたいのに休むことができず、つらくて涙しながら子どもたちの対応をしたことを覚えています。 ママ友で同じような経験をした人も幸いなことに、高熱は一晩で平熱に戻りました。その話をママ友にすると、偶然かもしれませんが、私と同じく産後半年ごろ、心身に不調をきたしてしまった人が多いようでした。そしてそれは、私と同じように、産後十分に養生することができなかったママたちばかりでした。 ママによって症状もさまざまでしたが、不調をきたすタイミングが産後半年ごろに集中していたので驚きました。 産後の肥立ちの重要性はわかっていても、休めない人が多いのかもしれません。細切れでも横になる時間を確保するなど、できるだけ休息をとるように心がける大切さを実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:東 慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。
2019年11月30日赤ちゃんの体調が悪いときに行くのが小児科。でも小児科恐怖症や小児科ジブシーになるママもいるようです。今回は、ダメ母の烙印を押されてしまったという私の体験談をご紹介します。こんなことでママたちは医師に怒られてしまうこともあるんです。 「なぜもっと早くこないんだ」と怒られる働くママのあるあるですが、仕事をしていると基本的には土曜日の午前中にしか受診できません。もちろん平日に午前休をとったり、早退をすれば受診できないこともないのですが、「仕事を早退してまで行くほどではないかも……」と思ってしまう場合のときもありました。 そうして行った小児科で「いつごろから症状が出ていたんですか?」と聞かれると、途端に気まずい雰囲気に……。「2週間くらい前からです」と言おうものなら、「お母さん、どうしてもっと早く連れてこなかったの?」と責められてしまうことになります。 症状の変化を記録していないと怒られる熱がある、下痢をしているときには、「何を食べましたか?」「どんな下痢でしたか?」「体温は朝と昼で変化はありましたか?」など、その経過を聞かれることがよくあります。 しかし、正直そこまで覚えていないというママも多いのではないでしょうか。答えられずにいると「発熱したら2時間おきに体温を計るのが当たり前」とピシャリと言われて終了してしまったこともありました。 「こんなことも知らないのか」と怒られる風邪のときにりんごジュースはいいけれど、吐き気があるときに果汁はよくない。布団は干しただけだとダニの死骸はなくならないから、掃除機で吸わないと意味がない……など、医師にとっては当たり前のことでも、ママにとっては知らなかったということもあります。普通に教えてくれればいいのに、なぜか上から目線で怒られてしまうママもいるようです。 小児科は赤ちゃん時代から小学校卒業ごろまで長く付き合うところ。家から近いということや、口コミだけでなく、しっかり話を聞いてくれる先生かどうかなどの相性も大切にしたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2019年11月29日やけどは赤ちゃんに多いケガの1つです。私は娘が生後3カ月のときに、スープをこぼしてやけどをさせてしまい、とても後悔しています。「こども医療でんわ相談(#8000)」に電話して、対処したことを詳しく紹介します。 ランチ中にスープでやけど当時、生後3カ月だった娘は、床やベッドに寝かせると泣いてしまうので、常に抱っこをしていました。平日はワンオペ育児で、食事中に娘の面倒を見てくれる人はいない状態。そこで、私があぐらをかいてその上にのせると静かだったので、寝返りもまだ打たないし大丈夫だろうと思い、その状態でよく食事を摂っていました。いつもどおりあぐらの上に娘をのせてランチをしていたところ、手が滑ってスープが娘の足にかかってしまい……。一瞬頭の中が真っ白になりました。 「こども医療でんわ相談」へ電話「まずは冷やさないと」と思い、泣いている娘をお風呂に連れて行き、冷水のシャワーを浴びせました。冷たいのか、シャワーを浴びるとより一層、泣いている声が大きくなるばかり……。一通り冷やしたあとに、「こども医療でんわ相談(#8000)」に電話して、今の状態を説明し、どうしたらよいのか聞きました。すると、水ぶくれを破かないように冷やして皮膚科を受診するように言われ、急いで皮膚科へ。どんどん大きくなる娘の泣き声を聞くと、とても不安になりましたが、電話をして状況を説明することで、客観的にみることができて少し冷静になれました。また、専門の方の対処方法を聞いて、どうしたら良いのかわかり、少し安心できました。 やけどさせたことを後悔幸い娘のやけどはひどいものではなく、皮膚科で処方してもらった薬が効いたのか、やけどの痕は残っていません。娘が近くにいる状態で、熱いスープを飲んだことをとても後悔しました。気をつけているつもりでも、毎日の繰り返しで、「まあ大丈夫だろう」と思ってしまった自分を責めました。それからは、まず娘が近くにいるときはやけどしそうな熱いものは食べない、どうしても熱いものを扱わないといけないときは、ヘビーベッドや安全なところに娘を待機させることを決意。 娘に初めてケガをさせてしまって、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいに。やけどをしたときはどうしたらよいのか分からず不安でしたが、「こども医療でんわ相談」に相談し、専門家の意見を聞き正しい対処がわかったので安心して行動にうつせました。今後も何かあった場合には相談しようと思います。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:北沢ゆき0歳の娘を育てる1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆。
