「PCOSの私が自然妊娠するまで」について知りたいことや今話題の「PCOSの私が自然妊娠するまで」についての記事をチェック! (1/6)
■「想像もしていなかった」(※画像は浜田翔子さんオフィシャルブログより)浜田翔子さんはかねてより不妊治療について発信しており、2021年12月に第一子男児、今年1月に第二子男児を出産。しかし第三子は自然妊娠で、浜田さんは「35~39歳はずっと妊娠・出産。自分も3人きょうだいで子どもは3人欲しいなと思っていたからうれしい」とYouTubeで明かしました。妊娠がわかったのは次男のハーフバースデーの少し前で、生理が来ないことに気づいた浜田さんが妊娠検査薬を試してみたところ「線がバッチリ入っていた」。すぐに夫でYouTuberのカブキンさんに報告すると、検査薬を見て「コロナ?」と言われたそうで、カブキンさんはそれほど「想像もしていなかった」と驚きつつ、とても喜んでくれたといいます。妊娠発表の動画を撮影した時点で「妊娠20週を過ぎたところ」だといい、つらかったつわりもやっと解消されたそう。これまで二度の出産は帝王切開をしていますが、期間をあけない妊娠・出産に関しては医師の指導をあおぎ、リスク等も理解のうえで出産に向けて歩みを進めているという浜田さん夫妻。「今のところはお腹の赤ちゃんも元気にすくすく育ってる」と微笑みます。長男は以前よりも「赤ちゃんがお腹にいることをわかってる」そうで、今は赤ちゃん返りが激しく「抱っこ抱っこ」とせがまれる日々。ただ、カブキンさんは「今回は余裕が違う。ベテラン感」がある、と余裕の表情で、親としてどっしり構えられているようです。出産予定は来年1月で、「本当にちょうど(次男の)一年後、完璧な年子」「3歳1歳0歳という感じで、出産を頑張りたいと思います」と語っていました。■妊娠中期以降のマイナートラブル妊娠16週~27週までは「妊娠中期」と呼ばれ、個人差はあるものの、つわりの症状が落ち着き、体調が安定してくる妊婦さんも多くなります。胎動を感じて、赤ちゃんの成長をリアルに感じられることも増えます。しかし一方で、このころから本格化するつわり以外のマイナートラブルも少なくありません。ホルモンの影響に加え、赤ちゃんの成長に伴って大きくなった子宮が他の臓器を圧迫することなどにより便秘、痔、頻尿、足がつる・むくむといった症状が現れてきます。自分でできる対策を試してみるのもひとつの方法ですが、できるだけ悪化しないうちに主治医に相談するようにしましょう。参照:【医師監修】妊娠20週の胎児の成長と妊婦さんの体の変化|便秘対策と生活の仕方(マイナビ子育て編集部)
2024年09月30日一人目が自然妊娠だと二人目も自然に授かるのではと考えることもありますよね。そのため、なかなか授からないと焦ってしまう方も……。今回は不妊治療にまつわるお悩みをBさんに伺いました。ーーBさんが二人目不妊について悩んでいること/悩んでいたことは?結婚5年目です。一人目は自然妊娠でしたが、二人目がなかなか授からず、1年以上の妊活期間を経て不妊治療にステップアップしました。ーー悩んだきっかけは?一人目が4歳になり、そろそろ二人目を考えて妊活を始めましたが、半年ほど経っても妊娠せず検査を受けたところ、不妊と診断されました。ーー解決に向け行動したことは?またその後のパートナーの反応は?基礎体温をつけ、排卵日を予測してタイミングを合わせるようにしました。また、食生活や睡眠習慣を見直し、健康的な生活を送るよう努めるように。パートナーからは「焦らず、ゆっくりやろう。一緒に頑張っていこう。」と励ましの言葉をもらいました。ーー専門家へ何か質問できるとしたら?私の年齢や体質を踏まえて、最適な治療法はどのようなものですか?(32歳/会社員)この悩みをどう見る?自分に合った治療法は何かというお悩みを持つBさん。このお悩みに対し何か解決策はあるのでしょうか?医療法人オーク会さんのアドバイスとは一体!?※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。監修:医療法人オーク会(MOREDOOR編集部)
2024年07月15日妊娠初期のころの話です。安定期に入るまではどうなるかわからないので、他の人には伝えないようにしようと思い、私たち夫婦はお互いの両親に知らせるのみに留めていました。しかし、突然私の遠縁の親戚から妊娠祝いのプレゼントが届いたのです……。 高価な贈り物に困惑親戚から届いたお祝いのプレゼント。中身はハイブランドの銀製のスプーンでした。おそるおそる金額を調べてみると……なんと10万円超! とりあえず、私は両親に話を聞くことに。どうやら私の妊娠と初孫に舞い上がってしまった両親が、あちこちで話してしまったと言います……。両親には「これ以上言わないでね!」と釘を刺しました。 安定期に入っていないタイミングで、こんなに高価な贈り物をいただいてしまって、私たち夫婦はモヤモヤ。とはいえ送り返すわけにもいかないので、そのまま受け取りました。 舞い上がってしまった両親の気持ちもわからなくはないですが、妊娠中は何があるかわかりません。妊婦である私の気持ちを分かって欲しかったなと思うと同時に、私たち夫婦もまた、妊娠を伝えた時点でまだ他の人に言わないでと念押ししておくべきだったと反省。 その後、無事私は安定期に入りました。例のスプーンは金庫に閉まっています。使えるのは当分先になりそうですが、いつか生まれたわが子に渡したいなと思います。 イラスト/きりぷち著者:さり
2024年06月25日第2子不妊治療を始めてから約3年のときを経て、2人目を妊娠した私。妊娠が判明したとき、長女は4歳で不妊治療にも付き添ってくれていたため、赤ちゃんがおなかにきてくれたことを一緒に喜んでくれました。ところが、妊娠判明から1カ月経ったころに長女の様子が変わり始め……。やっと赤ちゃんが来てくれた!長女が1歳2カ月のころからスタートした第2子不妊治療。第1子不妊治療のときに、「顕微受精でないと妊娠は難しいでしょう」 と先生に言われていた私。けれど、奇跡的に3回目の人工授精で長女を授かったため、2人目も治療をすれば1年くらいで授かるだろうと安易に考えていました。 ところがなかなか赤ちゃんを授からず、やっと来てくれたのが治療を始めて3年が経ったころ。治療のための通院に何度も付き添ってくれた長女に赤ちゃんができたことを伝えると、「赤ちゃんきてくれてよかったね!」と一緒になって喜んでくれました。 なんだか落ち着かない妊娠が判明してから1カ月が経ったある日、昼寝から起きた長女をお風呂に入れようとしたところ泣き叫び始め……。たいていお風呂に入り始めれば泣き止むのに、この日はどんどん激しさを増して浴室で暴れるのを必死で抑えるほどに。 30分以上泣き叫んだあとに少しだけ落ち着いたので話を聞いてみると、「なんだか落ち着かない!」と泣き続けるのです。私が「赤ちゃんができてうれしいけれど、ママをとられちゃうみたいで寂しい?」と聞いてみると「うん」と教えてくれました。ギュッとして娘のことを大好きだと伝えると、落ち着きを取り戻しましたが、長女もいろいろと感じていたようです。 夜中に突然泣き叫ぶ娘長女がお風呂で暴れてから数日。落ち着いたと思ったら夜中に突然「ねぇママ、一緒に死のうよ! まだ一緒にいたい! 私が死んだらおなかの赤ちゃんに私の名前をつけて育ててあげて!」と泣き叫んだのです。あまりにも衝撃的な言葉で私もパニックになり、そのときは抱きしめて「ずっと一緒だよ、おなかの赤ちゃんは赤ちゃんだし、あなたはあなただよ」と伝えるのに精いっぱいでした。 翌日娘と話してみると、赤ちゃんができてから一緒に走り回ったり、自転車に乗ったりということができなくなり、「ママは自分よりも赤ちゃんのほうが大事なんだ」と思って寂しかったようでした。 長女の不安を知ってからは、何度も繰り返し「長女も赤ちゃんもどちらも大切」ということを伝えて、抱きしめるようにしました。現在おなかの赤ちゃんは6カ月。今では娘も赤ちゃんの誕生を心待ちにしてくれています。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:ライター 吉川麻和
