声の大きな長男は、歌を歌うのが大好き!でもここで…?Upload By モンズースー声の大きさをコントロールすることが苦手で、常に大声で歌い話す長男。元々声も大きい方なので、普通に話しているだけでも大声に聞こえてしまいます。電車の中や病院の待合室など、静かにしてほしい場所でも大声。そのたびに「静かに!」と伝えても、「静かにすること」をイメージするのが難しいようでした。かといって周囲の目も気になり、その都度声をかけてはいたのですが「話したい」「歌いたい」気持ちを抑制してしまうとストレスがたまるようで、後からその不満が爆発し、大暴れすることが増えました。いろいろ試した結果、手で「小さい」を見せたとき、ようやくイメージができたようでした。聞くより見るのが得意な長男には、目で見た「小さい」の方がイメージが伝わりやすかったようです。手のサインを繰り返していくうちに、「小さい声」を意識できるように!ひそひそ話しのような声も出せるようになりました。他にも、長男の通う支援の幼稚園では、数字の得意な子にテレビの音量のように数字で伝えたり、生き物が好きな子には動物で大きさを伝えていたりもしていました。伝えにくい声の大きさのコントロール、こんなやり方も1つの方法なのかもしれません。
2016年11月18日息子の障害は言えない…周囲からの批判的な目に怯えていた私出典 : 皆さんは、子どもに発達障害があるとき、入園予定の幼稚園や保育園、習い事などで、障害についてカミングアウトしますか?私は必ず、「うちの子は発達障害があります」という話を、一番最初に言います。けれども3年前、息子に診断が下りたばかりの頃、私は息子に何をやらせるにも、発達障害ということを周囲に隠していました。その理由は、「発達障害と知られたら断られるかもしれない」「周りから差別されるかもしれない」「私の育て方が悪いと言われるかもしれない」といった恐怖心があったからでした。そして、息子の特性が絶対にバレないように…ということに集中し、常に気を張っていました。ただでさえ息子が発達障害であるとわかり、自分自身がそれを受け入れるのに必死になっているときです。その上他人からこれ以上傷付けられたら、自分がどうなってしまうかわからなかったのです。私は、私と息子を守るため周囲に診断の結果を隠していました。でもそれは、私たち親子を逆に傷つける結果になったのです。障害を隠して入会したトランポリン教室。しかしパニックを起こした息子は先生に叱られ…出典 : 私は診断名や特性を隠したまま、近所のトランポリン教室に息子を連れていきました。発達障害の子にはトランポリンが良いと聞いていたからです。ところが、息子は連れていくたびにパニックになりました。プロ仕様のトランポリンは、かなり高く飛ぶことができるのですが、重力不安のある息子には異常な恐怖だったようです。そこで、先生が息子の体を支えて一緒に飛ぶようにしてくれたのですが、息子は触覚過敏があるため、他人に身体を触れられることをひどく嫌います。終いには苦痛のあまり、ぎゃーぎゃーと泣き出してしまったのです。こうして息子は、パニックになるたびに先生に叱られていましたが、それも仕方ない話です。息子の特性がわかっていなければ、この様子はただの我儘な子にしか見えないからです。先生に「ちゃんとやりなさい!」と叱られるたびに、息子はパニックになって部屋中を駆け回り、物を割ったり落としたり。教室内では、「とんでもない問題児が来たよ…」という冷えびえとした視線が突き刺さりました。ある日息子が大暴れし、教室を辞める決意をした私。思わず口から出た本音に先生は出典 : 回目のトランポリン教室で、息子は先生から身体を触られた途端にパニックになり、大暴れした拍子に鼻血が出て止まらなくなってしまいました。1時間のレッスンのうち、50分以上を鼻血の処置をしながら息子をクールダウンさせる時間に費やしました。私は頑張っていた心がポッキリと折れ、帰り際に先生に教室を退会する旨を伝えました。「この子にはとても無理そうなので退会させて頂きます。実はこの子、自閉症スペクトラムの診断がおりてまして…。ここで一緒にやらせて頂くのは難しかったようです。すみませんでした。」そう私が謝ると、先生は「えっ!」と驚いた顔をし、そして言ったのです。「どうして最初に自閉症スペクトラムだと教えてくださらなかったのですか。知っていれば、ちゃんと対処法がわかったのに。うちの教室、自閉症の子をたくさん見た経験あるんですよ。声のかけ方だって、変わってきたのに。」私はそのとき始めて診断名を隠していたことで息子のことも自分のことも無用に傷つけ、先生にも迷惑をかけてしまっていたということに気付きました。入会前にカミングアウトしていれば…!!私はそのとき、初めて自分のミスに気付いて、涙が止まりませんでした。そのときにはもう、息子はトランポリン教室に恐怖心を持っており、これ以上続けることができない状態になっていました。断られる恐怖はまだある。しかし、障害をオープンにすることで合う場所もきっと見つかる出典 : トランポリン教室での失敗を踏まえ、今では幼稚園や習い事に入るときだけではなく、小さなイベントや病院での診療などのときでも、必ず「この子は発達障害があります」ということを最初にお伝えするようにしています。それでも、「断られたらどうしよう」という怖さはいつもあります。でも、断ってくるところに無理して参加させても、もっと傷つくことになるだけだと思うのです。利用サービスの中には、他の子と区別をせずに指導する習い事もあります。けれども、息子がパニックになったときなどに、指導者があらかじめ「この子はこういうことでパニックになりやすい」と知っていてもらうことで、私も息子も十分救われるのです。傷付くことを怖がって隠していても、もっと傷付くことはたくさんあります。それよりも、カミングアウトしても「大丈夫、一緒に頑張りましょう」と言ってくれる人や環境を見つけることの方が、発達障害児の育児はずっと実りあるものになります。
2016年11月17日こんにちは、親子でADHD(注意欠陥・多動性障害)をやっています、ママライターの木村華子です。ADHDが発覚した息子の学校生活を改善させようと、話し合いを行ったときのこと。「木村くん(息子)は、提出物や持参物の忘れ物が多くて……」 そう困った顔で笑う担任の先生を見て、私は息子より先に自分自身を責めました。息子がもらってくる学級通信は、下の子の保育園関連のプリントや仕事で使う資料関係の書類、封筒から出して重ねたクレジットカードの請求書などの山に埋もれて、毎月自然消滅していくような状態。「なんか、最近クラスの子たちがペットボトル持ってきてるんだよね……」と息子が言えば、書類の山から学級通信を発掘し、ヨレヨレになったプリントに記載された“図工の授業でペットボトルを使います”の文字を見つけて驚愕し、慌てて近所のコンビニへ走り、朝から飲みたくもないジュースを飲み干して息子にペットボトルを持たせる……。そんな家庭環境であれば、当然忘れ物も多くなるでしょう。私たちはまさに、“忘れん坊親子”でした。全てのケースに当てはまるわけではありませんが、ADHDの原因には遺伝性や家族性が関わることもある と言われています。ADHDのお子様を持つママの中には、わが家のようにご自身もADHDであるケースも珍しくはないでしょう。そんな親子にとって、忘れ物を減らすことは他人が思う以上に困難なことです。今回は、脱・忘れん坊親子を目指した私に効果的だった解決策を紹介いたします。ADHDでなくても、忘れ物が気になるという方にオススメしたい簡単な工夫です。●ADHDの人は具体的で細かな目標をたてるべき!ADHDの人は、ぼんやりとした目標を実現させることがとても苦手です。たとえば、小学生時代より忘れ物が多かった私は、周囲の大人たちから「提出物や持参物を忘れないために、学校で配られたプリントはきちんとチェックしておくべき」という助言を何度も受けてきましたが、大人になるまでそのアドバイスが役立ったことはとうとうありませんでした。どのように“きちんとチェック”すればいいのかが分からなかったからです。これはADHDの子どもへ指示を出す際にも言われることですが、ADHDの人にやるべきことを理解させる(あるいは本人が理解する)ためには、目標を達成させるために行うべき“具体的で細かな”ステップを伝える(または本人が定める) 必要があります。学校関連や仕事などなど……多様な書類の整理にADHDママが対応するためには、無理のないシステムを生活の中に組み込むことがポイント。プリントが家の中で迷子にならないような工夫を凝らせば、“忘れん坊親子”の汚名返上も夢ではありません。●プリントの内容を必ずチェックし実行できるステップ●(1)わが子から必ずプリントを回収するわが子もADHDであった場合、このステップから難易度が高くなります。ランドセルの中には常時“プリント用ファイル”を入れておき、学校で受け取ったプリントはもれなくファイルに入れて持って帰るように伝えましょう。わが家では、「学校の机の中は、迷子のプリントが0枚になるように……」と伝えています。また、点数の低いテストややり忘れた宿題を見つけてお子様を叱ってはいませんか?これを繰り返すと、叱られることを恐れてプリントを隠してしまう癖がつきます。どんなプリントであっても、怒りたい気持ちを抑えて渡してくれたことを褒めてあげてください 。●(2)受け取ったプリントは決められた入れ物に収める子どもから受け取ったプリントは、決められた入れ物(専用の箱を作ったり、決められたファイルを用意したりしてください)に収めましょう。子どもからプリントを受ける夕暮れ時は、主婦にとって1日の中でも特に忙しい時間でもありますね。洗濯物を取り込んだり、夕飯を作ったり、小さな子がいればお風呂に入れて……何かとバタつくこの時間帯に、無理に処理しようとする姿勢がケアレスミスの元になります 。ひとまず受け取ったプリントを失くさないこと、きちんと保存しておくことを優先させてください。●(3)プリント整理の曜日を決めて、落ち着いて処理するプリントの内容をチェックする曜日を決めましょう。わが家では、毎週土日に主人を巻き込んでプリントチェックの時間を設けるようにしています。「文字ばかりが並んでいるプリントを読むのが苦手……」という方は、私のようにパパの手を借りてみることもオススメです。そこで重要なプリントとそうでないものを仕分けしてください。学校ごとに違いはあるでしょうが、私の場合は以下を基準に分けています。【重要なプリントの例】・毎月発行される学級通信・記入欄や切り取り線があるなど、提出が求められる内容のプリント・社会科見学や授業参観など、イベントのおしらせ系【あまり重要ではないプリントの例】・地域で開催されるイベントのおしらせ・ほけんだより・給食だより明らかに重要ではない・不要である場合は、手元に残して重要なプリントと混ざってしまうリスクを回避するためにも捨ててしまいましょう 。●(4)重要なプリントの行き先まず、提出する系のプリントはその場で即記入し、ランドセルの中に入れてしまいましょう。私の場合ですが、後回しにしてしまうと確実に忘れます。そのほかのプリントは、カレンダーに貼り付けてしまう のがオススメ。たとえば25日に行われる社会科見学のプリントであれば、カレンダーの25日の欄にセロハンテープで貼ってしまいます。ファイル等にしまい込んでしまうと、その行事やプリントの存在を忘れてしまうことがありませんか?せっかく仕分けた重要なプリントを、目視し続けられる場所にキープして当日まで忘れないための工夫です。その月の予定や持参物について記載された学級通信も、日常的に目に触れる場所 に掲示しておきましょう。回覧板で回ってきたプリントや仕事関連の書類、締め切りのある手続きのお知らせなども、同様にカレンダーに貼り付けておくと忘れにくくなります。●(5)スケジュールは1週間単位でママには学校関連以外にもさまざまな予定が入ります。仕事や家庭の行事、地域での当番などなど……それらをスケジュール帳にまとめている方も多いでしょう。私も、以前から月ごとの予定を手帳にまとめていました。しかし、手帳に書いただけでは忘れん坊が治らなかったのです……。そんなとき、大人の発達障害をサポートする支援センターで目から鱗の解決策を教わりました。まず、100均などで販売されている小さめのホワイトボードを手に入れます。ホワトボードには、1週間分のやるべきことを記入しましょう。やるべきことが終わるたびに、書いてある予定を消していきます。週末には、ホワイトボードが真っ白になる状態を目指してください。たったこれだけです。このホワイトボードは、冷蔵庫など毎日イヤでも目に入る位置 に貼り付けておきましょう。月単位や年単位など長期的な計画を実行するのが苦手な私ですが、1週間を完璧に過ごすという目標にハードルを下げると今までが嘘だったかのように忘れグセが改善されました。ひと月や1年だって、細かな1週間、1日が積み重なったものです。今日を完璧に、今週をミスなく過ごすことを目標にしてみてください。●ママも一緒に苦手克服を目指そう!学習障害の症状は人それぞれ異なります。ここで紹介した方法が合わないママもいらっしゃるかもしれません。もし「もっと自分にマッチした対処法を探りたい!」という場合は、お住まいのエリアにある相談窓口で発達障害のサポートを受けることを検討してみてください。子育てや仕事などなど……大人にはさまざまな書類が付きまとうもの。子どもの忘れん坊グセを正すことはもちろん大切な教育ですが、子育てはママ自身の“苦手”や“できないこと”を振り返るいい機会 であるのかもしれません。子どもを産んだからといって、即立派な母親になれるわけではありませんね。自分ができないことをわが子に教えることは難しいものです。そんなときは自分を棚に上げて子どもを叱り飛ばすのではなく、ぜひお子さんと二人三脚で苦手克服を目指してみてはいかがでしょうか。【参考リンク】・相談窓口の情報 | 発達障害情報・支援センター()●ライター/木村華子(ママライター)
2016年11月16日大好きなオモチャにいつも夢中な息子…発達障害があるなんて思いもしなかった現在高校生の息子・リュウ太はADHDがあります。息子がまだ小さいころ、私は息子が発達障害だとは思いもしませんでした。でも今思うと、「発達障害かも?」というサインは小さいころからあったのです。たとえば保育園へお迎えに行ったとき、息子はいつも…Upload By かなしろにゃんこ。保育園に迎えに行くと息子は、だいたい寝そべって大好きな車や電車のオモチャを並べていました。私が声をかけるまで自分の世界にどっぷりなんてこともよくあり、迎えに来たことに気が付き嬉しそうにするときもあれば、遊んでいるのを誰にも邪魔されたくない様子のときもあります。登園したときも、私が教室から出ていくことはお構いなしで、息子は大好きなおもちゃに一直線。そんな息子を見て私は「泣いて追ってこられるよりもいいかな」と何も心配していませんでした。ある日保育園の先生がそれとなく教えてくれた、息子の発達障害のサインしかしある日、保育園の先生がこんなお話をしてきました。Upload By かなしろにゃんこ。みんなでお遊戯をしたりお片付けをしたりするときに、先生が息子の名前を呼んで指示しても、オモチャ遊びに夢中で反応がないことがあるというのです。「名前を呼んでも反応しない」というのは、発達障害の子どもにあらわれる特徴でもあります。Upload By かなしろにゃんこ。息子に障害があるなんて思っていなかった私は、先生の意図に全く気付かず…Upload By かなしろにゃんこ。保育園の先生は息子の発達障害を疑っていて、私にそれとなくサインを教えてくれていたのかもしれません。でも息子が発達障害なんてこれっぽっちも疑っていない私は、先生は「リュウ太君、もしかして耳が悪いんじゃないですか?」と心配してくれているのかとすっかり勘違いしていたのです。それどころか、Upload By かなしろにゃんこ。なんて安心しきっていました。発達障害の子どもは、名前を呼んでも反応しないことがあると知ったのは、息子が発達障害の診断を受けた小学校4年生のときでした。保育園の先生は病名を告知する立場にないので、遠まわしにしか伝えられなかったのだろうな~と思うと、それとなく伝えてくれた先生に後で申し訳ない気持ちになりました。「お子さんは発達障害かもしれません」というのは親には本当に伝えにくいことだと思いますので、先生という立場の方はご苦労されているかもしれませんね。今では「私もあのときもっと突っ込んで先生に質問すればよかったのかな?」と思っています。
2016年11月15日砂遊びが大好きなのに…Upload By モンズースー長男は砂遊びが大好き。でも、砂が手に付くのは不快なようでした。雨上がりや奥深くの少し湿った砂はすぐに手に付いてしまいます。それが許せない長男は、砂遊びの最中に何度も何度も手を洗いに行くのです。砂場と手洗い場を行ったり来たりするので、好きな砂遊びがなかなか集中できません・・・。手を1人で上手に洗えない不器用さもあり、砂遊びを楽しめずに終わりの時間が来てしまうと、満足できずに毎回号泣して暴れました。Upload By モンズースーそんな長男も、楽しく遊ぶ上級生の様子は気になるようでした。最近では洋服を汚さずに遊ぶよう指導する幼稚園も多いみたいですが、長男の通う支援の幼稚園は自由に遊ばせてくれます。砂に全身埋もれても、泥に水に漬かってもOK!長男はそんな楽しそうな遊びに参加したいけど、できずにいるように見えました。そんな様子に気付いた先生。上手な誘導で少しづつ砂遊びの幅を広げてくれたのです。最初は裸足で乾いた砂の上に立つところから始め、足を砂に埋めたり、砂の山に登ったりして遊んでいるうちに、あまり手を洗いに行かなくなりました。そんな長男が、今では全身泥まみれになって遊んでいます。パンツまでドロドロになり、学校でシャワーを借りて着替えてから帰ります。洗物は増えますが、楽しくのびのび遊べるようになったことが嬉しいです。毎回どろだらけの洗濯物を楽しみにしています。
2016年11月11日発達障害の子が起こすパニック。みんな長男のように激しいものかと思いきや…発達障害の子がよく起こすパニック。それは、自分の思い通りにならなかったり、いつもと違う生活に混乱したりしたときに現れ、冷静でいられなくなってしまう状態を指します。Upload By モンズースー長男のパニックは派手でした。泣いたり、怒ったり、話が聞けなくなったり、次の行動に移せずその場から動けなくなって大暴れ。赤ちゃんの頃はよくえびぞりになって大騒ぎ。私が考えていた「パニック」は派手なイメージだったのですが、支援を受ける子どもたちのパニックは、それぞれ違ったものでした。大声や奇声を発する子自分を叩いたり、壁に体をぶつけたり、自分を傷つけてしまう子他者を叩いたり、物を投げたり、噛み付いたりして、他者を傷つけてしまう子…中には固まって言葉が出ない子や、1人片隅で延々泣いてしまう子もいました。このような静かなパニックは、集団の中では見逃されることもあるかもしれませんね。今思うと長男も、1時期壁に頭を打ちつけるなどの自傷行為がありました。当時は理由がわからなかったのですが、今思うと環境の変化などでパニックになっていたのかもしれません。パニックの原因もさまざまですが、パニックの現れ方も色々あるのだな…と思いました。
