私が不妊治療を始めたのは28歳。周りの人には「まだ若いんだから焦らなくても……」と言われることもありましたが、私が不妊治療に踏み切った理由、そして不妊治療の経過をお伝えします。 自己流でタイミングをとってみるも…私が結婚したのは27歳のときでした。1つ年上の彼と1年間同棲し、結婚式と同時に入籍。結婚式後すぐに新婚旅行も済ませ、もういつ妊娠してもいい! と結婚当初から思っていました。 自己流でタイミングをとってみたものの、妊娠せず半年が過ぎました。このままだとただ時間だけが過ぎていってしまいそうで、焦りの気持ちが出てきました。ですが、焦っていたのは私だけで、夫はいつか妊娠するだろうとのほほんとしていました。 産婦人科医に相談したところ…産婦人科医に相談したところ、まだ結婚して1年も経っていないことや年齢からしても、急がなくていいんじゃない? と言われました。 しかし私は早く赤ちゃんに会いたかったのです。今のままではまだ見ぬ自分の赤ちゃんとの距離がまったく縮まらない感覚があり、焦りの気持ちが強くなっていました。また、年齢が上がるにつれて妊娠率が低下することも知っています。できることをしていきたいと先生に訴えたところ、検査をおこないながら、タイミングをみていこうということになりました。 卵管造影検査、精液検査、フーナーテストをおこない、どの検査も問題なし。あとはタイミングが合えば妊娠できるかな? と言われ、半年が経過しました……。 不妊治療専門病院へ!結婚して1年が過ぎ、もうしばらくタイミング法を続ける選択肢もありました。しかしもっとできることをやっていきたいと考え、不妊治療専門病院へ。 不妊の原因ははっきりしませんでしたが、体外受精に進むことになりました。不妊治療費は跳ね上がりましたが、夫も赤ちゃんを迎えにいこうという気持ちで快く賛成してくれました。 自然周期メインの施設でしたので、1周期で1つ採卵・移植をしていきました。すぐには妊娠できず、数回採卵・移植を繰り返し、妊娠することができました。妊娠経過は順調で、元気な女の子を出産しました。 振り返ってみて、私は自分の焦りに向き合い、治療を進めたことに満足しています。治療中は不安に押しつぶされそうになることもありました。しかし不妊治療を視野に入れたとき、自分の人生の一部と捉え、後悔しないように治療を始めるタイミングや進め方を夫や主治医と相談してよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:金子ゆかこ6カ月の女の子の母。職業は助産師。現在育休中であるため、娘と一緒だから経験できることを求めてアクティブに出かけている。
2019年12月30日母子健康手帳。ママなら誰でもその存在を知っていると思いますが、パパはどうでしょうか? 一度も読んだことがない、という人もいるかと思います。今回は、私が母子健康手帳をパパにも読んでもらいたいと思ったときのことや、その理由などをお話しします。 パパにも見せておけばよかった!「へぇ~。いろいろ書いてあるんだね~」。娘の1歳半健診の前日。私が母子健康手帳を開いていると、のぞき込みながらパパが言いました。 そのときにふと、そういえばパパは母子健康手帳を読んだことがないのでは……? と思ったのです。改めて読み返すと、書いてあるのはパパにも父親として知っておいてほしいことばかり。“母子”健康手帳という名前にとらわれすぎていたのか、これまでパパに見せようとまったく思わなかったことを激しく後悔しました。 理由1:心の準備にも使えたわが家のパパの場合、赤ちゃんと関わること自体が初めてで、最初はすべてのお世話に二の足を踏んでいました。無理もないことなのでしょうが、待ったなしで育児をすることになった私からすると、怖がってないで手伝って! という思いが強く……。 今思えば、パパは心の準備ができていなかったのかもしれません。妊娠中から母子健康手帳を一緒に読んだり書き込んだりしていれば、最初からもう少し前向きに育児に関わってくれたのではないかと思いました。 理由2:夫婦で情報共有ができた娘の体重、寝返りができるようになった時期、予防接種の進捗状況……。考えてみれば、逐一パパに報告はしていませんでした。しかし、これらはパパにも知っておいてほしい、そして知っておくべきことだと思います。 特に予防接種に関しては、私に何らかのアクシデントが発生した場合を考えると、パパにある程度、状況を把握しておいてもらう必要があります。母子健康手帳を一緒に見ながら、娘の発育に関する情報共有をするべきだと強く思いました。 母子健康手帳には、主に母子の健康状態などが記されています。しかし、だからといって母子だけのもの、にしておくにはもったいない! 家族で内容を共有すれば、もっと活用できると感じています。著者:上杉芽生一男一女の母。結婚を機に小売業の会社を退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月30日わが家は、長男がちょうど2歳になるタイミングで次男が誕生しました。当時、専業主婦だった私は、長男の面倒を見ながらの子育てで、次男は家で常におんぶスタイルでした。長男が小さかったころのようにもう少しのびのびさせてあげたかったと思いながら、次男に申し訳なく思った体験談を紹介します。 生後4カ月ころまでベビーベッドが定位置次男を出産後、退院してからは長男が赤ちゃん返りしてしまったこともあり、四六時中「ママ、抱っこして!」という状態でした。次男は夏生まれということもあり、外出ができない日々も続き、どんどん長男の精神状態が悪くなっていきました。 また、長男が次男を触りたがったので、基本的にはベビーベットで寝かしていたのですが、そこから出られるのは、授乳・沐浴・長男お昼寝のときのみ。次男になかなかかまってあげられなくて、いつも「ごめんね」の連続でした。 2歳の長男がやんちゃすぎた!次男の首がすわった生後3カ月ころからは、長男が家遊びだけではストレスが溜まるので、次男も連れて公園へ行く毎日になりました。外へ出ないと長男は泣きわめいて大暴れし、出たら出たでなかなか帰ることができない……。 気がつけば、次男はいつも公園ではベビーカーの中か、抱っこひもの中で眠ってくれていました。手がかからないというか、この生活環境に合わせてくれているように思っていました。長男が赤ちゃんのころは、よく話しかけながらお散歩したりしていましたが、次男には同じことをしてあげられていませんでした。 公園から戻ると次男は常におんぶ家では、次男をベビーベッドやバウンサーで休ませていると、即、長男からの襲撃がありました。「よし家事をするぞ!」と思ったところで、次男の顔にはひっかき傷ができていることも……。そのため、家事をするときは次男をおんぶするようになりました。 次男はおんぶされていると安心なのか、公園でもずっと寝ていたのに、自宅でもよく眠っていたものです。そのころの写真を見返しても、次男は寝ている写真ばかり! 当時から「ゆっくり遊んであげられなくてごめんね」と思っていました。 ある日、そんな話を家族にしたところ、母が休みになると長男を連れ出してくれるようになりました。「次男の宿命よね~」なんて家族は笑っていましたが、私としては次男には申し訳ないと思いながら悩んだことを覚えています。 わが家の場合は、家族の協力もあったことで、この問題は解消されたのだと思います。今では仲良く遊ぶ兄弟へと成長し、育児を楽しめるようになりました。著者:美容師・横田みお3歳と1歳の男の子の母。美容師の資格を取得後、ヘアカラーリスト・アイリストとして活動。結婚と出産を経てライターに転向し、主に美容の専門知識や子育ての記事を中心に執筆。
2019年12月30日生後2カ月を過ぎ、少しずつお出かけを始めた時期に、赤ちゃんを危険な状況にさせてしまいました。そのときのことをお話しします。 生後2カ月、お出かけ開始生後2カ月になり、少しずつお出かけを始めました。その日はうららかな春の日差しが感じられる日でした。友だちの赤ちゃんに会いに行こうと車でお出かけ。友だちと楽しい時間を過ごしてきました。 夕方になり友だちに別れを告げ、車へリュックを乗せた後、赤ちゃんをチャイルドシートに乗せました。そして後部座席のドアを閉めた瞬間、インロックがかかってしまったのです。いつもは鍵をサブバッグに入れ、肩にかけているのですが、その日はリュックにすべてまとめてしまっていたのです。 インロックがかかってしまい、パニック!!いくらロックを解除しようと運転席のドアのスイッチを押しても反応してくれません。夕方になってもまだ車の中は暑く、早く開けなければとパニック状態に!携帯もリュックの中に入れたまま……。自分ではどうすることもできず、友だちを呼んで携帯を貸してもらいました。 幸い友だちの家は自宅から近く、自宅に置いてあったスペアキーをお義母さんが届けてくれて無事15分ほどで赤ちゃんを車から降ろせましたが、赤ちゃんは汗だく。JAFにも電話をかけていましたが、到着するには50分程かかると言われていました。これがもう少し遅ければどうなっていたかと思うと、涙が止まりませんでした。 インロックの予防法は…後日、ディーラーの方に原因を伺ったところ、鏡が鍵の近くにあったり、その場所の環境などでスマートキーの電波を遮断してしまい誤作動が起きた可能性、そして車内にあってもドア付近に鍵があると認識されにくいということでした。 インロックの予防法は、とにかく鍵を肌身離さず持っていること。もっと暑い日だったら、遠くに出かけていたら……?! 今回は奇跡的に助かったものの、どうなっていたかわかりません。「絶対に鍵を手離してはいけない!」と心に誓いました。 著者:堀口ゆう生後2カ月の男の子の新米ママ。
