韓国人の夫と国際結婚をしたあゆみさん。3回の流産後、44歳で自然妊娠した体験をマンガで紹介します。2人の子どもを育てながら、40代で妊活をスタートし、紆余曲折を経て自然妊娠をしたときのお話です。あゆみさんは流産後に、今度は妊娠を確認するために、かかりつけの産院を訪れました。すると無事に妊娠していることがわかって安心したものの、医師や役所の担当者など周りは流産を心配するばかり。なんだか妊娠を歓迎されていないような気持ちになってしまいます。あゆみさんは、かんしゃくを起こす子ども、友だちと連日遊びに出かける夫にも、妊婦である自分に対するやさしさが感じられずイライラしてしまいます。そんなとき、心理学講座の先生から、ネガティブな思いを否定せず、すべては胎児に委ねればいいという言葉をかけられ、少し心が軽くなりました。 そしていよいよ、赤ちゃんの心拍を確認する日がやってきました。 どっちでも大丈夫! ※40~44歳の流産率は、自然妊娠の場合が約51%、体外受精で妊娠した場合が約40%という報告があります。(不妊治療情報センター「i-wish.ママになりたい」Vol.61より) 「妊娠するまでの準備はすべてやった。だからあとは胎児に委ねるだけ……」 先生と話しながら、もし流産という結果になったとしても、覚悟はできていることに気付いたあゆみさん。「どっちでも大丈夫!」という気持ちを持てるようになり、少し心が軽くなりました。そして迎えた病院に行く日。心拍確認の日です。胎児に委ねると決めていても、やはり不安になるあゆみさん。 「はい、では見ていきますね」恐る恐るエコー画面を見ると……!? 「心拍……あった!」 しっかりと心拍が確認できました。大きな壁を1つ乗り越えた気がして、そして「胎児に委ねる」と決めたことで、前よりも穏やかでいられるようになりました。妊娠9週の健診日、病院へ行くと、心拍もあり、赤ちゃんが大きくなっているのがわかりました。ひとまず大きな不安からは解放されたあゆみさん。3年も帰っていなかった日本へ帰ろうかなと考えたのでした。 自分のことをよく知る先生から「準備はすべてやった」と言われ、また、寄り添った言葉をもらえたことで、あゆみさんはネガティブな感情も受け入れられるようになったようです。久しぶりの実家で心身ともにリラックスして過ごせるといいですね。 監修者:医師 三鷹レディースクリニック院長 天神尚子 先生 著者:マンガ家・イラストレーター あゆみん
2023年05月15日韓国人の夫と国際結婚をしたあゆみさん。3回の流産後、44歳で自然妊娠した体験をマンガで紹介します。2児を育てながら、40代でも可能性がゼロではない限り頑張りたい! そんな想いから妊活をスタートして紆余曲折を経て自然妊娠をしたときのお話です。流産後にまたかかりつけの産院を訪れました。妊娠を確認するためにやってきたのです。不安を抱えて産婦人科に足を運んだあゆみさんでしたが、無事に妊娠していることがわかって安心しました。しかし、予想はしていたものの、医師や役所の担当者など周りは流産を心配するばかりで、なんだか妊娠を歓迎されていないような気持ちに。 そして、家でも連日友だちと遊びに行ってしまう夫にイライラが募ります。だんだん感情のコントロールがきかなくなってしまったあゆみさんは……。 思うようにいかなくてイライラ… 赤ちゃんが自分のもとへやってきてくれたのはうれしいはずなのに、流産しないかなど、妊娠のことが不安で憂うつになってしまうあゆみさん。さらに、家にいると息子が大声でかんしゃくを起こし、夫は連日友だちとビリヤード……。誰にもやさしくしてもらえない現実に、あゆみさんはイライラしてしまいます。 「やさしくしろ! もうお前の子ども産まないぞ!」感情がうまくコントロールできず、ちょっとしたことで涙が出てしまいます。 あみさんは不安な気持ちを、受講している心理学の講座の先生に聞いてもらいました。そこで先生からかけられたのは「だれに何を言われようが胎児が決める。私が決めるんじゃない」という言葉でした。 不安で憂うつだったあゆみさんですが、素直な気持ちを相談できる相手がいるのは心強いですね。相談してからは、「人間だから不安になって当たり前だ」と思えるようになって、随分気持ちがラクになったのだそうです。妊娠中は誰しも不安になることがあると思いますが、そんなときは家族をはじめ、かかりつけの産院の医師や助産師さんなどに自分の気持ちを話してみると良さそうですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター あゆみん
2023年05月13日韓国人の夫と国際結婚をしたあゆみさん。3回の流産後、44歳で自然妊娠した体験をマンガで紹介します。2児を育てるあゆみさんが、40代でも可能性がゼロではない限り頑張りたい! そんな想いから妊活をスタートして紆余曲折を経て自然妊娠をしたときのお話です。韓国在住のあゆみさん。ある日、通い慣れた産婦人科にやってきました。このときあゆみさんは44歳。なぜ産婦人科を訪れたかというと……!? またこの反応… ※40~44歳の流産率は、自然妊娠の場合が約51%、体外受精で妊娠した場合が約40%という報告があります。(不妊治療情報センター「i-wish.ママになりたい」Vol.61より) 前回の妊娠は流産してしまったあゆみさん。手術からまだそこまで長い時間が経っているわけではありませんでしたが、通い慣れた産婦人科の前にいました。 実は、妊娠の兆候があったので、診察を受けるために来たのです。しかし、受付で驚かれ、担当医さえも、なんだか歓迎していない口ぶり。 それでも、「赤ちゃんが子宮にいてくれますように……」という祈りが通じたのか、あゆみさんの子宮の中には小さな命が宿っていました。 さっそくその足で役所に妊娠証明書を取りに行きますが、担当者からも「もしかして妊娠したんですか?」と驚かれてしまい、あゆみさんは「またこの反応……」と思わず苦笑いしてしまうのでした。 医師や役所の方たちの言った何気ない「一応」「とりあえず」「もしかして」などのひと言ひと言は、流産したばかりのあゆみさんのことを心配をして思わず出てしまった言葉なのかもしれません。けれども、あゆみさんが悲しくなってしまうのも理解できます。自分のひと言や反応が相手を傷つけてしまうこともあるということは、いつも気に留めておきたいですね。 監修者:医師 三鷹レディースクリニック院長 天神尚子 先生 著者:マンガ家・イラストレーター あゆみん
