住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、恐怖に震えた心霊写真や怪奇現象の話。活躍する同世代の女性と一緒に、’80年代を振り返ってみましょうーー。’80年代は空前のオカルトブーム。夏休みの子どもたちは、午前中はプールに出かけ、午後はワイドショーの心霊写真のコーナー、夜は怪奇特番を楽しみにしていました。一部の小売店でも、心霊写真展などを開催していたようです」こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。それほどのブームになったのは、社会的背景もあるという。「’60年代から’70年代にかけて、日本は高度経済成長期を迎え、物質的に豊かになりました。その一方で“このまま科学技術を妄信していいのだろうか。人知を超えた大切なものがあるのではないか”と考える人も増えたのです」ベトナム戦争が泥沼化した時代、反戦運動、瞑想、サイケデリックなどに傾倒する“ヒッピー文化”も台頭。また、’69年のアポロ11号の月面着陸に人々は心を躍らせた。「UFOや宇宙人など、未知のものへの探求心がくすぐられたことも、オカルトブームの原動力になったのではないでしょうか」その言葉どおり、’70年代に入ると、ユリ・ゲラーのスプーン曲げを代表とする超能力、口裂け女やネッシー、ツチノコの目撃談など数々のブームが起こり、コンテンツも細分化されていく。「現代ではデジタル技術を使って、心霊写真など容易に加工できますが、当時は紙焼き写真。一般の人が合成するのは難しく、より一層、信憑性が高く感じられました。修学旅行などで日光の華厳の滝の前で記念撮影した際は、写真に“何か”が写り込んでいないか、探した人も多いはずです」’80年代には宜保愛子さんが登場し、「ノストラダムスの大予言」の関連本も飛ぶように売れた。だが、“地球が滅亡する”と予言された「一九九九の年、七の月」を過ぎると、ブームも下火に。「一連のオウム真理教の事件などの影響もあり、当時すでに大手メディアでは、現実社会を否定するようなオカルト番組を扱いづらくなっていた側面もあるでしょう」’00年代に入ると、『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』(’05〜’09年・テレビ朝日系)などで、オカルトとは似て非なる“スピリチュアル”が注目された。「かつて霊は“呪い”のようなマイナスのイメージでしたが、スピリチュアルでは“守護霊”など、プラスに捉えられることも多いのが特徴のひとつでしょう。物質的に豊かになり、科学技術が進歩しても、人は目に見えない“何か”に、心の拠りどころを求めてしまうものなのです」
2021年05月31日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、恐怖に震えた心霊写真や怪奇現象の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、’80年代を振り返ってみましょうーー。「運動は苦手でインドア派だったので、家ではよくテレビや雑誌を見ていました。心霊特集や怪奇現象特集にくぎ付けになっていて、いまでも好きで信じています」小・中学生時代を送った’80年代を振り返るのは、コラムニストで漫画家の辛酸なめ子さん(46)。たしかに’80年代は、テレビでも雑誌でも心霊特集が組まれていたし、とくに暑い夏の風物詩でもあった。なかでも辛酸さんが好きだったのは『お昼のワイドショー』(’68〜’87年・日本テレビ系)で、夏季に放送されていたワンコーナー「あなたの知らない世界」だ。視聴者から寄せられた心霊体験や写真を、心霊研究科で放送作家の新倉イワオさんが解説、分析する構成だった。「再現ドラマ仕立てになっていたので、リアリティがありました。いまでも覚えているのは、亡くなられた出演者の霊を呼ぶ回。私には見えませんでしたが、専門家によると“来ていた”みたいで。番組の放送は昼間なので、興味津々で見るんですが、夜、お風呂に入ってシャンプーをしているときに人の気配を感じたりして、怖くなるんですね」都内の有名中学に進学したころには、定番のコックリさんも体験。コックリさんとは、50音を書いた紙の上に置いた十円玉に、メンバー全員で人さし指などを添えて質問をすると、十円玉が50音の上を移動して1文字ずつ指し示し、その質問に答えてくれるというもの。いわゆる降霊術のひとつだ。「“その名”を言うと、呪いがかかるとかいわれているので、安易に口にはできませんが……(辛酸さんは決して“コックリさん”とは言わない)。何人かで“それ”をやっているとき、誰かが『私の行く大学は?』と質問したんですね。すると十円玉が動きだし、『あ』『お』『が』『く』と示したんです。明らかに強い意志の力を感じました」辛酸さんのオカルト熱はやまない。’80年代に一世を風靡した霊能者といえば宜保愛子さんだがーー。「かなりハマりました。宜保さんがフランスの宮殿でマリー・アントワネットを降霊した番組はいまでも覚えているくらい。漫画家になってから“Gibo&Aiko”というキャラクターが登場する作品を描いたのですが、『かわいいじゃない』と宜保さんは笑って許してくれたと、人伝に聞いています」こうした“見えない世界”への探究心はいまでも続いており、仕事で霊視や前世占いも体験。「青森のイタコに降霊してもらった亡き母が、『夢の中でも会いたいし、話がしたい。そう思ったり、考えてくれたりしてくれて、その気持ちがすごくうれしく思ったし』と、J-POPの歌詞みたいな言葉を発したのは印象的でした。前世を見てもらったこともたくさんあって、『キリストが十字架に磔にされるのを見て、嘲笑していた民衆の一人』だとか、さらに時代がさかのぼって『クレオパトラ6世』だとか言われました。ちなみに有名なのはクレオパトラ7世らしいです。『背中から切られた花魁』『纏足で逃げられず集団暴行された中国の女性』なんていう、悲しい前世もありました」幾度となく輪廻転生を繰り返してきた辛酸さん。いまも霊界との接点は感じるという。「北向きの暗い部屋に住んでいるとき、仕事をしていると激しい眠気に襲われて……。ぱっと目が覚め、原稿用紙を見ると、そこには悲しげな女性の顔が描かれていました。霊が“自動書記”をさせたのでしょうか。私が作品を描けるのも、あたりを彷徨っている霊魂が、何らかのインスピレーションを私に与えているからなのかもしれません……」信じるか信じないかは、あなたしだいだ。
2021年05月31日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に毎週楽しみにしていたドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「今朝もラジオの生放送を2時間やったんですけど、’80年代の曲は多いです。たまに’00年の曲をかけるときなんて、21年も前なのに『最新ヒットナンバーをかけちゃいましょう』みたいなノリになるんです(笑)。’80年代にテレビで見たアイドルの歌や振付、ドラマのセリフなんかも、ビデオ録画が簡単にはできなかった時代なのに、よく覚えていますよね。親に『テレビを近くで見ると目が悪くなる』と言われるくらい近づいて、集中して見ていたからなのかなあ」お笑いタレントのいとうあさこさん(50)は、幼いころからテレビが大好きだった。「’70年代は、やっぱりピンク・レディー。みんながミーちゃんをやって、私は低音が魅力的なケイちゃんのマネをしていました。『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)も、会場になっていた日本青年館が自宅の近くだったから、母親が応募してくれて何回か観覧を。会場に来ているコたちには志村けんさんが大人気でしたが、私は会場で『いかりやー!』って叫んでいました。AB型っていうのもあって、なんか変わってなきゃいけないみたいに思っていたのかなあ。“人と違う自分”にどこかニヤリとしていました(笑)」初めて美容室でパーマをかけたのは、聖子ちゃんカットに憧れたからだった。「パーマがかかりすぎて『ライオン丸』ってからかわれたなあ。フォトエッセイとかで見た聖子ちゃんの丸文字がかわいくて、当時はお習字に通っていたのに、丸文字の練習ばかりしていましたね。“原宿に行ったら、スカウトされる”って聞いて、自分の容姿も顧みず、竹下通りを何往復もしたり……(笑)」歌番組やバラエティで見るアイドルばかりでなく、’80年代に流行したドラマも、いまだに同年代の仲間との話題になるという。「当時のドラマソングをテーマにしたクイズで対決する番組に呼ばれたとき、“初めて(親ではなく)自分の意思で見たドラマは『あばれはっちゃく』(’79〜’85年・テレビ朝日系)でした”って話したら、スタジオでご一緒していた純烈の酒井一圭さんに『おれ、5代目だよ』って言われて、びっくりしました」数あるドラマのなかでも、インパクトを受けたのは、大映テレビが制作するドラマ。とくに『スチュワーデス物語』(’83〜’84年・TBS系)は忘れられないという。JALが全面協力し、堀ちえみ演じる“ドジでノロマなカメ”の訓練生・松本千秋が、村沢教官(風間杜夫)に指導されながら、当時は“スチュワーデス”とよばれていたCA(旅客機の客室乗務員)になるための研修を積み、大空へ飛び立っていくーーというドラマだが、突っ込みどころ満載のキャラ設定や演出が魅力だ。「そもそも千秋みたいな、こんなに何もできない人がスチュワーデスさんの学校に入れるわけがないじゃないですか(笑)。とくに記憶力がダメ。機内で提供するチーズの名前がまったく覚えられないんですから」ドラマでは村沢教官が“曲にのせたら覚えられる”と千秋に個人レッスン。『洒落男』のメロディで「オ〜レ〜はイギリス〜でいちばん、うまい〜といわれ〜るチーズ」と歌い始める。