再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第20回】『師任堂、色の日記』ーーイ・ヨンエの新作、その価値と出来について 13年ぶりのイ・ヨンエの主演作『師任堂、色の日記』は、最近になって地上波BS放送とレンタルで、やっと一般的に視聴できるようになった。事前の情報通り、現在と歴史上の役柄がパラレルになった凝った設定になっているが、家庭を持っている主婦の、単なる美術講師から教授になるまでのサクセスストーリー的な内容であれば、おそらくイ・ヨンエがこの役を受ける可能性はなかっただろう。これまで積み上げてきたキャリアに付け加わるものは何もないからだ。 実際、イ・ヨンエに限らず、40代半ばの女優を主役にするのにふさわしい設定は現代劇ではなかなかあるものではない。かといって、いまさら単なる長編時代劇では、何のために、『チャングムの誓い』の続編の出演を拒んできたのかわからない。 だからなのか、このドラマはそんな期待に十分応えたもので、基本ストーリーの一部に『ある日どこかで』(’80年の米映画、原作はリチャード・マシスン)をヒントにしているのは間違いなく、500年の時空を超えたSF的な設定での過去と現在の交差は、従来のTVドラマではあり得ないような独自の内容構成になっている。そこに本人なりの価値観を見出したから出演に至ったのではないか。 「歌を忘れた金糸雀は〜」の倣い通り、もう一度歌を歌ってもらうにはそれなりの舞台を用意しなければならない。この作品はイタリア海外ロケから始まり、大学の研究室や海外の学会というアカデミズムの現場を通して、500年前の時代劇の世界にも移行する広大なスケールの構成を持つ。そして、アカデミズムの生態、SFファンタジー、時代劇という三種類の要素を溶かし込んだ、およそ韓国ドラマで考えつくだけの贅の限りを尽くしたものといえる。 まさしく、イ・ヨンエ出演のために、そのすべての期待と条件を満足させるために準備されたものだが、これが意外にも佳作に仕上がっているのは、やはり脚本を始めとしたスタッフの努力の賜物だろう。過去の遺跡、暗号等のヒントから、現在の謎を解くパターンは『ダ・ヴィンチ・コード』等でもよく見られる設定だが、そのキーワードを国宝級の絵画にしたところが非凡であり、イ・ヨンエはこの大役に見事に応えている。少なくとも13年ぶりの復帰作として、その名誉は守られたというべきだろう。
2017年09月04日世田谷パブリックシアターが開場20周年を記念して、日韓文化交流企画となる舞台、イプセン作『ペール・ギュント』を12月に上演する。舞台『ペール・ギュント』チケット情報本作は、平昌オリンピック開・閉会式の総合演出を手掛ける韓国演劇界のトップクリエイター、ヤン・ジョンウンが芸術監督を務める劇団旅行者(ヨヘンジャ)にて上演を重ねてきた代表作のひとつ。日本では第20回BeSeTo演劇祭(13年)の招聘公演として新国立劇場にて上演され、際立つ身体性と言語表現によって色鮮やかに劇場空間を埋め尽くす、ヤン独自の世界観が大きな反響を呼んだ。今回は主人公ペール・ギュント役を浦井健治が担い、ワークショップで選ばれた日本人キャスト、ヤンの信頼厚い韓国人キャスト、そしてヤンの希望によりすべて日本人スタッフで固めた布陣で新演出版を誕生させる。海を越えた注目のタッグ、浦井とヤンに話を聞いた。「異なる文化で育った者同士が良いところを持ち寄り、一緒に冒険ができることはとても贅沢で幸せなこと。僕は参加できなかったのですが、今回共演する趣里ちゃんやほかの役者仲間から、すごい熱量でワークショップの報告が来たんですよ(笑)。『面白かった!ここまで自分をさらけ出すことができるのかと思った』と。そこまで思えるのは素敵ですよね」(浦井)「サイモン・マクバーニーが日本の俳優と作った『春琴』を世田谷パブリックシアターで観て、この空間にとても演劇的魅力を感じ、いつかこんな交流の舞台をやれたらと夢見ていました。浦井さんとの出会い、スタッフとのやり取りなど、すべての過程が今楽しくて仕方ありません。韓国人俳優に比べて日本人俳優はひかえめだという話をよく耳にしますが、ワークショップで出会った日本の俳優たちは全然違いましたね(笑)。すごく自由で、エネルギッシュで、挑戦を楽しんでいた。僕のほうがインスピレーションをもらいました」(ヤン)ワークショップについて浦井が「参加できず残念だったけど、僕は臆病なので」と冗談めかして言うと、ヤンはひときわ大きな笑い声をあげた。「先ほど浦井さんが口にした“冒険”という言葉が胸に刺さり、今また“臆病”という言葉にさらに深く揺さぶられました。私は、ペールも完璧な臆病者だと考えています。なぜなら、彼を信じる母親と恋人を故郷に残して自分探しの旅に出るペールは、あらゆる選択の局面でいつも無意識的に逃げ出すからです。すべての人間の怖れ、不安を集約したものがペール・ギュントで、浦井さんはそれを直感的に探り出したスマートな俳優だなと。期待が高まります」(ヤン)趣里、マルシアなど日本人15名と韓国人5名、総勢20名の出演陣で立ち上げる壮大な冒険譚。両国の情緒の差異を楽しみ、共感を探る、刺激的な旅路の始まりだ。「本当に大切にしたいものは身近にあることを伝えてくれる物語です。この作品を経験することで、僕も人生が豊かになるんじゃないかなと予感しています」(浦井)東京・世田谷パブリックシアターにて12月6日(水)に開幕。9月24日(日) より一般発売。取材・文:上野紀子
2017年09月01日(写真:THE FACT JAPAN) 再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第19回】『ラスト・チャンス!〜愛と勝利のアッセンブリー〜』ーー国会議員の理想像を演じる俳優の適性とは 最近、韓国のみならず、日本でも国会議員の不祥事が話題になっている。その際にいつも問題になるのは、国会議員の適性及び品格だが、今回はその理想像を、演じる俳優を例に考えてみたい。 『ラスト・チャンス!~愛と勝利のアッセンブリー~』(’15年・KBS)は映画専門俳優だったチョン・ジョヨンが、デビュ?20年目にして初めてのドラマ出演で話題になった作品だ。この俳優の持ち味は、どこにでもいそうな市井の人物を演じることで、それ以外では戦争映画の命令に忠実な軍人等がはまり役だった(『シルミド』’03年、『トンマッコルへようこそ』’05年)。この作品でも、ストライキを起こした溶接作業員が仲間の汚名をそそぐために、政界に打って出るという人間味あふれる、一種純粋な性格の主人公の役を敢えてぎこちなく演じている。フィクションでありながら、ある種の国会議員の理想像ともいえる。 一般的な政治ドラマでは、無骨で朴訥、そして実直で前時代的なキャラクターは脇役ではあっても、主役には当てないのが普通である。だが、この作品はシナリオライターが直々に指名したチョン・ジェヨンのキャラクターを元に書き上げたとのことで、限りなく政治の素人である一般人を、魑魅魍魎な政治の世界に放り込むことによって起こる波紋をドラマの主題としている。これは何よりもまず、この俳優の風貌が醸し出す独特の雰囲気を抜きには考えられない。周辺には、それを利用しようとする人物と守る立場の側に、個性的な俳優を配置すればいいわけで、韓国ドラマの舞台として、裁判、病院に次ぐ第三の場ともいえる政治の世界ほど、こういった図式がふさわしい世界はない。 無学ゆえにストレートに感情を出してしまう主人公は持ち前の粘り腰で、従来とは違う、想像もつかない手法で次々と政治の難局を突破する。傍にはいつも優秀な秘書官(ソン・ユナ)がいるのだが、何故か彼女とは最後まで恋愛関係にはならない。主人公が離婚している設定もあって、恋愛感情を希薄にしているようにも感じるが、それがかえって主人公の純真さを伝える好効果にもなっている。このドラマが従来の、情欲と権謀策略が渦巻く政治ドラマとは全く違う印象を与えるのは、やはり俳優チョン・ジェヨンによるところが大だと思う。
2017年08月28日一生に一度のすべてを捧げた恋を描いた映画『ナラタージュ』の完成披露試写会舞台挨拶が8月23日(水)、都内にて行われ、出演する松本潤、有村架純、行定勲監督が登壇した。大人の男を演じた松本さんは、行定監督に「今日、明らかに(劇中と)違うよね。声かけづらかったもん。嵐の松潤がいるよ」と言われると、「まあ、嵐ですけど(笑)」と余裕の笑み。さらに、行定監督が「葉山先生は親近感がある」と続ければ、松本さんは「僕、親近感がないみたい、やめてくださいよ(笑)」と、タジタジになっていた。『ナラタージュ』は、『陽だまりの彼女』以来4年ぶりとなる松本さんの主演映画。2006年版「この恋愛小説がすごい」第1位となった島本理生による同名小説の映画化で、たとえ許されなくてもすべてを捧げた衝撃の純愛を描く。大学2年生の泉(有村さん)のもとへ、高校の演劇部の顧問教師・葉山(松本さん)から、後輩の卒業公演に参加してくれないかと誘いの電話がくる。葉山に特別な想いを抱いていた泉は、再会により気持ちが募っていってしまうが…。行定作品に初出演となった松本さんは、参戦について「うれしかったです。プライベートで一度お会いしたことがあって、『いつか面白い作品があったとき、やれたらいいね』と言っていたので、思い出して本当に声かけてくださったんだなって」と感激の表情。同じく行定組に初参加となった有村さんも「ご一緒できるんだと、すごく感激しました。とても難しい役でもあったので、インするまでは緊張していました。現場では気は抜けなかったですけど、肩の力は抜けたと思います」とふり返った。この日は、8月30日に34歳の誕生日を迎える松本さんのために、サプライズでバースデーケーキが登場する一幕も。『ナラタージュ』にもじって「ナラタージュン」と描かれたケーキに、思わず笑みをこぼした松本さんは「まさか、タイトルと僕の名前でギャグができるなんて…祝っていただけてうれしいです!ありがとうございます!」と、赤いバラが施されたケーキの前で感激の様子。ちなみに、34歳の目標は「ぜひ映画がたくさんの方に観ていただけたらと、説に願います」と願をかけていた。『ナラタージュ』は10月7日(土)より全国にて公開。(cinamacafe.net)
2017年08月23日(写真:THE FACT JAPAN) 再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第18回】『記憶~愛する人へ~』――イ・ソンミンにみる主演俳優の配役変化について 地味な印象の俳優の方が、逆に新しいキャラクターを演じるのにふさわしいと考える傾向があるのか、そういう例が最近増加している。人気俳優が派手な風体で派手なキャラクターを演じるのは当たり前すぎるし、悪相の俳優が凶悪な役を演じるのも却ってつまらない、面白くないという事なのだろうか。その意味も含めて、今回の『記憶~愛する人へ~』(’16年・tvN)はこれからの韓国ドラマのある方向性を示すと思われる作品である。 主役を演じるイ・ソンミンは今までは地味な脇役を長く続けてきた俳優の一人で、主役を演じたのは『ゴールデンタイム』(’12年)からだが、その時点で43歳という遅咲きだ。その一見地味でどこにでもいそうと思われていた俳優のキャリアは『ミセン』(’14年)で急転する。猛烈商社マンの人間臭い面を見せたこの作品は、イ・ソンミンという俳優をさらに印象付けることになり、この『記憶』でその評価は決定的になった。 『記憶』はテレビドラマとしてはかなり複雑な構造を持った作品である。むしろ、映画的といってもいい濃密さだ。主人公の敏腕弁護士はあまりにも強引な手法で弁護士の枠を超えて違法すれすれの事までこなすようになっている。だが、その裏には、子どもを不慮の事故で亡くして離婚、そして再婚して、仕事に忙殺されながらも、何とか幸せな家庭を築こうとする主人公なりの努力も垣間見えるという具合だ。そんな時、本人の体に異変が起こり(初期アルツハイマー病の宣告)、同時に一見平穏だった家庭にも、弁護士としての業務にも亀裂が入るようになる。ここで上司(イ・ソンミン)の言動に幻滅して辞表を出そうとしていた部下としてジュノ(2PM)が登場し、主人公と最後まで行動を共にするドラマ内の重要な人物となる。今や定番ともいえるK-POPメンバーの単独ドラマ進出については賛否両論あるが、この作品でも全体のマイナスにはなっていない。 前妻とのトラウマも並行して描かれるこのドラマの中で、主人公は、記憶が完全になくなる前に、何のために、何をすべきなのかを考えるようになる。症状が進んでいく残された時間の中で、主人公は最後の行動に出るが、これは誰にでも起こりうる人生の転機、岐路についての根源的な問いかけである。シナリオは、傑作『復活』『魔王』を手掛けたキム・ジウの最新作で、韓国ドラマの水準をまた一つ上げた。期待通りの秀作だ。