2023年05月12日次男を妊娠したばかりのころのことです。私は次男の妊娠がわかってすぐ、義母に妊娠の報告をしました。以前から2人目が欲しいということを義母にも話していたので、義母は喜んでくれて、義父や義妹にも伝えてくれました。するとその後、ご近所の男性に「2人目できたんだってね~。おめでとう」と声をかけられたのです。さらに夫は会社の同僚から祝福されたと言います。安定期まで家族以外の人に報告するつもりはなかったので戸惑う私。夫が同僚に、誰から聞いたのかと問いただすと……?義母に妊娠を報告私が次男を妊娠したのは、長男が2歳のとき。もともと子どもは2人欲しいと思っており、義母にもそのことを伝えていたため、妊娠がわかってすぐ報告しました。義母も喜んでくれて、すぐに義父や義妹にも伝えてくれた様子。 すると、義母に妊娠を報告した5日後、私が長男と2人で近所を散歩していると、近隣に住んでいる高齢の男性に「2人目できたんだってね〜。おめでとう〜」と声をかけられました。私は「なんで知っているの!?」と驚きましたが、その男性は義父と知り合いであるため、すぐに義父が言ったのだとわかりました。 まさか会社でも…!?私はどちらかというと慎重な性格で、安定期に入るまでは家族以外の人に妊娠の報告をするつもりはありませんでした。そのため、義父が勝手に近所の人に妊娠したことを伝えたことに、私はすごく腹立たしい気持ちになりました。 さらに、義母に妊娠報告をした1週間後のこと、夫が職場の同僚に「2人目できたんだって? おめでとう〜」と言われたそう。誰から聞いたか問いただすと、やはり犯人は義父でした。義父と夫は同じ会社に勤めており、社内の人にも妊娠したことを言い歩いているようでした。 義母に相談したところ近所だけでなく会社でも言い歩いていることを知り、私は義母に「まだ安定期じゃないし、何があるかわからないので、近所の人や会社の人には言わないでほしかったんです……」と相談しました。すると義母は「お父さん、そんなにいろんな人に言ってるの? 知らなくてごめん! 怒っとくからね!」と言ってくれました。 後日、義母に用事があったため義実家へ行くと義父もおり、「〇〇(私の名前)ちゃん、ごめんね。また孫ができるのがうれしくて、ついつい言っちゃって……」と反省している様子。義父も悪気があって言ったわけじゃないことがわかったので、「できれば安定期になってから報告したいので、これ以上は言わないでもらえると助かります」と伝えると、義父も納得してくれた様子でした。 夫の会社や近所の人に、勝手に妊娠報告をされた事実は正直腹が立ちます。しかし孫の誕生を楽しみにしている義父の気持ちは理解できます。前もって、「家族以外の人には安定期に入るまで言わないでください」と伝えておけば義父も言わなかったと思います。「言わないだろう」ではなく、きちんと自分の意思を伝えておくことが重要だと感じた出来事でした。 著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2023年05月04日人それぞれ考え方は違うはずなのに、自分の考えを押し付けキツイ一言を投げてくる人っていますよね。 今回は、妊娠がわかったあとも頑張って働こうとしていた人に、無神経な言葉を投げかける先輩のエピソードを紹介します。妊娠が発覚したら…。5年前、結婚して1年ほどで私の妊娠が発覚しました。その時一緒にパートで働いていた友達がいたんです。私の妊娠が発覚し、これから仕事をどうするのかと聞かれたときに「続ける」と答えたら「子どもは?」と聞いてきました。なんの迷いもなく「仕事は産休取った後にまた続けていきたいです」と答えました。「子どもが可哀想」すると友達は「子どもが可哀想」と。何が可哀想なのか理解できませんでした。育児方針は人それぞれなのも理解しているつもりです。なのに、自分の考えを押し付けて哀れんだ目で「可哀想」はないんじゃないかと思いました。イラっとしましたが、その場は濁しました。その後、転職して縁が切れたのでスッキリしています。(30代/女性)考えを押し付けないで仕事がしたい気持ちも、子どもを大切にしたいという気持ちも大切にしたいですよね。それなのに自分の考えを押し付け、心無い言葉を投げかけてくる無神経な人にはがっかりしてしまいます。周りの言葉に負けず、ぜひとも育児と仕事の両立頑張ってほしいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。
2023年05月01日自然妊娠したくてもできない……。多嚢胞性卵巣症候群で排卵ができない状態から、自然妊娠をするまでを描く漫画家おかゆ(@o_____0o0ky)さん。今回は、そんなおかゆさんの漫画『PCOSだった私が自然妊娠に至るまで#4』を紹介します!※こちらのお話はあくまでもおかゆさん個人の体験談です。【前回までのあらすじ】多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)で排卵していなかったおかゆさん。しかし、最終的には自然妊娠し、お子さんを出産できたようで……。結婚前、妊娠を望んでいたおかゆさんは、処方されていたピルの服用を止めます。すると、生理が3ヶ月も来なくなります。病院に行くと、医師から「排卵してない」と言われ……。医師から説明され……根本的な治療法がない……?医師からの提案は……医師からホルモン剤を飲むよう提案されたおかゆさん。ホルモン剤を飲むことで、おかゆさんの症状は良くなるのでしょうか……。
2023年04月17日自然妊娠したくてもできない……。多嚢胞性卵巣症候群で排卵ができない状態から、自然妊娠をするまでを描く漫画家おかゆ(@o_____0o0ky)さん。今回は、そんなおかゆさんの漫画『PCOSだった私が自然妊娠に至るまで#3』を紹介します!※こちらのお話はあくまでもおかゆさん個人の体験談です。【前回までのあらすじ】多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)で排卵していなかったおかゆさん。しかし、最終的には自然妊娠し、お子さんを出産できたようで……。結婚前、妊娠を望んでいたおかゆさんは、処方されていたピルの服用を止めます。すると、生理が3ヶ月も来なくなり、病院に向かい……。病院に行き……エコーしてもらうと……?排卵できていない……!?病院で診てもらった結果、排卵していないことが判明したおかゆさん。妊娠を希望するおかゆさんは、今後どうしていくのでしょうか……?
2023年04月16日自然妊娠したくてもできない……。多嚢胞性卵巣症候群で排卵ができない状態から、自然妊娠をするまでを描く漫画家おかゆ(@o_____0o0ky)さん。今回は、そんなおかゆさんの漫画『PCOSだった私が自然妊娠に至るまで#2』を紹介します!※こちらのお話はあくまでもおかゆさん個人の体験談です。【前回までのあらすじ】多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)で排卵していなかったおかゆさん。しかし、最終的には自然妊娠し、お子さんを出産できたようで……。話は結婚前に遡り……服用を止めると……?3ヶ月も生理がこない……!ピルの服用をやめたおかゆさん。すると、3ヶ月も生理がこなくなり、病院に行くことに……。すると、医師から排卵していないと告げられ……!?
2023年04月15日「自然に妊娠したいけど……。」排卵がしにくいという症状の多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)。漫画家おかゆ(@o_____0o0ky)さんもPCOSの症状を持つ女性のうちの一人だったそう。今回は、そんなおかゆさんの漫画『PCOSだった私が自然妊娠に至るまで#1』を紹介します!多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)で排卵していない状態だったおかゆさん。自然妊娠は難しいと思っていたものの……?※こちらのお話はあくまでもおかゆさん個人の体験談です。おかゆさんは出産し……奇跡的に自然妊娠し……妊活中の方に向けて……多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)だったものの、自然妊娠で出産されたおかゆさん。おかゆさんが妊娠・出産に至るまで、一体どんな苦労があったのでしょうか……?