2016年11月04日初めまして、この記事に目を留めて下さりありがとうございます。これを読まれている皆様は発達障害との縁が多少なりともある方だと思います。お子様への接し方が分からない。学校などの集団生活になじめない。他人と考え方・感じ方が異なるため誤解されやすい。抱えていらっしゃる悩みごとは様々だと思います。そこで発達障害当事者である私が、自分の障害とどのようにして付き合い、受け入れ、いまの仕事をしているかについて書かせていただきました。今回は、私の幼少期の学校生活についてです。「障害」を周りの大人たちが認識したのは小学生のとき出典 : 小学生のころ、私は自分自身に障害があることを認識しておりませんでした。私の異常を最初に気づいたのは周囲の大人達で、小学1年生のときでした。この時期になっても未だに私だけ読み書きができなかったためです。私は文字の形を認識することができず、平仮名が書けませんでした。ようやく書けるようになっても、文章を書くことはとても難しかったです。作文の宿題が出ると、机に向かって書こうとするのですが、2~3時間頑張ってやっと2~3行書けたぐらいでした。読解については、文字を1文字ずつしか読めず、意味も理解できませんでした。例えば「がっこう へ あるいて いく」なら「が、つ、こ、う、へ、あ、る、い、て、い、く」か「が、つこう、へある、いていく」としか読めず、単語の認識ができなかったようです。さらに算数も、数字の意味や計算の仕組みを理解する事ができませんでした。1+1すらできなかったそうです。自分の努力と適切な支援のおかげで、勉強ができるようになった出典 : 私の様子を担任の先生から指摘され、手を尽くして原因を調べた母は、「発達障害」の存在を知りました。当時はまだあまり知られていない障害でしたが、運よく発達障害を研究している機関を見つける事ができました。そこで私に下された診断は学習障害(LD)。でもこのとき私はまだ、自分に障害があるということをきちんと認識できていませんでした。研究機関に通って母と医師が何やら話しているものの、私は内容が自分に関することだとは思いもせず、退屈だったので同じ部屋内で遊んでいました。しかしこの診断があったことで、母は「根気よく繰り返し、できなくてもイライラせずに、できた事があれば必ず褒める」という教育方針のもとで私を勉強させてくれました。最初なかなか進歩は見られませんでしたが、学校の授業で漢字が出てきてから変化が見られました。例えば「つき」という平仮名だけだとその意味がわからなかったのですが、漢字の「月」は三日月の絵が崩れて漢字になったという成り立ちを見ながら教えてもらうことで、漢字の形と意味を理解できました。漢字を覚えたことがきっかけで、「文字を組み合わせて単語をつくる」ということもだんだんと理解できるようになり、これをきっかけに文章も徐々に読めるようになりました。作文はやはりかなり苦手で、宿題はいつも母が隣で手助けをする必要がありました。しかし、私が強く「書きたい」と思ったことについては、周囲が驚くほど筆が進んだそうです。算数については、数を数字以外のもので視覚化する事で分かるようになりました。例えば先ほどの1+1は、りんごを用意して実際に数える事で理解できました。ただし、文章問題は問題を読み解く必要があるため、できるようになるまでかなり時間がかかりました。このように私は、苦手なことを他の子どもたちとは違う方法で勉強することで、学習の遅れを補うことができました。いじめもあった。でも得意なことをがんばることで、周りに認めてもらえた出典 : 同級生達を始めとした人間関係ですが、小・中・高のどこでも入学してから数ヶ月の間よくいじめられていました。幸い私の周りには助けてくれる大人たちがたくさんおり、大事には至りませんでした。ただ、担任の先生は私の扱いに困っていたようで、よく怒られていたのを覚えています。でも私自身は何が問題で怒られているのかさっぱりわかりませんでした。何が原因だったのか、はっきりとした事は不明ですが、私は授業中に逃げ出して行方不明事件になる一歩手前まで大騒ぎになった事がありました。このように、後先考えず衝動的に行動するところが、恐らく周りから見て異質に見えたのではと思います。このように書くと「発達障害のある子どもは学校になじめないんだ」と思われるかもしれませんが、そんな事はありません。そして、私自身の得意分野が周りに認められたことも、同級生たちとの関係が良くなった一因でした。小学校3~4年生のころ、クラスメイトの誕生日カードを作る宿題がありました。私はこの宿題に夢中になり、夜中の12時頃まで絵を描き続けて、本来は作る必要のない表紙の絵まで描いたそうです。そのとき母は「学校の成績ではあまり重要ではないことに時間を割いて…」と思ったそうですが、夢中になって完成させたカードはクラスメイトの間で好評になり、同級生たちと仲良くなるきっかけになりました(ちなみに誕生カードを贈ったクラスメイトとは、特に親しい間柄ではありませんでした)。何かを作りだすと夢中になり、図工や美術の科目で良い評価を受けることは、その後もたくさんありました。こういった経緯で、周りから見た私は「変わり者だが、すごいやつ」という認識になっていき、次第に同級生たちから認められるようになっていきました。周囲には「障害は完治した」と思われた。でも自分の心の中には違和感があった出典 : 多くの支援と私自身の努力により、学校の成績や友達関係などの問題は解決していきました。これにより、先生も母も「学習障害は完治した」と思ったそうです。特に母は、障害に対する忌避感も重なって、私に「障害がある」とハッキリと伝えることはしませんでした。これでめでたしめでたし…のように見えて、実はそうではありませんでした。確かに目に見えて明らかな問題は解決しましたが、私は他人と打ち解けることが苦手で、周りとは何とも言えない壁を感じ続けていました。例えるなら私と他人の間には常にガラスの壁があり、わかり合えず、私の声は向こう側に届いていないようでした。この壁に、長い間私は1人で悩まされていました。「障害は完治した」という周囲の認識は、成人してからの私の生活にも大きな影響を与えることになります。障害を受け入れた今、保護者や学校に思うこと出典 : 障害があっても、今後も社会で生きていく以上、学校など何かしらの社会的な集団に所属しておく必要はあると思います。でも自我が確立していない幼少期に、所属している集団で自分の存在を認めてくれる人がいないと、本人が自分を認められず、社会で生きていくことは困難になってしまうかもしれません。ありのまま生きる姿を、「障害」としてではなく「個性」として接してくれる人がいれば、その子にしかない才能を発揮して力強く生きてくれるでしょう。私はいじめも経験しましたが、個性の一部として周囲の人に受け入れられていたため、自分を異常だなどと追い込んだり、できないことや失敗したことを障害のせいにすることはありませんでした。そこで、発達障害のお子さんを持つ親御さんへ、発達障害の当事者としてお願いがあります。どうか皆さんには、お子さんの最大の理解者になって欲しいと思います。良くいわれている事だとは思いますが、発達障害=悪いことではありません。だから、悔やむことも、恥じ入ることも、責められることも何一つありません。悪い方向に傾くのか良い方向に傾くのか、それはこれからの行動次第です。いじめや学習障害を乗り越えた私ですが、自分自身に障害があるとは認識しておらず、障害と向き合うことをしていませんでした。このことが将来に影響を及ぼすこととなります。次回は私が大人になってから仕事をするにあたり、ぶつかった困難についてお話します。
2016年11月02日豪雨の日、やっと着いた幼稚園で長男のこだわりが炸裂!発達に遅れがあり、支援を受けられる幼稚園に通う長男。その日はものすごい雨でした。幼稚園の配慮により、子ども達が濡れないようにと、普段使わない入り口を解放してくれたのです。Upload By モンズースー思い返せば、普段使っている園児用の昇降口以外から、入ったことがなかった長男。しかも抱っこされての登園も初めてでした。今まであまり気にしなかったのですが、長男は登園方法にこだわりがあったのです。いつもと違う入り口、いつもと違うだっこでの登園に納得ができず癇癪を起こしたのでした。やりなおしをすれば癇癪は治まることが多いのですが、この日は豪雨。外でうろうろしていると身体が濡れ、体調を崩してしまうかもしれません。先生と一緒に長男の気持ちを切り替えようと、色々試したのですが努力もむなしく、けっきょく豪雨の中、門まで戻って登園をやり直したのでした。Upload By モンズースーその後、長男のこだわりによる癇癪はだんだん減っていきました。癇癪を起こしても、気持ちの切り替えが早くなり安定して生活できる日も増えました。長男の幼稚園には、同じ理由(急な予定の変更やルーティンが崩されること)で泣く子が毎年いるそうです。以前、療育先のママ友から「こだわりは2歳がピーク、年齢と共に減っていくよ」と聞きました。この先、長男の考え方がもっと広くなって、生活が楽しく送れるようになってくれたらいいな…と思っています。
2016年10月28日気分障害とは出典 : 気分障害とは常に気分が落ち込んだり、逆に高まることで日常生活に様々な支障をきたしてしまう心の病気です。この障害名は世界保健機関(WHO)の『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版)により定められています。気分障害とは気分に関する障害がある病状・疾患を一群としてまとめたものをさしますが、主に以下が含まれます。・うつ病エピソード・躁(そう)病エピソード・双極性障害(躁うつ病)・反復性うつ病性障害・持続性気分障害「エピソード」とは、症状が現れている状態であるということを表す用語です。上記の分類に当てはまらない場合は、その他の気分障害や特定不能の気分障害と診断されます。人は生活を送っていると少なからず嬉しいことや悲しい出来事に直面しますが、その際に気分が上がったり、気分が落ち込んだりしてしまうことは当たり前のことです。しかしこのように発生した感情を、自分でコントロールできなくなることがあります。こうした状態が一定期間以上続いて仕事や私生活など普段の生活に支障がでている場合は、気分障害の可能性があります。参考文献: 『ICD-10』 2013年 中山書店/刊気分障害の種類と症状出典 : 『ICD-10』によると気分障害は大きく分けて5つに分類することができます。うつ病エピソードは気分の持続的な落ち込みを主体とした症状が現れている状態のことです。医師によってうつ病エピソードが確認されると、いわゆるうつ病と診断されます。うつ病エピソードが当てはまると診断された場合は、他の細かい基準が用いられ障害の程度が判断されます。厚生労働省のデータによると、日本においては「一生のうちにうつ病になる頻度は約15人に1人と考えられている」とされるとてもメジャーな疾患ですが、その中の4分の3の人は治療を受けたことがないと言われています。症状としては、・通常なら快楽を感じる活動に対して興味または喜びを感じなくなる・喜怒哀楽などの感情の変化が顕著に無くなってしまう・通常より2時間以上早く起床する・重度の抑うつ気分が午前中に現れる・食欲が激しく低下する・体重の減少・様々な欲求への著しい減退が挙げられます。現れる症状は人それぞれですが、『ICD-10』によるとこれらの症状のうち4つ以上の症状が2週間以上つづくとうつ病の基準を満たしていると診断されます。また、うつ病が重症になると妄想の症状が出ます。代表的なものは体の過度な不調があると妄想する心気妄想、自分はまずしいと思い込んでしまう貧困妄想、自分は犯罪など悪いことを行ってしまったと確信してしまう罪業妄想です。1990年のWHOの研究では「健康な生活を障害する疾患」の4位として発表されていましたが、2020年には虚血性心疾患に次いで2位に上昇すると言われています。その理由として社会のストレス要因が増えてきていることがあると言われています。また慢性疾患を抱えているとうつ病が合併しやすいといわれていることも挙げられます。例えばがんを発症している人のうちの20~38パーセント、糖尿病は25パーセントの人がうつ病を合併していると言われています。こころの耳l 厚生労働省気分障害l 慶応義塾大学病院躁病エピソードは爽快感、身体の快調感、幸福感があり、自信に満ち溢れ楽観的な考えに支配される症状が現れている状態のことです。医師によって躁病エピソードが確認されると、いわゆる躁病と診断されます。躁病エピソードが当てはまると診断された場合は、他の細かい基準が用いられ障害の程度が判断されます。躁病の症状としては、・活動的になる・口数が多くなる・注意不足、集中力低下によるミスが増える・睡眠欲求の低下・性的欲求が高まる・リスクを考えない浪費や無謀な運転などの常識をはずれた行動を起こす・社交的になる、または過度に馴れ馴れしくなるが挙げられます。『ICD-10』によると躁病の診断には上記の症状のうち3つの症状が4日以上持続していること、日常生活に本人が感じる程度のトラブルを起こしてしまっていることが条件となります。多くの場合、躁病の症状は徐々に始まり、何となく元気がみなぎってきたり、仕事の能率が上がったりすることで調子がいいと感じていきます。症状が重くなっていくと活動性が増加し、多くのアイデアを実行しようと一日中活動し続けます。この場合に睡眠時間が短くなってしまったとしてもあまり疲れたと感じません。当初は意識的に活動量を調整するように気をつけることができます。しかし、次第に調子が出すぎているという認識がなくなり周囲の人を考えない言動をするようになります。最終的には口数が多く、自己主張が強くなり、しきりに他人の世話を焼こうとし、対人関係トラブルを起こしてしまう傾向にあります。生涯にわたって躁病の症状しか発症しない単極性躁病はとても珍しく、躁病エピソードを発症している人のほとんどは双極性障害を発症しているといわれています。うつ病エピソードのみを2週間以上継続し、2回以上繰り返すと反復性うつ病性障害と診断されます。反復していると診断される基準として、先述したうつ病を発症した後2ヶ月以上同じような症状が現れない期間が存在することがあげられます。反復性うつ病性障害の一例として季節性感情障害が挙げられます。季節性感情障害とは主に秋から冬にかけて抑うつ状態となり、春には症状が改善するなど、抑うつ症状になる期間と回復する期間の転換が1年のうちの特定の時期に起こる疾患です。双極性障害とは一般的に躁うつ病と呼ばれる疾患です。双極性障害はうつ病エピソードと躁病エピソード両方を反復する場合、基準に当てはまると診断されます。初めのエピソードを発症してから次のエピソード発症するまで平均5年程度かかるといわれますが、エピソードを繰り返すごとに再発までの期間は短くなり、一つ一つのエピソードの継続期間はながくなるといわれています。躁病エピソードは急に発症することが多く、2週間から5か月程度持続します。一方うつ病エピソードは徐々に発症し、躁病エピソードに比べて発症期間が長い傾向にあります。双極性障害によって気分が高揚し、いらいらしたり、注意散漫になったり、誇大的になったりするなど対人関係などにも様々な障害を引き起こすことがあります。双極性障害は再発率が高いと同時に、自殺をしてしまう確率が精神障害の中で最も高い精神疾患の一つといわれています。双極性障害(躁うつ病)l 前田クリニック主に気分循環症・気分変調症をまとめて指す疾患です。躁病やうつ病の症状は当てはまらないけれど、明らかに気分が変わっていることが分かる状態をさします。■気分循環症通常は成人早期までに発症する双極性障害の軽症型です。うつ病エピソードと双極性障害の症状すべての条件を満たさない程度で、数日単位で落ち込んでいる状態と気分が良い状態が不規則に反復する期間が2年間以上続きます。気分循環症の症状としては、うつ病期間と気分高揚期間にそれぞれ3つ以上の症状が当てはまることが条件となります。うつ病期間:・エネルギーあるいは活動性の低下・自信が急に無くなるなどの自己評価の激しい変化・不眠・集中ができなくなる・引っ込み思案になり、社会からひきこもる・欲求の低下、喜びの感情の喪失・口数が少なくなる気分高揚期間:・エネルギーがありあまり、活動性が高くなる・睡眠欲求がなくなる・自己評価が過大になる・頭の働きがとてもよくなる・社交的になり、人付き合いがとてもよくなる・口数が多くなる・欲求を追い求めるようになる・過剰に楽観的になったり、過去に成し遂げたことに対して過大評価をしてしまう軽うつエピソードが優位の抑うつ型、軽うつエピソードと軽躁(そう)エピソードが同じ頻度で出現する定型的な気分循環症、軽躁(そう)エピソード優位の軽躁型の3つのパターンがあります。抑うつ型を発症している人が一番多く、割合としては気分循環症を発症している人の50パーセントを占めていると言われています。■気分変調症うつ病の診断基準を満たさない程度の軽度の抑うつ状態が2年以上持続する疾患です。うつ病と違い比較的短期間であれば気分が落ち込まない正常な期間が存在しても診断内容に影響がないと言われています。気分変調症の症状としては、気分循環症のうつ病期間に発症する症状に加えて、・涙もろい・物事に対して絶望感を感じる・日常生活でこなさなければいけない課題を対処しきれないという考えに陥る・将来や過去の出来事に対して考え込んでしまうなどの症状を発症します。これらの症状のうち3つ以上が当てはまると気分変調症を発症していると診断されます。持続性気分障害を発症している人自身は無気力感や気分の大きな落ち込みを感じていますが、社会的・職業的にはトラブルが発生していない場合が多いです。そのため本人も周囲の人も疾患を発症していると認識できず、本人は不調をそのままにしてしまう傾向があります。参考文献: 『ICD-10』 2013年 中山書店/刊気分障害を発症しやすい年齢出典 : うつ病はいかなる年齢においても発症しますが、発症率は思春期以降に大きく増加します。平均発症年齢は20歳代ですが、高齢者になって初めて発症する人も少なくはありません。厚生労働省研究班のデータによると、日本においては「一生のうちにうつ病になる頻度は約15人に1人と考えられている」とされています。女性のほうがかかりやすく、有病率は男性の1.5倍~3倍であると言われています。これは女性ホルモンの増加、妊娠、出産など女性に特有のトラブルが多いことが原因の一つであると考えられています。うつ病をしっていますか?l 厚生労働省双極性障害の発症年齢をみてみますと、15~19歳が最も多く、20~24歳がそれについで多く、それ以上では50歳以上も稀にあると言われます。発症平均年齢は30歳と言われています。5、6歳くらいの子どもについても双極性障害の発症が認められていますが、ADHD(注意欠陥・多動性障害)との識別が難しく、まだ研究が進められている段階です。双極性障害l 前田クリニック気分循環性障害は通常青年期または成人期早期に始まる疾患です。性別関係なく発症すると言われており、子どもの気分循環性障害では症状発症の平均年齢は6.5歳です。気分循環性障害がある人が双極性障害を発症する可能性は15~50パーセントです。気分変調症は小児期、青年期、あるいは成人期早期に発症し、慢性化する場合が多いです。『DSM-5 』(『精神障害のための診断と統計のマニュアル』第5版)2014年医学書院/刊気分障害の原因出典 : 気分障害が発症してしまう理由として遺伝子、ストレス、環境、性格などの様々な要因が複雑にかかわりあっていることが挙げられます。主な要因は抑うつ症状の強いうつ病・気分変調症、もしくは躁うつ症状がでる双極性障害・気分循環性障害のどちらかによって異なります。しかしまだはっきりとした原因は解明されておらず、今後更なる研究が必要とされています。うつ病・気分変調症は主に性格、ストレス、生物学的要因が大きく関与しているといわれています。かつてはうつ病や気分変調症は性格や遺伝の問題であるとされていましたが、近年患者数が急増するとともに研究が進み、性格や遺伝の問題だけではないことが徐々にわかってきました。近年ではストレスや生物学的要因がうつ病に深く関与していると多く言われています。■性格:主にきまじめな性格や社交的な反面気が弱い性格の人がうつ病になりやすいと言われています。熱心に仕事に打ち込み、責任感が強くすべてのことに対して正直に取り組む人や、親しみやすくいい人として周囲からは見られるが、実は気が弱いために他者を優先させてしまう一面を持つ人が例として挙げられます。■ストレス:近親者の死亡、病気、家庭内のトラブル、出産、結婚・離婚、会社の人事異動や転勤、仕事上のトラブル、過労などさまざまなストレスがうつ病の発症の大きな誘因となっているという研究結果が出ています。■生物学的要因:上記の性格やストレス要因が当てはまる人のなかで、うつ病を発症する人としない人の違いは主に生物学的要因にある傾向があります。脳の中で重要な情報伝達の働きをしているセロトニンやドーパミンなどの異常が、うつ病の発症と深く関わっているのではないかという有力な説もあります。しかし、この生物学的要因もまだ解明されたわけではなく、研究が進められている過程にあります。双極性障害・気分循環性障害の発症要因と考えられるものは遺伝子、ストレス、性格、生物学的要因で、もっとも深く関与していると言われているのが遺伝子です。■遺伝子:双極性障害は同じ家系に発症する確率が高いことから、何らかの遺伝子が発症にかかわっているのではないかと指摘されています。しかし、ある特定の遺伝子ではなく、いくつかの遺伝子の組み合わせによって発症するのではないかと推測されています。■ストレス:身の周りで起こることを本人がストレスに感じてしまうことも大きな原因の一つであると言われています。例として結婚や引っ越し、出産などのライフイベントに対する受け止め方や重なり具合、職場の人間関係などが挙げられます。このような生活環境の変化がストレスとなり、こころの安定の成分をつかさどるセロトニンに影響がでてしまったり、様々な支障が発生します。■性格:うつ病・気分変調症を発症する人と違い、双極性障害・気分循環性障害を発症する人は社交的で明るい、ユーモアのある性格という傾向があります。このような性格を一般的に循環気質と表現します。気配りも上手で、常に周囲の人の中心的役割を果たしていますが、気分が高揚しているときと沈み込んでいるときが周期的に訪れるため、状況に応じながら気分や思考がポジティブになったり、ネガティブになったり変化します。しかし、現在では循環気質の性格だけではなく様々な気質の人も発症することが分かっており、執着気質がその一つです。執着気質とは一つのことにたいして徹底的に自分を追い込む頑張り屋さんのような人です。「疲れてなんかいない」といって自分自身を鼓舞し、さらに頑張り過ぎることを継続することで双極性障害を知らない間に発症している場合があります。■生物学的要因:近年双極性障害には生物学的要因もあることが明らかになってきています。それは、脳細胞内にあるミトコンドリアの機能異常です。ミトコンドリアはエネルギー物質を生産する働きの他に、情報伝達にかかわるカルシウムの濃度を調整する機能をもつ物質です。ミトコンドリアの異常によってカルシウム濃度の調整がうまく行われなくなると細胞内の情報がうまく伝わらず、双極性障害の発症を誘因するものと考えらます。しかし双極性障害は発症する確率も低くはっきりとした原因はまだ解明されていません。研究が今後進んでいくことが期待されます。気分障害l 前田クリニック気分障害の相談先と治療先出典 : 気分障害に区分される疾患はストレスが多い現代社会ではいつ、誰が発症してもおかしくない疾患です。気分が上がらず憂鬱な気分のまま数週間が経ってしまったり、逆にテンションの上がり下がりにムラがあり不安を感じる場合は以下の行政機関に相談するか、医療機関の受診をおすすめします。■児童相談所:児童相談所は、すべての都道府県と政令指定都市に最低1つ以上設置されている児童福祉の専門機関です。主に、「子どもの養育に関する相談」、「障害に関する相談」、「性格や行動の問題に関する相談」などの育児に関する相談ができる機関となっています。全国児童相談所一覧l 厚生労働省■全国精神保健福祉センター:各県、政令市にはほぼ一か所ずつ設置されている、保健・精神保健に関する公的な窓口です。精神保健福祉に関する相談をすることができます。精神科医、臨床心理技術者、作業療法士、保健師、看護師などの専門職が配置されています。