2024年06月23日私が2人目の子どもを妊娠していたときの話です。 実母からの言葉にショック…1人目のときもつわりはありましたが、初期のころだけだったので、1日も休むことなく、なんとかつわりを乗り切りながらも産休の前まで働き、無事に出産しました。その経験から、第2子のときもつわりはありましたが、長女の世話もあったため、仕事も続け、なんとか日々頑張っていました。 ある日、水を飲んでも吐き、ついに黄色い液まで吐くようになったので病院に行ったところ、ケトン体(体内の脂肪が分解されてできたもの。通常は尿中に排出されることはないが、低栄養や脱水状態になると検出される)の数値が高く、妊娠悪阻で入院する羽目に。県外にいた母もその日のうちに飛行機で駆けつけてくれ、とても助かりました。1週間の加療後、長女のためにも退院しましたが、まだつわりはつらい日々。 そんな中、昼寝していたら、実母に「ぐうたら病では?」と言われ、母はつわりがなかったらしいので、理解されないのだと悲しくなりました。そのときは聞き流しましたが、今となっては私も娘2人の母となりましたので、もし娘たちが妊娠・出産することがあれば、理解して寄り添える母になりたいと強く決心しました。 ♢♢♢ つわりは妊娠5週〜6周目でごろから出現し、吐き気や、食欲不振、頭痛、眠気などの症状が出ます。症状の出現時期や程度、おさまる時期などは個人差があり、つわりが重症化した症状のことを妊娠悪阻(にんしんおそ)と言うそう。つわりは人によって症状も重さも違います。人のつらさをすべて理解ことは難しいかもしれませんが、つわりには個人差があることを念頭に置いて接してもらえると、相手への対応の仕方も変わるかもしれませんね。 作画/マキノ 著者:めぐめぐ子子ども6人を育てる母。趣味は読書。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月18日妊娠当時、看護師だった私。体力勝負である一方、女性が多く、妊娠に対する職場の理解は良好です。しかし、私は妊娠してもなお、まだまだ仕事が一番でした。とはいえ、第一線で仕事を続けたくても、妊娠中はすべての仕事を今まで通りに続けることはできません。優先順位の変化が受け入れられなかった矢先に起こった「つわり」、そして「切迫早産」。働く妊婦として揺れ動いた当時の気持ちを振り返りました。※コロナ禍前の体験談です 妊娠判明! 喜びの一方で…私は妊娠当時、手術室の看護師として勤務していました。放射線下での治療、何時間にも及ぶ手術の介助や救急対応など特殊な現場での仕事です。安定期に入ってから周囲へ妊娠報告される方も多いかもしれませんが、こういった仕事柄、妊娠が判明してすぐに職場へ報告する必要があります。 私も妊娠8週で判明してすぐに報告をしましたが、女性が多い職種のため理解はよかったものの、できない仕事が多くなってしまったため、申し訳なく不甲斐ない気持ちでいっぱいに。当時、まだまだ仕事を頑張りたかった私にとって、妊娠は単に喜ばしいことではありませんでした。 妊娠10週目にやってきたつわり妊娠10週目、ついにつわりがやってきました。仕事中のにおいが特にダメになり、手術室勤務の私には致命的でした。ただでさえ職場に気をつかってもらっているのに、これ以上迷惑をかけたくない気持ちでいっぱいに……。つわりの原因はまだ解明されていないと言いますが、一部には精神的な要因もあると考えられています。 出勤しても何もできない私を見兼ね、上司から傷病手当を提案され取得することにしました。この休暇は、私にとってようやく落ち着いておなかの赤ちゃんのことを考えるいい機会となりました。 妊娠25週に起きたのは切迫早産休暇から復帰後は、自身を気づかいながら仕事ができました。とはいえ、立ったり座ったりと動き回る仕事です。妊娠25週目ごろより頻繁におなかの張りを感じていました。案の定、切迫早産と診断され、おなかの張りを抑える「ウテメリン」を内服しながら仕事を続けました。 そんなある日の仕事中、10分毎におなかの張りを感じ、すぐに産婦人科を受診すると即入院。そこからは24時間点滴とベッド上での安静の日々が始まります。もちろん仕事は休職。しかし、職場の仲間がたびたび面会に来てくれたことで、申し訳ない気持ちとは裏腹に、より一層自分の体とおなかの赤ちゃんへ気持ちを向けられました。 のんびりしすぎて生まれたのは妊娠41週24時間点滴から次第に内服に切り替わり、妊娠35週ごろようやく退院できることになりました。退院後も自宅安静指示だったので、正期産にあたる妊娠37週まで実家に甘えたゴロゴロ生活。いよいよ妊娠37週、安静指示が解かれ、今度は「どんどん動いて」と言われました。 真夏の臨月。17kgも太ってしまった私は、体が重く筋力も弱ってしまい、15分ほどの犬の散歩で息切れ。挙句に妊娠41週を迎えてもまったく生まれる気配がなく、分娩誘発の入院予約をも入れる始末。しかし、この日の健診で子宮口を刺激されたのが功を奏したのでしょうか。同日夕方ようやく陣痛が始まり、無事に元気な赤ちゃんを出産できました。 仕事をしながらの妊娠や出産はいまや多くの方が経験していることだと思います。仕事が一番だった私ですが、妊娠トラブルを経験したことで、人のやさしさに触れ、おなかの赤ちゃんの大切さに気づけました。できれば経験したくないトラブルでしたが、大事なことを気づかせてくれた、いい思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/市田スナオ著者:川口ゆう5歳男の子の母。看護師・保健師・助産師資格を取得。現在は夫の駐在のため、海外在住。自身の経験をもとに、育児・医療などをテーマに執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月09日友人が経営する飲み屋で出会った彼。何度か会ううちに仲良くなり、恋人関係になりました。しかしある日、私の妊娠がわかると……。 彼に妊娠を伝えると…彼と初めて会ったのは、友人が経営する飲み屋さんでした。隣に座っていた彼に話しかけたところ、気さくに対応してくれ、何度かお店で会ううちに親しい仲に。 そんなある日、私は飲み屋で泥酔してしまい、朝目を覚ますと、彼の自宅のベッドで寝ていました。 そこからなんとなく交際が始まり、数カ月後、なんと私の妊娠が判明。私は付き合い始めた当初から子どもがほしいと思っており、彼も同じ気持ちだと感じていました。しかし、彼に妊娠したことを伝えると、困った顔で「実は結婚していて、子どもが4人いるんだ」と言ってきたのです。 典型的な浮気性だった後から共通の知人に聞いた話ですが、彼は典型的な浮気性で、私のほかにも浮気相手の女性が何人かいたよう。 そんな彼に愛想を尽かした私は未婚で母になる決意をし、彼とはキッパリお別れすることに。無事に女の子を出産し、今は子どもと2人で幸せな生活を送っています。 子どもはとても愛おしく、産んでよかったと思っています。片親ということもあり、仕事に育児に忙しい毎日ですが、この選択に後悔はありません。 著者/飛田ユカリ作画/ななせはるみ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2024年05月25日結婚してすぐに第一子を授かりました。ですが、子宮外妊娠で子どもはあきらめなければならず、私自身も大量出血をして危ない状態でした。友人からのメールに返信できていなかったので、落ち着いてから連絡したのですが……。 友人からのLINEを見て涙がとまらず…体調が回復してから、たまっていたLINEを返信。友人には返事が遅れた事情を話しました。 そのなかの友人のひとりから「楽しそうな人生だな笑」と返事が。当時は仕事上の人間関係、結婚に妊娠といろいろな出来事が重なっていたので、面白おかしくそう言ったのだと思います。 私の方は命の危険もあり、子どもはあきらめなくてはならず……とても辛い状況でした。そんな時に冗談であっても「楽しそう」と言われ、悲しくて悲しくて涙がとまりませんでした。こういうときは軽率に発言してはいけないと学び、気をつけたいと思っています。 ◇ ◇ ◇ 悪気のない言葉であっても傷つくことはありますよね。相手がどのような思いかを察するのは難しいですが、思いやりのある声かけを心がけたいですね。 イラスト/森田家著者:高杉かんな