「まず、歌の1番にチーズの名前と特徴が出てこないんですよ。それで2番に入って、やっと青カビチーズとかの情報が出てくる。倣って歌う千秋を、村沢教官が『そいつはよかったな』『その調子だ』なんてほめるんですが、“このペースでは、絶対に間に合わないぞ”って、中学生の私でも突っ込んでいました」「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月10日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に毎週楽しみにしていたドラマの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「『スチュワーデス物語』(’83〜’84年)、『少女に何が起こったか』(’85年)など、’80年代は大映テレビが制作したドラマが人気を博しました。“大映ドラマ”とも言われるように、テレビ局ではなく制作会社の名前がメインとなるほど、過剰な演出やありえない設定などで、突き抜けた存在感を発揮しました」そう語るのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。『スチュワーデス物語』では、堀ちえみ演じる訓練生・松本千秋が、驚くほど英語が苦手だったり、人前に出ると緊張してしまうシーンが思い出される。「現在のCA以上に女性の憧れの職業だった“スチュワーデス”になりたくて、『ドジでノロマなカメ』の千秋が一生懸命に努力し、少しずつ夢に近づいていくーー。その姿を“ありえないよ、こんなの”と笑いつつも、堀ちえみさんの初々しさのある演技と相まって、視聴者は応援していました」あまりの落ちこぼれぶりに最初は「何をやっているんだ」と呆れていた村沢教官(風間杜夫)が、次第に千秋に惹かれるようになっていったり、それを見て、かつて村沢教官が起こした事故のせいでピアノが弾けなくなった婚約者の真理子(片平なぎさ)が嫉妬や逆恨みをするなど、ドロドロとした愛憎劇も見どころだった。「まるで少女漫画のようなベタな展開ですが、恋愛にまつわる愛憎劇や、努力の末のサクセスストーリーなど、さまざまな要素が盛り込まれていました。さらに大映ドラマの常連俳優だった石立鉄男さんや長門裕之さんが演じる独特なキャラも、作品に厚みを出しました」ただし、現代のドラマのような複雑な伏線は、ほとんどない。「仕事に遊びに忙しく、若者の関心事が家の外にあった’80年代。だからこそお茶の間で見るドラマは、家族同士で笑ったりテレビに突っ込んだりしながら、リラックスできる内容が好まれたのです」こうした大映ドラマは、のちのテレビ番組にも影響を与えている可能性があるという。「『冬のソナタ』(’03〜’04年)、『私の名前はキム・サムスン』(’06年)など、初期ブームの韓流ドラマの展開は、大映ドラマに通じる少女漫画のテイストを感じます。浜崎あゆみさんの半生をモデルにした昨年のドラマ『M 愛すべき人がいて』で、田中みな実さんが怪演した、眼帯姿で主人公の恋敵となる強烈なキャラにも、大映イズムが受け継がれているのかもしれませんね」「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月10日タイメックス(TIMEX)から新作腕時計「タイメックス 80」が、2021年7月2日(金)チックタックなどで発売される。“80年代のゲーム”着想のデジタルウォッチ「タイメックス 80」は、1970年代から40年以上販売されてきたタイメックスの腕時計に、細かなアレンジや機能を追加した、新作モデルだ。ベースとなったのは、ブランドが誇る名作ウォッチ「クラシック・デジタル」。文字盤に刻まれたブランドロゴやグラフィックは、1980年代のアートワークやゲームなどから着想し、レトロ感とモダンさが共存するデザインに変更されている。機能面においては、文字盤全面が発光するインディグロ ナイトライト機能をはじめ、アラームやタイマー、カレンダーなどを搭載する。ゴムのように伸縮するエクスパンション&ブレスレットの2タイプまた、バンドは、ゴムのように伸び縮みするメタルエクスパンションタイプと、ブレスレットタイプの2型を用意。カラーは、それぞれゴールド・シルバー・ブラックの3色を用意する。【詳細】タイメックス 80発売時期:2021年7月2日(金)※エクスパンションバンド タイプは4月30日(金)よりAmazonにて、ブレスレット タイプは6月5日(土)よりオンタイム・ムーヴにて先行発売。販売店舗:チックタック、オンタイム・ムーヴなど時計専門店価格:・エクスパンションバンド タイプ(TW2R79000 / TW2R79100 / TW2R67000) 各8,800円(税込)・ブレスレット タイプ(TW2R79200 / TW2R79300 / TW2R79400) 各9,350円(税込)※TW2R79400のブラックモデルは発売が遅延する可能性あり。■スペックケース幅:34mmケース素材:レジンベルト素材:ステンレススチールブレス防水:3気圧防水機能:インディグロ ナイトライト、クロノグラフ、アラーム、タイマー、カレンダー
2021年05月03日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代におなかを抱えて笑ったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「スマホでイモ欽トリオさんの『ハイスクールララバイ』(’81年)をかけながら、エアドラムをたたいているようなイントロの振りつけをマネすると、5歳になる娘がすごく喜んで(笑)。で、『また、あれやって』ってせがむんです。私が’80年代にハマったものに、令和の子どももハマるんだって驚きます。それだけキャッチーで、ワクワクさせるものがあるんでしょうね」こう語るのは、タレントのはしのえみさん(47)。幼いころから、とにかくテレビが好きで、歌番組、バラエティ番組を見ては“あの中に私も入っていきたい!”と夢見ていたという。「ふだん学校では目立つことのない、ごく普通の女の子。でも、人前に立ちたい思いは強くて。母が日舞を教えていたんですが、発表会があると聞くと、いつもはやらないお稽古を急にしだすような子でした」アイドル全盛時代をけん引した松田聖子や小泉今日子を歌番組で見ては、自分もなりきった。「地元・鹿児島のテレビ局で生放送していたちびっこ歌合戦に出場したときは、松田聖子さんの『Rock’n Rouge』(’84年)を歌いました」’84年に公開された映画『生徒諸君!』は、母親と一緒に劇場に見に行ったという。「キョンキョンのショートヘアがかわいくて、私もマネしたんです。でも、もともとクセっ毛なのに短くしたものだから、チリチリに。キョンキョンとは大違いで、男子からはだいぶイジられました」バラエティ番組も好きで、とくに『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(’81〜’83年・フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの(欽どこ)』(’76〜’86年・テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊(欽)曜日』(’82〜85年・TBS系)は欠かさず見ていた。「『欽どこ』で、ズラリと並んだ食事を、ゲストのタレントさんが何から順番に手を付けていくか、当てるコーナーがあったのですが、私も真剣になって予想していました。『週刊(欽)曜日』の欽ちゃんバンドも大好きでしたね。音楽は歌番組のときにテレビの前にカセットデッキを置いて録音するか、貸しレコード屋さんで借りて聴くことがほとんどだったんですが、欽ちゃんの番組が生み出したイモ欽トリオさんの曲や、わらべさんの『めだかの兄妹』(’82年)『もしも明日が…。』(’83年)は自分でレコードを買って、歌も振付もマネしていました」「女性自身」2021年5月4日号 掲載
2021年04月26日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に胸をときめかせた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「’80年代は『不良少女とよばれて』(’84年・TBS系)、『ポニーテールはふり向かない』(’85〜’86年・TBS系)など、出演した大映テレビ制作のドラマがすごくヒットしたから、5年ほど女優業にどっぷりつかっていました。当時の“大映ドラマ”の放映はたいてい半年間だったのですが、撮影期間は7カ月ほど。現在のようなデジタル機材ではなく、フィルムで1カットずつ撮影していくので、すごく時間がかかるんですね。撮影現場に泊まり込みたいって思うくらい、家に帰っても寝るだけの生活でした。それだけに撮影がすべて終了し、次回作が始まるまでのオフは貴重で、1人で新宿に出ては映画館をハシゴ。とくに好きだったのがハリウッド映画でした」’80年代にすでに女優として活動していた伊藤かずえさん(54)。東映児童研修所に入ったことが、キャリアのスタートだ。「あまり人としゃべらない子どもだったから、母親が心配したんですね。小学生時代はエキストラばかりで、オーディションに受かることもありませんでしたが……」映画『花街の母』(’79年)でデビューし、中学時代は『水戸黄門』(第12部・’81〜’82年・TBS系)にレギュラー出演。平日に、しかも京都での撮影だったため、学校を休むのは日常的だった。「新幹線での移動中は、ウォークマンでカルチャー・クラブとかの曲を聴きながら眠ったり、セリフを覚えたりする時間。