相談については、施設によって予約が必要な場合や健康保険の適用が可能なところがあります。詳細は、それぞれのセンターにお問い合わせください。全国の精神保健福祉センターを探すl 厚生労働省■精神科:精神疾患をはじめ、精神障害や睡眠障害、依存症を診療する科です。具体的には不安、抑うつ、不眠、イライラ、幻覚、幻聴、妄想などの症状を扱います。■心療内科:心と体、それだけでなく、その人をとりまく環境等も考慮して扱う科です。前述の精神症状だけでなく、ほてりや動悸などの身体症状、また社会的背景及び家庭環境なども考慮して治療を行います。精神科、心療内科どちらに行ったらいいか迷う方もいらっしゃるかもしれませんが、気分障害の場合は精神科を受診しても、心療内科を受診してもどちらでも大丈夫です。気分障害の治療出典 : 気分障害の治療法として現在主に効果的であると考えられ、用いられているのは薬物療法、精神療法、そして電気けいれん療法です。発症している疾患により細かい治療法は異なるので詳しい情報は専門家に相談することをおすすめします。薬物療法の場合、うつ病に対してはうつ症状を改善する「抗うつ薬」が用いられます。一方、双極性障害に対しては激しい移り変わりがある感情を安定させる「気分安定薬」が中心的に用いられます。いずれの場合も、不安を抑える「抗不安薬」が同時に処方されることがあります。代表的な抗うつ薬として三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)などが挙げられ、適切な量と期間で服用することが重要であるとされています。抗うつ薬は主にうつ病・気分変調症に処方されています。双極性障害・気分循環障害を発症している人が抗うつ薬を服用するとかえって気分が不安定になったり、躁状態になってしまったりすることがあるため、躁うつの症状に対しては抗うつ薬は基本的に使用されせん。気分安定薬には気分が上がりすぎる躁状態を抑える効果、沈みすぎてしまう抑うつ状態を改善させる効果、いったん安定した気分を維持させる効果があります。現在、双極性障害・気分循環障害の薬物療法は気分安定薬が中心となっていますが、飲み始めてからしばらくは重い副作用を防ぐために血液検査が数回必要です。また検査後も一定期間ごとに採血をすることで効果と安全性が確かめられるため、継続して受診することが大切です。うつ病は再び症状が出現することの多い病気です。回復後1年の間に約20%の患者さんに再び症状が出現する上に、その後の再発も含めると、その割合は約40~50%に上がります。また、途中で治ったと感じて治療することをやめてしまうと半年後に再び症状が出現する危険性が2倍になるという研究結果もでています。しかし、いずれの場合も治療法の効果や必要な量・期間には個人差があるため、自分だけで判断することは危険です。治療の際には、専門家の指導を受けながら用量・用法を守って行うことが大切です。気分障害l 慶應大学病院気分変調症l前田クリニック現在様々な精神療法が開発されていますが、気分障害に有効であると考えられているのは認知行動療法と対人関係療法です。一般的には医師やカウンセラーとの対話を通して、自身がどのタイミングで不安や心配を感じるのか、物事をどのように捉えているのか自身の思考のクセを把握します。そして、不安を感じる状況をどのように捉え、対処していけばいいかを考え、自身の感情をコントロールできるようにしていく治療法です。また対人関係療法は気分障害を抱えている人だけではなく、その人の家族や恋人などの重要な他者との関係に焦点を当てて、他者との関わり方を考えていく精神療法です。最終的には身近な他者との関係だけではなく、より広い範囲の人々に対してもよりよい関係を築けるようになることを目的とします。頭皮から電流を流すことで意図的にてんかん発作を発生させ、抑うつ症状を改善します。うつ病、双極性障害に有効といわれています。この治療法が用いられるのは薬物療法をはじめ、認知行動療法、その他の治療では効果が認められない場合、あるいは妄想をしてしまうなど症状が非常に重く治療の緊急性が高い場合です。軽、中度のうつ病の場合、あるいは他の治療法によって効果が認められている場合には原則使用されません。電気けいれん療法がなぜうつ病や、双極性障害の症状に効果があるのかについては未だ解明されていません。しかし、多くの医療機関においてその有効性が確認されており、日本においても保険の適応となっています。以前は治療の過程で生じる全身のけいれんが骨折などの怪我につながるリスクがありました。しかし、1980年代頃から施行されるようになった「修正型電気けいれん療法(m-ECT)」では麻酔科医の同伴のもと麻酔薬及び筋弛緩剤を投与し、けいれんを防ぐことができます。治療を受けることができる医療機関は必要な薬剤や人員の確保ができる病院に限られるようです。気分障害l 慶應義塾大学病院まとめ出典 : 気分障害がある人は少なくとも世界に3億5000万人以上もいると言われており、世界的に増加傾向にあります。日本も例外ではなく厚生労働省によると、平成26年度時点で約112万人の人が発症していると言われています。気分障害の症状により日常生活に悪い影響をきたしてしまうと、何かとうまくいかないことがストレスにつながり悪循環に陥ってしまう場合も少なくはありません。そのため気分障害は悪循環に陥る前の初期治療、そして症状が治まった後の再発予防がとても大切になっています。近年研究が進んでいることにより治療法の種類も増えてきています。そのため疾患や症状の程度を考慮した上での一人ひとりに合わせた治療法が選択できるようになっています。最近気分が晴れずずっと暗いままであったり、気分の上がり下がりが激しく自分をコントロールできない時があるなど、不安を抱えている場合はこころの風邪である気分障害を抱えている可能性があります。気になることがある場合は、専門家に相談しながら、症状の見極めや対応方法を検討すると良いでしょう。平成26年度患者調査の概要l 厚生労働省
2016年10月26日情緒障害とは出典 : 「情緒障害」とは、子どもが何らかの要因により感情面に問題が生じ、社会に適応できない状態にあることを指す言葉です。広義に解釈すると上記の意味ですが、実は「情緒障害」は、厳密かつ普遍的な定義がなく、その意味や内容は時代や社会的な背景とともに大きく変遷してきました。そのため現在実際に使われている「情緒障害」という言葉も、文部科学省、厚生労働省、医学のそれぞれにおいて定義や概念にばらつきがあります。情緒障害に含まれる具体的な障害もそれぞれの定義によって異なるため混乱を招くこともままあり、必要に応じて関係機関の定義を参照し、確認する必要があります。以下でそれぞれの定義を見ていきましょう。教育、福祉、医学、それぞれ違う「情緒障害」の定義出典 : ・情緒障害の教育的定義主に特別支援教育の場面で使われる、文部科学省による「情緒障害」の定義は以下の通りです。状況に合わない感情・気分が持続し、不適切な行動が引き起こされ、それらを自分の意思ではコントロールできないことが継続し、学校生活や社会生活に適応できなくなる状態をいう。平成25年教育支援資料Ⅶ 情緒障害|文部科学省HP・情緒障害の教育的定義に当てはまる症状教育の場で用いられる情緒障害にあてはまる症状の具体例としては、主に選択性緘黙(かんもく)を指し、その他、集団行動・社会的行動をしない、引きこもり、不登校、指しゃぶりや爪かみなどの癖、常同行動、離席、反社会的行動、性的逸脱行動、自傷行為をあげています。・教育的定義における情緒障害と発達障害の関係文部科学省では、情緒障害は心理的な要因から生じる後天的な問題であり、先天的な問題から生じる発達障害とは違うものと定義しています。・「情緒障害」の教育的定義の成り立ち教育の場で言われる「情緒障害」は、教育上の概念・分類であり、医学用語の「情緒障害」の定義とは必ずしも一致しません。現在、このようなわかりにくさを生んでいるのは、情緒障害という障害の概念が時代によって変遷していることと、特殊支援教育の歴史的背景に由来しています。公立学校に現在の特別支援学級の前身である情緒障害特殊学級が成立した1969年当時、自閉症などの先天性由来の障害も含めおおまかに「情緒障害」と定義していました。のちに、先天的な障害である自閉症は「情緒障害」から除外されたため、「情緒障害」は後天的な心理的問題により社会に適合していない子どもを分類するための概念と修正されました。平成18年には「学校教育法施行規則の一部を改正する省令」が発令され、平成21年には「情緒教育特別支援学級」の名称も「自閉症・情緒障害特別支援学級」と変更され、特別支援教育の場でも自閉症が情緒障害から分けられるようになりました。・情緒障害の福祉的定義厚生労働省管轄の情緒障害児短期治療施設などの福祉の場面で用いられる「情緒障害」は、厚生労働省が定義したものに沿っています。厚生労働省の情緒障害児の定義は以下の通りです。情緒障害児とは,家庭,学校,近隣等での人間関係のゆがみによって,感情生活に支障をきたし,社会適応が困難になった児童をいう。厚生白書(昭和53年版)・情緒障害の福祉的定義に当てはまる行動や状態不登校、引きこもり、かん黙、軽度の非行、チック、発達障害による二次障害、虐待により心理的に傷ついた状態など参考ページ:厚生白書(昭和43年版)第3章社会福祉|厚生労働省HP・福祉的定義における情緒障害と発達障害の関係厚生労働省が定義する「情緒障害」(情緒障害の福祉的定義)は、同省が定義する発達障害に含まれる、としています。参考ページ:発達障害者支援法の施行について|厚生労働省HP医学的な用語としての「情緒障害」は、主として、心理的な反応として起きる、情動が著しく不安定で激しい現れ方をする状態であり、病名ではないとするのが主流です。国立特別支援教育総合研究所によると、医学的な用語としての「情緒障害」は次のようにまとめられます。1)厳密で普遍性のある定義はない。2)病名ではなく症状もしくは状態像を指して用いられることが一般的。3)現在では、心理的要因が原因と想定されるものに主に用いられるが、例外もある。世界保健機関(WHO)の『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版)においては、「情緒の障害」と表記されているものが、医学的な用語としての情緒障害とほぼ同義とされ、病名に相当する診断カテゴリーとされています。参考:発達障害と情緒障害の関連と教育的支援に関する研究・医学的見地における情緒障害と発達障害の関係基本的に、医学的には情緒障害と発達障害は別の区分とされています。就学相談などで使われる「情緒障害」のさす意味とは?出典 : 教育の場で「情緒障害」とされる状態は、具体的には2種類の問題行動があります。一つは、周囲から介入しない限り周囲に迷惑や支障を生じない、内向性の問題行動、もう一つは、周囲からの介入がなければその行動自体が周囲の人に迷惑や支障を生じる外向性の問題行動です。専門用語で「内向性行動問題」と呼ばれるもので、周囲が介入しない限り迷惑や支障を生じないものをさします。具体的な例として、・選択性緘黙(かんもく)・不登校、集団行動・社会的行動をしない・ひきこもり、指しゃぶりや爪かみなどの癖・身体を前後に揺らし続けるなどの同じパターンの行動を反復すること(常同行動)・自分の髪の毛を抜くことなどです。一般的にはただの「癖」と考えられているものでも、この行動が長期間頻繁に続き、学校での学習や集団行動に支障をきたすほどの場合には情緒障害としてとらえられます。専門用語で「外向性行動問題」と呼ばれるもので、周囲からの介入がなければその行動自体が周囲の人に迷惑や支障を生じる場合をさします。具体的な例は、・離席、教室からの抜け出し・集団逸脱行動・犯行、暴言、暴力、反社会的行動・非行、性的逸脱行動などです。これらの行動から、学校での学習や集団生活に支障をきたしてしまいます。攻撃性を示す場合が多く、その攻撃性が自分に向った場合である自傷行為も情緒障害としてとらえられます。教育の場で「情緒障害」としてあがることの多い、選択性緘黙と不登校について紹介します。・選択性緘黙文部科学省が定義する選択性緘黙は、以下の通りです。選択性かん黙とは,一般に,発声器官等に明らかな器質的・機能的な障害はないが,心理的な要因により,特定の状況(例えば,家族や慣れた人以外の人に対して,あるいは家庭の外など)で音声や言葉を出せず,学業等に支障がある状態である。(平成25年文部科学省教育支援資料)・不登校文部科学省の教育支援資料において、不登校は、以下のように定義されています。不登校の要因は様々であるが,情緒障害教育の対象としての不登校は,心理的,情緒的理由により,登校できず家に閉じこもっていたり,家を出ても登校できなかったりする状態である。そして,本人は登校しなければならないことを意識しており,登校しようとするができないという社会的不適応になっている状態である。したがって,一般的には,怠学や学校の意義を否定するなどの考えから,意図的に登校を渋る場合は,学校に登校しないという状態は類似しているが,ここでいう情緒障害の範囲には含まない。平成25年教育支援資料Ⅶ 情緒障害|文部科学省HP「情緒障害」の子どもには、どのような支援があるの?出典 : 自閉症・情緒障害通級指導教室通級指導教室とは、通常学級の学校に籍を置いて、通級指導の時間のみ通級指導教室に通って支援を受けるという制度です。子どもが在籍する学校に通級指導教室が無い場合は、通級指導教室がある他の学校に通って通級指導を受ける場合もあります。障害の種別に分かれ、その子に合った指導が受けられますが、情緒障害のある子どもは「自閉症・情緒障害通級指導教室」に通うことになります。・対象者通常の学級におおむね参加でき、一部特別な指導(社会的適応のための特別な指導や強化の補充指導など)を必要とする程度のものであるとされています。・どのような指導がされるか基本的には、特別支援学校などにおける、障害がある生徒の自立を目指した教育的な活動を参考とした指導が中心で、社会的適応性の向上が目的とされています。通級指導を受ける場合、大半の時間を通常学級で過ごし、通級指導を受ける時間は限られています。そのため、必要に応じて各教科などの補充的な指導は行っていますが、個別の指導内容を設定することはできません。自閉症・情緒障害特別支援学級特別支援学級とは、通常学級ではなく特別支援学級に籍を置き、よりきめ細かな指導を受ける少人数の学級です。もし、子どもに手厚い指導が必要な場合は、上記の通級指導教室ではなく特別支援学級に通う場合が多いです。情緒障害のある子どもは「自閉症・情緒障害特別支援学級」で指導を受けることになります。・対象者文部科学省は、自閉症・情緒障害教育の対象を以下のように定めています。一 自閉症又はそれに類するもので,他人との意思疎通及び対人関係の形成 が困難である程度のもの二 主として心理的な要因による選択性かん黙などがあるもので,社会生活へ の適応が困難である程度のもの平成25年教育支援資料Ⅶ 情緒障害|文部科学省HP選択性かん黙や不登校などの感情面での問題のために、通常の学級では学習を行うことが難しく、社会的適応のための特別な指導を行う必要がある子どもが対象者であるとされています。・どのような指導が受けられるか情緒障害や自閉症のある子どもなどが、人とのかかわりを円滑にし生活する力を育てることを目標に指導を受けることができます。 特別の教育課程を編成することができることが特徴です。基本的に主な授業は特別支援学級で受けますが、体育や図画工作、給食の時間は通常学級の子どもたちと過ごすこともあります。特別支援学校基本的には、情緒障害であるというだけで特別支援学校の支援対象となることはありませんが、情緒障害とされている子どもが、知的障害や病弱・身体虚弱を伴う場合は、知的障害、病弱などの区分での支援対象となることもあります。特別支援学校と特別支援学級・通級指導教室の違いについては、以下のコラムに詳しく解説されています。・放課後等デイサービス幼稚園・大学を除いた学校に就学中で、かつ障害のある子どもが、学校の授業終了後や長期休暇中などに通い、生活能力向上のための訓練および、社会との交流促進を行う施設です。施設利用にあたって療育手帳や障害者手帳は必須ではなく、障害児通所支援受給者証を申請し、認可が下りれば利用することができます。施設のタイプは、習い事型、学童保育型、療育型の大きく分けて3つのタイプに分けられます。詳しくは以下の記事をご覧ください。・情緒障害児短期治療施設(児童心理治療施設)情緒障害短期治療施設とは、学校教育との緊密な連携をとりつつ、医学的な心理治療を行う総合的な治療・支援施設です。情緒障害児短期治療施設の対象児童は、心理的困難や苦しみを抱え日常生活に生きづらさを感じている子どもたちであり、心理治療が必要とされる子どもたちであるとされています。知的障害児や重度の精神障害児は基本的に対象ではありません。利用方法は、宿泊入所、通所、外来相談の3つがありますが、施設によっては外来相談が設置されていない場合もあるため、一度お近くの情緒障害児短期治療施設に電話などで相談してみることをおすすめいたします。・児童相談所児童相談所とは、家庭や学校などから18歳未満の子どもに関するあらゆる相談に応じ、また、子どもおよび家庭に対して医学的、心理学的、教育学的、社会学的及び精神保健上の判定や調査、調整を行う場所のことです。各相談所には精神科医師、児童心理士、児童福祉司などの専門職員が配置されています。・児童家庭支援センター児童家庭支援センターは、児童心理療育施設、児童養護施設、児童自立支援施設、母子生活支援施設、乳児院に設置されているもので、18歳未満の子どもに関する様々な相談を、子ども、家庭、地域住民から受け付けます。また、児童福祉施設などの関係する機関との連絡調整も行います。学校で子どもが直面する「情緒障害」の原因は?出典 : 教育的定義における「情緒障害」とされる状態を引き起こす原因としては、対人関係のストレス状況、学業・部活動の負担、親子関係の問題などが考えられるとされています。友人同士や教師との関係において、対等な人間関係が崩れた場合大きなストレスが生じます。いじめがその最たるものとされています。一方的、威圧的に教師や友人に接されることによりストレスが生じ、情緒障害とされる状態に陥る原因になります。学業、部活などにおいて、本人の能力に見合わない要求をされ、かつその環境から抜け出すことができない雰囲気がある場合、それがストレスとなり情緒障害の原因となると言われています。親子関係において信頼関係が築けていない場合に、教育的定義における「情緒障害」の原因となる可能性があります。親子の信頼関係が築かれていないパターンで、児童虐待なども含まれます。子どもと過ごす時間を十分にとることが信頼関係の構築において大切です。平成25年教育支援資料Ⅶ 情緒障害|文部科学省HP子どもが情緒障害の疑いがあるとき、どう対応すべきなの?出典 : 生活上の問題が生じたときは、できる限り早い段階でなんらかの対応をとることが必要です。・毎日の基本的な生活環境を整える子どもの成育には、障害の有無、障害の種類にかかわらず、安心して過ごせる環境作りが必須です。毎日の生活のなかで、家族関係の安定を意識し、なるべくお子さんをほめてあげること、そして、できるだけ一緒に過ごしてあげること。このような安心して過ごせる基本的な環境作りを心がけることこそが、お子さんの症状の回復のための基礎づくりとなります。・いじめはすぐ対処もし、お子さんがいじめを受けているように感じたら、本人に対処させるのではなく、いじめが起きている環境から保護することが最優先です。まず、教師に相談し、お子さんのいる環境を変えるなどの対応をし、それに加え児童精神科などで専門的な治療を受けることで、心の傷がこれ以上深まらないようにする必要があります。・医療機関を受診する身体症状が強い場合は小児科、情緒面の問題が強い場合は児童精神科を受診することをおすすめします。専門家の指示を仰ぎ、適切な指示を受ければ、ご家族もお子さんも、無為に苦しむことなく解決の糸口を見つけることができます。どうしても、医療機関の受診への敷居が高い場合には、スクールカウンセラーや各相談機関を利用するのも一つの手です。もし、近くに児童精神科がない場合は、大学病院や総合病院の精神科でも診療してもらえます。少しでもお子さんが何らかの問題を抱えているように感じたら、どうか一人で抱え込まずに、専門家の助けを求めてください。参考文献:杉山登志郎 /著『子どもの発達障害と情緒障害』2009年講談社/刊まとめ出典 : 「情緒障害」の定義はさまざまですが、一般に情緒障害とされる状態は、主に対人関係などの後天的なストレス要因から生じるとされています。先述の通り、お子さんの成育の基本となるのは安心して生活できる環境づくりであり、それには家族からの理解が不可欠です。お子さんをあたたかい目で見守ってあげることこそが、問題解決のための近道となります。とはいえ、保護者の方が、何のストレスも感じずお子さんに接し続けるのは難しいこともあります。専門家からアドバイスしてもらうことで、今までずっと悩んでいた問題から抜け出す解決の糸口が見つかることもありますので、少しでも悩み事がある場合は一人で抱え込まず、医療機関や相談窓口に連絡を取ることをおすすめします。平成25年教育支援資料Ⅶ 情緒障害|文部科学省HPあなたのそばの相談機関|情緒障害児短期治療施設(児童心理治療施設)ネットワークHP発達障害者支援施策について|厚生労働省HP厚生白書(昭和53年版)|厚生労働省HP情緒障害児短期治療施設運営指針|厚生労働省HP特別支援教育について|文部科学省HP 自閉症・情緒障害とは|国立特別支援教育総合研究所HP