2019年11月27日わが家の1人目の子が1歳半になるころ、だんだんと歩きがじょうずになったり、少しずつ言葉が出てきたりと、成長を感じられる場面が多くなり、同時に育児にもだいぶ余裕が出てきたと感じていました。そんなころに2人目を授かったのですが、2人目の育児は余裕には程遠いものでした。 イヤイヤ期と出産が重なって大変!上の子が1歳半になると、0~1歳前後のころと比べてだいぶ育児がラクになったと感じましたが、そのまま成長するに従って、さらにラクになっていくわけではありませんでした。 むしろ下の子を出産するころ、上の子は2歳でイヤイヤ期真っ盛り。0歳のころとはまた違った意味で育児が大変になってきました。上の子だけでも大変なのに、そこに出産や新生児育児が加わって本当にしんどい毎日でした。 下の子が大きくなるとぐっとラクになった子どもたちが小さいころは、2人それぞれに手がかかってとても大変でした。しかし、下の子が2~3歳くらいになると、ママが家事をしている間は、子ども同士で遊んでいてくれることも増えてぐっとラクに! そして、下の子の幼稚園に入園するときは、上の子と一緒に幼稚園に通えることがうれしかったようで、初めての集団生活でもほとんど泣くこともなく、スムーズに園生活をスタートすることができました。 一時は大変だけど、年が近いメリットも!育児の大変さは人それぞれではありますが、2人目を考えているママさんには、1歳半ごろに「育児がラクになってきた」と感じたとしても、そのあとのイヤイヤ期はかなり手強いことを知っておいてほしいです。 一方で、年が近いからこそのメリットも多々あるので、一時期の大変さは覚悟のうえで2人目が早めにほしいという方はぜひ応援したいです。 私自身、妹とは2歳差で、大人になった今でも友だち同士のように仲がいいので、2歳差でよかったと思っています。一方で、自分が2歳差のきょうだいを育ててみて、私たちが小さいころは母も大変だっただろうと思うようにもなりました。著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月27日私は妊娠39週のときに、妊娠高血圧症候群で入院しました。その日の夜に陣痛が始まり、自然分娩になるはずが緊急帝王切開に! 陣痛の痛さで何も考えられないなか、ストレッチャーで手術室に運ばれるときに言われた助産師さんの言葉が今でも忘れられません。 臨月に妊娠高血圧症候群で緊急入院つわりはほとんどなく、血圧も正常。むくみはあるけれど、それ以外は何の心配もなく迎えた臨月。高齢出産ですが、自然分娩で頑張れそう。あとは陣痛をどう乗り越えるか……と、私自身いろいろなことを考えていました。 妊娠36週を過ぎたあたりから、上の血圧が130を超えることがありました。医師と相談し様子を見ていたのですが、下がる気配はありません。妊娠39週で妊娠高血圧症候群と診断され、入院することになりました。 入院初日に下された決断病室で安静にしていると、いつも静かな赤ちゃんが頻繁におなかをポコポコ蹴ってきました。「陣痛が来る前触れ?」と思っていると、その日の夜に陣痛が始まりました。はじめは軽い腹痛でしたが、だんだんと背中に激痛が走るようになり、分娩室へ運ばれ、夫も呼び出してもらいました。 これからが闘いだ! となるはずが、先生の表情が曇っています。赤ちゃんの心拍がときどき下がることがあると言うのです。そして下された決断が「緊急帝王切開」でした。 ストレッチャーの上で聞いた助産師さんの言葉ストレッチャーに乗せられ、手術室へ運ばれました。途中、1人の助産師さんが私に声をかけてきました。「帝王切開も立派な出産ですからね!」。痛さで何も考えられず、夫も先生の言葉も耳に入ってこなかったのに、この言葉だけがスッと頭の中に入ってきました。 わかっているつもりでしたが、落胆した表情をしていたのかもしれません。無事に生まれた娘を目にして、「本来の目的を忘れないで!」と背中を叩かれたような気がしました。 無事に出産するためには、自然分娩も帝王切開も関係ない。そう教えられた気がしました。どちらも命がけで出産しているのですから。これから出産する妊婦さんやご家族の方に、改めて知っていただきたい私の体験談です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:永山たまこ1歳女児の母。3回の流産後、不育症の治療をえて高齢で娘を出産。現在は仕事と育児に奮闘中。愛犬と娘を連れて散歩に行くことが日課。
2019年11月27日「会陰切開(えいんせっかい)」というワード、これから出産を控えている方にとっては気になりますよね。ここでは、初産で会陰切開をした私の体験をお話ししたいと思います。 会陰切開への不安私は妊娠するまで会陰切開を知らず、義母から教えられて、一気に出産することが不安になってしまいました。しかし、なかには会陰切開をせずに出産する方もいるそうです。自分もどうなるのかわからなかったので、周りの出産経験者に体験談を聞き心の準備をしました。今考えてみると、そのときに少し心の準備ができたので、いざとなったら強気でいられたのだと思っています。 会陰切開って痛いの? 流れと痛み私は事前に、もしも切開するときは一声掛けてほしいと先生に要望を出していました。しかし実際に声がかかったときは、恐怖よりも「早くラクにして!」という気持ちのほうが強かったです。切開の前に部分麻酔のための注射をしましたが、それもチクッとするだけで、痛みや恐怖は感じませんでした。 いよいよ切開の瞬間、パチン! という音が聞こえましたが、切られているという感覚はほぼなく、痛みはありませんでした。 