多動だった太郎Upload By まゆん太郎が3歳のころの保育参加。太郎は教室内での催しの際、いきなり教室を1人飛び出して大好きなお兄ちゃんがいる年長クラスへ駆け出した。その行動は注意したからといっておさまるものではないとすぐに分かった。根本的に周りの状況を理解していないのが分かった。私は一応太郎のあとを追いかけたが、私にとめられるような多動ではなかった。その後、なんとか教室へ戻って来た太郎。だが。固まる太郎Upload By まゆん次は保護者と子どもがペアになりスキンシップをとりながら運動をするという時間があった。私のところに太郎が来ないので私はポツンと座っていた。太郎はというと長机の下に隠れて黙って教室のみんなを見ていた。呼んでも、手招きしても出てこない。私とも目を合わさない。ずっと教室にいるたくさんの人をみていた。そしてそのまま固まって動かなかった。そんなとき、私の膝に保護者が保育参加に来ていない園児が座りに来た。それでも太郎は私のことを見向きもしない。Upload By まゆんつらかった。なぜつらかったのだろうか。明らかに周りと違う太郎をまだ受け入れられていなかったのかもしれない。周りとの違いを目の当たりにし衝撃を受けたのは事実であった。そして「ひとり」を感じる私がいるのに、私の存在がないかのような様子の太郎を見るのもきつかった。あまりにもつらく、当時夫に「保育参加に一緒に参加してほしい」と言ったが、夫は1度も参加することはなかった。さらに「ひとり」を感じた。Upload By まゆん感情があふれた瞬間保育参加は4ヶ月に1回ほど行なわれていた。別の保育参加の日も、太郎は変わらず自分のペースで動いていた。もうつらくて私も呆然としていた。そのとき。「太郎ちゃんママ、大丈夫?」声を掛けてくれたのはママ友だった。誰にもこのつらさを伝えられてなかったのにママ友は気づいてくれた。自分の子どもが可愛いくて、夢中で見ていたいはずなのに私のことを気にかけてくれた。Upload By まゆんそんな声かけに一気に涙があふれた。「大丈夫じゃない」「だよね、つらいよね」Upload By まゆん太郎は4歳のときに、自閉スペクトラム症の診断がおりました。3歳のころは「発達障害ではないか」という不安を感じていたものの診断前だったので周りの人にも伝えられておらず、というかまだママ友らしき人もほぼいない状態だったので相談する相手もいませんでした。みんな働いている保護者だったこと、交流の場が少なかったことも要因だったと思います。今回の「大丈夫!?」の声かけは忘れられない言葉の一つです。この一言は私をいっきに癒すものとなりました。「ひとり」を感じて、自分でもわけが分からなくなっている感情を表に出させてくれたものとなりました。その後、保護者との交流も自然と増えていき太郎について理解をしてもらうきっかけが多くなりました。そうなることで私の気持ちも楽になり、保育参加へのつらさも次第に軽減されていきました。保育参加へのつらさの原因はなんだったのか…今振り返ってみると、ほかの園児と違う行動をする太郎をどんな風にみたらいいのか分かからなかったからだと思います。どんな風に対応したらいいのか悩みました。保護者として「おちついて」と注意しなければという問題でもないし、でも周りは「なんであのお母さん自分の子どもなのに注意しないの?」なんて思われてないだろうかとか。太郎を見る目、周りの目、いろいろと悩む時期でした。(執筆/まゆん)(監修:藤井先生より)ママ友からの問いかけに「大丈夫じゃない」と言ったまゆんさんの言葉は、悩んでいるまゆんさんのSOSだったのかもしれませんね。そこから、少しずつほかの保護者さんとの交流も増え、保育参加のつらさも軽減されてよかったですね。保育参加、運動会見学、お遊戯会を見るのがつらいという相談は発達外来でもよく聞かれます。周りからどう見られているかという不安、パートナーが一緒に育児をしてくれない寂しさ、子どもの特性を受け入れいれられない自己嫌悪など、さまざまな感情が混ざっていて、親御さん自身でもどうしたら良いのか分からないということもあると思います。今回はママ友と話すことをきっかけに、感情を表に出すことができ、ご自身の気持ちの整理が少しついたのかもしれませんね。パートナー、友人、園の先生、療育先のスタッフ、主治医などに、お子さんを見ていてつらいことを話すことで、親御さん自身の気持ちが整理できて、一歩前に進むことができることがあります。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年02月20日初めての場所が苦手な自閉症と知的障害のある長男。実父の他界で葬儀へ…わが家の中2の長男は3歳のときに、自閉スペクトラム症(ASD)と知的障害の診断がおりました。長男は社会性の部分が特に低く、未就学児時代は同居する家族以外の人に興味がなく、「他人は空気」のような様子でした。また、初めての場所に入ることがとても苦手で、知らない人が多い場所ではパニックを起こすことがほとんどでした。長男が6歳のころに私の実父が他界しました。私は次男(当時3歳)を連れて、夫たちより一足早く向かい、葬儀場で身内として準備や来客対応などに追われていました。夫は長男を連れて義実家へ向かい、義両親と義妹をピックアップして、車で1時間かけて葬儀場まで来てくれました。しかし、長男は葬儀場に着くやいなや、いつもと違う場所・いつもと違う雰囲気を察して葬儀場へ入れず、駐車場にひっくり返って暴れて大泣き…。今、落ち着いて考えてみれば、初めての場所、たくさんの知らない人、長男がパニックを起こしてしまうのは当たり前です。Upload By ユーザー体験談葬儀場という場もあり、周りの人の目も気になります。泣き暴れる長男をそのままにもしておけないと、夫と義父は無理矢理にでも葬儀場に入れてしまえば何とかなると考えたようで、長男を抱き上げて力づくで連れて行こうとしました。そのときです、長男たちの様子を見ていた私の母が「やめて!」と悲痛な声で叫びました。泣いている孫を無理矢理葬儀場へ連れていくのが見るに耐えなかったのでしょう。母は「私はこの子の気持ちが大事。このままお葬式に参列してもきっと慣れない環境でまたパニックを起こしてしまいます。そこまでして葬儀に参列させなくていいから…。せっかく来ていただいたのに本当に申し訳ないけれど、この子のためにも、この子を連れて今日は帰ってもらってもよいでしょうか」と夫の両親に伝えました。Upload By ユーザー体験談実母は昔からよくわが家に遊びに来てくれていたこともあり、息子の様子もよく分かっていました。障害について理解し受容しており、孫として普段から普通に接してくれています。息子は実母にも、ときどきペットボトルの飲み物を床にわざと撒くなどのいたずらをしていました。そんなときも実母は、一方的に怒ることはせず、淡々と「やりません」とだけ言って片づけてくれていました。そんな実母です。孫の切実な声を聞いたときの実母の思いを推し量り、私はなんとも言い難い胸が痛いような、実母の思いが心の奥底まで沁みてくるような気持ちになりました。そしてまた、実母の心からの声を聞いた気がしました。実母としてもせっかく来てくれた夫の両親への申し訳なさなどももちろんあったと思います。ですがそんな中でも長男のことを1番に考えてくれたことを私はありがたく思いました。長男は帰れると分かったらすっと泣き止みケロりとした表情で車に乗り込んでいました。義両親、夫、一緒に来てくれた義妹も「こんなに人数がいるのに、何の役にも立てなくてすみません」と母の思いを受け入れてくれて、高速道路を使って1時間かけて葬儀場に来てくれましたが、私と次男を残し、長男を連れてとんぼ帰りとなりました。Upload By ユーザー体験談実父の、孫を思う気持ちを感じて亡くなった実父は初孫ということもあり、長男のことをとても可愛がってくれていました。長男は小さいころから癇癪をよく起こしていましたが、父はそれを見て「じいちゃんに勝てると思うなよー」と言いながら長男をよく抱えてくれました。亡くなる1週間前、電動の車椅子で長男が好きなあめを買うために外出をし、それが父にとって人生最期の外出となりました。最期まで孫のことを思ってくれたんだなぁとジーンとしました。Upload By ユーザー体験談正直、長男にも実父とお別れの挨拶をさせてあげたかったという思いもあります。ですが、実父も生きていたらおそらく「もういいよ、帰れ」と言うと思ったので、無理矢理お別れさせなくてよかった、と今は感じています。あのまま泣いて暴れる長男を葬儀場に連れていったら、ほかの参列者の方々の迷惑になっていたかもしれません。なにより、息子の負担にならずホッとしたというのがこのときの正直な感想です。このときのことを思い返すと、実父を亡くした喪失感や、葬儀の準備やいろいろな対応に追われてしまっていて、長男のことまでちゃんと考えることができていませんでした。前もって特性のことなどを考慮して「息子はきっとこうなるだろう」ともっと夫と予想と対策について話し合っていればよかったと感じます。後悔するとしたらこの点だけです。そして、実父の葬儀というのは、肉親はとても忙しく慌ただしく時間が過ぎていくので、親の葬儀はそういうものだと前もって知っておけたらまた結果は違っていたのかなと思いました。イラスト/keikoエピソード参考/あかし(監修:鈴木先生より)自閉スペクトラム症の子さんは初めて行く場所は怖いため入り口で止まることが多いです。以前にもコメントしましたが、冠婚葬祭や入学式など初めていく場所で行事がある時には前もってどういう雰囲気でどういうことをやるかビデオを見せて予習しておくとよいでしょう。我々が初めての場所に旅行へ行くときに写真だけでも見れれば安心するのと同じです。お葬式に出られなくてもあとで仏壇やお墓参りをすることで実父とのお別れはできると思います。パニックになったら場所を変えるのが得策だと思います。恐らくみんなが黒い服装だったので怖かったのでしょう。また、入学式や卒業式などで座っていなければいけない場所に行く場合にはポケットの中に安心できるグッズを入れておくのも一つの手です。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年02月11日いろいろ習い事へ連れて行っても長続きしないまだゆいに障害があるとは気づいていなかった幼児期から小学校低学年にかけて、私はゆいをいろいろな習い事に連れて行っていました。水泳、クラシックバレエ、体操、合唱、硬筆…。本人が興味を持ったものから親のエゴで通わせてみたものまで、いろいろな習い事に挑戦したのですがすべて続きませんでした。私のエゴで通わせたものは続かなくても当然なのですが(本当に申し訳ないことをしました)、本人が行きたいと言って習い始めたものも、1ヶ月ほど経つと嫌がるようになり辞めてしまいました。もちろんどの習い事教室のメンバーも明るく迎えてくれたのですが、本人はなかなかなじめなかったようです。今思えば、すでにできあがっているコミュニティに入っていくということが、ゆいにとってはハードルが高く、緊張してつらかったのかなと思います。しかし本人も「やってみたい」と言ってしまった手前、1ヶ月ほどは辞めたいと言い出せずに堪えていたようなので、つらかっただろうなと感じます。Upload By 吉田いらこ小学2年生で習い始めた「バイオリン」そんな中、ゆいが「バイオリンをやりたい」と言ったのは小学2年生のころでした。それまで楽器系の習い事の経験がなかったのですが、テレビで演奏する人を見て興味を持ったようでした。私自身が吹奏楽部だったこともあり、音楽の習い事に興味を持ってくれたことがとてもうれしく、近所のバイオリン教室を探して見学の申し込みをしました。バイオリン教室は先生の自宅がレッスン場所で、完全個別指導でした。今思うとこの個別指導がゆいの特性に合っていたのでは、と思います。もしかしたら今まで続けられなかったほかの習い事も、個人指導タイプだと続けることができていたのかもしれません。Upload By 吉田いらこ障害のある子どもに理解のある先生との出会い初めて先生と対面したゆいは受け答えができず、YesかNoで首を振ることしかできませんでした。当時の私はゆいのことを人見知りが強い子どもだとしか思っていなかったので「この習い事も続かないのかな…」と心配をしていたのですが、実は先生は障害のあるお子さんを何人も受け持っており、子どもの特性に理解がある方で、ゆいに合った進度で指導をしてくださいました。時間はかかりましたがゆいも先生の問いかけに単語で返せるようになり、楽しくレッスンに通うことができるようになりました。この習い事はなにより個人指導ということがゆいにとって安心できる材料だったのかなと思います。ほかに生徒がいるグループレッスンだと緊張が強く通い続けることが難しかったかもしれません。ゆいの楽器練習の進度は一般に比べるとかなりゆっくりとしたペースです。けれど、少しずつできることは増えていて、とても楽しそうです。やはり「好き」に勝るものはないなと感じました。Upload By 吉田いらこ習い事を通して娘が手に入れたものこの習い事を始めて私が一番良かったと思うのは、ゆいが自信を持てたことでした。学校の勉強は難しいし、友達をつくることも苦手なゆいが学校以外の場所でイキイキと楽しめることを見つけられたのは、親の私にとってもうれしいことでした。今、ゆいには居場所が3つあります。自宅、学校、そして習い事教室。どこかで上手くいかなくなることがあっても、ほかの居場所があれば救われることもあるのではと思います。バイオリンを習い始めたことで、音楽がゆいと私の共通の趣味になりました。ゆいは今、私と二人で合奏することをとても楽しんでくれています。これからも音楽を通じて世界を広げ、人生をより豊かにしていってくれたらと願っています。執筆/吉田いらこ(監修:井上先生より)習い事がうまくいくかどうかは、子どもの興味関心だけでなく教室の環境的な要因、例えば、人数が多い、騒がしい、先生が厳しい…なども影響します。先生と1対1で学ぶ環境というのは、ゆいさんのお母さんがおっしゃる通り、非常に安心できると思いますが、厳しく叱責したりする先生は向いていません。ゆいさんが出会われた先生のように、本人のペースを尊重したり上手にほめたりすることで、まずは楽器の演奏を楽しくして、周りの子どもができないことを自分ができるという意味で、本人が自信をつけることができるのはとても良いと思います。みんなの前でお話がしにくい子どもでも、言葉の代わりに音楽で表現できるという点も、良いのではないでしょうか。先生や家族の前で演奏ができるようになったとしても、先に述べた環境的な要因から、大きなコンサートホールや初めての場所だと一気に不安や緊張が増してしまう場合もあります。無理せずスモールステップで、演奏する喜びを感じながら進められると良いと思います。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的能力障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年02月09日ママ友がほしいけれど、同じ境遇の人を探すのが難しくて…SAKURA(以下、――)娘の通う小学校には、娘と同じ学年で、特別支援学級在籍の子がほかにいなくて、6年生の中で、特別支援学級に在籍しているのは娘一人なんです。1年生から今まで、娘の同級生の保護者の方の中で、他愛のない話ができる人はいたんですが…特別仲のいい関係になることはありませんでした。娘と同級生の子だと、年齢ならではの悩みごとの内容が全く違うので、聞いても共有できないし、自分の本音で話をすることはないし…。Upload By SAKURA正直、一人に慣れてしまった感もあるので、悩む・・・というほどでもないのですが、たまに、本音で、聞いてほしい話ができる相手が欲しいなーと思うことはあります。こういうママさん、もしかしたら結構いるのかな?Upload By SAKURA三木先生:発達の度合いの違う人と話すのは難しいですよね。人間は同じ属性の人と集まるのがラクですし共感もできますから。――発達障害のある子どもがいる保護者の方となら・・・とは思うのですが、やはり困りごとが異なることもありますし、自分の子どもの状況より、大変な思いをされている方だったとしたら、私が「大変でさ~」なんて愚痴をいうのは駄目なのかなーと、ごちゃごちゃ考えてしまいますし、逆に相手の子どもが娘よりできることが多いと、勝手に凹んで焦ってしまいます。Upload By SAKURA三木先生:会話をするときは、ある程度の覚悟と理解が必要ですね。障害の度合いや困りごとがぴったり一致することはないですから、かみ合わないのは仕方がないと思います。――そうですよね~…実は…娘の困りごとを、定型発達の子どもの保護者の方に話してみたことはあるんですが、やはり娘のような発達障害がある子どもを知らない方だと、してくれるアドバイス的なものが、娘が参考にするにはちょっと難しい~ってなってしまい…。でも、せっかく話を聞いてくれたので、そんなことも言えませんし…。うーん…ってなって終わっちゃうんですよね。だから私も、発達障害のある子どもがいるママさんとお話や話の流れでアドバイスなどをしても、「うちの困りとは少し違うんだよなー」って思われるかもしれないと思うと、「うちの場合はこうだった…」っていう経験談しかできないし。Upload By SAKURA三木先生:それでも良いと思います。「自分にできる精一杯のアドバイス」という意味ではそれも誠実な態度なわけですし。あるいは、仕事の内容は違うけど、「仕事が大変」って抽象的な話は、まあまあできますよね。仕事の話じゃなくて、言われたこと、嫌だと思った気持ちや骨組みの話がメインになりますから。Upload By SAKURA三木先生:でも、社会的な立場が違う人と実際の仕事の内容の話をするとかみ合わなくなってきますよね。仕事が大変なのは分かりますが、仕事の内容自体には共感はできない訳ですから。だから結局、同じ目線や感性で話ができる人と集まるのがいいんですよね。Upload By SAKURA日常生活のもやもや、みんなどうしてる?三木先生:日常生活でのもやもやを誰かに話したりして完結できていれば良いのですが、きっとみなさんできていないからこそ発達ナビやSNSなどでコラムとかを読むのかもしれませんよね。そこには同じ悩みをもった人がいる可能性が大きいので。――あっ!なるほど!三木先生:現状、知り合う人、付き合っている人は、同じエリアに住んでる、というだけで集まってる部分が多いですから、「分かる~」と共感できる人に出会えたらラッキーと思う感じでいいのかもしれません。私と同じような人は、今どこにいるのかな?自分だったらどうしているかな?と考えて、そこから探すと同じ気持ちの保護者を探しやすいかもしれませんね。Upload By SAKURA――娘の困りごとの悩みは、自己完結しちゃうことが多いので、あきらめちゃってたんですが、これからそういう人に出会えることもあるかもしれませんもんね!頑張ります!執筆/SAKURAコラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的能力障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年02月08日自閉スペクトラム症(ASD)のある息子はゲームが大好き!自閉スペクトラム症(ASD)のある小3のミミ。最近は学校から帰ってきたらパパに見てもらいながらゲームをやるのにハマっています。パパにアドバイスを聞きながら楽しんでやっているけれど、パパは真剣故にミミに厳しくアドバイスすることもしばしば…。ある日、厳しすぎるパパの態度に泣いてしまったミミ。以前も同じようなことがあったので、私はそこまで気にせずに見守っていましたが、パパはその後ミミが飼っている虫にエサを与えていないことに気づき…さらに注意はヒートアップ!するとミミは泣きながら台所から果物ナイフを取り出し、自分の左手へ…今にも左手を傷つけてしまいそうな状況に私は慌ててナイフを取り上げ、「こんなことしちゃだめだよ」と言いミミを抱きしめました。ミミの代わりにエサやりをしているパパを見ながら「パパはミミに命を大切にできる子になってほしいんだよ」と伝えました。ですが、ゲームとエサやりの件でショックが重なり、ミミは涙が止まりません。Upload By taeko学校での不満を訴える姿に…とにかくミミを落ち着かせようとパパから離れた場所で抱きしめたまま話を聞くことに。するとミミからは「学校なんて役にたたない、行ってもしょうがない、なくなればいいのに」「勉強なんて嫌い」「生きててもしょうがない。生まれなければよかった」などと衝撃的な発言が次々と…。また、授業で発言をしているときにクラスメートに「は?何言ってるの?」と言われたことが悲しかったことも教えてくれました。(ミミは思ったことを周りの状況を見ずにどんどん話すので、その様子をクラスメートが指摘したのかな…?)しばらくなだめていたのですが、ミミのマイナス思考は止まらず…「もうみんなが話しかけてきてもあっちいけ!って言うんだ。友達なんていらない!」「生きていても仕方ない、ママとパパは結婚しなければ良かった」と言い出しました。流石にひどすぎると思って、私はミミを「そんなこと言っちゃだめだよ」と叱りました。