2016年10月24日発達障害支援の研究は日進月歩。最新の研究はどうなっているの?出典 : 発達障害の原因や治療法、支援技術に関する研究は、世界各地、様々な分野の専門家が取り組んでいる領域です。私たちが日常生活するなかでも、メディアに掲載されるニュースなどを通して、その研究成果の一部にふれることがあります。実際に発達障害のある子どもを育てている保護者や、その周辺の支援者にとって、最新の研究成果は今と未来の生活にどのような影響をおよぼすのでしょうか?そんな疑問に応えるシンポジウムのお知らせです。11月5日、「うちの子、少し違うかも・・・~発達障害に対する適切な療育・支援のための研究開発~」と題されたシンポジウムが、東京都江東区青梅にある、日本科学未来館にて開催されます。主催団体である「社会技術研究開発センター(RISTEX)」からいただいたシンポジウムの概要をご紹介します。ご興味のある方はぜひ参加してみてください。11月5日(土)「うちの子、少し違うかも・・・~発達障害に対する適切な療育・支援のための研究開発~」シンポジウム概要Upload By 発達ナビ編集部1. 趣旨落ち着きがない、こだわりが強い、人見知りが激しい、などで子育てが難しいと感じられる子どもに発達障害※があると診断されることがあります。しかし、発達障害は早期に発見し適切な療育を行うことで子どもの将来の可能性が広がり、周囲の支援によりご家族の困難を軽減することが期待できます。JST社会技術研究開発センター※※では、発達障害に関する研究開発プロジェクトを支援しています。本シンポジウムでは、その中で活動した研究者からの最新の研究報告と有識者によるパネルディスカッションを行い、早期発見、療育、ご家族への支援の大切さへの理解を深めることをねらいとします。※発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違っているために、幼児のうちから症状が現れ、通常の育児ではうまくいかないことがあります。成長するにつれ、自分自身のもつ不得手な部分に気づき、生きにくさを感じることがあるかもしれません。(厚生労働省 みんなのメンタルヘルス HPより)※※社会技術研究開発センター(RISTEX)では、「社会のなかの科学・社会のための科学」の理念のもと、社会の具体的な問題の解決を目指す研究開発を推進しています。2. 日時平成28年11月5日(土)開場12:30開演12:45~14:45(2時間)3. 場所日本科学未来館(東京都江東区青海)7階未来館ホール(定員300名)4. 対象ご家族、教育・保育に携わる方、子育て支援に関わる民間団体の方、地方自治体の方、など注:主に、以下の方を対象とします。・情報収集がインターネットや親同士の情報交換に限られ、クリニックの検診まで踏み出せないご家族・子どもが発達障害との診断を受けたがその後の子育てに不安を持つご家族・発達障害がある子、もしくは、気になる子を持つご家族が親戚や友人にいる方5. プログラム12:30受付開始12:45開会挨拶12:50講演①神尾 陽子 氏(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 児童・思春期精神保健研究部 部長)『一人ひとりの発達特性にあった子育てとそれを支える地域社会』②船曳 康子 氏(京都大学大学院人間・環境学研究科 総合人間学部 准教授)『MSPA(Multi-dimensional Scale for PDD and ADHD)による発達特性の理解と今後』③山野 則子 氏(大阪府立大学大学院 人間社会システム科学研究科 教授/スクールソーシャルワーク・評価支援研究所 所長)『発達障害を抱える児童・生徒の学校における支援と課題~スクールソーシャルワークの視点から~』13:35パネルディスカッションモデレーター:熊 仁美 氏 (特定非営利活動法人ADDS 共同代表)パネリスト :上記講演者3名、山﨑 順子 氏(東京都発達障害支援センター(TOSCA) センター長)14:25フロアとの対話(質疑応答)、まとめ14:45終了Upload By 発達ナビ編集部京都大学医学部卒業、ロンドン大学付属精神医学研究所児童青年精神医学課程終了、京都大学医学部精神神経科助手の後、米国コネティカット大学(フルブライト研究員)で自閉症研究に従事した後、九州大学大学院人間環境学研究院助教授を経て、2006年より国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所児童・思春期精神保健研究部部長、2010年より山梨大学客員教授を併任。Upload By 発達ナビ編集部H8年京都大学医学部卒業。京都大学医学部付属病院、京都市立病院にて研修後、京都大学大学院医学研究科に入学し、認知症の臨床研究を行った。H12年からは、カリフォルニア工科大学行動生物学教室に留学し、小鳥の歌を用いた音声発達の臨界期の研究に従事。H15年に帰国し、こころの発達、発達障害の分野の臨床と研究に従事。日本学術振興会特別研究員、京都大学医学部付属精神科助教を経て、H27年より現職。Upload By 発達ナビ編集部関西学院大学社会学研究科後期博士課程修了、博士(人間福祉)。スクールソーシャルワーク評価支援研究所所長内閣府: 子どもの貧困対策検討委員会委員・有識者会議委員、文部科学省:中央教育審議会生涯学習分科会委員、企画調整部会委員、家庭教育支援の推進方策に関する検討委員会座長、教育相談等に関する調査研究会議委員、ほか国の委員多数。大阪府子ども施策審議会会長、子どもの貧困部会部会長、大阪府スクールソーシャルワーク配置事業スーパーバイザー、ほか多数。Upload By 発達ナビ編集部2010年、慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。2011年、自閉症児に効果的な早期療育が届くことを目指し、NPO法人ADDS設立。2013年、同大大学院後期博士課程を単位取得退学、同大先導研究センター研究員。自閉症児のコミュニケーション研究や、早期療育の実践研究に携わる。NPO法人では、保護者が家庭療育に取り組むためのペアレントトレーニング、セラピスト認定制度等を実施し、現在までにセラピストを約100名養成、ペアレントトレーニングを約200家庭に提供してきた。Upload By 発達ナビ編集部東洋大学社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程修了、元国際医療福祉大学医療福祉学部教授。前清瀬市子どもの発達支援・交流センターセンター長、東京都発達障害者支援体制整備委員会委員、東京都要保護児童対策地域協議会代表者会議委員、東京都若者の自立等支援連絡会議委員 等を歴任。障害やソーシャルワーク関連の著書多数。イベント申し込みはこちら参加申込フォーム
2016年10月24日発達障害のある小5の息子が、自分からお手伝いをしてくれた日出典 : 我が家には発達障害の息子と、定型発達の娘がいます。小5の息子にはADHD、アスペルガーの診断が出ています。ちょっとしたことですぐにイライラしやすく、手先が不器用なところもあります。そんな息子が少しでも自分に自信を持てるよう、私はどんなに些細なことでも本人の頑張りを見つけたら褒めるようにしていました。ある日のこと、我が家の和室に洗濯物が山づみになっていました。これが目に入るといつも、「たたまなきゃ」とストレスの原因になっていました。ある日、夕食の支度をしようと動き出しながら、ふと和室を見て驚きました。洗濯物がたたんであったのです。出典 : 驚きつつも、嬉しくてつい聞きました。私「洗濯物、誰がやってくれたの?」息子「ボクだよ!」声をあげたのは息子。これには心底驚きました。たまに手伝いでやっても、とにかくブーブーと文句を言いながらやっていた息子が、自分からやったんですから。私「助かるよー!ありがとう!」心の底から出た言葉でした。その日の夕飯時、息子が嬉しそうに今日の出来事を報告し始め…出典 : 夕飯時に、息子が再度その話を掘り返しました。「ボクがたたんだの、スゴかったでしょ?!」褒められたい!頑張ったよ!そんな言葉が聞こえてくるような表情です。息子の成長になればという気持ちもあり、私は再度、助かったことを伝え、たたみ方の話などを持ち出し、本や相談機関から得た方法「より具体的に褒める」を実行しました。それに対し、喜ぶ息子。私も嬉しかった気持ちを「意識して」伝えました。するとそこへ割り込んで来たのは、夫の一言でした。「そろそろ、そのお話は終わりにしよう。」この言葉で振り向いた私の目に映ったのは、目に涙をいっぱいためた5歳の娘の姿でした。すぐに「しまった!!」と思いましたが、時すでに遅し。「私もたくさんお手伝いしてるのに、どうしてお兄ちゃんだけたくさん褒めるのぉぉぉーー!!」娘は泣きながら言いました。息子の障害を理由に、娘に我慢をさせてはいけない。わかってはいたけれど出典 : 娘の絞り出した言葉は、当然の言い分でした。自分からお手伝いをしてくれる回数は、娘の方が断然多いのです。洗濯物をよくたたんでくれるのも娘。たたみ方の上手さは同じだけど、むしろお片付けまで一緒にしてくれる事を考慮したら、私を助けてくれたのは、いつも娘でした。息子へは頭の片隅に「支援」があるので、褒めるのも意識して言葉を追加しています。でも、娘にはそこまでの配慮をしていなかった事が、この件でよくわかりました。健常のきょうだい児への配慮。これは、常に息子への支援で手一杯の私に、欠けていた部分でした。それでも気を付けていたつもりだったのに。娘へしわ寄せがいかないように、と思っていたのに。悩みは尽きない。けれど、工夫できることはきっとある出典 : 当事者への支援はそれだけでも大変なのに、2人以上子どもがいる家庭は、きょうだい児へのケアまで配慮しなくてはならない…。私たち親が、日々の支援で気を配らなくてはならないことは計り知れません。それはまるで、積んでも積んでも崩れる砂の山へ、根気よく砂を積むような日々です。いつか立派な砂山を目指して。今回の出来事でのせめてもの救いは、娘との関係が「理由や意図を伝えられる関係」だったことかもしれません。今後もその関係を続けていけることを意識し、娘のガス抜きができる時間を作っていく必要性を考えさせられました。
2016年10月24日医療は日進月歩。その進歩はニュースになりやすい一方で…出典 : 医療は日進月歩です。他の領域に比べて、新しい発見や新開発の治療法の情報がニュースになりやすいのは、医療領域の一つの特徴であると言えるでしょう。けれども本人やご家族は、その新しいニュースを見聞きする度に一喜一憂することになります。また、ニュースで報じられるような新しい治療法は、受けられる機関がとても限られています。本当に新しいニュースを追い続ける必要は果たしてあるのでしょうか。医療で採用される新しい診断法、治療法などは、とても慎重に、何度もその有効性と安全性が確かめられてから、一般的な医療機関に採用され、また日本では健康保険が適用され、安価に利用できるようになります。この数年でも発達障害に含まれる障害に対して、新しく正式に適応が承認されたお薬がいくつかあります。その一方で、ニュースになった多くの新しい発見や治療薬は、まだまだ開発のごく初期段階に留まっているものがほとんどです。その後の研究の中で、実はあまり有効ではないことがわかったり、思ったより安全ではなかったりすることがしばしばあります。自閉スペクトラム症の領域では、これまでにも数多くの薬剤が颯爽と登場しては消えていくという経過を繰り返しています。こうした新しい診断法や治療法に期待することは悪いことでありません。また新たな方法の開発を担当するような医療機関に通院している方には、ぜひその研究に協力していただいて、新しい支援の道を開くことを助けていただきたいという思いもあります。けれどもそれはむしろボランティア、社会貢献という位置づけです。残念ながら本人やご家族に利益をもたらすとは限らない、それが研究途上の新しい医学的手法なのです。サプリメントを使っても良い?判断の基準は安全性・コスト・併用可能性出典 : もう一つ、残念ながら現在の日本の状況では、医学による厳密な効果や安全性の検討を受けない、あるいはあえてそうした検討を避けて、宣伝されたり使われたりする物質や薬物も少なくありません。医師の処方箋を必要としない多くのサプリメントや薬物などが、発達障害への有効性を謳って、あるいはより巧妙にそれをほのめかして宣伝されていたりします。診察室でそうした物質を使ってみてもよいか、相談されることもしばしばあります。自分の場合にはこのようなとき、それがかなり安全であることがはっきりしていて、家計の負担になるほど高価ではなく、標準的な他の支援を受けることを妨げないのであれば、それを使ってみることを検討してもよいのではないか、とお伝えしています。このうち、安全であることを確かめるのは実はなかなかやっかいです。物質そのものは安全そうであっても、製造過程で混じり物がないかどうか、そもそも能書き通りの物質が含まれているのか、それを確かめるのはなかなか難しいことも多いのです。またこうした有効性と安全性の検証を経ていない治療法というのは、実はお薬に限りません。心理社会的介入と呼ばれるような薬物以外の様々な支援の中でも、しっかり研究が進められているものと、確からしい証拠がほとんど見つからないものが、世の中で入り混じっています。このときにも判断の原則は、安全性、価格や時間などのコスト、標準的な支援との併用可能性ということになります。貴重な時間やお金、気力や体力を上手に使っていくためにも、筋のよい情報を収集することが必要ですね。迷ったときは、主治医に相談を。これからも上手に医療と付き合って出典 : 全ての医師がこうした、標準的な医療以外の支援に詳しいわけではありませんが、迷ったときに主治医に相談してみるのは、悪くないかもしれません。そして主治医がまったくそれを知らなかったら…、それはその方法についてほとんど研究が進んでいない証拠かもしれません。さてここまで10回の連載では、医療による支援そのものの詳しい説明ではなく、どのようなスタンスで医療とつきあってゆくと物事がうまく進みやすいのか、できる限り踏み込んで書いてみました。実は自分のスタンスは必ずしも平均的な医師とは重ならないところもあるかもしれず、そこはたいへん申し訳ないのですが、皆様の今後の医療サービスの利用に際して、少しでもご参考にしていただけたらとても嬉しく思います。
2016年10月21日お着替えが苦手な長男、彼の気持ちを動かしたのは・・・Upload By モンズースーUpload By モンズースー私は以前、シンプルな服が好きだったので、キャラクターが大きく書かれた派手な子供服が苦手でした。ベビー用品などに使われるキャラものも苦手でしたが、人から頂いたり、お下がりを着せたりするうちに、少しづつ抵抗がなくなってきました。あるとき、なかなか好きになれないお着替えに興味を持ってもらおうと、長男のために私が戦隊ヒーローのインナーを買ってきて見せたところ、すごくいい笑顔で大喜びしてくれたのでした。そして、その服を着たときはとても機嫌がよく、普段は苦手なことも頑張れるようになったのです。次男も保育園へ行く時、好きなキャラの付いた靴やタオルを持っていくと、少し落ち着けるようでした。今まで苦手だったけれど、あの笑顔を見たくて、今ではよく子ども達の好きなキャラクターのものを買っています。
2016年10月21日自傷、噛みつき、頭突き…発達障害とも関係が深い「強度行動障害」とは?出典 : 「強度行動障害」という言葉をご存知でしょうか。強度行動障害は厳密には医学用語ではなく、知的障害がある人に、他害、自傷、著しい反復的な行動や睡眠障害などが現れて来る場合に用いられる、行政・福祉の用語です。最初にこれが定義された際には、「精神科的な診断として定義される群とは異なり、直接的他害(噛み付き、頭突き等)や、間接的他害(睡眠の乱れ、同一性の保持等)、自傷行為等が通常考えられない頻度と形式で出現し、その養育環境では著しい処遇の困難な者であり、行動的に定義される群」であり「家庭にあって通常の育て方をし、かなりの養育努力があっても著しい処遇困難が持続している状態」とされていました(1989年行動障害児者研究会)。どんな状態の子ども達、大人達なのか、なんとなくイメージができたでしょうか。そしてこうした行動の障害を示す人では、その背景に知的障害だけではなく、自閉スペクトラム症を持っている場合がとても多いこともわかっています。こうした強い行動上の障害は、元来の障害の特性を背景として、育っていく環境との間に大きな不適合が生じ、それに対して、どうしても上手くいかない方法、長く続けてはいけない方法が身についてしまった場合に起こってくると言われています。例えば、・不快な音に対して自分の頭を激しく叩いてそれを紛らわす・退屈な時に窓ガラスをバンバン叩いて楽しむ・大人の指示に従いたくないときに暴れて拒否をするなどのパターンです。ある意味でこの強度行動障害こそが、「二次障害」の一つの典型であると言えるでしょう。このように行動の障害が著しい場合には、家庭はもちろん、教育、福祉などの多くの領域の支援者が関わって、その対応を考える、また本人やご家族を支えていく方法や態勢を考えていくことになります。「強度行動障害」に対して、医療で出来ることは何か出典 : このようなときには、もちろん医療に期待が集まることも少なくありません。そしてご家族や支援者の気力や体力、時間に限界が近づくと、「もう家で、地域で、施設で暮らせないから、入院させよう」というアイデアも浮かんできます。入院すれば魔法のように行動障害がよくなって、落ち着いた状態で帰ってきて、しかもその後その状態が長く続くといった、ちょっと現実離れした期待をしてしまうこともあります。ではこの強度行動障害に対して、実際に医療は何ができるのでしょうか。強度行動障害の本質は、先に述べたように、本人の特性と環境との不適合、そしてそれを補うために誤って学習された行動のパターンです。このように考えていくと、実は医療で出来ることはそれほど多くないことがわかります。知的障害があり、強い行動障害のある患者さんが入院する場合、ごく一部の専門病床を持つ病院などを除けば、ほとんどの総合病院や精神科病院の場合には、外から鍵をかけた個室に入っていただくことになります。激しい他害や自傷がある場合には、身体拘束といって、手足をベルトなどでベッドに固定したりすることも少なくありません。こうした対応は、緊急時に本人と周囲の人の安全を守るための手段としては、やむを得ない場合があります。興奮が激しく、このままでは自宅で安全に暮らせないという状況で、家族や支援者がそれに対応する時間と気力と体力の余裕を取り戻すために、一時的に入院を選択することは充分にありえます。逆に病院は、施錠や身体拘束という方法を法的に許されているために、慣れていない患者さんが急に入院してきた場合でも、本人や周囲の人の安全を比較的守りやすいのです。しかし、このような対応を長く続けることは、本人がその特殊な状況に合わせた、更にうまくいかない方法を身に付けてしまう結果に繋がることがあります。本人にとっても辛い状況であることも多いので、退院した後、行動の問題が悪化することも少なくありません。また入院が長期化すると、地域の支援体制はだんだんと手薄になって、時間が経てば経つほど、地域に戻りにくくなってしまうこともあります。そして行動を制限された入院の環境は、本人の誤った学習、うまく行かない行動のパターンを変えていく、別のやり方を模索していくためには、とても不利な状況でもあるのです。更に言えば、こうした行動障害に対しては、第7回の記事で触れたように、お薬が使われることがあります。しかし行動を強く制限された状態では、お薬の量の調整がうまくいきません。施錠、身体拘束の状態では行動の観察ができず、どの程度のお薬の量が適当なのか、知る手立てが限られてしまいます。また病院と家庭では全く環境が違うので、入院中に適当であったお薬の量が退院後にもちょうど良いかどうか、帰ってみないとわからないということになります。医療を上手に活用して、本人も周囲の人も無理のない生活を出典 : 結局、強度行動障害に対して、一般的な医療機関ができることは、外来の薬物療法によって一部の行動の問題を和らげること、特に「易刺激性」が関わっている場合に、本人や支援者が対処しやすくなるように、少しそれを緩和することが一つです。入院については、急性期の対応、家族や支援者が対応の余裕を稼ぐために一時的に避難するのが上手な使い方です。また地域の支援体制ができていても、どうしても家族や支援者に疲れがたまってきてしまうという場合、家族や支援者、時には本人の休息の目的で病棟を使うこともあってもよいかもしれません。そしてとても大切なことは、医療が関わり始めたとしても、地域の支援体制を解除しないということです。行動障害のある人は、正しい手順が踏まれていれば、地域の支援力が総動員されているはずです。それでも足りないから医療もそこに加わる。けれどもそれは足りないから足しているわけであって、医療が出てきたからといって、他の領域の支援者が手を引いてもよいということにはならないのです。このような医療の限界がよくわかっているからこそ、厚生労働省は平成25年から、福祉領域の従事者を対象に、「強度行動障害支援者養成研修」を始めました。対応の主軸が地域の生活と、その中での再学習、環境の調整であることが明らかであるからです。強度行動障害に関して、医療は「最後の砦」ではありません。むしろ必要がありそうなら追い詰められる手前の、できるだけ早い時期から医療をチームに加えていただくこと、医療を支援の一つのパーツとして組み込むことで、無理なく地域での生活を続け、できるだけ早く、本人も周囲の人も苦しまない暮らし方を再獲得していくことが必要なのです。