まだ中学生だから、台本に読めない字もあったりして、辞書を引いたり、母親に聞いてみたりしていました」このころ、約2万人が参加したオーディションを勝ち抜いて、映画『燃える勇者』(’81年)で、真田広之の相手役となるヒロインの座を射止めた。「有名なタレントさんもいたから、3次審査くらいになると、心の中では“もう、どうせ(結果は)決まってるんだろうな、裏で”って思って(笑)。だから選ばれたときはびっくりしちゃって」その翌年には、アイドルデビュー。小泉今日子、中森明菜、早見優らと同期の“花の82年組”だ。「レコード会社からオファーがあったんですが、デビュー曲が暗い歌で、全然ヒットしませんでした」だが、’83年の『高校聖夫婦』(TBS系)以降、次々と出演することになる大映ドラマの反響はかなり大きかった。「当時、アイドルはデパートの屋上広場などで歌う“営業”が多くて、全国を回っていました。アイドルとしては無名でしたが、大映ドラマを見た人が会場に集まるようになって。池袋のサンシャイン広場で営業したときは、スタッフさんから『中森明菜さんが来たときと同じくらい、人が集まりました』って驚かれました」それほど大映ドラマは、’80年代カルチャーの代表格だ。「大きな特徴は、演出やセリフ、話の展開が突拍子もなく、劇画チックなところ。たとえば『不良少女とよばれて』では、ケンカをするシーンで『生き残ったほうが、くたばった奴の骨壺を蹴飛ばすまでさ』なんていうセリフも。“十代の女の子が言う!?”って思うけど、すっごいセンスですよね(笑)」伊藤さんといえば、『スクール☆ウォーズ』(’84〜’85年・TBS系)で「馬上から失礼します」と馬に乗って登場するシーンも伝説的だ。「実話に基づいた作品なのに、私の役だけが架空の人物なんで、脚本家さんが私で遊んでいました」撮影に追われた日々、唯一の息抜きとなり、ストレスを発散させてくれたのが、ハリウッド映画だったという。「『セント・エルモス・ファイアー』(’86年)みたいな青春群像劇も好き。『アウトサイダー』(’83年)のマット・ディロンもかっこよかったなあ。『リーサル・ウェポン(’87年)は難しいことを考えず、単純に楽しめました。映画館には1人でふらっと見に行くことが多くて、1日休みだと2〜3本、ハシゴしていましたね』「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にみんながこぞって読んでいた本の話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「’65年から本格的に参戦したベトナム戦争、’70年代に2度発生したオイルショックなどで、アメリカの社会や経済は失速していました。ゆえに、レーガン政権(’81〜’89年)は豊かで強いアメリカを取り戻そうと、自国の商材や文化を世界へ積極的に発信したのです。日本でもバブル期にはディスコやサーフィンがはやり、トレンディドラマでは、人気女優がラルフローレンを着こなしました。なかでも、若者に多大な影響を及ぼしたのが、ハリウッド映画です」そう語るのは、トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。’70年代は『スター・ウォーズ』シリーズ(’78年〜)など宇宙や未来をテーマにしたSF作品が多かったハリウッド映画だが、’80年代に入ると、『インディ・ジョーンズ』シリーズ(’81年〜)といったアクション映画、『愛と青春の旅立ち』(’82年)のような恋愛映画が台頭。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(’85年)はSF、アクション、恋愛の3要素が盛り込まれたハイブリッド作品といえる。「インターネットが普及していなかった時代、ハリウッド映画は流行の発信源となり、日本人の生活スタイルに変化をもたらしました」たとえば、『E.T.』(’82年)で宅配ピザのシーンが映し出されたことをきっかけに、ある日本企業は宅配ピザのビジネスに参入、全国でチェーン展開を始めたほど。「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公はスケートボードの名人で、巧みに乗りこなしますが、その後、日本でもスケートボードが大ヒットしました。『カクテル』(’89年)公開時には、カクテルを作る道具一式が売れ、『ハスラー2』(’86年)を見た若者たちの間でビリヤードがはやり、プールバーが乱立したほどです」当然、日本企業もハリウッド俳優に目をつけた。「マイケル・J・フォックスがホンダ『インテグラ』のCMに出演(’89年)した際の“カッコインテグラ”というセリフは印象に残っている人も多いと思います」『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を代表とするハリウッド映画で描かれる大きな家、かっこいい車、おしゃれなダイナー、プロム(高校の卒業パーティ)の華やかさは、当時の日本の若者たちにとって、憧れの世界だった。「’80年代後半から始まったトレンディドラマや、『私をスキーに連れてって』(’87年)など“ホイチョイ三部作”と呼ばれる映画にも、大きな影響を与えたといえます。バブル期にアメリカナイズされた文化が席巻した背景には、ハリウッド映画の力があるのです」「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にみんながこぞって読んでいた本の話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。’88年に出版された吉本ばななのデビュー作『キッチン』。’89年にすぐさま映画化(監督・森田芳光、主演・川原亜矢子)され、’89年3月に発売された『TUGUMI(つぐみ)』は、平成初のミリオンセラーを記録した。吉本ばななは’80年代の終わりに、文学界を彩った作家といえる。トレンド評論家の牛窪恵さん(53)は『キッチン』の《私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う》という始まりの一文が印象的だったという。「昭和の働く女性は、職場ではお茶くみ、飲み会ではお酌をするのが当たり前とされていました。バブル期に入り、そうした風潮への抵抗感もあって、多くの女性は肩パットに象徴される「肩肘張ったキャリアウーマン」に憧れました。ですがバブル終焉まで、社会は女性解放とはほど遠く、そうした女性が「オヤジギャル」と揶揄されることもあったほどです。だからこそ、当時まだ多数派だった専業主婦を連想させる『台所』が好きという表現が、逆に新鮮で、心に残ったのだと思います」物語では、祖母を亡くして天涯孤独となった主人公の女子大生が、祖母のお気に入りだった生花店のアルバイト男性と、ゲイバーを経営する男性の母親(元父親)との共同生活を通して、自分の居場所、自分らしい生き方を模索していく姿が描かれている。「ワンレンヘアで、ボディコンスーツに身を包み、ハイヒールで闊歩する“ザ・女子大生”が世をにぎわす一方で、流行に合わそうと頑張りすぎるより、自分らしく生きたいと願う女性もいました。こうした層を取り込んだ雑誌が「オリーブ」(マガジンハウス)です。アメリカナイズされたトレンドより“北欧テイスト”、キラキラしたレストランでのディナーより“おうちごはん”ーーそんな“オリーブ少女”たちが、『キッチン』を好んで読んだように思います」同時期である’87年にヒットした、現代の口語調を用いる短歌を収めた、俵万智の『サラダ記念日』にも、“オリーブ的ニュアンス”を感じるという。「手紙や交換日記に、短歌を書いて披露し合った人も多いのではないでしょうか。私も友人と《○○と君が言ったから、○○は○○記念日》と、代表的な短歌をアレンジしたりしていました(笑)」どちらの本も女性を意識したためか、装丁がおしゃれだ。「ブックバンドが大学生に人気だったので、“ジャケ買い”して持ち歩く女子大生も目立ちました」「女性自身」2021年4月20日号 掲載
2021年04月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「今年、ついに50歳を迎え、“どうしましょうか?”っていう戸惑いを感じています。そんな私たち世代ですが、’80年代はまさしく青春そのもの(笑)。とくに高校時代に夢中になったテレビ番組は『ねるとん』です。環境的には男女共学、年齢的にも“モテ”に関してすごく興味があったころだったし」“くらたま”こと、マンガ家の倉田真由美さん(49)が思い出の番組に挙げたのは『ねるとん紅鯨団』(’87〜’94年・フジテレビ系)。通称『ねるとん』は、お見合いパーティの代名詞ともなり、男女の出会いの新たなスタイルを確立した。司会進行役は人気絶頂だった、とんねるずの石橋貴明と木梨憲武。視聴者から募った男女それぞれ十数名の参加者が「ご対面」を果たした後、「第一印象」を語り、「フリータイム」で親交を深めていく。クライマックスとなる、男性から女性への「告白タイム」では「ちょっと待った」コールでライバルが出現したり、「ごめんなさい」とカップル不成立になったり、意外なカップルが誕生する「大どんでん返し」もあったりと、恋愛エンタメ要素が盛り込まれた。「どんな女性が男性ウケするのか、だいぶ勉強させてもらいました。思い返せば、’80年代はこうした情報も、すべてテレビが中心にあった時代でしたよね」もちろん倉田家でも、夜、子どもたちがお茶の間にいたのはテレビが見たかったから。「『花の子ルンルン』(’79〜’80年・テレビ朝日系)や、『宇宙刑事ギャバン』(’82〜’83年・テレビ朝日系)、ドラマでは『ヤヌスの鏡』(’85〜’86年・フジテレビ系)が当時のお気に入り。『GOGO!チアガール』(’80〜’81年・TBS系)の主役だった三原順子(現・じゅん子)さんは、不良っぽいところが好きだったのに、自民党という“宗教”を“布教”しているかのように感じる今の三原さんを見ると、悲しくなったりします(笑)」子どもが見たい番組がたくさんあったが、チャンネル権はあくまで父親のもの。「父が“ドリフ派”で、土曜の夜は『全員集合』(’69〜’85年・TBS系)を家族で見ていたから、裏番組の『ひょうきん族』(’81〜’89年・フジテレビ系)の話題にはついていけませんでした」学校での話題の中心は、前日のテレビ番組だった。「テレビの情報に敏感な子がクラスの人気者に。『笑っていいとも!』(’82〜’14年・フジテレビ系)の『○○でいいかな〜』「いいとも!」っていうやりとりをいち早く取り入れていましたね」そういえば、風邪で学校を休み、ふだんは見られない昼間の番組を見ると、優越感に浸ることができたりした。“ねるとん”が放送開始されたのは倉田さんの高校時代。「10代って、どういう環境で育つかによって、モノの見方が変わってくると思うんです。作家で友達の中村うさぎは、お嬢さま学校で育ったこともあって、ブランド主義的なところがあったそうです。私が育ったのは田舎の共学校で、女子のヒエラルキーで上位にくるのは、勉強ができたりスポーツが得意なコではなく、男子から好かれるコでした。だから“モテ”は重要なキーワード。当時、はやっていた“朝シャン(=朝にシャンプーをすること)”は欠かさなかったくらいです」「女性自身」2021年4月13日号 掲載