私が怒ったことを察したミミは布団をかぶって静かにしていました。1時間ほど過ぎて、弟のふーが帰宅するといつものご機嫌なミミに戻っていたので安心しましたが…このままでは良くないと翌日私はこんなことがあったんです、と一連の事件を担任の先生に相談しに行きました。Upload By taeko担任の先生から話を聞くと担任の先生から話を聞くと、学校でのミミの様子を教えてくれました。体育の授業でドッジボールをやっていたときに突然動かなくなってしまったミミを見て先生は「みんなでやっているんだからやめたらダメだよ」と声をかけたそうです。しかしミミは味方が減って標的は自分だけ、ボールを自分から取りに行くのも怖いし、もう諦めたいという気持ちを抱いてしまい、早くボールに当たってゲームを終わりにしたかったようです。また、物事を悪くとらえて人やモノのせいにしたり、声が大きかったりするので女子から苦情が多発していました。そのこともあり女子が苦手なミミ。体育着に着替えるときに女子と目が合っただけで「おれのこと見てた!女子なんて嫌いだ!」と思ってしまったようで、体育の時間だけでもかなりのストレスがあるようでした。ミミに我慢はしてほしくない…。先生にお話しを聞いて、ミミも学校でいろいろな経験をしていろいろな気持ちを感じていて、また我慢していることもたくさんあることが分かりました。今回はパパとのゲームでのやりとりがきっかけで、ミミの普段から感じていることや我慢している気持ちがあふれたことで本音を聞くことができたけれど、悩んでいることや嫌なことがあったらもっと早く気づいてあげたいし、話してくれるような親子関係でありたいと思いました。とはいえ、今ミミが一番楽しんでいるのはゲームなので、またパパとトラブルになりそうだったら早めに間に入ってあげようと思いました。少しでもミミが家にいる間は安心して過ごせるような環境にしてあげたいです。Upload By taeko執筆/taeko(監修:初川先生より)ミミくん、家庭や学校で苦戦する場面が募っていたのですね。ナイフを手にしたとの展開にヒヤッとしましたが、それほどまでにつらいという気持ちをどうすることもできず、その気持ちの強さがそうした行動につながったのでしょう。ゲームのような楽しいとき、またクラスの女子たちとの関係など、おだやかな心持ちというよりも、良くも悪くもちょっと興奮度が高いようなとき、そんなときに、「ダメ」や否定するようなメッセージが入ると、まるで自分全てがダメのように被害的に受け取ってしまったということだと思います。そして、そうした強いネガティブな気持ちになった記憶というものはつながっているので、1つつらいことがあると、「あのときのあれも、このときのこれも…」と頭の中では芋づる式に思い出されてしまいます。パニック状態ともいえますが、そのように一旦思い出されてしまった嫌な記憶は、なかなか自分で収めることができなかったり、嫌な記憶を平然と思い出すことは困難で、嫌な記憶はそのときの気持ちを伴って思い出されるので、まるで今体験しているかのようなつらさを感じることになっていたと考えられます。応急処置的に、クールダウンとして、布団にくるまって過ごすなど、ほっとするようなことをできたのは何よりです。学校の先生にもお話され、学校での様子(苦戦する様子)が聞けたのは何よりです。調子が良くないときは、学校でも家でもうまくいっていないことが往々にしてよくあります。先生とコミュニケーションをとり、一緒に見守る体制が取れると良いですね。そして、嫌な気持ちに全くならずに生きていくことは残念ながら難しいです。いいこともあれば悪いこともあるのが日常です。我慢している気持ち、つらい気持ちをお子さんが話すことができるのは大切なことですね。その際に大事なことは、励ましたり、否定したりしないということです。嫌な気持ちを語ると、「そんなこと言うもんじゃない」「あなたにも問題がある」「大丈夫よ、そんなこと気にするんじゃないよ」と、大人が良かれと思って強めのメッセージを伝えてしまうことがあります。しかし、大事なのはそこではなく、まずは、嫌な気持ち、つらい気持ちを聞いて受けとめるということです。「そうか、それはつらかったね」「そんな嫌なことがあったら悲しくなっちゃうね」「話してくれてありがとう」。つらい気持ちをつらい気持ちのまま受けとめる。あなた(子)がそう思うのは自然なことで、その気持ちのままで大丈夫(怒っているなら怒っているで、悲しいなら悲しいで大丈夫)という心構えで受け止める。そうすることで、お子さんがつらかった話をまたしても大丈夫、お母さん・お父さんと話すと安心するという関係になっていきます。最後に、お父さんとゲームで真剣になるのは調子の良いときは良いかなと思いますが、うまくできないとき(心がちょっと弱くなっているとき)に真剣にダメ出しされるとつらくなりますね。親と子は対等な関係ではなく、大人は子どもよりも経験値が高い分、器用にできてしまうことがたくさんあります。そうしたそもそもの設定として、子どもはみじめな気持ちになりやすいので、そのあたり加味して、一緒にゲームで楽しめると良いですね。
2023年02月05日甘えん坊で寝ない赤ちゃんUpload By カタバミまちゃは赤ちゃんのころ、抱っこしているときには静かに寝てくれましたが、ベッドなどに寝かそうとするとすぐに起きて泣いて私を呼びました。2歳上のお姉ちゃんはよく寝る子どもだったので、眠っても1〜3時間で起きて、昼夜問わず泣くのは大変だなと感じました。でも、周りのママ友からはなかなか寝ない子どももいると聞いていたので、まちゃはそういう子どもなんだな、でも甘えん坊で可愛いなと思っていました。お姉ちゃんが社交的な性格で、幼児教室にも通っていたので、そのお弁当づくりや送迎、お姉ちゃんのお友達と遊ぶために公園に行ったりして毎日忙しく、このころまちゃの発達について不安になった記憶はありません。生後9ヶ月で歩き出したら一変Upload By カタバミまちゃは寝返りもハイハイも早く、歩き出したのは9ヶ月でした。お姉ちゃんは運動があまり得意ではなかったので喜んでいたら、どんどん動き回って机にも棚にも登るようになり、一日中「危ないよ」と言って抱えて下ろすようになりました。お姉ちゃんは1度注意したら同じことはやらなかったので驚きました。知り合いにアドバイスをされて、棚の上にあるまちゃが気になりそうな物を箱に入れて見えなくしたら、ピタッと棚には登らなくなりました。でも机には変わらず登り続けました。ベビーゲートもあっという間によじ登ってしまいました。活発に家じゅうを動き回っていた1歳を過ぎたころ、まちゃは目を離した隙にアイロンを足の上に落としてひどい火傷をおってしまいました。しかし、まちゃはそれほど痛がらず、皮膚科の先生に怪訝な顔をされたことを今も良く覚えています。このころは深く考えていませんでしたが、今となっては「感覚鈍麻」という特性ということが分かります。しかし、当時のママ友達からも「男の子はそんなものよ」と言われていました。1歳過ぎて実父からの指摘。2歳を過ぎて言語聴覚士からの指摘Upload By カタバミまちゃが1歳2ヶ月のとき、離れて暮らす実父と会ったときに「まだしゃべらないな。男の子は本当に言葉が遅いんだな」と言われました。そこで私は初めてハッとしましたが、2歳を越えたらしゃべり出した話も良く聞いていたので、2歳までは様子を見ようと思いました。1歳半健診で言葉の遅れを相談したら「お母さんと2人だけの時間をもっとつくってあげてください」と言われました。お姉ちゃんが親の参加が多い幼稚園に入ったので良くまちゃを連れて行きましたが、少しでも目を離すとあっという間にどこかに行ってしまうので、物分かりが良いお姉ちゃんよりもまちゃが大変だった記憶しかありません。2歳になる少し前に育児支援センターに隔月で来ていた言語聴覚士に相談に行き、そこで初めて「この年齢ならできているはずことができていません」と発達の遅れを指摘されました。まちゃは「これをお父さんに持っていって」というような行動もできなかったのです。このときに発語を促す関わり方をいくつか教わりました。夫とももっと丁寧にまちゃと関わろうと話し合い、発達センターで正式に発達検査を受ける予約を入れました。そして大好物だった「バナナ」と言う練習を始めたりして、隔月でまた言語聴覚士のところに行きました。発達センターで受診。自閉スペクトラム症と診断されるUpload By カタバミまちゃは2歳10ヶ月で発達検査を受けて自閉スペクトラム症だと診断されました。専門家が診たら一目瞭然だったようです。でもその後も育児支援センターや母子相談室では「でもまちゃくんなら大丈夫。障害の程度も重くはないと思います、きっと心配ありませんよ」と言われ続けました。しかし今、まちゃの障害は軽度ではありません。私はまちゃが大丈夫と言われ続けた原因は、まだ小さくて分からなかったということと、私の前では比較的落ち着いていたからだと思います。それから今まで私自身の身近に障害のあるお子さんがいなかったので、私がとても無知だったことも原因だと思います。障害があることが分かりやすいお子さんも、気づかれにくいお子さんもいると思いますが、療育を始めるのは早い方が良いと言われていますから、少しでも疑問を抱いたら積極的に専門の方に診てもらった方が良いのではないかと思います。執筆/カタバミ(監修:新美先生より)発達障害と診断を受けるまでのことを書いていただきありがとうございます。最初からわが子に発達障害があるのではないかと思う方は少ないので、診断を受けて発達障害についての知識が増えてから、小さいころのことを思い出すとそういえばこういうことがあったなと思い出すことは多いと思います。あとから振り返って、もっと早く気づくチャンスはあったかもしれないと思うこともあるかもしれませんが、2歳10ヶ月の診断は遅くなくて、むしろスムーズな経過だったのではないかとも思います。地域により診断時期は差もあるかもしれません。もちろん、保護者の方が心配になること、気になることがあるときはどんどん相談に行ったり、疑問が解決しない場合は専門相談を受けるというのも良いですね。
2023年02月03日義母を叩いてしまう自閉症長男に困ってしまい3歳のときに、自閉スペクトラム症(ASD)と知的障害の診断がおりた、わが家の中2長男。もちろん、義理の両親にもそのことはすぐに伝えました。義母は長男の診断を聞いて、最初は「障害はいつか治る」と思っていたようでしたが、今では孫の障害について、治るものではないと理解して受け入れてくれています。長男は人を見て態度を変えることがよくあり、特に悪いことをしても許されそうな人・怒らなそうな人に対しては叩いたり暴れたりなど、自分の思いを間違った方法で伝えてしまう一面があります。それは義母に対しても…優しい義母に長男も甘えていたようで、長男は義実家へ行くと常に義母に手を出していました。自分が手を挙げたときに、おばあちゃんが反応してくれるのが面白かったのか、叩きながらうれしそうにするのです。Upload By ユーザー体験談義母は「この子は困ったね」という感じで長男のことを警戒していたようですが、義母からは「うちに連れて来ないで」という言葉はありませんでした。長男が手を出したら「叩いたらダメ」ということは、諭してくれていたようでした。(義実家に行くときは夫と一緒だったので私は直接見たことはありません)長男が叩いた弾みで義母が転倒!そんなことが続いた長男12歳のある日、とうとう義母が長男が叩いたその弾みで倒れてしまったのです。幸いにも怪我などはなかったのですが、長男も12歳になり相当力が強くなっています。それ以来、夫は「(長男を)連れて行くと(義母が)危ないから」と言って長男を義実家には連れて行かなくなりました。Upload By ユーザー体験談義母は70代で若くないし、体も小さいので義母の身を案じてのことです。孫の顔を見せたいという気持ちより、長男は義母に必ず手を出すのでやめておいたほうがいいという夫の考えには、長男の気持ちを思うと残念な気持ちもありましたが、私も同感でした。しかし当の本人は義両親が好きなので、ときどき義実家に行きたがります。学校が休みの日に、「じいちゃん、ばあちゃん行く!」と泣きながら口にすることもありました。義両親に会わせてあげたいけれど、義母をまた叩いてケガをさせてもいけない…長男には我慢をしてもらうしかありませんでした。Upload By ユーザー体験談数年ぶりの義両親宅への訪問。長男の様子は…?そのままコロナ禍に入ってしまったということもあり、しばらく義実家に行くこともなかったのですが、今年のお正月、数年ぶりに夫が長男と次男を連れて義実家に行きました。夫と次男は、長男が義母に手を出さないよう予め言い聞かせたり、気をつけて見ていてくれたようで…そのこともあり長男が義母に手を出すことはなかったそうです!以前は長男を連れて行くことに反対していた夫も、今回の成長を見て、たまになら連れて行ってもいいかなと思ってくれたようです。そして義母も、先日電話で話をしたときに「孫はやっぱりかわいい。会いたい」と言ってくれていたので、コロナ禍などの様子を見ながらこれからも義両親に会いに行けたらいいなと感じました。Upload By ユーザー体験談そのためにも私たちは「事前にしっかり『おばあちゃんを叩かない』と言い聞かせる」「義実家では必ずそばで見守る」「義母に対してふざけそうな様子を感じ取ったら、義母との距離を離す、または家に帰る」などを心がけ、義母と長男が少しでも楽しい時間を過ごせるようにこれからもサポートをしていきたいと思っています。イラスト/SAKURA※エピソード参考者のお名前はご希望により非公開とさせて頂きます。(コメント:鈴木先生より)ダメなものはダメときっぱりと言い切ることが大事です。そして、我慢できたら褒めてあげることも重要です。こういう場面でもトークン法の「がんばりカード」などを有効活用してもいいでしょう。逆に「叩きたくなったら肩を叩いてあげようね」でもいいかもしれません。人を蹴る子どもにはサッカーを、棒で叩く子どもには野球や剣道をすすめるのと同じです。今回のお義母さんは叩かれて反応してしまいましたが、嫌なことをされた場合は、いい意味で無視することも一つの手です。周りの反応を見て楽しんでいる子どももいるので、なるべく反応しないようにすればいずれ飽きてやらなくなるはずです。
2023年01月28日「高校、別に行きたくないし」自閉スペクトラム症(ASD)のある子ども発達障害の専門家が出会った子どもたちの抱えていたリアルな「困った!」をもとに、子どもたちの状況を変えた対応策などをドキュメントタッチで解説します。今回は、フィギュアに夢中で、勉強に身が入らない自閉スペクトラム症(ASD)のある子どものエピソードです。Upload By 専門家体験談Upload By 専門家体験談Upload By 専門家体験談マンガ/NEGI今回は、自閉スペクトラム症(ASD)のある中学生のお子さんに関する「勉強の悩み」エピソードをもとにマンガ化してお届けしました。フィギュアやゲーム、アニメなどに夢中で、なかなか勉強に身が入らないお子さんは多く見られます。特に受験が近かったり、テストの結果が芳しくなかったりすると、保護者の方のご心配も大きいことと思います。今回のようなフィギュアなどの収集癖があるお子さんの場合、次のようなステップで関わることをおすすめします。1.子どもの興味・関心を否定せず、話を聞いて理解しようとする2.興味・関心を起点として関心の幅(視野)を広げられるようにきっかけを与え、進学についても目的を与えるようにする3.進学先については選択肢を提示し、子どもが選びやすい状態をつくる
2023年01月25日定型発達だと思っていた次女私には二人の娘がいます。長女のまゆみは自閉スペクトラム症と知的障害の診断がついており、次女のあずさはいわゆるグレーゾーンの自閉傾向があると指摘されています。現在は4歳と2歳の娘たちですが、1歳半健診はそれぞれに思い出深いものがあります。まゆみのときは、誰が見ても「何か困りごとのある子だな」と分かるくらい意思疎通が難しい子どもで、騒ぎすぎて別室待機になったことや、相談ごとが多すぎて帰宅が夕方になったことを今でも覚えています。やがて次女のあずさも1歳半健診を受ける時期になりましたが、母子手帳のチェックリストにある“指差し”や“言葉での簡単なやりとり”などもできていたため、私は安心しきって「この子の1歳半健診はすぐに帰れるだろう」と考えていました。結果として、その1歳半健診で初めてあずさの発達面の違和感に気づき、その半年後に改めて自閉傾向の指摘を受けたことから、療育を始めることになります。「この子は問題ないだろう」と思いながら向かった次女の1歳半健診次女のあずさと1歳半健診の会場に着いてすぐ、「あれ?」と感じました。ほかの子どもたちはおとなしくお母さんの横で待っているのに、あずさだけがウロウロと待合室を練り歩くのです。「こっちにおいで」「ママのお膝で待とう」「大好きな絵本もあるよ」など、どれだけ声をかけても振り返りません。いつもなら呼んだら来るし、振り返って笑うのに、一体どうして?と思いました。仕方なく抱きかかえて席に戻ろうとすると、今度は大暴れ。どうにか席に座らせても、じっとできずにすぐウロウロ…。また捕まえても、私の手から逃れようとどんどん機嫌が悪くなってしまいます。探索に夢中になって指示が通らないその様子は、長女まゆみの小さいころを彷彿とさせました。Upload By にれ検査が終わるたびにあっちこっち行きながらも、検査自体は引っかかることなく進んでいきました。この点は予想通りだったものの、まさか待ち時間でこんなに苦労するとは想定外でした。『次の人』として待機している少しの間にも、あずさは床のシートを剥がして裏側を確かめています。そんなことをしているのは会場であずさだけでした。私はそんな娘の様子に不安を感じ、その場にいた保健師さんに聞いてみました。「この子、多動でしょうか。こんなに落ち着きがないなんて」保健師さんも観察してくれていたようで、「確かによく動く子ですね、いつもこうですか?」と聞かれました。確かにあずさは普段からよく歩き、よく遊ぶ子どもです。ただ、制止しているにも関わらずこんなに好奇心のまま動き回る様子は記憶にありません。考えてみると、あずさは病院にかかったことがほぼなく、予防接種も予約制で、移動もマイカーばかりのため、「じっとして待ってね」と声をかける機会があまりなかったように思います。1歳半健診はあずさにとって、初めての「じっと待つべき場」だったのです。不安が膨らみ、長女の療育先に相談「異常なし」として1歳半健診が済んだあずさ。けれど、一度抱いた不安は私の中で膨れ上がりました。ひと月ほど悩んだのち、私は長女の通う療育施設に「次女も多動傾向で困りごとが出てきた」と相談させてもらいました。幸いなことに、療育先は発達外来のある病院と提携しており、あまり待たずに心理士の方に診てもらうことができました。ただ、その時点では「異常とまではいえない」という結果で、「言葉もよく出ており、おもちゃを介して遊んだときに“ちょうだい”も“どうぞ”もできるので現時点では発達上問題ないといえます。よく動きたがるのはお姉ちゃんの行動を見て学んでいるとも考えられますし、性格的にも好奇心が強いようです。場所見知りと人見知りのなさは見られますが、そう心配はいらないでしょう」ということでした。「そうか、あずさの中ではまゆみの行動がスタンダードになってるんだ。もっと同年代の子の振る舞いを見る機会をつくらないと」と納得した私は、支援センターや児童館に行く回数を増やすことを安心材料にしていました。半年経って、強まってきた特性そうして1歳半健診から半年が過ぎました。その間、多動ぶりに困らされることが多くなってきて、「定型発達だろう」から「何らかの特性があるかもしれない」に私の意識も変わりつつありました。さらに、2歳を迎えてイヤイヤ期も最高潮。外へ行きたがるので1時間半から2時間ほど散歩に出る日が多いのですが、帰宅して私がクタクタになっていても、あずさは玄関でひっくり返って「おさんぽーーー!!もっかい!!いこうよーーーーー!!!!」と30分近く大泣きする日もしばしばでした。日ごろはいつもニコニコして、スーパーへ行くと周りのおじいさんおばあさんから「愛嬌のある子だねぇ~」と人気者になることも多いあずさですが、ひとたび癇癪が大爆発すると、親を叩いたりおもちゃを投げたりと手がつけられないようになってきたのです。Upload By にれそれでも私は「これがイヤイヤ期かぁ。大変だけど、まゆみはイヤイヤ期がまだ来ていないから新鮮だなぁ」とのんきに考えていました。転機になったのは、あずさを観客として連れて行ったまゆみの療育先の運動会でした。特性が大爆発!もう一度診察を受けることになって地域の体育館を借りて行われた運動会で、外に出たがったあずさが大癇癪を起こしたのです。あずさをなだめるのに抱っこして外へ出ようとすると、母親がいなくなるのを察知したまゆみが泣き出すというカオスな状況で、先生方も2人を泣き止ませようとあの手この手を尽くしてくれました。Upload By にれあとから聞いたのですが、差し出された風船を怒りのまま叩き落とすあずさを見て、先生方も「癇癪の様子がただごとではない」と感じたそうです。そこから「詳しく話を」ということになり、今度は心理士に加えて医師にも診ていただくことになりました。