2016年10月19日もうすぐ運動会シーズン。ふとリレーの順番表が目に留まり…出典 : 運動会を間近に控えた、長男の保育園での出来事です。いつもより早くお迎えに行った日、誰もいない教室をふと覗くと、そこにはリレーやかけっこの順番表が貼り出されていました。その順番表を見て思わず嬉しくて、涙が溢れました。順番表に長男の名前が「あった」からです。これまで受けたことのない対応につい感動出典 : 私は順番表に名前があったことが嬉しくて、保育園の先生に伝えました。私「長男もリレーに出られるんですねー!嬉しいです。」先生「あたりまえじゃないですか。みんなで参加する行事ですから。」私「実は、去年通っていた幼稚園では、出ないで欲しいと言われたんですよ。だから嬉しくて正直驚いています。」これまで、園の先生とここまで話せたことはありませんでした。その後も先生は、長男のために「環境に慣れるためにも積極的に運動会の練習に参加してください」と言ってくれました。私はこうした園の対応がとても嬉しく、感動していました。もう終わったことと思っていた、以前の幼稚園での出来事出典 : 以前、コラムにも書いたことがありますが、発達障害のある長男は以前通っていた幼稚園で「かけっこに出ないでください」と言われたことがあります。それでも私の意地で出場させた結果、長男の尊厳を傷つける結果になったのでした。結局その幼稚園はやめてしまったのです。現在長男は、別の保育園に通っています。あのときの出来事は「絶対におかしいことだ」とは未だに思いますが、それでも私なりには「仕方がなかった」と消化したつもりでいました。しかし、名前のある順番表を見て涙するなんて、心の中ではずっと消化されないままだったようです。運動会が近付くにつれ、「かけっこはゴールできないだろうから出してもらえないかもしれない」「リレーに出ると迷惑がかかるから、出してもらえないかもしれない」そんな気持ちがあったからこそ、順番表を見るときには息苦しくなるほどに緊張をしましたし、名前があったことに感動し、感謝し、涙が溢れたのだと思います。障害児をもつ私たち親が、気付かずに受け入れている悲しい現実出典 : 本来ならば「クラスに在籍しているのだから出場して当たり前」な運動会。しかし私は、これまで何度も園から断られ、「息子の障害のせいでイベントに参加できない」ことに、すっかり慣れてしまっていたことに気付きました。例えば、健常のお子さんが「足が遅いので、リレーには出ないでください」と言われたらどうでしょう。きっと学校や地域を巻き込んだ大問題になるのではないでしょうか。しかし、障害のある子どもやその保護者は、「周りのために遠慮する」ということを当然のように強いられ、私たち親も無意識のうちにそれを受け入れ、生活していることが多いように思います。これは果たして社会の望ましい姿なのでしょうか?障害者という理由で、奪われて当然なものなんてあるのだろうか?出典 : 園に断られたイベントは、他にこんなものがありました。入園式お誕生日会かけっこ園外学習…これらは全て、子どもの発達障害が理由で参加できなかった数々です。思い返せばもっともっと浮かんでくるでしょう。そして、きっとこれから就学すれば、もっともっと分け隔てられて、手の届きそうな「普通」さえも、我慢しなくてはならないのかと思うと、とても切ない気持ちでいっぱいです。子どもがいつか大きくなったとき、「皆が当たり前に過ごしてきたことを、自分は経験してこなかった」と、辛い思いをしないかどうか、私は気がかりなのです。解決方法は1つだけじゃないはず。全ては参加できなくても、「工夫」できる社会に出典 : 発達障害のある子どもたちも、それぞれの速度でそれぞれの形で成長していきます。彼らもいつか大人になるのです。過去を振り返ったときに、さまざまな園や学校のイベントを、「障害」を理由に勝手に奪われていたとしたら、どんな気持ちになるのでしょうか。たくさんの選択肢の中から、何を選べば正解、というものは無いのかもしれません。ただ、周りが少し工夫すれば経験できたことも、きっとあると思うのです。さまざまな可能性を前にして、「ただ取り上げる」だけで解決することは、もうやめにして欲しい。親として、心から訴えたいと思うのです。
2016年10月18日発達障害の「二次障害」って?その原因は?出典 : 発達障害について考えるとき「二次障害」について考えることは避けて通れません。ただ、この「二次障害」という言葉は誤解も産みがちです。このために自分は必ず括弧をつけて使うようにしています。「二次障害」には実は学術的な定義がなく、使う人によって含まれるものが異なります。さらには、「二次災害」「随伴症状」「併存症」など似たような意味で様々な言葉が使われています。また「二次障害」であるからといって、必ずしも経験や環境のみがその原因、誘因となっているとは限りません。最近では発達障害のある人は、生まれつき様々な精神疾患にかかるリスクが高いことがわかってきました。またある共通の要因が発達障害のリスクも、他の精神疾患のリスクもともに高めることがあることもわかってきています。このため「二次障害」の全てを経験や環境のせいだけにすることはできず、生まれつきの要因がかなり大きな役割を果たしている「二次障害」もあると考えるのが合理的です。もちろん、適切な見立てと対応、環境の調整を根気よく行っていくことで、「二次障害」のリスクを減らしたり、何よりも「二次障害」が起こってきたときに、それに対処できる力を身に付けていったりすることは可能になると考えておくのがよいと思います。「二次障害」をめぐる医療の現状出典 : 様々な二次障害、併存症の中には、統合失調症スペクトラム障害や双極性障害、うつ病、不安症などのように、医療による対応によって、改善が期待しやすいものが少なくありません。こうした疾患に対する治療法はかなり研究が進んでおり、ある程度有効な方法が確立しています。しかし残念なことに、発達障害が背景にある場合、どのようにその治療法をアレンジしていくべきか、特性にあわせて変更していくべきか、ということについては、まだまだ充分な研究がなされていないのが現状でもあります。主治医とよく相談しながら、障害の特性、またその人の置かれた状況に合わせて、実際の治療を進めていくことになります。思考や行動のパターンを、医療の力だけで変えることは難しい出典 : 一方で、医療が苦手にしているのは、狭い意味での疾患、病名がつかない「二次障害」です。自閉スペクトラム症の人達は、その生い立ちの中で「大人が用意した課題に挑戦すると、いつも失敗する」と信じ込んでしまったり、「人と関わると嫌なことが起こる」と学んでしまったり、「人に依頼しても助けてもらえない」経験を積み重ねてしまったりすることがあります。こうした経験を通じて身に付けた思考や行動のパターンを変えることは、医療だけの取り組みでは極めて困難です。また注意欠如多動症を持つ人達に最も学んで欲しくないのは、「待っていてもいいことはない」という考え方です。もともと「報酬を待つ」ということが多数派の子どもよりも苦手に生まれついているのがADHDの子どもたちなのですが、「待っていても退屈だった」「待ちきれなくて怒られた」「課題の達成を待ちきれなくて、諦めてしまった、失敗した」という経験を積み重ねると、どんどん待つことが苦手になってきます。そのとき子ども達は、将来に向けて投資をすることが難しくなってきます。遠い将来の手応えを期待して今を頑張る、ということがどんどん信じられなくなっていくのです。このとき彼らの求めるものはどんどん刹那的になってきます。今の楽しみやスリルをどうしても優先したくなります。それは時にはアルコールや違法薬物の使用につながって、そのために医療を必要とすることが出てきてしまいます。発達障害の「二次障害」に対して、医療ができること出典 : こうした疾患ではない「二次障害」に対して、医療が単独でできることは限られます。しかし状態の悪い方に対して、それでも途切れずにつきあい続けるということは、医療が比較的得意な支援です。また必要に応じてお薬を使ってその時の苦痛を少し和らげることもできる場合があります。誤った学習を解きほぐしていくための、日常生活の中での支援と経験の積み重ねと併せて、医療の支援を活用することも必要な場合が多いでしょう。また、医療のもう一つの役割は「二次障害」の予防でもあります。前回お薬についての記事のなかで、薬を使うことを考えるのは「嫌いなもの・ことが増えているとき」と書いたのは、そのためでもあります。正しい見立てと、適切な日常的な支援、どうしても必要な場合のお薬は、「二次障害」の軽減、予防に役立つと信じたいところです。
2016年10月17日発達障害の治療、お薬はどんなときに使われる?出典 : 発達障害に対してお薬が使われるとき、それは全て対症療法として投与されます。対症療法とは症状を和らげることが目的の治療で、根治、つまり障害を治すための治療でありません。残念ながら現在の医学の水準では、発達障害を根治する治療はありません。ただ、適切なタイミングと種類、量のお薬を使うことで、その症状を緩和できる場合があります。どんな症状に対してお薬が使われるの?出典 : では主にどんな症状に対して、お薬が使われるのでしょうか。自閉スペクトラム症の場合には最も効果が確かめられているのは、その易刺激性、つまり刺激に対して反応しすぎる状態に対する投薬です。日本でもいくつかの抗精神病薬が、厚生労働省からその適応を正式に承認されています。こうしたお薬は自傷や他害といった攻撃的な行動がある際に用いられますが、その効き目の見極めには大事なポイントがあります。易刺激性に基づく攻撃的な行動、例えば嫌いな音を聞いた後のパニックやイライラする状況から逃れるために人を突き飛ばすなどの行動には、ある程度効果が期待できることがあります。一方で、遊びの目的、つまり「窓ガラスを叩くといい音がして楽しいから」とか、コミュニケーションや交渉の目的で「冷蔵庫を開けさせるために家族を叩く」とかの行動には、お薬の効果は期待しにくいのです。ここを上手く見極めて使わないと、無効なお薬を飲むことになったり、大量にお薬を使って、効果よりむしろ副作用が問題になったりすることが起こってきます。結局はお薬を使う場合にも、その標的となる行動の分析が必ず必要となるのです。著しい反復的な行動に対してもお薬が使われることがありますが、この場合もその背景が重要になります。遊びの性格が強い反復的な行動にはお薬はほとんど効果がありません。もしこれを薬で止めようとすると、大量のお薬を使って、眠くてだるくて遊ぶ元気もないという状態を作ることになってしまいます。一方で不安や強迫といった、「やらないと心配」「やらないと落ち着かない」からやむを得ずやっているという、繰り返しの行動には時にはお薬が有効な場合があります。その他、睡眠の障害やカタトニアなどの症状に対して、それぞれの状況にあったお薬が使われることがあります。これらの場合にも有効な場合とそうでない場合の見極めが必要ですので、主治医にご相談いただくとよいでしょう。また注意欠如多動症(ADHD)に対しても、お薬が使われることがあります。実はADHDの治療薬は、あらゆる精神科のお薬の中でも一番効き目が確かなお薬の一つです。投与するとかなり高い割合で効果を発揮します。しかしこれも対症療法に留まり、一方で副作用もしっかりあるので、使いどころを見極める必要があります。どんなときに「薬を使う」という決断をすれば良い?出典 : さてそれでは、どんなときにお薬を使うことを考えればよいのでしょうか。発達障害そのものへの投薬は常に対症療法であるため、発達障害があること、それだけでは投薬の対象にはなりません。必要な対応や環境の調整をして、それでも本人の苦しさが続くとき、またいろいろな対策を講じていてもどんどん環境との不適合が増しているときは、お薬をつかうことを考えても良いでしょう。自分の場合には、「人生の中で嫌いなもの・ことがどんどん増えているとき」というのを一つの基準にしています。またお薬以外の方法をとることがそもそも難しい場合も、投薬を考えることになります。家庭の状況に全く余力がないとき、家族に他の危機が訪れているときなどには、時期を限ってお薬を使うこともあります。もう一つ、これは発達障害に対する投薬ではありませんが、併存する他の精神疾患がある場合には、当然その治療薬を使うことになります。また最も大切で難しいのはお薬のやめどきです。これについては、常に止めることを考えながらお薬を使う、というのがおそらく正解であると思います。減薬や中止のチャンスを常にうかがっていないと漫然とお薬を使うことになってしまいます。・標的となっていた症状が改善してきたとき・環境との不適合が小さくなってきたと感じられるとき・他の支援がうまく回り始めたときなどが、お薬を減らす・止めるチャンスです。ただし急な中止や減量によって逆に有害な症状を来すお薬があるので、減量、中止の際には必ず医師と相談してください。
2016年10月14日話せない子でも大丈夫。サインで意思を伝えるコミュニケーション方法Upload By モンズースーマカトン法は、言語やコミュニケーションに問題のある子どものために、英国で開発され、世界の40ケ国で使われている言語指導法です。マカトン法によって、言語理解、音声表出、コミュニケーション意欲の向上がうながされます。理解言語にくらべて表出言語に問題のある場合には特に効果的です。 By モンズースー長男の通っている支援の幼稚園や、見学に行った支援学校では、簡単な手話のようなサインをよく使っていました。言葉が出ない子や遅い子でも、このジェスチャーを使って、コミュニケーションをとっていました。マカトン(マカトン法)というのは、ことばや精神の発達に遅れのある人の対話のために、イギリスで考案された手話法をルーツにしたコミュニケーション法です。手話よりシンプルなサインで伝えるもののようですが、幼児や手先が器用でない子には難しいサインもあるようで、学校のオリジナルや家庭のオリジナルのサインもあると聞きました。Upload By モンズースー絵カード(会話が難しい人のための、コミュニケーションツールの1つ)も、気持ちを伝える方法の1つですよね。思い返せば、言葉が遅かった長男が言語療法を受け始めた頃、私は話せるようになって欲しいとばかり考えていたのですが、長男には話すより、見て理解する合図の方が習得しやすかったようです。なかなか言葉が出ない長男でしたが、1度言語療法を受けただけで、習ったばかりの合図を家でも使っていました。このことがきっかけで、伝えることが楽しくなったのか、少しずつ言葉が増え、自分の意思を伝えようとすることも増えていきました。後から聞いたら、この合図も手話やマカトンではなく、療育先のオリジナルでした。言葉以外のコミュニケーション方法もあるのですね。その子によって1番使いやすい方法は違うかもしれませんし、成長によってその方法は変わっていくかもしれません。でも、まずは親子など、身近な人とのコミュニケーションで、本人が分かりやすいサインを決めて使うのも、1つの方法なのかな・・・と思いました。絵カードについて教えてください
2016年10月14日発達障害であることを公表した栗原類さん、初の自叙伝の見どころを紹介!出典 : 今月10月6日に、モデルの栗原類さんの自叙伝である『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』が発売されました。最近はモデルとしてだけでなく俳優としても活躍する栗原類さんは、昨年5月に自身が発達障害(ADD)の診断を受けていることを公表しました。今回の自叙伝はそんな類さんが自分自身について振り返り、これからの夢を語る1冊となっています。ミステリアスな雰囲気を醸し出している類さんは、日々の生活で何を感じ、何を思い、何を考えているのでしょうか。著書に収められている、母親である栗原泉さんや主治医である高橋猛さんによる類さんの幼少期の振り返り、友人である又吉直樹さんとの対談からは、栗原類さんが「輝ける場所」を見つけるまで支え続けた人の存在がうかがえます。「発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由」 著: 栗原類「ネガティブすぎるモデル」でブレイクした栗原類さん。本当はどんな人?出典 : 筆者・栗原類さんは1994年生まれの21歳。日本人の母親である栗原泉さんと、イギリス人の父親との間に生まれ、ニューヨークと日本を行き来しながら育てられました。小さいころから忘れ物が多く、注意力が散漫であった筆者は、8歳のときにアメリカのニューヨーク市で発達障害の一つである注意欠陥障害(ADD)との診断を受けます。ADDとは、attention-deficit disorder の略で、注意力の低さや集中力の短さなどの症状を一つの障害としてみなしたものです。現在ではADHDとして診断されるこの障害ですが、他の人からは「障害がある」ことは一見すると分かりません。例えば、類さんの障害の特性には以下のようなものがあります。・ついさっき言われたことが数分後に思い出せなくなってしまう・人の表情などから相手の気持ちを読み取ることが苦手・うれしい気持ちや楽しい気持ちを表情にすることが苦手こういった特性のために、人とのコミュニケ―ションがうまくいかない場面もあり、少年時代はいじめに悩まされたり、不登校になったりと、「生きづらさ」を感じることもあったそうです。自分なりに努力を続け、発達障害と向き合ってきた類さん出典 : ご自身の障害に苦労することもあった類さんですが、著書の中では発達障害を「脳のクセ」と表現しています。自分の脳のクセに気づいて、環境を整え、改善する訓練をすることが、「生きづらさ」の解消につながると語ります。作品中では自分の障害に向き合うために、日々努力を続ける姿が印象的です。例えば、忘れっぽさや集中力の低さに対しては、事前に周りの人に自分のクセを伝えることで協力を依頼する。嬉しい・楽しいという気持ちを抱いたときは、表情で伝えられない分、人よりも丁寧な言葉や行動で気持ちを伝える。類さんは、「忘れっぽい」「感情が表情に出にくい」という「脳のクセ」を無理やり直そうとするのではなく、そのクセが相手を傷つけないように工夫をしたり、自分ができそうな行動に代替することで、自身の障害に対して向き合ったのです。同じ発達障害の診断を受けた母・泉さんが、子育ての中で忘れなかったこと出典 : 類さんがこのように自身の特性に気づき、障害に向き合っていくためには、周りの人からのサポートが欠かせませんでした。特に、母親である栗原泉さんは、今でも類さんにとって大きな支えとなる存在です。泉さんは、類さんと同じように発達障害の診断を受けています。しかし泉さんは、同じ診断があっても、類さんのことを「自分とは違う個性を持った人間」と考え、その個性を常に尊重・尊敬することを忘れないようにしていました。その一方で、類さんにとって必要なサポートをすることは惜しみませんでした。周りに過保護すぎると言われることもあるそうですが、泉さんは力強くこう語ります。「他のみんながこうしているからとか、普通ならこうだからという尺度ではなく、自分の頭で考えて、自分の子どもにとって、必要なものは何なのかを選択している。」泉さんの存在があったからこそ、類さんは自分の輝ける場所に辿りつき、今でも苦手なことに向き合う努力をし続けることができているのでしょう。類さん自身も、「注意してくれたりアシストしてくれる人がいることで、その人の環境は大幅に違うはずです。それは過去、現在、未来、全てに影響します。」と、サポートしてくれる人がいることの大切さを語っています。周りの人や環境との関わりによって障害のあり方は変わってくるのです。あきらめず、成長する努力を続ければ、誰でも「輝く場所」を見つけられる出典 : 発達障害の特性とうまく付き合いながら、類さんのように活躍できる人は、稀なのでは?と思われる方もいるかもしれません。しかし、類さんはこう語ります。「人は、発達障害であろうとなかろうと、『その人が輝くための場所』さえ見つけることができれば、そしてあきらめず、その人なりの時間軸で成長すれば。誰もが必ず輝くことができるのだと思います。」決して諦めることなく、自分のペースで努力を続け、今の「輝くための場所」に辿り着いた類さんの言葉は、これからもたくさんの人を励まし続けるでしょう。