2024年05月19日これは長女の妊娠中に、県外にある実家へ3カ月ほど里帰りしたときの話です。当時、私の実家では両親と未婚の兄が同居していました。母は現役で働いており、平日は毎日多忙です。1歳半になる長男を連れての里帰りでしたが、みんなが長男をかわいがってくれ、里帰りをしてよかったと感じていました。ところが、里帰りから1カ月ほど経つころ、母の言動にモヤモヤすることが増えてきて……? 言い方がきつい母とついに衝突! 母は、おつかいで買い忘れがあった父に文句を言ったり、兄の洗濯の干し方に難癖をつけて自分で干し直したり……。父と兄は言い返さず穏便に済ませるタイプですが、私は母と性格が似ており、口論になることも少なくありません。そのため、あと2カ月、母と揉めずに過ごせるのか心配でした。 そして、ある朝。妊娠中で普段以上に眠気を感じて、なかなか起きることができないでいた私。先に起きた息子がひとりでリビングに行ったのですが、「両親もいるから大丈夫よね」と思い、甘えさせてもらうことに。しかし起きてからリビングへ向かうと、テレビに夢中になっている息子の姿が。普段、夕方しかテレビを見せていなかったため「朝からテレビ見てるんだ……」と私が何気なく口にすると、母は「文句があるなら自分で子どもの面倒みなさい!」と激怒! 母のあまりの剣幕に、私は思わず泣いてしまいました。 それを見た父と兄が、間に入ってすかさずフォローしてくれました。私は両親や兄が私にも息子にも気をつかってくれていたことを改めて感じ、実家の環境に甘え過ぎていたことを反省。それからは洗濯物を畳んだり、夕飯を作ったりと、できる範囲で家事をするように。母も言い方が柔らかくなり、無事に長女を出産してからもみんなで育児に協力してくれました。家族だからといって甘え過ぎたり何でも言ったりしていいわけではなく、思いやりの気持ちが大切だと改めて気づいた出来事です。 作画/Pappayappa著者:徳澤さくら
2024年04月28日大人気マンガシリーズ、ツマ子さんの『10年前の私に告ぐ…それ、○○ハラです!!』を紹介します。研修が始まってすぐに妊娠がわかり、会社を辞めた同期。主人公が突然のできごとに驚くなか、その日の研修が始まりましたが…。研修の先生が「みなさんはそういうことにならないように」と言ってきたのです。インスタ:ツマ子(@tumakonofamily)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。≪HPはこちら≫前回のあらすじ出典:Instagram#310年前の私に告ぐ…それ、○○ハラです!!出典:Instagram優しい先生なのに…出典:Instagramペアを組んで…出典:Instagram前日の復習から出典:Instagram先生に話しかけられて出典:Instagram返事をすると…出典:Instagram彼氏の有無を聞かれた出典:Instagram次回予告出典:Instagram研修の先生の発言に驚いた主人公。嫌な気分になりつつ、前日の復習をしていると…。突然先生が「彼氏いるの?」と聞いてきて…研修の先生のさらなる質問に言葉を失うのでした。(CoordiSnap編集部)
2024年04月07日先日、待望の妊娠がわかりました。義両親も孫の誕生を心待ちにしていたので、週末義実家に遊びに行ったとき報告するつもりでいました。義実家との関係は良好ですが、義妹とだけはうまくやれません。義妹は自分が思った通りに物事が進まないと、大騒ぎするめんどくさいタイプです。私たちが結婚を決めたとき、義妹にはすでに入籍済みの夫がいましたが、結婚式の日取りが未定でした。すると、私たちが先に結婚式をするなんて許せないと大騒ぎ! 結局義父が費用を出し、先にフォトウェディングをすることで納得させてくれました。 妊娠報告の席に義妹がいないといいのですが……。妊娠報告に涙する義妹義実家に着くと、義母が忙しそうに家事をする横で、義妹夫婦がくつろいでいました。いつ帰るかわからないので仕方がありません。私たちは義両親・義妹夫婦の前で、妊娠を報告しました。 義母は目に涙を溜めて喜んでくれましたが、義妹は急に泣き出しました。「自然妊娠なんてずるい! 私への当てつけですか!?」何のことかわからず困惑していると、義妹が言葉を続けました。「不妊治療している私より先に妊娠するなんて……」 義妹夫婦が不妊治療をしていたなんて初耳でしたが、義両親は知っていたようで、シクシク泣く義妹を前に戸惑っています。 配慮に欠けていたと私が謝罪をすると、義妹は自然妊娠でお金が掛からなかった分、治療費を援助してほしいと頼んできました。そのお金で高度な治療にステップアップすると言うのです。援助して!すでに義両親がかなりの額を援助したそう。しかしこれ以上は無理だと言って、義両親からも頭を下げられてしまいました。 どうやら高度な治療を受けるためには事前の講習を受けなければならないそうで、その費用が5万円とのこと。しかしそんな話聞いたことがありません。 もしかしたら義妹が騙されているのかもと思い「それ本当?」と聞いてみると、義妹は「自然妊娠して何も知らないくせに疑うなんて酷い……!」とさらに号泣。 重い空気に耐えきれず、私は5万円を渡してしまいました。それ、本当?しかし納得がいかない私は、義父からこっそり義妹が通っているクリニックの名前を聞き出し、問い合わせをすることにしました。案の定、講習など実施しておらず、クリニックの人も困惑している様子。夫も私もすべてを悟りました。 翌週、再び義実家を訪ねて真実を伝えると、義両親はがっかり……。それでも、講習は嘘でも治療は本当かもしれないという望みにかけて、義妹夫婦を訪ねることにしました。 義妹は「疑うなんてひどい!」と私を責めます。何を言っても「自然妊娠した人に言われたくない」の一点張り。困り果てているところ、口を開いたのは義妹の夫でした。すべてウソだった!「もうやめとけ!」義妹は治療費と言って義両親からもらったお金でブランド物を買い漁っていました。エスカレートする買い物に義妹の夫も怖くなっていたと言います。同時に後ろめたい気持ちも限界だったよう。 観念した義妹は、借りたお金を少しずつでも返すと約束していました。早い段階で阻止できたのがせめてもの救いです。 嘘を重ねていると、本当に困ったときに誰も助けてくれなくなってしまいます。子どもを大切に思い、疑いもせずお金を出してくれた両親をこれ以上がっかりさせないでほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月05日私が妊娠していたころ、妹や親戚からしつこく「男の子がいい!」と言われていました。性別は気にしないと伝えたのですが、まさかの最低発言をされ……? 無神経すぎるでしょ…私が妊娠していたころのお話です。まだ赤ちゃんの性別がわからない時期に、妹や親戚からしつこく「男の子が良い!」と言われていました。私自身は生まれてくる子の性別は特に気にしておらず、とにかく元気で生まれてきてくれたらそれで良いと思っていたため、「男の子でも女の子でもうれしいけどなぁ」とやんわり伝えたのですが、相変わらず「でもさぁ、やっぱり絶対男の子が良いわ! 男の子!」と言われ続け……。もし女の子が生まれて残念がられたら、この子が可哀想……と何度も落ち込みました。 結局、生まれてきた子の性別は男の子だったのですが、当時感じたモヤモヤは忘れられず、もし今後2人目を妊娠したときは、性別がわかるまで妊娠報告は避けようと決意。産後もたまに思い出してモヤッとしてしまうため、妹や親戚とは必要最低限しか会わなくなりました。 作画/さくら著者:山田 はなこ