2017年08月21日(写真:THE FACT JAPAN) 再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第17回】『町の弁護士チョ・ドゥルホ』ーパク・シニャンの成熟度について ’16年の『町の弁護士チョ・ドゥルホ』(KBS)は好評のうちに終了したのち、早々と続編制作が決定した。その主役が今いちばん韓国で演技力に定評がある俳優の1人である、パク・シニャンだ。 医師、弁護士といった職業がまさに嵌まり役で、熱血とコミカルな部分がないまぜになったオーバーな感情過多の部分さえ特徴の1つと思い当たる、他に類型を探すのが難しいタイプだ。静かな闘志を秘めて、およそ考えつくあらゆる人間の英知と感情をフルに使って、弁護に猪突猛進する。そういう役柄にピッタリな俳優はいそうでなかなかいない。もう少し庶民的な俳優のソン・ヒョンジュと対極的な位置にあるともいえる。 パク・シニャンは現在、48歳、映画もだが、ドラマは特に主演作品は少なく、作品を選ぶ俳優ともいわれている。’04年の『パリの恋人』が大ヒットしたためか、そのイメージが強かったが(『銭の戦争』はほとんど韓国版ナニワ金融道だが)、俳優としての本質は明らかに、その後の『サイン』、この『町の弁護士チョ・ドゥルホ』にある。 特にこの作品(『町の弁護士〜』)で、俳優としての評価は決定的になった。世界的に有名な俳優学校の1つであるアメリカのアクターズ・スタジオ出身かと錯覚するような部分もあり、アメリカの良心と称されたヘンリー・フォンダと言うより、韓国ではアン・ソンギ、イ・ソンミン、カン・シニルの系譜につながる、演劇的な俳優の1人だ。 今まで夥しい量の裁判、弁護士物が製作されてきたが、パク・シニャンの作品だけ違う手触りを感じるのは、一つにはこの俳優の人間的な、関西テイストをも彷彿させるキャラクターによるものだろう。様々な局面での意表を突く解決策は、シナリオの妙によるところが大であっても、俳優によってその印象がずいぶん違ってくる。そのくらい、タイトル通り庶民の味方となった“町の弁護士”としての活躍はまさに全開で、手垢の付いた正義の味方的な神話も一瞬信じたくなる錯覚を覚えるほどだ。 脇役の金貸し業パク・ウォンサンと、事務長ファン・ソクチョンとのコンビは傑作で、スパイ大作戦的な要素も加わって、視聴率の好調と続編制作決定の背景には、現在の韓国における汚職、収賄の忌避という民意の反映が大きいと思われる。
2017年08月07日(写真:THE FACT JAPAN) 再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第15回】『偉大なる糟糠の妻』ーー最強にして無敵なクイーンの登場! 今日本で見ることができる韓国ドラマで、最強にして無敵なキャラクターが遂に現れた。その女優はキム・ジヨン。本来は『偉大なる糟糠の妻』(’15年)の主人公の1人のはずが、キム・ジヨンの演技は適役どころではなく、その傍若無人な態度、傲岸不遜ともいえる言動、厚顔無恥の度合い、さらに容姿と学歴のコンプレックスが高じて無神経の塊りとなるに至っては、まるで何かが憑依しているかのようだ。どう考えても、この作品の真の主人公はこのキム・ジヨンであり、これはキム・ジヨンのためのドラマである。 善人か悪人か、という二元論ではとても割り切れない、常に相手を屈服させるシャウトボーカル口調、髪を上でまとめた年代を無視したヘアスタイル、わざと目立つことを目的としたかのようなヤンキーファッション。時代も世間も完全に超越して、人に文句を言うことで一日の大半の時間を使うことを生き甲斐としているような、わが道を行く自分中心のわがまま主婦キム・ジヨンは登場するだけであらゆる画面に波紋を呼び起こす。その言動は舞台を変えればほとんど、先頃、離党届を出した、“絶叫ピンクモンスター豊田真由子”のようだ。 このドラマは、同じマンションで偶然再会した3人の女子高の同級生たちの過去に関わった殺人事件と現在の彼女たちの夫婦生活や離婚、さらに復讐劇を描いたものだが、作品内の人間関係がすべて誰かとの血縁、姻戚関係等で完結するようにがんじがらめに設定されていて、少し作為が過剰過ぎるのが難点となっている。この点だけ目をつむれば、このキム・ジヨンの存在とキャラクターを全開にさせる、絶好の環境である人間関係が用意されているともいえる。とにかく、成金上がりの亭主の妻となった、学歴コンプレックスのキム・ジヨンの決まり文句「金と贅肉はたっぷりあるから」は近年の傑作で、その亭主の浮気がいつもささいな理由ですぐ露見してしまうところも大笑いである。 後半は、主人公の主婦たちのそれぞれの亭主への三人三様の報復劇になり、タイトル通りになるにしても、実はこの3人の関係は同級生同士ではあるものの、どこまで心を許した親友なのかは最後までわからない。お互いが必要な時には喧嘩状態で、喧嘩していない時は余計で傍迷惑な相談事を持ち込み、また3人の仲が悪くなるという寸法で、韓国ドラマにおけるシナリオの構成テクニックには今更ながら感服させられる。
2017年07月24日(写真:THE FACT JAPAN) 再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第14回】『隣人の妻』――同年代女性が共感した意外な痛快シーン ドラマの本筋とは一見関係のないような、さりげないシーンがいつまでも心に残るのが、名作の証拠と筆者は以前より考えているが、これは韓国ドラマでも例外ではない。そんなシーンが満載の作品を今回は紹介してみよう。 本欄では期せずしてケーブル局制作のドラマを紹介することが多くなっているが、それだけ、今のケーブル局ドラマは韓国の現在をストレートに投影しているともいえる。従来の多様な世代が見ることを前提にした家族ドラマ以外の、特定の層の「家族ドラマ」を現在見るにはケーブル局しかないといっていい。要するに自分の希望する番組を見たいのであれば、その選択は当然有料に直結するわけで、この方式を最良の形で実践しているのが韓国のケーブル局だ。 その中でも、’13年の『隣人の妻』(JTBC)はその典型的な作品例といっていい。おそらく、家族ドラマでありながら、親子の日常と同じ比重で、夫婦の性生活が扱われたのは、韓国ドラマの中でこの作品が初めてである。 医師と広告代理店勤務の共働き夫婦には中学生、高校生の2人の子どもがいる。夫婦の性生活にトラブルがあった夜の翌日、朝食は母親が適当に作るが、食事中、子どもたちはそのよそよそしい態度から、親たちの事情にある程度感づいている。これは見方によっては、少し危ない設定である。地上波放送では絶対ありえない設定とドラマ展開ともいえる。 メインストーリーはもう1組の夫婦と、会社、家庭共々、不倫も含めて密接な関係になっていく過程が中心の一種の不倫ドラマだが、2組の夫婦それぞれが親密な間柄になる設定はそんなに珍しくない。この作品はシリアスとコメディがないまぜになっている展開が新鮮で、なかでも見どころは、広告代理店勤務の母親(ヨム・ジョンア)と会社の同僚でもある、40代の独身遊び人OLとの奇妙な友人関係だ。ある時、話があるといって、その友人を夜中に呼び出し、2人でドライブして愚痴を言いながら朝まで飲み明かすシーンは痛快の一言に尽きる。 何とその回の半分近い時間を占めていて、本筋には意味のないこんなシーンが効果的に効いていたためか、ドラマの視聴者は敏感で、平均3%で同局の最高記録となった(因みにケーブルの視聴率を3~4倍すると地上波と同等になるという)。同年代の女性は、例えば、こういったシーンに最も共感したのに違いないと思うのだが、どうだろうか。
2017年07月16日(写真:THE FACT JAPAN) 再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第13回】『私たち、恋してる』ーー多様な家族像のなかで描かれるさりげない場面 ケーブルテレビ局JTBC制作の、アラフォーの男女3組それぞれの家庭の事情を描いた’14年の話題作『私たち、恋してる』だが、以前もこのコラムで述べたように、近年、ケーブル局制作の作品にはアメリカTVドラマの感覚に近い作品が多く、この作品もそうしたテイストを何らかの形で内包していると言えるだろう。内容的にも見所は盛り沢山だが、今回はこの作品を少し違った角度で見てみたい。 映画プロデューサー、キム・ソンス(以下、同様に俳優名)はかつての恋人(チェ・ジョンユン)に再会した時に初めて、別れた後に生まれた娘のことを知る。しかも、元恋人がその娘を子どものいない弟夫婦に託し、新たに結婚して新しい家庭を築いている経緯も知らないままだった。その事実を突きとめたキム・ソンスは、ようやくその娘と親子の対面を果たすが、2人は何ともいえないぎこちない感覚のまま、気まずい時間を過ごす。これは間違いなく韓国ドラマの“情感”の一つといえるものだ。だが、娘も高校生というそんなに子どもでもない年齢で、お互い親子として会うにはふさわしい時期だ。2人の他人行儀な食事が済んだ後、父親は何か欲しいものはないかと娘に問うと、叔父夫婦の家族の中で質素ながら、実子同様の愛情で育てられた娘は欲しい本があるので買ってほしいと言う。快諾した父親は本を買った後、他に欲しいものはないか、服でもどうだと言うと、制服のままの娘は本だけで十分と父親に感謝する。 “小さな喜び”ともいえそうな、どうということのないシーンのように見えるかもしれない。しかし、人生とは毎日の小さな出来事の積み重ねから構築されているもので、こういった細部の描写が韓国ドラマの質を支えているという筆者の持論は今も変わらない。もちろん、韓国ドラマのすべてが傑作なわけではない。だが、ヒットした作品には必ずといっていいほどこういったシーンが含まれていることも確かだ。いや、こういう描写が少なからず入っているところに、韓国ドラマの永遠の未来があると言い換えた方がいいかもしれない。 ドラマの設定以外の、一見本筋とは外れたような、前述のさりげない些細な描写にこそ、韓国ドラマの真実がある。このドラマもその観点から見るとまた違った側面を発見するはずだ。
2017年07月10日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第12回】家族ドラマの王道を継承する『家族を守れ』ーー女性ヒロインの健気 韓国ドラマの定番ともいえる家族ドラマも見るべき作品が少なくなったといわれて久しいが、その王道の継承ともいえるのが『家族を守れ』(’15年)だ。今回新しいテーマとして選ばれたのは、本当の家族より、疑似家族の方が家族本来の大切さを気付かせてくれるという逆説的なものだが、これが予想以上の効果を上げた(最高視聴率28%強)。 家族ドラマ作りにおいて、その条件を踏み外すことなく新味を入れるのは常に課題としてあるが、今回も、経済環境の格差から想定された設定は登場人物に見事に振り分けられている。つまり、金持ちの娘はわがままで意地の悪い性格、一方、庶民の娘は心優しく、気配りができ、料理上手で、少し人が良すぎるが、親はもちろん男を立て、兄弟及び家族の幸福を誰よりも願っているという対照的な役柄だ。主人公ヘスはその理想的な存在として、自身の不幸な家族関係を恨みもせず、血のつながらない子どもたちと助け合って毎日を生きている。その点では、紛れもない正統韓国ドラマの系譜で、伝統回帰というか、先祖返りの意味も持っているわけだ。 深刻な話の展開の中でも、笑いを誘うところは随所にある。例えば、主人公の医者の父親が、金がないことを妻になじられると「天国に貯金してあるから大丈夫」だというフレーズは傑作で、楽天的なようだが、韓国のラテン系アジア人ともいえる心性をよく表している。また、間抜けな叔父夫婦もコメディ・リリーフとして、ストーリー展開の中の息抜きになり飽きさせない。 さらに、常に主人公と対立する敵役も度を越した手段で最後まで執拗に邪魔をするが、実は悪役のほうが演じるのが難しいといわれていて、この作品も例外ではない。結末はある程度、勧善懲悪と予定調和に終わるが、そうであっても、このドラマを成り立たせているのはやはり主人公ヘスの健気さに尽きる。 かつての『男はつらいよ』の妹・さくらを演じた倍賞千恵子のような女優はこれからの日本の映画、ドラマの中では絶対出てこないだろうが、その残像をこの作品に見ることも可能だ。演じたカン・ビョルは今までは地味な脇役が多かったが、今回の抜擢で、韓国ドラマはまたしても新しい女優ーーヒロインを得た。韓国ドラマ世界の鉱脈はまだ掘り尽くせないようで、その充実ぶりはこの作品でも明らかだ。
2017年07月03日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第10回】『トロットの恋人』。K-POP出身者にみる俳優の層の厚さについて 最近の韓国ドラマの傾向の一つに、K-POPグループメンバーのドラマ出演がある。主役ではないが、重要な脇役として、配役されることが多く、話題作には必ずその存在がある。ミュージシャンだけでなく、俳優としてもデビューさせるための方法の一つでもあるが、これが必ずしもミスキャストでないのが韓国ドラマの奥深いところだ。今回はまず女優から、有望な新人として、その存在が無視できない例を取り上げてみたい。 まずは何といっても、チョン・ウンジである。A pinkのメンバーの一人でもあるが、『トロットの恋人』(‘14年)を見れば、本当にこれが歌手の演技なのかと疑ったのは筆者だけではないだろう。とにかく、どう考えてもこれは断じて素人芝居ではない。元々女優ではなかったのかと錯覚するほどその演技はこなれていて、庶民的な風貌、人懐っこい雰囲気は日本でいう関西在住の芸人のような味もある。これは実際に見て確認してもらうしかないが、それほど突出した出来といっていい。 これが主役の4人の中の1人で、さらに、もう1人の主役もK-POP出身の男優(チ・ヒョヌ)なのだから、題材がトロット(韓国の演歌のことだが、伝統歌謡ともいわれている)で、舞台が音楽業界という点を差し引いても(実際、この作品はK-POP全盛時代にもかかわらず、「トロット再評価」にもつながったという)、やはり韓国ドラマの俳優陣の層の厚さは驚異的だ。 さらに、歌手に対してこういうのも変な話だが、歌のほうも最初、アイドルシンガー程度と思っていたのだが、ドラマの中で歌うトロットの名曲『人生』(リュ・ゲヨン、’03年)のカバーはあまりのうまさに舌を巻いてしまった。これは一聴すれば誰にでもわかることで、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」の典型的な例がここにある。 チョン・ウンジの女優としての評価は、『応答せよ1997』(’12年)で既に証明されていたが、ラブコメ演技満開のこの作品の方が本人生来のキャラクターに合っているように思う。コメディ女優は、他にも、コン・ヒョジン、キム・ソナ、ハン・イェスルと枚挙にいとまがないが、その中でもチョン・ウンジは20代では断トツ、しかも圧倒的な存在で、その意味でも、この『トロットの恋人』は必見だ。
