「お鮨屋さん」一番好きな食べものは? と聞かれたら、迷わずお鮨と答える。カウンターで、まずはゆっくりお刺身をつまむのが好きだ。二十代前半、渋谷近くの名店に、俳優の先輩が連れて行ってくださった。シンコの時期だから行こうということになり、男性三人プラスおまけの私の四人でうかがった。本わさびは醤油に溶かさず、刺身にのせて食べること、ぬる燗のおいしさもそのとき知った。ゆずの皮を散らした煮蛤(にはま)にも感動。煮蛸もなんとも味に深みがある。卵も貝柱のうまみの甘過ぎないもので、ふわっとしつつキメが細い。私は広島出身なので瀬戸内のおいしい魚は知っていたが、この江戸前の仕事の麗わしさに、ため息が出るほど心打たれ、先輩方と同じカウンターに並ぶ緊張感と、隠れ家のようなその店の佇まいもあり、とろけるように幸せな時間だった。二軒目に向う夏の夜、ノースリーブのワンピースの腕に感じる夜風が心地良く、ハイヒールを履いていたのに、足元がふわふわと夢見心地に軽やかだった。いつしかその店にひとりで通うようになる。入口の戸をガラガラと開ける時のドキドキ。高揚感と共にとても特別なうれしい時間を過ごさせてもらった。今も、やはりひとりのときはカウンターの店を選ぶ。「おいしい!」という言葉は、心の中より口に出したいものだ。笑い話なのだが、20歳の記念に箱根宮の下の富士屋ホテルに初めてのひとり旅をした。そのときの夕食が、まるで鹿鳴館のような大広間でのフレンチ。ナイフやフォークがずらりという“あれ”で、それはそれは孤独だった。それからというもの、ひとりのときはカウンター。行きつけのそういう店 が、好きな街にいくつかあるといい ものだ。あれから20年の時が過ぎ、久しぶりにそのお鮨屋さんに母と行った。ご主人はあの頃のままの謙虚さで、昔と変わらずすべすべとした白い手だった。だけど、何か落ち着かない。すると、急に周りの音が消え、カウンターの隅から二番目に、背筋を伸ばして座っている20代の私がいた。あの頃、ちょっと背伸びして、すてきな大人達に混ざって、ここで幸せな時間を過ごさせてもらってたね。本当に良かったね。そう、こうべを垂れるように静かに思った。それからは、また行きたいと思いながら、まだ行ってない。あの店は、祭のあと の余韻にも似た、私の中のひとつの灯(ともしび)であり、誇りでもあり、そう、青春なのだ。戸田菜穂
2021年12月25日気温が高くても、秋の風を感じるようになってきたなーと思う今日この頃。みなさんこんにちは。かわベーコンです。季節は秋冬が好き…! ただ、この微妙な気温の変化に着る物をどうするか悩む毎日よ…。暑いのと寒いのは仕事に影響が出る(暑くてやる気が出ない&手がかじかんで動かない)ので程よくていいんですがね。一年はあっという間に過ぎるんだなと毎年思います。いつも一緒にいるから気づきにくいけど、娘と息子も日々成長して、体が大きくなったり、精神的に育ってきたなと思います。そんな娘と息子。まずは最近の娘を見ていて思うことです。■自己主張の強いTシャツを着るなど、メンタルが強い娘いや、メンタル強すぎん? 自己主張が強いTシャツが最近のお気に入りらしくてよく着ています。周りの子にその服について突っ込まれるらしいんですが、本人はまったく気にしてないらしく、むしろ楽しいそうです。私もよく髪の毛を派手色にしたりして、母に突っ込まれますが、そういうところは娘と私は似ている…?ただ、ヒソヒソされるのは好きじゃない…。一度きりの人生、好きなことや、好きなものに囲まれて過ごしたい、というのはごもっともなので、これからもそのメンタル大事にしてくれ娘ェ!一方、息子はそんな目立つようなことはしないタイプ。ただ、息子は赤ちゃんの頃から変わってないなと思うところがあります。それは…動き。 ■動くのが大好き! 立派な元気ボーイに育っている息子息子、赤ちゃんの頃、めちゃくちゃ動く子で、特に足をよくビヨンビヨン、ゲシゲシ、バンバン、と動かしていました。足腰の強い子になりそうだなーと思っていましたが、予想通り…ジャンプが大好き! 体動かすの大好き! な立派な元気ボーイに育っています。家でテレビを見ている時もオケツをプリプリさせたり、とにかく動いている…。落ち着きがない、とはちょっと違う。おとなしい時はいい子にしていますが、リラックスしていると足がタコよろしく並に大暴れするみたいです。マグロっていってんのにタコとか…。まぁ、でも同じ海に住む生き物なんで良しとしましょう(よくない)。それでも休日をはさんだりすると、二人とも月曜日になって「足が痛い~」というので、休日は平日ほど動いていないんでしょうね。…あれで動いていないだと…?娘も娘でお友だちと遊ぶとなれば、朝から遊んでいます。子どもって、めっちゃアクティブ〜。自分にもその体力が戻ってきてほしい〜と強く思う母なのでした。