2024年03月22日私は20歳の誕生日と同時くらいに、第1子を妊娠しました。初めてのわが子にうれしい反面、不安や苦労もありました。特に、周りから「若いママだから……」という目で見られることに苦痛を感じました。2022年民放改正前の体験です。 妊娠判明は成人式の直前!妊娠が判ったのは、成人式の1カ月前でした。妊娠に対してうれしい反面、まだ成人して間もない自分に、子どもを育てられるのかという不安もありました。 それでも産みたいという気持ちは固く、「私、産むから」と現在の夫に宣言。同い年の夫は「う、うん……」と、押される形で出産・結婚を決意してくれました。そのままお互いの両親に妊娠と結婚を報告し、妊娠4カ月の状態で成人式に出席しました。 「若いママだから」と言われたくない!第1子である長女は、私が20歳のうちに生まれました。幼いころから子ども好きだったので、自分の子どもがうれしくて、かわいくて毎日が幸せでした。初めての育児に緊張しながらも、保健師さんの言うことを堅実に守り、育児書と毎日にらめっこをし、懸命に育児をしました。 子どもが口にする物はすべて手作りし、衛生面、健康面にすごく気をつかいました。子どもに対する愛情からが半分、残りの半分は周りから「若いからちゃんとしていない」と思われるのが嫌だったのです。 それでもやっぱり偏見の目…わが子を連れて外に出かけると、「赤ちゃんかわいいわね~」と声をかけられるのですが、決まって最後に「ちゃんと育てなきゃダメよ」と言われるのです。子どもが細かったためか、時には「ごはんちゃんと食べさせているの?」とか「ごはん作ってないんでしょ?」と言われたこともありました。 夫の親戚からは、はっきり「虐待していない?」と心配されていました。若いママというだけで、周りから育児放棄や虐待などの心配をよくされました。自分なりに懸命に育児をしていたので、周りからの偏見の目は悔しかったです。 私は子どもを愛している付き合いのある人たちは理解してくれるものの、結局のところ、見ず知らずの人からの偏見の目はなくなりませんでした。いつしか私も抵抗することをやめ、「この子のママは私。この子がいいと思ってくれているのなら、それでいい」と思えるようになりました。偏見の目で見られようとも、私は子どもを愛しているのです。長女を産んでから数年間、偏見の目に悩まされましたが、自分なりの答えにたどり着くことができました。 年齢を重ねた現在ならば、当時の偏見の目を理解できます。昨今の子ども虐待のニュースもありますし、何より子どもが子どもを産むようなものですから、心配にもなります。でも当時の私にはその気持ちが理解できず、偏見の目が苦痛で仕方ありませんでした。もし今の私が、当時の私に声をかけてあげられるのなら、「子育て頑張っているね! ちゃんとわかっているよ。大変なことがあれば人に頼ってもいいから、あまり無理し過ぎないでね」と伝えてあげたいです。 イラストレーター/きょこ 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:ライター 木村なち
2024年03月22日妊娠中、私は子どもの名前の候補をいくつか考えていました。しかし、夫からは全て却下されていました。名前の候補とは…夫は「夏生まれだから夏にちなんだ名前がいい」とは言うものの、具体的な候補は何もなし。仕方がないので出産までに考えてもらい、夫の候補の中から私も気に入った名前を選ぶ、ということで妥協しました。退院と同時に出生届けを出す予定でした。 産後3日目、夫に赤ちゃんの名前は?と聞くと「まだ考えてない」とのことだったので、翌日まで待つことにしました。翌日23時過ぎにようやく送られてきたリストには、まさかの10~11個もの名前が。しかも夏にちなんだ名前は1つのみ。2日間で一生懸命考えたのは伝わってきただけに文句も言えず、「退院直前にこれかよ…」とただただ悲しくなり泣いてしまいました。 ◇◇◇ 夫の候補にあった名前の漢字の画数を調べていたときに、私が使いたかった漢字の画数がかなり良いことにたまたま気付きました。なので「この漢字を使いたいから、この名前にしよう!」と言い切り、あっさり決まりました。 作画/さくら著者:山本えり40代、3歳の娘を育児中の40代母。日中は夫の店を手伝いながらマイホーム購入に向けて情報収集中。
2024年03月01日第1子を妊娠した際、夫に報告するのを楽しみにしていた私。「きっと驚いてくれるだろう」と期待しながら妊娠を告げたところ、夫の反応は意外にもあっさりしたものでした。そして夫が私の「あること」を知っていたことに驚いてしまって……。 だいたい決まっている私の生理周期妊娠前の私の生理周期は、だいたいいつも35日周期でした。周期が狂うことはほとんどなく、毎月安定してきていた生理。 私はなんとなく「夫に生理であることを知られたくない」と思っていたため、わが家のトイレにはサニタリーボックスを置いておらず、使用したナプキンはその都度、紙袋に入れて外のゴミ箱に捨てるようにしていました。捨てる際も、なるべく夫に気づかれないように、夫が見ていないタイミングでトイレを出て、ゴミ袋の下のほう……見えないところに紛れ込ませるようにしていました。 夫はどちらかというと、他人の行動にそこまで関心がないタイプなので、私が生理であることも、使用済みナプキンをこっそり処理していることにも、気づいていないと思っていたのです。 妊活開始後、すぐに妊娠する30代半ばで結婚した私は、結婚当初から「子どもを産むなら1日でも早いほうがいい」と考えていました。そして、生理管理アプリで基礎体温を管理しながら、毎月の排卵日を予測。新婚旅行を終えたタイミングで妊活を開始しました。 妊活を開始してからひと月後。周期がぴったりだった生理が遅れ、私は初めて妊娠検査薬を使ってみることに。すると、妊娠を告げるくっきりとした線が現れました。妊娠したことに驚きつつもうれしくなり、「夫に報告したらどんな顔をするのかな」と夫の反応を期待しながら夫の帰宅を待つことになりました。 気づいてくれたのはうれしいけれどところが帰宅した夫に妊娠を告げると、意外にも冷静な反応が。不思議に思って聞いてみると、「なんとなくそうじゃないかと思っていた」との言葉が返ってきました。 なんと夫は、毎月私が使用済みナプキンをコソコソ処理していることに気づいており、捨てるタイミングから生理周期を把握していたようなのです。妊娠がわかったこのときも、「今回は生理が遅れているな。もしかして……」と思っていたとのこと。 夫が驚く顔を想像していた私は、肩透かしを食らったような気持ちになりました。そして、私の体調に関心を持ってくれてうれしいと思った半面、生理周期を把握されていたことになんだか複雑な気持ちもあって……。 