2016年10月13日「私が子どもの頃はそんなことなかった」あまりに違う息子のことが理解できず…出典 : 教室を立ち歩く(私はやらなかった)揶揄されてカッとなって手を出してしまう(私にはなかった)テストのときに集中力が途切れて解かずに終えてしまう(私は途切れる前に解き終えて問題になることはなかった)自分には経験のなかった彼の特性ゆえの言動に戸惑い、対処に困り、自分はそんなことしなかったのに…と過去を振り返る。比べてはいけないと頭ではわかっているのに、過去の自分と現在の彼を、心の中でつい比べてしまう。発達障害のある次男を育てていると、そんなことがよくあります。もちろん、言葉に出してしまえば彼を傷つけるのはわかってる。でも、私自身が精神的に辛いときなど、余裕がなくなるとつい、心の底の方で周りや自分と彼を比べて、「あれもできない、これもできない」という目で次男を見てしまいそうになる。そんな自分が母親でいいのかと、怖くなることもありました。栗原類さんの母、泉さんの経験に自分を重ねる出典 : 今回読んだ栗原類さんの新著『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』では、私が抱えていたまさにその、母が息子と自分を比べてしまう困難についての経験が書かれていました。栗原類さんの手記のあとに添えられていた、母の泉さんの手記。アメリカで類さんが診断を受けるときに、ご自身の発達障害についても示唆され、その特性の違いにより自分と比べてしまう困難が起こっているだろうことについても指摘を受け、接し方について教育委員会から助言を得たエピソードがありました。教育委員会での会議で「(略)あなたは自分が子どもの頃、何の苦労もなくできたことが、どうして息子さんにはできないんだろうと理解できないかもしれない。不思議でしょうがないでしょうね。だけどそう思ったときは、子どもの頃に自分ができなかったことをたくさん思い浮かべてください。そして、自分ができなかったことで息子さんができていることを、ひとつでも多く見つけてあげてください。そうすれば『なんでこんなこともできないの?』という気持ちがしずまり、子どもを褒めてあげられるようになります」と言われました。---発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)KADOKAWA本文より引用「過去の自分なら出来たことと、子どもが出来ないことを比べない」ここまでは私も頭には入っていましたが、「子どもには出来ていて、過去の自分は出来なかったことと比べる」という視点に、目からウロコが落ちる思いがしました。「比べてはいけない」んじゃない、「彼の良い所と比べればいい」んだ!息子に出来ること、私に出来ないこと出典 : 振り返ってみると、私自身にも「出来ないこと」はたくさんありました。たとえば私は方向音痴で、初めて行く場所にはスマホのナビが欠かせません。2度目以降の場所でも入る道を1本間違えれば自分がどこにいるのかわからなくなったり、どっちの方角に向かえばよいか分からなくなることもあり、小さい頃からよく道に迷う子でした。対して次男は、1度行った場所は経路の風景から現地の様子までしっかり記憶する力があり、まず道には迷いません。以前来た時と逆方向から入った商店街で私が迷っているときに、「この先にこれとあれがあって、何個めの角で曲がれば着くよ」と案内してくれたこともありました。小さい頃の私は極度の人見知りで、小学生になっても近所のよく会う人にも挨拶ができず母の後ろに隠れていた記憶があります。今ではそんな片鱗は見せないのでこの話をすると周囲から意外だと言われますが、小学校低学年の頃までは顔を知っていても周りの大人と話すのを避けていました。そんな私の子供なのに、次男は小さい頃から人見知りをせず登下校のときにも元気に挨拶をします。畑仕事をするおばあちゃんたちに挨拶をして世間話をし、ほりたてのジャガイモを袋一杯抱えて帰って来たりすることも。屈託なく話す様子が可愛いと近所のおばあちゃんたちの人気者です。今までは、私が出来て彼が苦手なことばかり目についていました。けれど、改めてゆっくり考えてみたら、私が苦手だけど彼が得意なことだって、たくさんあるのです。出典 : このことに気づいたとき、障害のある子たちの保護者が集まる座談会で、司会者さんから言われたある一言を思い出しました。「お子さんの良いところを話してください」保護者の集まりは、ついつい子どもの問題行動やその対処法ばかりが中心になりがちです。だけどその日は、司会者の方の投げかけにつられて、一人、また一人と参加者が子どものいいところを話し始めたのです。「うちの子はとても優しくて、自分が疲れていると気にかけてくれるんです」「お友達がお休みしたときに心配して、お手紙を書いていたことがあったわ」「そういえば、いつも家の手伝いをよくしてくれます」お子さんの良いところを話す皆さんに続いて私も、次男のことを話しました。思いついたのは前述したような、自分が苦手だったけど次男がラクラクとこなすことばかりで。順番に我が子の良いところを話していき、最後に司会者さんがおっしゃいました。「その顔を、お子さんに見せてあげて」ハッとしました。自分の顔の筋肉が緩んでいるのを感じたからです。見回すと周りのお母さんたちの顔も本当に柔らかい、自然な笑顔でした。凸凹な親子が一緒に生きるためにも、親自身が自分を見つめること出典 : 栗原さんの手記の中で母の泉さんが繰り返し書かれていたのが、いかに親である自分自身が良い状態を保つかということ。発達障害児の育児は健常児の何倍も負担が大きい。泉さんご自身も、ご実家や担当医をはじめとした周囲の方の協力を得ながら自分自身のメンテナンスをこころがけ、類さんに対して良い状態で接することができるような自己管理をされている様子が紹介されていました。"子育てはロングラン。短距離走のように瞬間的に力を発揮しても、あとが続きません。"(本文より)力を入れ過ぎず抜き過ぎず、自分たちのペースで。私と次男それぞれのペースで。子どもが自分にちょうどいいタイミングで親から巣立って行くその日までを、一緒に走り抜くためにはどうしたらいいのか。栗原さん親子のこれまでが綴られたこの手記には、そのためのヒントが詰まっていたように思います。もちろん、私は私で、泉さんとは別の人間です。泉さんが類さんにしてきたことと同じことを次男に与えることは、多分できない。けれど、次男と他の3人の子たちそれぞれにとって、彼らの人生に並走するパートナーとしての親のあり方を改めて考えるきっかけを与えてもらえた、そんな1冊との出会いでした。発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)KADOKAWA出典 :
2016年10月13日発達障害のある子どもの保護者たちが始めた、署名キャンペーン先日、発達障害児童のための専門的な教員を増やすための、文部科学省に向けた署名キャンペーンがインターネット上でスタートしました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)「change.org」署名キャンペーン: 発達障害の子どもの個性に合った教育を!学校現場で専門の知識を持った先生を増やしてください!発達障害の小学校6年生の男の子を持つ親です。小学校入学時からずっと、発達障害児向けの通級指導のクラスに入れず、4年間「待機児童」となっていました。他に優先すべきお子さんが沢山いて空きがないと言われ続け、この2年間は申し込みすら諦めました。仕方なく通常学級のみに通わせていますが、周りのお子さんに興味はあるけどコミュニケーションの取り方が分からない我が子は、これまで沢山苦労してきました。1年生の時から待ち続けて、気付けば今年で小学校卒業です。このキャンペーンは、発達障害のあるお子さんのいるご家庭保護者の方々有志によって呼びかけられています。学習や行動面に困難がある子どもを個別にサポートする手段として、「通級」による取り出し授業も重要な選択肢の一つですが、このキャンペーンのエピソードのように、通級指導教室のニーズに対して空き枠や教員数が足りず、「待機児童」が発生している学校や地域も少なくありません。発達が気になる子どもたちの学びの機会を保障・拡充していくべく、「LITALICO発達ナビ」としてもこのキャンペーンを応援しています。このコラムでは、今回のキャンペーンの背景にある、障害や困難のある生徒児童を取り巻く状況と、学校教職員の配置・育成に関する政策動向をおさらいしてみます。通常学級で困難を抱える子どもたちへの支援を取り巻く現状出典 : 「6.5%」この数字に見覚えのある方、この数字が何を指すかご存知の方はおられますか。これは、通常学級の中で、知的発達に遅れはないものの学習・行動面で著しい困難を示す生徒の割合の推計です。2012年に文部科学省によって行われた、全国の小中学校の児童生徒約5万3千人の状況を対象にした調査結果で示されたもので、以来、発達障害のある子どもの教育・支援政策を議論する上での重要な前提指標となっています。調査では、①学習面(「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」)②行動面(「不注意」「多動性-衝動性」)③行動面(「対人関係やこだわり等」)の3点について質問紙が配布され、担任教員が学級の児童生徒の状況について回答しました。6.5%ということは、たとえば30人学級であれば、1クラスにつき約2名の子どもは、勉強や行動・コミュニケーションで大きな「困り」があり、なんらかの支援を必要としているということになります。こうした通常学級の子どもたちの困難を解消する手段として、「通級指導教室」という、自分の苦手なことに合わせた個別の支援・指導を受けられる少人数の教室が存在します。通級指導の対象となった子どもは、授業時間割の一部は通常学級を抜けて通級教室に通い、個別の支援・指導を受けることができます。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)ただし、通級指導教室は現状全ての小・中学校に設置されているわけではなく、通級がない学校で通級指導の対象となった子どもは、近隣の学校の通級教室に移動して授業を受けることになります。こうした事情もあり、2012の同調査でも、困難が大きいとされた6.5%のうち、「現在、通級による指導を受けていない」児童生徒は93.3%に上るという結果が出ています。さらに、これら「現在、通級指導を受けていない」児童生徒のうち97.4%は、「過去、通級による指導を受けたことがない」ということです。冒頭の署名キャンペーンにあるように、複数年にわたって通級待機状態にある子どもたちも決して少なくないと言えます。文部科学省初等中等教育局特別支援教育課, 「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」, 平成24年12月5日通級指導員を10年で10倍へ―文科省の予算要求とその実現可能性は?出典 : 次に、先日提出された、文科省による2017(平成29)年度概算要求を見てみましょう。文部科学省初等中等教育局, 「2017(平成29)年度概算要求」上に述べたような通常学級の子どもたちを取り巻く状況を受けて、通級指導に関わる教員の増加に注力した予算要求が提出されています。1) 教員対子ども比率が現在の13:1から10:1になるように、教員数を追加で10年間にわたって毎年890名増やすこと2) 増加教員を加配ではなく基礎定数化することの2つが大きな柱です。1つ目の増員目標ですが、これは、通級指導教員を今後10年で10倍に増やしていくという方針を示した数値です。少子化の進展により、日本の学校の児童生徒数全体は減少傾向にありますが、発達障害に対する認知の向上や、個別の支援を必要とする子どもたちの早期発見体制が整ったことなどもの要因もあり、通級指導の対象となる児童生徒は、この10年で約2.3倍に増加しました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)今後もこうした個別の支援に対するニーズは拡大していくと思われ、専門的な個別の支援・指導が行われる通級指導教員の増員が目指されています。次に、通級指導教員を「基礎定数化」するとはどういうことでしょうか。これまで、通級指導教員は、「加配定数」という扱いで、毎年の予算折衝ごとに人数が決められていました。これを、通級の対象児童生徒人数に応じて、教員の必要人数を機械的に算出する「基礎定数」枠に変更することで、安定的・計画的な教員採用・配置を出来るようにするという狙いのようです。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)一方、今回提出された予算要求については、財務省との間で考え方の相違があり、交渉は難航しているとの見方もあります。これに対して、財務省は、通級指導と日本語指導の教員定数を基礎定数に組み入れることには賛成しているものの、加配定数の増加は認めない考えです。少子化による児童生徒数減少で、放っておいても、これから基礎定数は減少していき、そのうえで加配定数の増加を認めなければ、教員数全体を大幅に削減できる……という狙いです。つまり両省は、基礎定数の変更までは同じ方針でも、その後の加配定数の扱いについては、まったく別の考え方を持っているわけです。---「ベネッセ教育情報サイト」, 小中学校の先生の数はどうなる「定数構想」めぐり攻防か, 2016/10/11公開, 2016/10/13最終アクセス通級指導教員を定常的に確保し増やしていくための予算が確保できるかどうかは、この秋の予算交渉が正念場となるようです。一人ひとりの個性を伸ばす教育を。市民の声を力に変えて出典 : 署名キャンペーン上では、「1日も早く専門的な知識をもった先生を、もっと多く、増やしてください。」という声が上げられています。また、署名に賛同した人たちの投稿コメントの中にも、発達障害のある子どもを持つご家族の体験談や、現場の教職員の方々の悩みの声が寄せられています。また、このキャンペーンは決して「発達障害児童」だけのためのものではないでしょう。診断の有無によらず、学習・行動面で個別の取り出し支援が必要・有効な子どもは多くいるなか、専門性の高い教職員を安定して確保・育成していくことは、全ての子どもたちの学びが保障される社会をつくるために、とても重要な施策であると思います。私たちは、発達障害の子ども一人一人が必要な個別支援を受けられるよう、専門の先生を増やすように国に求めます。この問題は、何も発達障害の子どもだけの問題ではありません。コミュニケーションが得意・苦手、足が早い・遅い、手先が器用・不器用など、子どもはみんな違います。一人ひとりの子どもたちが学校で自分の個性に合った教育を受けられる、そんな社会を私たちは望みます。子ども達はこの国の未来です。どうかこの問題が国に届くように、皆さんの力を貸してください。---「change.org」署名キャンペーン: 発達障害の子どもの個性に合った教育を!学校現場で専門の知識を持った先生を増やしてください!実際に、通級指導の担当教員をどれだけ確保できるかは、今後の文科省と財務省の間の予算交渉次第ですが、それによって、今後の教育環境の方向性が大きく決まってきます。来年度の予算交渉が本格化するこの時期に、署名キャンペーンを通して家族当事者や市民の声を伝えることは、重要なアピールとなります。今回の署名キャンペーンを、「LITALICO発達ナビ」としても応援したいと思います。この問題に関心を寄せ、賛同される方はぜひご署名をお寄せください。以下のページからオンラインで簡単に署名可能です。「change.org」署名キャンペーン: 発達障害の子どもの個性に合った教育を!学校現場で専門の知識を持った先生を増やしてください!
2016年10月13日発達障害児童の親が何よりも知りたいのは、子どもの将来のこと出典 : 発達障害の息子は6歳。その成長は一進一退を繰り返す日々です。今回は、栗原類さんの書籍『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を読んで、発達障害児を育てる親として、感じたこと、気付いたことを綴ってみたいと思います。幼い頃に発達障害(ADD)と診断を受けた栗原類さん。類さんが今こうしてご自分の障害を告白し、その生きざまを本にして綴ったことには、大きな意味があると私は思います。まず、私たち発達障害児の親は、毎日毎日が子どもへの支援や配慮に手いっぱいの状態です。肝心の「この先に何があるのか」「この子がどう育っていくのか」ということに対する将来像が全く見えていません。これは、発達障害児を育てている親同士で話すと、よく出てくる話です。発達障害児を育てていると、誰もが思うのです。「ロールモデルが欲しい」と。しかし、一般的に取り上げられる「発達障害の大人」のロールモデルといえば、人より秀でた才能があったり、その才能ゆえに幼い頃から特別だったような、いわゆる「天才型」の人が多いのです。実は、これは親にとって、何の励ましにもなりません。そんな特別な子どもはごく一部で、大抵の親は、「誰にでもできることがなかなかできるようにならない」という発達障害児の育児に、毎日くじけそうになりながらも、自分を励ましている状態ではないでしょうか。等身大のロールモデル、それが栗原類さんだった出典 : そこで彗星のように現れたのが、栗原類さんという存在でした。彼は、感覚過敏や強いこだわりといった、発達障害児独特の特性があったのはもちろんのこと、記憶力の弱さや人の感情の読み取りが苦手といった困難さを持ち、学校の勉強にもとても苦手意識がありました。中学生時代にはいじめに遭って不登校になり、高校受験も失敗、決して順風満帆とは言えない人生を送ってきています。この言い方は語弊があるかもしれませんが、私たち親から見ると、栗原類さんは「とても身近な発達障害児」であり、等身大の発達障害当事者であると言えます。この本の表題には「僕が輝ける場所をみつけられた理由」という言葉が入っています。「輝く」という言葉に、芸能人として、モデルとして、華々しい生活をしている類さんのイメージが湧くかもしれません。しかし、この本を読んでいるうちに、類さんは決して「輝ける場所」という言葉を、才能を生かして大活躍する華々しい場所、という意味で使っているわけではないことが分かります。類さんにとっての「輝ける場所」とは、できないことや苦手なことが沢山あっても、それを補い受け入れながら、好きなことを好きと言える安心できる居場所、そんな場所である気がします。そしてそれこそが、多くの発達障害児にとっての「輝ける場所」なのかもしれません。類さんを支えてきた存在、栗原泉さん。その子育てスタンスとは?出典 : 発達障害児は、よくある曖昧なルールや、空気を読み取るのがとても苦手です。普通の子どもであれば、いちいち口に出して注意せずとも習得してくれる社会的ルールのようなものを、発達障害児には、繰り返し伝えなければなりません。しかも、伝えたとしてもすぐに忘れます。次第に、毎日毎日ガミガミと注意を繰り返す自分が、嫌になってきます。本の中に登場する、栗原類さんのお母さん、栗原泉さん。彼女の強力な支援のもと、類さんは目の前に立ちはだかる数々の困難に、1つひとつ対処していきます。面白いことに、栗原泉さんも、決して特別なお母さんではありません。類さんの教育環境を考え、海外に移住するようなフットワークの軽さはありますが、言われたことをどんどん忘れていってしまう類さんに、何度も何度も同じことを畳みかける一面も描かれています。泉さんは「過保護と言われてもいい。子どもの幸せを優先する」というスタンスで育児をしています。発達障害児の親は、これを読んだらきっと、肩の力が抜けることでしょう。なぜなら私たち親は、いつも自分が過保護になり過ぎていないか?自問自答している状態だからです。手助けをしなければ、当たり前のことがなかなかできるようにならない、しかし、「自分の手助けが、いつかこの子の自立を阻むことになるかもしれない」、と手助けするたび罪悪感を感じる毎日。泉さんの「子どもが今幸せであることを大切にする」という割り切った姿勢は、子育てに葛藤を抱いていた私にとって、涙が出るほど有り難いものでした。子どもの得意なこと、好きなことを無理して探していない?出典 : また、泉さんは、発達障害児の世界観を形作るのは「好きなこと」である、と述べ、いろいろなことを体験させることの大切さを説いているものの、泉さんが類さんに体験させてきたことは決して、「特別な何か」ではないことが分かります。博物館や美術館に連れて行くでもいい、インターネットやゲームをさせるでもいい、テレビで一緒にコメディを見るでもいい、泉さんが類さんに体験させたのは、日常的にできる小さな楽しみでした。この本を読んで、発達障害児にとっての「好きなこと」を探すのは、もっと気楽な気持ちで取り組めばいいのだと分かってきます。発達障害児の親をしていると、なぜか「この子の好きなものは何?」「才能のありそうなものは何?」という質問を、周りから嫌というほどされるのです。この質問は、数学や芸術などの天才的な能力があることを、暗に子どもに期待しているものだと思います。これは、一部の天才的な才能のある発達障害者ばかりが取り沙汰されてきたことに原因があるように思います。他のことが全部苦手でも、1つとんでもなく長けている部分があるはずで、そこを伸ばせば良いじゃないかと。この質問をされるたびに、子どもの天才的な才能を見つけることのできない自分のダメさ加減と、特に飛び抜けたものがないように思える息子への情けなさが募るのです。等身大の泉さんの姿で気付かされる、私たち親が背負ってきた無言のプレッシャー出典 : しかし、ほとんどの発達障害児は、平凡な子どもたちです。いや、平凡なことすらも、普通の人よりも何倍もの努力をしないとできるようにならない子どもたちです。ですから、「特別な才能」をわざわざ探すこと自体が、子ども自身の本来の姿を見ていないように感じるのです。そうではなく、泉さんは、類さんが楽しい経験をすること、ちょっとでも好きだと言ったことをとても大切にしています。そして、そんな毎日の小さな「好き」が、やがて大きくなってからの類さんにとって宝物となります。しかし、泉さん自身は、類さんに好きなことを作らせるために躍起になっているわけでもなく、それを極めさせようとするわけでもなく、類さんの楽しいという気持ちを自然に尊重しています。この本で泉さんという等身大の母親の姿を目にして、私たち発達障害児の親は、子どもに対する目も、自分に対する目も、少し優しくなるのを感じるのです。環境は違っても、泉さん親子が取り組んできたことは、「特別なこと」じゃなかった出典 : この本を読むと、類さんが育ったアメリカという国の教育の包容力や、日本の教育とのシステムの違いがとても印象に残ります。ややもすれば、「アメリカで育ったから類さんは恵まれていたんじゃないか?」というようなことを考える人も少なからず出てくるのではないかと思います。けれども私は、類さんが「輝く場所をみつけられた理由」は、アメリカという環境で育ったことが全てだったとは思いません。類さんと泉さんの凄さは、困難にぶつかるたびにそれを分析し、それにいかに対処するかを冷静に考え続けてきたことだと思います。また、高橋先生という専門家に相談し、自己判断のみに頼らなかったことも重要なことだったと思います。そして、対処法についても、誰もが雰囲気やコミュニケーションの中で察してしまうような些細なことでも、泉さんはしっかりルール化していました。泉さんと類さんが、発達障害である自分と向き合うために日々やってきたことは、決して「何かすごいこと」ではないのです。それは本当に、小さな取組みの積み重ねでした。なぜ私たちは、子どもの成長を待てないのだろうか?出典 : 発達障害の特性を劇的に軽減する魔法なんて、残念ながらありません。けれども私たちは、結果が出るか出ないか分からないような小さな取組みを日々積み重ねることに辛くなってしまって、どうしても劇的に変わる何かを求めてしまいます。そこをグッとこらえ、20年、30年の長いスパンで子育てを見つめながら、今ここでできる小さな行動を積み重ねていく、それが今の「輝ける場所」にいる類さんを作ったのだと思います。泉さんは、「コツコツやることの大切さ」を類さんに教えたい、と言っていましたが、お2人の20年の生きざまこそが、まさに「コツコツやることの大切さ」を表していると思います。そしてそれは、先の見えない毎日をもがきながら歩き続ける、発達障害児とその親を、どれだけ励ますものであるか、想像に難くありません。栗原さんの体験談に、発達障害児を育てる親としてもらったもの出典 : 類さんがアメリカにいた当時、まだ日本では「発達障害」という言葉がそれほど認知されておらず、教育現場でただの問題児として扱われて育った人たちが沢山いました。類さんが1番辛かったという中学校時代は、まだ日本では発達障害に関する認識が薄かった頃かもしれません。そういう意味では、先をいっていたアメリカという国で幼少期をおくり、適切な支援を受けることができた類さんはとても貴重な体験をされたのではないかと思います。しかし最近になって、日本の教育現場でも発達障害についての認知が広まり始め、いろいろな体制が急速に変化してきていることを私は肌で感じています。私の息子が入学する予定の学校では、発達障害児の聴覚過敏に配慮し、運動会のピストルを音が小さいものに変えました。刺激に弱い子どもは、特別支援級のついたての中でテストを受けることもできます。別の学校では、特別支援級の授業にiPadを導入するようになりました。類さんが10年以上前にアメリカで受けていた特別支援教育が、ようやく日本にも少しずつ入ってきています。今この時代は、10年、20年前に辛い思いをして育った発達障害の子どもたちが築いてきたのだと思います。私はこの急速に変化していく過渡期の社会を、発達障害児の親として、しっかり見守っていこうと楽しみにしています。類さんの本は、そんな社会を生きる私たちに、生きるヒントをくれる貴重なものであったと思います。発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)KADOKAWA出典 :