2021年04月04日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代におなかがよじれたお笑い番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「中学では器械体操部に入って、一生懸命、練習に取り組んでいたから、テレビを見る時間はものすごく限られていて……。土曜まで頑張って、くったくたに疲れて、それでようやく好きなテレビにたどりつけるんですね。それが『オレたちひょうきん族』(’81〜’89年・フジテレビ系)でした。ホント、楽しい時間なんですが、日曜の朝からまた厳しい部活が始まるので、エンディングでEPOさんの『DOWN TOWN』が流れると“ああ、休みが終わっちゃう”と、ちょっとした絶望を感じたりしていました」歌手、女優など幅広く活躍する濱田マリさん(52)は、関西出身ということもあり、小学校時代からお笑い番組は大好きだった。「私の育った神戸は、大阪ほどではありませんが、それでも、勉強やスポーツができる子より、面白い子が人気。だから土曜のお昼はみんな、お好み焼きを食べながら“午後の授業”として『よしもと新喜劇』(’62年〜MBS系)を見るんです。そして夜は『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)が定番でした」’80年、濱田さんが小6のときに漫才ブームがやってきた。「ツービートさん、明石家さんまさんが大好きで。ザ・ぼんちさんの『そーなんですよ』というギャグも“次に来るぞ”ってわかっているのに、何度聞いても笑っちゃうんですよね」こうした漫才ブームの中心にいたお笑い芸人が集結して、’81年にスタートしたのが『オレたちひょうきん族』だ。「『ひょうきん族』は、まわりのスタッフの笑い声がそのまま録音されたり、『ひょうきん懺悔室』ではプロデューサーさんが神父として出演したり。まるで業界の裏側をのぞくような、大人な感じのするお笑いでした」『全員集合』は小さな子どもでも楽しめる内容だったため、中学への進学を機に、ちょっと背伸びした笑いを求めたくなった。「今でも覚えているのが“ハチの一刺し(ロッキード事件で当時、田中角栄元首相が賄賂を受領したことを裏付ける証言)”で話題となった榎本三恵子さんに、ハチの扮装をさせたシーン。まだ子どもでいまいち意味がわかりませんでしたが、大人たちがゲラゲラ笑っているのを見て“これは面白いんだ”って。大人のギャグセンスを磨きました」「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月07日育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。抜けるような高い空の下の田舎道を、自転車の荷台にガールフレンドを乗せた男子中学生が、キコキコとタイヤを軋ませながらペダルを漕ぐ。デートスポットの河原に着くと、自転車のカゴに入れたラジカセを持ち出して、女のコにちょっと自慢げに「サザンっていうんだよ。すごくいいんだよ」と、再生ボタンを押した。「中学時代、ソフトボール部でキャッチャーをしていたことがきっかけで、野球部で同じポジションだったヤマモトくんとお付き合いしていまして、いまでもサザンオールスターズの『栞のテーマ』(’81年)を聴くと、河原の風景や、恋心を思い出します。サザンなのに、聴いていたのは海じゃなくて、河原なんですけど(笑)」そう語るのは、芸能生活35周年を迎え、2月から明治座の舞台も控えている、演歌歌手の坂本冬美さん(53)。’80年代には人生の転機が詰まっていたと振り返る。「小学生だった’70年代から石川さゆりさんが大好きで、将来は絶対に演歌歌手になるって、夢を抱いていました」’80年代に入り、松田聖子や中森明菜、田原俊彦、近藤真彦などの曲をテレビで見聞きして、フリを覚えたりもしていたが、集めていた雑誌の切り抜きは石川さゆりばかり。興味の中心は演歌だった。「そんなとき、ヤマモトくんがサザンを教えてくれたんです。さゆりさんの『津軽海峡冬景色』を初めて聴いたときと同じように、『栞のテーマ』を歌う桑田(佳祐)さんの声に、全身がシビれて。ハスキーな歌声がせつなくて、そのときは歌詞の深い意味まではわからなかったけど、胸にキュンときたのを覚えています」サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でメジャーデビューしたのは’78年。『栞のテーマ』を収録した『ステレオ太陽族』は、’81年にリリースされた4枚目のアルバムだ。「サザンのほかの曲も聴きたくなったんですけど、中学時代の1カ月のお小遣いは3,000円だったから、LPレコードなんて、とても買えません。それに田舎だから、レコード店どころか、貸しレコード店もなくて。けっきょく、レコードを持っているお友達に録音させてもらったりしていました」当時、ヤマモトくんと結婚できるなら、歌手になる夢をあきらめるつもりだった。「ヤマモトくんとは同じ高校に進学したんですが、残念ながら“事情”があって、お別れすることに……。それでもずっと好きだったんです。悔しくて、何年も送り合った交換日記もすべて燃やしてしまいました。サザンの曲も、ヤマモトくんを思い出してつらいから、しばらくは聴けませんでしたね」’85年に高校を卒業した後、地元の梅干し製造会社「ウメタ」に就職。「工場で品質管理をする、上司一人、部下一人の部署でした。白衣に白い帽子と長靴姿で、毎日、梅干しの塩分濃度やpH値を記録。いつも歌いながら作業をしていました」歌手への夢は持ち続けており、ステージも機材もそろっている、近所のカラオケ教室にも連日通い、歌を練習していた。「経営者の方が『いつでも歌いに来ていいよ』って言ってくれて、会社の休み時間は5分でお弁当を済ませて、すぐカラオケ教室に向かい、40分ほど歌の練習をさせてもらいました。そのとき経営者の方が私の歌を録音してくれたテープがきっかけで、デビューすることになったんです」「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月14日育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「愛知県の瀬戸市にある田舎の高校に通っていたんですが、同じクラスに、なぜか名古屋から通っている女子が1人いて。もう、髪形やスカート丈も都会的に映って、まぶしかったんです。放課後に集まる場所ってマック(マクドナルド)しか知らなかったのに、そのコに『ジョン万次郎(バブル時代に出店が相次いだ洋風居酒屋)は?』って言われたときは“ジョン万次郎……?なんだ、それは!?”って、激しいカルチャーショックを受けました。じつは『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を買ったのも、そのオシャレなコのマネをしただけなんです」エッセイスト、女優、お笑いタレントなど、マルチな活躍をしている青木さやかさん(47)が“80年代の思い出の1冊”に挙げたのは、’82年に出版された、林真理子さんのデビュー作。このなかで《できるだけ正直にいろんなことを書こうと思ったのだが、書きすすむうちにあまりのエゲツなさにわれながら悲しくなってしまったことが何度もある》とつづる著者の、モテる女性への妬みやそねみをあけすけにしながら、女性を磨き、恋愛、仕事にも奮闘する姿が描かれたエッセイ集だ。「じっさいに購入したのは、’87年ごろ。当時は高校生だから、男の人との初めてのエッチのときに、電気を消すのか消さないのか、消す場合は誰が消すのかなど、自分より大人の話もあって、読んじゃいけないものを読んでしまっている背徳感もあったり。モテるコに対する嫉妬心みたいな、誰もが持っている性格の悪さを明るく表現していて、すごく共感できました。でも、当時は本の内容よりも、オシャレだから、という理由で、手に入れただけなんです」たしかに目を引くのは、表紙の昭和チックな女性のイラスト画、本の天地や小口が赤く染められ、持っているだけでイケてると思われる、ハイセンスな装丁。青木さんは部屋のインテリアとして、表紙が見える形で本棚に飾っていたとか。「吉本ばななさんの『キッチン』(’88年・福武書店)も、本棚にありましたね。中身はあまり理解できなかったんですが、わからないことが、むしろかっこいい感じがして。