2017年06月19日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第9回】『パパはスーパースター!?』。韓国ドラマにおける子役の存在について 普通の配役以上に子役が輝くのは、子どもの設定のままでありながら、大人の役柄の特徴を出す時だ。通常、子役とは、主人公の小学生〜中学生前後の役柄が多いが、それとは別に、子役自体が重要な配役の一人になる場合がある。その典型的な最近の好例が『パパはスーパースター!?』(’15年)で、この作品を推奨するのは、単なる家族の中での子どもではなく、ドラマにおいて不可欠な構成要素としての子役だからだ。韓国ドラマの最良の部分がよく出た作品の一つだと思う。 病のため命に限りがあることに気付いたシングルマザーである女医(イ・ユリ)は、残された子どものために、その父親役にするためかつての恋人(イ・ドンゴン)とヨリを戻す決断をする。その事情を知らない元恋人はもちろん、一人娘もその再婚理由を訝しがる。 元恋人は将来を嘱望された野球選手だったが、全盛期を過ぎた今はリハビリコーチとして、何とかチーム内に留まっているものの解雇寸前の不安定な立場にいる。だが、主人公は娘の将来を考えて、自分が丈夫なうちに娘とこの元恋人が家族となるための舞台建てを用意しておこうとする。その行為のすべてがコミカルに、しかも悲しみを秘めて描かれていて、このドラマを貫くトーンの一つだが、10歳になった小生意気な小学生の娘はそう簡単に母親の言う通りにはならないし、初めて会う母の元恋人にもなかなか心を開かない(折に触れてドラマのポイントに出てくる、娘が飼っている愛犬の存在が見逃せない。必見!)。 この10歳という年齢設定は、もう子どもではないが、かといって思春期に至っているわけでもない、小学校後半の自我も芽生えてくる時期にあたる。疑似親子になるのを成立させるためには、おそらくこの年齢設定しかない。 シングルマザーである母親と相手の父親役が30代半ばという設定がここで初めて意味を持ってくる。娘は少し小憎らしい大人びた言動も取るし、いつまでも子どもだと思っているとそれなりに反抗もする。要するに親の言うことを素直に聞かなくなる寸前の年齢だが、実はこの年齢設定がこのドラマのコンセプトには絶対に必要だったわけで、日本ではなかなかいないと思われる娘役の子役(イ・レ)の存在が何といっても絶妙であり、この作品の一番の見どころである。
2017年06月12日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第8回】『パンチ〜余命6ヶ月の奇跡〜』。現実は創作をはたして模倣するのかーー 一般的に、現実の事件等をヒントにした創作が書かれることは珍しくないが、現実が創作を模倣した事件がないわけではない。例外はいつの時代にでもある。 韓国では、政府や企業間であっても、親族関連による不祥事が後を絶たないのは血縁による共同身内意識が強いことの表れでもあるといわれている。血縁による絆は良くも悪くも切っても切れないものであり、プラスに働くことより、マイナスの要素の方が多い。政治家の退任後に不正が露見しなかったことはほとんどないといっていい。 大企業はもちろん、中小企業もほとんど同族経営だからいうまでもないが、この意識の延長線上に政治もあるのだから、汚職のルーツは血縁に通じるというのにはかなりの説得力がある。その縁を強調してドラマの設定、ストーリーを考えていくとそのまま現実のある事件に似てくるのは無理もない、いや必然なのかもしれない。そう思わせるような作品は実は今までかなり作られている。 例えば、今回の朴槿恵にまつわる「崔順実ゲート」は、表面的にストーリーだけを捉えるなら、従来の韓国ドラマの一部との差はほとんどない。例えば、『パン〜余命6ヶ月の奇跡〜』(’15年)はその典型的な例の一つといえるだろう。 この作品は余命が限られている身でありながら、今までの自らの裏工作を後悔し、その贖罪にすべてを懸ける若き検事の最後の戦いを描いたものだ。離婚した妻の協力を得ながらも、かつての上司へのリベンジには困難が多く、誰が誰の味方か敵かわからないまま話は進行していく。 事件の当事者である、かつての上司??検察総長の暗躍、また、法務長官の身勝手な変節と保身と言い、その深謀の深さをストーリーにうまく織り込んであるだけに、視聴者は誰が首謀者かすぐに察することができるように作られていて、最後は予想を凌駕するような結末を迎える。 ネットユーザーたちによって実際に創作ドラマの結末が左右されるのは韓国の特徴の一つだが、それと同様に、今回国民とマスコミは現実の政治の結末まで動かした。 結果的にこのドラマの中における主人公の立場は、現実(崔順実ゲート)では国民とマスコミが見事に代弁したことになる。創作と現実はまさに紙一重である。
2017年06月05日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第7回】正統派韓国政治ドラマ『プレジデント』の二転三転の見ごたえ 今回の大統領選は予想通り、文在寅の圧倒的な勝利で終わった。9年ぶりの革新政権の誕生といることで国内外の関心も高く、当選に至るまでの選挙運動は、日本でもかなり詳細に報道されていたが、実際にはもっと生臭い戦いがあったであろうことは容易に想像がつく。大統領選挙はドラマとしてみるなら、「戦争」と同様に、これほど人生を凝縮してあらわす舞台と背景はないからだ。 だが、民主化以降の「大統領選挙」そのものを題材にした韓国ドラマは意外と少なく、大統領候補が主人公で大統領選がストーリー展開そのものになっている作品は、最近では、極論すると『レディ・プレジデント』と『プレジデント』だけと思われる(偶然なのか、2作とも’01年制作で、『レディ〜』はタイトル通り、女性大統領誕生の話で、恋愛ドラマ仕立てでありながら善戦した内容だったが、朴槿恵の退陣という現実があっただけに、今この作品に言及する意味は全くない)。 この大統領選を機に再見する意味があると思うのは、実はこの『プレジデント』である。日本の漫画『イーグル』(かわぐちかいじ作、’98〜’01年)を元にしたものだが、そんな点を全く感じさせないくらい、正統派な韓国政治ドラマの佳作に仕上がっている。アメリカ映画的といってもいい充実度だ。 ドラマは現実とは大きく違い、所属政党から、ある議員が大統領選を目指してそれを勝ち取るまでの道のりが、選挙運動の古典的なイロハを踏襲しながら、個人的な人物が脇を固める設定で描かれる。ナンパの達人でもある色男の作戦参謀、民主化運動で友人である主人公の兄を亡くした実直な選挙本部長(カン・シニルの名演が光る)、使命感に燃える“お局さま”のメディア担当とそれにまつわる微笑ましい恋愛など見所満載。また、特筆すべきは、主役であるチェ・スジョンが実生活でも夫婦であるハ・ヒラとドラマ内で夫婦役を演じたことだ。 さらに、この大統領選の展開に、主人公の隠し子と養女の存在が絡み、複雑なストーリー展開になっていくが、最後まで二転三転する選挙活動の盛衰、そして、意外な結末はちょっと予想できないだろう。筆者は原作漫画を読んでいたにも拘わらず、巧妙な作劇の中で、原作自体のエンディングの意外さを失念していたくらいだが、違う解釈の結末ながら、このドラマの方が主人公の非情さを示すためにも説得力があったのではないか。女性目線で見ても、満足度が高いドラマの一つとして、この作品を推薦しておきたい。
2017年05月29日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第6回】『私の人生の春の日』。限られた時間の中の幸福感について 韓国ドラマの特徴の一つは、鑑賞後に感じる幸福感だと筆者は常々思っているが、その典型的な例として挙げるのがこの作品『私の人生の春の日』だ。これもストーリーはとりたてて新しいものではなく、そんなに新しい要素が付け加えられているわけでもない。だが、何を語るというより、どう語るかも映像表現ーードラマの一側面であり、重要な要素だ。 テーマは、別に韓国でなくても多用されている「闘病もの」の一つで、心臓に持病を抱えていた若い女性が献体で生体移植が可能になり、一命をとりとめて平穏な人生を過ごしているところに、ずいぶん歳の違うある会社経営者と知り合う。 実はその女性に移植された心臓は、その男の事故死した妻からのものだった。さらにその女性の婚約者は男の実弟という密接な設定の中、当然、この男女の恋愛がメインストーリーになっていく。興味深いのは、その心臓移植により、どういうわけか女性の中に、男の前妻の感情も同時に移植されたのではと思わせるシーンが効果的に使用されていて、情感の中の既視感(デジャヴ)ともいえる、説明のつかない繊細な印象を見る者に与えたのは予想外の効果だっただろう。 例えば、その女性が男の子を見ると何か胸にこみ上げるものがあり、理由もなく泣いてしまうとか、子どもたちと離れると寂しく思うといった情感を抱くようになると、同時に女性は男に対するもう一つの特別な感情を意識し始める。そして、男も、妻の心臓が女性に移植されていることに気付き、恋愛感情が芽生えた瞬間、同時に女性の体調が悪化し、残された限りある日々を男の家族と共に過ごすことになる。 この静かな時間の流れは、映画はもちろん、韓国ドラマ独特の特異な点の一つだ。 最後は女性がめぐり合った男とその家族との時間に、さらに、自分の人生に感謝して短い生涯を終えることを暗示してこのドラマは終わる。タイトルはその「みじかくも美しく燃え」た日々のことを例えたもので、その時期が私の人生の春の日だったという意味が込められている(ちなみに、女性の役名はボミ、ハングルで「春」という意味である)。 視聴後に残るのは、間違いなく、切ないほどの幸福感だ。
2017年05月22日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第5回】『風船ガム』のきめ細かく密接な共感ドラマ空間 韓国ドラマにあって日本のドラマにない特徴の一つが30〜40代を主役にしたドラマだ。現在、日本で一応の結婚適齢期(?)とされている30歳前後を対象にした(主人公たちの年齢設定は30歳)前クールの『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)はかなりの例外だが、韓国ドラマは違う。その世代だけに焦点を当てた作品は少なくなっていても、家族ドラマがある限り、年代別のドラマはこれからも制作されていくだろう。 ’15年に放送されたドラマで、視聴率的にはさほど振るわなかったにもかかわらず、30代を主人公にして確かな支持を得た作品がある。その作品『風船ガム』の主演は『私の名前はキム・サムスン』(’05年)にも出演したチョン・リョウォン。当時24歳だった彼女も、10年後のこの作品では34歳でドラマ内の設定年齢(33歳)とほとんど同じで、その年齢をうまく取り入れて発想されたドラマというべきだろう。制作局はtvNで、まさに加入制の有料ケーブル放送特有の視聴者層の特性に適合した内容となっている。 まず33〜34歳の女性が主人公の韓国ドラマでは恋愛はほとんど不倫と同義語になるが、その種の不倫と復讐ドラマはまだ日本では一般的な支持を得られていないし、かつての昼メロが制作されていない現在では、さらにその枠は狭められている。だがその疑似体験として、この作品には日本のアラサーにも共感できる要素(30歳を過ぎると恋愛に臆病になるなど)が少なからずあり、俳優陣も充実している。中でも脇役として、『ラスト・ゲーム』(’15年)とは正反対のキャラクターを演じるパク・ウォンサンの存在も見逃せない。 親の再婚できょうだいのように育った男女が、年月を経て、女が不倫で悩んでいる頃に再会し、ある種予定調和のハッピーエンドで終わる話だが、この男女の間はもちろん、登場人物すべての人生の“風船ガム”は破れてもまた膨らませればいいという意味がそのまま題名になっている。身近で親密な幼なじみの間柄にある男女が、お互いの感情に気付くようになるのは恋愛ドラマのイロハだが、そこに至るまでの男女の間の距離が近づく時間がかつてないほどきめ細かく、微妙な感情の襞まで感じ取れるところが出色だ。 遅咲きの恋の成就ほど充実感が大きいというが、この作品でも例外ではない。極めて日本的な情感を読み取れる部分も多く、音楽の選曲も絶妙で、レンタルで再見する価値は絶対にある。 ※『風船ガム』DVD-BOX1、DVD-BOX2発売中価格:各14,000円(本体)+税販売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント©CJ E&M Corporation, all rights reserved.