2023年04月14日4回の出産を経験した私ですが、妊娠のたびにおしりのトラブルに悩まされました。恥ずかしさと、忙しさとで病院にも行けず、市販薬でごまかしていましたが、とうとう痛みに耐えられなくなり……。もっと早く対処しておけばよかったおしりトラブルの体験談です。★関連記事:「おしりに違和感?」もうすぐ臨月なのにおしりにイボが爆誕!? #年末年始痔になった話 1トラブルの初めは妊娠から私のおしりトラブルは長男を妊娠したときから始まりました。妊婦検診でおしりに違和感があることを先生に伝えると、「妊婦さんは痔になりやすいから、お薬出しておきますね」と塗り薬をもらいました。そのときは症状も軽く、いつの間にか痛みも治まったのですが、やはり2人目の妊娠中も痛くなりまた薬をもらうことに……。育児の忙しさに自分の時間もなく、痛みもいつの間にか忘れていました。2人目から9年たって久しぶりに3人目を妊娠すると、またもやおしりに違和感を感じました。まさかの4人目に3人目は逆子で緊急帝王切開だったため、力むこともなく、おしりもあまり痛くなることもなくよかったと思っていました。それから4年後、40歳間近で4人目を妊娠。妊娠中は少し違和感があったものの、薬を塗っておけば普通に生活できるくらいでした。しかし、あらかじめ帝王切開の日時が決まっていたのに急に陣痛が来てしまい、緊急手術に。私の地獄は術後から始まりました。おしりの違和感は帝王切開後、痛みへと変化してしまったのです。麻酔が切れて、帝王切開後のおなかの痛みとおしりの痛みがダブルパンチ。痛み止めを飲みましたが、横になっても座っても痛くて眠れませんでした。思い切って病院へ退院してからもおしりの痛みは続き、まともに座れず、出世届を出しに車に乗ったら振動で冷や汗をかいたことを覚えています。それからはまた育児の忙しさに自分の時間も取れず、市販薬でなんとか乗り切ろうと日々を過ごしていました。ところがある日、とうとう便器が真っ赤に……。びっくりして、もう限界を感じ外科胃腸科の病院へ行きました。そこで手術ができる肛門外科を紹介され、その病院へかかることに。手術しないといけないレベルということで、夫に相談。すると、まさかの夫も痔持ちだったらしく、「痛みはわかるから手術すれば?」と言ってくれたのです。まとめ4人の子育てで忙しい毎日ですが、おしりの痛みには耐えられませんでした。入院中、夫や母の助けもあり、無事手術も終わりました。今ではあの痛みがうそのようです。手術をしたことでおなかの調子もよくなり、体重も落ちました。恥ずかしさもありましたが、それよりも痛みから解放されて本当によかったと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。イラスト/村澤綾香著者/松田 みさと(42歳)長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年04月12日まさかのタイミングで発覚した事実には、驚いてしまいますよね。もしも入籍前に妊娠が発覚したとき、その報告に周囲はどういう反応をするか気になってしまうことも……。今回は、され妻つきこ(@saredumatsukiko)さんの大人気クイズシリーズ【デリカシー皆無ママ友】の中から、話の展開を予想していただく「漫画クイズ」をお届けします!・漫画家名:され妻つきこ・原作:さおりさん(つきこのInstagramから応募)・漫画:あミン(@aminw001)妊娠発覚!3つ年上の彼氏と同棲するさおりさん。ある日さおりさんの妊娠が発覚し、2人は幸せの絶頂にいましたが……?両親へ報告すると……ここでクイズです!この後さおりさんは、自分の友人たちへ妊娠報告をします。その際に幼馴染の1人から“衝撃的な言葉”を言われますが、それは一体どんな内容でしょうか?ヒントは、発言した友人のデリカシーを疑ってしまうような言葉です……。友人の言葉とは……?正解は「順番を間違えちゃったんじゃない?」数日後、この発言をした幼馴染も“デキ婚”することを笑顔で告げられたさおりさん。それから彼女は、ことあるごとに幼馴染からデリカシーのない発言やマウントを取られるようになるのでした……。こんなときどうする?人にデリカシーのない言葉をかけられたとき、相手の意図を考えてしまいモヤっとしますよね。今回のさおりさんは、幼馴染からのデリカシーのない発言に引っかかりながらも、冷静に反応しました。あなただったら、こんなときどう対処しますか?(MOREDOOR編集部)(イラスト/あミン様)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年03月18日私が元夫と離婚したのはDVが原因です。妊娠中にも繰り返される暴力、ひどいときは首を絞められて気を失ったこともありました。離婚を選択する度胸も生活力もなく、精神的にも元夫に依存していた状態だったので、「私は一生、この人と暴力と一緒に生きていくんだ」と思っていました。ですが、娘が生まれて心境が一変! ここでは、妊娠から離婚を決意するまでの私の体験をお話しします。DV彼氏との間に子どもを授かり、結婚当時19歳だった私は、同棲中の彼氏(元夫)との間に子どもを授かりました。子どもを授かる前から殴る蹴るなどの暴力や、包丁を持ち出しての脅し、携帯電話や眼鏡を壊されるということがあったので結婚に不安はありました。 しかし、陽性の妊娠検査薬を見てうれし泣きしている彼氏を見て、子どもを授かった喜びのほうが勝ってしまったのです。そして、その姿を見て「子どももできたし、結婚もするし、暴力も終わるだろう」そんな期待を持っていました。 結婚しても出産してもなくならない暴力ですが、やはり元夫は簡単には変わりませんでした。妊娠初期のころはまったくなくなっていた暴力も、徐々に手を上げられるようになったのです。でも「子どもにとって父親がいないのはかわいそう。子どもが生まれたら暴力も終わるだろう」⋯⋯そう考えて離婚は選択肢にも上がっていませんでした。 毎日元夫の顔色をうかがい、私はこの人がいなくなったらだめになる、元夫も私がいなくなったらだめになる、そう思い込んでいました。そして子どもが生まれましたが、やっぱり暴力はなくならなかったのです。 こんな父親、子どもにとって必要?私はだんだんと、「子どもが大きくなって、パパがママを殴っている姿を見るのは悪影響じゃないか」「子どもにまで手を上げるようになったらどうしよう」と考えるようになりました。そのうち、「暴力を振るう父親はいらないんじゃないか」という結論に至ったのです。 そのとき、子どもは生後2カ月。離婚するなら子どもの記憶に残る前がいいと思いました。離婚までの計画を練り、元夫をなんとか言葉巧みに説得し、2週間後には離婚届を出しました。 離婚後の心境とその後の生活離婚してすぐは「やっと解放された!」という気持ちより、この先、子どもをひとりでちゃんと育て上げられるのか、子どもが片親ということで寂しさを感じるかもしれない……という不安のほうが大きかったです。 ですが、元夫の顔色をうかがう必要がなくなり、私自身よく笑うようになりました。子どもも元気にすくすく育ち、現在は中学生です。私を気づかっての言葉かもしれませんが、「ママがいっつもいてくれるから別に寂しくない」と言ってくれたりもします。 子どもが生まれたことでやっと目が覚め、DV夫と離婚することができました。今は毎日娘と笑顔で過ごすことができていますが、離婚前や離婚したばかりのころはこんなに明るい未来は想像できませんでした。こうして、娘との穏やかな毎日を過ごすことができ、あのときの私の選択は間違っていなかったと胸を張って言うことができます。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな12歳女の子と2歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2023年01月20日妻の気持ちを思いやることができず、身勝手な行動をとる最低な夫っていますよね…。 ときには反撃に出ることが必要かも!?今回は実際に募集した、「ダメ夫に制裁を下したエピソード」をお届けします。浮気の代償は…?夫が出張先で女性と浮気をしていました。私は妊娠中で…一番大変なときにそのようなことがあったため大変落ち込みました。出典:lamire友人に相談をすると「浮気とかありえない!本当に腹立つからスキンヘッドにしてしまえ!」との回答が(笑)私もイライラしていたので、誠意を見せてもらうため、夫にスキンヘッド命令を出しました。すると夫は「何でもするので許してください」と、スキンヘッドに。髪が生えてきたころには、私の怒りも収まっていました。(女性/会社員)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?普段は頼りがいのある旦那さんでも、こういったエピソードが1つや2つありそうですよね!