一番の困りごとというと多動だったので、私はてっきり「発達障害があるとしてもADHDの傾向だろう」とばかり思っていました。ところが、医師と心理士さんが問題視したのは多動や癇癪の強さよりも場所見知りと人見知りを全くしないことの方で、「現時点で診断をつけるとするなら自閉スペクトラム症」と告げられました。これには本当に驚きましたが、ADHDの診断は3歳ごろまでつけづらいという理由のほか、よくよく考えると、「周囲の様子を見ることなく自分の欲求を優先してしまう」という自閉的な傾向が場所見知りと人見知りのなさにつながっていたのか!とそこで初めて気づきました。いつもニコニコ人懐こい印象だったので、「あずさは物怖じしない性格なんだ」と思い込んでいたのです。そのまま療育をすすめられ、「療育に診断書の要る自治体だったら書いているところだけど、うちの市は診断書がなくても療育が受けられるので正式な診断はまだつけないでおきますね」と言われました。あずさはいわゆるグレーゾーンに当たる子どもなのだろうと思いました。ショックを受けつつも、心に芽生えた気持ち長女に続いて次女にも自閉傾向があるという事実はショックでしたが、2歳という早期から療育を受けられることになったのはあずさにとって良かったと思っています。指差しや受け答えができても自閉スペクトラム症とされる場合もあるのだと、私にとっても大きな学びになりました。あずさは今後、とりあえず1年間療育に通わせて様子を見るつもりでいます。Upload By にれ先生方にとって、保護者に子どもの発達の指摘をするのは勇気の要ることだと思います。元々相談実績があったとはいえ、運動会のあとに指摘してくださったことは本当に感謝しています。また、あずさの場合は気づきにくいタイプの自閉スペクトラム症だったこともあり、おそらく長女の存在なしには発達の違和感に気づけなかったんじゃないかとも思います。次女のあずさの特性の早期発見と、早期療育につながることができたのは、その前にお姉ちゃんのまゆみに発達障害があることが分かったことがきっかけで母親の私が徐々に理解を深めてこられたためでもあるので、まゆみにもありがとうと言いたいです。この先どうなっていくか未知な部分はたくさんありますが、姉妹の特性をよく理解して、親も子も笑顔を忘れないようにしていこうと思います。執筆/にれ(監修:初川先生より)次女あずさちゃんが療育につながったエピソードのシェアをありがとうございます。人の多い場面でじっと待てないことに違和感を感じたり、多動さや癇癪などに対応するのに苦労したり、そうしたことに瞬間瞬間でそう感じることはあっても、日々の子育てでそうしたことが流れていくなどして、なかなか相談する機会も持ちづらい面もあるかもしれません。にれさんが健診や長女まゆみちゃんの療育機関でそうした気配や不安をお話されたことがまずとても良かったと思います。にれさんも書かれているように、早期に療育につながったことは、あずさちゃんのより良い成長発達の面ではとても良いターニングポイントになったでしょう。相談して、何もないなら何もないで見守る。その後にまた違和感を感じたら、また改めて相談する。そうして複数の目で子どもの発達を見て、できることをする。そうした営みがとても良いなぁと感じました。
2023年01月19日作業に時間がかかる太郎Upload By まゆん4歳のころに自閉スペクトラム症の診断を受けている太郎は、小さいころから作業全般に時間を要す。特に、指先で行う細かい作業に苦手さがある。例えば小学校の体育祭。ハチマキを巻けずに友達にヘルプを出して結んでもらっていた。私はというと、その様子を見て、太郎がヘルプを出せることや手伝ってくれる友達の優しさに涙を流していた。そのほかにも「エプロンのひもを上手く結べない」と言い、家で繰り返し練習していた。あえてひものある靴を選び、ひもを結ぶ練習をさせたりもした。いまだに、ひもを結ぶのは時間がかかる。中学校の制服問題太郎は今年度から中学校の特別支援学級に進学した。それに伴い制服を着なければならなくなり、太郎にとって2つのつまずきが出てきた。その1、スクールシャツのボタン。学ランのボタンはわりと大きいためか、スムーズに間違いなくとめることができた。しかし、下に着るスクールシャツのボタンは時間がかかるし毎日のようにかけ違える。それを見てばあばは、ニコニコ愛おしそうな顔をする。「太郎?かけ違えないように印をつけとこうか?」そう助けを出そうとするが、太郎は首を縦には振らない。自分の力でなんとかしたいという思いがあるのだろうか。私たちは、毎日かけ違いがないか見守る毎日をいまだに続けている。Upload By まゆんその2、今まで経験のなかったベルト。ベルトについては、まずズボンに通すところから練習した。入学前の春休みに何回も練習した。通す技を習得したら、次はベルトをとめたり緩めたりすることを練習した。そうして、中学校生活が始まった。帰宅すると太郎は、ズボンを脱ぐときにベルトをズボンから外す。「ズボンに通したままにしておいたら、次に履くときに時間がかからないよ」と伝えたが、そこは太郎のこだわりらしい。ベルトはズボンから綺麗に外してハンガーへかける。Upload By まゆんそして余談になるが、よくスクールシャツと学ランの間に着る防寒着を学校へ忘れてくる。何度言っても忘れてくる。中学校の制服一つで、太郎の特性やこだわりが見えてくる毎日だ。あとがき太郎の作業に対する時間のかけ方、かかり方は幼少期からあまり変わりません。時間はかかるけれど、本人はまずまず気ままな性格であるため苛立ちは見えずに、ゆっくりと時間をかけて自分でなんとかできています。それにしても、シャツのボタンに対してここまでかけ違いが長く続くとは予想外でした。このように毎日予想内、予想外の連続で良い意味で刺激をもらっています。私のかたい頭がほぐされてるように思えます。執筆/まゆん(監修:鈴木先生)作業時間に影響するのは主に処理能力です。同時処理に苦手さがあると、たとえば板書の写しに時間がかかります。継時処理に苦手さがあると、段取りが悪くなります。また、ワーキングメモリの働きが弱いと、作業が覚えにくいので時間がかかります。今回書いていただいたボタンやベルトについては、ボタンの代わりにマジックテープにする、ベルトの代わりにゴムにする、などの工夫をすることもあります。また、発達性協調運動障害がある場合、リハビリの作業療法(OT)でやる感覚統合訓練が有効と一般的には言われています。発達が気になる子どもの将来を考えると、就職する前にできるだけ早く特性を知ることが大切です。たとえば、ADHDがあればそれを治療することで集中力をつけて覚えやすくしたり、忘れ物を減らしたりしていくことが重要なのです。小児科の神経外来など早く専門の医療に介入することで自尊心を下げずに済むことが期待されるのです。
2023年01月17日わが子にとっての「あたりまえ」とは?を考えるーー『自閉スペクトラム症の太郎とやさしい世界』この本では、発達ナビの連載ライターである「まゆん」さんと、自閉スペクトラム症があり特別支援級に在籍する息子の「太郎」くんの温かい日常のエピソードが描かれています。太郎くんとの生活は驚きの連続。ふとしたときに独特の感じ方、考え方を見せる太郎くんの特性を、まゆんさんも、まゆんさんのご両親やお姉さんも、否定することなく、やさしく受け止めてくれます。自閉スペクトラム症がある太郎くんのエピソードが中心に描かれていますが、そのほかにも看護師として夜勤で働くまゆんさん自身のお仕事のお話や、若くして亡くなったまゆんさんのお兄さんや病気が見つかったお姉さんのお話、先生や友達との人間関係などを含めて、「自閉スペクトラム症のある子どもの子育て」というテーマに限らず、生きるとは、子どもを持つこととは、その人にとっての「あたりまえ」とは、お互いを思うこととは、といった幅広いテーマについてじっくりと考えられる一冊になっています。感覚過敏、癇癪、抽象的な概念の理解の難しさなど、さまざまな特性があるものの、ときに大人が気づかないようなハッとするようなことを口にしたり、周りの人の言葉や行動を自分なりに解釈してやさしい言葉をかけてくれる太郎くんとの関わりを通して、太郎くんだけでなく、まゆんさんや太郎くんの周りの人が成長していく様子も垣間見ることができます。やさしさあふれる太郎くんとあたたかいご家族の日常から、自分にも人にもやさしくなれる生き方のヒントが得られるのではないでしょうか。一人にしない、立場を超えた対話の重要性ーー『対話から始める脱!強度行動障害』強度行動障害とは、他害や自傷など、周囲の人の暮らしに影響を及ぼす行動を著しく高い頻度で起こすために、特別に配慮された支援が必要な状態を指します。近年、医療、教育、福祉、行政など、それぞれの分野でさまざまな取り組みが進められているものの、まだまだ家族や施設で孤立し、困り果ててしまうケースが多いといわれています。この本では、ライフサイクルを見据えたうえで、1. 思春期、2. 思春期~青年期、3. 成人期~高齢期と3つのパートに分け、強度行動障害の背景、予防のための工夫や支援、家族との関係性や自立生活のための支援についてなど、それぞれの時期にぶつかりやすい困りごとやその対処法について、座談会も交えながら、児童精神科医や介助職の方など幅広い立場の専門家により書かれています。大切なのは支援者も当事者も孤立させないこと。それぞれの立場を超えて対話を重ね、教育、福祉、医療など分野を超えて連携し、包括的に支援を行っていくことが強度行動障害を抜け出すための一歩になるのではないでしょうか。強度行動障害についてさまざまな悩みに直面したとき、この本は必要な情報を提供してくれるかもしれません。フリースクールについての疑問に答えてくれる一冊ーー『フリースクールを考えたら最初に読む本』近年では、不登校の子どもの数が年々増加し、フリースクールなど家や学校以外の「第三の居場所」の需要が高まっているといわれています。いざ子どもが不登校になり、フリースクールに通うという選択肢を考える段階になったときに、そもそもフリースクールとはどんな場所で、どんなスタッフがいるのか、どのように選べばいいのか、といったことについて情報を得ることが難しいという課題があるそうです。この本では、不登校新聞編集長の石井志昂さんにより、不登校について、フリースクールの必要性について、運営やスタッフについて、選び方についてなど、フリースクールに関して知りたい情報が分かりやすくまとめられています。Q&Aや当事者、保護者の方の体験談も掲載されており、幅広い視点から「フリースクールとはどんな場所か」について学ぶことができるような一冊となっています。不登校は決して他人事ではなく、何かのきっかけで急に学校に行けなくなってしまうことはいつでも起こりうることだと言えるでしょう。子どもが不登校になったとき、フリースクールは一つの選択肢になるかもしれません。フリースクールと言っても、中身はさまざま。子どもにとって最適な選択ができるよう、この本は必要な情報を提供してくれるのではないでしょうか。現在不登校状態にある方も、フリースクールについて知っておきたいという方も、さまざまな方におすすめの一冊です。強迫症の正しい理解と治療のためにーー『強迫症を克服するー当事者と家族のための認知行動療法』強迫症とは、自分の意思とは関係なく、ある考えやイメージが頭に浮かんで離れなくなり(強迫観念)、そこで生まれた不安を払拭するために同じ行動を何度も繰り返すこと(強迫行為)で日常生活に支障が出てしまう不安障害の一つです。強迫症は本人の生活に支障をきたし、そのことを自分で責めたりしてしまったり、家族や近くにいる人も巻き込まれてしまったりするケースが多く、とても苦しい病気であるといわれています。この本では、「洗浄強迫」「確認強迫」「整理整頓型強迫」「想像型強迫」などそれぞれのタイプごとに症状や原因が説明されているほか、強迫症の治療、家族の対応、関連するほかの障害などについて詳細に語られており、自分の症状に合った対処法を見つけることができるようになっています。強迫症の治療は「ひたすら我慢する」「ひたすら嫌なことをする」と考えられていることも多いですが、このようなイメージは誤解であるとこの本では述べられています。病気の実態や治療について正しい知識を得たいと思ったとき、この本はそっと寄り添ってくれるのではないでしょうか。誰もが参加し楽しめる、新しい体育のあり方ーー『合理的配慮にも活用できる!アダプテッド・スポーツで誰もが主役の楽しい体育』アダプテッドスポーツとは、身体活動をする際に配慮が必要な方(障害児者、高齢者、妊婦など)に対し、用具、ルール、環境などを工夫することで、誰もが身体活動に参加できるようにするための取り組みを指す言葉です。この本では、年齢、性別、障害などを問わず楽しめるアダプテッド・スポーツの考え方をベースに、誰もが主役になれる体育の在り方が分かりやすく解説されています。第1章では、理論編として、体育やアダプテッドスポーツの基本的な考え方を、第2章では、実践編として、器械運動、陸上運動、ボール運動など、それぞれの分野ごとにさまざまな運動の実践例が紹介されています。運動の効果・効用や評価の仕方など、実際に授業をデザインする際に参考になる内容もたくさん盛り込まれています。教室の中には、運動が苦手な子ども、身体を動かすことに制約がある子どももたくさんいるでしょう。体育の授業の時間に、誰かが我慢したりつらい思いをしたりする必要がない環境づくりのためには、みんなで楽しめる体育の授業を考えていくためには、どのようなことが必要なのか、この本と共に考えてみてはいかがでしょうか。「令和の日本型学校教育」と知的障害教育はどう交わる?ーー『知的障害教育における「個別最適な学び」と「協働的な学び」』2021年1月に中央教育審議会から「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」が答申されました。この本では、答申の中で示された「個別最適な学び」と「協働的な学び」というキーワードについて、これらを知的障害教育においてどのように実現していくかについての提案がなされています。Ⅰ章で「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」が示す内容を読み解き、Ⅱ~Ⅳ章では、知的障害教育の歴史、「学校生活の集団化と個別化」、教育目標「自立」をめぐる議論をもとに「個別最適な学び」と「協働的な学び」の在り方が検討されています。さらにⅤ章では「個別最適な学び」と「協働的な学び」を実現する授業づくりについて、Ⅵ章では今後の課題と望ましい方向性について述べられています。知的障害教育の歴史を振り返ると、すでに「個別最適な学び」「協働的な学び」の多様で豊かな蓄積があることが示されています。今後の教育が目指す「令和の日本型学校教育」と知的障害教育はどのように結びつき、関わっていくのでしょうか。知的障害教育という観点からの「個別最適な学び」と「協働的な学び」について知りたい方、「個別指導」と「集団指導」、また教育目標「自立」との関係について考えたい方におすすめの一冊です。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2023年01月14日どんな方法を試しても、飲めない薬。現在小学6年生の広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)のある娘は、昔から苦手なものがあります。それは…粉&シロップの薬!Upload By SAKURA3歳くらいまでは、粉薬、シロップをまったく受けつけず、口に入れてもすぐ吐いてしまいました。なんとかいい飲ませ方がないかと、お医者さんや薬剤師さんに聞いた方法を試したのですが…食べ物に混ぜる方法:練乳、チョコアイス、抹茶アイス→全部×飲み物に混ぜる方法:牛乳、ミルク、ココア→全部×お薬を飲むために売られている専用のゼリー→×粉薬に超少量の水を垂らして団子にし、口の内側に貼り付ける→×ことごとく失敗。最終的にたどり着いたのは、親二人で抑えつけ、シリンジを使って、口に無理やり流し込むという方法でした。しかし、この方法も成功率100%ではなく、全部吐かれてしまうこともよくありました。さらに、この方法、親にも子にもストレスがかかるので、私たちもやりたくない気持ちを押し殺して、やっていました。Upload By SAKURA薬を飲まなくていいように頑張ったけれど…娘に処方される薬が恐怖だった私は、とにかく体調を崩さないように、病院にかかることがないようにしようと心がけたのですが…Upload By SAKURAそれでも娘はよく風邪を引き、熱を出してしまうことも多く、病院にかからざるを得ない状況でした。飲めない子が悪い?飲ませられない親が悪い?娘が2歳のある日…また体調を崩し、熱を出しました。私は病院に行くのが嫌で仕方なかったのですが、娘の熱はぐんぐん上がり、咳も出てきたため、私は重い腰を上げ、病院に向かいました。Upload By SAKURA診察後…いつものように薬を処方され、私は、これから薬を飲まなければいけないことを想像しただけで憂鬱になりました。何かアドバイスが欲しいと思った私は、先生に、娘が薬を飲んでくれないことを話しました。すると…Upload By SAKURA先生から返って来たのは、想像していたよりもきつい言葉でした。薬を飲めない子が悪いの?それを飲ませることができない親が悪いの?薬が飲めない子は、病院にかかってはいけないの?私は頭を抱えながら家に帰りました。帰宅後、もらった薬をなんとか娘に飲ませようと頑張りましたが…Upload By SAKURA娘はいつものように吐いてしまい、もらった薬は無残にも床に零れ落ちました。私はそれを拭きながら、涙が止まりませんでした。病院を変えてみると…その夜、帰宅した夫に、病院の出来事を話すと、「病院を変えてみたら?」と提案されました。正直、どこの先生も言うことは同じだろうと思っていたのですが、嫌なことを言われたいつもの小児科には、また行く気がせず、以前車で通りかかった小児科に変えることにしました。初めての病院でどんなお医者さんかと不安な気持ちを抱えて、診察室へ。先生は、物静かな感じの人でした。私はまた同じようなことを言われるかもしれないと覚悟を決め、診察が終わったあと、薬のことを聞いてみました。すると…Upload By SAKURA私は、この病院をかかりつけにすることにしました。その後も、この先生は、娘が受診すると、Upload By SAKURA娘の病状に合わせて、点滴をしてくれたり、病院のシステム上、「点滴は5時まで」というルールだったのですが、7時近くまでかかる点滴を受けてくれ、Upload By SAKURA申し訳なさそうにする私に、笑ってくれたりしました。私たちは、娘が3歳になり、沖縄県に引っ越すまで、この小児科の先生にお世話になりました。その後、娘は少しずつ言葉が通じるようになり、薬を飲むように説得ができるようになったことで、飲むまでに時間はかかりますが、何とか粉薬とシロップを飲めるようになりました。5歳になるころには、錠剤が選べるようになったため、娘はストレスなく薬を飲めるようになりました。小学6年生になった今も、娘は…Upload By SAKURA弟たちが、粉薬とシロップを飲む様子を見て、「おえっ」と、えずくほど、粉薬とシロップが大嫌いです。(弟たちは、おかわりを要求するほど、薬大好き)きっと嫌な思い出が蘇ってくるのでしょう。そんな様子を見て、私たちもあの日のことを思い出しています。執筆/SAKURA(監修:鈴木先生より)一般的には4、5歳から錠剤が飲めます。ただ、錠剤を噛んでしまうと苦いので要注意です。「良薬は口に苦し」と言われていたのは昔の時代です。今はドライシロップや小さい錠剤など以前に比べて大分飲みやすくなりましたが、それでも薬の構造式は変わらないので原末が苦ければどうしても後味に苦みは残ってしまいます。特にASDのお子さんは味覚過敏もあることが多いので、一度苦いと分かったら二度と飲みたくはないと思ってしまうこともあるでしょう。私の経験では、乳酸菌飲料が比較的飲み合わせがいいように感じました。漢方薬をはじめ、においの独特な薬なども苦手なお子さんが多いです。また、たとえ無味無臭であっても味や臭いが嫌だというASDのお子さんもいます。飲めない場合は今回のように点滴かまたは座薬という手もあります。座薬の抗生物質もあるので点滴が困難なお子さんには私はよく救急外来で処方していました。また、こういう場合も飲めたらシールなどを貼って1週間飲むことができたらご褒美をあげるというトークン法が有効なこともあります。