後に読むと、ああこんなに心に響く本だったのか、と」もともと、流行に敏感なわけではなかった。学校の教師をしている母親のしつけが厳しいこともあって、小学校時代は“全員集合”も“ひょうきん族”も見せてもらえなかったそう。「芸人になった後、(片岡)鶴太郎さんが『マッチでーす!』ってやってくれて、周りの芸人たちは大興奮するんだけど、私は当時を知らず、初めてなのでリアクションが遅れてしまうんですよね」中学生になり、テレビもやっと自由に見られるようになったころ、はやっていたドラマは『スクール☆ウォーズ』(’84年・TBS系)。「通っていたのは、ドラマと同じように”荒れた中学”で、毎日、どこかでガラスが割れたり、いま考えると意味がわかりませんが、隣の中学が攻めてきたり(笑)。私は字がすごくうまかったものだから、不良のコたちに、まるで親が書いたような体育の欠席届とかを、代筆してあげてたんです。おかげで、カツアゲされたお金を取り返してもらったりしました」「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月07日80年代に誕生したニューバランスのアイコンモデル「574」と90年代のウェービーなデザインから得たインスピレーションを、現代へシフトさせ誕生した次世代のスニーカー「57/40(フィフティセブン/フォーティ)」より、ロマンティックな新色が登場。2月6日よりニューバランス公式オンラインストアおよびニューバランス原宿、大阪にて発売します。プレミアムなスエード、ヌバック、メッシュのアッパーは象徴的な574のデザインDNAに忠実でありながらも、一線を画す存在感を放つ今季デビューしたニューモデル「57/40」。昨年、ニューバランスのアイコンモデルを再構築しモダンにアップデートして誕生した「327」のように、オーバーサイズのNロゴデザインの流れを汲み、新鮮なデザインかつ快適な履き心地を誇ります。目を引く鮮やかなショッキングピンクは、冬から春にかけてマンネリ化しがちなファッションのワンポイントアイテムや、パートナー、家族、友人へのバレンタインプレゼントに最適です。■「57/40」<80s meets ’90s>1980年代半ばに誕生しニューバランスを象徴する最もポピュラーなアイコンのひとつとなった「574」が、1994年に登場したクロストレーニングモデル「650」からインスパイアされたウェービーなデザインと出合い、デザインディテールを大胆に表現。アイコニックな574に現代的なブランディングを施してリミックスし、クラシックなスタイルを現代にシフトさせました。<All-day comfort>ニューバランスの基本のSL-1ラストを採用しスタンダードなフィット感に。快適な履き心地を実現しています。<アイコニックデザインのアップデート>反射材を使った機能的なディテールやサドルなどのヘリテージなデザインをベースにしながら、細かく重なりの多いパーツやウェービーなパターンを取り入れアップデート。2020年登場の「327」から続くオーバーサイズのNロゴが、クラシックから現代へのシフトを表現しています。そしてソールは「574」をベースに現代的にリデザインした2層のミッドソールが特徴。ミッドソール下層は「574」にインスパイアされたシンプルなデザインで、上層は90年代の「650」を彷彿とさせるウェービーなデザインです。■商品概要品番:M5740VD(PINK)価格:1万8,150円(税込)ウィズ/サイズ:D/23.0-29.0,30.0cm販売店舗:ニューバランス公式オンラインストアニューバランス原宿、ニューバランス大阪▼ ニューバランスについてマサチューセッツ州・ボストンに本社を置くニューバランスは、「責任あるリーダーシップを明確に示し、アスリートが誇りを持って身に付け、社員が誇りを持って世に送り、コミュニティが誇りを持って受け入れることのできる、グローバルブランドの確立」を企業のミッションとして掲げています。1906年にアーチサポートインソールや偏平足などを治す矯正靴のメーカーとして誕生したニューバランスは、アスレチックブランドのリーディングカンパニーとして現在ランニングをはじめ、ライフスタイル、テニス、ベースボール、フットボール、ゴルフのためのフットウエアとアパレルを展開しております。ニューバランスの詳細については、をご覧ください。▼ ニューバランス ジャパン公式Twitter @newbalance_jp URL: ▼ ニューバランス公式Instagram @newbalance URL: お問い合わせ先【一般のお客様】株式会社ニューバランス ジャパンお客様相談室 0120-85-0997企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2021年02月06日コンバース(CONVERSE)の「タイムライン(TimeLine)」から新作ユニセックススニーカー「ジャックパーセル 80 J(JACK PURCELL 80 J)」が登場。2021年3月より発売される。80年代「ジャックパーセル」を再現コンバースの過去のアーカイブモデルをアップデートしつつ再現する限定ライン「タイムライン」から、1980年代の「ジャックパーセル」を再現した新作スニーカーがラインナップ。ブラックのスマイルやグリーンのインソール微笑んでいるように見えることから"スマイル"の愛称で親しまれている、つま先にあしらった膨らみのある青のラインや、厚みのあるソールのテープ幅、グリーンと生成りのコンビネーションカラーのインソールなど、1980年代の「ジャックパーセル」を彷彿とさせる。また、アッパーには、紡績から製織まで日本製にこだわる帆布ブランド「富士金梅」のキャンバスを採用。インソールとヒールラベルの下部分に「MADE IN JAPAN」の印字を施し、クラシカルな佇まいに仕上げた。【詳細】新作スニーカー「ジャックパーセル 80 J」発売日:2021年3月価格:19,800円(税込)サイズ:23.0~28.0、29.0cm【問い合わせ先】コンバースインフォメーションセンターTEL:0120-819-217月~金曜日(土日・祝日除く)9:00~18:00
2021年02月04日育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「人生をともに歩んできた音楽には、勇気と夢をもらいました。そのときどきでお気に入りの曲もありますが、人生でずっと聴き続けている“殿堂入り”の曲が、クリスタルキングの『大都会』、少年隊の『仮面舞踏会』、ゴダイゴの『銀河鉄道999』、そして『青い珊瑚礁』です。毎日、この4曲だけ繰り返し聴くだけでも満足なんですが、とくに女性歌手の曲でもある『青い珊瑚礁』は、歌うのも大好きです」当時のシングルレコードを手に語るのは、元バレーボール日本代表の大林素子さん(53)。松田聖子のデビュー2作目である『青い珊瑚礁』は’80年7月にリリース。グリコのアイスクリーム「ヨーレル」のCMソングに起用され、オリコン初登場87位ながら、2カ月かけて2位まで上昇し、ミリオンセラーを記録した。松田聖子をスターダムに押し上げた、初期の代表作である。「幼いころから、アイドルへの憧れが強くて、’70年代は桜田淳子さんファン。“将来は淳子になって、(西城)秀樹と結婚する”って、本気で夢見ていました」そんな少女だったが、幼稚園時代から背が高いことに悩んでいた。「小学校ではクラスの男子から“デカ林”“ジャイアント素子”などと呼ばれたし、大きな体でランドセルを背負う私に、すれ違いざま『でけえ』という大人もいました。だから外遊びは好きじゃなくて、テレビを見る時間が長くなったんですね」夕方に再放送されていたアニメ『アタックNo.1』により、バレーボールでオリンピックに行くことで、いじめた相手を見返そうと決意。中学でバレーボール部に入部したころ、大林さんの前に彗星のごとく現れたのが、松田聖子だ。「当時600円だったレコードには、なかなか手が出せませんでしたが、歌番組や、アイドルが出演して歌うバラエティ番組が週に何回もあったから、聖子ちゃんの歌はつねに聴いていましたね」小柄で、ちょっと甘えたしゃべり方をする聖子は“ぶりっ子”と揶揄されることもあったがーー。「そういうところもうらやましかった。背の高い私が持っていない要素ばかりを持っていたから。当時の私にとって、聖子ちゃんは“会いたい人”というより、むしろ“なりたい人”だったんです」“聖子ちゃんカット”にも、もちろんチャレンジ。「サンリオなどのキャラクターがプリントされた、普通のものよりも厚みがあるクシがものすごくはやって、それで女子は休み時間に髪をとかすんです。私も聖子ちゃんカットにしようとサイドの髪を一生懸命いじるんだけど、ド直毛だから、クシを通した瞬間に、サラサラッて、すぐに真っすぐに戻ってしまって(笑)。あのときほど、クセっ毛の友達をうらやましいと思ったことはありません」「女性自身」2021年2月9日号 掲載