2019年12月29日私の夫は妊娠初期から立ち会い出産を希望していました。しかし妊娠中のある日、分娩時に排便してしまう人もいるということを知り、夫にその状態を見られることが嫌で立ち会い出産をしたくないと強く感じるようになったのです。今回はそんな私がどのようにして立ち会い出産を受け入れるに至ったかをお伝えします。 立ち会い出産のメリット・デメリットとは?うんち問題を知ってからというもの、ひたすら立ち会い出産に対する拒否反応が出てしまいましたが、一度冷静になろうと思い、自分なりに立ち会い出産のメリット・デメリットについて考えてみました。まず夫が側にいてくれることのメリットとして挙げられることは、夫に父親としての自覚が芽生えやすくなる、出産の喜びを分かち合える、つらい陣痛・出産を側で支えてもらえるということです。反対にデメリットとして挙げられることは、陣痛で苦しんでいるときに思い通りに動いてくれずにイライラしそうなこと、出産後女性として見てもらえなくなるかもしれない、もし排便をしてしまったら生理的にその姿を見られたくないという気持ちが強いということです。これらを考えた上で私が出した結論は、やはり出産には立ち会ってほしくないというものでした。 夫との話し合いは平行線自分の考えを整理した上で夫と話し合いをしましたが、夫は変わらず立ち会い出産を希望しました。子どもの誕生の瞬間に立ち会いたいという夫の気持ちは理解できます。しかし、立ち会ってほしくないという私の気持ちに、夫が寄り添ってくれていないように感じて逆にショックでした。このころは、妊娠中でナーバスになっていた時期だったので、特にそう感じたのかもしれません。 助産師さんからの一言で立ち会い出産を決意その後、産婦人科に健診に行った際、助産師さんに立ち会い出産について夫と意見が合わないことを相談しました。すると、「出産は人間1人を産む命がけの作業なんだから、うんちくらい出て当たり前!」と一喝されました。 また、「陣痛のときは、肛門あたりを押さえてくれる人がいたほうが助かりますよ。それに、実際のお産の瞬間は、旦那さんは奥さんの枕元に立つ人が多いし、妊婦さんの下半身にはケープをかけるからもし排便をしてしまっても見えませんよ」と教えてもらい、とても気がラクになりました。うじうじ悩む前に先生や助産師さんに早く相談すればよかったです。おかげで私は夫の立ち会い出産を素直に受け入れることができるようになりました。 実際、夫は出産に立ち会ってくれたのですが、18時間の陣痛の末に帝王切開になったため、出産の瞬間を見ることは叶いませんでした。しかし、うんち問題は夫と出産のことを深く話し合うきっかけになったのでよかったと思います。著者:山中那緒子一児の母。7年間メーカー営業職を経験。現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談の記事執筆をおこなう。ベビー・キッズファッションが大好き。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年12月29日固ゆでした黄身から食べさせ始めた卵。ところがある日、私の認識の甘さから息子につらい思いをさせることになってしまいました。今回はそのお話をしようと思います。 食パンと卵を使ったパンプティングを食べさせたら息子が生後11カ月(離乳食後期)のときのある祝日。これまで特に食物アレルギーの反応もなく、その日は朝食に食パンと卵を使ったパンプティングを作りました。 しかし、できあがったものをレンジから取り出してみると、白身の塊の部分が少し柔らかいような気が。「大丈夫かな……?」と少し疑ったものの、色も白くなっているから火は通っているだろう、とそのまま与えてしまいました。これが、大きな間違いだったのです。 なぜか息子が不機嫌、そして嘔吐!朝食後、しばらくしてから私はいつも通り午前の昼寝をさせるため、ベッドに添い寝をして息子を寝かしつけようとしました。しかし、この日はなぜか息子が不機嫌で、泣いてばかりで寝る気配がありません。 「どうしたんだろう?」と思った、次の瞬間。息子がベッドの上にゲボッと嘔吐してしまいました。焦りつつも後片付けをしていたのですが、息子はその後も嘔吐を繰り返し、かなりつらそうです。私はある予感を胸に、救急病院へ急ぎました。 息子の卵アレルギーが判明救急病院での先生の診断は、私の予感通り「おそらく卵アレルギーでしょう」とのことでした。後日、改めてかかりつけの小児科を受診して検査をすると、息子は卵の白身にアレルギーを持っていることが判明しました。 今まで気付かなかったのは、白身に含まれるアレルギーの原因(たんぱく質)は、加熱すると変化し、アレルギーを起こしにくくなるそうで、息子は完全に加熱した卵の場合は大丈夫だったからです。加熱が不十分な卵を与えてしまったため、アレルギー反応が出てしまい、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 息子の場合はたまたま卵アレルギー持ちでしたが、加熱が不十分な卵を食べると食中毒になる可能性もあるそうです。私はこの日以降、息子に卵を食べさせるときは、念には念を入れて加熱するようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:上杉芽生一男一女の母。結婚を機に小売業の会社を退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月29日長女が生後10カ月のときに下の子の妊娠が判明しました。うれしい反面、まだ私にべったりの長女にさみしい思いをさせてしまわないか不安でもありました。お姉さんになる準備をしつつ、残り少ないひとりっ子の時間を満喫させながら、下の子を迎えたときのことをご紹介します。 2人目を妊娠。当時、長女は生後10カ月長女出産後、夫と私は年が離れていることもあり、2人目を考えるなら、なるべく早くと思っていました。しかし、いざ2人目の妊娠がわかったときに、うれしい気持ちと同時に長女の気持ちを考えると複雑な気持ちにもなりました。 私にべったりの長女がやきもちをやいたり、さみしい思いをしてしまわないだろうか……。せっかく2人目ができたのに素直に喜べなかったことを、おなかの子にも申し訳なく思いました。 「お姉ちゃん」になる準備はするべきか?長女本人はわかっているのかわかりませんが、周りからは「お姉ちゃんになるんだね」と言われるようになりました。ですが、私と夫は「お姉ちゃんになるんだから、しっかりさせないと」というよりは、残り数カ月のひとりっ子の時間を満喫させてあげようと考えました。 そのころからお人形遊びやおままごとに興味を持ち始めていたので、赤ちゃんの存在を知ってもらおうと一緒にお人形のお世話をしながら遊んでいました。 想像以上に「お姉ちゃん」らしい長女に感激!そして迎えた出産。立ち会いOKの産院だったので、さっそく出産直後の赤ちゃんと長女を会わせることにしました。長女は不思議そうに赤ちゃんを見ていましたが、産後、私と赤ちゃんが突然家に帰るより、生まれたばかりの赤ちゃんを見せるほうがいいと思ったのです。 その後退院し、家に帰った私が赤ちゃんのおむつ替えなどをしていると、長女は「自分もしたい」とおむつを持ってきました。またある日は、赤ちゃんが泣いていると私を呼びにきてくれました。長女は、私の想像以上にしっかり「お姉ちゃん」になっていたのです。 年子だからまだ難しいだろうと思っていましたが、想像以上に赤ちゃんをすんなり受け入れた長女。下の子を自分より小さいものとして大事にしている姿に日々感激しています。著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年12月28日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 出産後、慣れない新生児の育児と家のことを頑張ってしまい、「アナフィラクトイド紫斑病」になってしまったニシカタさん。体調不良のなか、赤ちゃんの体重が増えない、でも母乳育児を続けたい気持ちと葛藤……そしていよいよ、1カ月健診の日。 この360度ケープは、当時の私には使いこなせず、違うものに買い替えました。ケープを初めて使うのが外出先、しかも超焦っていたので全然うまく使えず、トラウマになってしまいました(笑)。ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中! ぜひチェックしてみてくださいね♪ 著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年12月27日わが家の次女は、口唇口蓋裂で生まれました。