以上、夫の失敗談エピソードでした。次回の「夫の失敗談エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2023年01月14日私は、結婚してから5年以上たっても自然妊娠に恵まれませんでした。そのため、30代になったことをきっかけに不妊治療をスタート。36歳のとき、体外受精でめでたく第1子を授かったのです。元々2人以上子どもが欲しいと思っていたので、第2子も検討したいところでしたが産後の夫婦生活は皆無。仕事と育児の両立の中、夜の生活まで考えられない私はある決断をしました。★関連記事:「拒否し続けると夫の機嫌が悪くなる…」夫婦生活はどこで?どうする?【体験談】子育ても夫婦仲も順調だけど…私は結婚してからもなかなか自然妊娠に恵まれることがありませんでした。気付けば結婚から早くも5年の月日が……。30代にも差し掛かりそろそろ焦りも出てきたころ、思い切って体外授精に挑むことにしました。かなりの覚悟を決めて挑んだ体外受精でしたが、結果、見事の第1子を妊娠。その後も妊娠生活は順調に進み、無事出産を迎えることができました。しかし、初めての育児は思っていた以上に慣れないことが多く、赤ちゃんのお世話だけで疲れ果てる日々。夫は子どもと遊ぶことだけは率先してやってくれたので、少し偏りはありましたが、育児の分担はスムーズにできていました。「出産後は意見の食い違いで夫婦仲が悪くなる」 という話を聞いていましたが、うちには当てはまらなかったようでした。そんな夫と私の関係ですが、一つだけ変化がありました。それは産後にセックスレスになったことです。私は慣れない育児に加え、寝不足の毎日。心身ともに疲労困憊(ひろうこんぱい)状態で、とても夫婦生活をする気分にはなれませんでした。そんな私の姿を見てなのか、夫から誘われることもなく……。その後もお互いにそんな雰囲気になることはなく、育児に励む日々が続きました。第2子は欲しいけど夫婦生活はない第1子の出産から1年弱。子どもが成長し子育てにも少し慣れてきたことで、私も心身ともに少しずつ余裕が出てきました。そこで考え始めたのが、第2子のことでした。このときすでに37歳だった私は「第2子を望むなら早めに動きださなきゃ!」と思いました。しかし、夫婦生活に変化はなくセックスレスの状態も続いたまま。レスの状態が長かったこともあり「できればこのまましなくてもいいかな……」と思うほどでした。また、夫からのアクションも特になかったので「もしかしたら夫も同じ気持ちなのかも?」とも考えていました。ただ、妊娠自体は望んでいたので、そのジレンマに悩まされるようになりました。夫にも相談しようと思ったのですが、改めて夫婦生活について話すのもどこか照れくさくてできず……。また、夫にすぐ相談しなかったのにはもう一つ理由がありました。それは、1人目の不妊治療の際に採取した受精卵が残っていたこと。第2子も体外受精で授かるという選択肢があったのです。もちろん、絶対に妊娠できるという確証がないことは理解しています。ですが、1人目を体外受精で妊娠したので、正直安心感や期待値が高くなっていたのも事実です。そして何よりも「子どもは欲しいけど、無理に夫婦生活はしなくない」という私たち夫婦の気持ちに適した方法だと思ったのです。体外受精のみでの妊活を決意!それからもしばらく悩みましたが、私の中では体外受精で妊活をしようという気持ちが固まりつつありました。年齢的にも、今から自然妊娠に臨む期間を設けるより、妊娠できる可能性が高い体外受精に望みを賭けたいと思ったのです。さらに、ちょうど不妊治療が保険適用になったことも体外受精での妊活を後押しする要因になりました。金銭的負担も以前ほどではないことが予想されたたことも決断に至った大きなポイントです。そして意を決し、夫に相談。「そう考えたのなら、俺もそのほうがいいと思う」と、あっさり了承を得ることができました。セックスレスという状況は「夫婦にとって好ましくないのでは……」と悩む時期もありましたが、夫の反応を見てホッとしたことを今でも覚えています。実際、わが家はレスということ以外は、何も問題がありません。むしろ、したくないことを強要するほうが夫婦仲に亀裂が生じてしまうのではないか、とも思います。第1子のときは「自然妊娠できなかった……」とどこか自分を責めてしまうところもありましたが、今は「体外受精をしていてよかったな」と思えるようになりました。第1子のときの採卵でたくさん卵子が取れたため、受精卵は残り5つあります。この受精卵を使いきるまでに妊娠しなければ、第2子は諦めようかとも思っています。どのような結果になるかわかりませんが、これから私たち夫婦ならではの方法で第2子の妊活を頑張っていきたいです。まとめ第1子を妊活していたときには思いませんでしたが、夫はそもそも夫婦生活に積極的なタイプではなかったのかもしれません。一般的には「レス=夫婦仲が悪い」というイメージが強いと思いますが、今回自分が当事者になってみて、必ずしも夫婦仲とレスは結びつくものではないんだなと実感しました。妊娠するためにはセックスをしなければならないことに間違いはありません。しかし、行為自体を苦痛に感じている人もいるのではないかと思います。私たちのように、初めから体外受精をするという決断は、夫婦仲を保つ方法の一つでもあるんだなと実感した出来事になりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ささきなみ(37歳)体力の衰えを感じ、年齢に抗うなにかを始めようと摸索中のアラフォーです。趣味はキャンプ。自然の中で飲むお酒を楽しみに日々を頑張っています。健康や夫婦生活についてなど、アラフォー世代の気になる体験談を執筆中です。
2023年01月08日妊娠中、赤ちゃんの「性別」について、悩んだことがありました。それは周囲からの言葉が大きな原因でした。妊娠中、家族からの期待にプレッシャーを感じ、さらに夫の想定外の発言に追い詰められて……。妊娠中、周りから「女の子」を期待され…… ※訂正:(誤)今日の検診→(正)今日の健診 誤解のないようお伝えしておくと、義両親はとてもいい人たちで、大好きです! ただ、初めての妊娠で私もナーバスになっており、「性別問題」には心を痛めました。わが子は、男の子でも女の子でも最高にかわいいです! 監修/助産師 松田玲子著者:きりぷちアラフォー夫婦、3歳の息子の3人家族。最初で最後の高齢育児、心に残った大切な瞬間を漫画にしています。
2023年01月06日私は8歳の長男と6歳の次男、そして4歳の三男の3人の子どもを育てています。にぎやかな日々を楽しく過ごしていますが、実は3人目を妊娠したときに、産むかどうしようかかなり悩んでしまったのです。葛藤した当時の体験談をお話しします。4歳と2歳の育児に追われる日々当時4歳のわんぱくな長男と2歳の泣き虫な次男の子育てに追われる日々の中、仕事復帰をした私。そんなときに予想外の妊娠をしました。当時の私は家事や育児、仕事の両立でメンタルがギリギリの状態でした。 こんな私に子どもを3人も育てられるのだろうか? また、経済的不安もあり、人工妊娠中絶も考えてしまいます。夫に相談したところ、できれば産んでほしいが最終的には私が決めてという返答だったので、中絶について調べるとともに、同じ悩みを抱えている人がいるのでは?とインターネットで探しました。 同じ悩みを持つ人が意外に多かった…3人目の妊娠についていろいろと調べているうちに、意外にも同じような悩みを抱えている人が多くいることがわかりました。その中で、人工妊娠中絶が可能な病院自体、少ないことを知ったのです。そのときの私は3人目を育てる自信をなくしていたので、近くで人工妊娠中絶ができる病院があるか、電話で問い合わせて見つけました。 いざ病院に行くと、先生は中絶を希望する理由などは聞かず、「まだ手術をするには早いから、次回までにどうするか決めてきてね」と言いました。私にもう一度考え直す時間を与えるかのような先生の対応により、私の中で何かが変わっていったような気がしました。 自分を見つめ直して考え方を改めた先生が何かを察してくれたかのように感じた私は、考え方を改めてみようと思いました。私の場合は、そのときの現状でいっぱいいっぱいとなっていることから、新たな子育てへの不安を感じていたのです。そこで、家事などもう少し手を抜けるところは抜くことにしました。 また、きょうだいも2人より3人いたほうがうれしいのではないかと思えるようになり、経済的な不安については働きながら節約できるところはするなど、どうにかなるだろうと考え、私は「産もう」と決意しました。このことから、いろいろな物事に対して、今だけではなく先のことも考えながら行動するようになりました。 無事に三男も生まれてきてくれ、現在は、3人で仲良く遊んでいる姿がよく見られます。次男も三男のお世話をよくしてくれるようになり、私は大変どころか上の子に大変助けられています。手を抜くところは抜いて、子どもたちと向き合って過ごすことの大切さを実感しました。そして3人の子どもたちと楽しく過ごしている今、産むという決断をしてよかったと思っています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/シュー子著者:太田 ゆみ小2、年長、年中の男の子3兄弟のママ。フルタイム勤務で働きながらブロガーとして暮らしやキャンプ記事を執筆中。