2021年01月31日新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の流行によって家族や友人が気軽に会うことができなくなったアメリカで、80歳の男性の誕生日パーティーが行われました。ニュージャージー州に住むポール・キッセルさんはコロナウイルスの影響で2020年2月からずっと子供や孫に会えていなかったのだそう。そんな彼が10月に80歳の誕生日を迎えたため、家族が集まって誕生日パーティーが開かれました。サプライズプレゼントに80歳のおじいさんが号泣久しぶりに再会した家族と楽しい時間を過ごしたポールさんは上機嫌でレストランを出て行きます。しかしポールさんへの誕生日のお祝いはこのパーティーだけではありませんでした。実は彼の家族がポールさんのためにサプライズプレゼントを用意していたのです。@myfriendscallmerinathe most selfless man in the world. nobody deserves it more! ##surprise ##DialItForward ##DoItBold ##birthday♬ original sound - marinaレストランを出たポールさんの目に飛び込んできたのは、大きなリボンがついた1972年製の『メルセデス・ベンツ 350SL』。驚きと感激でポールさんは思わず泣き出してしまい、それを見た家族ももらい泣きしています。なぜならこのクラシックカーはポールさんが若い頃からずっと憧れていた車なのです。しかし家族を養うために必死で働き続けたポールさんは、この車を所有することはなかったのです。海外メディア『Happily News』によると、そんなポールさんの思いを知っていた彼の妻や息子、孫たちが協力してこの車を見つけ出し、何か月もかけて修復したのだそう。ポールさんの孫のマリナさんが投稿したこの動画は500万回近く再生され、多くのコメントが寄せられています。・おじいさんが泣き始めたとたん、たまらずもらい泣きした。・ハートは年を取らない。おじいさんの心は今でも若い頃と変わらないはずよ。・私のおじいちゃんに会いたくなったわ。動画の説明にはポールさんについて「世界一、無視無欲の男性」と書いてあります。きっと彼は若い頃から家族のためにすべてを捧げてきたのでしょう。そして、そんな彼の姿を家族はいつも見ていたのでしょうね。80歳にしてついに憧れの車を手に入れたポールさん。これからも元気で長生きして、思う存分愛車でドライブを楽しんでほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年11月20日結婚60年目を迎えた80代の夫婦の写真が人々に感動を与えています。アメリカ・ネブラスカ州に暮らす88歳のマーヴィンさんと81歳のルシールさんは1960年に結婚しました。海外メディア『INSIDER』によると、2人はともに教師で、同じ学校で働くうちに恋に落ちたのだそうです。結婚後は3人の子供と6人の孫、4人のひ孫に恵まれました。Posted by Christina Stone Nelms on Friday, August 21, 2020Posted by Christina Stone Nelms on Friday, August 21, 2020ダイヤモンド婚を祝うため、夫婦が選んだ衣装は2020年8月、ルシールさんとマーヴィンさんはダイヤモンド婚を祝うため、記念撮影をすることにしました。そこでルシールさんはあるアイディアを思いつきます。それは結婚式で着た衣装をもう一度着て写真を撮ること。夫婦はそれぞれの衣装を大切に保管していました。マーヴィンさんは当時とほぼ体型が変わっていないため、スーツをそのまま着用。ルシールさんのウエディングドレスはなんと裁縫が得意な彼女が自分で作ったものなのだとか。今回はウエストの部分を少しお直しして着ることにしました。こうして撮影された夫婦の写真がこちらです。Posted by Katie Autry Photography on Thursday, August 20, 2020Posted by Katie Autry Photography on Thursday, August 20, 2020Posted by Katie Autry Photography on Thursday, August 20, 2020Posted by Katie Autry Photography on Thursday, August 20, 2020これらの写真を撮影したフォトグラファーのケイティ・オートリ―さんは、仲むつまじい2人の姿に感動し、幸せな結婚生活を長く続ける秘訣を尋ねたといいます。そして、その答えをFacebookでシェアしました。・一生懸命に働く。・お互いに思いやりを持つ。・話す前に考える。・自分の弱さを克服するために、お互いの強さを頼りにする。・信念を貫く。Katie Autry Photographyーより引用(和訳)Posted by Katie Autry Photography on Thursday, August 20, 2020Posted by Katie Autry Photography on Thursday, August 20, 2020ルシールさんとマーヴィンさんの写真は3千件近くシェアされ、夫婦への祝福のコメントがたくさん寄せられています。60年ぶりにウエディングドレスを着たルシールさんは「私の夫への今の思いは、(結婚式の時に)祭壇の前に立った時と同じです」と語っています。長年の結婚生活は楽しいことばかりではなかったでしょう。しかし見つめ合う夫婦の姿からはお互いへの深い愛情が伝わってきます。結婚60年を経て、笑顔で寄り添う美しい夫婦の姿に多くの人たちが感動しました。[文・構成/grape編集部]
2020年09月25日アルファ インダストリーズ(ALPHA INDUSTRIES)は、「ヴィンテージスウェットシリーズ」を発売。「ヴィンテージスウェットシリーズ」では、70年代のアスレチックトレーニングに使用されていたスウェットをモチーフにしたスウェットシャツやパーカーを展開。フロントにはオーセンティックなロゴを配し、当時を彷彿とさせるミディアムウェイトな裏毛や長めのリブ使いなど随所にこだわりを落とし込んでいる。着込んでいく程に独特の風合いとヴィンテージライクな経年変化が楽しめる。ラインナップは全4型。両脇にリブ編みを施し、ヴィンテージのスポーツウェアのディテールを踏襲したサイドパネル仕様のクルーネックスウェットやラグランスリーブのスウェット、カレッジ風プリントをダイナミックに配したパーカーなどが揃う。袖と裾に長めのリブを配し、ヴィンテージミリタリースタイルのディテールを取り入れたプルパーカーも登場。脇下にはリブハギを挟み込んだリバース風切り替えが採用されている。【詳細】アルファ インダストリーズ「ヴィンテージスウェットシリーズ」発売日:2020年9月10日(木)展開場所:アルファ ショップ 渋谷店、オンラインストア・PRINT VINTAGE 2TONE CREW SWEAT 7,900円+税・PRINT VINTAGE CREW SWEAT RAGLAN SLEEVE 7,900円+税・PRINT VINTAGE 2TONE PULL PARKA 8,900円+税・PRINT VINTAGE PULL PARKA 8,900円+税【問い合わせ先】・アルファ ショップ 渋谷店TEL:03-3400-6555
2020年09月14日プロのファッションモデルのようなセンスのいい着こなしをInstagramで披露する人はたくさんいます。そんなソーシャルメディアは若い世代の人たちだけのものではありません。2020年8月現在、台湾に暮らす80代の夫婦のInstagramが、世界的な人気を博しているのです。83歳のチャン・ワンジーさんと、妻で84歳のシュー・シウウーさんはコインランドリーとクリーニング店を経営しています。ワンジーさんがこの店を始めたのは14歳の時なのだそう。2020年に店は創業70年を迎えるといいます。毎日元気で店に立っている夫婦ですが、長年同じ仕事をしているせいかどうしても退屈してしまうのだとか。そんな祖父母の様子を見た孫のチャン・ルイフーさんは、あるアイディアを思いつき、こう提案しました。おじいちゃん、おばあちゃん、Instagramをしようよ!お客さんの『忘れ物』でファッションコーディネート!夫婦の店には客が忘れていったり、引き取りに来なかったりした洋服が大量に保管されているといいます。そこでルイフーさんは、何年も取りに来ていない洋服でコーディネートしたファッションを2人に着てもらい、その写真をInstagramに載せることにしたのです。 この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月2日午前7時08分PDT「何年も前の服をいかに最新のトレンドファッションのように見せるか」をテーマに、ルイフーさんがあの手この手でコーディネート。するとその斬新な組み合わせと、ワンジーさんとシウウーさんがかもし出す独特の雰囲気が大ヒットしたのです!※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月3日午後9時08分PDT この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月7日午後8時50分PDT この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月16日午後8時53分PDT この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月29日午前5時51分PDTかっこよくポーズをとったり、仲よく見つめ合ったりする姿がとても微笑ましいワンジーさんとシウウーさん。それぞれの写真には2人が着ているアイテムについて「少なくとも20年以上前のスーツ」「10年前のシャツと私物の30年もののスカート」などの説明が付いています。 この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月27日午前6時18分PDT この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月9日午後8時48分PDT2020年6月27日からスタートした夫婦のInstagramは8月15日現在、フォロワーが64万人超え!コメント欄には世界中からワンジーさんとシウウーさんを絶賛する声があふれています。