2016年10月13日こんにちは、親子でADHD(注意欠陥・多動性障害)をやっています、ママライターの木村華子です。事の発端は今年の4月。年度始めの家庭訪問で担任から「療育センターで教育相談を受けてみては?」と勧められたのが始まりでした。それから今日に至るまで、検査や今後の支援・教育方法にまつわる相談を重ねています。そんなある日、ADHDの支援を受けようとする私たち親子のことを知った近所のママ友から声を掛けられました。要点をまとめると、それは以下のような意見です。・『療育センターを勧めるなんて、なんて失礼な担任だ!』・『私だったら、「うちの子の何を見て、そんなことを言うんですか!?」とキレると思う』・『木村さんちのお子さんは全然良い子!担任が間違っている。療育センターなんて行く必要はない』じつは、彼女のような意見は少数派ではありません。多くの親が、わが子の発達障害を受け入れられない心境に陥る といいます。今、この記事を読んでいただいている方の中にも、心あたりのある方がいらっしゃるかもしれませんね。しかし、実はその思考や姿勢が、子ども自身をさらに苦しめてしまうことをご存じでしょうか。今回は、発達障害を持つお子様のパパ・ママが現実を受け止めることの重要性についてお話しします。●「わが子に限って、そんなこと……!」親の姿勢が子どもを傷つけた悲劇3つ息子の教育相談を受ける中で、さまざまな方から両親の姿勢が子どもの支援を阻害してしまったというエピソードを耳にしました。以下に、「わが子に限って、そんなこと……!」と拒否してしまう心が招いた3つの悲劇を紹介します。●(1)療育センターを勧められたのが納得できなくて……!『知り合いの息子は療育センターを勧められたけど、ママは納得していなかった。学校から提出を求められた教育相談の申込書に子どもの能力についてのアンケートがあったが、“障がい者”になってしまうのが怖くて、本当はできないことも「できる」と回答。その結果、支援は不要だと判断され、息子には何の改善策も取られなかった 。支援も無く、能力に見合わない教育を受ける息子は学校の勉強からどんどん取り残されていった』(Sさん/30代・主婦からのエピソード)●(2)パパの理解が得られないため、家庭のムードが険悪に『同級生に、発達障害があるお子さんがいた。ママは比較的早くに娘の状況を飲み込んでいた。問題点を理解したうえで、受けられる支援や教育方法の改善を前向きに学んでいたようだけど……。パパがそうも行かなかったみたい。ママが「こういう支援があるみたいだから、考えてみよう」と提案しても、「そんなもの必要ない!あの子は普通!甘やかしたら、それこそ将来ろくでなしになるぞ!」などなど、理解ゼロな発言でママを罵倒していた らしい。ママ友と愚痴っているのをよく聞いた。お仕事の関係か、パパが家にいるのは平日の夜と休日。つまり、子どもがいる時間帯に言い争いをしていた様子。いつもニコニコとかわいい笑顔を浮かべていた同級生のお子さんも、次第に卑屈な性格に変わってしまった 』(Mさん/30代・主婦からのエピソード)●(3)通級指導教室へ通うことを、親子ぐるみで隠し通しているうちに『通常学級に在籍しながら、週1回の通級指導教室へ通うある親子のお話。決められた曜日に通常学級の授業を抜けて通級に行くため、他のクラスメイトから「どこへ行くの?」と聞かれることもあるようです。その子のママはわが子が通級へ行くことをできるだけ他言したくなかったため、「同級生には、毎週病院へ言っていると言いなさい 」と言い聞かせたそうです。お子さんもママの言いつけを守り、「病院へ行くんだ」と答えていたようなのですが、毎週ウソを重ねることがストレスになり 、次第に「ウソをつかなきゃイケナイことを、私はしているの?私は隠さなきゃイケナイ悪い子なの?」と、心が不安定な状態に。ママの考え方や言動が自己肯定感を引き下げてしまった出来事でした』(福岡県で通級教室の指導員を行う女性からのエピソード)●子どもの障がいを認めること、まわりに隠さないことの大切さわが子の発達障害を受け入れることや、周囲の人たちにそれを隠さないことには大きな勇気が必要です。私たち夫婦も、当初は「ちゃんとした大人になれるのか……これからどう育てていくべきか……」などと不安を抱きながら、何度も話し合いを重ねました。そんな大人たちの懸念を吹き飛ばしてくれたのは、息子本人です 。療育センターへ行くことに対し、お友達から「どこへ行ってるの?」と聞かれた彼は、臆することなく「僕って、大人のお話を集中して聞けないじゃん?それを直してくれるトコロがあるみたい!」と返していたのです。そしてまわりのお友達も、「へえ、そうなんだ!頑張ってね!」と送り出してくれていた様子。あっけらかんとした子どもたちのやりとりに、覚悟が足りていないのは大人の方だった ことを思い知らされました。息子はとっくの前から自分の不得意に悩み、受け入れ、そして改善させようと前を向いていたのです。わが子が“その気”になっているのに、大人が後ろを向いているわけにはいきません。一口に学習障害といっても症状や程度はさまざまで、ケースごとに抱く不安も異なるかと思います。とはいえ、極端にまとめれば、“できないこと・苦手なことに悩んでいる ”ということに変わりはありません。不得意なことができるようになるためには親がその事実を認めることと、周囲の方に隠さず伝えることで積極的にサポートを仰ぐことが重要なのではないでしょうか。●世間体は、お子さまの“できない”を受け入れることより大切でしょうか?私事ですが、このたびの“息子のADHD騒動”の最中(さなか)、母親である私自身のADHDも発覚しました。昔から物忘れが激しく、お勉強も決して得意ではなかったことには原因があったのです。そんな私ですが、発達“障害”を障害だと感じたことはありません 。特別忘れっぽい性格をしている私は成長の中で、「お、提出物だ。こういうの、私はすぐ忘れちゃうんだよね〜、だから今すぐ済ましちゃおう!」といった具合に、自分なりの対処法を編み出してきました 。発達障害の有無に限らず、すべての人間に得意・不得意があって、おそらく私のように自分なりの対処法を見出してきたはず。それぞれが持つ不得意やそれに応じた対処法は、それぞれがうまく生きていくためのノウハウです。決して特別なことではないと感じませんか?昨今注目度の高まっている発達障害児への支援については、要は私のような小学生に対して早い段階で“自分なりの対処法”を教えてあげるサポート なのだと思っています。「私が小学生のころにこんなサポートがあったらよかったのにな」と、正直わが子がうらやましい……。障がいと言ってしまえば、確かに聞こえは良くないかもしれません。しかし、「頑張ってるのに、まわりの友達と同じようにできない……」と不得意なことにわが子が苦しんでいることだけは確かです。小さな胸に芽生えたコンプレックスは、パパやママが気にする世間体よりも無価値でしょうか?優先すべきは、お子さまの“できない”に真っ向から立ち向かってあげること。親子で逆上がりや自転車の練習に励んだときと同じテンションで、お子さまの“できない”を受け入れてあげてみてはいかがでしょうか。●ライター/木村華子(ママライター)
2016年10月12日発達障害の大人が医療機関を利用するとき、どんな問題が生じるか出典 : 児童精神科医の吉川徹です。これまでの連載では「発達障害と医療」をテーマに、医療機関や診断を受けるタイミングなど、様々な角度から執筆させていただきました。今回は、発達障害と医療の問題を考える際に特に悩ましい、成人された方の医療の利用についてです。この問題は大きく分けて、●子ども時代から大人への医療の引き継ぎ(移行医療)の問題●成人期になって初めて、発達障害を主なテーマとして医療を利用するときの問題の2つがあります。大人になってもスムーズに医療機関を受診し続けるには出典 : 近年では子どもの発達障害を診療できる医療機関はかなり数が増え、診断を受けている子どもも急増しています。こうした子ども達はいつ大人の医療に移行していくのか。これは遠からず全国的に問題になることは目に見えています。子ども時代に診断を受けた方のうち、大人になっても医療が必要な方は、実はそれほど多くはありません。ただ継続した投薬が必要であったり、前回の記事にあるような診断書が必要であったり、どうしても医療のサービスを継続して利用する必要がある方もいらっしゃいます。特に小児科で診断、治療を受けていた場合、必然的に移行が必要となることが多いです。児童精神科などの場合では、医療ニーズが高い場合には継続して診療を受けられることもあるでしょう。最近では発達障害の診療に対応できる、成人の医療機関も増えてきています。成人医療への移行に備えて、地域の医療事情について早めに情報収集を行っておけると安心です。移行が必要になる時期はおおむね15歳〜20歳前後であることが多いのですが、できれば20歳ごろ、総合支援法医師意見書と障害基礎年金の診断書が揃っていると、後の移行がスムーズです。その時期の移行が可能かどうか、通院中の医療機関に相談してみる価値はあります。大人になってから初めて発達障害がわかったとき、医師による診断が必要だとは限らない出典 : もう1つ悩ましいのが、大人になってから初めて発達障害をテーマにして、医療機関を受診する際の問題です。成人期の発達障害診療を受け入れていると広報している医療機関はまだ少なく、たどり着くのが難しい地域もあります。それ以外にも成人期の医療には様々な課題があるのです。まず、そもそも大人になった方の発達障害の確定診断を行うことは、医師にとってもかなり難しいという問題があります。発達障害の診断の多くの部分は、乳幼児期や子ども時代のエピソードの聴き取りに拠っています。成人するころまでには、養育者の記憶も曖昧になり記録も散逸しており、どんなに頑張っても診断を確定できるだけ根拠が得られないことがあります。こうなるとせっかく受診しても「特性はありそうだけれど、診断は確定できない」と伝えられてしまいます。特に専門性の高い医師ほど、正確な診断と診断基準を意識するので、このような伝え方が多くなります。乳幼児期の情報が充分得られない場合、発達障害診断のみを目的にした医療機関受診の効率は下がってしまいます。次に、不眠や不安などの発達障害以外の症状がなく、発達障害の疑いしか医療への「入場券」がない場合、医療機関への受診はそれほど実りのあるものにはならないことも多いという問題があります。成人になるまで診断を受ける機会がなかった方の場合には、当面の主要な問題は発達障害そのものよりも、不眠や不安、抑うつ、強迫症状や精神病症状などであることのほうが多いのです。このように他の精神症状がある場合には、むしろそれを入り口として、優先して相談、対応することが望ましいことが多いのです。その場合、受診できる医療機関の間口も広がるので、通える医療機関を見つけやすくなります。「発達障害の診療はしていません」というクリニックでも、通院中の患者さんの疾患の背景にある発達障害には、気づいてくれたり対応してくれたりすることもしばしばあります。この場合でも支援者の口コミなどで、発達障害の対応に慣れた医療機関を選んでおけるとなお良いですね。何のために受診するのかよく見定めて、効率的に医療機関を使おう出典 : 診断書や薬物療法が不要である場合、本人や周囲の人がその特性に気づき、実際に工夫しながら対応する中でそれを確かめることが可能であれば、発達障害の確定診断は、必ずしも必要ではありません。極めて限られた専門医療機関を別にすると、一般の成人精神科医療機関の診療の時間や構造は、障害特性そのものへの対応を相談するのには、あまり適していないことも多いのです。成人期の発達障害医療はまだまだ発展途上です、今後大きく状況は変わっていくかも知れませんが、現時点では医療機関を受診する目的をよく見定める必要があります。それは診断なのか、診断書なのか、薬物療法なのか。あるいは得意な医療機関は限られますが、自己認知の支援なのか。それともむしろ併存する他の精神疾患の診断や治療なのか。ご本人や支援者の方にはうまく見極めていただき、医療機関を効率よく使っていただけるとよいと思います。
2016年10月12日医療機関による受診が必要になる、「診断書」の取得出典 : 前回はいつ医療機関による受診をするのか・勧めるのか、というテーマでしたが、一方でどうしても受診、診断が必要なタイミングというのがあります。その代表的なものが、診断書が必要になる時期です。発達障害を持つ子どもや大人が健康に成長し暮らしていくためには、様々な支援が必要になることがあります。その入場券になることが多いのが診断書です。今回の記事では診断書が必要になる代表的な場面と、その時期を解説します。ただし、診断書を巡る状況は、地域によって少し異なることがあります。地元の支援者や先輩の親御さんにも確かめてみるとよいでしょう。18歳未満で診断書が必要となる場面出典 : 子ども時代には診断書が必要な場面は、実はあまり多くありません。知的障害を伴う方の場合、愛の手帳や療育手帳などと呼ばれる知的障害の福祉手帳の取得には、原則として医師からの書類は必要ありません。地域の役所の窓口から申請でき、その手帳があることで多くのサービスが利用可能です。以下では、医師の診断書が必要となる場面をご紹介します。知的障害の手帳の対象ではない場合、精神保健福祉手帳という精神障害の福祉手帳を取得することがあります。子ども時代の取得はまだ多くはありませんが、だんだんと取得する方が増えているようです。精神保健福祉手帳の取得には必ず医師の診断書が必要となります。子ども時代の取得にはそれほど多くの利点はありませんが、必要であれば診断書の発行を受けることが可能です。福祉手帳の取得をしていない場合、児童福祉法に基づくサービスを利用するための「受給者証」を発行してもらうために、医師の診断書が必要となる地域があります。制度本来の主旨からするといかがなものかと思うのですが、残念ながらそのような運用が広がってきているようです。また地域によっては、通級指導教室や特別支援学級などへの入級にあたって診断書を求められることがあります。幼稚園などの場合でも、園への助成金などの支給のために、診断書の提出を求められることがあります。これも文部科学省などが通達している特別支援教育の方向性からすると、本来あってはならないことだと思うのですが、残念ながらそのようなルールが設定されている地域もあるようです。また障害の状態によっては、特別児童扶養手当の支給対象となることがあります。やや厳しい世帯の所得制限などもありますが、支給にあたっては医師の診断書が必要です。18歳以上で診断書が必要となる場面出典 : 歳以上になったときに、障害者総合支援法による様々な福祉サービスを受けるためには、診断書ではないのですが、「医師意見書」が必要になります。また20歳になると、障害基礎年金の対象となる方も出てきます。障害年金の受給には必ず医師の診断書が必要です。この中で特に注意しなければならないのが、子ども時代に医療機関を受診し診断を受けた後、経過が順調な場合、特に身近で適切な支援が受けられている場合です。このとき、どこかの段階で医療機関の受診が不要になり、通院を止めていることが少なくありません。しかしその場合であっても、18歳以降に福祉サービスの利用の可能性がある場合、障害基礎年金が受給できる可能性がある場合には、それに備えて少なくとも1,2年前からは通院医療機関を確保しておいた方がスムーズです。初診でいきなり診断書の発行を受けることは困難です。16歳、17歳という年齢であれば、成人の精神科医療機関に受診できるので、通院先の選択肢は格段に広がります。初診には予約が必要であることもありますので、将来の診断書の発行に備えたいという受診の意図を伝えて、事前に確認しておくとよいでしょう。この他、就労支援を受ける際に医師の意見書を求められたり、障害が重度である場合には特別障害者手当の受給のためにも診断書が必要となったりします。必要な時期に診断書の発行が受けられるように情報収集しておけるとよいですね。
2016年10月10日不自然なまでに文字を間違える息子…病院の診察で判明したのは?出典 : 発達障害のある小学生の息子は、ディスグラフィアの診断を受けています。ディスグラフィアとは、知的な発達は遅れておらず、文字を読むこともできるのに、文字を「書く」ことに大きな困難がある障害を言います。小学校1年生のときの息子の字は、枠からはみ出たりして乱雑だったのですが、学校の先生も私も「丁寧さに欠けているだけ」だと思っていました。ただ、100点ばかりのテストでも、名前だけ赤ペンで「ていねいにかきましょう」と直されていたことがありました。しかし1年生の終わりごろになって、文字の汚さ以上に間違い方に特徴があることに気が付きました。例えば「お」の点が無かったり、1つの単語の中にひらがなとカタカナが混ざったり、漢字の「へん」と「つくり」が逆だったり、鏡文字になっていたり…ちょうど発達障害について専門機関にかかり始めた頃だったので、合わせて相談すると、「書く」ということが特に難しいディスグラフィア(書字障害)があるとわかったのです。とにかく「書けるように」訓練する日々…息子と私の葛藤出典 : その後、字が書けるようになるための訓練が始まりました。息子はなぜ字を書けないのか、そしてどうすれば書けるようになるのか。通級の時間も漢字を覚える練習をたくさんして、言語聴覚士さんによる訓練も受けました。このとき特に役立ったのは「ハイブリッド・キッズ・アカデミー」の遠隔評価キットです。子どもの読み書きの遅れがどの程度であるのか?の評価を、在宅で受けることができ、どういった対処が望ましいか?までのアドバイスがもらえます。ハイブリッド・キッズ・アカデミーしかし、通級の時間全てを漢字を覚えることに費やして、その時間には覚えても、家に帰るともう書けない…息子は決して怠けているわけではなく、何度も何度も練習しています。でも書けるようになったと思っても、それも束の間で、覚えた漢字がポロポロと頭の中から消えていく…それがどれ程悔しく辛く、そして切なかったことでしょう?いつしか息子は「文字を書く」行為にものすごい拒否反応を示すようになっていました。そんな息子の様子を見ていて、私は葛藤していました。確かに今後、受験などで字を「書かなければいけない」ことはあるかもしれない。でも、ここまでさせなければいけないのだろうか。「文字が書ける」ことはそこまで大切なことなのだろうか、と。「文字が書けない」ことは障害なのか?息子の成長を本当に阻んでいたものは出典 : 息子はパソコンを使ってローマ字のタイピングもできますし、正しい漢字を選んで変換することもできます。それに、自分で字を書くことは難しいですが、「作文」は出来ます。私が代筆すれば、原稿用紙2~3枚の良い文章を書くことができるのです。そんな息子の様子を見ているうちに、息子に対する「文字を書けるようになってほしい」という思いは消えていました。それよりも「書く」ことが前提の課題を前にしたとき、「書く」という最初のハードルにとらわれて、課題自体に取り組む意欲を失くしてしまう方が大問題だと思うようになりました。何か自分のやりたいことを始める前に、「自己紹介」「説明」「作文」などが求められると、未だに息子は顔が暗くなります。「これ、書かなきゃいけないの?」「…やっぱりやめようかな…」と恐る恐るつぶやきます。「パソコンで打ち込めばいいんだよ。何なら喋ってくれたらママが打ち込んでもいいから。」と私が言うと、息子はホッとして取り組む気になってくれています。目の前の「できないこと」にとらわれて、子どもが意欲を失わないように出典 : まだまだ社会にはこういった障害は認識されておらず、学校側に理解してもらえないこともあるかもしれません。私も学校の先生にはICT機器の導入などをお願いしたのですが、難色を示されてあきらめたという経緯があります。「できないこと」ばかりにとらわれて、子どものやる気や意欲の芽を摘んでしまわないよう、「こういう子もいるんだ」という認識が浸透してほしい。そして「合理的配慮」として快く代筆やICT機器などを使わせてあげてほしい!心からそう思います。