会陰切開後の処置無事に出産が終わり、ほっとしたのも束の間、今度は会陰の縫合です。陣痛もほぼ終わったからか、少し痛く感じました。ただ、すごく痛いというより「イテテ」と声は出るものの、我慢できるくらいの痛さでした。 私の場合は、新人の先生がおこなってくれたのですが、ベテラン先生に指示を出されながらの縫合だったので痛みを感じたのかもしれません。 会陰切開後の生活で特に気をつかったこと会陰切開後に注意をしたことは、座る・立つ・トイレに関してです。座るときは、傷口が直接当たらないよう背もたれに寄りかかって座りました。ドーナッツクッションを使う方もいるそうです。立つ瞬間は、どうしてもとっさに力が入ってしまうので、引っ張られる感覚がありました。トイレのときは力をいれることが怖かったです。病院側からは、腟の中に水が入らないように注意しながらビデで傷口を洗い流して、清潔を保つようにとの指導がありました。最初はビデの強さも「弱」に調整しましたが、シャワーが当たる瞬間は少しドキドキしたものです。 私の場合、会陰切開は思っていたより痛くなかったけれど、縫合と傷口が治るまでは多少の痛みがありました。しかし、赤ちゃんが生まれた瞬間は本当に感動しましたし、初めて産んだわが子を見るたびに寝不足で疲れていても頑張ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:山﨑ゆい0歳男児の母。結婚を機に地方へ引っ越し出産。現在は新しい土地で、妊娠・出産・子育てに関する記事を執筆している。
2019年11月26日初めての女の子のお世話。「お股はどうやって洗えばいい?」「うんちをしたあとの拭き方は?」など、お世話で気になることはたくさんありました。「お肌のきれいな子に育てたい!」と思うことも。今回は、気になる女の子のお肌ケアについて、私がおこなっていることを紹介します。 「清潔」「保湿」「紫外線対策」を徹底した!私が改めて感じていること。それは「清潔」「保湿」「紫外線対策」がきれいなお肌を保つためには欠かせないということです。特に赤ちゃんのお肌はデリケートなので、常に保湿を心がける必要があると感じています。 1日1回はよく泡立てた洗浄料で汚れをきれいに落とし、季節に適した保湿剤を塗るようにしています。お出かけ時には帽子をかぶせるなど、紫外線対策も意識しておこないました。 女の子のお股はこう洗った!女の子のお股の洗い方は、助産師さんから教わりました。まずは洗浄料をよく泡立ておきます。(泡で出てくるタイプの洗浄料だと便利です)。そして、ママの指でお股の割れ目を少しだけ開きながら、片方の指でなでるように泡でやさしく洗い、そのあと、肛門周辺や太ももの付け根を洗うようにしていました。 子どもが動き回って洗いにくいことも多いですが、汚れがたまりやすい箇所なので清潔にするよう心がけました。 うんちをしたあとはこう拭いた!女の子のうんちのときの拭き方は「前(外陰部)から後ろ(肛門)に拭いていくこと」を徹底しました。女の子は肛門と外陰部の距離が近いため、特に気を付けたいところ。男の子に比べるとちょっと神経を使いました。 また、太ももの付け根についた汚れもきちんと拭き取るよう意識。最後に腰を軽く浮かせておしりに残った汚れを拭き取ります。デリケートな部位なので、「やさしく拭くこと」も心がけました。 赤ちゃんのお肌のケアは、教わらないとわからないことがたくさん! 自分のやり方で合っているのか不安に感じたときはよく小児科などで相談しました。悩みを解決していくうちに、育児にも自信がついていきました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年11月25日息子が生後6カ月のころの話です。当時、私は育休中。息子の育児、家事をすべてひとりでおこなっていました。夫の帰りが遅いため、入浴もひとり。「夜中に目が覚めると翌日の仕事がきつい」と言う夫と寝室を分けていたので、夜泣きの対応も私がしていました。 息子は私が視界からいなくなると泣き出すので、トイレも落ち着いて入れない状態で、今振り返ると許容量を超えたストレスを抱えていたように思います。 夫は私の状況を理解していなかった!夫は文句を言わない代わりに家事を手伝うこともありませんでしたが、「働いてくれているから……」と、手伝ってほしいとは言えませんでした。そんななか、夫が私に「育休って言ってサボってるだろ? 俺もサボりたいよ」と言ってきたのです。 息子が生まれてからの日々を否定するような発言に私は言葉を失いました。育児も家事も思うようにいかず悩んでいましたが、夫にはそれが怠けているように見えていたらしく……。 涙をこらえながら「サボっているわけじゃないよ」と返しましたが、夫は笑いながら「じゃ、なぜ洗濯物が溜まってるの? ごはんのおかずひとつだけなの? 息子をサボる言い訳にしたらダメだよ」と言ったのです。 息子を言い訳になんてしていないのに「息子をサボる言い訳にする」⋯⋯一番悔しい言葉でした。私は我慢できずに泣き出してしまい、それを見た夫は「え??」と動揺。泣きながらなので時間はかかりましたが、自分の状況を説明することができました。 細切れの睡眠で合わせて5時間も寝られれば良いほうであること。トイレにゆっくり入れないこと。入浴も自分の体を洗う時間はなかなか取れないこと。家事が片付かないことにイライラしていること。今伝えたことがすべてではないということ。そして、家事が思うように進まないことを息子のせいになどしてきたつもりはないということ。 夫は黙って聞いていました。しばらく沈黙のあと「知らなかった、ごめん」と頭を下げてくれたのです。 夫は知ろうとしなかっただけ夫は私が日中のことを何も伝えてこないことで、何も問題はないと判断していたのだと言いました。