・2人ともすごくスタイリッシュでかっこいい!・あなたたちの大ファンになったわ。超クールね。・いつか年をとったらこんな夫婦になりたいな。 この投稿をInstagramで見る 萬秀的洗衣店|WANT SHOW as young(@wantshowasyoung)がシェアした投稿 - 2020年 7月月25日午前5時54分PDTこれらの投稿には「自分が忘れた服だということに気付いて、持ち主が取りに来てくれるかもしれない」という願いもあるようです。いろいろな服を着てポーズを撮るのを楽しんでいるワンジーさんとシウウーさん。これからも『インスタモデル』として、多くの人たちを笑顔にしてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年08月17日80年代にメリッサ・ウォーマー、90年代にローレン・ホリーとの結婚&離婚歴あり、ジェニー・マッカーシーと5年ほど付き合うも破局、その後交際したメイクアップアーティストの彼女は自殺…と恋愛に関しては辛酸をなめてきたジム・キャリー。そのなかで、「ぼくの人生で大恋愛した人」として挙げたのがレネー・ゼルウィガーだった。ダナ・ヴァションと共同執筆した自身の半自叙伝的小説「Memoirs and Misinformation」(原題)で、明らかにしている。ジムとレネーは2000年公開の『ふたりの男とひとりの女』で共演し、交際をスタート。同年に公開されたジム主演の『グリンチ』、レネー主演の『ベティ・サイズモア』などのレッドカーペットに一緒に登場し、仲睦まじい姿を見せつけるも約1年で破局を迎えている。先日、ハワード・スターンのラジオ番組にリモート出演した際、ハワードが「(2人が)付き合っていたなんて知らなかった」と言わせるほどの短期間であった。ハワードが「本の中でレネーのことを『ぼくの人生で大恋愛した人』って言っているけど…」とジムに尋ねると、ジムは「間違いなくそう。彼女はぼくにとって特別だった。本当に特別。愛らしい人なんだ」と認めた。とは言え、復縁を求めているわけではないという。「そんなシチュエーションではないよ。ただ、過去にとても大切な関係があったことを言いたかったのと、改めて実感したかっただけなんだ」と語った。(Hiromi Kaku)
2020年07月17日映画『LETO -レト-』が、2020年7月24日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。ボウイ&イギーポップなど80年代ロックの名曲が彩る青春バイオグラフィ第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、<カンヌ・サウンドトラック賞最優秀作曲家賞>を受賞した映画『LETO -レト-』。80年代文化統制下のソ連・レニングラードを舞台に、デヴィッド・ボウイ「すべての若き野郎ども」やイギー・ポップ「パッセンジャー」、T・レックス「Broken Hearted Blues」など、70~80年代のロックシーンを代表する名曲で彩る青春映画だ。物語のモデルとなったのは、ロシアの伝説的バンド「キノ」のヴォーカルであるヴィクトル・ツォイと、彼の音楽的才能を見出したロックシンガーのマイク・ナウメンコ、その妻ナターシャの3人。規制の中で“自由”と“音楽”を追い求めた若者達が、ロックスターたちの名曲を次々とカバー。まるでミュージカルのようなユニークな映像で展開される。監督は、前衛的な芸術家キリル・セレブレンニコフ。無実の容疑で国に拘束され、現在もロシア政府の監視下に置かれる自宅軟禁中に本作を完成させている。ストーリーときは1980年代前半。西側諸国(資本主義諸国)の文化は禁忌とされていたソ連時代のレニングラードでは、L・ツェッペリンや T・レックスなど西側のロックスターの影響を受けたアンダーグラウンド・ロックが花開こうとしていた。その最前線で人気を博していたバンド「ズーパーク」のリーダーであるマイクのもとにある日、ロックスターを夢見るヴィクトルが訪ねてくる。彼の才能を見出したマイクは、共に音楽活動を行うようになるが、その一方で、マイクの妻ナターシャとヴィクトルの間には淡い恋心が芽生え始めていた…。【詳細】『LETO -レト-』公開日:2020年7月24日(金)監督:キリル・セレブレンニコフキャスト:ユ・テオ、イリーナ・ストラシェンバウム、ローマン・ビールィク配給:キノフィルムズ/木下グループ
2020年06月29日大人女子の恋人になりやすいのはどのくらいの年齢の男性なのでしょうか。一般的な年齢の傾向とそのくらいの年齢が選ばれる理由について紹介するので、相手探しのときの参考にしてください。選ばれる年齢は二つに分かれる大人女子と恋人になって付き合っている男性の年齢は大きく二つに分けることができます。一つ目に挙げられるのが同世代で、女性と同い年か一、二歳低い程度というのが一般的です。二つ目は女性の方の年齢に関係なく、男性の年齢として20歳から24歳くらいになっています。この二つの年齢層がどうして大人女子と付き合っているケースとして典型的なのでしょうか。同世代はやはり付き合いやすい大人女子と付き合っている同世代の男性が多いのは、やはり同世代は付き合いやすいという考え方があるからです。年上で大人っぽい女性が好きという男性も、あまり歳が離れてしまうのが嫌だと感じたり、周囲からの目を考えると年齢的に近い方が良いと考えたりすることがよくあります。大人女子の立場から見ても特に年下好きではないということも多いため、互いの意見が一致して同世代で付き合っているというケースは多いのです。大人女子への憧れがある若い男性20代前半の若い男性が大人女子と付き合っているケースが目立つのは、このくらいの年齢になると年上の女性に興味を持つことがよくあるからです。親元を離れて大学生や社会人として生活するようになり、母とも離れ離れになってしまいます。男性は母親に対して愛情を持っている傾向が強く、離れてしまったことで母性のある女性と親しくなりたいという気持ちが強まります。結果として包容力があって母性に溢れている大人女子が好きになり、恋人にしたいとアプローチすることが多くなっているのです。30代以上の男性は大人女子を好まない?年上好きの大人女子にとっては同世代や20台前半の男性しか恋人にできる可能性はないのかというのが悩みになってしまうかもしれません。実際には30代以上であっても大人女子と付き合っている男性はいます。全体的な傾向としては年齢の割には中身が幼かったり、少し頼りないところがあったりするのが特徴です。そんな男性でも目にかけて世話をしてくれるような大人女子は高い年齢層の男性とも上手に付き合っています。大人女子の恋人は若い男性が多い結論としては大人女子の恋人としては同世代かやや下、あるいは20代前半の男性が多くなっています。年上の雰囲気を持っている女性を好きそうな男性をまずはこのくらいの年齢層から探してアプローチしてみるのが大切です。同世代はいつでもターゲットにできるので安心して良いとも言えるでしょう。
2020年06月17日レッド ヴァレンティノ(REDValentino)の2020年フォールコレクションが発表された。80年代、90年代のカルチャーから着想今シーズンは、エキセントリックで自由奔放な魅力にあふれる80年代イギリスのクラブシーンと、パンクの美を再定義した90年代アメリカのライオット・ガールからインスピレーションを得たコレクションを展開。80年代、90年代を懐かしむノスタルジックなものではなく、過去を称賛しつつモダンにアップデートした新しいクリエーションを創り上げている。ロマンティック×パンクで力強いフェミニティを主張ベースにあるのはレッド ヴァレンティノが得意とするフェミニンでロマンティックな雰囲気。そこにアンダーグラウンドなミュージックカルチャーから着想したハードなムードをプラスすることで、力強いフェミニティを主張する。フリルをあしらったボリューミーなフロックコートには、大胆なレオパードプリントのストッキングを合わせて。ふんわりとしたスリーブのチュールブラウスには、ダメージ加工を施したケミカルウォッシュのマイクロショートパンツを組み合わせている。流れるようなフォルムのラッフルが目を惹くワンショルダーのチェック柄ワンピースには、エンジニアブーツを添えた。エキセントリックなカラーパレットカラーパレットは、ナイトシーンを彷彿とさせるブラックを基調に、華やかなアクセントを加えるヴィヴィッドピンクやレッド、グリーンなど。鮮烈な色彩が入り交じり、力強く自由なムードを開花させていく。存在感溢れるバッグ&シューズエキセントリックな雰囲気を盛り上げるのに一役買っているのがバッグなどのアクセサリー類。ボディの周りにフリルをあしらったシグネチャーバッグ「ロックラッフル バッグ」には、大きなXLバージョンが仲間入り。その他にも、メタリックな輝きを放つスタースタッズを散りばめたバケットバッグなど、存在感溢れるアイテムが揃う。足元はエンジニアブーツをはじめ、ブラック×ホワイトのコントラストを効かせた厚底ソールのスニーカーや、ロマンティックなリボン付きミュール、レースディテールがセンシュアルなスリングバックシューズなどが彩る。
2020年05月24日BABY-G(ベイビージー)の新作腕時計「80’s ビーチカラーズ(Beach Colors)」が2020年5月22日(金)に発売される。「80’s ビーチカラーズ」は、夏の開放的な雰囲気をイメージした80年代風のポップな配色を施した腕時計。ミントグリーンやパステルピンク、イエロー、ホワイトと、明るいカラーを揃える。フェイスには、ヤシの木とビーチの夕焼けをレトロなパステルカラーでデザインし、ノスタルジックなムードに仕上げている。また、防水機能など機能性にも注目。落下した時でも突出したベゼル全体が衝撃を緩和する耐衝撃構造や、太陽光だけでなく蛍光灯などの光も動力にする「タフソーラー」充電システムなどを搭載した多機能ウオッチとなっている。【詳細】BABY-G「80’s ビーチカラーズ」発売日:2020年5月22日(金)価格:9,500円+税機能:耐衝撃構造、タフソーラー、防水機能、電波受信機能等【問い合わせ先】カシオ計算機お客様サービスTEL:03-5334-4869