2023年01月11日息子の偏食に気づかなかった未就園児の時期Upload By カタバミ小学1年生のまちゃは、自閉スペクトラム症と知的障害があり、偏食と睡眠障害もありますが、赤ちゃんのころは母乳もミルクもよく飲み、何も問題はないと思っていました。2歳上にいるお姉ちゃんのほうが母乳を飲むのが上手でなく苦労しました。まちゃは、離乳食になってからも柔らかく煮た野菜をよく食べていましたし、お姉ちゃん向けに出したミニトマトやきゅうりのぬか漬けも食べていました。言葉が出ないのが心配で2歳半で入れた預け合いのサークルでも、お弁当づくりにはそれほど苦労はしていませんでした。家ではカレー、納豆、シラス、お鍋のあとの雑炊などを好んで食べていましたし、食欲もあるので、心配していませんでした。あんこやチョコレートなどの甘味は比較的いつでもほしがるので食べ過ぎないように注意をしているくらいでした。就園したら偏食が加速?Upload By カタバミ食事に関して、家庭で困ることがなかったまちゃの偏食がはっきりと問題になったのは幼稚園の年少のときでした。幼稚園の最初の面談で先生から「麦茶と少しのご飯しか食べず、ごくまれにメインのおかずを少し食べる程度です」と報告されたのです。介助が必要な子どもを集めたグループで食べていたそうですが、隣の席の男の子もいつも全く食べずに器を全部よけてしまうそうで、まちゃも同じことをするので2人の間には給食が境界線のように並んでいることがよくあったのだそうです。ただ、まちゃはカレーのときだけは全く介助がいらずよく食べていると聞きました。同時期から、通っていた児童発達支援事業所に持たせるお弁当も残すことが増えました。今まで食べていたウィンナーもミートボールもハンバーグも食べなくなり、食べるものといえば、味つけが塩コショウで脂身のない肉だけ。それまでは食べていたコロコロの小さな丸いおにぎりも食べなくなり、残してくることが増えました。家では朝晩よく食べているから良いかと思っていましたが、長距離ドライブ中にコンビニに寄っても、外食しても、帰省しても、まちゃの食べる物で困りました。空腹でも食べないの?いよいよ偏食と向き合うことにUpload By カタバミ年中からは近所の児童発達支援事業所に週5で通うことにしました。そこでは給食が出ていましたが、まちゃは1ヶ月以上の間全くその給食に手をつけず、毎日廃棄する状況が続いていたので、私がつくったお弁当を持たせることになりました。これには、さすがに焦りました。まちゃは、ご飯よりもパンを食べるので栄養のある食パンを焼き、焼き芋は必ず食べるので毎日お弁当に入れました。サツマイモがあまり売っていない夏の間は焼き芋の代わりにトウモロコシを入れました。毎日同じお弁当でしたが「食べてくれれば…」と全く恥ずかしいとは思いませんでした。まちゃは家でも決まった物しか食べませんでしたが、外の世界ではさらに気難しくなりました。行動療法の本を読んで偏食が治る方法も試しました。まちゃは10分くらい大泣きで嫌がったあとで小指の先程の大きさの苦手な物を食べてくれましたが、毎回大泣きさせてまで続けることに私が疑問を感じてしまい2ヶ月ほどでやめました。年長からは給食が美味しいと評判の療育園に通いましたが、まちゃの連絡帳の今日食べた物の欄には「米3粒」や「お茶のみ」などとよく書かれていました。療育園に参観に行ったとき、まちゃ以外にも海老反りになって給食を激しく拒否するお子さんがいて、先生はその子を抱えて食べさせようとしていました。まちゃはその先生の前でいつも通り静かに全部拒否しているのを見て、私はあきらめる気持ちになりました。偏食は一進一退。それでも、大きく構えて感謝してUpload By カタバミまちゃは、小学1年生になり特別支援学級に通っていますが、なんと登校2日目で給食はほぼ完食して帰ってきました。生徒の数が少ないので、担任の先生は1人ひとりの様子をよく見て少しだけよそったり、小まめに声をかけてくれているおかげだと思います。それからこれは私の考えですが、まちゃは小学校の大きな建物や、大勢のお子さんたちと過ごすことで何か感じ取っているのではないかと思います。学校の給食は食べるようになっても、家でのまちゃの偏食は全く変わらず、毎日家族とは別のまちゃ専用のメニューです。でも今まで食べなかった豚汁は給食で大好物だと聞いたので家で出してみたら抵抗なく食べてくれるようになりました。まちゃの偏食について私が考えていることは、理屈で考えても仕方がないということと、食べてくれる物もあるのだから感謝しようということです。以前好んで食べていた物も急に食べなくなります。少し食べたら思い出すのではないかと無理に食べさせたら暴れて嫌がって吐き出しました。まちゃが見て嫌だと感じたらそれはもう無理なんだとあきらめることにして、大体必ず食べるメニュー(まちゃの場合は納豆、しらす)は冷凍庫に切らさないようにしています。何年か経ったとき、食べるメニューが増えていたらいいなと大きく構えることにしたらだいぶ楽になりましたし、一進一退ですが少しずつ食べる物は増えてきていると思います。執筆/カタバミ(監修:藤井先生より)1日3回ある食事、食べてくれないと心配になりますよね。「米3粒」という記録が、偏食の強さを物語っています。この偏食は発達外来でもよくある相談です。口腔内の触覚、味覚、嗅覚、咀嚼の音への聴覚などの感覚の過敏や、食事をとる環境が落ち着かないなどが関係していることがあります。ご自宅や、療育園や事業所などでさまざまな工夫をしても、食事が進まないときがあります。カタバミさんの表現では「あきらめる気持ちになった」とありますが、偏食はダメということから少し離れて、食べられるものがあることに感謝という視点で、大きく構えることができたのがよかったと思います。
2023年01月08日PTSDと発達障害の関連性とは?PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)は、つらい出来事がトラウマとなり、さまざまな症状を発症する疾患です。ADHDの症状の中にはPTSDの症状と似ている点があったり、自閉スペクトラム症(ASD)のある子どもの中にはPTSDだと診断されなくとも、こころの傷によって苦しんでいる場合もあります。※この文章を読んで、自分のトラウマがよみがえってきたり、気持ちがつらくなった場合には、一旦画面を閉じましょう。可能であればゆっくりと深呼吸をして、今が安全であることを確認しましょう。気持ちが落ち着いたら、また再開してくださいね。Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンADHDとPTSDの類似性ADHD(注意欠如・多動性障害)とPTSDの症状には、実は似ている点が多くあると言われています。ADHDのある子どもは、不注意、多動性、衝動性の特性があります。ADHDのある子どもに見られる行動として、・大人しく座っていられない・すぐにかんしゃくを起こす・診察中に突然、病室から飛び出すといったことがあります。ですが、PTSDの症状としても、これらと似たような症状が見られることがあります。そのため、子どもの行動から、その原因がADHDの特性によるものなのかPTSDの症状として出ているものなのかを区別することは、専門家であっても難しい場合があります。ADHDとPTSDを正しく見分けるためには、子どもの過去にどのようなことがあったのかや生育歴・発達歴の情報が大切になってきます。子どもと一番長い時間を過ごしてきたのは、医師や専門家、学校の先生ではなく家族です。少しでも気になる出来事があったり、ある日を境に急にADHDと思われるような症状・傾向が見られるようになったと感じたときは、医師に伝えるといいでしょう。自閉スペクトラム症とトラウマ自閉スペクトラム症(ASD)のある子どもは、その特性から、苦しんでいることがあります。「タイムスリップ現象」と呼ばれる症状が自閉スペクトラム症のある子どもに多くみられます。タイムスリップ現象とは過去の楽しかったことやつらかった出来事を突然思い出す症状です。この現象が起こりやすいという面から、ASDのある子どもは、(楽しい記憶のみでなく)過去にいじめや暴力を受けたときのつらい記憶について急に思い出し、まるで今その経験をしているかのように振る舞ってしまうことがあります。自閉スペクトラム症のある子どもが、フラッシュバックまたはネガティブな記憶のタイムスリップ現象に関して抱えている問題には、・トラウマになるような経験をしやすい・自分の身体に起こっていることを説明することが難しい・気持ちの切り替えやコントロールが難しいといったことが要因として挙げられます。自閉スペクトラム症のある子どもは、定型発達の子どもに比べるとストレスを感じやすい環境で生活していることが多くあります。感覚過敏のある子どもにとっては、普段の教室にいるだけでもストレスがたまっていくことが珍しくありません。また、うまく友人との関係性が構築できないという苦痛や、安心できるルーティンが崩される苦痛を受けやすいことなども挙げられます。自閉スペクトラム症のある子どもにとって、自分の身体で起きていることを正確に周囲に伝えることは困難を伴うことが多いです。子どもからのSOSがなく、親や学校の先生であっても、子どもがタイムスリップ現象で困っていることに気づけないことがあります。過去にいじめられたり、人間関係でうまくいかなかったりしたことを克服したように見えても、子どもが未だにその経験によって苦しんでいることもあります。自閉スペクトラム症のある子どもはパニックや癇癪、フリーズ(どうすればいいのか混乱してしまい、体と思考が凍りつく)を起こしやすかったり、気持ちの切り替えがうまくいかない傾向にあります。自閉スペクトラム症のある子どもが次のような行動をとったときには、トラウマが関連している可能性があるので、子どもに最近なにかあったか聞いてみるといいでしょう。・新たに、攻撃的・破壊的な行動をするようになったとき・夜、寝られなくなるなどの身体に変化が起きたとき・社会性、コミュニケーションにおいて、症状が悪化したとき・常同行動が増えたとき常同行動とは、手をひらひらしたり、体を揺らしたり、奇声を上げるなど、一見無目的に同じ行動を繰り返すことです。参考:友田 明美、杉山 登志郎、谷池 雅子/編集『子どものPTSD-診断と治療-』(診断と治療社、2014年)自閉スペクトラム症のある子どものPTSD予防のために自閉スペクトラム症のある子どもは、トラウマになるような経験をすることが多いと言われています。PTSDを予防するためには、大人子どもを問わず「安全な環境をつくること」「安全な人間関係をつくること」「自分に対するコントロール能力を回復すること」などが大事だと言われています。保護者が傍にいて安心できる環境を作ったり、家族や周りの人が心配し守っているということをきちんと伝えてあげることが、子どもが相談しやすい環境や安心へとつながります。また、なるべくそれまでの生活のパターンを変えずに、規則正しい生活を心がけて、自分に対するコントロール能力を回復するのを助けてあげることも重要です。イラスト/カタバミ参考:心の外傷とその対応|厚生労働省
2022年12月28日自閉スペクトラム症のある娘は「一緒に遊ぶこと」が難しい娘のまゆみには自閉スペクトラム症と知的障害があります。幼児期の早いうちからおもちゃを横に並べる様子が見られ、それを邪魔されると怒るために一緒に遊びたくても手出しができませんでした。一緒に遊ぼうとして泣かれたことは一度や二度ではありません。4歳半となった現在も人からのはたらきかけに応じて一緒に遊ぶことは困難ですが、それでもどうにか人との関わりを持ってほしい、社会性が芽生えてほしいと願い、おもちゃを通してまゆみと関わる方法を模索してきました。そんな中で気づいたことがあります。親が遊ばせたいおもちゃとは違う、娘が遊んでくれるおもちゃを求めて1歳半ごろ、積み木を積み上げられるようになったまゆみ。喜んだ私は毎日のように積み木遊びを促しました。私が積み木を二つ重ねて積むと、まゆみもその上に新たな積み木を追加してくれるのです。積み木はまゆみが私のはたらきかけで遊んでくれる数少ないおもちゃの1つでした。Upload By にれただ、積み木はどちらかといえば「私がまゆみに遊ばせたいと思っているおもちゃ」でした。家にはほかにもいろいろな種類のおもちゃがありましたが、まゆみはどれも最初だけ楽しんですぐに飽きてしまうらしく、集中して遊ぶという様子があまり見られませんでした。まゆみは外遊びが大好きだったため、暇さえあれば外に連れ出していましたが、室内遊びとなるとそんな様子だったので、雨の日などはどうやって遊んだらいいのか私は困っていました。まゆみの好きなものは何だろう?何ならもっと興味を持ってくれるんだろう?おもちゃ売り場で好きなものを選ばせようと思っても、「ものを選ぶ」という行為が難しく、たくさんのおもちゃを尻目に売り場を走り回ってしまうまゆみ。私はまゆみが自分から遊んでくれるようなおもちゃを探していました。まゆみが初めて強い興味を示したおもちゃは、3歳の誕生日にメインのプレゼントに添えて渡した幼児向けキャラクターのぬいぐるみ2体でした。夫にまゆみを頼み、一人で訪れたおもちゃ売り場でセット売りのワゴンセールになっていたためついでに購入したものです。Upload By にれメインだったおもちゃは早々に飽きられてしまったのですが、まゆみは家の中でその2体のぬいぐるみを小脇に抱えて移動するようになりました。明らかに今までのおもちゃとは反応が違い、大事にしているのが見て取れたのです。まゆみの前にはよく2体が横並びに座らされていました。あるとき私は、「このぬいぐるみたちから遊びの幅を広げるチャンスなのでは!?」と、まゆみの見ていない隙に積み木で2体のぬいぐるみに合わせたテーブルとイスをつくりました。テーブルの上にはおままごとのケーキやご馳走を並べ、ぬいぐるみは向かい合わせにして着席。そのまま待っていると、ぬいぐるみたちの「お食事会」に気づいたまゆみがやってきてじっと見つめ…そして、うれしそうに声を上げて拍手したのです。Upload By にれ興味が広がると娘の世界も広がって結果的に、そのときのぬいぐるみたちの「お食事会」からおままごとに遊びの幅が広がったようで、いつの間にかまゆみが自分で積み木のテーブルセットを組むようになりました。親に遊ばされていた積み木が、まゆみ自身の手によって遊ばれるようになったのです。今まで飾られるだけだったほかのぬいぐるみたちも引っ張り出されてテーブルを囲み、いつしか小さな「お食事会」は楽しい会話が聞こえてきそうな「パーティー」に変わっていました。Upload By にれそのうち、ブロック遊びのセットに付属していた小さなブロック人形も10体ほど加わり、まゆみのお茶会はどんどん賑やかになっていきました。今ではまゆみが一人で「アイスクリーム屋さん」という新たなおままごとの舞台をつくり出していて、遊びの発展の仕方に感動を覚えました。困惑していた「一列に並べる」も違って見えるように。娘の遊びを観察していて気づくことまゆみを見ていて気づいたのは、一見して無意味に思えるような遊び方をしていても、「まゆみの中にはちゃんとストーリーがあるんだな」ということです。高い声や低い声を使い分けてお人形にセリフらしきものを言わせたり、同じ場面や配置を繰り返したりしていて、本人にしか分からない内容であっても何か表現したいものがあって遊んでいるのだと思いました。また、まゆみのつくる世界はとても平和で温かい雰囲気に包まれていることにも気づきました。みんなでケーキを囲んでハッピーバースデーを歌うところ、大繁盛のアイスクリーム屋さんでそれぞれ好きなアイスを食べて大喜びしているところ、縦一列に列を組んでおうちに帰るところ…。最初は困惑してしまっていた『横一列に並べてあるだけの光景』すら、今では仲良く横並びで手をつないでいるかのような、平和でハッピーなものを感じます。Upload By にれ遊びの幅が広がりつつある今でも横一列に並べることは好きなようで、気づくと人形達がズラリと整列していたりしますが、「まゆみにはまゆみの理由があってこの子たちを並べているんだな」と、自然にそんな風に思えるようになりました。以前、自閉スペクトラム症のある息子さんとの生活をつづったエッセイを読んだのですが、小さなフィギュアのヒーローも悪役もみんな仲良さげに並べられる様子が紹介されていたことを思い出しました。その男の子やまゆみの心に広がる世界は、平等で平和で純粋なものかもしれない、と感じました。本人の世界を大切に最初は横に並べるだけだった世界が、ふとしたきっかけで遊び方を学んで発展していき、やがてサイズの小さなものでも遊べるようになり、さらにごっこ遊びが多様化していく。「自閉スペクトラム症のある子どもは、創造的な遊びが苦手」と以前読んだ本には書いてありましたが、好きなものを前にしたときに大人がとっかかりを示してあげれば、模倣から始まって徐々に世界を広げていける場合もあるのだと学びました。以前は「人との関わりを持ってほしい」とまゆみの世界に首を突っ込んでいましたが、今はまゆみが描く世界の広がりを感じられることがとても尊いものに思え、邪魔しないように彼女のごっこ遊びを眺める程度になっています。まゆみの場合は、2体のぬいぐるみからお人形やおままごとが好きになりましたが、どんなものが好きかはお子さんそれぞれに好みや個性があると思います。車や電車が好きな子もいるでしょうし、パズルや数字が好きな子もいるでしょう。まゆみもこの先どんな風に好みが変わるか分かりません。ただ、どんなものであっても、わが子の好きなものや世界観を尊重して見守ろうと思いました。と、一人遊びは見守ることに決めたのですが、「応じる力を遊びの中で育むことができれば…」という願いは未だにあるため、もしそうした力を育む遊びなどがあれば知りたいと思っています。まゆみの世界は広がっているけれども、未だにものを介したやりとりは難しいなぁ、と娘を見ていて感じています…。執筆/にれ(監修:新美先生より)お子さんとお母さんのとても素敵なエピソードを聞かせていただきありがとうございます。遊び方が独特で、なかなか広がらないとき、親としてやきもきするかもしれません。にれさんはお子さんの遊び方をじっくり観察して、何に興味を持つのか、何を楽しそうにするのかを大事にされて、お子さんの興味にちょっとだけお邪魔する姿勢で関わりを持つことで、お子さんの遊びを広げて発展されていかれたのですね。またお子さんの興味の持ち方、世界観を尊重して見守るというにれさんの姿勢がとても素敵で素晴らしいと思いました。大人がこれをやらせたいと思うことを押しつけるのではなく、子どもの興味あること、好きなことを、子どもの行動から見つけて、ほんの少しお手伝いして興味関心を広げていくというのは、まさにこういうタイプのお子さんの関わり方の基本形です。お子さんがどんなことを感じて考えているのかなということを観察して、お子さんの独自ワールドを尊重して子育てをすることは、お子さんにとって何より、心地よくストレスの少ない生活につながり、お子さんなりの好奇心を発揮していくことにつながると思います。