そして、何も問題がないのに家事が片付いていないのはサボっているからと思い込んでいたのだとも。だからあえて、傷つく物言いで指摘したのだそうです。 たしかに私はこれまでのことを伝えてきていませんでしたが、状況の確認もせず、息子を言い訳にして家事をサボっていると一方的に言われたことが私は悲しくて悔しくて仕方ありませんでした。 「知らなかったからではなく、知ろうとしなかったからでは?」⋯⋯私は夫に尋ねました。夫は何も返事をしませんでした。結局、この日はそのまま会話がなくなってしまい、約1週間、私と夫は最低限の会話しか交わしませんでした。 土日の育児と家事は俺がやる金曜日の夜。夫が1枚の紙を私に渡してきました。 「土日に家のことや息子の面倒をみるから、流れを書き出してほしい」とのこと。そして「1週間考えてみた。お前の言うとおり、知ろうとしてなかったんだと思う。ごめん」と、再び頭を下げてくれたのです。 私としては夫のその姿勢がうれしいと感じた反面、本当にやれるのかな? と不安でもありましたが、まずは流れを書き出し、実際はこの通りには進まないことがある、と説明をしました。 そして夫は、実際に私の書き出した流れを参考に育児と家事に挑戦した結果、私のこれまでの状況を身をもって理解したのでした。 「息子をサボる言い訳にする」という言葉は今でも忘れられません。それほど私にとっては悔しかったのです。 しかし、それを言わせたのは自分でもあります。きちんと夫と普段の状況を話して、無理に我慢せず手伝ってほしいと言えていたら、夫もこの言葉を言うことはなかったと思います。 この一件以来、私はこまめに状況を伝えるようになり、夫も私に「手伝えることはある?」と聞いてくれるようになりました。おかげで、ストレスを溜めすぎることもなく、穏やかに日々を過ごせています。 著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2019年11月25日1歳を過ぎたあたりから風邪を引きやすくなった息子。1歳7カ月になってもその様子は続いていて、この日も夕方ごろから咳をするようになり、「風邪引いちゃったかな?」と思っていました。熱もなかったので、咳が続くようなら翌日にでも受診をしよう、そう考えていたのです。 荒くなる呼吸…夜間外来へ夜になり、呼吸が普段の様子と変わってきて「これはただの風邪ではないのかも?」と思い始めました。明らかに呼吸が荒く、喉の奥から「ヒューヒュー、ゼィゼィ」といった音が聞こえるようになってきたのです。 また、普段は寝つきが良いのに、ベッドに横になることすらグズって嫌がるように。縦抱きであれば多少ウトウトするものの、ベッドにおろすと激しく泣いてしまうため、朝まで様子を見られる状態ではないと、夜間外来を受診することにしたのです。 肺炎で入院…付き添いで私も共に病院に行くまでの約30分間、呼吸はどんどん荒くなっていました。夜間外来に到着したのは23時を少し回ったころで、受付を済ませるとすぐに診察室へ呼ばれたので中に入ると、診察する前から先生が「呼吸、苦しそうだね」と一言。 聴診器で胸の音を確認された後に「レントゲンを撮ろう」と言われて撮影した結果、肺炎であることが判明。そのまま入院となりました。付き添いが必要ということで私が残り、 夫は一旦、入院に必要な物を自宅へ取りに帰ることに。そして夫が病室に戻ってきたのは夜中の3時でした。 1週間の入院生活入院中、息子は入浴ができませんでした。鼻には酸素を送るチューブを装着。24時間点滴をおこない、1日3回ほど呼吸をラクにするための吸入をするという生活で、ベッド上から降りられない状態でした。走り回るのが好きな息子にとってはとてもつらい1週間だったと思います。 最初の2日間は発熱も続き、呼吸も苦しそうでしたが、3日目を過ぎたあたりから熱が下がり、呼吸も落ち着いてきました。5日目には食欲もすっかり回復し、食事を完食できるほどに。普段と変わらない様子に戻り、安堵したことを覚えています。 ようやく退院!6日目の朝、先生の回診で呼吸音の確認をしてもらいました。そして聴診器で聴いても「ヒューヒュー、ゼィゼィ」という音がなくなったということで、「退院しても大丈夫でしょう」という話になり、翌日退院することに。 その日の午後には点滴も酸素チューブも外されました。 翌日まで問題なく過ごし、7日目の朝にようやく退院となりました。 1週間、息子が苦しい思いをしたのは最初に私が息子の不調を軽く考えていたからです。今回、それを思い知りました。不調のサインを見逃さず、軽く考えず、適切な対処ができていれば息子につらい思いをさせなくて済んだのでは? と思うと、とにかく申し訳ない気持ちでいっぱいです。息子がこれからも元気いっぱい遊びまわれるよう、不調のサインを見逃さないように生活していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2019年11月24日妊娠中、出産のエピソードをネットで検索していました。そのときに知ったのが「分娩中にうんちも出てきてしまう場合がある」という驚愕の事実。周りの先輩ママからは聞いたことがないけれど……。実際に私の出産ではどうだったのか、包み隠さずお伝えします! 出産前に浣腸私が出産をしたのは、地方の個人産院。前駆陣痛が来て受診すると、子宮口は3cm開いていました。卵膜剥離の処置をされ「このままお産が進むだろう」ということで入院しました。 産院の方針で、痛みが強くなる前に浣腸をしました。5分待って排便するよう言われましたが、強烈な便意に耐えきれず、1分程度でトイレに行ってしまいました……。出しきれたかはわかりませんでしたが、その後便意はありませんでした。 最初のいきみで…… 出た!それから順調にお産が進み、入院から約6時間で子宮口が全開大になりました。