2017年05月15日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第4回】『紳士の品格』の実は侮れないネオ韓国ドラマ感覚 『紳士の品格』は’12年の作品だが、この種のドラマがあまり作られることがないだろう点でも貴重な作品だ。今まで上流階級を舞台にしていたドラマであっても、その設定の背景には登場人物の生い立ちと上昇志向が必ず隠されていたし、その人物相関図の中に「貧困」は少なからず内包されていて、韓国ドラマでは不可欠な要素の一つだったが、この作品ではそうした背景は完全に排除されている。 定番ともいえる、街中の食堂や屋台等の庶民(?)の描写がまったく出てこないだけでも画期的だが、今までのセオリーからすると、その要素を抜きにした世界でドラマを構築することが逆にいかに難しいか、これは従来の韓国ドラマの逆説の発想ともいえる。一般的な庶民の、現実の生活環境、及びその感覚は全く違うからだ。 その点だけでもこの作品がいかに異色な手触りのものかがわかるだろう。背景のヒントの一つが米ドラマ『Sex and the City』(’98~’04年)だとしても、まず、登場人物すべてにある程度の生活水準が構築されていて、それなりの職業があり、しかもセレブに近い階級にいる。生活の不安がなく、家族のしがらみもないという、ドラマが一番発生しにくい設定でストーリーを作るとなると、当然、テーマは恋愛に終始することになる。 さらに主人公の男たちが41歳という年齢設定を考えると、これは韓国でも同様だと思うが、’10年代現在の40歳前後の恋愛を描くのは、映像はもちろん小説でも、実際かなり難しい。決して若くないとは言っても、年齢的にこの時期の恋愛は大体そのまま不倫等に直結する。「不倫」と「復讐」は韓国ドラマ世界では同義語だが、その要素抜きで、この年代の恋愛ドラマが果たして成立するのか。 ドラマは登場人物たちの恋愛がゆるやかに描かれていくが、それだけで全20話を保たせるシナリオを描くにはそれなりの才能が要求される。実はこういう話がなかなか書けない。出色なのは、4人の同級生たちが40歳過ぎても毎日つるんでいるところで、友情に近い腐れ縁のコンビネーションがうまくからんで、起承転結があるようでない恋愛話がなんとなく進んでいく。 主役のチャン・ドンゴン、キム・ハヌルもワン・オブ・ゼムにすぎず、恋愛さえ二の次と思わせるほどで、これは主役俳優目当てで見た視聴者も途中で気付いたのではないだろうか。こういう意外な見所があるから韓国ドラマは侮れない。
2017年05月07日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第3回】『チャングム』から12年。イ・ヨンエ復活が意味すること 『冬のソナタ』の後、韓流ブームを決定づけたのは、何といっても、’05年に日本で放送された『宮廷女官チャングムの誓い』(以下・チャングム)で、NHKでも放送という点でも同じだが、一つ決定的に違うのは、男女双方が観賞したことだ。『冬のソナタ』はまず女性だけといってもよかったが、『チャングム』は違う。韓国ドラマに触れた男性の視聴者はこの作品が最初というのがほとんどだったはずだ。さらに、年代層も意外に広く、それまで大体50代前後だったのが、この作品で40〜70代まで広がった。加えて、セル中心の『冬のソナタ』に比べて、『チャングム』は巻数が長いこともあり、圧倒的にレンタル主体だった。このレンタル率は日本最大レンタルチェーンにその記録があり、おそらく今後もまず破られることはない、日本最高記録といわれている。 だが、主役のイ・ヨンエは、’09年に結婚で女優業を“引退”してしまう。その後、’12年に『チャングム』の続編の企画もあったが、イ・ヨンエ自身が出演を承諾しないため、結局その企画自体、頓挫してしまった。では、ほかの作品ではどうかとのことで、カムバック作まで話を持っていくために、放送局(SBS)はその前哨戦(ゴマすり?)としてか、家族も出演する特番まで制作して何とか実現にこぎつけたのが、現在、日中韓で同時放送中(KNTV)の『師任堂(サイムダン)、色の日記』というわけだ。 この特番『イ・ヨンエの晩餐』(’14年)は韓国料理の歴史をたどる趣旨のドキュメンタリーで、後半はイ・ヨンエ自身の家族も登場し、見方によっては芸能番組的な要素もあり、意外にも双子の子供たちまでが堂々と素顔のまま登場している。ここまでプライバシーを公開する必要はないのではと思われるが、スター女優の心理は一般常識では計れないようだ。 そこには、女優の存在はもちろん、成功した実業家の夫と双子の子供たちとの家庭という究極のセレブとしての完成形を誇示したい意図も感じられる。そのくらいこの特番でのイ・ヨンエはその点について象徴的で、しかも極めて魅力的である。 12年ぶりのドラマ出演という復活の裏には単なる女優業への復帰だけではなく、’18年平昌オリンピックの広報大使ともなった、新しいセレブとしてのデビューと、その確認の意味のほうが大きかったと思われる。
2017年04月24日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第2回】『冬ソナ』続編は、親世代のしがらみが子供たちの愛憎劇に! 実は筆者自身、『冬のソナタ』の続編が年内に制作されるという話を聞いた時、そんなに驚いたわけではない。何故なら、このドラマの最終回は、続編を予想させる余韻を持って終わっていたからだ。当初の企画書の段階では、ペ・ヨンジュンの病死で終わるはずだったのは有名な話だが、視聴者からの反響もあり、脚本家たちと監督で話し合い、失明はしても生存するように書き変えたという。ぺ・ヨンジュンの死で終わらないということは、チェ・ジウとの再会があり、結ばれて、続編では二人の間に子供がいる設定も可能にしていたということだ。つまり、書き変えた時点から、続編のために伏線を既に張っていたともいえる。 ペ・ヨンジュンが出演するかどうかが話題になっているが、実はこの続編は本人がいないほうが作りやすいというか、逆に既に亡くなっていることを前提にしないとこれから後の話がうまく展開しないと筆者は予想している。本人は回想の中で登場するだけにして、続編はあくまでも、正編の主人公たちの子供世代の話を中心に、両親たちの過去の恋愛のしがらみが絡んでいる設定で考えるのが普通の発想である。 さらに、この続編のためにはもう一つの条件があったと思われる。それは前回とすべて同じ俳優が出演することだ。だが、正編のドラマが終わった後、続編を構想中に予期しないことが起こる。重要な登場人物役のパク・ヨンハが実際に自殺してしまったことだ。他は同じ俳優が出演している以上、ふんだんに回想シーンで登場するこの人物を続編だけ他の俳優が演じるわけにはいかない。そこで、続編ドラマの中でも、病気、事故等で死亡したという設定にすれば、少なくとも前回の回想の中でのドラマ設定はそのまま現在に継続して、無理なく移し替えることができる。 以上から考えると、続編の冒頭シーンはサンヒョク(パク・ヨンハ)の葬儀となる可能性が高い。その場に前回の登場人物が再登場することで、これ以降のストーリーが無理なく展開するからだ。そして、その葬儀会場での、誰かのモノローグで続編が始まる。 その時点で、ドラマ内のかつての登場人物の夫婦(ぺ・ヨンジュン&チェ・ジウ/パク・ソルミ/パク・ヨンハ)の子供たちも大体16〜17歳になっていて、実際に前回のドラマから、16年経っていることにも意味が通じることにもなるが、どうだろうか。
2017年04月17日安曇野ちひろ美術館の開館20周年を記念して3月1日から5月9日まで「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」が開催される。宮崎駿らとスタジオジブリを設立し、常にアニメーションづくりの第一線で活躍してきた高畑がいわさきちひろの絵本と出会ったのは約50年も昔。当時、高畑の長女が保育園から持ち帰った絵本が『あめのひのおるすばん』であったそう。詩のような短い言葉と水彩のにじみを生かした絵に心を奪われ、その後、ちひろが新たな絵本表現に意欲的に取り組み始めた時、高畑はリアルタイムでその作品に出会い、ちひろの絵本から創作のインスピレーションを得てきた。同展では『あめのひのおるすばん』をはじめ、『おにたのぼうし』や『戦火のなかの子どもたち』などの作品が出展され、高畑が選んだちひろの絵を高精細に拡大して再現し、絵の中へ入り込むような感覚で筆致や絵の具の重なりを楽しめる。なかでも、『戦火のなかの子どもたち』はアニメーション作品『火垂るの墓』を監督するにあたり、高畑が若い制作スタッフに見せ、想像力を高めてもらい迫真の表現を追求した作品である。今までにない、高畑の視点からちひろの絵の魅力が新発見できる同展で、新しい世界を体感してみてはいかがだろうか。【展覧会情報】「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」会場:安曇野ちひろ美術館 展示室1・2住所:長野県北安曇郡松川村西原3358-24会期:3月1日~5月9日時間:9:00~17:00(4月29日~5月7日は18:00まで)休館日:3月22日、4月12日、26日料金:大人800円、高校生以下無料※作品画像の転載及び、コピー禁止
2017年02月17日2016年5月に生涯を終えた電子音楽家・冨田勲さんの追悼コンサートの初演が11日、東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われ、遺作となった「ドクター・コッペリウス」が上演された。公演は、冨田さんが晩年にソリストとしてボーカロイド・初音ミクを迎えて制作した「イーハトーヴ交響曲」の再演、プロデューサーなどで知られるエイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」のダブミックスのパフォーマンスからなる第1部と、「ドクター・コッペリウス」を上演する第2部で構成。「ドクター・コッペリウス」は、冨田さんが完成を夢見て、亡くなる数時間前まで制作に向かっていた作品だ。「イーハトーヴ交響曲」では、オーケストラの厳かなハーモニーに乗って、ミクが可憐な歌声を披露。ステージ中央に設置された装置に映写されたミクは、舞台上を行ったり来たりしているかのように、あどけない仕草を見せながら動き回り、コーラス隊と共に合唱してみせた。エイドリアンのパフォーマンスへ転換する間の小休憩時には、「これからの演奏は通常のクラシック音楽とは異なり、大音量で強いビートが響く。ぜひ席を立って音に身を委ねてほしい」といった放送が。思わぬアナウンスに客席からも笑みがこぼれたが、再び幕が上がると、すぐにエイドリアンによる太いシンセサイザーの音色と弦楽器隊のハーモニー、その両者を支える激しくも複雑なブレイクビートがホールを揺らした。ガラリと変わった雰囲気から、前列に躍り出る観客も続出した。そして、「ドクター・コッペリウス」。小気味良いシンセの断片的な音のかけらがこだまし、第2部が始まった。この楽曲の主人公は、宇宙を夢見る科学者・コッペリウスと不思議な力を持つ少女・ミク。コッペリウスは重なる重圧に苦しみながらも、ミクと出会って宇宙へ飛び立ち、彼女とバレエを踊りだす。そんなSF的な世界観が、コッペリウス役の実際のダンサー・風間無限と舞台上に立体像で投影されたバーチャルシンガー・"初音ミク"のダンスで表現された。「イーハトーヴ交響曲」の荘厳さも感じさせるアンサンブルから一転、オーケストラは鮮やかな音色を奏でてみせる。そして、それに飛び乗った軽やかな電子音が、サラウンドで縦横無尽に飛び回る。ステージでは、コッペリウスが重力に抗いもがくようなパフォーマンスをみせ、ミクの動きと合わさる。実在しているのにどこか不可思議で複雑な演技を披露するコッペリウス、画面の中にいるのに生き生きと歌い踊るミク、ストーリーも相まって、その対比が近未来的な映像として浮かび上がっていく。カーテンコールでは、風間をはじめ、コンサートの演奏面と演出面を力強く支えた電子音楽家・ことぶき光も立ち上がり、深々とあいさつ。最後に、客席の中央に座っていた長男・冨田勝さんら親族がかつての冨田さんの写真を抱えながら起立すると、「ブラボー!」という声援があがり、スタンディングオベーションで歓喜を伝える観客も現れた。終演後、ホールを後にするオーディエンスを見返すと、集まった層は実に多様。老若男女を問わず、クラシックに精通する観客も、ボーカロイドに慣れ親しんでいる観客も、電子音楽を敬愛する観客も、文化の壁を超え"冨田勲"という音楽家が遺したものを共有している喜びに包まれているようだった。「ドクター・コッペリウス」は2017年4月、東京・すみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を携えての再演が決定。詳細は、後日発表される。(C)Crypton Future Media,INC.www.piapro.net/photo by 高田真希子