生後5カ月と1歳ごろの2回、手術を受け、外見ではわからないほどきれいになりました。ただ、歯並びが悪く、毎月歯医者に通ったり、言葉がはっきりせずに教室へ通ったりしています。今回は、言葉の面で起きた悩みについてお伝えいたします。 たくさん話すのに理解できない次女は、1歳過ぎに片言の言葉を話し始めましたが、鼻にかかった話し方をするため、聞き取りにくい状態でした。口唇裂だけの場合は、言葉の問題は出にくいそうですが、口蓋裂があると元々鼻と口がつながっていたため、特殊な息づかい、言葉の出し方となり、鼻がかった発音になる場合が多いそうです。 ただ、昔より早めに口蓋裂を閉じる手術がなされていて、軽減されているようです。わが子も1歳で口蓋裂を閉じましたが、発声の仕方は特殊なままでした。 根気よく話を聞いてあげる最初のころは、言っていることがわからなくても相槌を打ってあげれば娘は満足していたので、困ることはありませんでした。ただ、“魔の2歳児”の時期になってくると意思がしっかりとしてきて、理解してあげないと、かなり怒って手がつけられない状態。 こちらもイライラしてしまうことがありましたが、「わかってあげられなくてごめんね、もう一度ゆっくり話してみて」と落ち着いて聞いてあげると、頑張って伝えようとしてくれました。 3歳からは「ことばの教室」へ主治医の先生にすすめられ、「ことばの教室」へ通うようになりました。言語聴覚士の方が発音のチェックをして、遊びながら発音を修正してくれるので、次女も喜んで通っています。 週一で1時間ほど教室へ通うことにより、本人も発音の仕方を習得して、どんどん上達しているので、本当によかったと思っています。私の地元の「ことばの教室」は、先生が各学校をまわって、口唇口蓋裂でないお子さんでも発音に不安のある方は利用できるそうです。 外見は手術でどんどんきれいになりますが、言葉の問題を解決するには時間と努力が必要になります。けれど確実に上達するので、子どもと協力して、乗り越えていけたらと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年12月26日妊娠・出産は病気ではないといいますが、何が起こるか予測できないというのも事実です。母子ともに健康で、より安心・安全に出産を終えたい! という方も多いことでしょう。今回は、より安心した環境で産みたい! ということで産院を選んだママたちの体験談をご紹介します。 私は、お医者さんが4人常勤でいらっしゃる産婦人科を選びました。緊急帝王切開になったとき、お医者さんがひとりだと大きな病院へ移らないといけないことがあるからです。よかったのは、ひとりの先生ではなく2人の先生に健診をしてもらっていたので、いろいろな見解を聞けたことです。少し2人の意見が違うと悩んでしまうこともありましたが、そのときは院長先生に質問して答えていただいていました。逆子が治らず、予定帝王切開でしたが、2人の先生が執刀してくださり、安心して産むことできました。 1人目のときは、自分が生まれた産婦人科で私も産みたい! と思い、地元の個人病院に迷わず決めました。しかし切迫早産になり1カ月入院……。2人目のときは、何かあったら心配なので夫と話し合い、総合病院を希望しました。 大きい病院は子どもや自身に何かあったときに、すぐに対応してもらえるので安心感があります。2人目の子どもが生まれてすぐに異常が見つかり、緊急手術になりました。術後はNICUに入院になったのですが、自分も同じ病院に入院しているので毎日退院するまでいつでも見に行くことができました。大きい病院で産んでよかったと思いました。 無痛分娩にしようと思い病院を探していましたが、無痛分娩に反対の夫が、産婦人科医と小児科医(NlCU勤務経験者)と助産師が分娩に立ち会う病院を探してきました。出産に医師が2人立ち会うことや、母体は産婦人科医、子どもは小児科医が診てくれ、子どもは生まれたときからその後成長していってもずっとその先生に診てもらえるので、すべて理解してくれているという安心感で選びました。 不妊治療後の妊娠だったこともあり、少しのトラブルにも安心して対応してもらえるように、NICUがある周産期母子医療センターに指定されている病院を選びました。 1人目は何かあったらいけないからと思い、総合病院へ行くことにしました。大きな病院だったので、産婦人科の外来と検査室が離れており、その結果、尿検査とか血液検査とか2階へ行ったり1階へ行ったりと、後期のおなかが大きくなった状態での移動ははきつかったです。 無痛分娩を希望していたため病院の選択肢は狭かったのですが、妊娠確定をもらった婦人科で何件か紹介してもらい、そのなかから決めました。家から一番近い病院は、妊娠2カ月時に連絡しましたが、すでに満員で受けつけてもらえませんでした。結局、家から車で1時間弱かかる病院に決めたのですが、大きな病院で小児科が有名だったので、もしもの時の安心感もあり、ここにしてよかったと思っています。 安心できる環境を重視して産院を選んだママたちの体験談をご紹介しました。医師が多い、小児専門医がいるなどの理由から総合病院を選ぶママも多いようです。みなさんは産院選びの際、何を重視しましたか?イラスト:(c)chicchimama
2019年12月26日わが家は、第一子妊娠をきっかけにセックスレスになり、その後3年ほどその状態が続きました。2人目が欲しいけれど、したくない。私は夫のことを嫌いになってしまったのだろうか。どうしたらセックスレス生活から抜け出せるのかと、長い間悩みました。そんな私の体験談をご紹介します。 第一子妊娠をきっかけに、セックスレスに私は夫とのスキンシップが大好きでした。第一子を妊娠するまでは、多いと週数回、少なくとも週1回はセックスをしていました。 ところが第一子の妊娠がわかってからは、セックスに対して、赤ちゃんへの後ろめたさを感じるように。私が夫の誘いを何度かはぐらかすうちに、夫も私の気持ちに気づいたのか、誘ってこなくなりました。 2人目が欲しいけれど、したくない第一子妊娠中は、赤ちゃんに後ろめたい気持ちからセックスを避けていましたが、産後は「夫のセックス相手の対象とされるのが気持ち悪い」と感じるようになり、夫自身に嫌悪感まで覚えるようになりました。 産後1年ほど経ち、第二子を考えるようになってからも気持ちは変わりません。子どもは欲しいけれど、セックスはしたくない。夫は産後2カ月くらいから再び誘ってくれるようになったのですが、そんな夫にも申し訳ない。どうしたら良いか、とても悩みました。 解消したきっかけは、生理再開私は産後2年以上、生理が再開しませんでした。セックスレス解消に向けて積極的になれなかった理由に、「今、セックスをしても子どもは授かれない」という想いもありました。 出産から2年後に生理が再開したときは、「どうしよう、生理が再開してしまった。セックスもしないといけないのかな……」と憂うつな気分になりましたが、その後、気持ちに変化が。後日、夫からの誘いがあったときにまったく嫌な気持ちにならなかったのです。第一子妊娠から産後2年、合計3年にもおよぶセックスレスがあっさり解消してしまいました! 3年にもおよぶセックスレス生活は、生理再開のタイミングで突然解消されました。それまでの嫌悪感や憂うつな気持ちは、ホルモンバランスのせいだったのかなと思っています。夫のことをまた大好きになることができて、ほっとした出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ子育て中のママ。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年12月24日初めての出産の場合、出産予定日が近づくにつれて会陰切開について不安を感じる方も多いのではないでしょうか。陣痛の痛みで会陰切開は痛みを感じないって本当? 絶対に切らないといけないの? そんな思いを抱きながら、なるべくなら会陰切開を避けたいと思って妊娠中から努力していた私の体験談をご紹介します。 会陰切開を回避する方法私はできるだけ会陰切開をしたくないと思っていました。そこで、出産前からインターネットや本などで得た情報を参考に、会陰の柔軟性を良くすると言われるケアを始めることにしました。 妊娠中期ごろから、ナプキンにオイルをなじませて会陰にあてるオイルパックに始まり、入浴中は会陰をもみほぐすようにマッサージ、お風呂上りにも会陰に円を描くようにオイルマッサージをしていました。なお、妊娠後期には陰部がむくんでいたのでこのマッサージで少し解消することができました。 出産時の陣痛の痛みは想像を絶するレベル陣痛が来ていよいよ出産の日です。陣痛を例えるなら、生理痛のような痛みがどんどん増していき、最終的には大声で叫ぶほどの痛みに変わりました。股間も激痛が走り、陣痛が来るたび体をくねらせて苦しみました。さらにはいきむタイミングになると、いきむことで会陰どころか肛門まで裂けそうでした。 それでも、この苦しみから解放されるには赤ちゃんを産むしかなく、もう会陰が裂けようがお構いなしに、最後は力いっぱいいきんだことだけは覚えています。 会陰切開し、裂けたところも数カ所縫合ようやく赤ちゃんの頭が見えたところで、助産師さんが医師を呼び、手際よく会陰切開がおこなわれました。陣痛と出産の痛みで、会陰部分はヒリヒリと痛みの絶頂にある状態でした。出産の最後のステージは何もかもがとにかく痛く、この期に及んではどんな痛みにも耐えるしかないのだと悟りました。出産後は、麻酔をして縫合してもらいましたが、会陰切開した場所以外にも私は数カ所が裂けていたそうです。 いくら予防をしていても切るときは切るし、裂けるときは裂けてしまうようです。あの場では覚悟を決めるしかありませんでした。ちなみに私は産後2週間くらいで会陰部の違和感は薄れ、1カ月健診のころにはほとんど気にならなくなりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:sawawa著者:佐藤あおい海外在住の一児の母。主に妊娠・出産・海外子育てなどのジャンルで、自身の経験を元にライターとして活動中。