分娩台にあがり、助産師さんに「思いっきりいきむように」と促されました。気合いを入れて「うーん」といきんだところ……おしりに何かが流れる感覚がありました。 かなり少量でしたが、浣腸で軟らかくなっていたうんちが出てきてしまったのです。その瞬間「本当に出ちゃった!」とうんちのことで頭がいっぱいになりました。 静かに処理してくれた次の陣痛が来たからいきまなきゃ! でも、うんちが付いたままで気になる! と、痛みに耐えながらも慌ててしまった私。すると助産師さんが、看護師さんに小声で「拭いて」と指示を出し、さっと処理してくれたのです。 何ごともなかったように真剣な表情のままだったので、こちらも恥ずかしさを感じなくて助かりました。また出ないかと不安でしたが、何度かいきんでも出なかったので、その後は安心して出産に集中できました。 私は分娩中のうんちを夫に見られるのが怖くて、立ち会い出産を希望していませんでした。しかし、処置がスピーディだったので、おそらくそばにいても気づかなかったと思います。これなら立ち会ってもらえばよかったな、と少し後悔しています。 ※分娩の前に浣腸をする・しないは、産院・病院によって異なります。 著者:霧山いずみ結婚を機に販売職を退職し、地方で寡黙な夫とおしゃべりな娘と3人暮らし。子育てをしながら、ママさんコーラスの活動と記事執筆をおこなう。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年11月24日結婚後すぐ、義理の実家に完全同居で生活していた私。何かにつけて義母は「ラクできていいわね〜」と言うばかり。産後すぐに私の顔を見るなり、「ラクでよかったわね」と言われ、怒りがこみ上げてきた私の体験談です。 ラクでいい? 同居嫁はラクじゃない!結婚してすぐに妊娠。それから夫の実家に同居していました。夫、義母、義祖母、私の4人での生活。快く受け入れていただき感謝していましたが、高頻度な親戚の出入りや、義母の姉夫婦が突然泊りにきたり、とにかく落ち着くことのない慌ただしい毎日。急に食事を作る量が増えたり、夜にお酒を飲み騒いだり、私の生活リズムやプライバシーはあってないようなものでした。 義妹は遠方で夫婦と子どもだけで生活していたので、何かと私と義妹を比較して「同居はいいわね〜手伝ってくれる人がたくさんいて」と高らかに笑うんです。全然ラクじゃないですよ! と言えるわけもなく、モヤモヤはどんどん増えていきました。 「ラクでいいね」はどんどん増える!おなかが大きくなるにつれ、思うように動かせなくなっていく体。お風呂掃除は義祖母が、トイレ掃除は義母が、と分担してやってくれました。実際代わりにやってもらえるのはとても助かりましたが、義母はまた私がラクをしていると言うんです。 身体的負担は減りましたが、「家事やらなくていいなんてラクね〜」と日々聞かされ、どんどんモヤモヤが増えていくばかり。夫に相談してみましたが、「俺に言う?」となかなか取り合ってもらえず、心苦しさと寂しさで、今にも潰れそうになっていました。 産後すぐにも「ラクでよかったね〜」妊娠37週目、陣痛が来ていることに気づかず過ごしていた私は、破水が起こるまで自宅にいました。夜中に破水してそのまま入院、病院到着から3時間で出産。産後すぐ会いに来てくれた義母は、到着から3時間で生まれたと聞くと、すかさず義妹と比較して「ラクに産めてよかったね〜」と、また私がラクをしたと言い始めたんです。 疲労困憊な私を目の前にして、「ラクをした」と言われるのはなんだか許せませんでした。義母も出産を経験しているのに、どうしてそんなことを言うんだ! と怒りがこみ上げ、なんとも言えない感情になってしまったんです。産後の里帰り中も、義理実家へ戻った後もモヤモヤはおさまらず、義母との関係は一方的にギクシャクしていきました。 私の義母との付き合い方義理の実家へ戻ってからは、生活に支障のない程度に避けるようになりました。義母を見るとまた「ラクできて〜」と言われる気がして、顔すら見たくない状態に。しかし、同じ家で生活している以上、リビングでは会うことになります。それまでできていたなにげない会話もできなくなっていきました。見かねた夫がフォローしてくれていましたが、正直気休めにしかなりません。 義母にやめてほしいことはたくさんありましたが、1つだけ「ラクできていいね」と言うのだけやめてほしいと夫から伝えてもらい、「ラクできて〜」を減らすことに成功。それでも時々言われましたが、言われたときはサッと自室に逃げると決めて、少し義母と距離を置く生活へ変えていきました。 義母や義祖母が、私の至らないところを快く補ってくれていたのは事実です。調べたり教わったりしながら日々奮闘していましたが、完璧主義な義母には敵いませんでした。力不足でイラっとさせてたのかもしれません。 確かに同居嫁は、夫婦だけで生活している家庭に比べるとラクに見えるかもしれません。でも、何かにつけて義妹と比較され、出産すら「ラクしている」と言われるのはやっぱりつらかったです。 本当はラクじゃないんだ! とあのとき言うことができていたら、義母との関係が良くなっていたのかな、とも思います。義母の性格、自分の性格に合ったおつきあいの距離が大切なんだと感じました。 著者:島崎あゆみ二男一女、3人の子どもを抱えるシングルマザー。自身の妊娠・出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2019年11月23日1人目を妊娠しているときから、「子どもは2人欲しいよね」と夫婦の意見は一致。ですが1人目を不妊治療で授かったので、「2人目不妊になるのでは?」と心配に……。なぜなら1人目ができるまでに、3年かかっていたからです。1人目が落ち着いたら……と、そのときの私はのんびり考えていられませんでした。