2022年12月31日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 作画/ぐら子監修/助産師 松田玲子著者:伊藤あいり3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年11月21日妊娠がわかり、義母や義父に報告をしたときのお話です。私には3人の子どもがいますが、妊娠したときの反応は毎回なぜか出産することを反対するような言い方なのです。同じ母親として疑問を抱くほどの発言をされ、不信感が募ってしまった体験談をお話しします。妊娠判明! 実父母は喜んでくれました最初の妊娠はまだ夫と結婚をしておらず、「できちゃった婚」になりました。実父母に赤ちゃんができたことを話すと、自分のことのように喜んでくれたので一安心。冬に妊娠したこともあり、「これから寒くなるからしっかり温めないと!」とか、「無理しちゃダメよ」と気遣ってくれました。両親から受ける愛情の深さに、初めての妊娠でもあまり不安を感じずに過ごせそうな気がしました。 義母に報告したときの衝撃のひと言私の両親が喜んでくれていたので、同じように喜んでくれると思って義母にも報告をしました。しかし妊娠したことを伝えたときの義母のひと言は、「堕ろしなさい」だったのです。その言葉のあとに続いたのが「私も昔、堕ろしたことがあるけれど、早いうちなら体に害がないから大丈夫よ」という言葉。信じられない言葉にショックを受け、何も言えなくなった私に、義母は淡々と堕ろす手順を話し始めたのでした。 夫とはまだ結婚をしていませんでしたが、これから入籍し、産んで育てていきたいと思って2人で報告に行ったのに、まさか「堕ろせ」と言われるとは思いませんでした。私が妊娠したとき、夫はまだ社会人になったばかりで、試用期間中でした。義母は夫の仕事が続くかもわからないので、そんな状態で赤ちゃんを育てていけるのかと心配だったこともあると思います。しかしいきなりの想定外の言葉に、夫も私も戸惑いを隠せませんでした。 義母を説得してくれた夫私も夫も赤ちゃんを産んで育てていきたいと強く思っていました。義母に本当に育てていけるのか? と問われ、「何があっても俺が守る!」と最終的に夫が義母を説得してくれたのです。私は初めての妊娠で不安だらけでしたが、そのとき「この人となら赤ちゃんを育てていける」と確信しました。しかし、義母は赤ちゃんが生まれるまでは人間として見てくれないのではないだろうか……と不安になったときのことが今でも忘れられません。 現在、そのときの子どもは4歳になり、その下に2人子どもが生まれて毎日とても幸せです。4歳でもしっかりお姉ちゃんをしている娘を見て、あのとき義母に従わず堕胎しなくてよかったと心から思っています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2022年11月14日日常では何かと困ってしまうような出来事も多いかもしれませんが、“周りの人の助けによってスカッと解決できた”なんてこともあるのではないでしょうか。そこで今回は、実際に募集した感謝のスカッとエピソードをご紹介します!妊婦の私に救いの声が…妊娠中の話です。私は20代後半で第一子を妊娠したのですが、幸い妊娠中の体調トラブルもほとんどなかったため、臨月まで仕事をしていました。職場は自宅の最寄り駅から15分ほどのところで、電車に乗るときはいつもドア付近に立っていました。というのも、席が空いていないときに席を譲ってもらうなど気を遣っていただくのが申し訳ないと思ったからです。それでも、声を掛けられて席を譲っていただいたことが何度かありました。そんなある日、仕事帰りにお腹が張ってしまい、電車の中で立っているのがきついときがありました。席を探しましたがいつも混雑する路線なので、優先席も埋まっていました。仕方なく、優先席の前に行き「誰か譲ってもらえると嬉しいな…」と思いながら立っていたのですが…。なかなか譲ってもらえず「しょうがない、一度下車してベンチで休憩するか…」と思った矢先、少し離れた席から少年が来て、「どうぞ!こっちに座ってください!」と言ってくれました。わざわざ少し離れた席から声を掛けてくれて、思わず嬉し涙が出ました。(女性/パート)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?困っているときに周りの人が助けてくれると、とてもありがたいですよね。同じように、誰かが困っているときは助けてあげられるような人になれたらいいなと思いました。以上、スカッと体験談でした。次回の「スカッと体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年11月09日高齢妊婦だった私は、妊娠6週2日に絨毛膜下血腫(じゅうもうまくかけっしゅ)と切迫流産の診断を受けました。しかし産科医から安静の指示はなく、私は通常通り勤務していました。勤務中もいわゆる「茶おり」と言われる出血があり、何度も不安になりました。切迫流産であったころを振り返り、私の後悔をお伝えしたいと思います。 絨毛膜下血腫で流産の危険病院で妊娠が判明してから、茶色の出血が2~3日に1度ありました。絨毛膜下血腫があり、このまま血腫が自然に体内へ吸収されれば問題ないと医師から言われました。しかし、妊娠7週目に胎児の心拍が確認できてからも出血は続いたのです。 そこで医師からは止血剤が処方されましたが、医師いわく、止血剤は気休め程度であるとのこと。流産する可能性もあると説明を受け、私は出血するたびに仕事後に通院し、エコーにて胎嚢を確認しました。腹痛もあり、歩くのもつらい状態でした。 切迫流産なのに安静指示が出ない!あまりにも不安で体調も悪いので、仕事を休みたいから診断書を書いてほしいと私は医師に頼んだのですが、医師は日本産婦人科学会が出しているガイドラインの冊子を私に見せてくれました。ガイドラインには、「切迫流産に対して安静療法が有効な治療であるというエビデンスはない」ということが書かれていました。 医師いわく、「医師により考えや方針はいろいろあるが、切迫流産の場合、安静にしていても流産するときはする」ということでした。そのため、診断書は書けないと言われたのです。 心身共につらい日々を乗り越えてもともと生真面目な性格で仕事を休んだことがない私は、なかなか自分で仕事を休むという選択ができませんでした。毎日出勤し、勤務中に出血してはトイレで涙を流していました。精神的にも肉体的にもつらかったです。 なんとか妊娠10週目を迎え、ようやく母子健康手帳をもらいに行けたときは本当にうれしかったことを覚えています。通っていた産婦人科はお産を扱っていなかったのでこの時点で総合病院へ転院することになりました。 妊娠期間中、1日も仕事を休むことはありませんでした。無事に出産しましたが、子どもの愛らしい顔を見ていると、この子のことを第一に考え、どうして休むという選択をしなかったんだろうと思っています。もし流産していたら、もっと後悔していたことでしょう。赤ちゃんの命を守れるのは母親の自分だけなので、自身の体調が悪ければ仕事を休み、体を休め心穏やかに過ごすことが大事だと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ著者:きのもとりんこ0歳女の子の1児の母。看護師資格保有。自身の妊娠や育児の体験談を中心に執筆している。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年10月31日1男を育てるペンコさん。2人目のお子さんを望んでいたところ、ある日、妊娠検査薬で陽性反応が! 夫婦で大喜びし、後日産婦人科を受診すると、異所性妊娠(子宮外妊娠)の疑いがあることを告げられたのです。「一個人の経験談ではありますが、日常的には話しづらい内容だからこそ、マンガにして発信する意味があるのかもしれないと思っています」というペンコさんの体験マンガ。ぜひご覧ください。※マスクをしている場面でもマスクは省略しています。※手術、流産を含むお話です。つらい気持ちになられる方は閲覧にご注意ください。 妊娠検査薬で陽性反応が出たペンコさん。