その後、私は無事第1子を出産し、半年後にはまた生理が戻ってきました。このときのことは今では夫婦の笑い話になっていますが、正直、当時夫が私の生理周期を予測していたことを知ったときは驚きとともに若干引いてしまいました。いつものんびりしていて他人に興味がないタイプだと思っていた夫に、まさか生理周期を把握されていたなんて。そして、気づいていないと思っていた使用済みナプキンを処理しているところを見られていたなんて、という思いでした。 ただ、このことと妊娠出産を経て、生理についてそこまで隠しすぎずに、もう少しオープンにしてみてもいいのかな、と思うようになりました。 著者/石原優子作画/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2024年02月29日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 著者:伊藤あいり/30代女性・主婦。3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年02月27日妊娠中、赤ちゃんの「性別」について、悩んだことがありました。それは周囲からの言葉が大きな原因でした。妊娠中、家族からの期待にプレッシャーを感じ、さらに夫の想定外の発言に追い詰められて……。妊娠中、周りから「女の子」を期待され… ※訂正:(誤)今日の検診→(正)今日の健診 誤解のないようお伝えしておくと、義両親はとてもいい人たちで、大好きです! ただ、初めての妊娠で私もナーバスになっており、「性別問題」には心を痛めました。わが子は、男の子でも女の子でも最高にかわいいです! 監修/助産師 松田玲子著者:きりぷちアラフォー夫婦、3歳の息子の3人家族。最初で最後の高齢育児、心に残った大切な瞬間を漫画にしています。
2024年02月22日私は小学校に勤務しており、妊娠したことを大々的に生徒たちには伝えていませんでした。まさかの発言に妊娠7〜8カ月ごろになっておなかが目立ってきたときに、1年生の生徒たちから「先生太ったね〜」「先生おなかにガス溜まってるの?」と言われました。 1年生ならではの素直で率直な意見にそんなこと言う!?と思いながら、笑ってしまいました。 その後、赤ちゃんがいるんだよ!と伝えたら、毎日おなかを触ってくれるようになりました。 作画/さくら著者:萩原楓
2024年02月12日私が末っ子を妊娠したときの話です。上の子達たちとの年齢差がある中、自分の体力や金銭的なものなど、いろいろと不安を抱えながらの妊娠でした。ママ友の言葉にショック!上の子のママ友に妊娠したことを伝えた際、「いまさら、また赤ちゃん育てるのって面倒じゃない?」と言われたのです。私自身も、上の子たちがやっと手が離れて自分の時間を過ごせるようになったときでした。確かに、ママ友の言うこともわかるのですが、言われたときはショックを受けました。もちろん、私が傷つくとは思わず思ったことを言っただけでしょう。その後、無事出産し、生まれた子どもはただただかわいく、心配していたことはまったく気になっておらず、私の場合は、3人産んでよかったなと思います。 もし私が妊娠報告を受けたら、状況にもよりますが、まずは「おめでとう」と言うようにしようと思います。歳の差育児に不安を抱えている方がいたら、不安に寄り添いつつ、とても楽しいことを教えてあげたいと思います。 作画/いずのすずみ著者:佐々木あそふ
2024年02月06日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたのです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。日頃から除雪をこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気がつかないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分は補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産そして、無事に出産。出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気づかなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:浦松あや1児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2024年02月04日私が第2子を妊娠し、臨月を迎えたときのことです。夫は家事をせず、「昔の人は臨月に農作業をしていたって言うから、動かないとね」などと言って、私に任せっぱなし。そんなある日、妊婦健診中に私は体が重く感じて、病院の待合室のベンチからなかなか立ち上がれなくなりました。診察の結果、疲れがたまっているのではないかとのこと。「しっかり妻をサポートしている」と主張する夫へ、助産師さんが放った痛快な返しとは……。 「子どもが生まれる自覚ある!?」妻をサポートしない夫 第2子を妊娠し、臨月を迎えたときのことです。第1子の長男はまだ3歳。夫に「少しは掃除や洗濯もしてよ」と言ってみても、「昔の人は臨月に農作業をしていたって言うから、動かないとね」と、私に任せっぱなしです。 そんなある日、夫婦で妊婦健診に行きました。私は体が重く感じて、病院の待合室のベンチからなかなか立ち上がれず、夫に支えてもらって診察室へ。先生によると、疲れがたまっているのではないか、ということでした。 助産師さんが「誰か手伝ってくれる人はいる?」と掛けてくれた言葉に、夫は「僕が子どもを保育園に連れて行っているし、しっかりサポートしていますよ」と言いました。助産師さんは「あなたの子どもなんだから、面倒を見るのは当たり前」「仕事だけしていれば良いわけじゃないのよ」とズバリ。夫は何も言い返せず、気まずそうに黙って聞いていました。 あのときのお説教が少しは効いたのか、夫は前よりも家事をしてくれるなど、行動で示してくれるように。自分の体や気持ちを大切にするためにも、しんどいときや、手伝ってほしいことは「察して」ではなく、はっきり言うことが大切だと感じると同時に、それでもダメなときは、第三者に指摘してもらうのも良いかもしれないと気づいた出来事でした。 作画/mosu著者:すずき
2024年01月16日■これまでのあらすじ早く子どもがほしい妻・美咲と、子どもを持つことに不安があって妊活に後ろ向きの夫・拓也。自分たちの不妊について夫婦間の温度差を感じ、ストレスや悩みを抱えていたふたりが、紆余曲折を経て妊活をスタートする。しかしなかなか結果が出ず、最初こそ夫婦で笑って励まし合っていたけれど、月日がたつにつれふたりの心も身体も重くなっていく。妊活の目途としていた1年が過ぎて、拓也が「病院へ行こう」と提案。しかし、美咲は1年前、不妊治療の話をしたときに拓也に「病院には行かないでおこう」と断られたことを思い出し…。■自然妊娠しなければ…■もしダメだったら…!?拓也には何か両親との関係にトラウマがあるようで、自分自身の問題だと説明しながら「自然妊娠しなければ俺はそういう運命なのかもしれないなって思う」と、不妊治療を受けたくない想いを明かします。さらに不妊治療をしてうまくいかなかった場合、「今回もダメだった」「次もダメだった」と落ち込むことになりそうだし、お金がかかってくると夫婦関係が悪くなっていく未来しか見えないとまで言い出して…。そんなかたくなだった拓也とのやり取りを思い出した美咲は…?次回に続く「僕たちは親になりたい」(全64話)は12時更新!