そのような状況で2人目を授かり、私が感じたことをお伝えします。 2人目不妊を想定して早めに妊活を開始1人目は不妊専門の病院に3年通い続けて、妊娠した経験があります。そのため、子ども同士の年の差を気にしていられませんでした。2人目も不妊となると、1人目を連れて頻回に病院に通わなければいけません。薬の副作用で思うように体が動かないことも……。万が一の事を考えると、私は1日でも早く妊娠できる体に整える必要があると考え、30歳で2人目の妊活をスタート。産後6カ月目のとき生理が再開したので基礎体温の測定を開始して、安定するのを待ちました。そして1人目が生後10カ月のころに断乳をして、葉酸摂取を開始したのです。 予想に反して2人目はすぐに妊娠!結果、1人目を妊娠するまでに3年かかったのですが、2人目は妊活を開始して2カ月で妊娠しました。一番心配していた不妊問題もあっさり解決して、私たち夫婦は晴れて年子を授かることができました。年子は大変だな……と思いましたが、子育てが落ち着いたら早めに再就職をしなければいけなかったので、早々に子宝に恵まれてよかったと一安心! 不妊治療には高額な治療費がかかるため、その分を教育費に回せられると考えると安心できました。 1人目に対してフォローしたこと子育ては1人だけでも十分大変ですが、子ども同士の年齢が近ければより手がかかるかもしれない、と感じていた私。早々に2人目を考えていたこともあり、1人目には自分でできることはなるべく自分でさせるようにしていました。 自分でごはんを食べる・簡単な脱ぎ着はもちろん、外では抱っこを極力せず「赤いボールまで歩こう!」「あっちにワンワンがいるよ! 見に行こう!」と声掛けをして、歩くことの楽しさを子どもに感じてもらえるよう工夫をしました。しかし1人目も1歳6カ月で、まだまだ甘えたい時期だったと思います。寂しい思いをさせないために、2人目の授乳中も1人目を一緒に抱っこをしたり、2人目が寝ているときは1人目との時間をたっぷりつくるよう意識しました。 私の場合は「不妊」の可能性があったため、2人目はかなり焦って妊活をしました。そのため子ども同士の年齢差も考慮できず、1歳6カ月差に……。ですが常にライバルであり心強い仲間になった子どもたちを見て、今は年子で本当によかったなと思っています。 著者:太田 いこ岡山県在住、年子姉妹の母。フルタイムで働きながらライターとしても活動中。主に、不妊・育児・ママ友などのテーマで記事を執筆している。
2019年11月22日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 退院後、実家にお世話になるも5日で切り上げ、夫の待つ自宅へ帰宅。 出産後、慣れない新生児の育児と家のことを頑張っていたところ、体に斑点が出てきてしまったニシカタさん。出産した産院の皮膚科を受診すると「おそらくアナフィラクトイド紫斑病だね」と言われ……?! 麻酔が本当に痛くてですね……声が出そうでした……。産後、痛みを我慢しなきゃいけないとき、陣痛出産を思い出しませんか?あのときはもっと痛かった、まだ耐えられる!って。 先生の入院になるかもしれないという言葉が頭をぐるぐるしてしまうのでした。 ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中! ぜひチェックしてみてくださいね♪ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年11月22日私の祖母が他界したのは、息子が生まれる2週間前のことでした。いつもやさしくしてくれた祖母に、ひ孫の顔を見せてあげられなかったことの他に、もう一つ私には心残りなことがありました。 大好きな祖母は筆まめな人でした「元気にしていますか」祖母からの手紙の書き出しには、いつもこう書いてありました。祖母は周囲への気配りがじょうずで、私のことを気づかいながらもこちらからの返信を求めるようなことはなく、「おばあちゃんのボケ防止だから、お返事はいいのよ」と言ってくれました。 私はその言葉に甘えて、電話したり遊びに行ったりはするものの、手紙を出すことはほとんどなく、妊娠してつわりが出始めてからは一度も書きませんでした。 元気だったのに…祖母との突然の別れ出産間近となり、私たち夫婦は子育てしやすい環境へ引っ越しをすることになりました。そのことを伝えると祖母は荷解きの手伝いを買って出てくれ、昼食まで用意してくれたのですが、まさかこのときの「きんぴら」が、最後の祖母の手料理になるとは……。 引っ越しから一週間ほどたち、祖母と同居する叔父から「祖母の具合が急に悪くなった」と知らされ、病院に運ばれたときにはすでに昏睡状態。祖母は二度と目を覚ますことはありませんでした。 祖母への最後の手紙すでに臨月を迎えていた私は、葬儀への参列は家族に止められてしまいました。せめて手紙だけでもと、たくさんの想いを込めて手紙を書きました。このときに感じた後悔は今でも忘れることができません。 それからというもの、私は手紙をたくさん書くようになりました。身近な人へのちょっとしたお礼のメールから、大好きな作家さんへのファンレターまで。手紙を書くうちに、祖母の気持ちがだんだんとわかるようになりました。大切な人にいつでも感謝を伝えられると思いがちですが、実際はそうではなく、相手と疎遠になったり、祖母のように突然亡くなることもあります。おそらく、祖母は自身が高齢なことを感じて、伝えられるうちにと私に手紙を書いてくれていたのだと思います。 育児で忙しいと友人と疎遠になることがあったのですが、祖母の手紙で得た教訓から、少し手があいたときになんてことのないメールを送ったりしています。字を書いたり、メールの文面を考えることで自分自身の息抜きにもなりました。