赤ちゃんが確認できるであろう妊娠6週目あたりに産婦人科を受診しましたが、子宮内を映すモニターには何も映らず、その後の受診で「異所性妊娠」の可能性が高いことを告げられました。すぐに大病院へ搬送⇒手術となったのですが、術後の検査で「子宮外妊娠ではなく、卵巣にあったのは腫瘍だった」と判明。その後、「胞状奇胎」という病気であることが確定し、hCGの値を定期的に確認していく日々が始まったのです。 この「若いから大丈夫でしょう」とおっしゃった先生を強く非難したいわけではもちろんありません。今までの経験から言ってくださったのかもしれません。実際、同じ言葉をほかの場面でも聞きました(言い方にもよるのかもしれません)。 でも正直「本当に大丈夫なのか? 大丈夫と言い切れるのか」「若い……若いのか?」と思わずにはいられませんでした。 「大丈夫、なんとかなるさ!」と前向きに考えようとする気持ちと、不安な気持ち。仕事復帰のことなども考えると、不安な気持ちを拭うことはなかなかできませんでした。 胞状奇胎の治療が始まったものの、1歳の長男をかかえるペンコさんには「預け先」という問題がのしかかりました。大病院での長時間の待ち時間に付き合わせることはできない、そもそもコロナ禍で付き添いが許されてないということで、実家のお母さんを頼ることにしたそうです。 また、メンタル的な不安も抱えていました。それは、医師からこの後の妊娠について「若いから大丈夫でしょう」と言われたこと。実際そういうデータがあるのかもしれませんし、励まそうとしてくれているのかもしれませんが、卵管を1つ取っていること、順調にいっても、次に妊活を始めるころには30代になっていることから、とても焦っていたペンコさん。医師の「大丈夫」という言葉も、素直に受け止めることはできなかったのです。 この段階では特に治療という治療はなく、できることは何もないということもあり、心だけが焦ってしまいますよね。「この先、赤ちゃんがちゃんときてくれるかなんて誰にもわからないのに、大丈夫なんて軽々しく言わないでほしい」――きっとペンコさんはそう思われたのでしょう。医師という専門的な立場の人の言葉はとても重いもの。言葉の端々まで、その意味を重く捉えてしまいますね。 ※この漫画は実話に基づいた体験談であり、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※異所性妊娠(子宮外妊娠)とは:受精卵が子宮内膜以外の場所に着床することを「異所性妊娠」と言います。異所性妊娠では、受精卵が卵管に着床するケースがほとんどで、卵管自体が破裂してしまうことがあります。卵管破裂になると大出血が起こり、激痛に襲われ、緊急の手術が必要です。異所性妊娠は、最初のうちは正常妊娠と変わりなく経過するため、自分ではなかなか異常に気付きませんし、妊娠検査薬でも正常妊娠と変わらない反応が出ます。そのため、妊娠に気づいたら早めに産婦人科を受診し、子宮の中に胎嚢があるかを確認することが必要です。 監修/助産師 REIKO ペンコさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター ペンコアラサーで1児の母。育児絵日記やイラストエッセイを描いています!よく食べよく寝る人。テキトー人間だけど変なところを気にします。
2022年10月21日私が長男を妊娠中のころのお話です。妊娠初期を過ぎて体調が落ち着いた妊娠5カ月ごろ、病院で性別を確認してもらうことができました。義母に早く報告したくて、私はウキウキしながら性別を伝えました。すると、義母から信じられないことを言われたのです……!!妊娠5カ月で、性別が判明!私が長男を妊娠中のころのエピソードです。妊娠5カ月のころ、病院で性別を確認してもらうことができました。その日の夜、義母に早く報告したくてウキウキしながら会いに行きました。義父母にとっては初孫です。孫の誕生をとても楽しみにしてくれていたため、義母に性別を早く報告したかったのです。 「お義母さん、性別わかりましたよ!」と私が言うと、「ほんと??」と義母。私は、「はい! え~と、男の子です!」と言いました。すると義母は……。 義母の反応に絶句「え、ほんと?」とまた聞き返すのです。 私は「はい! 男の子でしたよ」と再度伝えました。すると今度は、義母は「えー、なんで?? やだ私は女の子かと思ってたー。女の子がよかったのにー!!!」と言ったのです。 私は思わず絶句してしまいました……。義母は「どうした?」とよくわかっていない様子。けれども私はしばらく絶句したままでした。 あれから13年…本当にショックすぎて、言われた瞬間も、帰りもずっと無言でした。夫はその会話は聞いていなかったようで「どうしたの?」とずっと聞いてきていましたが、私は放心状態。帰って泣きながら夫に話しました。そのあと夫が義母に怒りの電話をしたようですが、私は13年たった今もまだ忘れられません。 男の子でも女の子でも、一緒に喜んでもらえると思っていたので、思ってもいない言葉をかけられショックが大きかったです。 もう、義母は覚えていないかもしれませんが、きっとわたしは一生忘れられないと思います。義母はそこまで深く考えて発言したわけではないと思いますが、私のように深く傷つくこともあるのだなあと実感。特に妊娠中や産後の状態はセンシティブになっている時期でもあります。このことを教訓として、私も発言には気をつけたいと思った出来事でした。 著者:虎ママ13歳、9歳の2人の息子の母です。今現在反抗期真っ只中の中2男子と、小3男子の子育てに毎日奮闘しています。
2022年10月14日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!圧がすごい…第一子を妊娠中だった頃の、私の誕生日の出来事です。誕生日当日に、突然、義母から自宅にプレゼントが送られてきました。中身は菜箸とおたまと計量カップ、そして布巾だったのですが…。奥の方に、義母からの手紙も添えられていたのです。喜んで開いてみると…「息子のためにも、子どもが産まれても家事は手を抜かないように」と書いてありました。出典:lamireしかも、その後にダメ押しで、メールでも同じ内容のメッセージが届きました。初めての出産を控えた私には、かなりのプレッシャーでした。(女性/パート)事前に伝えたのに!新築の家への引越しを、私の両親と義両親が手伝ってくれました。シンクは、使う前に、水垢防止のスプレーをどうしてもしておきたいと考えていました。もちろん、両親、義両親にも事前に伝えていました。それなのに、当日になって「する必要がない。してどうなるのか。」などと言いながら、義両親にシンクを先に使われたのです。私は夫に訴えましたが、彼も手に負えず…諦めるしかありませんでした。仕方なく、そのあとに綺麗に拭き上げ、スプレーをしました。それを見ていた義母が、「すごい撥水力があるのね。最初にすればよかったね。」と、わざとらしく言ってきて、とても腹が立ちました。(女性/主婦)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。子どものためにも適度な距離を保ちながら、いい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブルエピソードでした。次回の「義実家トラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年09月21日私は4回出産を経験しましたが、妊娠中や産後に身内に不幸があり、葬儀がおこなわれることがありました。まさかの出産予定日直前に夫の祖母が亡くなり、臨月の状態で葬儀への参列をどうするべきか悩んだことも。また、次男が生後2カ月のときには義父が他界。小さい子どもを連れて葬儀に参列することになったのですが……。ここでは、妊娠中や産後に葬儀があった際、私がどのように対応したのかをお話しします。まさかの出産予定日に葬儀が……私は長女の出産予定日1週間前に、2歳の長男を連れて実家に帰っていました。すると、実家に帰って2日後に夫の祖母が危篤という連絡がありました。今動くべきか悩みましたが、夫はもちろん、私まで本当にかわいがってもらっていたので、どうしても会いたくて病院へ行くことに。その後、義祖母は息を引き取り、まさかの出産予定日に葬儀が執りおこなわれることが決まりました。 義両親や親戚も、私が臨月ということは知っていたので、無理に参列しなくてもいいと言っていただきました。ただ、本当にお世話になった義祖母と最後のあいさつがしたいという気持ちがあり、夫や母と相談することに。 お通夜だけ参列することに夫は義祖母にとっては初孫で長男ということもあり、本当にかわいがられていました。その義祖母をきちんとお見送りしたい気持ちと、私に何かあったらすぐに動かないといけないことから、臨月の私には安静にしておいてほしいと夫から言われました。 