2019年12月23日過去に、出産間近の妊婦さんが救急車で運ばれている姿を見たことがありました。陣痛の痛みに耐えきれないのか、大声を出してパニック状態。その姿が衝撃的で、出産に対して恐怖心しかありませんでした。できれば声を出さずに冷静に出産したい。そう願って臨んだ私の出産は……? じょうずないきみ方って?助産師さんから、理想的ないきみ方は声を出さないほうがいいという話を聞きました。大声を出してしまうと体力が消耗するだけでなく、冷静さを失ってパニックに陥ってしまうこともあるからだそうです。 そのため、私も声を出すとしても冷静を保てる程度に抑えられたらいいな……と思っていました。とは言っても、そのときになってみないとわからないのが出産です。産院で指導のあったラマーズ法などの呼吸法を習得し、できるだけリラックスできる方法を模索していました。 いざ出産! 呼吸法なんて吹っ飛んだ?!とうとう陣痛がやってきました。陣痛が10~5分間隔の間は、習得した呼吸法でいきみ逃しをすることができました。 ところが、分娩台に上がり、子宮口が全開大になったとき、陣痛の痛みは最高潮で間隔も1〜2分ほどしかありません。あまりにも苦しい状況に、呼吸法なんて頭から吹っ飛んでしまいました。思わず「痛い!」と叫びそうに……。呼吸が荒くなった私を見て、助産師さんが「陣痛が来ている間、ウーと声を出してごらん」と教えてくれました。 声を出すことでじょうずにいきむことができた助産師さんに言われた通り、痛いときには「ウー」と声を出してみました。陣痛が和らいだときに、大きく深呼吸をします。次第に呼吸が整っていき、それがじょうずにいきむことにもつながりました。その後は、助産師さんのリードのおかげもあって、スムーズにお産が進んでいきました。 私がこの体験を通してわかったことは、何も声を出すことが悪いわけではないということでした。痛いから声を出すのではなく、いきみ逃しに声を出すことはむしろ良いことだったんだと感じた体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:sawawa著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年12月22日出産時にうんちも一緒に出ることがある、ということは事前知識として知っていました。でも、「そういう人もいるんだな」と、私はどこか他人事でした。しかし、無痛分娩で出産に臨んだ私にまさかのできごとが……! 当時の話をご紹介します。 「うんちしちゃうかも」と言っておく作戦身近に出産経験のある人がいなかった私は、インターネットで出産についてよく調べていました。そのなかでも気になったのは「出産時にうんちも一緒に出てしまった」という話です。「こんなケースもあるんだ……」と思ったのと同時にちょっぴり不安になった私は、夫に「出産時に排便してしまうこともあるかもしれないんだって」と伝えておきました。そうすれば、万が一出産時にそうなっても引かれることはないだろうと思ったのです。 無痛分娩のいきみ方が想像と違った?!いよいよ出産の日を迎えた私。分娩室でモニターを見て陣痛の波を確認する助産師さんの指示に従っていきむことになりました。しかし、いざいきむというときに、助産師さんからこう言われました。「うんちをするときのように、肛門に力を入れていきんでください!」そのとき、私は「えぇ!? そうしたら出ちゃうじゃん!」と思ったのですが、指示に従うしかありません。私はとにかく必死にいきみました。 もうどうにでもなれ……の境地だった!肛門に力を入れていきむと、やっぱり出てしまったようです。……うんちが。ボトッと用意されていた袋に落ちる音を聞きながら夫の顔を見ると、気づいていないのか気づかないふりをしているのか、真剣そのもの。「うんちしちゃった!」なんて冗談でも言える雰囲気ではありませんでした。 開き直っていきんでいると、助産師さんから「いきむのじょうずですね!」と言われて思わず苦笑い。結局私は無事にうんちと一緒に元気な赤ちゃんを産むことができました。 出産時にうんちをすることは思ったより恥ずかしくありませんでしたし、仕方のないことだったのだと思います。でも、私はこの経験によってちょっと肝が太くなったような気がしました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2019年12月22日私は帝王切開予定日の2週間前に破水し、緊急帝王切開で出産をしました。子どもが生まれるおめでたいこととはいえ、帝王切開も立派な手術。手術の瞬間の心情や、手術後の体と心の変化についてお話しします。 逆子が治らず予定帝王切開に!わが子は、妊娠8カ月から逆子になり、逆子治療のための逆子体操や鍼・灸など、さまざまなことを試しました。しかし、頑固なわが子は臨月になっても逆子のまま。予定帝王切開の日程を決め、ギリギリまで逆子体操を試みることになりました。 通常は、臨月になると運動を増やして出産に備えることが多いですが、逆子の場合は破水や陣痛が始まると危険なため、逆子体操以外は安静にするように言われました。 帝王切開予定日18日前に破水&陣痛が予定帝王切開の18日前、テレビを見ていると、下半身から何か水のようなものが出た感覚が……。急いで病院に行くと、破水し、陣痛が来ているとのことで緊急帝王切開となりました。 突然の展開に、私は怖くなって大泣きしてしまいました。静かな手術室の中、体から何かが押し出される変な感覚のあと、赤ちゃんの産声が。家族の話によると、「かわいい~!」と叫んだ私の声が、手術室の外まで聞こえていたそうです。 私の場合、帝王切開は産後が一番つらかった出産した日は夜中にも関わらず、一睡もできませんでした。体はまったく自由が効かず、物を取ったり寝返りをしたりするのもひと苦労です。赤ちゃんが病室まで来ても、自分の力で抱っこもできず、最初は添い寝だけしかできませんでした。 自然分娩のママたちが続々と母子同室になるなか、自分でお世話をしてあげられないことがとてもつらかったです。悩む私に助産師さんが「自然分娩より入院日数が長いんだから、今は私たちに甘えてね」と言ってくれたことが救いでした。 帝王切開はラクだなんて意見もなかにはありますが、自然分娩と同じく心と体を消耗するお産です。体の回復には時間がかかりますが、母子同室になるまでの心の準備期間と考えて過ごしました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:斉藤ふみ一児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月21日65kgもあっておばさん体形。やせてきれいになりたかったけど、急激にやせると顔がこけて老け顔に。太っている自分は嫌だけど、ある年齢を超えたら、急激なダイエットはかなりヤバいことに……。やっていいのは、若いうちのみだったみたいです。 太っていたほうが、顔がパンパンでシワなし、たるみなし48歳なのに30代に見えた私。太っていたため、顔がふっくらしてシワもたるみもなく、かなりの若見えだったのでしょう。シングルの私は、事務所のご近所の方(高木さん)から、いい人紹介すると言われ、紹介されたのはなんと!38歳の会社員でした。 「あの~、高木さん、私、もうすぐ50歳なんです」。高木さん絶句!「あ~、へ~、そうなの……」と、この話はなかったことにされました(笑)。それほどまでに若く見えた私ですが、なんとたった2カ月で、実年齢+5歳の老け顔になってしまったのです……。 介護で体力を使い、エネルギー消費量が高まったのはいいけれど…老け顔になったのは、急激な体重減少のせい。しかも自然に体重が落ちたのですが。その原因は次の4つ。①父の介護、②仕事のし過ぎ、③食べる量の減少、④睡眠不足です。 まず一つ目の「介護」問題。父が体の動かない病気になり、介護生活が始まりました。父はやせてはいるものの、しっかりした体格で結構重い! でも、施設に入ることを嫌がり断固として拒否! 何度も説得を試みたもののダメでした。それでだんだんかわいそうになってしまい自宅でみることになったのです。 体は動かないけれど、トイレは自分で行きたいという父に、頑張ってトイレまで連れていき、食事もみんなとしたいというので、リビングまで連れていき、そんな生活をしていたら、介護するほうはかなりエネルギーを消費していたようです。 