これからも周囲の人への感謝の気持ちを忘れずに、手紙を書き続けていきたいと思っています。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年11月21日私は31歳のときに妊娠しました。順調に妊娠生活を送り、妊娠37週を迎えたある夜に破水! いよいよ、初めての出産というチャレンジが始まりました。なかなかお産は進まず、破水から12時間ほど経ったところで、やっと子宮口が全開大に。その後、意識がもうろうとするなかで聞こえた「パチン!!」という音……。今回は、私の会陰切開体験談をご紹介します。 初産、なかなか進まないお産31歳で初めての妊娠。おなかの赤ちゃんも順調に育ち、経腟分娩の予定で臨月を過ごしていました。妊娠37週のある夜に破水。両親と一緒にタクシーで病院へ向かいました。 規則的ではありませんでしたが、おなかの強い張りも感じていたため、そのまま陣痛室に入りました。しかし、なかなかお産は進まず、痛みに耐えながら12時間。体力的にも厳しくなってきたころ、やっと子宮口が全開大になりました。何度かいきむのを繰り返し、意識がもうろうとするなか聞こえた先生の声。「それじゃ、ちょっとお手伝いするね~」。 「パチン!!」これが会陰切開かぁ!先生の声のあとすぐに「パチンッ!」という大きな音が聞こえました。それこそ、会陰切開をした音だったのです。そのあまりの大きい音に、意識が薄れていた私も、怖くて目が覚める思いをしたことを覚えています。 かなり大きく切開されたように感じましたが、その場所が直接痛むという感じではなく、赤ちゃんが産道をグリグリと押して出てくる出産の痛みのほうが、断然つらいものでした。無事に長男を出産……闘いはやっと終わったのです。 会陰切開、その後の経過会陰切開後の処置は出産時と同じ体勢、つまり分娩台の上で足を広げたままおこなわれます。会陰切開の傷の縫合は、早くきれいに治るよう細かく丁寧に縫うそうです。また、なるべく縫い目が内側になるよう縫い合わせるため、「傷口も目立ちにくいよ!」と先生が教えてくれました。 出産の次の日にはシャワーも浴びることもでき、傷口がひどく痛むことはありませんでした。さらに、縫い糸は体に吸収される糸が使われていたため、抜糸の必要もなく、順調な産後の経過をたどることができました。 会陰切開時の「パチンッ!」という音と、大きく切られたような感覚に反し、あまり痛みを感じることもなく、産後も順調に回復しました。その瞬間はすごく恐怖を感じた会陰切開でしたが、安全な出産のためには必要な処置であったことを、身を持って体験しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。産院・病院によって対応が異なることがあります。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:鍜治すみの生後6カ月と2歳、2男の母。長男妊娠時の切迫早産により、9年続けた製薬会社のMR職を退職。前職では主に産婦人科領域製剤を担当。培った知識をフルに活かし執筆活動や育児に奮闘中。
2019年11月21日3人目の出産後は授乳も入院生活も慣れたもので、「早く自宅に帰って上の子どもたちに赤ちゃんを会わせたい」。そんなことを考えていました。でもそんなことを言っていられない事態に……。私たち家族にとって大きな試練となった、娘が“心室中隔欠損症”だと言われたときの体験談を紹介します。 切迫流・早産を越えて早く生まれた娘3人目の妊娠で切迫流・早産で長期入院をし、安定していたとは言えないものでしたが、夫と子どもたちとの面会時間を楽しみに約4カ月の入院生活を家族全員で乗り切ろうとしていました。そして迎えた妊娠36週5日。正期産を目前に、あと少しでおなかの子どもと上の子どもたちにも会える。楽しみなことしかない! と思ってワクワクしながら眠りにつきましたが、おなかの張りが痛みを伴うものになっていました。あっという間に帝王切開にて出産した私は、生まれたばかりの赤ちゃんに何も問題がないことを聞き、安心して眠ったことを覚えています。 え?「心室中隔欠損症」って何?娘が生まれて安心していたものの、生後5日目に小児科の先生から「心臓の音に雑音が聞こえる。追加の検査が必要」と言われ、改めて検査をすると「心室中隔欠損症」と診断されました。「心室中隔欠損症」は簡単にいうと右心室と左心室の間に穴が空いている状態。心室中隔欠損症は特に珍しくなく、たいていは小さな穴で自然と閉じることが多いそうです。しかし、娘は穴の位置が大動脈弁の近くにあり、穴自体は大きくはないけれど弁が変形しているとのことでした。弁が変形することで血液の逆流があり、本来なら送り出されるはずの血液が戻ってきてしまうそう。そのために「早い段階で手術が必要になる」との説明を受けました。 小さな体で挑んだ手術循環器小児科のある大学病院で心臓疾患の専門医が詳しい検査をしました。そして、泣きながら手術の説明を聞いていた私に先生は「お母さん。これは生き死にのための手術ではなく、元気に生活するために必要な手術だと考えてください。だからそんなに不安にならず、一緒に戦ってあげてください」と声をかけてくれました。この言葉でとても勇気づけられました。娘が生後8カ月のとき約6時間の手術の時間、不安な気持ちを抑えつつも無事に手術が終了。ICUへ移された娘はまだ意識こそ戻っていなかったものの元気だと教えてもらい、とても安心したのを覚えています。 手術後は2〜3週間の入院予定のところ、娘は1週間で退院という脅威の回復力を見せてくれて、1歳になった現在も元気に過ごしています。娘が心室中隔欠損症の診断を受けたことも手術を受けたことも、ショックなことでした。