2020年05月17日アディダス(adidas)とNIGOが手掛ける「ヒューマンメイド(HUMAN MADE®)」が、コラボレーションライン「SUPERSTAR 80s HUMAN MADE®」を発表、4月24日より発売される。「SUPERSTAR 80s HUMAN MADE®」3モデルから構成される本コレクションは、アイコニックなスーパースター(SUPERSTAR)の要素と、NIGO®が手掛ける「HUMANMADE®」のスピリットを融合させることで、定番のスタイルに遊び心を取り入れたデザインに。「SUPERSTAR80s HUMAN MADE(FY0728)」(1万7,000円)80年代のヒップホップシーンにおいて、レジェンドたちに誇り高く着用されたことにより、不朽の名作となったアディダス オリジナルス(adidas Originals)の「スーパースター(SUPERSTAR)」。50周年を迎えた今でも、多くの人に愛されている定番のフットウェアだ。「SUPERSTAR 80s HUMAN MADE(FY0730)」(1万7,000円)「SUPERSTAR 80s HUMAN MADE(FY0729)」(1万7,000円)バックステイに施されたブランドロゴにも注目!スーバースターの50周年の記念としてもふさわしい、NIGOとのコラボコレクション。ブランドのファンやコレクターはもちろん、ちょっと差がつく定番アイテムを取り入れたい人も、ぜひチェックしてみて。主な取り扱い店舗は、アディダスオリジナルスフラッグシップストアトウキョウをはじめ、全国のアディダスオリジナルスショップやアディダスブランドコアストア、アディダスオンラインショップ()にて。なお、店舗により取扱品番が異なるため、各店にて要確認。
2020年04月17日「80kcalシリーズ」の新商品株式会社ブルボンの「80kcalシリーズ」に、新商品「十六穀のパウンドケーキ」が仲間入り。2020年4月7日(火)より、全国のスーパーマーケット、量販店、ドラッグストアなどで発売される。高い満足感でたったの80kcal「ダイエットしたいけど、間食もやめられない。」そんな女性をサポートするブルボンの「80kcalシリーズ」は、1包装あたりを80kcalに抑えながら、味と満足感に妥協しない商品だ。今回発売される待望の新商品「十六穀のパウンドケーキ」は、キヌアやもち麦など16種類の穀物を練り込んだ、身体が喜ぶパウンドケーキ。水溶性食物繊維を配合し、1個あたり0.9gの食物繊維を摂ることができる。しっとりとした生地と優しい甘さにもこだわっている。選べるラインナップ現在発売されている「80kcalシリーズ」のラインナップは3種類。まずは天然酵母種を発酵してサクサクに焼き上げた「天然酵母のクラッカー」。野生の酵母と植物性乳酸菌を元にした天然酵母種をじっくり丁寧に発酵させた、素朴な味わいを楽しめる。続いて玄米、大麦、黒大豆、あわ、きびの五穀を混ぜ込んだ「五穀のビスケット」。いずれも日本人に馴染みのある素材のため、どこか懐かしさを感じる味だ。最後に豆乳クリームをサクサクのウエハースでサンドした「豆乳のウエハース」。素朴なきな粉風味のウエハースと、大豆のおいしさが濃縮されたクリームの相性が抜群だ。いずれも1包装あたり80kcalに抑えられている。(画像はプレスリリースより)【参考】※株式会社ブルボンのプレスリリース※ブルボン公式サイト
2020年04月05日複数のサプリメントが1つの袋に株式会社ファンケルは、「年代別サプリメントシリーズ」をリニューアルし、2020年4月に先行発売する。同シリーズは、性別と年代別に最適な複数のサプリメントを1回分の個包装にした製品だ。多くの種類のサプリメントがある中で、自分の性別と年代に不足しがちな成分や最適な組み合わせが分からないという不満を解消する。今回、コンセプトはそのままに配合成分を見直した。パッケージは、性別に合わせて水色とピンクで色分け。20代30代と最適な年代が大きくプリントされており、より視認性がよくなるようにデザインも変更されている。スマートフォンの使用頻度に合わせた新配合20代向けには、仕事も私生活も充実したい男性に、「亜鉛」などを新配合し活動的な毎日をサポート。忙しくても綺麗でいたい女性には、「HTCコラーゲン」と不足しがちな「鉄&葉酸」を組み合わせた。ミネラルやビタミンは男女共通で配合。欠食が多く乱れがちな栄養バランスをサポートする。また、20代30代40代と共通して、「ブルーベリー」を新配合。スマートフォンの使用頻度の高い世代に対し、見る健康もサポートする。さらに、50代60代には、男性用に「山芋&亜鉛&ビタミンD」を新配合し、健康と活力をサポート。女性用には、美容と健康に配慮し、「大豆イソフラボン&コラーゲン&カルシウム」を新配合した。(画像はプレスリリースより)【参考】※ファンケルニュースリリース
2020年03月31日コンバース(CONVERSE)から、「ジャックパーセル クラシックス(JACK PURCELL CLASSICS)」をアップデートした新作ユニセックススニーカー「ジャックパーセル(JACK PURCELL) CLA RH」が登場。2020年3月13日(金)より、ホワイトアトリエ バイ コンバース、コンバース トウキョウ、コンバース スターズなど直営店限定で発売される。コンバースの「ジャックパーセル CLA RH」は、1988年に発売された「ジャックパーセル クラシックス」をベースに、現代的に進化させた新作シューズ。ふっくらとしたフォーム入りの履き口など、当時のディテールを再現したクラシカルなスタイルに、軽量性、安定性、反発性、通気性を向上させた高機能カップインソール「REACT HD」を搭載している。カラーはクラシックな佇まいが引き立つホワイトが基調。「ジャックパーセル」のアイコニックなつま先の“スマイル”に赤をポイント使いすることで、アクセントを加えている。【詳細】「ジャックパーセル CLA RH」発売日:2020年3月13日(金)価格:7,500円+税サイズ:22.5~28.0、29.0cm販売店舗:ホワイトアトリエ バイ コンバース 原宿店、吉祥寺店、コンバース トウキョウ、コンバース スターズ、コンバース公式オンラインショップ【問い合わせ先】コンバースインフォメーションセンターTEL:0120-819-217 月~金曜日(土日・祝日除く)9:00~18:00
2020年03月02日多くのファンに愛される「炎のコバケン」。指揮者の小林研一郎が4月に満80歳(傘寿)を迎える。これを祝う記念プロジェクト「マエストロ小林研一郎80th祝祭演奏会」についての会見が開かれ、マエストロ自ら意気込みや抱負を語った(1月28日・東京文化会館内)。【チケット情報はこちら】小林は会見冒頭、今年の大相撲初場所で33歳にして初優勝を果たした徳勝龍の「もう33歳ではなく、まだ33歳」という発言を引き、「私も同じ気持ち。80歳を迎え、そこからまたもうひとつ輝く世界、80歳の階段を登りつめたときに見える景色に期待しながら、そしてオーケストラという、とてつもない才能の集団の方々に、何か新しい光のようなものを(示す)、そのために作曲家の行間のうちを相当勉強しなければならないと思っています」と、変わらぬ真摯さで音楽に向き合う姿勢を語った。プロジェクトは3つのコンサート企画から構成され、すでに昨年9月、「VOL.1 ハンガリー放送交響楽団 日本公演」でスタートしている。そしていよいよ80歳イヤーの今年開催されるのが、4月のサントリーホールでの「VOL.2 チャイコフスキー交響曲 全曲チクルス」(管弦楽:日本フィル)と、11月の東京芸術劇場での「VOL.3 ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団 日本ツアー」。チャイコフスキーは小林が得意とする作曲家のひとり。最近では2013~2015年にロンドン・フィルとスタジオ録音した交響曲全集が大きな話題となった。小林が「命綱」と形容する強い絆で結ばれた日本フィルとともに演奏する今回は、5日間にわたって、もちろん《マンフレッド交響曲》も含めて全曲を網羅する完全版。公演2日目の4月9日が80歳のバースデー当日だ。チャイコフスキーは今年生誕180年なので「80年」つながりでもある。「チャイコフスキーの持っているペシミスティックな、あるいは救いようのない苦しみの世界。その苦しみの大叙事詩をお見せできたら、今までとまったく違うチャイコフスキー観が生まれるかもしれない」と小林。ハンガリー国立フィルとの共演歴も長い。1974年、小林が世界へ羽ばたくきっかけとなったブダペスト国際指揮者コンクールのホスト・オーケストラだったから(当時「ハンガリー国立交響楽団」)、すでに45年以上の付き合いだ。「彼らと新しいことをやる時には、なぜかいつもこの曲」というマーラーの交響曲第2番《復活》(ソプラノ:市原愛、アルト:山下牧子、合唱:東京音楽大学)や、ベートーヴェンの交響曲第7番などを演奏する。「炎のコバケン」という呼び名には恥じらいを感じるという小林。燃え上がるのではなく、自身は冷静に、むしろ炎に水をかけているのだと、独特の言い方で表現したが、いずれにしても「老いては益々壮(さか)んなるべし」。そのベースの炎の勢いは、80歳を迎えてなお、まったく衰えることはなさそうだ。取材・文:宮本明
2020年01月30日