2024年01月07日ゆきさんは、2年間交際していたしょうたさんと結婚。半年後に妊娠していることがわかり、その後出産しました。ある日、仲良しの友人りかとまゆみに妊娠を報告したゆきさん。まゆみから出生前診断をしないのかと聞かれました。どうやらまゆみは、障害のある子どもを産むことは自分勝手で、子どもがかわいそうだと考えているようです……。ゆきさんはその日を境に、まゆみとは関わらないように。その後、ゆきさんは無事に女の子を出産。初めての育児に奮闘しながらも充実した毎日を過ごしていました。そんなある日、まゆみから「話したいことがあるから3人で会えない?」と言われ……? まゆみの報告って…?私は出産報告をした日からまゆみとは全然連絡をとっていませんでした。そんなまゆみから会えないか聞かれ、私は少し悩みますが……。 久しぶりにりか、まゆみと3人で集まったゆきさん。まゆみからの話は、なんと妊娠報告でした。 体調を気づかうゆきさんに「私つわり全然ないんだよね」とまゆみは自慢げに言います。さらにゆきさんがつわりで苦しんだのは「体調管理ができていなかったから」ではないかとまで。 その後、りかから出生前診断をするのか聞かれたまゆみさんは、「やんないけど?」と当然のように言うのでした。 つわりがないことを健康的な生活のおかげだとまゆみさんは言っていますが、医師によるとつわりの期間も人によって異なりますし、つわりが起きるはっきりとした原因はまだわかっていないのだそう。新しい命を授かったことはめでたいことですが、まゆみさんには他人と自分の妊娠を比べず、お互いを尊重しあうような心を持ってほしいですよね。 著者:マンガ家・イラストレーター たに
2023年12月16日結婚当初から「女の子を産んでちょうだい!」とせがんできた義母。しかし、私たちの1人目の子どもは男の子でした。納得がいかなかった義母は、2人目の妊娠がわかった途端、またもや義母は「女の子を産め」と、私にプレッシャーをかけてきました。さらに、今度は夫まで義母に加勢して――?2人目の妊娠を夫から聞いた義母は、私のもとへ突撃してきました。そして、開口一番「次の子は絶対に女の子じゃないと許さないからね」と言ったのです。 次は女の子じゃないと…早くに離婚した義母の子どもは息子、つまり私の夫のみ。しかし、義母は女の子を育てるのが夢だったと言います。ですが、私に押し付けられても困ってしまいます……。 「名前は何にしようかしら」「あ、男か女かわかったらすぐに報告しなさいね」と、どこまでも自分勝手な義母。子どもは授かりもの。私は性別に関係なく、子どもたちには平等に愛情を注いで育てるつもりでおり、とても困惑していました……。 2週間後――。 夫の付き添いのもと、産婦人科で健診を受けた私。エコー画面を見ながら、医師はこうつぶやきました。 「まだわからないけど、男の子かもしれないね」。するとそのとたん、夫が激怒。医師につかみかかって「どうして女じゃないんだ!どうにかしろ!」と怒鳴りつけたのです。 医師も私も呆然。怒りがおさまらない様子の夫は、私を置いて先に帰ってしまいました。夫は義母にも話したようで、義母からは「あれだけ女を産みなさいって言ったのに、本当に使えない嫁ね」とメッセージが来ていました。 「次は女の子がいいって、毎日お医者様にもお電話でお伝えしていたのよ?」「それにしても、また男なんて……。本当に産むつもり?」 義母は毎日私の通う産婦人科に電話していたそう。義母のあまりの執着に、私は気持ち悪くなってしまいました。 私が何も言い返せずにいると、「あんたみたいな嫁、もらうんじゃなかったわ」「女を産めないなら、こっちにも考えがありますからね」と、義母は何やら企んでいる様子でした。 義母の信じられない企み 2日後――。 実家の母から「あなたの私物が突然送られてきたけど……。何かあったの?」とメッセージが届きました。すぐに母に電話をして確認すると、引っ越し業者が実家に来て、段ボール10箱くらいを置いて行ったそう。私の仕事中に、義母が勝手に私の私物を実家に送ったのです。 仕事から帰ると、ニヤニヤしながら義母が待ち受けていました。「荷物はちゃんとご実家に届いたかしら?」「離婚届はちゃちゃっとサインして、明日出しに行ってちょうだいね」「ちゃんと息子も納得してるわよ?」と言われて、私はびっくり。義母の言う通り、離婚届には夫の筆跡でサインが……。 何も話し合わずに離婚なんて……と思いましたが、今の義母や夫に何を言っても聞いてはくれないでしょう。義母はともかく、最近は夫まで幼い息子に対して冷たい態度を取っていたのです。 このままでは息子とおなかの子のためにならない……。そう思った私は、義母の指示通り、翌朝市役所に離婚届を提出し、その足で息子を連れて実家へ帰りました。 先に捨てたのはそっち月日は流れ、3年後――。 実家に戻った私と息子は穏やかに暮らしていました。家を追い出された時におなかにいた子どもも無事に産まれ、すくすく育っています。 そんなある日、私の母のもとに義母から「元嫁にどうしても伝えたいことがある」と連絡が入ったのです。私はすでに義母の連絡先をブロックしていたので、義母は仕方なく私の母に電話したようです。 母によると、義母は相変わらず自分勝手な物言いをしていたようですが、3年前より勢いは衰えていたそう。元夫が再婚し、その相手がなかなかくせ者で参っているとのことでした。 「一番信じられないのがその子、子どもは作らないって言うのよ!」「私ももう10年もすれば介護が必要になるし、今の嫁がしてくれるとは思えないから、そちらの娘さんに帰ってきてもらいたいのよ」「この際、男孫でもうちで育てることを許可してあげるから、それでどう?」 私に聞くまでもなく、母は「NO」とバッサリ。すると義母は、「娘が娘なら親も親ね」「こっちが下手に出てるからって調子に乗って……」と母にも暴言を吐いてきたそうです。 「男しか産めない無能女はいらないワ(笑)」「名前はリナちゃんになりました♪」「は?」 実は、私が実家に戻ってから産んだのは女の子。うちの両親も息子も大喜びで、かわるがわる世話を焼いています。ずっと女孫が欲しかった義母は、あ然とし一瞬言葉を失ったようです。 その後、「私だけでもあなたたちの家族に加えてくれないかしら?」「その女の子は私の孫でもあるんですから!」「自分たちだけで女孫を独り占めしないでちょうだい!」ととんでもないことを言い出した義母。 しかし、母は「先に孫を捨てたのはあなたです」と淡々と返したそう。その後も義母は電話口でひたすらわめいていたようです……。 その後――。 義母は、私となんとか連絡を取ろうとしていたようですが、すべて母がブロック。私と息子、娘は平和で穏やかな日々を送っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月14日私はいよいよ社会人になるというタイミングで妊娠しました。就職先も決まっていたところでの妊娠に戸惑いましたが、頼もしい彼を信じて結婚することにしたのです。私はすでに決まっていた就職先を辞退して、夫を支える専業主婦になりました。結婚してから数カ月が経ち、新しい生活にもやっと慣れてきたころ、私は無事に娘を出産! しかし、出産を機に私と夫の間には溝ができてしまいました。信じていた夫が…ある日、仕事から帰った夫は、部屋に入るなりイライラを爆発させました。理由は部屋が散らかっていること。