2021年10月15日所ジョージ所ジョージさんは、とても不思議なタレントです。MCを務める番組を見ていても、決してグイグイ前面に出るタイプではありません。司会をしながらギャグを飛ばし続けるお笑いタレントもいますが、所さんは一見、淡々と番組を進めます。それでいて、不思議な存在感と安心感があるのです。そのせいか、所さんが司会をする番組は、長寿番組になることが多い。たぶん、肩に力が入っていない(ように見える)ところが、所さん独特の「味」になっているのだと思います。今回は、そんな所ジョージさんが、落語家の林家正蔵さんに「謎の贈り物」をしたときの話です。■所ジョージさんが渡した桐の箱の中身は林家正蔵さんが、真打昇進襲名披露をしていたときのこと。懇意にしていた所さんに呼び出され、お宅にうかがう正蔵さん。行ってみると、所さんから直々に、手のひらに収まるくらいの桐の箱を渡されました。帰ってから開けてみると、中身は「刀の鍔(つば)」。その鍔には、林家の家紋である「花菱(はなびし)」が刻まれていました。これだけなら、正蔵さんへの立派な真打披露のお祝いです。ところが……。この刀の鍔、なぜか、銀色のラッカー(塗料)で塗装されていたのです。「何これ?どういうこと?」その刀の鍔は、決しておもちゃではありません。どう見ても本物っぽい。実際、正蔵さんが、不思議に思いながらも古美術商に見せてみると「間違いなく、れっきとした本物です」と。その古美術商の鑑定では、普通なら100万円以上の価値があるとのこと。しかし、なにしろ、銀色の塗装がされてしまっています。そのために「残念ながら、価値はゼロになってしまいましたね」と言われてしまいました。なぜ所さんは、価値のある刀の鍔、しかも、林家家の家紋が入った刀の鍔を、わざわざラッカーで塗装して正蔵さんに贈ったのでしょうか?■箱のフタに、書かれていたメッセージ所さんの意図がわからなかった正蔵さんでしたが、ふと桐の箱のフタの裏を見てみると、何やら文字が書かれています。それは、所さんから正蔵さんへ向けた、直筆のメッセージでした。そこには、こう書かれていたのです。「伝統は壊さなければ意味がない」メッセージを見た瞬間、正蔵さんは、めまいがするほどの衝撃を受けたといいます。私は、このエピソードを、長年テレビの世界で番組制作者として活躍され、『恋のから騒ぎ』や『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(ともに日本テレビ系)などのヒット番組を手がけた吉川圭三さんの著書で知りました。所ジョージさんのことをよく知る吉川さんは、このエピソードについて、およそ次のようにおっしゃっています。《所ジョージは、正蔵が林家の伝統を積み上げて芸を磨いていることも、それが大切であることも重々わかったうえで、正蔵に対して「少しは伝統を壊してもいいんじゃない?そのほうがもっと輝けるよ」というメッセージを伝えたかったのではないか?》所ジョージさん、かっこよすぎ!「伝統は壊さなければ意味がない」って、名言だと思います。例えば、日本の伝統芸である歌舞伎の世界では近年、『ワンピース』や『風の谷のナウシカ』などのアニメ作品を歌舞伎にアレンジして上演し、好評を博しています。これなど、いい意味で伝統を壊している例ではないでしょうか。一般企業でも、老舗の会社が時代の変化に合わせて新事業に乗り出して、躍進するということがあります。「伝統」なんて大仰なものでなくても、「ずっとこうすることが慣習になっている」「これについては、このように進めることが決まり」などということ。どこの会社にもあるのではないでしょうか。でも、その慣習。本当に必要なのか?そう考えると、新しい何かが見えてくるかもしれません。伝統は、よいところを残しつつ、積極的に壊していく。そうしてこそ、「より輝ける」のではないでしょうか?(参考:『たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場』吉川圭三著小学館新書)(文/西沢 泰生)【著者PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年07月16日大谷翔平選手メジャーリーグでホームランを連発し、大活躍中の大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンゼルス所属)。彼が花巻東高校から、ドラフト1位で指名され、日本ハムファイターズに入団したのは2013年のこと。その年。はじめてプロ野球のキャンプに参加した際、たった1冊だけ、キャンプ地に持って行った単行本があります。それはいったいどんな本だったのか?なぜ、その1冊だったのか?■無名の会社員が書いた本が選ばれた理由大谷選手がキャンプのお供に選んだのは、『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』という、非常に長い題名の本です。書名からすると、一見、自己啓発書かビジネス書のようですが、中身はその中間のような内容。例えば、イチローやマザー・テレサなど、有名人や歴史上の人物のエピソードをクイズにアレンジして、人生のヒントにしてもらう……と、そんな本です。