2022年12月24日予定日を1週間過ぎても生まれてこなかった息子わが家の息子は小学2年生。軽度知的障害や自閉スペクトラム症(ASD)があり、特別支援学級に通っています。息子の障害が分かったのは年中のころでした。ですが、その前にも「もしかして…?」と思うことがありました。私は里帰り出産をするために、出産予定日の1ヶ月前から実家に帰省していました。妊娠中、特にトラブルもなかった私。健診も終えて、予定日も過ぎたしいつ生まれてきてもいいぞ…!と期待していたら破水!病院に行くもなかなか生まれず3日が経ち、予定日から1週間が過ぎたころに医師からの助言で陣痛促進剤を使って出産をしました。妊娠中とは対照的に、出産前後からの子育ては順調ではありませんでした。出産してからも息子はなかなか授乳がうまくいきませんでした。吸う力が弱いのか、はたまた体力がないのか、すぐに飲むのをやめてしまうのです。加えて今でも思い出すのは「とにかくおとなしいくて存在感がなかった」ということです。今振り返ってみれば、乳児のころからすでに発達の遅れの兆しがあったのかもしれません。Upload By ユーザー体験談首が座らない、寝返りしない、お座りしない…健診は気になることだらけ!0歳児のころにたびたびある乳幼児健診。1ヶ月健診は「問題なし」でしたが、そのあとの3~4ヶ月健診からは「要観察」だらけに!「首座りが完全じゃない」から始まり、6~7ヶ月健診のときには「寝返りしない」、9~10ヶ月健診では「ハイハイせず、お座りも安定しない」…。とはいえ、毎回「大丈夫!ここまでできていたらもうすぐできますよ!」と保健師さんがフォローをしてくれていたこともあり、初めての子育てでよく分かっていない私は「少し発達が遅れているけれどもうすぐできるなら大丈夫かな」とあまり深くは考えていませんでした。Upload By ユーザー体験談1歳半健診、やっぱり何かおかしいと思い始め…ゆっくりですができることは増えていた息子。ですが、周りの子どもの発達のスピードはすさまじく…1歳になり、保育園に入ると、その差は歴然。周りの子どもたちはどんどん歩くようになっているのに、誕生日が比較的早いにも関わらず、息子は歩く気配一切なし…。ハイハイのほうが楽なようでなかなかつかまり立ちもしませんでした。その姿をみて、さすがの私も「何かあるのでは」とうすうす思い始めました。でもこれからグンと伸びるはず…と信じたい気持ちがあったのも事実です。そんな折、1歳半健診がやってきました。健診に行ってみると…みんな歩いて走って喋って「子ども」になってることに衝撃を受けました。それに比べてまだハイハイなのは息子一人だけ…移動手段はハイハイのみ、そして言葉を喋らない息子はたった一人だけ「赤ちゃん」のようでした。歩かない、喋らない、そしてそのころの息子はまだ指さしもしませんでした。積み木を積むことなんてもちろんできません。健診表もほとんど「できない」の項目に丸がつき、とても悲しかったのを覚えています。それでも最近はつかまり立ちを始めたし、もうすぐ歩くこともできるはず…!という思いで小児科医の先生の問診を受けました。「まだ歩かないんです、最近つかまり立ちはしたのでもうすぐ歩けるとは思うんですけど…」と相談すると、先生は息子の様子を見て「この感じだと2歳過ぎまで歩かないと思いますよ。療育センターを紹介するので、そちらを受診されたほうが良いかもしれません。」と言いました。「え…2歳過ぎまで歩かないかもしれないの?療育センター?やっぱりこの子には発達に問題があるのかもしれない…。私はどうしたら良いんだろう…」と途方に暮れてしまいました。今振り返ってもこの時期が一番落ち込んでいたと思います。Upload By ユーザー体験談療育センターのPT(理学療法士)さんや保育園の先生に支えられてとにかく療育というものに行かなければ!!とすぐ予約をし、数ヶ月後からPT(理学療法)に通うことになりました。(そのとき診察を受けましたが、まだ診断名はつきませんでした)療育センターには、週に1回通い、PTは歩行訓練を中心に行いました。保育園では2歳児クラスになり、クラスメート全員が歩いて散歩に行ける中、まだまだ歩けない息子のために特別に0~1歳児クラスで使っているベビーカーを使わせていただいたり、「今日は手すりを使って頑張って階段を上ってましたよ!」「すこしずつ単語が出てきましたね!」「〇〇くん(息子)も楽しめるようなプログラムを考えました!」などとても良くしていただきました。息子の発達は遅れているし、ネットを検索すると不安なこともたくさん書いてあり、落ち込むことも、息子の将来を考えて眠れなくなる夜もありました。ですが、保育園や療育センターで「こんなにもいろいろな人の優しさを受けているんだな」と感じるたび、ありがたいな、と前を向いて息子に向き合うことができました。そして、2歳を少し過ぎたとき、やっと一人で歩けるようになりました。歩けるようになったときはとても感動しましたが、同時に「長かった……!!」と安堵の気持ちでいっぱいでした。そして、小児科の先生の見立ては合っていたんだな、となんだか感心をしてしまいました。Upload By ユーザー体験談年中で軽度知的障害と診断されて歩けるようになったのでPTは卒業し、3歳からはST(言語療法)とOT(作業療法)に通うようになりました。協調運動がとても苦手な息子、おしゃべりも苦手、まだまだ課題はたくさんありました。そんな中、年中のタイミングで知能検査を受けることになりました。私の中では「とうとうこのときが来たか…」という心境でした。1歳半のころは小さくて診断が下りなかったですが、今だったら何かしら診断がつくだろう。そして息子の障害をハッキリさせたほうが今後のためにもいい、と思っている自分がいました。診断結果は、軽度知的障害と自閉スペクトラム症(ASD)でした。それを聞いて「やっぱりな」と思い、この数年で私自身もずいぶん図太くなったな、と感じました(笑)息子の幸せを一番に願って最初に通っていた保育園は家庭の事情で1年で退園、そのあとも小規模保育園、3歳からはこども園、(そして並行して療育)と転々としましたが、本当に人に恵まれており、嫌な思いなどは全然しなかった未就学時代でした。どこの園でもみんな息子を受け入れ、できないことも多かったけれど、あきらめずに寄り添ってくれました。今は公立の小学校の特別支援学級に毎日通っている息子。たくさんの人の支えに感謝をしながら、これからも楽しく息子らしい人生を送ってほしいと願っています。イラスト/カタバミエピソード参考/ちくわ(監修:新美先生より)療育センター、保育園の先生方などにお子さんに最適なかかわりやアドバイスを受けながら日々を送られたエピソードを聞かせていただきありがとうございます。周りの多くの子と、行動や発達のスピードがちょっと違っているのかもしれないと思うと、不安になることも多いと思います。インターネットや本などから情報を得すぎると、どれがわが子にあった正解なのか分からなくなりますが、発達に詳しい専門の先生に直接お子さんを見て、かかわっていただいて、具体的なアドバイスをもらえると、安心して成長を見守ることにつながりやすいですね。
2022年12月23日初めて尽くしの子育て奮闘記ーー『シンママのはじめて育児は自閉症の子でした』この本の著者は、発達ナビの連載ライターでもある、まるさんです。まるさんの息子リュウくんには、自閉スペクトラム症と軽度知的障害があります。2歳ごろ、保育園の先生から「リュウくんの発達が気になる」と伝えられたことをきっかけに、まるさんはリュウくんに発達障害があることに気づきます。発達支援センター、発達外来、療育…初めて聞く言葉に初めて行く場所、初めてのことばかりで不安になりながらも、「今できることを少しずつ」と奮闘するまるさんと、一歩一歩確実に成長していくリュウくんの姿がたっぷり詰まった一冊です。児童精神科医の岡田俊先生からのアドバイスや解説にも勇気づけられます。発達障害の特性は一人ひとり違います。育児の中で、不安や孤独感を感じることもあるかもしれません。そんなときはぜひこの本を開いてみてください。マイペースで予測不可能、でも楽しい!そんな家族の日常ーー『自閉スペクトラム症 マイペースなきみに家族はすったもんだ』自閉スペクトラム症がある子どもの特性はさまざま。子育てをしていると、振り回されることもあれば、「そんな風に考えるのか!」と新たな気づきが得られることもあるでしょう。この本では、自閉スペクトラム症がある子どもたちとその家族の日常生活でのエピソードがたくさん紹介されています。本書は、「全国手をつなぐ育成会」の機関紙に掲載されていた4コマ漫画をもとに作成されました。「学校」「施設・病院」「行事・外出」「家・日常生活」の4つの章ごとに、困ったこと、できるようになったこと、ほのぼのしたことなど、さまざまなエピソードが掲載されているほか、発達ナビにもご寄稿いただいている井上雅彦先生のコメント、アドバイスも読むことができます。子どもの行動に「すったもんだ」しながらもなんだかんだ楽しい、そんなエピソードに「あるある!」「なるほどそういう視点もあるのか!」など、子どもや自分自身の生活を重ねながら楽しめる一冊になっているのではないでしょうか。自閉スペクトラムとメンタルヘルスの理解と支援ーー『おとなの自閉スペクトラムーメンタルヘルスケアガイド』子どもの自閉スペクトラム症(ASD)については、比較的情報が得やすい時代になったものの、大人の自閉スペクトラム(AS)については、知りたい情報になかなかたどり着けないなんてこともまだまだあるのではないでしょうか。この本では、大島郁葉先生編集、本田秀夫先生監修のもと、数々の先生により、大人の自閉スペクトラム(AS)とそのメンタルヘルスの問題について詳しく記されています。本書では、「障害(disorder)」から切り離して特性をとらえるために「自閉スペクトラム(AS)」という言葉が用いられており、前半では、自閉スペクトラムの感覚、アイデンティティ、パーソナリティ、スティグマなどについて、後半では自閉スペクトラムのトラウマ、不安、抑うつ、依存などのメンタルヘルスの問題と必要な支援について、理解を深められる構成になっています。この本は、当事者にとっても支援者にとっても、知りたかった情報が幅広く網羅されており、かなり読み応えがある一冊になっています。自閉スペクトラムの特性がある成人の方が直面する課題について理解を深めたいと思ったとき、この本は救いの手を差し伸べてくれるのではないでしょうか。子どもと親に向き合う児童精神科の思いーー『僕の児童精神科外来の覚書』精神障害や発達障害、不登校、虐待、子どもたちが抱えるさまざまな課題に向き合う児童精神科とはどんなところなのでしょうか。この本では、児童精神科にはどのような人が来るのか、児童精神科医はどのように子どもや親に向き合うのか、関係機関とどう連携しながら支援を行うのか、就学前、小学校入学時、学校生活、不登校、それぞれの時期に必要な関わり方などについて詳しく書かれています。カルテを見て想像し、診察室に入ってくる子どもを見る。そして実際に話を聞き、面談や検査を通して「診立て」を行い、その後も長期的に関わり続けていく。その一連の流れの中で直面する、難しさや葛藤などについて、児童精神科医の田中康雄先生の率直な思い、言葉がつづられています。児童精神科では、子どもの抱える課題にのみ焦点を当てるのではなく、そこに付随する問題や親が抱える課題にも同時に向き合っていく必要があるそうです。田中康雄先生の言葉と共に、子どもの抱えるさまざまな課題について考えてみてはいかがでしょうか。児童精神科を利用したことがある方も、利用を考えている方も、さまざまな方におすすめの一冊です。科学的な視点から正しくHSPを理解するーー『HSPの心理学』「HSP」という言葉は、近年、国内でも急速に認知度が高まってきました。しかし、さまざまな情報があふれており、いったい何が正しいのか判断することが難しくなっているのが現状です。HSPは「繊細で生きづらい人」というイメージ、ネットにあふれる「HSPあるある」、HSPは「能力」なのか「遺伝」なのか、○○型HSPなどの分類…「HSP」という言葉が、「生きづらさ」の代名詞として使われるほど、そのイメージはどんどん科学的知見からかけ離れたものになってしまっています。そんな現状の問題点を整理し、科学的な根拠をもって改めて「HSPとは何か」について理解を深めるため、書かれたのがこの本です。本書では、HSP研究の第一人者である飯村周平先生により、本来のHSPの定義やHSPの考えられる原因、「環境感受性が高い」「良くも悪くも影響を受けやすい」とはどういうことか、また必要なケアなどについて詳しく説明されています。何らかの生きづらさや困りごとを抱えているとき、その生きづらさの原因に名前が付くと少し安心することもあるかもしれません。しかしそれだけでは、何かが改善するわけではありません。情報があふれている「HSPブーム」の今だからこそ。HSPを科学的な視点から理解することで、自分の困りごと、生きづらさに対する適切な知識、ケアの方法が見えてくるのではないでしょうか。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2022年12月11日特別支援学級の見学と体験Upload By カタバミ自閉スペクトラム症と知的障害のあるまちゃが年長のころ、就学先は特別支援学校と特別支援学級、どちらがまちゃに合っているのかで迷っていました。まずは特別支援学校に見学と体験に行きました。今回は特別支援学級の見学と体験です。初めにまちゃの就学先にと私が考えた特別支援学級の条件は「1、知的障害児用のクラスがあること」と「2、歩いて通える距離なこと」と「3、まちゃが過ごしやすい雰囲気であること」でした。連絡してみるとまず保護者だけで見学のみな学校と、保護者の見学とまちゃの体験を同じ日に行う学校がありました。実際に見学してみると当たり前ですが校舎はそれぞれ造りが違っていて、下駄箱から特別支援学級の教室までが遠い学校も近い学校もあり、私はまちゃの能力を考えて下駄箱から特別支援学級の教室までが近い学校がいいと思いました。それから実際に行ってみて天気が悪い日のことを考え、なるべく短時間でも駐車できる学校がいいなと思いました。でもどの学校も住宅地にあり、大体どこも有料の駐車場に停めてもらった方がよいとのことでした。特別支援学級でのまちゃの反応Upload By カタバミいくつかの特別支援学級に体験・見学に行きましたが、まちゃは人数が極端に少ない特別支援学級では広く空いている空間で走り回りふざけてしまいました。でもいろいろな学年が一緒になって大人数で勉強していた特別支援学級では、その様子を見て何かを感じたらしく、私の隣の席で静かに座っていました。これはお子さんの特性にもよると思いますが、視覚優位のまちゃには大勢の子どもが机に向かっている環境の方が合っているのかもしれないと思いました。席に座ったまちゃが騒がないようにと私が紙と鉛筆を渡したら、まちゃは文字らしきものを絵と混ぜて書いて、私に得意そうに渡してくれました。まちゃは普段いくつかの単語をしゃべるくらいですが、私にはまちゃが「学校ってこういうことをするんでしょ?僕知ってるよ」と言っているように感じました。その様子を見た年配の先生が「じゃあこれはできるかな」とすぐに平仮名のなぞりがきのプリントを数枚持ってきてくださり、まちゃがそれを得意気に完成させると「もうまちゃくんは小学1年生になれますね」と言ってくださいました。いつも表情の少ないまちゃですが、うれしそうだなと感じました。まちゃは自分の気持ちをしゃべることがほとんどないので、小学校に対してどんな気持ちでいるのか私には全く分かりませんでしたが、私が思っているよりも張り切っているのかもしれないと思いました。こんな時期に…療育手帳の更新のための再判定Upload By カタバミまちゃにやる気があるのなら特別支援学級に入れてみようかと思い始めたころに、療育手帳の更新のために発達検査を受けることになりました(前回の療育手帳のための発達検査は3年前でした)。再検査の結果、等級は前回の軽度から中等度になりました。覚悟はしていましたが成長も感じていたのでやはりショックでした。終わってから発達検査をしてくださった臨床心理士の方と話すと、数値は低く出ましたが学ぶ意欲と姿勢があるのは本当にいいところですと褒めてくださり、特別支援学級でもいいのではないかと言っていただけました。私も発達検査の結果だけが全てではないと思っていたのでうれしかったのですが、その後短い期間で専門職の方数人とお会いすることが続き、まちゃの発達検査の数値を知るとみなさん、私の特別支援学級という選択にいったん顔を曇らせました。まちゃをよく見て、いろいろな方の話を聞いてUpload By カタバミ本当にこの時期はたくさんの方のお話を伺いました。1年ほどお世話になっていた言語聴覚士の方からは「特別支援学級ではみんな普通にしゃべっていますから苦労すると思います」と言われました。でも、少しまちゃを診た行動療法の先生からは「この子は発達検査の数字は低く出ますができることは多いタイプですから数字を気にしないことですよ」と言われ、少しまちゃを診た作業療法士の方からは「この数値なら特別支援学校です。でも挑戦させてみることは自由ですよ」と言われました。そして、いつも頼りにしていた地域の相談支援機関の方からは「入学してみて合わなかったきには学校を変えることもできます。ただ特別支援学校から特別支援学級に移動することは難しい場合もあります」と言われました。この機関が主催した、教育センターの方と複数の先輩ママ達から就学先の話を伺う会にも出席しました。熟考した結果、まちゃは「もう1年生になれますね」と言ってくださった特別支援学級に通わせてみることに決め、教育センターからもその決定を認めていただけました。実際に入学したあとで何が起こるのかは分かりません。毎日通う場所から自己を否定され続けて深刻な二次障害を起こしてしまった話も聞きますし、無理をさせて今のまちゃの穏やかさが消えてしまったら取り返しがつかないと思い心配もしていますが、たくさんいろいろな方の話を聞き、まちゃの様子もよく見て考えたので、ひとまずこの決定で悔いはないと思っています。執筆/カタバミ(監修:鈴木先生より)お子さんがどこに通うかどうかは最終的には親御さんが決めることになっています。もちろん本人の意見も大事です。療育手帳が中等度の場合、特別支援学校を選択される方が多いのは事実です。ただ、一旦、特別支援学校に通い始めると地元の特別支援学級には戻れないことが多いです。それならばまずは入学した1年間だけでも地元のお友達と一緒に勉強してみることも一つの手段です。特別支援学校は地元から離れたところにあり、バスで通学するため地元の子どもたちにまちゃさんを知ってもらえる機会がとても少なくなります。地元の子どもたちにまちゃさんが同じ地域にいるということを知ってもらうには最初の1年間だけでも地元の小学校へ通うことはよいと思います。一方で、地元の学校では教員の人数の関係で密に面倒を見られないこともあるので、環境を変えたほうがよいと感じたら早めに特別支援学校へ移る決断も必要です。社会的な教育を受けることで就職につながることも多く、実際特別支援学校は就職率がよいという面があります。
2022年12月09日SAKURA(以下、――):娘は、学校でパニックを起こすことが、まだあるのですが…先生から「パニックを起こした」「泣いた」などの報告があったとき、家で娘に「泣いたの?何があった?」と聞いても、『覚えていない』ということがよくあります。娘は、学校でパニックを起こしても、さほど気にしていない感じがします。娘の学校は、1学年1クラスなので、1年生からずっと同じクラスメイトで、担任の先生曰く、「あーさんのパニックのことは、同級生がもう慣れてしまっている」という感じらしくて、そこまで大騒ぎにはならないそうです。でも、授業を止めてしまうこともたまにあるので、そういうとき、周りを困らせてしまっているということは、認識してほしいんです。「私がパニックを起こしても、みんなが許してくれる」と思ってほしくなくて…。Upload By SAKURA三木先生:来年から中学生ですよね?中学生活の3年間で、もっと視野が広くなるのでは?――たしかに小学校生活でもすごく成長はありました。小学1年生のころは、上履きが脱げただけで泣いていたらしく、最初は、よく学校から電話がありました。それから考えると、あと3年でまた成長していくだろうとは思うのですが…最近は停滞期なので、「3年で間に合うか?」って、ちょっと心配になっちゃって。三木先生:こういうところは、結局、脳の発達待ちな部分がありますからね~。完璧を目指さなくても、中学生のうちに「このくらいできたら、まあまあかなー」ってぐらいなレベルでいいのでは?――そうですかね…なんか、学校で居眠りすることがよくあるそうなんですが、そのとき起こしてくれた子に、逆ギレしちゃうこともあるらしいんです。そういうのを聞いちゃうと、え?大丈夫?って心配になっちゃって。元々、周りの空気とか読めない子なので、逆ギレ後の周りの反応とかも見てないらしくて…。Upload By SAKURA三木先生:「空気を読めてないんじゃないか不安」というのは、今の若者は全体的に傾向として強くありますよね。アニメとか見てても、やたら説明が多かったりしませんか?テレビもテロップが多いですし、「きっちり共通理解できてないとダメだ」みたいな風潮は強いですよね。その結果、説明が過多になることでそもそも「空気を読んでいい感じかどうかを自分で判断する能力」が育ってない人は多いのではと感じます。昔はそういうのあまりなかったんじゃないかなと思っていて。みんな、ストーリーから背景を想像したり、画面の中から状況を読み取ったりしてましたよね。――確かに!昔のアニメとかお笑いとかって、説明がほとんどなかったですね!アニメを見てて、なんでこの人はこんなこと言ったのかな?って思ったら、こうだからかな~ああだからかな~って、勝手に考えてました!Upload By SAKURA三木先生:そういった状況の分析とか、空気が読めるようになるには、土台とトレーニングが必要なんです。土台が弱いうちは、言葉で気持ちを説明していくことが大事になってきます。Upload By SAKURA――そうか~…土台づくり…三木先生:嫌味とか、冗談とか、裏の気持ちが読み取れないんですよね。でも、空気って読まないほうがいいとき、あえて読まないときもありますからねw――あぁ…あります(笑)三木先生:その子のキャラによって、周りに受け入れられることもありますよね。天然寄りの子だね~みたいな感じに捉えられたり。周りとの関係性も影響してきます。Upload By SAKURA――そうか…。私が思うよりも、クラスの子にも、もっとふわっとした感じで捉えられている可能性もある…かもしれませんね。最近、(今のご時世もあって)以前より娘の学校生活とか、友達関係が見えないせいか、実際に見ていないことで、ついやきもきしちゃって…。夫にも神経質って思われてるかも…。思いが強すぎて、暴走してる気がしてます。Upload By SAKURA三木先生:どこまですると、お母さんとあーさんがしんどいかっていうのを、客観視するのが重要です。今の自分の状態を冷静に把握して、自分の感情を除いた観点で見るといいかも。――客観視…結構苦手ですが、頑張ります!執筆/SAKURA
