「どんな呼び名で呼ばれても、私たちって素晴らしいし」 〜ドリアン・ロロブリジーダの場合〜
が派手な化粧をしてるだけなんだよね。抑圧された自我やジェンダーを開放するために……!みたいなことは全くなくて。ただこれが美しいと思うから、目立ちたいから、楽しいし、楽しませたいからやってるだけ。
性格は、むかしっから明るかったですよ。自分がゲイだということで悩んだこともないし。小学生のころ母親に「あんたのせいでお兄ちゃん(編集部注:ドリアンさんの実兄)が”オカマ”の兄貴だって言われる」だなんて言われたこともあったけど。兄貴、気の毒よねぇ(笑)。 でも、それもあんまり気にしなかった。
というのも”オカマ”よばわりされるような表現が、自分のセクシャリティから自然に出てきたものだったのか、それともおもしろいと思って意識的にやってたのかちょっとわかんなくて。とにかく「自分は”オカマ”の方がいい。羨ましいでしょ〜?」くらいに思ってました。
でもどうなんだろう、それも当時周りにいた友達が良かったからなのかもしれない。こっちが堂々としていたら、そのまま受け入れてくれる人たちでしたから。だから、堂々とすることは今でも大事だなって思ってます。「実はゲイで……」と後ろ暗いことのように伝えてしまうと、相手だってそうとらえてしまう。