2016年10月09日発達障害の疑いがあるとき…医療機関を受診する適切なタイミングはいつ?発達障害の疑いのある方、またそのようなお子さんがいる保護者の方で、「医療機関をいつ受診するか」にお悩みの方もいらっしゃるかと思います。また、「発達障害の存在が疑われる子どもに医療機関の受診をすすめる際、どんなタイミングがよいのでしょうか」というのは、支援者の方もしばしば口にされるご質問です。発達障害のある子どもの場合であれば、保護者は様々なプロセスを経て、子どもの発達特性に気づき、その特性と長くつきあっていくための準備を進めます。その過程は男女が出会って、結婚に至るプロセスに少し似ています。Upload By 吉川徹このプロセスは、もちろん全てをたどっていく必要はありませんし、正しい道筋というものもありません。最近では結婚式を挙げない人も増えてきました。どうしても診断書やお薬が必要でなければ、かならずしも確定診断を受ける必要はないのです。ただ、もしできることであれば、発達障害の特性とずっとつきあっていく準備がそれなりに整った段階で、医療機関の受診ができると、きっとよい節目になるでしょう。医療機関を受診する前の大切なプロセス「障害とつきあう準備」は、どうすれば整うのか出典 : では、「発達障害とつきあっていく準備」はどうすればできるのでしょうか。前回の記事でも触れましたが、診断を受ける前の支援が大切になってくると私は考えています。最初に発達障害の特性に気づいた誰かが、診断を受ける前から上手く支援を始めて、医療による支援へと繋げてくれる。そうすると保護者は、子どもの特性に合わせた関わり方をすると、少し物事が楽になる、前に進みやすい、という感覚をもつようになります。このように、保護者が発達障害とつきあう準備ができていたほうが、診断は正確になり、その後も医療のサービスを最大限有効に使えることになります。もしもその準備が整っていない段階で、「あなたの子どもさんは発達障害の疑いがあるので病院に行って下さい」と言われてしまったら、何が起こるでしょうか。おそらく、一部の保護者は「絶対に障害だと言われたくない」と思って病院の門をくぐります。そうすると、「赤ちゃんの頃は?」「普通でした」「保育園では?」「年少さんは問題ありませんでした。年中になってから行くのを嫌がるようになりました」「ああ、それはきっと担任の先生が……」といった、診断に結びつかないやり取りになってしまいがちです。発達障害の診断には、もちろん子ども自身の状態の観察なども参考になりますが、それまでの発達の経過、道筋の情報が極めて重要です。ここが上手く聞き出せないと見落としや誤診に繋がってしまうのです。「『仮に』理解して、『実際に』支援する」。これはある児童精神科医が編集した書籍の副題ですが、とても良い言葉だと思います。支援を始める時に診断は不要です。まず特性に気づいた人がその「仮の理解」に基づいた支援を実際にやってみる。それが上手くいったときには、その子どもが少数派のものの見方、感じ方、考え方の道筋を持っていること、その理解に基づいた支援が上手くいったこと、その特徴がいわゆる発達障害の特性であることを保護者に伝え、専門機関を受診することで、より効率のよい支援ができる可能性があることを伝えます。準備段階の支援がうまくいかなかったときには出典 : もし最初の支援が上手くいかなかった場合はどうすればよいのでしょうか。その時には「仮の理解」に基づいて援助してみたが上手くいかなかったこと、更にほかの「理解」や援助の方法を見つけるために専門家への相談、受診が望まれることを伝えられるとよいでしょう。このときに必要なのは、受診を勧めようとする人が、子どもの特性を理解しようとしてくれて、実際に手を動かしてくれる、信頼できる人だと保護者に思ってもらうことです。診断を受けても、その支援者が引き続き関わってくれると安心できるとき、保護者は「本当は障害なんて言われたくないけど、あの先生が勧めてくれるなら」と思って、診察に臨むことができるのではないでしょうか。いつ受診を勧めるのか、その答えは、勧める人と勧められる人の間に少し信頼関係が出来てきたとき、ということになるのでしょう。
2016年10月07日親子で発達障害と診断された、栗原類さんと母の泉さんUpload By モンズースー栗原類さんの著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を読ませていただきました。幼少期からの出来事をご本人、お母様、主治医の先生と、3人の視点から書かれていてとても面白かったです。ADHD当事者の私は、類さんご本人のエピソードに共感できることも多く、お母様の泉さんのお話は育児の参考になることがたくさんありました。中でも私が一番印象に残ったのはこのお話です。Upload By モンズースーUpload By モンズースー我が家も栗原さんのご家庭と同じく、親子で発達障害です。そのため、子ども達の特性で共感できる部分もありますが、違う部分もたくさんあります。私は就学前、文章や絵で何かを表現することができましたが、長男は現在絵も字も書けません。私も運動神経は良い方ではありませんでしたが、ジャンプは自然とできました、でも長男は教えてもらっても中々できませんでした。自分が苦労なくできたことを、他者ができないと「なんでこんなこともできないの?」という気持ちになってしまいます。これは定型発達の方でも、大人でも同じことが言えるのではないでしょうか。私も長男が成長するにつれ、できることとできないことの差が広がっていくと、よくこの気持ちになっていました。特に気になったのが偏食です。私はアレルギーのため、自分から食べたくない食べ物はありましたが、食べろと言われて食べられない物は基本的にありませんでした。なので、ほとんどの料理が食べられない長男の気持ちが、なかなかわかりません。でも、栗原さんのお母様のエピソードを読んで、少し気持ちが静まりました。私と子ども達は別々の個性を持った人間、あたりまえのことなのですが、私はつい忘れてしまっている気がいました。栗原さんのお母様が「一生忘れることのできない大切な言葉」と書かれていらっしゃいましたが、私も印象に残るお話でした。出典 : 発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)
2016年10月07日栗原類さん、自身の発達障害について語る初の自叙伝発売!モデル・俳優として、テレビや舞台、ファッションショーなど様々な分野で活躍する栗原類さんが、10月6日に自身の生い立ちから現在までを綴った著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を発売されました。LITALICO発達ナビでは、書籍の出版を記念して栗原類さんに単独インタビューを実施。ご自身の発達障害(ADD: 注意欠陥障害)を公表し、書籍を出版するに至った背景、自身の特性を理解し俳優として「輝ける場所」をみつけられるまでの日々、お母様である泉さんと歩んできた21年間の日々について、たっぷりと語っていただきました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)栗原 類さん: 1994年生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。8歳のときNYで発達障害と診断される。中学時代にメンズノンノなどのファッション誌でモデルデビュー。17歳の時バラエティ番組で「ネガティブタレント」としてブレイク。19歳でパリコレのモデルデビュー。21歳の現在は、モデル・タレント・役者としてテレビ・ラジオ・舞台・映画などで活躍中。2015年に情報番組でADDと告白し話題となる。実は「カミングアウト」したつもりなんてなかった!?―出版おめでとうございます。出来上がった本を今日手にとってみて、ご感想はいかがですか。栗原類さん(以下、類さん): いやー、本当に思った以上に時間がかかってしまって、担当の方には、正直ご迷惑をかけっぱなしだったと思います…Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―初の長編エッセイですもんね。やはり大変でしたか。類さん: これまでも雑誌の連載などで文章を書いたことはあったのですが、今回のように自分の過去を深く掘り下げて書く本は初めてで。僕はあまり記憶力が良くないので、昔のことはほとんど覚えていなかったんですよ。母親や友人、主治医の高橋猛先生などに自分の過去を聞いて回って、そこから思い出して書くまでにものすごく時間がかかりました。それに、これまでのファッションやアートの分野での執筆ではなくて、発達障害をテーマにしたエッセイですから、どうやって興味を持って読んでもらえるかはかなり悩みました。担当編集の方に、全然進んでいない原稿を見せては、「この状態では出版も出来なくなりますよ」などと言われる始末で…。長い間辛抱強く待ってくださって、本当に感謝しています。―それはそれは…本当にお疲れ様でした。今回の出版は、類さんにとっても新しい挑戦だったと思うのですが、なぜ、ご自身がADD(注意欠陥障害)であることを公表し、書籍まで出版されようと思われたんでしょうか?類さん: そもそも僕は、自分がADDであることを隠していたことはないんですよ。―え、そうだったんですか。類さん: 最近まで、他人から「発達障害なんですか?」なんて聞かれたこともなかったし、聞かれていないなら答える必要もないかと思っていただけで、この仕事をする前から、ブログやツイッターでは自分の発達障害について書いていました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―へえぇ、知らなかった…類さん: だから僕としては、「書いているんだから、みんなもう知っているだろう」ぐらいに思っていたし、テレビ番組で話した時も、「カミングアウトする」というような気持ちでは全くなかったんです。それが、いざテレビに流れるとすごい反響で…―昨年5月、NHKの「あさイチ」ですね。放送後、ネットで話題になっていたのをよく覚えています。類さん: 僕も放送直後に自分の名前でツイッター検索をかけたら、本当にたくさんの方がコメントされていて。自分で言うのもおこがましいんですけど、賞賛のコメントも多く、「公表するのは勇気があることだ」とか「私も勇気をもらった」とか…色んな声をいただけてすごくありがたかったです。―ポジティブな反応も多かったですよね。類さん: KADOKAWAさんから出版のお声がけをいただいたのは、それからしばらく経ってからのことでした。自分と母がこれまでやってきたことや、生まれ育ったアメリカの教育制度など、僕の人生を紐解くことで、もっと多くの人が発達障害に興味を持ってくれるかもしれない。いま発達障害に悩んでいる人たちにとっても何か励みやヒントになるものを提供できるかもしれない。そんな思いで、今回のお話をお受けしました。他人の気持ちが分からなかった少年が、「演じる」楽しさに目覚めるまでUpload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―ここからは本を拝見していくつか印象に残ったところを中心に、お話をお聞きできればと思います。ご自身の特性として、感情表現や人の気持ちを読むことが苦手だと書かれていましたが、俳優やモデルといった、むしろ、感情理解や表現をかなり求められる世界に飛び込んだというのが印象的でした。類さん: やっぱり傾向としては、発達障害のある人って、他人の気持ちを読み解くのが苦手な人が多いようで、僕もそのタイプでした。原因としては色々あると思うんですけど、僕の場合は、そもそも自分自身の内面にも興味がなかったというのが大きかったです。自分に興味がないから、他人にもそこまで興味を持てなかった。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―もともと自分にも他人にもあまり興味がなかった。そこからどうしてお芝居の世界に?類さん: ニューヨークにいた頃、小学1年の担任の先生の勧めで、コメディ映画を観始めたのがきっかけです。―コメディ映画を。類さん: 僕は昔から冗談が通じない子で、周りの冗談を真に受けてすぐにカチンと来てしまうなところがありました。先生は、このままでいると僕が人間関係で躓くことになると予見して、人の感情、特にユーモアを学ぶ必要があると言い、コメディ映画を観ることを勧めてくれたんです。特にハマったのはアニメの「サウスパーク」ですが、他にも色んなアメリカのコメディ映画やドラマを観ていました。僕が気になった部分があると一時停止して、「この人はこんなセリフを言っているけど、内心こういう感情で、本当はこういうことを伝えたいから、こんな表情をしているんだよ」っていう風に、母がひとつひとつ解説してくれたんです。おかげで、少しずつ登場人物の気持ちや意図が予想できるようになっていきました。―お母様が横で解説を入れてくれたんですか!セリフと表情のギャップを学ぶという点では、コメディはピッタリの教材かもしれませんね。類さん: そこからは僕も予想外だったのですが、ユーモアを理解するためにコメディ映画を観ていたのがきっかけで、お芝居自体に興味を持つようになったんです。自分ではない、色々な人になりきることの面白さを感じ、自分も俳優になりたい、と思うようになりました。―なるほど、そこから俳優を目指すように。類さん: モデルの仕事はもっと早くからやっていたのですが、本格的に芝居に取り組んだのは高校の演劇部に入ってからです。そこからバラエティ番組に出て、2012年にNHKのドラマで役をもらったのが、俳優として初のお仕事でしたが、最初は右も左も分からず、自分のセリフを覚えるだけでも精一杯で…Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―自分から興味を持って飛び込んだ世界とはいえ、集中を要したり、シーンに応じた振る舞いを求められたりと、大変な部分も多かったでしょうね…類さん: そうですね。実際、今でも苦労している部分はありますし、これからもたくさんあると思います。でも、先輩の役者さんにアドバイスをいただいたり、舞台を観に行ったりと、学ばせてもらう機会にはとても恵まれていて、いま少しずつ吸収、成長していく時期なのかなって思います。―コメディ映画に学んでいた頃のように、今後は周囲の先輩たちから学んで吸収されているのですね。類さん: すぐにはうまく出来なくても、ひとつひとつ訓練していけば、いつかは壁を突破して成功できる。そうやって、長い目で見る気持ちは忘れないようにしようと思っています。自分のことを「ネガティブ」だなんて思ったことはない?Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―お話を聞いていると、類さんは、身の回りの物事への注意集中が難しいという特性がある一方で、ものすごく楽観的だったり、長期的な視野を持っている印象を受けます。先ほどの話のように、「いつかは成功できる」と思って苦手なことも続けられたり、かと思えばバラエティ番組で人気沸騰だった時期にも、「この人気が続くわけがない」と、パリコレのオーディションに挑戦したり…類さん: バラエティは毎年旬が変わっていくものですし、そもそも自分に向いていないと思っていたので、ずっと続けていくつもりはありませんでした。それよりも、今までやったことがない新しい挑戦をしたいなと思ったんです。―とはいえ、まとまった期間で日本を離れると、連ドラなどの仕事は断らなければいけないし、オーディションに落ちてしまったら仕事が全部なくなってしまうかもしれない。なかなか勇気の要る挑戦だったと思いますけど。類さん: 確かに、僕にとっては大きな挑戦でしたね。でも、パリコレは21~24歳ぐらいの若いモデルが求められていて、僕のこの年齢で飛び込むのがむしろベストなのかなとは思っていました。結果的に、「Yohji Yamamoto」では4期連続、2年間を通して出演させていただきました。―周りからは当時、「ネガティブすぎるモデル」とか言われていましたけど、ネガティブというよりむしろ戦略的というか、かなりリスクを取って挑戦するタイプじゃないですか…類さん: というかそもそも、僕は自分のことを「ネガティブです」と言ったことは一度も無いんですよ!Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)類さん: 僕は普通に振る舞っていただけなのに、気づいたら周りからそのような煽りが付けられていて…僕はメディアの取材などでは毎回「言っていないです」って説明してたんですけど、必ず毎回カットされるんです。―メディア的にはあまり美味しくはないセリフなんでしょうね…(笑)類さん: まぁでも、周りからの評価も含めて客観的に受け止める性格なので、そういうことが2, 3回続いたあとは諦めて受け容れてましたね(笑)親子というより友人―母、泉さんのことUpload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―焦らず、長期的な視点を持つというのは、「人生はマラソン」だと語られた類さんのお母様、泉さんの影響も大きかったと思うのですが、類さんにとって泉さんはどんな存在ですか?類さん: 僕の一番の理解者ですし、すごく尊敬しています。本にも書きましたし、どんだけお母さん好きなんだって言われるかもしれないけど、やっぱりあの人の影響によって今の自分が成り立っているんだと思います。好きな音楽とか役者とか、映画のセンスも、あの人が見ていたものを一緒に見たりとか、こういうオススメがあるよって連れて行ってもらうなかで確立したものがあって。僕がどうして今この仕事をするようになって、これから何を目指したいのか、僕自身がちゃんと理解して歩んでいけるようになったのは、母の影響がすごく大きいです。―なるほど。類さん: それから、母は自分が出来ることだからといって、子どもの僕に決して同じようには要求しない人でした。母自身もADHD(注意欠陥・多動性障害)だと言われているんですけど、同じ発達障害といっても、お互いに真逆な性質なんです。母はものすごく記憶力が良いのに、僕は極端に忘れっぽい。母は他人に言われた嫌なことも全部覚えてストレスになっちゃうけれど、僕はどれだけ怒られても翌日にケロっと忘れたりすることがしょっちゅうありました。僕は忘れ物や同じミスを繰り返すので、そのつど耳にタコが出来るぐらい母に怒られていましたが、「長い目で見たらあなたの性質の方が気楽だし、メンタルも安定していて良いわよね」なんて言われたりもします。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―ほんとに真逆の凸凹なんですね。人生の先輩として厳しい言葉をかけつつも、長い目で類さんの成長の過程に伴走していこうという泉さんの思いが、本を読んでも伝わってきます。類さん: お互いの長所も弱点も理解しながら、20年以上ずっと二人暮らしてきているので、息子と母親というよりは、むしろ心を開ける友人という感じがしますね。普通の親子なら言わない冗談とか言葉遣いもけっこうあったりします。発達障害に悩める人たちへ―「背負い込まず、一人でも仲間をみつけて」Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―最後に、自分やお子さんに発達障害があって悩んでいる人たちにメッセージがあれば、お願いします。類さん: 大人の当事者の場合でも、子どもに発達障害がある保護者の場合でもそうですけど、全部自分一人で背負い込んでしまわないことが大切だと思います。これまで親子の関係について多く話してきましたが、信頼できる第三者の相談相手がいると、すごく良いと思います。僕にとっては、主治医の高橋猛先生がそうでした。誰だって、どうしても親には話したくないことだってありますし、親子だけだと視点が偏って閉塞的になることもあります。そんな時、信頼できる第三者の意見を聞くことが出来れば、新しい発想やアプローチも出て来ると思います。大人の場合でも、仕事がうまくいかないからといって、自分のせいだと背負い込みすぎたら絶対身体も心も持たないです。全員に100%発達障害のことを理解してもらうなんて出来ませんが、上司や同僚、相談できる相手が一人いるだけでだいぶ違うと思います。一人でもいいので、信頼できる人を見つけること。それから、自分の特性や周囲の人たちと、長い目で見てじっくり付き合っていくことだと思います。―信頼できる人を見つけて、焦らずじっくりと。人生は「マラソン」、これからもずっと長い道のりが続きますものね。今日はありがとうございました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)聞き手・書き手: 鈴木悠平写真撮影: タナカトシノリ出典 : 発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著) , KADOKAWA
2016年10月06日