2022年12月07日血液検査で大暴れ現在はなんでも食べられるようになったものの、もともと卵と牛乳アレルギーを持っていたスバルは0歳から定期的に総合病院に通っていました。あまりにも長い待ち時間にも苦労しましたが、何よりも私の頭を悩ませていたのは血液検査!ワクチンなどの注射は平気なスバルですが時間がかかる採血は動いてしまいます。危ないので0歳のころはベッドにぐるぐる巻きにされて看護士さん2人がかりで採血してもらっていました。もちろんその間ギャン泣きです。それから数年…困ったことが起こりました。スバルが大きくなり力をつけてきたため、院内に響く声で泣きながらぐるぐる巻きにされた体をベッドごとガタガタ揺らすのです。私も全体重でベッドを押さえ、ほかの看護士さんも応援に駆けつけ5人がかりで採血しました。Upload By 星あかり採血についてはもちろん事前に説明し、本人も「今日は大丈夫」「注射怖くない」と落ち着いているのですが、いざ採血が始まると怖くなってしまい全然「大丈夫」ではなくなってしまうのでした。どうやら病院のベッドがトラウマになってしまったようでした。歯医者さんはきっと無理病院のベッドがトラウマになったことで同時進行で困っていることがありました。ベッドで治療の代表格、歯医者さんです。採血の様子を見る限り、歯の治療なんて「ぐるぐる巻きで大暴れで流血」な絵面しか想像できませんでした。そのため0歳から3歳までは歯医者さんへは行かず市の健診や、公民館などで行われる移動歯科健診で診てもらっていました。ありがたいことに毎回歯の美しさを褒めていただきホッとしました。「自閉スペクトラム症」と診断されたあとの歯医者さん3歳で「自閉スペクトラム症」と診断されたあと「あの採血での大暴れは特性の一部?」と思いたち、『自閉症 歯医者』で検索してみました。そこで目にしたものは、まさに阿鼻叫喚!壮絶な現場の状況と保護者の苦労の数々…。どうやら発達障害と歯の治療は相性が悪いらしいという現実に心が折れそうでしたが、障害児専門の歯科医院があるというありがたい情報を見つけることができました。しかし最寄りの病院でもバスと電車を乗り継いで行かなければならず、この場所に定期的に通えるかと言われたら現実的ではありませんでした。私にママ友がいたら地域の良い歯医者さんの情報が得られたかもしれないのに…と思いつつもママ友はいないので歯医者さん探しはいったん保留にすることに。運命の出合い幼稚園に入園すると幼稚園で定期的に歯科検診がありました。もしそこで虫歯があると言われたら腹をくくって障害児専門の歯科医院へ行こうと決めました。そして歯のトラブルがないまま5歳になりました。ある日の朝、スバルと近所をお散歩中に偶然歯科医院を見つけました。診療時間前に花壇に水やりをしていたスタッフさんが「おはようございます」と声をかけてくださったので、チャンスとばかりに話しかけることにしました。発達障害のこと、歯医者さん未経験のこと、採血での惨状を伝えたところ、スバルに向かって「病院の中を見学してみる?」と声をかけてくれました。そして私とスバルはスタッフさんに案内してもらいながら院内をくるりと1周し、先生やほかのスタッフさんと挨拶をし、診察の椅子に座らせてもらいました。そこで器具を手に持たせてもらい、何に使う物なのか説明を聞きました。スバルは真剣な顔で頷きながら聞いていました。私はその場で初診の予約を取って帰りました。5歳で初めての歯医者さんスバルもやる気満々で挑んだ初診の日。歯の検査で特に問題がなかったので、この日は歯の掃除とフッ素塗りをしてもらいました。痛い治療ではありませんが、水が出たり空気が出たり回転したり大きな音がしたりと刺激がいっぱい。しかし一つひとつ目の前で見せて説明してから始めてくれるので、スバルは最後まで落ち着いていました。たくさんのスタッフさんに褒めてもらってご機嫌で帰りました。あとから聞いた話ですが、スタッフさんの1人に自閉スペクトラム症のあるお子さんがいて、その子がこの歯科医院に通っているため、先生をはじめとしたみなさんが対応に慣れていたということでした。その後も何度か通い、レントゲンや麻酔の注射や抜歯を経験しましたが、歯医者さんを信頼しきって何でもおまかせで治療が受けられるようになりました。9歳の現在「お母さんは待合室で待ってて!」と1人で勇ましく診察室へ向かうようになりました。Upload By 星あかり血液検査その後大暴れの採血はどうなったかと言うと、5歳の後半にロタウイルスにかかり暴れる気力もないまま採血や点滴したことをきっかけに克服しました。参考にならないと思いますが一応…不幸中の幸いのような出来事ですが、このような克服の仕方もあるようです。執筆/星あかり(監修:初川先生より)歯医者さんに苦手意識を持つお子さんは多いですね。星さんが受診された歯科のように、院内の様子を見せていただいたり、治療についてお子さん自身に説明してくださったりすると、不安なりにも取り乱すほどではないレベルのドキドキ度で臨むことができることはあります。子どもは何歳であれ、その子に向けて語られた大人の言葉を分かろうとします。詳細をすべて理解できなかったとしても、分かるように説明しようとしてくれた、事前に見る・触ることのできるものは試させてくれたということは子どもに届きます。スバルくんの採血克服エピソードに関しては、成長もありますし、また、抵抗できずにそれはそれでつらかったことと思いますが、その結果、治療が奏功した(頑張って採血・点滴に耐えたらいいことがあった)という展開もよい働きを見せたのかもしれませんね。
2022年12月06日特別支援学級か通常学級かUpload By まゆん小学6年生の半ば過ぎ。中学校のクラス選択について、小学校の特別支援学級の先生と話をした。特別支援学級か通常学級か。先生と私の間では太郎の状況の共有がされていた。そして先生が見る太郎と私が見る太郎への見解に差がなかった。先生と私の間では既に一択だった。「中学生になっても特別支援学級」あとは本人の意志の確認のみだった。小学生になる前とは違い、私の中で迷いはなかった。あのときはいろいろなものと葛藤していた。先生からの情報では、太郎が進学する中学校の場合、小学校と違いほぼ通常学級で授業を受けることになると聞いた(※)。私はすごく不安だった。先生も「不安ですよね?私も不安で…中学校に一緒について行きたい気持ちです…」そこまで言ってくださった。中学校では教科毎に先生が違うため、どうしても個別での授業は厳しくなるとのことだった。授業についていけず放心状態になる太郎や、緘黙になる太郎が浮かんできた。それを思うとやはり、心理的なサポートの意味でも特別支援学級が太郎にも私にも良いのではと思った。行き詰まったときの逃げ道を確保したいと思った。(※)地域によって異なりますUpload By まゆん小学6年の太郎に聞いた。中学生になったら特別支援学級と通常学級どっちがいいかと。もちろん内容も説明した。本人が理解したのかもわからないが太郎はこう言った。「わからない」Upload By まゆんそうだよな、わからないよな。形としてそれが目の前にあるわけでもないし、漠然とした未来の説明されてもなぁと私は太郎の言葉を聞いて思った。Upload By まゆん小学校から中学校へと環境が変わるし、とりあえずは特別支援学級を選択して様子を見ようと考えた。時間が経過して太郎が通常学級だけがいいと言うのであればその道も考えよう。そういう考えにまとまった。小学校の入学準備を行っていたのは、太郎の特性がまだグレーと言われているときでした。そして太郎の意思の確認も難しく、私の意志で決めなければならないことから、かなりのプレッシャーを感じていました。ところが今回、中学校へ進む前はそのプレッシャーがほぼありませんでした。太郎の特性を先生も私も理解できており、私の特別支援学級に対するネガティブなイメージも少なくなっていたからだと思います。あとは太郎本人の意思の確認をできるようになったことも大きな違いだと考えます。答えは曖昧でしたが、何も間違えてない答えだと素直に思いました。「わからない」…誰も未来のことなんてわからないですよね。執筆/まゆん(監修:初川先生)中学進学にあたって、通常学級か特別支援学級かという迷い・悩みのエピソードをありがとうございます。同じように悩んでいらっしゃる保護者の方も多いのではと思います。通常学級では、中学から教科担任制、そして1コマ50分の授業となるのが小学校との大きな違いですね。教科ごとに折々に課題が出たり、定期試験前後にドリルやノートの提出があったり、学校として提出物一覧をつくってくださるところも多くありますが、とはいえ、自分で課題や学習のスケジュールを意識しておく必要はあります。小学校までだと宿題は翌日に出すものと思い込んでいるお子さんも多いですが、中学以降はなかなかの量の課題をしばらく後に提出するタイプの宿題も出されるため、宿題は前日にやればよいと思っているお子さんは苦労することもあります。こうしたことは「中1ギャップ」と言われることもありますが、小学校と中学校のそもそもの構造的な違いは結構あるというのが私の印象です。太郎くんは進路選択について「わからない」と答えたとのこと。その通りだと思います。お子さん本人からしたら、まだ見ぬ中学校生活、何をどう選択していいかも難しいですね。中学校の学校公開が開催されていたら、授業参観に行くのも1つです。また、就学相談を通して、中学校の特別支援学級の見学・体験に行ける場合も自治体によってはあるかもしれません。中学校の様子を知る機会がある場合には足を運んでみるのもいいでしょう。
2022年12月03日ママ友から相談された、抑揚のない話し方自閉スペクトラム症と知的障害がある息子を育てていると、同じように自閉スペクトラム症がある子どもを育てている親御さんたちから相談されることがあります。昔からの友人に、自閉スペクトラム症の診断を受けている女の子がいます。3歳当時、言葉はたくさん出ていましたが、独り言の一方通行の言葉ばかりでした。友人は「抑揚のない感情を感じられない一本調子の話し方は、どうすればなおるもの?」と聞いてきました。私は医師でも専門家でもないのでためらいましたが、21年間自閉スペクトラム症のある息子を育ててきた経験から次のように答えました。「コミュニケーションをとりたい、人と関わりたいと思うようにならない限り、抑揚をつけて話すようにはならないと思う。人は『相手にこうしてほしい』という働きかけをしたいという動機があって言葉が出たり、声を大きくしたり、強弱や抑揚をつけたりするものだと思うんだ。だから、独り言の状態にいる限り、抑揚をつける必要もないから一本調子のまんまなんじゃないかな」親の価値観は子どもとは違うかもしれないから私の答えを受けて、友人はこう言いました。「じゃあ、友達をたくさん作って遊ばせたらいいんだ。友達と遊ぶと楽しいから、話し方も変わるかもしれないよね」私は「それは親の価値観であって、子どもが楽しいと感じて、しゃべり方まで変わるかどうかは分からないよ。友達と遊ぶことがストレスになり、1人で遊んでいるのが楽しいことなのであれば、それを潰さないほうがいいんじゃないかな。まだ3歳なんだからこれから経験を重ねていくうちに、自然と育ってくるからそのとき抑揚がでてくるかもしれないし…。」また、加えて次のように話をしました。「その時の言葉がたとえ『触っちゃダメ!』とか『嫌!』といった、拒否する言葉であっても、自分の気持ちをしっかり伝えている言葉であるなら、立派なコミュニケーション。それでよしとすればいいんじゃないかなとも思う」と伝えました。友人とは信頼関係もあるので、ここまで言うことができました。息子の初めてのコミュニケーションUpload By 立石美津子息子は5歳になるころまで、言葉を話しませんでした。発語するようになっても、スーパーではリンゴの棚の前で「ジョナゴールド・津軽・紅玉・シナノゴールド・秋映・王林…」と覚えている品種を順に言うばかり。けれども、「ママ、このリンゴ美味しそうだね。買って~買って~」と言うことはありませんでした。21歳になった息子は、会話はできるようにはなりましたが、相手に共感を求めるこういった言葉は今も言うことはありません。そんな息子でしたが、初めての言葉らしい言葉は5歳のとき、デパートの讃岐うどんのお店に連れて行ったときのこと。息子が食べていたうどんの器には、あと1本だけ、うどんが残っていました。その器を、店員が「お下げいたします」と持って行こうとした瞬間、店員に向かって「まだ食べる!」と大きな声で叫んだのです。自分の意思をはっきりと示し、まっすぐと相手に届く言葉でした。オウム返しはコミュニケーションではない?息子が特別支援学校高等部のころ、自閉スペクトラム症があるクラスメートの親御さんとお子さんと一緒に動物園に行きました。するとそのお友達は、パンダの檻の前で「友達の眼鏡をとってはいけません」「友達の眼鏡をとってはいけません」「友達の眼鏡をとってはいけません」と、授業中に担任から注意された言葉をずっと唱え続けました。なぜずっと先生の言葉をオウム返ししているの?なぜ以前言われた言葉を、動物園という状況で言うの?なぜずっと繰り返し唱えるの?「これはコミュニケーションではない。聞いた言葉をただ繰り返しているだけ」と親御さんは悲しそうに言いました。確かにそうだったのかもしれませんが、もしかしたら、一緒に動物園に来たクラスメートと並んでパンダを見ながら先生に言われた場面を思い出し、「お母さん聞いて、先生が『友達の眼鏡をとってはいけません』と言っていたよ」と伝えたかったのかもしれません。息子やほかの自閉スペクトラム症のある子どもたちのことを知れば知るほど、「抑揚とか声の大きさまで含めた会話を要求したり、期待したりすることは難しいのかな…」「そもそもそうした話し方を期待すること自体、親のエゴなのかな」と思うのです。執筆/立石美津子(監修鈴木先生より)言葉を発せなくとも、お子さんが「あー」とか「いー」とか何か声を出したら、それに反応するように親御さんも「あー」とか「いー」と言うように心がけてみてくださいと、健診の時にお伝えしていました。難聴がなければ母音は認識しているからです。新生児期でも名前で呼んであげることが大切です。例えば、「なおちゃん」と呼ぶと最初の「な:NA」の母音である「A」の音に反応することが分かっています。自閉スペクトラム症のオウム返しは聞いたことを確認する行為とも言われています。「私はこう聞いたけどそれでいいですか」という確認を繰り返し行っているともとらえられます。食べたいときに「まだ食べる」と言えたことは、どこかでそういうシチュエーションがあって記憶されていたのかもしれませんね。いろいろな場所へ連れて行っていろいろな経験をさせることが重要なのです。
2022年12月01日自閉スペクトラム症のある娘の病院受診、準備は前日から自閉スペクトラム症と知的障害の診断を受けている娘のまゆみは、身体の一部に生まれつきの赤アザがあります。痛みなどの症状はありませんが、傷あとが残ってしまう可能性があるため、3ヶ月に一度のレーザー治療を受けています。問題になるのが、元気いっぱいフルパワー状態の娘を連れての病院受診。どの場面を切り取っても困りごとの連続で、受診日が近くなると母の心に緊張が走り始めます。Upload By にれ今回は、わが家の病院受診の際の事前準備と、それでも起こる困りごとについてご紹介したいと思います。前日から当日の朝、まゆみが落ち着いているときに、病院へ行くことを繰り返し伝えます。Upload By にれ自閉スペクトラム症のある子どもへの対応でよく言われるのが、「見通しが立たないと不安になるため、予定を本人にきちんと伝える」というもの。4歳半の現在、まゆみは言葉での意思疎通が難しいため理解できているかは分かりませんが、事前に伝えておくことで心構えができるかもしれない・今は分からなくても伝え続けていたらいつか分かるかもしれないと思い、事前に告知しています。病院に到着するも困りごとの連続でまゆみに事前に病院に行くことを伝え、病院へ向かいます。まずまゆみは、車の窓から病院が見えた時点で大泣きします。もう何回も治療のために病院に来ているため、まゆみ自身も「行かなくてはいけない」との意識があるらしく泣きながらエントランスまで歩いてくれますが、広々としたホールに入ると走り出さずにいられません。受付の機械を操作する間にも手を振りほどいて飛び出してしまいます。「走りません、歩きます。病院には具合の悪い人がいっぱいいるから、静かにね」と伝えますが、ほとんど収まりません。病院の受付のために専用の機械に向かいます。今にもどこか行ってしまいそうなまゆみ。仕方ないので、まゆみには機械と私の間に入ってもらい、両ヒザでまゆみを挟んで逃げ出さないようにガードしつつ、受付を済ませます。Upload By にれ長丁場の待合室。いろいろな「時間つぶしグッズ」を持参して受付を済ませ、待合室に到着します。病院での困りごとの中でも長丁場になる場面です。予約をしていても呼ばれるまでに早くて20分。問診のあと、患部に薬剤を塗ってからレーザー照射まで30分を置かなくてはいけないので、トータルで1時間近く待合室で過ごすことになります。まゆみは活発で動き回るタイプなので、放っておくと走り回ったり、ソファの上で飛び跳ねたりしてしまいます。ここでも「走らないよ。ママと座ろうね」と伝えますが、聞こえていないような顔。そこで、あらかじめ興味を引くような時間つぶしグッズを用意しておきます。わが家では以下のようなものが主流です。Upload By にれ【病院の待ち時間に役立つグッズ】・シールブック・マグネットブック・手遊びに便利な色とりどりのシアー素材の布・プリントアウトした家族写真特に家族写真は、人にあまり関心のなさそうなまゆみも興味を示すので、家族への愛着も深まって待合の時間つぶしにもなるという一石二鳥のアイテムです。スマホ画面で見せてもいいのですが、まゆみの場合はスマホを前にするとアプリや動画を見たがってしまうので、デジタルメディアを緊急時の最終手段にしておきたい考えのわが家はプリントした画像を見せています。これらもしばらくは楽しんでくれますが、そのうち飽きて席を立ってしまうので、私も一緒に立ち上がって歩きます。多動傾向のある子にとってずっと同じ姿勢でいるのはつらいだろうと思ってのことですが、周りの方々に迷惑をかけないよう手はしっかりとホールド。お世話になっている病院は廊下と一体型の待合室なので散歩する感覚で歩くことができますが、待合の小さな病院などではトイレへ行ったりすることで気分を変えることも。とにかく身体を動かして呼ばれるのを待ちます。それでもやはり不安なのか、待っているうちパニックになってしまうことがあります。こうなると移動も抱っこも拒否するので本人が落ち着くのを待つしかありません。院内で騒いでしまい申し訳なくなりますが、本人も自分で自分を励まそうとしているのか、涙と鼻水まみれの顔を真っ赤にしながら「がんばろー!がんばろー!」と全身を硬直させて叫んでいるのを見ると私も涙が出そうになります。いよいよ処置室へ。じっとできない娘の診察はなかなか困難長い待ち時間が終わり、いよいよ処置室に入ります。処置中、母親は室外待機となるので、ドアの向こうのまゆみの叫び声を聞きながら待つのみとなります。レーザーを受ける際はじっとしていないといけないのですが、まゆみが動き出してしまいそうになるので看護士さんが三人がかりで押さえているそうです。ハラハラしますが、できることがないので出てくるのをひたすら待ちます。まゆみの診察時の困難として・指示に従えない・自分の症状を上手く伝えられない・じっとできないなどがあります。アザ治療は行う処置が決まっているのでまだよいのですが、これが何かほかの体調の問題だったらもっと困るだろうな…といつも怖くなります。レーザー治療も、本当は押さえつけたり拘束せずに済めばよいのですが、3ヶ月に一度で流れ作業のように進んでいく大きな病院での治療なので、先生との信頼関係を築いていくのも難しく感じています。Upload By にれ数分でドアが開いて大泣きのまゆみが飛び出してくるので、しっかり抱きとめて思いっきり褒めるのが恒例になっています。まゆみも母親の存在に安心するのか、次第に落ち着いてくるので、なだめながら医師の話を聞き、会計へ向かいます。受付と同様、まゆみをホールドしつつ手早く会計処理します。会計が上がってくるまで時間がかかりそうなときは、売店へ行ってお菓子を買ってあげるなどご褒美タイムにしています。病院がつらい記憶ばかりになると次回にも響いてくるので、全体を通してなるべく楽しく過ごさせたり、うれしいことがあったりするように工夫しています。自閉スペクトラム症のある娘の受診で大切にしている4つのこと以上が、わが家における定期受診の流れです。どの場面を切り取っても内心では汗だくになっていますが、治療を始めたころに比べるとかなりスムーズに処置を受けられるようになりました。大事なことは、準備をしっかりとしておいて子どものペースに巻き込まれないことだと思います。また、あらかじめ障害があることを伝えておくと病院側も相応の準備をしてくれるので、私は初めてかかる病院には必ず伝えるようにしています。・本人に事前に伝える・時間つぶしのための綿密な準備・病院側の協力・つらい記憶ばかりが残らないような工夫(次回の受診に備えて)自閉スペクトラム症のある娘の受診には、この4つが大切だと感じています。困りごとの紹介がメインになってしまいましたが、少しでもお子さんの受診を控えてお困りの方のお役に立てればうれしいです。どの保護者さんもお子さんも、診察を乗り切った後はクタクタになっていると思います。病院を受診した日は、ご自分のこともお子さんのことも大げさなくらいに褒めてほしいと私は思っています。執筆/にれ(監修:三木先生より)ご本人もお母さんもよく頑張っておられますね。いろんな方法を用意して時間を乗り切る工夫をされているのは素晴らしいと思います。また記事でも記載のあるとおり病院との連携も大事な準備の一つです。最近では対応を嫌がられることは少ないと思いますので(というか嫌がるところは願い下げでOKです)、頼んでみましょう。