2016年11月12日今年5月に逝去した作曲家/シンセサイザーアーティストの冨田勲の遺作『ドクター・コッペリウス』がプロジェクトチームにより制作され、11月11日(金)・12日(土)の追悼特別公演で初披露される。10月26日に開かれた制作発表記者会見でその全貌が明らかになった。【チケット情報はこちら】『ドクター・コッペリウス』は、亡くなる1時間前まで打ち合わせをし、冨田が上演を最期まで夢見て創作し続けていた作品。“日本の宇宙開発・ロケット開発の父”と呼ばれ、バレエダンサーでもあった糸川英夫博士の「ホログラフィと一緒に踊りたい」という夢を形にするとともに、『イーハトーヴ交響曲』(2012年)のときに生のオーケストラ演奏で歌い踊ったボーカロイド・初音ミクにバレエ作品『コッペリア』を踊らせたいという冨田の思いが詰まった壮大な交響曲。オーケストラとシンセサイザー、バレエとホログラフィを融合させた“スペースバレエシンフォニー”となる。今回は、3Dで浮かび上がるバレエの衣装に身を包んだ初音ミクが、バレエダンサー風間無限とともに“パ・ド・ドゥ”を踊り、歌う。演出/エレクトロニクスのことぶき光は「映像は当日をお楽しみ」と明言を避け、振付の辻本知彦は「一番最後の曲はとてもいい振付になったと自負してます」と満足の表情でアピールした。1970~1980年代に冨田が制作した音源が入ったオープンリールテープもこのたび発見され、「再サンプリングしてかなりの場所で使います」とことぶき光。楽章の構成は7楽章。ストーリー原案とほとんどのサウンドファイルが遺されていたが、第1楽章と第2楽章はテーマや歌詞が遺されているのみ。プロジェクトチームから冨田氏へ思いを捧げる第0楽章『飛翔する生命体』を冒頭に据え、1と2は欠番となる。指揮の渡邊一正は「リハーサルはこれから。わくわくしています」と笑顔で語った。既存の楽曲を素材として用い、新しい世界観を作り上げるのが冨田の手法。本作には、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』やレオ・ドリーブ『コッペリア』、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、最後の劇場用映画音楽となった映画『おかえり、はやぶさ』メインテーマが素材として用いられ、新しい世界を作り上げている。当日は、『ドクター・コッペリウス』のほかに、『イーハトーヴ交響曲』、冨田の代表作である『惑星 Planets』(1977年)のリミックスも披露される。冨田勲 追悼特別公演『ドクター・コッペリウス』は11月11日(金)・12日(土)に東京・Bunkamuraオーチャードホールにて開催。チケット発売中。取材・文:門 宏
2016年10月31日電子音楽家・ことぶき光らが26日、11月11日と12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる故・冨田勲さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」の制作発表会見に登壇し、意気込みを語った。ことぶきのほか出席者は、国際交流基金理事長・安藤裕康氏、公演の音楽監督を務める指揮者・渡邊一正、ダンサーで振り付けを担当する辻本知彦、そして勲さんの長男・冨田勝氏、音楽ライター・前島秀国ら。コンサートでは、ソリストとしてボーカロイド・初音ミクが迎えられた「イーハトーヴ交響曲」の再演、勲さんが最期まで公開を夢見ていた「ドクター・コッペリウス」の初上演などが行われる。「ドクター・コッペリウス」は、2012年に「イーハトーヴ交響曲」が完成した直後から、勲さんが「必ずやり遂げなければならない」とまで語っていた大作。勲さんは上演を待たずして、その生涯を終えたものの、公演では舞台上に投影されるミクと風間無限とのバレエと共に披露される。勝氏は、これを「父が何十年も温めてきた企画」と説明。勲さんの生きざまを「最後まで『どうやったらお客さんに感動を伝えられるか』と考えた"前のめりの人生"」と形容しながら、「楽曲に込められた父の思いを一人でも多くの方に聴いていただきたい」と呼びかけた。続いて前島が、「ドクター・コッペリウス」を制作するにあたり勲さんには、ミクにバレエを踊らせたいという思いと、日本の宇宙開発に尽力した故・糸川英夫さんをイメージさせる作品として成立させたいという構想があったと解説。糸川さんが大空に向かって飛び立つ意志を持っていたように、「冨田先生が伝えたかったのは『重力のしがらみを乗り越えようとする人間の情熱』ではないか」との見解を述べた。コンサート全体をサポートすることぶきは、演出面のシステムの素材を組み立てていると発表。制作は、冨田家も借りて行っていると明かした。また、その場で眠っていた勲さんの機材を鳴らしたところ、勝氏が「ノコギリ波(シンセサイザーの基本波形の一つ)だ」とその音を言い当てたことを振り返り、「幼い頃から聴いていたからかな。ビックリして一気に仕事がはかどりました」とほほ笑んだ。会場では、バレエ衣装に着飾ったミクのイメージもお披露目。さらに、かつて勲さんがオープンリールに残していた音源も公開され、ことぶきは「ミクが歌い踊ります。そしてモーグ・シンセサイザーの音や、オープンリールの音源をサンプリングして、フレーズごとに振り分けたものを何らかの方法で走らせます」とアピールした。
2016年10月27日●冨田さんとは一歩超えたところでコミュニケーションさせてもらえた2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuiraオーチャードホールで開催される。前回、前々回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶきの言葉を紹介したい。コンサートは、冨田さんが遺した音を再現することだけでなく、舞台上に投影されるミクと、実際のダンサー・風間無限の共演も見どころとなる。また、タックヘッドなどのダブアーティストを輩出してきたイギリスのレーベル・On-Uサウンドの設立者で、ナイン・インチ・ネイルズやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといったインダストリアルアーティストのプロデューサーとしても知られるエイドリアン・シャーウッドが冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」をリミックスすることも大きな注目点だ。「イーハトーヴ交響曲」の再演、ミクたちのダンスも見られる冨田さんの遺作「ドクター・コッペリウス」の上演、エイドリアンによる「惑星」の再解釈…公演ではこの3点から、冨田さんの遺志を引き継いだ音を響かせつつ、オーディエンスに新たな未来を提示する。ことぶきは、その演奏面だけでなく映像の演出面やリミックスの素材制作の面でもコンサートの裏側をサポートしている。一見、ハードワークにさえ思えるそんな活動を通じて、彼がオーディエンスに届けたい思いとは。晩年の冨田さんとの仕事で抱いた感触なども思い返しながら、ことぶきはそれを言葉にしてくれた。○何でここまで繋がるのか――お話を伺っていると、幼少時から当時のP-MODELでの活動、そして現在の冨田さんのお仕事は繋がっている部分が多々ありますね。ね、それ自体がすごいよね。飲み屋で冨田先生に何でモーグを買ったのか聞いたら、ウェンディの話が出てきて。しかも70年の万博の時に大阪に行って、現地のレコード屋さんで見つけたのかな。性転換直前…ウォルターの頃のジャケを見て買って。「これは!」と思ってモーグも買った訳ですよね。そんな流れとか、あとはオケとコンピュータの同期の話とか、冨田先生がやっていたサウンドクラウドとかにも繋がってるというのもある。「何でここまで繋がるのか」っていう話はご本人ともしてましたね。――「イーハトーヴ交響曲」の始動が12年ですよね。NHKの特別ドキュメンタリー『音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~』(13年放送)でもサウンド設定に苦労されている姿が捉えられていました。実際にはいつくらいから打ち合わせが始まったのでしょう。初めて声がかかったのは、その年の6月頃じゃないですかね。(交響曲の)構想自体は多分ずっと前からあって、音も作っていって、実際にライブで披露するというのは一番後なので。話をいただいてからは、実のところ3カ月くらいでやりました。○"共有感"を喜んでもらえていたのでは――そんなに短期間だと相当疲れたんじゃないですか。いや、それはないです。よく「俺は何時間しか寝てねぇ」とか自慢するヤツいるじゃないですか。でも例えば、何もやることがないまま3日寝られないっていうのは病気ですよね。そこでもう1つ考えられるのは、アイデアが降りてきてしょうがなくて、冴えて寝られないというパターン。そう思うと、「俺は何時間寝てねぇ」って人は「俺はこれくらい才能があるんだ!」と言って回っているのと同じですよね。そうじゃなきゃ、本当に倒れるように寝ちゃうはず。本当に寝られない時というのは良い意味で寝られないので、そこに疲れるとかしんどいというのは一切ないですね。――インスピレーションも次々湧くような楽しみながらのお仕事だったんですね。冨田先生から夜中とか朝5時とかに電話がきて、思いついたことをめちゃくちゃ言ってて。最初は「あれ、まだ起きてたの」とか言ってくれるんだけど、どんどんそれがなくなってくる。そうなると、誤解かもしれないけども、僕も「冨田先生も喜んでくれてるのかな?」と思ってね。寝てなきゃいけない時間に作業してるということ自体がうれしそうな感じ、世間一般とは違う時間感覚で物を作れてるということがうれしい感じ。昼間でも夜でも関係なく、そういう時間軸じゃないところで物を作ってるんだという。おこがましいけど、そんな"共有感"を喜んでくれてたんじゃないかと思ってます。――他に共作する中での印象に残ったエピソードはありますか。一つ一つ印象は強いです。音の仕組みとかを瞬間的に理解できるというのも他の人ではあり得ないし。そこにメーカーのスポンサーが入った場合、彼らも自分の開発物を売らなきゃいけないから、機能として何ができるかっていうスペックをアピールしますよね。でも、その情報は現場ではほぼ使い物にならない。冨田先生は、メーカーが言うのとは別のところで現場的に何が使えるかを瞬時に察する感覚というのを理解されていた。おこがましいですが、そのステップを一歩超えたところで、飲みに連れて行っていただいてお話してくれたのが本当にうれしかったですね。●ミクとオケのスペースバレエシンフォニーを体感してほしい○アイデアは先人に生んでもらった――今回の公演では音の面だけでなく映像にも関わってらっしゃると伺いました。そちらはどういう段階までディレクションなさっているのでしょう。僕は絵とかCGとかわからないので…振り付けとかにも口出ししていると思われたりもしますが、ダンスも全然(笑)。なので、雰囲気だけ伝えて、基本はお任せですね。ただ、作業スピードを上げるために、撮り方のシステム自体は組んでて。