「朝から晩まで1日中家にいるのに、何をしていたんだ」と私を責めます。 そうはいっても、私だって怠けているわけではありません。娘のお世話で手一杯なのです。 さらに夫は、化粧をせず髪もボサボサの私を見て、大きなため息をついて「やっぱ無理だわ。俺たち別れよう」と言いました。 頼もしかったはずの夫がこんなことをいうなんて信じられません。子どもはどうするのか? と聞くと、実家の両親と育てろと言い、離婚届を置いて出ていってしまいました。 運命の出会い!?泣きながら荷物をまとめていると、あっという間に夜が明けていました。いつ帰ってくるかわからない夫を家で待つのはつらく、私は朝早くから娘をベビーカーに乗せて公園に向かい、何をするわけでもなく、ただベンチに座ってボーっとしていました。 これからどうしよう……。そんなことを考えていると、1人の女の子がやってきました。 「ねえ! 赤ちゃん見せて!」勢いに圧倒されてしまいましたが、女の子はベビーカーを覗いて娘の様子を観察しています。 「ねえねえ、赤ちゃん泣いてるよ?」「え? 泣いてないよ?」「ママの心が泣いてること、赤ちゃんに伝わってるんだよ? だから赤ちゃんが泣いてるの。ママの悲しいことがなくなりますように!」 そう言って女の子は、私の頭をポンポンしてくれました。自然と涙が流れ、気づけば私は声をあげて泣いていました。 強い味方それを見て慌てた女の子は、父親を連れて戻ってきました。女の子の父・サワダは、事情もわからないまま駆け付けてくれたようです。 私が女の子のせいで泣いているのではないと伝えると、サワダは安心した表情を見せつつ、何かあれば話を聞きますよと言ってくれました。自分でもなぜだかわかりませんが、私はその言葉に甘えて、初対面だというのに今までのことをすべて打ち明けたのです。 洗いざらい話をしていると、サワダが弁護士さんだということ、妻が浮気をして逃げてしまったこと、シングルファーザーとして1人で子育てしていることを知りました。サワダは「ここで会ったのも何かの縁だ」と言い、夫の行方を調べてくれることになりました。 夫が妻を裏切ったワケサワダは、弁護士という職業柄、ツテもあるようで、知り合いの調査会社に依頼して夫についていろいろと調べてくれました。出てきたのは浮気の証拠の山。出張や残業と偽って派手に遊んでいたのです。 そのタイミングで家に帰ってきた夫は、テーブルに並べられた浮気の証拠に驚いています。夫は観念したのか、真相を話し始めました。 出産後、娘が一番になってしまった私が嫌だったことや、髪やメイクにも気を遣わず、家事も手抜きになっていた私が悪いというのが夫の主張です。たとえそれが本当だったとしても、浮気をしていいという理由にはなりません。それを聞いたサワダは、静かに話し始めました。 「この浮気に関しては、君は有責で慰謝料を支払うことになります。それから、子どもに関しては養育費というものも必要になる」 夫は驚いた顔でサワダを見ていました。慰謝料も養育費も、まったく考えていなかったようです。夫婦円満の秘訣は?逃げればなんとかなる、という夫の甘い考えも虚しく、サワダの采配で私は慰謝料と養育費をきっちり請求し、離婚できました。 娘と公園に行ったときは先が見えずに絶望していましたが、女の子との出会いがきっかけで、今は母娘で自立を目指して頑張っています。 夫婦といえど他人。言葉にしてもらわないと伝わりません。娘中心の生活が寂しいと感じていたことをちゃんと言葉にしていたら、こんな結末は待っていなかったのかもしれませんね。一方的に決めつけたりがっかりしたりせず、口に出して話すことの大切さを改めて感じました。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月13日私は4回出産を経験しましたが、妊娠中や産後に身内に不幸があり、葬儀がおこなわれることがありました。まさかの出産予定日直前に夫の祖母が亡くなり、臨月の状態で葬儀への参列をどうするべきか悩んだことも。また、次男が生後2カ月のときには義父が他界。小さい子どもを連れて葬儀に参列することになったのですが……。ここでは、妊娠中や産後に葬儀があった際、私がどのように対応したのかをお話しします。まさかの出産予定日に葬儀が……私は長女の出産予定日1週間前に、2歳の長男を連れて実家に帰っていました。すると、実家に帰って2日後に夫の祖母が危篤という連絡がありました。今動くべきか悩みましたが、夫はもちろん、私まで本当にかわいがってもらっていたので、どうしても会いたくて病院へ行くことに。その後、義祖母は息を引き取り、まさかの出産予定日に葬儀が執りおこなわれることが決まりました。 義両親や親戚も、私が臨月ということは知っていたので、無理に参列しなくてもいいと言っていただきました。ただ、本当にお世話になった義祖母と最後のあいさつがしたいという気持ちがあり、夫や母と相談することに。 お通夜だけ参列することに夫は義祖母にとっては初孫で長男ということもあり、本当にかわいがられていました。その義祖母をきちんとお見送りしたい気持ちと、私に何かあったらすぐに動かないといけないことから、臨月の私には安静にしておいてほしいと夫から言われました。 けれど、私も最後に会いたいと言うと、お通夜だけということで話がまとまったのです。おなかの大きい私はなんとか入るサイズの黒い服を探し出し、長男を連れて、母と一緒にお通夜へ。ただ、本当に義祖母にあいさつだけをして、短い時間で帰ることにしました。 出産予定日より1週間遅れて出産結局、出産予定日当日に陣痛は来ず。その後、祖母の初七日が終わった1週間後に陣痛が来ました。長男は夫の実家にあずけ、長女を出産。義祖母のことが一段落するタイミングだったので、夫も無事出産に立ち会うことができました。あのとき無理に動いてお葬式まで参列していたら周りに迷惑をかけていたかもしれないと思うと、あの判断は間違っていなかったと思います。 それから時が経ち、次男を授かり出産。次男が生後2カ月のときに義父が亡くなり、葬儀がありました。私はもう動ける状態だったので、長男の妻としてバタバタしながら、次男への授乳やお世話をして本当に大変でした。 妊娠中や、小さい子どもを連れての葬儀は本当に大変です。特に妊娠中となると、地域によっては風習があり、生まれてくる子どもに影響があるかもと心配されることもあります。私の場合は運良く4回とも家で陣痛が始まりましたが、急な葬儀の対応なども含め、妊娠中は自分の体調を考え、ベストな状態を整えておくことが大事だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年12月07日妊娠がわかり、義母や義父に報告をしたときのお話です。私には3人の子どもがいますが、妊娠したときの反応は毎回なぜか出産することを反対するような言い方なのです。同じ母親として疑問を抱くほどの発言をされ、不信感が募ってしまった体験談をお話しします。妊娠判明! 実父母は喜んでくれました最初の妊娠がわかったとき、私と夫はまだ結婚をしておらず、授かり婚になりました。実父母に赤ちゃんができたことを話すと、自分のことのように喜んでくれたのでひと安心。冬に妊娠したこともあり、「これから寒くなるからしっかり温めないと!」「無理しちゃダメよ」と気づかってくれました。 