どんなに楽しい仕事でも、年齢を考えないと!二つ目の「仕事のし過ぎ」については、急に大きな仕事が入り、とても面白そうだったので引き受けてしまったことによるもの。父の介護で仕事をセーブしてきたのに、目の前のワクワクする仕事に飛びつきました。 今考えると、もう若くないのだから、自分ができる仕事量はわかっているはず。もう踏ん張りはきかないですし、疲れは顔に出てしまう……、ワークライフバランスは大事です。本当に……。 基本中の基本だけど忘れがち! 食事はしっかり摂るとるべきだった三つ目の「食べる量の減少」については、仕事も忙しくなり、さらには父の介護で、毎日切羽詰まっているような状態。食事を摂っていなかったようなのです。なぜ、他人ごと?そう、食事を摂ったかどうかもわからないくらいの多忙でした。 そして四つ目の睡眠不足。仕事と介護が重なれば、睡眠不足にもなりますよ。そんなこんなで、65kgあった体重が50kgまで、たった2カ月で10kg以上の減少。その代償は大きかった! 頬がこけ、顔の皮膚がたるみ、顔がムンクのようになってしまったのです。 まとめ歳をとったら急激な体重減少は絶対にダメだと痛感! 老け顔一直線です。以前、ダイエットの取材で医師からこんなことを聞きました。人間は、いちばん大切な内臓を守るために、おなか回りは最後に脂肪が落ちるとか。そのため、顔や胸など、脂肪がなくてもいいところは、先に落ちる。顔と胸のふっくらは、若さの象徴です。若いころなら、顔痩せはうれしいけれど、歳をとるとたるみが出て一気に老け込みます。胸が落ちるのも切ないですし……。アラフォー、アラフィフの皆様、どうか美しくやせるためには、「時間をかけて、じっくりとゆっくり、のんびりと」。私が得た教訓をぜひ参考にしてみてくださいね。あせりは禁物です。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように!著者:かなよし少し前までぽっちゃりさん。そのせいで30代に見えたのにやせたら胸のサイズダウン&顔やせで老化が加速。スリムになった体形はキープしつつ、以前のように戻るために、食事と筋トレでコントロール中。最近は若見えメイクに興味津々です。
2019年12月20日自治体が子育てのサポートのために運営している、児童館や子育て支援センター。みなさんは利用していますか? 私は、赤ちゃんが0歳のころは行ってもつまらなさそう……とあまり行きませんでした。そんなとき、ママも楽しめるイベントがたくさんあることを知り、生活は一変。そんな体験談をお伝えします。 出かけるのが嫌で出不精だった赤ちゃんが0歳のうちは、動きがあまり活発ではないこともあって、ママ友もいない私は、児童館に遊びに行くことはほとんどありませんでした。 そのため、買い物か散歩以外で外に出ることはなく、ほとんど赤ちゃんと2人きりの日々を過ごしてきました。そんな赤ちゃんと2人きりの日々も悪くはありませんでしたが、心の中では「ママ友がたくさんできたらいいなぁ」とも考えていました。 1歳を過ぎたころに児童館へ 赤ちゃんが1歳を過ぎたころのこと。直径3m~8mの円形の布のふちをみんなで動かして遊ぶパラバルーンや、体操などのムーブメント遊びのイベントがあることを偶然知り、児童館に行ってみました。すると、楽しそうに遊ぶわが子を見ることができました。さらに、ママ交流会、ヨガ、運動、なかにはお料理教室まで、赤ちゃんも大人も楽しめるような無料のイベントがあることを知りました。 こんなに楽しそうなイベントがあることをもっと早く知ることができていたら、0歳のうちから参加していたのに……と、ちょっぴり後悔もしました。 生活が一変! ママ企画会一部の児童館や市民センターで、現役ママがイベントの企画を立てて実行する、サークルのようなものがあることを知りました。面倒なことが嫌いな私でしたが、メンバーの方の「参加するとサークルの日が待ち遠しくなるほど楽しい」という言葉を聞き、参加を決意! わが子はわが子で同年代の子と遊べるうえに、私自身もママ友が増え、まさにサークルの日が待ち遠しくなりました。ママ友ができたので、外出する機会もぐんと増え、充実した生活を送っています。 児童館はただ赤ちゃんを遊ばせるだけでなく、ママも楽しめるイベントがある場合があるので、HPなどで調べてみるといいかもしれません。単調な毎日だと感じている方はリフレッシュになるかもしれませんね。 イラスト:sawawa著者:白岩愛実子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年12月20日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介!出産後、慣れない新生児の育児と家のことを頑張ってしまい、「アナフィラクトイド紫斑病」になってしまったニシカタさん。 そんななか、ずっと泣き続ける赤ちゃん。新生児のお世話だけで過ごす毎日は、とても長く、つらいものでした。 新生児期は、人生のなかで一番しんどい時期でした。今思えばあっっっという間で、新生児のころが懐かしくてしょうがないんですが(笑)。今この瞬間にも、新生児の世話でしんどい思いをしている方はたくさんいると思うと、その人のお家に家政婦として馳せ参じたいくらいの気持ちです! もちろんボランティアで(笑)! ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中! ぜひチェックしてみてくださいね♪ 著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年12月20日2人の子どもたちと一緒に過ごすなかで、どうしても避けられないことがあります。それは、十分な時間甘えさせてあげられなかったり、我慢させてしまったりすることです。今回は、義母の言葉に自信をなくしていた私が気づいた大切なことについてお話しします。 言葉で言うほどラクじゃない!「おとなしいし、育てやすい子だよね!」という言葉をかけられると、素直にうんと言えない私がいます。決してわが子たちが育てづらいわけじゃない。でも、何だかその言葉は受け入れられませんでした。 2人の子どもを育てていると、必然的にどちらかを優先しなければいけなくなる状況もたくさんあります。「上の子を優先してあげて」という言葉は、妊娠中も出産してからも、ことあるごとに周りから言われてきました。でも、実行するのは意外と難しく、言葉で言うほどラクじゃないと感じます。 義母の言葉に自信をなくすこともある日、甘えたい3歳の長男が、0歳の次男や義母にぶつかりに行ったり、叩いたりしていました。私は夕食の準備をしながら見ていたのですが、何度注意してもやめなかったので長男のところに行き、その場から離れさせて注意をしました。 ところがその後、義母に言われたのは「あのとき、兄ちゃんがかわいそうだった」という言葉。私はそれ以前も、危ないことをしたときはしっかりと叱る教育をしてきました。それはいけないことだったのか……と、落ち込んでしまいました。 気にしなくていい、自分の子育てに自信を持つわが家は義母と完全同居。大変なところも見て知っているはずですが、義母からも「育てやすいし、悩まないでしょ」なんて言われることがあります。最初は「またか」とイライラしたり、私のやり方を否定されて自信をなくして泣いたりすることが何度もありました。 でも、「そんなことは気にしなくていいんだ」ということに私は気づきました。周りの言葉や得た知識を気にしすぎてしまうと、自分自身に余裕がなくなり、子どもたちと楽しく関わることができなくなってしまいます。私が自信を持って子どもたちと向き合い、育てていくことが大切なんだと思えたら、気持ちもラクになり、義母の言葉にもあまりイライラしなくなりました。 自分の子育てに自信を持つことが、のびのびとした子育てにつながると信じ、子どもたちと接するようにしています。著者:石井はな0歳と3歳、二男の母。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は家庭菜園。