けれど、私も最後に会いたいと言うと、お通夜だけということで話がまとまったのです。おなかの大きい私はなんとか入るサイズの黒い服を探し出し、長男を連れて、母と一緒にお通夜へ。ただ、本当に義祖母にあいさつだけをして、短い時間で帰ることにしました。 出産予定日より1週間遅れて出産結局、出産予定日当日に陣痛は来ず。その後、祖母の初七日が終わった1週間後に陣痛が来ました。長男は夫の実家にあずけ、長女を出産。義祖母のことが一段落するタイミングだったので、夫も無事出産に立ち会うことができました。あのとき無理に動いてお葬式まで参列していたら周りに迷惑をかけていたかもしれないと思うと、あの判断は間違っていなかったと思います。 それから時が経ち、次男を授かり出産。次男が生後2カ月のときに義父が亡くなり、葬儀がありました。私はもう動ける状態だったので、長男の妻としてバタバタしながら、次男への授乳やお世話をして本当に大変でした。 妊娠中や、小さい子どもを連れての葬儀は本当に大変です。特に妊娠中となると、地域によっては風習があり、生まれてくる子どもに影響があるかもと心配されることもあります。私の場合は運良く4回とも家で陣痛が始まりましたが、急な葬儀の対応なども含め、妊娠中は自分の体調を考え、ベストな状態を整えておくことが大事だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月18日皆さんは家で動物を飼っていますか?ペットと一緒に生活していると、こちらが予想もつかないような面白い行動をすることもあるのではないでしょうか。そこで今回は、実際に募集した「ペットに関する体験談」をご紹介します!本気で怒ったワンコ私が妊娠中の頃、胎動が激しい時期に実家のチワワが私の膝の上に座っていました。そのときにちょうど激しい胎動がポコポコなり、チワワがびっくりして逃げていきました。そのあとに遠くからこちらを伺っている感じで何度も吠えてきました。多分、私が叩いたと思い怒って吠えたのだと思います。顔が本気だったので…とても可愛くて大爆笑しました。(女性/主婦)くるくる回ってバンッ!うちの愛犬のコーギーは、コーギーらしく興奮しやすい性格です。若い頃はそうでもなかったのですが、ある時期から、散歩中、他の犬を見ると吠えるようになってしまいました。その日も、散歩していたら、ゴールデンレトリーバーちゃんと遭遇し、いつものように興奮して吠えながらくるくる回っていたら、そばにあった看板に激突しました。出典:lamireゴールデンレトリーバーの飼い主さんは驚いて、「大丈夫ですか?」と声をかけてきましたので、「大丈夫です」と返事しましたが、そんなことは初めてだったので、私もびっくりしました。今でも、このおバカエピソードは家族の笑いの種になっています。(女性/ライター見習い)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?ペットと暮らしていると、ハプニングはつきもの。今後もよりよい関係で、一緒に楽しく生活していきたいものですね!以上、「ペットに関する体験談」でした。次回の「ペットに関する体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年09月12日私は4人の子どもを育てていますが、下の3人の妊娠中はにおいつわりで苦しい思いをしました。私は妊娠すると嗅覚が異常に鋭くなるらしく、今まで大丈夫だったほとんどすべてのにおいで気持ち悪くなってしまいます。そしてその状態は出産まで続くのですが、周りの人にはなかなか理解してもらえず、妊娠中は耐えて耐えての毎日でした。そのときの体験談をお話しします。※コロナ禍前の体験談です。 こんなにおいまでダメになる一番ダメだったにおいが排水溝のにおいで、一番キツいのがお風呂タイムでした。お風呂に入るたびに吐きそうになりながら、鼻息を止めて上の子をお風呂に入れる毎日。シャンプーや洗濯の洗剤、柔軟剤、ソープ類など何から何までダメになり、大好きだった香水やアロマオイルなどのにおいも受け付けなくなりました。 また、玄関を開けて家に入ったときのにおいでさえ気持ち悪くなるくらい、追い詰められていた時期もあります。洗剤やシャンプーに関しては、2人目の妊娠時にいろいろ試して大丈夫な物を見つけられたのが救いでした。 同居ゆえのつらさ自分たちが使う物はなんとかできるのですが、義父母の発するにおいはどうしようもなく、このことでかなりつらさを増していました。義母の洗濯の洗剤や柔軟剤のにおいが強烈で、部屋のほうまで漂ってきて地獄でした。 また、キッチンを共有しているので、そこでの洗剤や義母が洗ったタオルの柔軟剤のにおいが手を拭いただけで付き、具合が悪くなっていました。幸い、食べ物のにおいはわりと平気だったので、料理はできたのが救いかなとは思います。 私がとったせめてもの対策家の中のにおいが基本的に無理なので、体力と相談しながら出かけるようにしていました。家のお風呂以外は不思議と大丈夫だったので、温泉や自分の実家に行ったときには、束の間のにおいからの解放を味わったものです。 また妊娠中でも使用できる薄めたアロマオイルをスプレーしたりして、不快なにおいをごまかしたり、マスクをしたりもしました。他にもドラマを観たり、友人とおしゃべりをしたりして気をそらすことも効果的でした。 においつわりは目に見えにくいので、苦しいのは自分だけで、周りからは理解されにくいのがつらいところだと思います。今さらですが、もっと自分とおなかの赤ちゃんが快適に暮らせるように、家族にお願いしてもよかったのかなとも思います。妊娠中は無理をしたり我慢したりするよりも、工夫することが大事だと思った体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKOイラスト/キヨ著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年09月08日妊娠当時、看護師だった私。体力勝負である一方、女性が多く、妊娠に対する職場の理解は良好です。しかし、私は妊娠してもなお、まだまだ仕事が一番でした。とはいえ、第一線で仕事を続けたくても、妊娠中はすべての仕事を今まで通りに続けることはできません。優先順位の変化が受け入れられなかった矢先に起こった「つわり」、そして「切迫早産」。働く妊婦として揺れ動いた当時の気持ちを振り返りました。※コロナ禍前の体験談です 妊娠判明! 喜びの一方で……私は妊娠当時、手術室の看護師として勤務していました。放射線下での治療、何時間にも及ぶ手術の介助や救急対応など特殊な現場での仕事です。安定期に入ってから周囲へ妊娠報告される方も多いかもしれませんが、こういった仕事柄、妊娠が判明してすぐに職場へ報告する必要があります。 私も妊娠8週で判明してすぐに報告をしましたが、女性が多い職種のため理解はよかったものの、できない仕事が多くなってしまったため、申し訳なく不甲斐ない気持ちでいっぱいに。当時、まだまだ仕事を頑張りたかった私にとって、妊娠は単に喜ばしいことではありませんでした。 妊娠10週目にやってきたつわり妊娠10週目、ついにつわりがやってきました。仕事中のにおいが特にダメになり、手術室勤務の私には致命的でした。ただでさえ職場に気を遣ってもらっているのに、これ以上迷惑をかけたくない気持ちでいっぱいに……。つわりの原因はまだ解明されていないと言いますが、一部には精神的な要因もあると考えられています。 出勤しても何もできない私を見兼ね、上司から傷病手当を提案され取得することにしました。この休暇は、私にとってようやく落ち着いておなかの赤ちゃんのことを考えるいい機会となりました。 妊娠25週に起きたのは切迫早産休暇から復帰後は、自身を気遣いながら仕事ができました。とはいえ、立ったり座ったりと動き回る仕事です。妊娠25週目ごろより頻繁におなかの張りを感じていました。案の定、切迫早産と診断され、おなかの張りを抑える「ウテメリン」を内服しながら仕事を続けました。 そんなある日の仕事中、10分毎におなかの張りを感じ、すぐに産婦人科を受診すると即入院。そこからは24時間点滴とベッド上での安静の日々が始まります。もちろん仕事は休職。しかし、職場の仲間がたびたび面会に来てくれたことで、申し訳ない気持ちとは裏腹に、より一層自分の体とおなかの赤ちゃんへ気持ちを向けられました。 のんびりしすぎて生まれたのは妊娠41週24時間点滴から次第に内服に切り替わり、妊娠35週ごろようやく退院できることになりました。退院後も自宅安静指示だったので、正期産にあたる妊娠37週まで実家に甘えたゴロゴロ生活。いよいよ妊娠37週、安静指示が解かれ、今度は「どんどん動いて」と言われました。 真夏の臨月。17kgも太ってしまった私は、体が重く筋力も弱ってしまい、15分ほどの犬の散歩で息切れ。挙句に妊娠41週を迎えてもまったく生まれる気配がなく、分娩誘発の入院予約をも入れる始末。