2022年11月28日気になっていた感覚過敏。疑いから確信へUpload By ゆきみ3歳のときに自閉スペクトラム症と診断を受けた長男けんと。感覚過敏について初めて気になったのは「聴覚」でした。普段聞かない音や、大きな音が特に苦手な様子で、親子教室での手遊びや、お遊戯の音も嫌がり、いつも部屋のすみに逃げていました。そして視覚過敏。2~3歳ころ、暗い場所を怖がり、明るい街灯でいつも眩しそうにしていたのを覚えています。年長の夏、臨床心理士さんに「SP感覚プロファイル」という感覚に関する検査を行っていただきました。すると全ての項目の感覚が「非常に高い」という結果に。以前から苦手な感覚があるという意識はあったものの、可視化された表と説明を受け愕然とし、感覚について深く考えるきっかけとなりました。今回は、聴覚過敏と視覚過敏への対応を振り返ってみたいと思います。聴覚過敏があるけど、イヤーマフはもっと苦手?こども園に通っていたころ、苦手な音が聞こえると教室から逃げて、しばらく戻って来られませんでした。よく通る道にレストランがあったのですが、前を通るのを嫌がりました。換気扇の大きな音がなっている場所だったからのようです。Upload By ゆきみ苦手な音が多いのだなと思い、イヤーマフを購入。しかし触覚過敏もあるようで、耳に触れている感触を嫌がり、好んでつけることはほとんどありませんでした。それでは…と、子ども用の耳栓を購入。こちらは耳の穴に何かを入れるのが嫌な様子。好きな音楽が流れてくれば、耳に触れるものでも少し興味をもつかも…と思い、子ども用の極小サイズイヤホンも試してみました。小さな音量ですが大好きな曲を流している間は興味を示しつけていましたが、やはり苦手だったようで、すぐに外してしまいました。原始的な方法に戻り、苦手な換気扇の音がするレストランの前を、母が耳をふさいで通り過ぎ「嫌な音は耳をふさぐ」と伝え続けたら、自分で耳をふさぐようになってきました。通っていた児童発達支援施設でも、音を嫌がり課題に参加できないときがよくありました。無理にでも課題に参加させようとするのではなく、「怖い気持ちをあらわす絵カードを先生に渡す」「音が怖いから教室を出たい」と先生に伝えるというように、「誰かに伝えて安心できる場所へいく」という方法を根気強く教えてくださいました。視覚過敏で偏食に?苦手な形状があるようで以前はごはんをなんでも食べていましたが、年中の夏ころから、急に給食を食べなくなり、食器にフタをして、食べたいものだけを取り出して食べるようになりました。そして、このころから急に偏食に。原因は分からないのですが、視覚からきている気がしました。Upload By ゆきみ家族、お友達が食べているドロドロした見た目のものは全く見られず、気分が悪くなってしまうように。家での対応として、簡易の卓上パーテーションをつくりました。文房具売り場にあったA3サイズのプラスチックボードを4枚貼り合わせたものですが、これを気にいり、今では見たくないものがあるとき「パーテーションつけて」と教えてくれるようになりました。ほかにも視覚で気になるのは、暗闇、明るい光、特定の色味が苦手というところ。こども園の読み聞かせの時間、絵本によっては走って教室から逃げていってしまったそうです。そこで、見たくないものがあったときは「手で目を隠す」というのを伝え続けました。が…見たくないのに、見てしまうということもあります。そういうときは、大人が手で目を隠してあげるようにしています。小学校入学。年齢があがるにつれての変化小学生になった今でも、たまに学校で怖くて勝手に逃げてしまうときもありますが、「怖いから〇〇したいです」などと、自分の気持ちと、どうしたいかを伝えられるようになってきました。学校の給食の時間は既製品のパーテーションを使い、更に窓側に向いてごはんを食べ、ほかの子の食べているものが見えないようにするなど、先生がご配慮してくださっています。構音障害があるうちの子。苦手が上手く伝えられないので、今はしっかりと周りの支援者の方と、どのような感覚が苦手そうなのかを共有して、安心できる場所をつくっておくことも大事なのかなと思っています。Upload By ゆきみ以前は、怖くてしかったなかったようなものでも、年齢があがるにつれ、「これはこの音だから大丈夫」というように変化しているような気がします。でも、苦手な感覚はたくさんあるので、少しずつでいいので自己防衛ができるようになってくれたらいいなと願っています。執筆/ゆきみ(監修:初川先生より)感覚過敏とそれへの手立てに関するエピソードをありがとうございます。けんとくんは感覚過敏に関する検査を取られたのですね。検査を取ることで客観的に把握できる面はありますが、こうした検査はおそらくお子さんをそばでよく観察されている保護者の方にとっては、確認的な意味合いになると思います。そして感覚過敏への手立てを取るにあたっては、検査はマストではありません。お子さんに感覚過敏があるかもと思ったら、さまざまな手立て・工夫を試してみて、お子さんに合う方法があれば採用してみる、というスタンスでいいと思います。イヤーマフやイヤホンなど、うまく合えば、場面の汎用性も高く、気持ちの面でも安心感が高そうに思われますが、合わないお子さんもいます。けんとくんの合う方法は、耳を手でふさぐ。これは道具を忘れてしまっても使える方法なので、これはこれでよいかなと思います(どの方法もその方法が持つ長所短所ありますし、何よりお子さんに合うかどうかが最優先です)。また、児童発達支援施設にて、初期のうちからカードや言葉で“先生に伝える”ということを大事にご指導されたことも、年齢があがったときにそうしたことが必要となる場面が増えるので、よかったのではと思います(すぐには習得できない、難しいテーマではありますが、伝えることが大事だということを知るのは大切なことですね)。視覚的な過敏についても、ツールを自作され、お子さんに合った方法を模索されたとのこと何よりです。ゆきみさんが書かれている通り、見たくないと思っても見てしまうことはあります(感覚の過敏に限らず、お子さん方にはあると思いますし、おそらく大人でもあると思います)。強烈に注意を引く何かから、自ら率先して注意を逸らすのはなかなか難しいので、大人が目をふさいであげるのも工夫の1つですね。感覚過敏については、成長に伴って緩和される面もあります。ただ、何がどのように緩和されてゆくかは個人差があるのではと思います。また、最近の研究では、不安が高まると感覚過敏が悪化するという報告もあります。その環境への安心安全感や取り組むべき事柄(課題など)の適合度といったものが感覚過敏に影響を与えうるということです。感覚過敏に手立てを取ることはもちろんですが、調子の悪い状況では、その環境設定そのものを見直すきっかけとしてみると良いかもしれません。
2022年11月22日1歳半健診で言葉の遅れを指摘される私が住んでいる地域では1歳半健診で「3つ単語が言えるか」聞かれます。スバルは「あー(Car)、バイ(バイバイ)、ばあ(いないいないばあ)」の3つで挑み再検査となりました。再検査と言っても2歳ごろに電話がかかってきて現在の成長の様子を聞かれるという簡単なものです。たまたま1歳半検診で一緒になったお子さんは「ナナ(バナナ)、パナ(パパ)、パマ(ママ)」で問題なしと言われていたので「はは~ん、私の担当の保健師さんはチェック厳しめの人だったんだな」とそこまで気にしていませんでした。今となってはスバルの3つの言葉は単語ではないと思うのですが、当時は特に気にすることなく「2歳で電話がかかってくるころにはおしゃべり上手になっているだろう」とのんきに考えていました。2歳で発達検査を受けるUpload By 星あかり2歳の誕生日を過ぎたころ、約束通り保健師さんから電話がかかってきました。半年前の私の予定では今ごろスバルはペラペラおしゃべりしているはずでしたが、実際には「ガーキ(トラック)」の単語が増えただけでした。なんなら単語とカウントして良いのかも怪しい1語です。それを保健師さんに正直に話したところ、発達検査を受けにくるように言われました。2歳になっても言葉がほとんど伸びていなかったスバルですが、そのころにはひらがなが10個くらい読めるようになっていました。もともと絵本が大好きなスバルですが、1歳半検診のあとから言葉を伸ばそうと絵本の時間を増やし言葉の成長を促しました。その結果、言える単語はほとんど増えていないのに、ひらがなが読めるようになっていたのです。私は単語が言えないことにほんの少し不安を覚えつつ、「でもひらがなは読めるしな」と言う謎の自信を持って発達検査に挑みました。発達検査では最初から最後まで集中して話が聞けました。言葉に関する項目以外は得意と不得意はあるものの、指示を理解して行動できていました。そして「言葉が遅い以外に問題はないので様子を見ましょう」と言われました。その後2歳から3歳の間に、簡易なものも含めて数回検査がありましたが、毎回「言葉が遅いだけ。様子を見ましょう。」と言われ、私はのんきに「専門家に『言葉が遅いだけ』のお墨付きをもらった」と言葉のままに様子を見守るのでした。絵本の時間をさらに増やした結果2歳を過ぎるとカタコト単語で話していた周りの子たちが軽快にトークを始めてさすがにあせりました。そしてさらに絵本の量を増やす日々…。Upload By 星あかりその結果、3歳の誕生日のころにはひらがな基本の50音が読めるようになりました。しかし単語は1個も増えず。「お」「か」「あ」「さ」「ん」が読めて発音できるのに「おかあさん」が言えない謎の状況に心が折れそうになりました。しかし忘れもしない3歳の誕生日の数日前、黄色い車を指差して「きいろ」と言ったのです!それからまさに「言葉のコップが溢れる」ようにあっという間に単語で会話できるようになりました。「言葉が遅いだけ」と言われていたスバル。言葉の問題をクリアしたら、もう怖いものなし!という訳にもいかず、3歳の誕生日を過ぎてから受けた発達検査で「自閉スペクトラム症」と診断されるのでした。診断がおりてからもまたいろいろなトラブルや問題、そして成長もあり…!そんなスバルとの日常を描いていきたいと思います。執筆/星あかり(監修:鈴木先生より)1歳半健診では有意語1語、3歳児健診では2語文が出れば問題ないというのが私の健診での一つの基準です。中には理解があり集団に入ってから言葉が増えるというお子さんもおり、表出型の言語発達遅滞と考えられています。小児科医が言葉の遅れで最初に確認するのは難聴の有無です。中耳炎やおたふく風邪などに罹患した後に難聴になることがあります。客観的な検査としてはABR(聴性脳幹反応)があります。小児科の神経外来で相談することをお勧めします。親や祖父母が何でもやってあげてしまうと、言葉を発する機会を失いがちです。服を脱いだり、靴を履いたり、いろいろとやらせてあげることも重要です。できないときに初めて「ママ―」と呼べるからです。また、幼少期からテレビなどの電子メディアの見過ぎも要注意です。会話のキャッチボールがなくなってしまい、言葉を発する機会も少なくなってしまいます。見るときは親子で一緒に、会話をしながら見ると良いと思います。
2022年11月14日とりあえず聞いてみよう!思い切って訪問した教育センターUpload By カタバミ自閉スペクトラム症と知的障害があるまちゃには、2歳上にお姉ちゃんがいます。まちゃが年少の秋、お姉ちゃんは年長で、就学の準備を始める時期になっていました。公立の小学校に入学予定でしたが、決められた学区の小学校は家から遠く、学区外の小学校のほうが家から近い距離にありました。また、お姉ちゃんの友達の多くはわが家では学区外にあたる小学校に入学予定だったため、お姉ちゃんは学区外の小学校に行きたがりました。しかし、私は迷いました。お姉ちゃんの小学校を決めるということは、2年後弟のまちゃも同じ小学校に入学する可能性が高いからです。お姉ちゃんが希望している学区外の小学校には知的障害を伴った特別支援学級がありません。でもまだまちゃは年少なので、これから知的発達に変化があるかもしれないとも考えました。迷った末、地域で就学についての相談を受けていた教育センターに行ってみました。就学する本人が年長にならないと就学についての相談は受けつけないと聞いていましたが、きょうだいの就学のタイミングで相談したいと思ったからです。教育センターでは門前払いかもしれないと心配しましたが、丁寧に対応していただけました。説明していただいた中で特に頭に響いたのは「障害者手帳の等級が軽度ならだいたい特別支援学級で、等級がそれ以上なら特別支援学校を選ぶ方が多いです。でもこの地域では保護者の意思が尊重されます」という言葉でした(これはお住まいの地域によって変わってくると思います)。結局、お姉ちゃんの小学校は学区外に決め、まちゃの就学先は様子をみながら決めていくことにしました。障害者手帳の等級が軽度なら特別支援学級?でも…まちゃの障害者手帳には事情がUpload By カタバミまちゃは障害者手帳を幼稚園入園前に取得していて、等級は軽度です。検査したその場では「中度」と言われたのですが、数週間後に正式に出た結果は「身辺自立はできているので軽度」ということでした。まちゃはその場でほとんど検査を受けることができず、ほぼ私からの聞き取りで結果が出たのです。検査をしてくれた先生の言葉を発達センターでまちゃを担当してくれている臨床心理士に報告したら「たしかに中度よりの軽度ですね」と言われました。就学するころに中度になることは十分想像できます。教育センターの方の言葉を思い出し、特別支援学校を選択する可能性はあるのかな?と思いました。それからいろいろと聞くと、検討している特別支援学校では全体的に身辺自立などを教えていることが分かりました。トイレや着替えなど、身辺自立はまあまあできているなら、まちゃは特別支援学級なの?とも思いました。でも、幼稚園の園長先生から「まちゃくんはお母さんやお姉ちゃんの言うことはとても良く聞くんです。ですから園の苦労がなかなか伝わらないのかもしれません」と言われていました。家で身の回りのことが比較的できて穏やかなまちゃは、外では別人のようなのかもしれないとも思っていました。そんなこともあり、特別支援学級、特別支援学校のどちらがまちゃに合いそうなのか、分からずにいました。年中からは近所で評判の良かった児童発達支援事業所に入ることができました。でもそこで就学についてのアドバイスはなく、担当の小児科医からも「然るべき機関と相談してください」と言われました。相変わらずまちゃの発語はほぼ単語のみで、私は家以外でのまちゃを客観的にみてくださる方がいれば相談したい…と思っていました。経験豊富な先生の視点が欲しい。年長から療育園へUpload By カタバミ通っていた児童発達支援事業所がコロナ禍で短縮されたのを機に、思い切って年長から療育園に入園しました。まちゃの発語を増やしたいとも思いましたし、経験豊富な先生から就学先へのアドバイスがほしいとも思っていました。療育園に入園すると見学が比較的自由で、マジックミラー越しに私のいないところでのまちゃの様子をたくさん見ることができました。療育園でのまちゃは自宅ほどではありませんが落ち着いていましたし、念願が叶って、就学担当もされている大ベテランの方が担任をしてくださいました。初夏の面談でその先生から「まちゃくんは45分間座っていられそうなので特別支援学級を考えてみてください」と言われて驚きました。私が「でも言葉をしゃべることができませんし、あまり理解もしていないようです」と言うと先生はうなずいて「でも、まちゃくんの様子なら特別支援学級も視野にいれてもいいと思いますよ。ぜひ考えてみてください」と繰り返しました。面談の際、療育園には教育センターの方も直接来てくださっていました。私は特別支援学校と知的障害クラスがあって家から通える特別支援学級をいくつか見学したいと希望を伝え、見学できることになりました。特別支援学校の見学&体験Upload By カタバミ特別支援学校は親だけの見学の日と、親子が一緒に行って授業を体験する日がありました。親だけの見学の際には校舎を数時間かけて案内・説明してくださる方もいて、何から何まで「しっかりしていて頼れそう」な気がしました。体験時はまちゃも楽しそうで、もっと遊びたいと駄々をこねて寝転がったこともありましたが、先生は全く動じず笑顔で対応してくださってまぶしいほどでした。在校児童にまざって授業も受けましたが、どのお子さんもちゃんと座っていましたし(新学期には無理でしたよ、と説明されました)、授業の内容をよく理解しているなと感じるお子さんもいました。ただ、帰りの準備や着替えなどにたくさん時間をとっているように感じたので、身辺自立はまあまあできるまちゃは持て余す時間も多いかもしれないと思いました(支度が早くすんだお子さんには先生のお手伝いをしてもらったりしますと教えていただきました)。私たちの住んでいる地域では特別支援学級か特別支援学校なのかを選ぶのは保護者の選択によります。特別支援学校、特別支援学級のどちらがまちゃに合いそうなのかまだ判断できすにいましたが、まちゃ年中のころから平仮名や数字の勉強を少しずつ始めていて、数字をそれほど苦もなく覚えていたので、私は学校ではぜひそういった勉強をして欲しいと思っていました。特別支援学校ならまちゃを安心して通わせることができそうだけれど、特別支援学級の様子もぜひ知りたいと思いました。まちゃの就学先を特別支援学級と選択するのは、これより少しあとになってからのことです。執筆/カタバミ(監修:初川先生より)特別支援学校か、特別支援学級か。まちゃくんのお姉さんが就学のタイミング(まちゃくん年少時)から検討を始められたとのこと、とてもよいですね。カタバミさんはきょうだいで違う学校になる可能性も考えていらしたようですが、さまざまな事情からきょうだいは同じ学校でとお考えになる方もいらっしゃるだろうと思うので、上のお子さんの就学時から検討することもありますね。就学相談として受理されるには、お子さんが年長になってからという枠組みの自治体も多いと思います。今回、まちゃくんのご相談を教育センターで聞いてくださったのはなかなかよい計らいだと感じました(正式な相談としてではなく、情報提供として簡単な助言を下さる場合などあると思います)。カタバミさんが、まちゃくんの家での様子のみをふまえて、特別支援学校か特別支援学級かを検討されるのではなく、集団場面(あるいは親である自分のいない場面)でのまちゃくんの様子を知ってそれから判断したいと考えられたこと、とてもよかったと思います。環境によってお子さんのふるまいや居心地は変わります。学校生活に近い環境を見たい、そして、ベテランの先生方にも療育での様子ふまえてご意見うかがいたいと思われたこと、大切な視点ですね。そして、子どもの成長はなかなか大きいので、年長の際にぐんと伸びる場合もあると言えばあります。そのあたりも悩ましいポイントかもしれませんね。就学相談での判定(特別支援学校、特別支援学級など、どこがお子さんに合っているかの判定)は、強制力があるものではなく、あくまでもそれを参考に最終的には保護者・お子さんの希望で就学することができます。もちろん就学相談での判定は各種専門家やこれまでの様子の観察や検査結果などふまえて総合的に出されるものなのでとても意味のあるものです。それをふまえて、就学相談担当(あるいは就学予定先の学校の先生方らなどと)相談しながら最終的に就学先を決めていただければと思います。
2022年11月08日こんにちは、マミヤです。旦那と、自閉スペクトラム症の娘しぇーちゃんと暮らしている主婦です。今回は、娘と旦那の親子関係についてのお話。どうして父である旦那と娘の関係がこじれていったのか、関係修復のため夫婦で試行錯誤した記録です。■我が家はひとりっ子兄弟かひとりっ子のメリットは簡潔に書いてるだけで、もちろん兄弟がいたって仲が悪かったりひとりっ子で寂しいなど、いろいろなご意見があるのは承知しております。我が家は頼れる実家もなく車もなく、出産前からひとりっ子予定だったのが、娘を育てる大変さから「これ絶対ひとりしか私のキャパでは無理だ」となりました。■旦那は産後うつだったのかも!?まさかの赤ちゃん時代からです。旦那はかなり頑張ってくれていました。しかし娘は育てづらい子で、さらに母親に対しこだわりがあるので、旦那が面倒を見ているときは大体泣くか機嫌が悪かったのです。それでも寝かしつけを頑張っていてくれたのは、私を少しでも休ませてくれようとしていたからです、今でも感謝しています。最初は家族3人で寝ていたのですが、旦那は5時間以上トイレが我慢できない人で、産後その音で私が起きて寝れなくなってしまって…(ちなみに、出産前は大丈夫だった)。さらに娘は当時夜2~3回夜泣きで起きる日々…。寝かしつけは、段々交代制に落ち着きました。しかし、旦那が当番の日に号泣する娘。無意識にですが舌打ちしてるのを見かけ、これはもう限界なんだと悟りました。仕事もして、夜も子どもを見て、嫁から休日は公園へ行けと言われ、発達障がいの勉強しろ、子どもを理解しろ、そして子どもには泣かれ…今思えば旦那はキャパオーバーだったんだと思います。そしてこの日から旦那は娘の寝かしつけをしていません。正確には娘に拒否され続けてます。ちなみに生後2ヶ月まで実家にお世話になりましたが、実母は5kg痩せました…。次回に続く「娘と旦那の仲が悪くて困っています」(全11話)は12時更新!