でも、家族全員で乗り越えられたこと、家族の笑顔や健康の大切さに改めて気づかせてもらえたことはかけがえのない経験になりました。身をもって教えてくれた娘にはとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年11月20日息子は生後すぐに肛門の周りが赤く腫れ上がり、おしりを切開することになりました。原因は「肛門周囲膿瘍」という病気でした。 おむつかぶれかと思っていたら…はじめにおかしいと思ったのは、生後20日も経たないころのこと。おしりを拭いているときに、肛門のすぐ近くに小さなおできのようなものがあるのに気が付きました。「おむつかぶれかな?」と思い、出産した病院でもらっていた亜鉛華軟膏を塗って様子を見ていましたが、あっという間に大きく赤く腫れ上がりました。 1カ月健診もまだだったのであまり外出はしたくなかったのですが、ただごとじゃないと思い、近所の小児科へ。すると、診察した内科医は表情を曇らせて、「外科の処置が必要かもしれない」と大学病院を紹介されました。 診察したその日に麻酔なしで切開その足ですぐに大学病院へ行って診察してもらうと、「肛門周囲膿瘍」だと診断されました。医師によると、なんらかの細菌感染で肛門の周囲に膿が溜まって腫れ上がってしまう病気だそう。決して深刻な病気ではないのですが、腫れている部分を切開して膿を出さなければいけないと言われました。 このとき、息子は生後20日ほど。こんなに小さな体で麻酔もなしに切開なんて……と、とても胸が痛かったです。 再発する可能性もあると言われ…切開の手術自体はほんの数分で終わりました。メスのようなもので溜まっていた膿を出し、切開した部分にガーゼを詰めて、この日は帰宅しました。 だけど、この病気は膿を出したら終わりではありません。肛門周囲膿瘍は一度かかると何度も繰り返してしまうため、自宅でも膿が溜まったらしぼり出すこと、うんちのあとは消毒・洗浄をして、おしりを清潔に保つようにと指導されました。 ホームケアを続けてようやく完治!自宅でのケアは思った以上に大変でした。息子はかなりの軟便で回数も多かったので、毎日10回以上は洗浄と消毒をしなければいけないのです。 まだ生後間もない首のすわらない赤ちゃん。毎回、お風呂場に連れていってシャワーをするのもひと苦労です。そこで私は「あったかいdeシュ」という霧吹きのような温水おしり洗浄器を使いました。まず排泄物を洗い流してからガーゼでやさしく拭いて、最後に病院でもらった消毒液をかけるようにしました。 それからも膿が溜まっては出すを繰り返し、病院にも毎週のように通い、それでも再び悪化して1カ月後にもう一度切開。ようやく症状が消えたのは生後3カ月後半になってからで、幸いそれ以降は再発することはありませんでした。 肛門周囲膿瘍は、1歳くらいまでの赤ちゃんには決してめずらしくない病気で、原因はわかりませんが男の子に多いのだそう。早めの処置が大事なので、肛門の近くにおできのようなものができていたら注意してみてあげたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2019年11月19日現在、5歳と2歳児の子育てをしています。家族でファミリーレストランに行ったとき、隣の席に案内された年配の女性が、長男を一目見るなり店員さんを呼び「席を替えてくれない?」と言ったのです。とても悲しく、複雑な気持ちになった体験をお伝えします。 楽しみにしていた家族での外食長男が2歳のときの話です。共働きだったため、休日くらいはゆっくりしようと週末は外食になることが多かったわが家。子連れの外食は周りへの迷惑を考え、ファミリーレストランなどのできるだけファミリー層が多い店舗を選択していました。幸いにも長男も食事中は騒いだりせず、大人しい性格だったので、安心して外食を楽しめていました。もちろん、ぐずったり騒いだりしたらお店を出ないといけないと思っていましたが、そんなことは一度もありませんでした。 「席を替えてほしい」の言葉にびっくりその日も、いつも行くファミリーレストランで夫と長男の3人で食事をしていました。注文が終わって待っているとき、隣の席に年配の夫婦のお客様がいらっしゃいました。席に案内され一度は着席したのですが、奥様らしき方がすぐに店員さんを呼びました。そして、長男のほうを見ながら「子どもの隣の席はちょっと……」と伝えたのです。席の間隔が近かったため、話している会話はすべて聞こえていました。もちろん長男は大人しく待っていて騒いだりしていません。今までそんな経験はなかったため、とても驚き悲しくなりました。 子どもの隣は騒いでいなくても迷惑?結局、ご夫婦は空いている席に移動されました。もしかしたらご夫婦は静かにお話をしたく、過去に子連れの家族が隣席で嫌な思いをした経験があったのかもしれません。「いつ騒ぐかわからない子どもの隣は嫌だ」と思った可能性もあります。しかし、私は子どもと一緒の外食には人一倍気を使っているつもりだったため、とてもショックでした。それは、子どもというだけでうるさい、迷惑だと決めつけられたようで、自分の子育てが否定された気持ちになったからかもしれません。 人によってはささいなできごとかもしれませんが、当時は本当に悲しくて悔しい気持ちになりました。反面、子連れでの外食中に笑いかけてくれる人、話しかけてくれる人、応援してくれる人もたくさんいます。今は、見知らぬ人たちが隣席を気にしながら食事をする可能性があるなら、先に席を移ってもらって逆によかったのかなと思うようになりました。また、子どもには外食時には周りの迷惑にならないように、マナーをきちんと守らせようと改めて意識することができた体験でもありました。 著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2019年11月18日