しかし、この日の健診で子宮口を刺激されたのが功を奏したのでしょうか。同日夕方ようやく陣痛が始まり、無事に元気な赤ちゃんを出産できました。 仕事をしながらの妊娠や出産はいまや多くの方が経験していることだと思います。仕事が一番だった私ですが、妊娠トラブルを経験したことで、人のやさしさに触れ、おなかの赤ちゃんの大切さに気づけました。できれば経験したくないトラブルでしたが、大事なことを気づかせてくれた、いい思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/市田スナオ著者:川口ゆう5歳男の子の母。看護師・保健師・助産師資格を取得。現在は夫の駐在のため、海外在住。自身の経験をもとに、育児・医療などをテーマに執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年07月28日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたのです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。日頃から除雪をこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気がつかないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分は補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産そして、無事に出産。出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気づかなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:浦松あや1児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2022年06月19日第二子不妊治療を始めてから約3年の時を経て、2人目を妊娠した私。妊娠が判明したとき、長女は4歳で不妊治療にも付き添ってくれていたため、赤ちゃんがおなかにきてくれたことを一緒に喜んでくれました。ところが、妊娠判明から1カ月経ったころに長女の様子が変わり始め……。やっと赤ちゃんがきてくれた!長女が1歳2カ月のころからスタートした第二子不妊治療。第一子不妊治療のときに、「顕微受精でないと妊娠は難しいでしょう」 と先生に言われていた私。けれど、奇跡的に3回目の人工授精で長女を授かったため、2人目も治療をすれば1年くらいで授かるだろうと安易に考えていました。 ところがなかなか赤ちゃんを授からず、やっときてくれたのが治療を始めて3年が経ったころ。治療のための通院に何度も付き添ってくれた長女に赤ちゃんができたことを伝えると、「赤ちゃんきてくれてよかったね!」と一緒になって喜んでくれました。 なんだか落ち着かない妊娠が判明してから1カ月が経ったある日、昼寝から起きた長女をお風呂に入れようとしたところ泣き叫び始め……。たいていお風呂に入り始めれば泣き止むのに、この日はどんどん激しさを増して浴室で暴れるのを必死で抑えるほどに。 30分以上泣き叫んだあとに少しだけ落ち着いたので話を聞いてみると、「なんだか落ち着かない!」と泣き続けるのです。私が「赤ちゃんができてうれしいけれど、ママをとられちゃうみたいで寂しい?」と聞いてみると「うん」と教えてくれました。ぎゅっとして娘のことを大好きだと伝えると、落ち着きを取り戻しましたが、長女もいろいろと感じていたようです。 夜中に突然泣き叫ぶ娘長女がお風呂で暴れてから数日。落ち着いたと思ったら夜中に突然「ねぇママ、一緒に死のうよ! まだ一緒にいたい! 私が死んだらおなかの赤ちゃんに私の名前をつけて育ててあげて!」と泣き叫んだのです。あまりにも衝撃的な言葉で私もパニックになり、そのときは抱きしめて「ずっと一緒だよ、おなかの赤ちゃんは赤ちゃんだし、あなたはあなただよ」と伝えるのに精一杯でした。 翌日娘と話してみると、赤ちゃんができてから一緒に走り回ったり、自転車に乗ったりということができなくなり、「ママは自分よりも赤ちゃんのほうが大事なんだ」と思って寂しかったようでした。 長女の不安を知ってからは、何度も繰り返し「長女も赤ちゃんもどちらも大切」ということを伝えて、抱きしめるようにしました。現在おなかの赤ちゃんは6カ月。今では娘も赤ちゃんの誕生を心待ちにしてくれています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子 著者:ライター 吉川麻和
2022年06月05日私が34歳のときのお話です。あれ? 生理が2カ月くらい遅れてる? 前よりも太った? お酒が大好きだったのに自然と受け付けない……と思いつつ、現実を受け止められなかった私は見て見ぬふりを。しかし、当時の部下から「絶対妊娠しているから、早く検査したほうがいい」と言われ、妊娠検査薬を購入し検査したところ陽性。父親は、交際途中からストーカーのようになり、1カ月前に別れた男性であることはわかっていました。 妊娠判明から、人生で一番悩んだ日々元カレには一度暴力を振るわれたこともあり、妊娠の事実は絶対に伝えないと心に誓いました。同居する母にも言えず、ひとりで育てられるかという不安はもちろん、もう1つ心配事があり、かかりつけの婦人科医へ相談したかったのですが休診日。 仕事も忙しい時期だったため、初診時はすでに妊娠12週4日でした。かかりつけではない産科を受診し、「最短の中絶の手術予約日にはすでに妊娠4カ月になってしまうため、こちらではできない」と言われ、以前子宮内膜症の手術をした大学病院への紹介状をもらいました。 しかし、大学病院に行くと「この週数での中絶はおこなっていない」と言われ、今度こそかかりつけの婦人科医へ。 実際にエコーを見て「絶対に産みたい!」私は妊娠前からうつ病と診断されており、薬を飲みながら治療を続けていたため、妊娠・出産に対してメンタル面での不安もありました。しかし、一番の気がかりは、胎児の奇形リスクが高いと言われているてんかんの薬を、妊娠初期も知らずに服用していたこと。 医師は「この薬を飲みながらでも、元気な赤ちゃんを産んだ人をたくさん見てきた」と出産を後押し。また、前回初めておなかの赤ちゃんのエコー写真を見て、私の体の中にはもう1つの命があると実感していたこともあり、「やっぱり私、この子を産みたい!」という気持ちが芽生え、出産に踏み切りました。 母からの条件「羊水検査 異常なし」妊娠4カ月に入ったころに、妊娠検査薬で陽性になり産婦人科へ行ったこと、そして、出産したいと思っているとを母に伝えると、もちろん猛反対。もし障害児だった場合、母も70歳近くのため、いつまで手伝えるかわからないと言われ、羊水検査をして異常がないことを条件にされました。※羊水検査ですべての先天性疾患を診断できるわけではありません。 妊娠5カ月ごろに羊水検査を受け、結果は異常なし。そして、検査結果により男児だと判明! 子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開と決まったので、妊娠34週まで仕事に通い、産休へ。出産すると決め、刻々と時期が近づいてくるとともに、母も協力的になってくれました。 出産前に35歳、ハイリスク出産へ子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開。ただですら、メンタル疾患、てんかん疑いのある私は、予定日の約1カ月半前に35歳になり、ハイリスク出産となりました。 出産は無事に終えたものの、生まれたあとが大変。昼夜問わず1~2時間で起きる赤ちゃん、そして母乳が出ず、育児用ミルクの飲みも悪くて赤ちゃんの体重が増えず、私の心と体は崩壊寸前でした。24時間以上不眠状態が続き、生後3日目の日、特別に産婦人科にメンタルの先生が往診。その夜は赤ちゃんを預けて、メンタルの薬でぐっすり眠りました。 私は20代後半で子宮内膜症の手術をして、妊娠しづらい体だと思い込んでいました。思いもよらない妊娠ではありましたが、子どもを産むことを選び、本当によかったと思っています。また、仕事復帰した今、私が残業で遅くなることも多く、子どもにはかわいそうな思いをさせることも多々ありますが、私のところにきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:おおこし 侑紀4歳のわんぱく男児を育てる未婚のシングルマザー。調剤薬局にて薬剤師歴15年以上。医療編集プロダクションにも属し、主に医療系記事の執筆をおこなうライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月04日