2019年12月20日私は歯並びが悪く、矯正も途中でやめてしまい、大人になった今でも歯並びに自信が持てないでいます。子どもにだけはそんな思いをさせたくない、できれば歯並びよく育ってほしい……という願いもむなしく、娘は生後6カ月の時点で受け口(反対咬合)気味でした。 受け口の矯正というとヘッドギア型の矯正をイメージする方もいるかもしれませんが、我が家の場合はヘッドギア型の矯正は避けたいと思い、早いうちからなんとか治療できないかと探して見つけたのがマウスピース型の矯正でした。 生後6カ月くらいには受け口の傾向が生まれたばかりのときは受け口という感じはしなかったものの、生後6カ月のときには、下顎が上顎より前に出ることが多くなりました。 そこで、生後6カ月の歯科健診のときに「受け口になるでしょうか?」と相談したところ、「まだわからないが、受け口になる可能性はある」という回答を得ました。その後、1歳6カ月の歯科健診でも相談してみましたが同じような回答で、「まだ特にできることはないので、様子を見るしかない」と言われました。 2歳ごろ見つけたのがマウスピース型矯正一般的には、矯正は歯が生えかわる時期に始めるものとされているそう。しかし、できることなら早いうちから最善を尽くしておきたい。生えかわりまで待てない! とせっかちな性格も後押しし、娘が2歳のころに、幼児にできる矯正はないか調べることに。すると、3歳ごろからできるマウスピース型のムーシールドとプレオルソという矯正を見つけました。早速、かかりつけの歯医者に相談したところ「まだ受け口になるかわからないから歯が生えかわり始める6歳ごろまで様子をみましょう」と言われました。その後、別の歯医者さんにも相談したところ、「まだ、受け口になるかはわからないし、マウスピース型の矯正をやっても戻ってしまう可能性もあるから」ということで、やはり「歯が生えかわり始める6歳ごろまで様子を見ましょう」と言われました。 矯正専門の歯科へ相談どうしても諦めきれないわたしは、矯正専門の歯科へ相談しました。矯正歯科の先生に言われたのは、・ムーシールドやプレオルソをやっても、治らない場合がある・いったん治っても、全ての歯が永久歯に生えかわるときと、思春期くらいのときに戻ってしまう可能性がある・ただし、今からムーシールドやプレオルソをやっておけば、たとえ戻ってしまったとしても、その後の治療はラクになる可能性が高いということでした。戻ってしまう可能性がある(しかも2回も!)ということで悩みましたが、娘の現在のかみ合わせを見てもらったところ、受け口が原因で奥歯の上下の歯の間に空間ができてしまっており、奥歯がきちんと噛み合わせできていないということがわかりました。つまり、奥歯では食べ物をきちんと咀嚼できていなかったのです。 マウスピース型の矯正をすることを決意そこで、やはりマウスピース型の矯正をすることにしました。我が家は、先生と相談し、ムーシールドを選択。早いとムーシールドを着け始めてから約3カ月後には効果が出るといわれているそうで、娘も装着し始めて3カ月後には前の歯が下の歯に覆いかぶさるようになりました。 1日の間でもできるだけ長時間装着したほうが効果は高いようですが、なかなか昼間に装着するのは難しく、我が家の場合は主に夜寝ているときのみ。娘に聞いたところ、装着しても全く痛みはないとのこと。それでもうっとうしいようで、やはりすすんでは着けたがりません。ここは親が毎日装着させるよう子どもを促す覚悟も必要です。まだまだ、戻る可能性が高いので油断はできませんが、私はやってよかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2019年12月18日私は、長女・次女の妊娠中、仕事を続けていました。妊娠経過も順調で、妊娠7カ月だからまだまだ大丈夫! と思って動いていたら、突然おなかが張って緊急入院に……。そんな私の体験談を紹介します。 おなかの張りは突然やってきた長女を妊娠しても、私は仕事を続けていました。経過も順調だったのですが、とあるイベントで一日動き回ったあと、急におなかに張りが……。おなかの中で風船がふくらむような、たまに張りを感じていたときとはまったく違う感覚がしました。 これはまずいかもしれないと感じ、病院に連絡をして受診。そのまま緊急入院になりました。陣痛のような張りがあったようで、張り止めの点滴でおさまらなければ、早産になる危険があったとのことでした。 油断と動きすぎは禁物!妊娠中にどれだけ動いても張らない人もいれば、少し動いただけでも張ってしまう人など、個人差はあるようですが、私は後者のようで長期入院となりました。 個人差はあれど、切迫早産は誰もがなる可能性があるということ、おなかの張りは赤ちゃんに負担がかかっているということを知っていれば、無理をしないで済むかもしれない、「自分は大丈夫」という油断と頑張りすぎは妊婦さんには禁物だと感じました。 安定期とは「ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」入院の際、「安定期とは何をしても大丈夫な時期ではなく、ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」と主治医に言われました。 妊娠初期に流産などが起こることもありますが、妊娠5カ月以降はママが気を付けることで、赤ちゃんを守れるということが少し増えるのだそうです。普段の生活で、ほんの少し気をつければ妊娠10カ月まで赤ちゃんをおなかの中で守ることができるのなら、それに越したことはないと感じました。 仕事はもちろん大切です。でも、赤ちゃんの命もとても大切です。バランスよく過ごすためにも、油断をせず無理をせず、少し気を付けながら妊娠生活を過ごしたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山本かやの二児の母。ウエディング業界から飲食業に転身後、妊娠を機に退職。現在は専業主婦。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味はガーデニングと家庭菜園。
2019年12月18日私は現在、2歳の息子と生後3カ月の娘を育てています。第一子、第二子ともに、妊娠中、義母との間に“あるトラブル”がありました。それは、子どもの名前についてでした。 自分が話の中心にいないと嫌な義母義母との関係は良好ですが、夫は義母のことがあまり好きではないため疎遠です。半年に1度は会う義母。夫と私が話していても、自分のわからない話になると明らかに不機嫌に。そして、全然違う話に変えてしまい、私のわからない昔話などを始めます。 夫によると、昔からワガママで、自分の思い通りにならないと怒り出す義母だったようです。 妊娠報告後からしつこい提案私の妊娠がわかると、会うたびに、そしてメールの文末には必ず子どもの名前を提案してくるようになりました。私や夫と趣味が合えばまだ良いのですが、趣味の合わない名前ばかり……。 夫婦で「名前については候補があるので……」と言っても、結局名前が決まるまで義母の提案は継続。私もかなりストレスが溜まり、夫にも相談しましたが、「最後は自分たちで決めるのだから放っておいていいよ」と言われました。 名前が決まったとき、義母の反応は……その後、無事に出産! 義母から提案された名前を1つ候補に入れ、義母と夫で話し合い。最終的に夫婦で相談し、夫婦で考えた名前にしたいという考えになり、名前が決定しました。 私と夫それぞれから、義母にメールで報告。夫はメールや電話で義母から「決まった名前は知り合いにいるから」など、やめるようにも言われたようですが、私には「おめでとう! 良い名前だね!」とメールが来ただけでした。 第二子でも……約二年後、私は第二子を妊娠しました。うれしい反面、また子どもの名前で義母と揉めるのは嫌だなと思いました。でも、性別が女の子とわかってからも、名前のことは何も言ってきませんでした。きっと義母は私たちの気持ちをわかってくれたのだと思い、安心していました。 ところが、義母は我慢できなくなったのか、出産が近づくとまた子どもの名前の候補が送られてくるようになりました。夫と話し合い、夫から義母へ「上の子のときから女の子だったらつけたいと思っていた名前をつける」と伝えたのですが、結局第二子のときも出生届を提出するまで、いろいろな子どもの名前の提案がありました。 あんなに悩んでストレスを抱えていたのに、今、義母はニコニコと夫婦で考えた子どもの名前を呼んでいます。孫のかわいさが勝ったようで、義母は子どもの名前のことについて何も言ってきません。子どもの名前をつけるのは一度きり。いろいろとありましたが、夫婦で話し合って素敵な名前を子どもにプレゼントできたと思っています。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年12月17日私は現在、3歳になる長女と生後7カ月の次女がいる2児の母親ですが、子ども2人共に出生体重が4,000g前後というビッグベビーでした。ビッグベビーならではの妊娠中の体験談についてお話しします。 1人目の出産、長女のケース正直に申し上げると、私自身が妊娠前から肥満体型で(身長157cm、体重63kg)、BMIでいえば、肥満と標準の境目ギリギリ……という体型。そのため、長女を妊娠したときは医師に「できる限り妊娠中は太らないように。妊娠中の体重増加は8kgまでが目標です」とはっきりと宣告されました。 しかし食べることが大好きな私は、なかなか食事管理ができず……。また、妊娠初期は食べづわりで、フライドポテトとパンしか受け付けないという偏食もあってか、体重はどんどん右肩上がりになっていきました。 3,900gで生まれた長女妊娠中期には、すでに妊娠前から5kg増加しており、1カ月で2.5kg太ったことも。結局、妊娠期間中は11kg増となりました。そして、おなかの中にいた長女はといえば、妊娠中期ごろからぐんぐん推定体重が増えていき、妊娠後期に入るころには常に成長曲線が上限ギリギリ。 一番気がかりだったことは「頭囲が大きい」こと。医師にも「頭が大きいから自然分娩するには微妙なところだけれど、なんとか自然なお産で頑張りましょう」と励まされました。しかし、妊娠41週まで自然陣痛を待ってもまったく来ず、結局妊娠41週2日に計画入院し、陣痛促進剤やバルーンなどありとあらゆる方法を尽くして4日間という難産の末に長女を出産。