ゲームでやるようなモーションキャプチャーのシステムとは違うやり方で撮ってるというのは、一つあるんです。仕事のスピードって、作品に影響するじゃないですか。すごいスピードで進行している感じを作り上げるために、その仕組みを提供しています。――そのアイデアは一から作ってらっしゃるんですか?いや僕のステージじゃないのもありますから、そこは(着想を)誰かに生んでもらったっていう。先人のおかげですよ。やっぱり先人への畏敬が全部のベースにあって。ちなみに基礎技術開発みたいなのは、また別途あります。なぜそれが別途かと言えば時間がかかるからですね。基礎技術って、使えるようになるまでに何年もかかったりするもんだから。それをゼロから作る必要はなくて、基礎技術開発の選択の組み合わせでイノベーションが起きる…そこを狙ってます。かと言って、開発をしてないわけでもなくて、何年後かのために常にやってもいます。――エイドリアンのパフォーマンスにも企画当初から関わってらっしゃるんですよね。初期段階から、「やってもらうならエイドリアンしかいない」というのがありました。冨田先生の世界観にある意味でのハサミを入れられる人は多分、エイドリアンかリー・ペリーかどっちかじゃないですかね(笑)。打ち合わせは、メールベースで「こういう風にアプローチしよう」といったやり取りして、サウンドファイルも送っているんですが「聴いてないけど、良いんじゃない」って(笑)。――それは信頼されているということですよね(笑)。何かすごい余裕とスケール感を感じちゃいますね。ほっといても大丈夫だと思われてるのかな。○初音ミクはクリエイトの母、冨田さんが父――ことぶきさんは、二足歩行シンセのように枠組みにとらわれず色んなデバイスを作ってらっしゃいますよね。ご自身から見た初音ミクはどのようなものでしょう。クリエイトの母ですかね。要するに、それがルーターみたいなハブみたいな機能を果たしていると思うんです。それをベースに何かを作れるっていう意味ではものすごい存在ですよね。初音ミクという母がいて、冨田先生という父がいて、僕らはステージに向かって作っていけています。――最後に今回は冨田さんの追悼公演という側面が一つあると思うのですが、冨田さんの遺志をオーディエンスに届けるという部分もあるかと思います。そこで、ことぶきさんとしてオーディエンスに伝えたいことを教えてください。スペースバレエシンフォニー。これ、3月終わりか4月頭に冨田先生に言った時は、全然真に受けられなくて、シャレみたいに受け止められちゃったところもあるかもしれないけど(笑)。コンピュータとオーケストラのスペースバレエシンフォニーを感じていただきたいです。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月26日●解凍P-MODELと平沢進ソロでの"ライブの方法"で課題をクリア2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで開催される。前回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶき光の言葉を紹介したい。冨田さんとの共演での課題となるのは、躍動的な生楽器たるオーケストレーションと統制された電子音たるミクの音をいかにして適切なタイミングで重ね合わせるか、そして両者を違和感なくオーディエンスに聴かせるかといった問題だ。ことぶきと冨田さんの仕事は、2012年の「イーハトーヴ交響曲」の初演以来であるが、これらの課題をクリアするカギは20年以上も前、90年代初頭の解凍P-MODELでのパフォーマンスや平沢進のソロライブにあったという。解凍P-MODELとは、"凍結"と呼ばれる一旦の活動休止期間をおいて、91年から93年に"解凍"と称して再始動していた時期の同バンドを指す。ことぶきは解凍以前よりP-MODELに参加していたが、その時のレコーディングの成果は残念ながらライブ映像音源としてしか残されていない。一方で解凍P-MODELは、凍結以前よりも積極的にシーケンサーやサンプラーといったデジタル機材の使用を前面に押し出し、洪水のような電子音とバンドアンサンブルとが共存した、クラブシーンなどとも異なるテクノサウンドを展開。そのステージでことぶきは、当時のドラマー・藤井ヤスチカが刻むバスドラムから、全体のシーケンサーを回す"ヒューマン・クロック"と呼ばれるシステムを披露。自身を取り囲むようにシンセを縦(!)に並べた奇抜なパフォーマンスもみせ、そのアクロバティックなスタイルから"キーボード妖怪"とも評された。"ヒューマン・クロック"のシステムは、冨田さんと共に作り上げてきたステージの核の一つ。第2回は、その点に着目しながら、解凍P-MODEL時代の逸話や平沢との楽曲制作の裏側までを振り返ってもらったエピソードを中心にお伝えしたい。○解凍P-MODELの映像を見た冨田さんが「できるじゃん」って――冨田さんのお仕事の話も少しずつ出始めたところで、今回のコンサートでのことぶきさんの役割をあらためて教えていただけますか。プレイヤーとしてのエレクトロニクス奏者というのが1つあります。それらを含んだ同期とかシステムの枠組みを作る役割、それと舞台の演出という役割、その3つですね。――冨田さんから声がかかったのはいつ頃ですか?「イーハトーヴ交響曲」の仕込みの段階。シンク(同期)システムとか"ヒューマン・クロック"で周りを走らせる仕組みをどうやって作るかと試行錯誤していた時ですね。――"ヒューマン・クロック"というと解凍P-MODELで使われていた手法ですよね。よくご存じで! まさにそうなんですけど、でもそれって今になって分かる話で。90年代当時のオーディエンスは誰も気付いてなかった。ただ、それは知らなくて良いことで。例えば劇団四季やディズニーランドが「私たちはこういうシステムでやってます」と説明するわけないじゃないですか。むしろバレない方が良い。でもなぜこのように、舞台裏の話を聞いていただいているかというと営業、要は金の話です。そして、なぜこれが必要かというと、次を作れないから。今思えば、こういうのって2、30年前にはある意味、必要なかったのかもね。それか、僕らがバカすぎて気付いてなかったか(笑)。――冨田さんは、その解凍P-MODELでのことぶきさんのプレイをご存じだったんですか。仕込みの初期段階で「例えばこういうことです」と『BITMAP 1979-1992』(92年)*なんかの映像を見てもらいました。と言うのも、「テンポを30%以上の揺らぎで制御するなんて無理だよね?」って話を振られてね。冨田先生も色んなシステムを作っていて、すごく現場をご存じ…むしろオーソリティー(権威)なくらいですが、「いや僕ら30%以上どころか完全に(演奏を)止めてからBPM180まで、0から加速していくみたいなのをやってましたので、OKです」って返すと「えー!?」と驚かれたんですよね。それで実際に映像を見てもらったら「できるんじゃん」って。*『BITMAP 1979-1992』:解凍P-MODELのツアーを収めたライブVHS。2014年にはDVDとして再発された。○冨田さんとの2つの課題――当時の「NO ROOM」の演奏なんてまさにそれでしたね。一度止めて、一気に加速するという。まさにそう! ああいうのはクラシック界、ハイ・アート*の世界だと、多分雑に見えると思うんだ。でもぶっちゃけ、ハイ・アートの方が中身だけ見れば雑なんだよね。彼らのテンポの揺れってハンパない。そのズレを人数で上塗りして作り上げている、つまり目くらまし戦法のものすごいやり方です。もっと言えばオーケストラって装置は、人数を重ねるために倍音を削ってるわけじゃないですか。弦1本弾けば世界観ができる楽器の豊かな倍音をわざわざ削って、音の豊かさも消したがゆえに人数を重ねることによって、別の音色を作り上げることが可能になった。なので揺らぎはあったほうが、あの世界を出すためには有効で。それを冨田先生はシンセでやっちゃったわけだ。シンセのダメなところとして単音の中に入ってる情報量があまりにも少ないということがよく言われますよね。ただ、それだったらオケの楽器の方が一つ一つで見ればもっと少ない。なぜ皆が「オケ楽器の音は豊かな音響を作れる」という勘違いをしてるかと言えば、(音を)重ねてるからです。それを冨田先生は理解しちゃった。何の性格も持たないものにリメイクしちゃった楽器の音を、あえて人数重ねて別の音響感を作るやり方。それをシンセでやったのが冨田先生なんですよ。*ハイ・アート:ポップ・ミュージックなどの大衆芸術(ロー・アート)に対して、理解するのに一定の教養を必要とする芸術のこと。クラシック音楽や古典的な演劇、絵画など。*倍音:基本となる音の周波数に対して2倍以上の周波数を持つ音。音には正倍数の倍音が含まれている。ギターやベースのハーモニクス奏法などでも身近に知られる。――"ヒューマン・クロック"の仕組みは今回のコンサートでも生かされてるんですね。そうです。やってることは何年も変わってないですね(笑)。――冨田さんには、平沢さんのソロライブ映像も見せられたと伺いました。それは「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」*ですか?何で知ってるんですか(笑)。その通りです。冨田先生との仕事にはテーマとなる課題が2つありました。1つは"ヒューマン・クロック"での同期をどうするか、もう1つはオケとコンピュータをどうやって共存させるか。前者は『BITMAP 1979-1992』を、後者を平沢さんソロのものを、それぞれ参考にしながらやってみました。*「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」:90年に行われた平沢のソロライブ。電子音を基調としながら、看護師の仮装をした生楽器の演奏チームがバックにつき、ことぶきもキーボーディストとして参加していた。公演タイトルは、70年代から活動しているシンセ・ポップバンド、オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじり。●物を作るために「条件下で何ができるか」を楽しむ○"ピコる精神"としての『スウィッチト・オン・バッハ』――先に『スウィッチト・オン・バッハ』の話が出ましたが90年代当時、平沢さんからの勧めがあって聴かれたという経緯もあるんですよね。そうそう。どうやってP-MODELを解凍させるかって話を2人で散々してた時、"ピコる精神"の音楽を作ろうって平沢さんがおっしゃって。「それは何だ?」と話してたら、リファレンス(参考音源)のような扱いで「『スウィッチト・オン・バッハ』を聴け」って言われたんですよ。当時からCD含めて音楽は買わなくなってたんですけどね。――それは学生の頃からですか?中2までは、底が抜けるくらい散々買いました。でも自分で作るようになってからは他人の音楽は全く聴かなくなった。伊福部昭さんの作曲本に「作曲を志す人間は音楽を聴いちゃダメだ」って書いてあったんです。「中途半端に毒された音を聴いちゃうと作曲ができなくなるから聴くな」と。○"元をとる"ために生まれた「2D OR NOT 2D」――なるほど。それでも『スウィッチト・オン・バッハ』は買われたんですよね。そう、金を払ってわざわざ買った。でも良くなかったです。平沢さんには「何てものを聴かせるんだ」って言ったんですけども。「まぁ自分の意思で買ったんだし」って返されちゃった(笑)。それで、これは(アルバム代金分の)元をとんなきゃいけないって、また曲を作りました。でも、何がしかのことがあって、その元を取るために次何やるかを決めるというのは、今でも全てにおいてそうです。言い方を変えれば「条件下で何ができるか」という作り方です。――それで完成した曲は『P-MODEL』(92年)に入っている楽曲ですか?「2D OR NOT 2D」ですね。あれは、僕が全部オケを作って…歌メロも作ってたんだけども、平沢さんがボーカルブースに入って、全然違う風に歌っちゃってね(笑)。スタジオに入る前の音を作ってる段階では、平沢さんはいなかったですね。