両親から受ける愛情の深さに、初めての妊娠でもあまり不安を感じずに過ごせそうな気がしました。 義母に報告したときの衝撃のひと言私の両親が喜んでくれていたので、同じように喜んでくれると思って義母にも報告をしました。しかし妊娠したことを伝えたときの義母のひと言は、「堕ろしなさい」だったのです。 その言葉のあとに続いたのが、「私も昔、堕ろしたことがあるけれど、早いうちなら体に害がないから大丈夫よ」という言葉。信じられない言葉にショックを受け、何も言えなくなった私に、義母は淡々と堕ろす手順を話し始めたのでした。 夫とはまだ結婚をしていませんでしたが、これから入籍し、産んで育てていきたいと思って2人で報告へ行ったのに、まさか「堕ろせ」と言われるとは思いませんでした。 私が妊娠したとき、夫はまだ社会人になったばかりで、試用期間中でした。義母は夫の仕事が続くかもわからないので、そんな状態で赤ちゃんを育てていけるのかと心配だったこともあると思います。 しかし、いきなりの想定外の言葉に、夫も私も戸惑いを隠せませんでした。 義母を説得してくれた夫私も夫も赤ちゃんを産んで育てていきたいと強く思っていました。義母に本当に育てていけるのか?と問われ、「何があっても俺が守る!」と最終的に夫が義母を説得してくれたのです。 私は初めての妊娠で不安だらけでしたが、そのとき「この人となら赤ちゃんを育てていける」と確信しました。しかし、義母は赤ちゃんが生まれるまでは人間として見てくれないのではないだろうか……と不安になったときのことが今でも忘れられません。 現在、そのときの子どもは4歳になり、その下に2人子どもが生まれて毎日とても幸せです。4歳でもしっかりお姉ちゃんをしている娘を見て、あのとき義母に従わず堕胎しなくてよかったと心から思っています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:永田真結/女性・主婦。4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠や出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年11月16日皆さんは妊娠を経験したことはありますか?今回は「妊娠中のトラブル」を紹介します。イラスト:kialaクラス担任をしていたときに妊娠教師として働いている主人公。クラス担任をしていたときに妊娠しました。職場に妊娠の報告をすると、他の先生がサポートしてくれることになりました。しかし保護者会で「この度妊娠をして…」と報告をすると…。担任に相応しくない?出典:CoordiSnap保護者に「担任に相応しくないと思いますが?」と言われてしまったのです。他の先生がフォローしてくれると伝えても、保護者は納得がいかない様子です。保護者の言葉に落ち込んでしまった主人公。すると別の保護者が主人公を庇い、味方をしてくれたのです。この出来事によって保護者会の雰囲気が一変し、スカッとした主人公なのでした。かばってくれた保護者の「担任に相応しくないと思いますが?」という言葉に落ち込んでしまった主人公。しかし主人公をかばってくれた別の保護者の言葉にスカッとしたエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(CoordiSnap編集部)
2023年11月01日皆さんは、パートナーの行動に衝撃を受けたことはありますか?今回は、夫の行動にうんざりしたエピソードを紹介します。初めての妊娠で…私が以前妊娠したときのことです。経過は順調だったのですが、あるときからつわりが始まりました。初めての妊娠で、つわりがあまりにもきつくて毎日嘔吐し…。臭いで気持ち悪くなることが多く、スーパーに買い物に行くと、お総菜コーナーに近寄れないほどでした。ときに揚げ物の臭いが苦手で、そのことをきちんと夫に伝えていました。買ってきたのは…体調が悪く夕食が作れなかったある日、ベッドで横になっていると夫が仕事から帰ってきました。その夫の手に持っていたのは、スーパーで買ってきた魚の唐揚げでした。ただでさえ、揚げ物はきついと伝えてあったにもかかわらず…。よりによって、臭いの強い魚の揚げ物にはうんざりしました。レンジで温められた魚の唐揚げは家中に匂いを充満させ、余計に吐き気がして苦しかったのを覚えています。そんな気を遣えない夫とは、もう別れました。(30代/女性)お互いに気遣い合いたい夫がとった行動で、主人公の体調に影響が出てしまったようです。妊娠中のつわりについて、もう少し理解しくれると嬉しいですね…。お互いに気遣い、良好な夫婦関係を築いていきたいものです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2023年10月11日自然妊娠を望むもなかなかできず……。多嚢胞性卵巣症候群で排卵ができない状態から、自然妊娠をするまでの実体験を描く漫画家おかゆ(@o_____0o0ky)さん。今回は、そんなおかゆさんの漫画『PCOSだった私が自然妊娠に至るまで』よりワンシーンをお届けします。※こちらのお話はあくまでもおかゆさん個人の体験談です。ついに陽性反応が……!多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)で排卵していなかったおかゆさん。そこで、PCOSの症状改善のため、食事や運動、イノシトールというサプリメントの摂取などを試します。すると、のびおりがでたり、自力で2ヶ月連続で生理が来ます。さらに妊娠検査をすると、陽性反応が出て……!妊娠が判明し……予想外の結果で……夫も妊娠に驚き……!ちなみにタンポンを生まれて初めて挑戦しようとしていたおかゆさん。しかし、妊娠していたため事前に購入した大量のタンポンは、しばらく使わずじまいでした。この漫画に読者は『とても喜ばしいことですね。頑張りが報われてよかったです。』『おめでとうございます。ただでさえ妊娠することは奇跡です。奥さんも旦那さんもよりこの奇跡を噛み締めてると思います。素敵な家族を築けますように。』『いい意味での衝撃の出来事で良かったと思いました。あまりプレッシャーを与えず、気ままに性生活をしていたのが良かったのかもしれませんね。』など、ついに自然妊娠ができたおかゆさんを祝福する声が多く集まりました。夫婦全体の2.6組に1組が……おかゆさんと夫は、気ままな性生活を送っていた中での突然の妊娠が発覚しました。厚生労働省の令和4年の発表によると、日本では、不妊を心配したことがある夫婦は39.2%で、夫婦全体の約2.6組に1組の割合になります。(厚生労働省HPより引用)もしあなたやパートナーが不妊だと判明したら……皆さんはどうしますか?監修者:ひなたクリニック院長、三橋 裕一1964年生まれ。福島県会津若松市出身で2007年に札幌でひなたクリニックを開業。産婦人科医の傍ら、総合格闘技のリングドクターとしても活動。新事業の『内診台を使用したVIO脱毛』に日々奮闘中。※この記事は実話を元に作成されていますが、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。(MOREDOOR編集部)(イラスト/@o_____0o0ky)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年10月05日