出生体重は3,900gでした。 次女のときは自分から計画入院を志願2人目妊娠前の私の体重はさらに増えており、なんと69kgでした。心配なのは長女の難産の記憶。「また、あんなにお産が難航してしまったらどうしよう……」と常に頭をよぎります。そしておなかの中にいる次女の成長の経過を、長女の母子健康手帳と見比べ様子を見ていました。 そして、妊娠中期ごろから、やはり長女のときと同じように、毎回、成長曲線の上限ギリギリのところをいくようになりました。しかし長女の難産の悪夢がよみがえった私は、思い切って「妊娠40週になったら入院して、陣痛促進剤を使ってください」と志願。絶対にまたビッグベビーが生まれてくると確信していたのです。 私のお産の結果ですが、次女は妊娠40週3日で生まれて分娩時間は8時間という、長女と比べると圧倒的に短い時間で産むことができました。そして次女の出生体重は4,030gで、やはり嫌な予感は当たっており、少しでも早く産むことができてよかったと感じています。2回目の出産ともなると、出産経験があるので判断力や勘といった能力が上がり、お産に対しても合理的な判断ができました。すぐに医師に相談できたことがスムーズなお産に繋がったと実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身が毒親に育てられた。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年12月16日出産予定日まであと少し。もうすぐ赤ちゃんに会えると思うと楽しみですね。出産予定日まであと少しという方は、いつお産が始まるのかドキドキしているのではないでしょうか。今回は、筆者が体験した「もうすぐお産」を知らせてくれたサインについてお伝えします。 一番気になるサイン!? おしるしお産が近付くと、妊娠中のママの体にはさまざまな変化があらわれます。もうすぐお産が始まるというサインで、よく聞くのが「おしるし」ではないでしょうか。 ただ、おしるしがあってから数時間後に陣痛が始まった人、2~3日後に始まった人もいるなど、ケースは人それぞれのようです。私の場合、おしるしを見ないままお産となりました。 恥骨と足のつけ根が痛くなった!私がお産直前に感じた、もうすぐお産が始まるというサインは、「恥骨と足のつけ根が痛くなったこと」です。それは近所の夏祭りへ出かけたときでした。いつものように歩いていると、突然「ズキューン」と恥骨あたりに激痛が走ったのです。 足のつけ根も痛くなり、だんだんと一歩一歩が動きづらくなりました。骨盤がおなかの重さに耐えきれなくなったのかも……。そう感じていたところ、その日のうちに陣痛が始まりました。このときは、翌日に出産するとは思いもしませんでした。 トイレが近くなった!私は妊娠中期ごろから頻尿が続いていたのですが、臨月に入るとさらに症状が悪化しました。くしゃみをしたり、席を立ったりしただけでも失禁してしまう……。尿もれパッドが手放せませんでした。 ひどいときには10分おきにトイレに行くこともあり、外出するにもしづらい状況に……。外出しづらいことが悩みでしたが、これもお産が近付いているサインの1つだったのです。今思うと仕方のないことだったと思えます。 赤ちゃんが骨盤のなかへゆっくりと下がっていくことで、体にさまざまな変化があらわれます。腰が痛くなる、おなかのふくらみが下がってきたなど、あらわれ方は人それぞれのよう。自分の体の変化を観察しながら、お産のときを待ちたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:imasaku著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年12月14日個人差はありますが、生後8カ月ごろになると「後追い」が始まる赤ちゃんもいると思います。「この世の終わりか!?」というほど激しく泣きますよね。ママの姿が見えないと赤ちゃんはどうして泣くのでしょうか? 今回は、わが子の後追いについてお伝えします。 ママの姿が見えないとどうして泣くの?特に後追いが激しかったのは息子でした。ちょっとトイレに行くだけでも「ギャーッ!!」と泣き出します。いつもベッタリくっついていなければならないのか……。そんな状況に、当時は疲れ果てていました。 でも今振り返ってみると、息子は大泣きをして私のことを求めていたのだと感じます。ほかの人との区別がつき、ママとの愛着関係が築かれている証拠だったのです。大泣きされてしまうと大変ですが、むしろ幸せなことだったと今になって思っています。息子と対照的に娘は後追いをしない!?一方、きょうだいでも性格はその子によって違うもので、娘の場合は後追いで大変な思いをしたことがありません。突然、そばを離れても泣いたことはありませんでした。 ところが、ある日のことです。娘のそばを離れて数分してトイレから戻り、娘を見ると、不安そうに指をギュッと握る姿が目に入りました。そのとき、娘は後追いをしないのではなく、グズりが表面に出ていないだけであると気付きました。すぐに娘を抱きかかえ、「ひとりにさせてごめんね」と謝りました。 そばを離れる理由を伝える、ママの姿が見える場所に移動させる生後8カ月ごろの赤ちゃんは、ママの姿が確認できないと安心できない子も多いと思います。きっと「ママに一生会えない」とまで感じてしまうのかもしれませんね。 そこで、私がまず気を付けたことは、「そばを離れる理由を必ず伝えること」です。まだ言葉を理解できなくても、私が何かを伝えようとしていることは感じとるのではないかと思います。それでもはじめは泣いてしまいますが、成長していくうちに伝えたいことをだんだんと理解できるようになりました。 そばを離れる理由を説明するほかにも、ママの姿が見える安全な場所に移動させることもひとつの方法だと思いました。大泣きされるとママも疲れてしまいます。ときには、少々泣かせておいても急いで家事を終わらせるなど、割り切る気持ちが必要なときも。周りの協力も得ながら、ひとりで頑張りすぎないようにしたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年12月14日特別クセのない普通肌で、40代になってからも大きな肌トラブルはなし。少し乾燥が気になりだしたころからアンチエイジング用の基礎化粧品を使い、肌に合うものを見つけて満足していました。 ところが歳を重ねるにつれ、肌のトーン、くすみが気になるように。いたしかたないのかな…… と現状を受け入れ(あきらめ?)かけていたときに、ひょんなことから明るい肌色を実感できて、時間がなくても毎日続けられる洗顔法を知ったのです。 アンチエイジングとしてすすめられた「泡パック洗顔」 アンチエイジング用のスキンケア用品を使う=ケアしている私。そんな自己満足の日々を送っていましたが、ある日、親しくさせていただいているエステティシャンの方と雑談をしていて、スキンケアの話題に。 そこで「くすみが気になるけど、ある程度しょうがないよね」と言った私に、彼女は「たっぷりの泡でやさしく洗う。それだけで違ってくるから、試してみて」「洗顔方法一つで、違ってきますよ?」と言い、泡洗顔パックの方法を教えてくれました。 たっぷりの泡でやさしく洗う。こんな簡単でいいの?良い話を聞いたから、試してみなくちゃ!とエステティシャンの彼女と話した日の夜、さっそく泡パック洗顔を試してみました。・ネットで固めの泡を作る・りんご1個分のモコモコ泡で顔を覆う・1分前後おいてからやさしく洗い、流す やり方としては、これだけです。私は、手持ちの泡フォーム(無印良品)でチャレンジしました。そして、りんご1個分までのたっぷり泡を使う勇気がなく、みかん1個分でチレンジ。それでも、今までの倍くらいはある泡の量で顔を覆い、1分強おいてから、洗い流して……。ここで、肌の質感がいつもと違うことに気づきました。 鏡を見て満足の明るい肌色!そして続けてみると肌の手触りが、しっとり、ツルリとしています。そして鏡を見ると、今までより顔色が明るい感じ。おのずとメイクのノリもよくなって、私にとって泡パック洗顔はいいことづくしでした。 もちろんそれから、毎日続けています。ときどき、洗顔後に古い角質がボロッと取れることもあるんですよ。そして、不思議と以前よりも肌の潤いが持続するようになり、秋や冬が近づいても、乾燥が気にならなくなりました。 まとめ多めの泡で、パック洗顔するだけ。パックしている間は、お風呂のときならシャンプー、朝の洗顔なら歯磨きなど、「ながら」でいける手軽さ。こんなに簡単だけど、毎日続けることで、洗顔後の肌色がワントーン明るくなることと、化粧のノリがよくなったことを実感できました。簡単かつ手ごたえあり、これはオトナ女子が長く続けられる美肌キープ法の一つだと思います。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように!著者:おび高校生と中学生の母、3歩あるけばイヤなことを忘れるアラフィフです。近ごろハマっているのは、近隣の観光地やお気に入りのカフェまでランニングで行くことです!