僕と当時のエンジニアとマネージャーの3人でトラックを作って、その後、多分僕がジェットコースターに乗りに富士急ハイランドに行ってる間に平沢さんが全然違う歌にしちゃってましたね。まぁそういうのもアリかな(笑)。○具体的な個人に向けないと作り始められない――その偶然を楽しむ感覚は、冨田さんとの仕事にも感じられます。「条件下で何ができるか」ね。ちなみにこれから演出面で、キューブ型のパイプを12本はわせて上に吊るす装置のテストするんだけども、それが内径3600ミリなんです。なぜ3600かって言うと、4000ミリにすると上の蛍光灯にぶつかって割れちゃうから。そんな風に、全部条件下で決めてますね。例えば、曲をためてやりくりしてる人がいますけど、僕は全然そういうのを信用してなくて。少なくとも僕自身は、具体的に誰かに向かって作るというのが無ければ、事を始められない。一応、聞かれたら「皆さんに喜んでもらうために」とか言ってますけど、実際それを成し得るには、当然ながら物ができなきゃいけない訳です。その上で、まず誰のために作るか。それは、端的に言えばディレクターに向けてです。担当ディレクターが一番喜ぶ物を作って、その先に皆の喜ぶ顔があるわけで。――そこをクリアしないことは先にアプローチできないということですね。そうそう。冨田先生みたいな崇高なキャリアがある方であれば、作ったら世界の人を喜ばせることができるでしょう。創作と聴き手がイコールで直結してる。でも僕クラスの人間がそれを言うのはおこがましくて。その前に世界にリーチできる物を作らねばならない。そのためには、具体的な誰か個人に向けて作らないと、というのがあります。ここまで話を聞いてみると、幼少時から現在の活動まで、ことぶきが体験してきたことは、全て一つの線で結ぶことができるのではないかという思いが湧き出てくる。それに、「具体的な個人に向けて作らないと事を始められない」との言葉は、冨田さんとの仕事での姿勢を示唆しているようにも感じられる。それは、冨田さんの作った曲を舞台上で再現することにあった。その再現性自体もまた一つの作品と言えるのではないか。次回紹介する、冨田さんと過ごしてきた時間の中でのエピソードは、そんなことぶきが冨田さんという個人に向けて作ってきたとも言えるだろう音の背景をのぞかせるものだ。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月24日●すごい音を体験しちゃった2016年5月、電子音楽の巨匠・冨田勲さんが、84歳でその生涯の幕を閉じた。冨田さんは生前、1950年代に活動を開始。NHKなどのテレビ番組の音楽を作曲しながら、60年代末にアナログ・シンセサイザーのモーグに出会い衝撃を受ける。74年には、モーグを使って、ドビュッシーの楽曲を再解釈したアルバム『月の光』を発表。クラシカルでありながら時代の先端を鳴らしたサウンドは世間の注目をさらい、国内電子音楽の歴史を大きく塗り替えた。その後も、それまでの音楽を現代的に解釈し直した作品を発表しながら、常に先鋭となるべき音を求め続け、晩年はボーカロイド・初音ミクをソリストに迎えた「イーハトーヴ交響曲」を制作。12年の初演では、日本フィルハーモニー交響楽団とミクの歌声が融合するパフォーマンスを披露して話題を集めた。しかし、オーケストラとボーカロイドの音を有機的にミックスしながら、ライブとして臨機応変に対応するのは容易なことではない。それを可能にした主要メンバーの1人が、現在はプノンペン・モデル、かつては平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELの一員として活動していたことでも知られる電子音楽家・ことぶき光だ。解凍P-MODELのステージで"ヒューマン・クロック"と呼ばれるバンドサウンドと電子音を同期させるシステムも披露してきた彼は、その経験から冨田さんのミクを用いたステージも強力に支えてきた。ことぶきは、11月11、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる冨田さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」も全面的にバックアップ。コンサートは、「イーハトーヴ交響曲」の再演に加え、冨田さんが最期まで公開を夢見て制作していた「ドクター・コッペリウス」の初上演、エイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表作「惑星 The Planet」のリミックスパフォーマンスで構成される。この冨田さんの遺志を受け継いだ公演を前に、ことぶきはどのような思いを持っているのか。それを聞いてみたところ、コンサートの舞台裏だけでなく、"冨田サウンド"との出会い、音楽制作への向き合い方、P-MODEL時代の秘話、冨田さんと共演してきた上での思い出、そしてプライベートでの音楽体験にいたるまで、さまざまなエピソードを饒舌に語ってくれた。これを3回にわたってお伝えする。第1回は、幼少時に大阪万博で受けた大きな衝撃から、シンセサイザーを手にするまで、アーティストデビュー以前の彼の物語を紹介したい。○万博で全部経験しちゃった――ことぶきさんが最初に冨田さんの音楽を聴かれたのはいつ頃でしたか。テレビを介して気が付いてたら聴いてましたね。それこそ大河ドラマとかの劇伴は、20世紀音楽の開花と言えるようなインパクトで。僕のような世代は、日常的にすごいものを聴いてた訳ですよ。60年代、70年代にね。――大阪万博の頃(70年3月~9月に開催)くらいですかね。まさにそう。僕は全部を万博で体験しちゃったんです。幼稚園の卒園式を抜け出して行ったんですけども。――卒園式を!?小学校に上がるタイミングでちょうど大阪万博があったんです。そこで、お祭り広場に行く途中、松平頼暁*さんの作った曲が流れてたのを聴いちゃった。ただ、僕は1週間くらい通ったんですけど、松平さんの音楽はその途中ですぐ中止になって。コンパニオン全員が体調不良になるという当時の事件があったんですね。松平さんは独特な楽理で音を構築していて、それが影響しちゃったんだ。その話を07年か08年に松平さん本人から聞いて、「わー」って思っちゃって。そのようなことが幾つかあって、冨田先生とお話しできた時も、僕が万博で体験しちゃったものの裏側を40、50年後に作家本人から聞けたっていう…これはもう信じがたいことで。万博の後に、半分くらいの作家は皆、死んじゃうわけですから。すごい音を70年に全部、体験しちゃった。*松平頼暁:現代音楽作曲家。50年代後期からさまざまなオーケストラ、ピアノの楽曲を制作している。○小学校以降は"余生"――5、6歳でそこまで大きなショックがあったんですね。僕、小学校以降は全部"余生"だと思ってて。それまでの体験を何十年もたった後に分析してるくらいです。それは大きなポイントで、今、学生に音楽を教えてもいるんですけど、何も作ったことのない人間に音楽を教えても、ほぼ意味がない。例えば、音楽大学の作曲科の生徒に教えるとします。あの世界は積み上げられたメソッドが分厚くあって、対位法とか和声法とかを一からやりながら、楽器の奏法も修得しなきゃいけない。これじゃ10年とかすぐたっちゃう。*対位法・和声法:対位法は一つ一つのパートの独自性を保ちつつ、複数のメロディを重ね合わせる手法。和声法は主となるメロディに対して、どのようなハーモニーを接続するかに重きを置いて音を作っていく手法。――理論的な部分からガチガチで攻めるわけですね。と言うより、何を何カ月でマスターして次に行くって手順が決まってるんです。彼らって、それを修得しなかったら作品は作れないと思ってるんですよ。――え、そうなんですか? フィーリングではダメ?彼らは練習課題として色んなものを作りながら、最終的に自分自身の作品を作るための訓練を10年以上かけてやってる。それに、音大は義務教育の中で教わった内容だけでなく、特殊訓練を受けなきゃ受験もできない。訓練を何年も受け続けてる子どもたち、そして何でも知ってる子どもたち、その学生が何も作れないっていう事実ね。その一方で、特訓もせず、ほとんど何も学んでないままに、自分の持ったポップミュージックのセンスを信じて何かを作ってる"バカ"たちもいる訳です。でも、両者を並べた時にどっちに可能性があるかは明らかですよね。"バカ"の方は自分で音楽を作って、後から分析して次のステップに行くんです。ただ、それができるようになるためには早い段階、吸収力がピークに達している段階で、何らかの音楽的な洗礼を受ける必要が恐らくあって。僕はそれが6歳頃だった。まぁ僕が何か作ったわけじゃなくて、ただ聴いたってだけですけど(笑)。それでも、後はもういいやって感じでしたね。それくらい本当にデカい出来事でした。――とすると、6歳という絶妙なタイミングで冨田さんの音楽にも衝撃を受けられたのでしょうか。ただ、その時には"冨田サウンド"とは気付いてなかったですね。(カールハインツ・)シュトックハウゼンにしても冨田先生にしても、テレビで流れていたので、それが普通だと思ってました。誰の作ったものかって意識し出したのは後からですね。●僕らがやっていけるのは「冨田先生がいたから」○冨田さんの名前は「街の事情で知った」――それはいつ頃でした?その後、図らずも住んでた街の事情でピアノ教室に通わざるを得なくなって。ピアノを習ってる女子は4人いたんだけど、男がいなかったんです。そこで、ピアノの先生が「男子を生徒としてどうしても入れたい」って言うので、僕が行くことになった。生徒が何人以上、男女比何割っていうのがフランチャイズ経営で決められていたらしいんですよ。それをクリアしないと教室がなくなってしまうという。――ノルマですね(笑)。そういう事情で入れられちゃって。そこで先生から冨田勲の名前を聞いた。それも今思えば偶然で、ある種の"おかげ"ですね。その時が小学2、3年かな。○シンセサイザーとの出会い――それが初めてじっくりと楽器に取り組んだ時になるんですよね。最初からシンセサイザーを使ってらっしゃるイメージだったので意外です。シンセサイザーを、その時はまだ知らなかったですね。8歳だから、72年か…その時期だと、『スウィッチト・オン・バッハ』(68年)*はリリースされてると思うんだけども、その当時はシンセサイザーを知らなくて、『NHKニュースおはよう日本』がきっかけでした。「世の中のあらゆるサウンドを再現できるマシンが登場した!」って触れ込みでシンセがテレビに出ちゃった訳ですよ。その頃の僕は、地元ではあり得ないくらいのお年玉をもらう子どもだったんで、「これは大変だ」って、お金をかき集めて買いに行きましたね。*『スウィッチト・オン・バッハ』:後に性転換を経験するウェンディ・カルロス(発表当時はウォルター・カルロス名義)がモーグ・シンセサイザーを駆使してバッハの演奏を再現したアルバムで、日本国内の電子音楽アーティストにも多大な影響を与えた。モーグを全面的に使用した作品では初のミリオンセラーを記録したアルバムでもある。――小学生で?それは多分、中学2年ですね。と言うのも、72年の段階だと、そもそも冨田先生が買ったような1,000万円レベルのシンセしかなかったので。○大前提にあるのは先人への畏敬――当時の冨田さんと言えば、モーグですものね。そうそう(笑)。でもモーグ*は、テレビで映されてなかったです。紹介されるようになったのは、冨田先生が『月の光』(74年)とかをリリースして売れた後、「この音を作った楽器は何なんだ!?」っていう声が出始めて。それから30年たった今、11月のコンサートでいなくなった冨田先生を、復活させるんです。これは、ある種のリミックスですね。冨田勲という存在自体をリミックスしてる。まぁ、そんな冨田先生のモーグの登場を受けて日本のメーカーがコンシューマーレベルの…10、20万円の機材を出し始める。まだ手を出せる範囲での減算方式のシンセの原型が現れたのは70年代後半くらいですね。*モーグ:ロバート・モーグ博士が開発した革命的なアナログ・シンセサイザー。