2022年10月27日2歳10ヶ月のとき、知的障害を伴う自閉スペクトラム症と診断された娘Upload By にれはじめまして、にれです。娘のまゆみは、2歳10ヶ月のときに「知的障害を伴う自閉スペクトラム症」と診断されました。「何かほかの子どもと違うかも?」と思い始めた1歳ごろ以降、こちらの働きかけに応じる様子がなかなか見られないまゆみに対し、私は娘が何を感じているのか、考えているのか全く分からないと悩んでいました。母親である私の生きている世界とは全く別のところに意識がいっているように思える子どもだったのです。Upload By にれ2歳半になっても、まゆみの口から出るのは喃語ばかり。でも行動はかなり激しく、テンションが上がると弾かれたピンボールのようにあちこちにぶつかりながら部屋中を走り回っていました。親の制止はもちろん通じません。「私がこの子にルールを教えてあげないと…」と試行錯誤するものの、成果がみられない日々にいっそう悩みは深まっていきました。そんなまゆみでしたが、療育のおかげもあってか3歳ごろから少しずつ言語や社会性の面に成長が見られるようになっていきます。Upload By にれ4歳半となった現在、ようやく社会性がでてきたような気がします。未だ意思疎通の難しいところはあるものの、少しずつ言葉も出てきて簡単な指示なら聞いてくれるようになってきました。現在のまゆみの発達は以下のような状態です。発語:ほぼエコラリア(オウム返し)と何か分からない言葉。ごくたまに自分の感じた一言も。識字:ひらがな、アルファベット大文字、数字の1~30。行動:一時よりは多動も落ち着いた傾向。でも油断すると壁に激突するので要注意。トイレ:絶賛トイトレ中!自分の便で遊んでしまうことがあるので、発見が遅れると悲惨。社会性:挨拶のやりとりや、「かして」「どうぞ」を練習中。困りごと:偏食、こだわり、多動傾向。現在まゆみは単独通所型の療育を2ヶ所利用していて、合わせると週5~6のペースで通っています。最大の課題はやはり集団生活に向けた社会性。来年4月の保育園入所に向けて頑張る毎日です。特性のある子どもを育てていて思うことまゆみが1歳半~3歳くらいのころ、「わが子と気持ちの通じ合う日は来るんだろうか」「まゆみは将来どうなるんだろう」と考えてはよく涙していました。発達に良いとされることを片っ端から試してみたり、まゆみの興味のありそうなものを見つけては飛びついたり、とにかく「まゆみを救ってくれるもの」が何かあるんじゃないかと期待しては失望することの繰り返しで、私はだんだんと疲弊していきました。神経発達症(発達障害)のメカニズムは未だ完全に解明されておらず、ネットで得られる情報も玉石混交です。何かないかと検索しては不確かな情報に踊らされまくった私は、確かな情報を得るために知識をつけようと、大学の通信学部で臨床発達心理学を学び、発達支援などに関する民間資格を取得しました。わが子のためになることなら何でもやってやろうと、鼻息も荒く意気込んでいたのです。けれどそのうち、もっと大事なことに気づきました。知識をつけることはもちろん大事なのですが、一番大事なのは、目の前のわが子をよく観察してたっぷりの愛情を注ぐことだと思うようになりました。当たり前のことなのですが、その当たり前のことに気づけなくなるくらい、「何かしなくちゃ」とかつての私は焦っていたのです。Upload By にれ障害児育児は孤独や焦燥感との戦いでもあると思います。そんな中で、自分も子どもも笑顔でいられる道があるなら、きっとそれが正解なんだと感じています。結果として、真剣に学んだことはまゆみにとっても私自身にとっても正解でした。もし目の前に当時の私と同じように悩んでいる人がいたら、「自分が納得するまでとことん何でもやってみたらいいよ!」と背中を押すでしょう。それは、子どものためというのもありますが、大きくは親としての自分の気持ちを救ってあげることにつながるから、という理由です。最初に通っていた母子通所の療育で、「こんなにやってるけど、まゆみには通じなくて空回りばかりです」とこぼした私に園長先生が言った言葉は、今も私の心の指針になっています。「自分が納得するまでやってみたらいいよ。やりきったら、もし子どもの発達に打ちのめされることがあっても『こんなにやったのに』じゃなくて『ここまでやったから』と思えるようになる」。同じ境遇で悩んでいる方の力になれたらおこがましいかもしれませんが、同じような境遇で悩んでいる親御さんに「あなただけじゃないよ」と伝えたい気持ちで漫画を描き始めました。百人いたら百通りの自閉スペクトラム症があるといわれるくらい、特性の出方に幅があるのが自閉症育児。どこまで私とまゆみの経験がお役に立てるかは分かりませんが、もし少しでも読んだ方の気持ちが軽くなる瞬間があることを願って、コラムを書かせていただこうと思います。まだまだ勉強中の身ではありますが、育児も漫画も「ここまでやった」と思えるように頑張りたいです。これからどうぞよろしくお願いいたします!執筆/にれ(監修:初川先生より)にれさん、最初のコラム(自己紹介とまゆみちゃん・にれさんのこれまでの経緯)をありがとうございます。コラムを拝読して、「分かる、分かる」と共感的に読まれた読者の方も多いのではと感じました。「わが子と気持ちが通じ合う日は来るのだろうか」、その不安と焦りから、さまざま学ばれ、資格まで取得され、にれさんご自身がさまざまな知見・知識を得られたこと。その日々の中で、大事なのは知識ではなく、目の前の子に愛情をいっぱい注ぐことだ、と気づかれたこと。「当たり前のことなのですが」と書かれていますが、しかしながらその境地は、それまでのプロセスあってのことだと思います。お子さんに障害があるとなれば、不安になるのは自然なことです。その障害について知らないことが多いと思いますので、まずは知るところから始めるというのもよかったと思います。発達障害、知的障害については、理解と手立てに関する知見・研究がかなり蓄積されています。知識として知っているだけで、育児というものは手探り感はぬぐえないですが、そうした手探りの育児に少し安心感が伴えるかもしれません。私がにれさんのスタンス・心持ちが素敵だなと思ったのは、その末に「よく観察して愛情をいっぱい注ぐ」に至っていらっしゃること。まゆみちゃんの育ちやつまずきを、すべて「自閉スペクトラム症だから」など、障害という文脈だけで捉えてしまうと、「知的障害のある自閉スペクトラム症の子を育てている」ことに集約されてしまい、お子さんからすると「家に療育の先生がいる」になってしまうこともあるだろうなと予想されます。にれさんが育てているのは、まぎれもなく「にれさんのお子さんのまゆみちゃん」であり、それは障害といった文脈だけですべてが説明できる存在というわけではありません。もちろん障害という文脈も大切ですが、それだけではない家族の営み(親子関係)やまゆみちゃんの日々の生活・育ちがあって、そうしたものすべてを「障害」で回収してしまわずにそのままに受け取っていっていただけたらと思います。これからのコラムも楽しみにしています。
2022年10月27日年長春放課後等デイサービスを調べ始めた市の就学相談を受け、特別支援学級を希望していた自閉スペクトラム症のあるけんとは、こども園に通いながら週に4日、園が終ったあとに通うタイプの発達支援施設に通っていました。集団行動、体を動かすことなど、苦手なことがたくさんあったので、小学生になったら放課後等デイサービスに通わせたいと思い、年長の春ころからどこに通うか調べ始めました。Upload By ゆきみ専門職の先生方がたくさんいらっしゃる人気の施設に問い合わせると、2年待ちくらいとのこと。待機の予約をさせていただくことにしました。ほかの施設にも問い合わせてみると、状況や予約の方法がそれぞれ違うようで「新1年生の予約は受け付けないので2~3月ごろに電話をしてください」というところもありました。運動特化型、お勉強特化型、集団行動を通していろいろな体験をする…などたくさんの施設がありましたが、送迎サービスを行っていないところでは弟の迎えの時間と照らし合わせたりする必要もあり悩みました。そして、いくつか見学に行くことに。環境の変化が苦手なことを考慮し決めたことUpload By ゆきみ夏ごろから、いくつかの放課後等デイサービスに見学に行きました。療育内容、時間帯、送迎の有無などを聞かせていただき、悩む日々。そんなとき、家のポストに入っていた地元のフリーペーパーで「新規オープン」の施設を発見!見学に行くと、けんとの課題である指先を使った制作、粗大運動、ビジョントレーニング、などの課題を行いながらSST(ソーシャルスキルトレーニング)を学んでいけそうで、送迎もあるとのこと。ココだ!と思い、週に4日通うことにしました。体を動かすのが苦手なので、本当は運動特化型の放課後等デイサービスにも通いたかったのですが、小学校生活が始まるだけでも環境の変化で大変そうな気がしたので、まずは1ヶ所の施設にすることに。小学生になり、そこに実際に通ってみて、毎日とても楽しそうにしています。夏休みには公園、消防署、展望室、工場や科学館などへ社会科見学にたくさん連れて行ってくださり、経験を重ねることができました。受け皿がない?構音障害リハビリ探しUpload By ゆきみけんとは構音障害があり、何を言っているのか聞き取るのが難しい子どもです。病院で言語訓練(ST)、作業療法(OT)を月に1回ずつ受けていましたが、小学生からは年齢制限で対象外。年長の春ころから、小学生になってからも受けられるところを探し始めました。インターネットで調べたり、発達支援センター、病院の先生方、発達支援施設の先生方、担当の相談員さんなど、心当たりがないか、とにかく聞いてまわりました。しかし、住んでいる地域には、言語聴覚士さんがいらっしゃって、空きのある放課後等デイサービスも、自費で受けられるところもありません。小学校で受けられるという「ことばの教室」は通級指導教室の子どもだけということで対象外。地域によって制度は異なるかもしれませんが、うちの地域では特別支援学級に通う子どもは、受け皿がないという状況に絶望しました。それでもあきらめずに支援者の方々に何度もお聞きしていたら「そういえば…あそこならいけるかも」と思い出した方が話を通してくださり、ついに見つかりました。家から離れた病院ではあったのですが、とてもありがたく、現在通わせていただいています。保育所等訪問支援を利用して思ったこと児童発達支援事業に通っていたころ、そこに通うほかのお子さんが「保育所等訪問支援」を利用していました。日中多くの時間を過ごしている園や小学校などに、支援員さんが訪問し、担任の先生と直接お話をしてくださったり、子どもの困りごとを見つけてくださったりするということで気になっていました。小学生から利用したいと思い、お世話になっていた児童発達支援事業の方にお願いさせていただき契約。Upload By ゆきみ小学校に通い始めてからのお話ですが…正直、もっと早くこの制度を利用していればよかったと後悔しています。専門の知識をお持ちの支援員さんが対応してくれるので説得力があり、親の立場からお願いしづらい部分もフォローしてくださっているように感じます。私自身も、支援員さんの見解をお聞きして、とても勉強になることや新発見も多いです。子どもが年長になってから、普段の生活に加え、就学に向けての準備が本当にたくさんありました。考えることも多く、頭が混乱してしまうことも正直ありました。そんなときは大好物のお菓子を少し食べてリフレッシュ。とにかくあっという間の1年間でした。執筆/ゆきみ(監修:井上先生より)就学に際して学級選択以外に、お子さんに合った放課後等デイサービスの情報集めや見学など、さまざまな選択を一度にしなければいけないというのは大変だったと思います。ゆきみさんのように、お子さんの特性やニーズに合わせた事業所を地域で探されることは、場合によっては難しいこともありますが、相談支援専門員さんなどに相談していくことで保育所等訪問など、現時点で使えるサービスを発見できることもあります。先輩の親御さんから地域の情報を聞くのも良いかと思います。
2022年10月24日自閉スペクトラム症のある息子にとって虫歯予防は困難ばかり!Upload By みん幼いころのPはおやつなどの間食も多く、一日中冷蔵庫の前やお菓子を置いている戸棚の前で、自分が食べたい物を私に要求していました。私は毎日24時間Pへの対応に疲れ果てていたころだったので、少しでも癇癪を防ぐため、大人しくしてもらいたいがために、おやつを欲しがるだけ与えてしまっていた時期もありました。そんな食生活を続けていたので、いつしかPに虫歯ができてしまいました。Pの虫歯に悩んだ私は、保健センターに問い合わせて障害児の治療も可能な近所の歯科医院を教えてもらい、通院することにしました。そこでは「治療をするにはまだ危険で難しい」という話になり、まずは場所や人に慣れることから始めることになりました。何回か通っていくうちにPも少しずつ慣れて、やっと診察台に乗れるようになったのですが、仰向けになって口を開けて先生に歯磨きをしてもらう段階になると拒否して暴れるので、身体を抑えつけて先生に進行止めの薬を塗ってもらったり歯磨きをしてもらったりしていました。そんなことを繰り返しているうちに、Pは歯科医院への道を通るだけでパニックを起こすようになり、最後は歯科医院の中へ入ることすらできなくなってしまいました。Upload By みんせっかく慣れた歯医者がトラウマになってしまい困った私は…慣れるために時間をかけて1年以上も通っていたはずだったのに、力ずくで抑えつけるという間違った対応の仕方のせいで、歯科医院に慣れるどころか結局はトラウマだけが残ってしまい、虫歯もどんどん進行してしまいました。こうして近所の歯科医院へはこれ以上通院することができなくなり、先生に紹介状を書いてもらって「障害歯科」を予約し、全身麻酔での治療に進むことを決意しました。障害歯科は1日に4組までしか予約を取っていないので、すぐには診てもらえず、予約をしてから3〜4ヶ月ほど待ちました。全身麻酔での治療になるので、事前に麻酔についての説明があり、前日から私もPもしっかりと準備をして、障害歯科へと向かいました。初めて行った障害歯科の雰囲気は、待合室にはPのほかには1人しか来ていないので、とても静かでほかの人に迷惑がかかることもなく周りを気にすることもなく、落ち着いて過ごすことができました。そして対応してくださる先生たちも、障害のある人に対して知識や経験のある先生ばかりで、親子ともにとても安心できました。治療のために全身麻酔をしてPを眠らせるときに、私はとても後悔をしていました。こうなってしまったのもPに虫歯を作った私の責任だ…と、眠ったPの顔を見ながら申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。それから約2時間後、無事に虫歯治療は終了し、Pが麻酔から目覚めると帰宅することができました。私は治療が済んだ安心感と、とりあえずはこれで虫歯の悩みから解放されるのでホッとしていました。1年以上も治療ができない歯科医院へ苦労しながら通って悩んできたけど、もっと早くに障害歯科で治療をする決断を私がしていれば良かったなと思いました。Upload By みんわが子にとって「今」何をどう選択するべきなのか?を親が見極める必要性。思えば長男は虫歯を作ったことがありません。歯磨きをするのも歯科医院へ行くのも親子ともに全く苦労をしたことがなかったのです。でも障害のあるPの虫歯予防と虫歯治療は、どれだけ大変でどれだけ苦労をしたか…と思い返しながら難しさを痛感していました。まずは歯磨きや歯科医院に慣れてほしいと思う私の願いよりも先に、Pの場合はとにかく治療をして、慣れるのはあとから時間をかけてゆっくり始めても良かったのかもしれません。実際、あんなに難しかった歯磨きも、Pが療育を受けながら成長すると、徐々にスムーズにできるようになり、今では自分から「歯磨き」と私に伝えにくるほどになりました。Upload By みん何をするにも、何を選択するにも、その子その子のタイミングがあるのだと思います。Pの発達や状況をしっかりと観察し、今のPの発達段階では何が可能なのか?何が難しいのか?を考え、親の希望するタイミングではなく、P自身のタイミングを見極めながらさまざまな選択をしていけるようになりたいです。執筆/みん(監修:藤井先生より)歯磨きができないならせめてうがいだけでも、とPさんには負担をかけたくないけれど、虫歯予防もしなくてはと、頑張ってこられたみんさん、後悔しながらも、諦めずに向き合われて、今があるのだと思います。Pさんの成長とともに、今では自ら歯磨きをするようになったとのこと、この体験談を通じて、歯磨きを嫌がるお子さんを育て中の親御さんに励ましとなりますね。
2022年10月17日