2019年12月13日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 出産後、慣れない新生児の育児と家のことを頑張っていたところ、体に斑点が出てきてしまったニシカタさん。 出産した産院の皮膚科で「アナフィラクトイド紫斑病」との診断が! 悪化すると入院と告げられていましたが、結果はいかに……?! 生検の結果やはりアナフィラクトイド紫斑病(アレルギー性紫斑病とも言うらしい)でした。しかし原因はわからず。今思えば、体からの警告だったのかなという気がします。見た目がたいしたことなければ、放置してもっと悪化してたかも……。 インスタのコメントを読むと、産後なんらかの疾患や諸症状に悩まされた方が数多くいて、出産が体に与える影響の大きさを感じました。 私は紫斑病という形でしたが、他のみなさんもいろんな形で産後トラブルがあったと思います。もっと、産後の辛さを世間の人たちにわかってもらえればなーと思います。基本ずっと家にいるからわかってもらいづらいんですよね……。身内にも、社会にも。ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中! ぜひチェックしてみてくださいね♪ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年12月13日産後は生理が再開するまで時間がかかると思っていた私。しかし実際は想像とはまったく違い、想定外のことがたくさん起きました。そんな私が体験した産後の生理についてご紹介します。 産後の生理について知らなすぎた私産前に参加した母親学級で、「産後は徐々に元の体に戻っていく」と聞いていました。産後の生理再開について個人差はあるものの、半年くらい生理は再開しないんだろうなと思い込んでいたのです。1カ月健診では産科の先生から「悪露の残りが少しあるけど特に問題ないから、少しずつ日常生活に戻していくように」との指示がありました。日常生活に戻るうえで夫婦生活についても話がありましたが、生理が始まらないということは排卵もされないと思っていた私は、何も考えずに1カ月健診後すぐに夫婦生活を再開。このときは後々、どんなことが起こるか考えてもいませんでした。 え? 悪露? それとも……?産後1カ月半で違和感を覚え、トイレに行くと出血がありました。1カ月健診で「悪露がまだ出るかもしれないが、そのうち治まる」と言われていたので、悪露がまだ出ているんだとばかり思っていました。しかし、2日目にはなんだか出血量も増えて下腹部や腰に痛みもあるような……。もしかして生理かも? と思っていたら、約4日で出血が止まりました。時期にして産後45日ほどのことです。産科の医師に念のために確認すると、「早い人だと産後1カ月ほどで再開する人もいる」とのこと。そう⋯⋯これが私の生理再開の合図だったのです。 生理が再開したということは?生理が再開したということは、周期が不安定だが排卵も再開していることが多いそうです。帝王切開での出産だったために、医師から次の妊娠までは1年くらいは空けるように言われていたこともあり、生理再開の相談をしたときも「くれぐれも妊娠しないように気をつけること」と言われました。 しかし! 産後の排卵周期の不安定さを甘く見ていたからなのか、産後5カ月ごろに2人目の妊娠が判明し、そのときすでに妊娠10週。産科の医師からはすごく怒られた記憶があります。 産後の生理の再開時期には個人差があるとは思っていましたが、まさかこんなに早く再開するなんて思ってもみませんでした。無知が故に妊娠し、第2子を妊娠できたことはとても幸せなことでしたが、産後の排卵や生理について勉強しておくべきだったと反省しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年12月12日2人目を妊娠中、夫に浮気疑惑がありました。夫のかばんを整理していると、なんと中から避妊具を発見してしまったのです。何か理由がある? 追及する? 妊娠中に混乱し、不安を抱えながらも、私がとった行動についてお話しします。 夫のかばんから避妊具が! なぜ?2人目を妊娠中、当時は共働きでした。私の会社は時短勤務が認められていたので時間には比較的余裕があり、2人目が生まれる前にと、せっせと家の片づけをしていました。そんなある日、夫が出張に持って行ったかばんがずっと部屋の隅に放置されているのを発見。夫は整理整頓が苦手で、かばんの中に食べかけのおにぎりや開封済みの菓子類を放置することもあり、私が時々整理していました。その日もかばんの中を整理していると、なぜかポケットから避妊具が……。 追及する? しない?夫は堅物で真面目な性格だと思っていたので、そんなものがかばんの中から出てくるとは思ってもいませんでした。ましてや結婚前から「浮気は絶対にしない。できない」と断言していた夫が私に隠れて不倫しているなんて……。前述したように夫は整理整頓ができない性格なので、これも私との旅行中に使おうとした何年も前のものが出てきたのでは……とも考えました。夫に聞けば答えはわかる? でも夫がもし浮気していた場合、決定的な証拠を握るまでは聞かないほうが良い? どうすれば良いのか迷いましたが、我慢できず追及することを決意。 夫の告白その場でどういうことか夫にLINEを入れると、すぐに着信がありました。「昔のものが紛れ込んだだけだ!」と必死で説明する夫。しかし! すぐに折り返しの電話があったことや、いつもと違う夫の口調で女の勘がピンときたのです。「だったらこの前の外出が、本当に出張だっという証拠を見せてほしい」と言うと、観念したのか出張は嘘で、友人と泊まりで夜の店に行ったと告白。情けなさと悔しさで離婚しかないと思いました。当然、今まで思っていた夫の実直なイメージも崩壊です。 今は執行猶予中離婚も本気で考えましたが、夫婦で話し合い、再構築することに。正直、夜の店というのも真偽はわからず「本当は誰かと浮気したのでは……?」と今でも疑っています。ただ夫が告白しない以上、真実を知る方法がなく追及できませんでした。また、未就園児を抱え、妊娠中の身では離婚するのは得策ではないという打算もありました。私のなかで夫は執行猶予中の状態で、次に同じことがあった場合は問答無用で離婚するつもりです。 この体験談は3年前の話でこれ以降、夫に怪しい素振りは見られません。今はその後に生まれた2人目と家族4人で仲良く暮らしています。しかし、妊娠中の情緒不安定なときに、夫のした軽率で思いやりのない行動を忘れることは一生ないと思います。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年12月12日わが子が2歳のとき、なかなか進まなかったトイレトレーニングですが、ある心がけで順調に進むようになりました。おむつ卒業まで、あともう少し。今回は、おむつはずれ成功のカギとなった子どもとの関わり方について、私の体験談をお伝えします。 子どもの様子をまめに観察する「おしっこは?」と聞いても、わが子は頭を左右に振るだけでした。結局はトイレに行くタイミングを逃してもらしてしまう始末。 言葉だけではうまくいかないと感じ、子どもの様子をまめに観察することにしました。すると「おしっこに行きたくなったときは、ソワソワして落ち着かない」、うんちのときは「部屋の隅に行く」などわが子なりのサインがあることに気付いたんです。サインを見極め、トイレに連れていくと成功することもありました。 先を見通すような声かけをするまた、「寝る前にトイレに行こうね」「外へ行く前にトイレに行っておかないと、遊んでいるときにおしっこに行きたくなるよ」など、先を見通すような声かけを意識しました。生活のなかでこうした声かけを繰り返すことで、トイレに行くタイミングが自然と身についてきたように思います。 もちろん私の言うことを聞いてくれないときもありました。無理にでも行かせたい気持ちもありましたが、やはり無理強いは禁物ですよね。 子どもと相談しながら進めるよくわが子に「今日はおむつとパンツ、どっちにする?」と聞いてからおむつやパンツをはかせていました。自分の意思でパンツをはくことで、トイレに行く意欲も育っていったと感じています。ただ、外出するときなど、おもらしが心配なときは臨機応変におむつをはかせることも。 おむつにはき替えようとすると嫌がることもあるので、「トイレが見つからないと困るから、おむつをはいてくれる?」と子どもと相談しながらトイレトレーニングを進めました。 トイレに行きたくないのに親に無理強いされると、子どもは「絶対に嫌!」と断固拒否してくることも。小さい子どもにもプライドがあるんですね。怒りたい気持ちを我慢して、子どものプライドを傷付けないことも大切だと感じています。 ※赤ちゃんの発育・発達には個人差があります。本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年12月12日