ザ・ビートルズやクラフトワークをはじめとして、さまざまなジャンルのアーティストの作品に使用され、現在でも国内外問わず非常に高い人気を集めている名機。流通しているものは非常に高価。――MS-20とか?おっしゃる通り。僕は後に、エレキギターのアウトプットを3本に分岐して、それぞれをMS-20*に繋げて演奏するようになるんですが、そんなマシンを持って、ある国に行った時は「日本から来たMS-20を同時に操る人間」といった一定の評価を受けています。「なぜか?」と考えると、冨田先生がいたからです。それも完全に"おかげ"で。そんなところから僕は、先人への畏敬というのが、まず前提としてあって。冨田先生がやってくれたから、僕らが外国でそのようにやっていける、大きな事実がある訳です。話を戻すと、NHKの朝の番組では、(実際にはその前からあるけれど)シンセっていうのが「世の中に登場した」って言い方で紹介されていたと記憶しています。「世の中のあらゆるサウンドを再現できる。例えば猫の声」とかね。で、自分で買って、実際に操作してみると、確かに猫の声は出ました。でも、猫の声しか出なかった。そこで「ああ、これがシンセか」と。それで1回は離れちゃいました。*MS-20:VCO、VCF、VCA、EGを2系統搭載していた、コルグのアナログのモノフォニック・シンセサイザー。P-MODELでも田中靖美が使用したように、1978年発売当時からプロアマ問わず多くのアーティストから関心が寄せられた。現在は、コルグから当時のアナログ回路を完全再現した小型版も発売されている。アーティストとしてのデビュー前、6歳の頃の大阪万博での衝撃から音楽に惹かれてきたことぶき光。中学2年生でシンセを初めて購入するまでの期間にも、冨田さんの影はそこかしこに見られた。そんなことぶきは、その後何十年もたってから冨田さんとの共演を果たす。用いられていた同期の仕組みは90年代初頭にP-MODELの一員として、披露していたもの。次回は、そんなP-MODEL時代の平沢とのエピソードなどの舞台裏から冨田さんとの仕事にいたるまでの間を振り返ってもらっている。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月21日『世界の中心で、愛をさけぶ』『ピンクとグレー』の行定勲監督が初のロマンポルノに挑む『ジムノペディに乱れる』が、板尾創路主演で11月26日(土)より公開されることが決定。この度、本作のポスタービジュアルと予告編が到着した。自宅のピアノから流れてくるエリック・サティの「ジムノペディ」の音色。目を覚ました映画監督の古谷慎二(板尾創路)はピアノが置かれた部屋へ足を踏み入れるが、そこにはピアノを弾いていた妻の姿はない――。古谷は久々に新作映画の撮影に入っていた。国際映画祭で高い評価を得た名声は過去のものとなり、いまでは低予算映画の仕事にありつくのがやっとだった。かつては「精神が研ぎ澄まされていれば、金がなくても映画だ」と、どんな条件でもやる気を失わなかったが、いまでは「こんな現場は映画じゃない」と愚痴っている。撮影直前になって、主演女優の安里(岡村いずみ)がラブシーンで愚図りはじめ撮影が進まない。古谷は強引に説得するが、安里と言い争いとなり、険悪な雰囲気のまま撮影は中断してしまう。その日、古谷は昔から関係がつづく衣装部スタッフと一夜を共にする。そして翌朝、彼女から安里が降板したことを知らされる…。映画は製作中止となり、時間を持て余した古谷は、街で会った映画専門学校の教え子・結花(芦那すみれ)の部屋に転がり込む。思わせぶりな態度で挑発してくる結花と体を重ねる古谷。雨の音に紛れてどこからかジムノペディが聞こえてくる…。本作は、今年生誕150年を迎えたエリック・サティの名曲「ジムノペディ」の調べにのせ、ラブストーリーの名手・行定監督が、切なく不器用な大人の愛を官能的に描いている。今年で製作開始から45周年を迎える“日活ロマンポルノ”のリブートプロジェクトの一環で製作された本作。今回メガホンを取った行定監督のほか、塩田明彦監督、白石和彌監督、園子温監督、中田秀夫監督ら第一線で活躍する監督陣が完全オリジナルの新作を28年ぶりに撮りおろすことでも話題。さらに、先日行われた「第21回釜山国際映画祭」でのワールドプレミア上映には、韓国を代表する鬼才映画監督キム・ギドクや、映画プロデューサーのアン・ドンギュなど韓国映画関係者が来場し本作を絶賛した。主演を務めるのは、芸人や俳優など様々な顔を持つ板尾さん。映画監督としても2本の作品を残し注目される彼が、今回は全てを失い自暴自棄になっている映画監督の男・古谷演じる。古谷を惑わすヒロイン・結花には、これまではBOMI名義でミュージシャンとして活動しており、本作が本格的な映画デビュー作となる芦那すみれ。もうひとりのヒロイン・安里には、大河ドラマ「真田丸」の出演など、注目の若手女優・岡村いずみ。2人とも本作で初めて濡れ場に挑戦し、美しく官能的なラブシーンを披露している。そして、本作の見どころの一つとなっているのが、古谷が<1週間>、ヒロイン2人を始め、田山由起、田嶋真弓、木嶋のりこ、西野翔らが演じる様々な年齢層の女性たちと官能的に乱れる姿。さらに、ロマンポルノを代表する女優・風祭ゆきもカメオ出演している。このほど初解禁された予告編には、古谷が女たちの肌のぬくもりに助けられながら、失った何かを探し求める姿が描かれており、古谷をとりまく女たちとの官能的なシーンを想起させる映像がちりばめられている。本作は、中央線沿線が舞台になっており、ロマンポルノにも深い関わりがある映画監督の実話エピソードにもインスパイアされているそう。終盤に放たれる「感じるんだ」というセリフには、不感症で不寛容な時代へ一石投じるものになっている。なお、豪華監督陣による完全オリジナルの新作ロマンポルノを、「新作製作 powered by BSスカパー!」として製作開始。新作公開に併せ「BSスカパー!」にて、各作品の劇場公開同日の深夜0時より【R15+版】で放映される。『ジムノペディに乱れる』は11月26日(土)より新宿武蔵野館ほか全国にて順次公開。(cinemacafe.net)
2016年10月18日ライブ配信サービス「LINE LIVE」にて、9月12日(月)今夜、「岩井俊二監督、行定勲監督をゲストに重大発表!?」のタイトルで特別番組が生配信されることが決定した。10月25日(火)より10日間にわたって開催される「第29回東京国際映画祭」のLINE LIVE初回配信となる本番組。『世界の中心で愛をさけぶ』『ピンクとグレー』などを手掛ける行定勲監督と、『花とアリス』や今年3月公開された『リップヴァンウィンクルの花嫁』の岩井俊二監督をゲストに迎える今回は、「第29回東京国際映画祭」に関する重大発表を行うという。気になる重大発表の中には、過去に季葉、岡本あずさ、山崎紘菜などフレッシュな顔ぶれが抜擢され映画祭を盛り上げた「東京国際映画祭ナビゲーター」が発表されるほか、行定監督も参加するアジアの気鋭監督3名が、ひとつのテーマのもとにオムニバス映画を隔年で共同製作するプロジェクト「アジア三面鏡」の新たな情報や、東京国際映画祭の大きな2本映画特集のひとつ「JAPAN NOW」部門にて、岩井監督の作品を改めてふり返る企画「岩井俊二監督特集」の新たな情報が発表されるようだ。「東京国際映画祭SP企画 岩井監督&行定監督登場で重大発表!?」は9月12日(月)20時~LINELIVEにて配信。(cinemacafe.net)
2016年09月12日アニメーション監督の高畑勲氏が9月1日(木)、都内で行われたスタジオジブリ最新作『レッドタートル ある島の物語』の完成披露試写会に、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督、プロデューサーの鈴木敏夫氏とともに出席した。ジブリにとって初の海外共同製作作品である本作で、アーティスティック・プロデューサーを務めた高畑氏。およそ10年前にジブリ側から長編製作のオファーを受けたヴィット監督が、「尊敬する高畑勲監督から長編映画の制作全般について助言を受けること」を条件に快諾したことがきっかけだ。実際に制作中には、高畑監督が参加し、シナリオ、絵コンテ作りから効果音や音楽に至るまで何度も打ち合わせを重ねて、8年もの歳月をかけて完成させた。挨拶に立った高畑氏は、「こんな立派な役職…。それほどの役割は果たしていませんし」とアーティスティック・プロデューサーという肩書に少々居心地が悪い様子。それでも「初めての経験で、面白さもあった。あくまでマイケル監督の考えを尊重すべきだと思ったし、(結果的に)優れた作品ができて安心している」と本作に太鼓判を押した。そんな高畑氏の言葉に、ヴィット監督は「私自身も、この映画を誇りに思っている」と感無量の面持ち。「現場は主にフランスやベルギーのスタッフでしたが、思いは常に高畑さんや鈴木さんにあった。初めての長編で多くのことを学びましたし、ジブリの皆さんがインスピレーションの源だった」と感謝を伝えた。企画の発端となった鈴木氏は、「あれから10年。こんな大ごとになるなんて」と時の流れをしみじみふり返っていた。『レッドタートル ある島の物語』は、9月17日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年09月01日嵐・松本潤が、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)や『ピンクとグレー』(16年)の行定勲監督の最新作『ナラタージュ』(2017年秋公開)で主演を務めることが12日、明らかになった。松本と映画初共演となる女優・有村架純が、ヒロインを務める。原作は、島本理生氏が20歳の若さで、狂おしいほど純粋に禁断の恋に落ちる2人の関係について執筆した同名の恋愛小説。映画や演劇において人物の語りや回想によって過去を再現する手法・"ナラタージュ"をタイトルに冠している通り、ヒロインの回想によって構築された同作は、スキャンダラスな内容ながらその文芸的評価も高く、第18回山本周五郎賞候補となり、宝島社が選ぶ2006年版「この恋愛小説がすごい!」で首位を獲得した。そんな原作発売から11年。原作に出会ってから長年にわたり映画化を熱望し、企画と構想を温めてきた、行定監督がメガホンを取って映画化が実現する。高校教師と生徒として出会った2人が、時がたち再会した後、決して許されない、しかし、一生に1度しか巡り会えない究極の恋に落ちる。その2人の思いが放つ光と、思いあうほどに濃くなる純愛の陰影を描き出す。松本が演じるのは、許されない恋に悩みながらも思いにあらがえない高校教師・葉山貴司。一方、有村は葉山に身も心もさらけ出しながら全てをささげても良いと思える恋に落ちる20歳の女子大生・工藤泉役を務める。なお2人が行定監督とタッグを組むのは、今回が初となる。「行定監督がこの映画で描きたいとおっしゃったテーマに強く共鳴」したという松本。「恋愛というのは、感じ方や受け取り方が人それぞれ違うモノ」とした上で、「でも人の心が人の心を動かす瞬間は誰もが共感してもらえるモノだと信じています」と力強く口にし「有村さんと一緒に、清らかであるのと同じ程、苦しい心模様を表現していきたい」と意気込みを述べる。有村は「新しい環境での撮影に『刺激的な夏になる』と感じております」とフレッシュな表情を見せ、本作を「普遍的な愛を描いていきます」と説明。「大人とか子供とか関係なく1人の女性として1人の男性に愛を注いでいくのですがそのとても繊細な恋愛模様を大切に大切に演じていきたい」と補足しつつ、演技のポイントを明かしている。また、行定監督は「恋することがこんなにつらいのならしなければよかったと思えるような、恋愛映画の金字塔を目指してスタッフ・キャスト一丸となって挑みたい」とアピール。島本氏は、原作について「思春期の恋愛の全てを書いた」と述懐し、「青春は決して明るいものではなく、むしろ孤独な季節だからこそ、主人公たちは恋をせずにはいられなかったのだと思います。刊行から十数年たった今、行定監督の手によって、最高のメンバーで映画化するとの知らせを受けて、大変興奮しています」と歓喜の声をあげた。
2016年07月14日