発売されたのは、’12年の9月。大谷選手がドラフト会議で日ハムに指名されたのが同年の10月25日ですから、ちょうど1か月前の発売ということになります。出版社は、健康に関する本などで数々のベストセラーを生み出している株式会社アスコム。そして著者は……。自分で言うのは、恥ずかしい限りなのですが、実は私なのです。しかも、私にとっては初めての本で、この本を出したときは、まだ、クイズ番組に出演したことがあるだけの「無名の会社員」でした。そんな自分のデビュー本を、あの大谷選手が、プロ入りして最初のキャンプに持ち込む唯一の本として選んでくださったのは、私にとっては奇跡的な出来事です。すでに自分の著書でも自慢……ではなくご報告をさせていただきましたし、SNSでも書かせていただいていますが、今回は、最近の大谷選手の大活躍に刺激され、恥ずかしながら、なぜ大谷選手がその1冊をキャンプへ持っていってくれたのか。その真相についてお話をしたいと思います。実は、私のその本を読んでくださった女性スポーツライターの方が、日ハムのキャンプに参加する直前の大谷選手に「面白い本があるよ、読んでみたら」と手渡してくれたのがきっかけでした。その女性は、東北地方のアマチュア野球やプロ野球を取材されているライターで、大谷選手とは以前からずっと知り合いだったのです。では、どうして私は、大谷選手がキャンプに本を持参してくれたことを知ることができたのか?それは、そのライターさんから、アスコム社に手紙が届いたおかげでした。手紙の中身は、簡単に言うと「私はスポーツ記事のライターをしています。出版社の許可も得ずに大谷選手に本を渡してしまったところ、それが新聞記事になってしまい、申し訳ありませんでした」と、そんな内容。えっ?新聞記事に?ライターさんは恐縮していましたが、こちらとしては、嬉しいことこの上ない話です。逆に「ありがとうございます!」と返事をしました。そんなわけで、大谷選手がキャンプに持ち込んだ本の件は、’13年1月31日の『スポーツ報知』に記事がデカデカと掲載されました。大タイトルは、『イチロードクター中松矢沢永吉赤塚不二夫夏目漱石江頭2:50から学び大谷超一流』小タイトルは、『考え方紹介の本持ち込むきょう沖縄入り』そして中身は……。《日本ハムのドラフト1位・大谷翔平投手(18)=花巻東=が“一流イムズ”を取り入れ、超一流への道を歩む。キャンプ地・沖縄入りを翌日に控えた30日、必須アイテムとして単行本『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(西沢泰生著、アスコム)=写真=を持ち込む考えを明かした。》という出だし。記事中には、大谷選手の言葉も載っていて、「1冊、持っていきます。一流の人の本です。あっちで読みたいです」と。本についてのくだりは「キャンプ中での自由時間に読むつもりで、一流を目指す黄金ルーキーが、偉人の教えを学び取る考えだ」と結ばれ、本の表紙もバッチリ掲載!実はこの本、発売日に朝の情報番組で紹介されて、いきなりドカンと売れた過去があるのですが、この記事が出た日は、その発売日と同様に、ネットでの売れ筋本ランキングの順位がドーンと跳ね上がり、著者としては、ありがたい限りでした。それにしても、いくら「黄金ルーキー」と呼ばれていたとはいえ、メジャーリーグのファンたちが熱狂し、オールスターゲームに史上初めて二刀流で出場するほどの大選手になろうとは……。新聞記事が出た当時の私は、「大谷選手、ぜひ頑張ってプロ野球で活躍してほしい!」なんて、本気で応援していました。今となっては、懐かしくも恥ずかしい思い出です。■大谷翔平選手へ伝えたいこと読書家の大谷選手のことですから、私の本を読んだことなど、もう忘れてしまっていることでしょう。でも、これからプロ野球を背負って立つ偉大な選手が、プロ入り後の初キャンプに自分のデビュー本を1冊だけ持っていってくれたというのは、私にとっては名誉以外の何ものでもありません。大谷選手に本を渡してくれたライターさん(その後、何度かお会いしています)と、それを律儀にキャンプに持っていってくれた大谷選手には、感謝の気持ちでいっぱいです。最後に、大谷選手へ「本のおまけ」として、もうひとつ、先人の名言を。《汝(なんじ)は、汝の道をゆけ そして人々にはその言うにまかせよ》(ダンテ 『神曲』より)「自分が信じる道を行きなさい。言いたいやつには言わせておけばいい」という意味です。野球ファンの1人として、今後のプロ野球の未来を担う大谷選手に伝えたいのは、ぜひ、周囲の声に影響されることなく、二刀流を続けてほしいということ。投打のどちらかの調子が悪くなったり、故障したりすると、必ず「大谷は投打のどちらかに専念すべき」と言い出す専門家が出てくると思うので、ぜひ、無視してほしい。もし、無理やり二刀流をやめさせようとする監督が就任したら、球団にトレードを申し入れて、理解のあるチームへ移ってでも、自分の意志を貫いてほしいと思います。私が言うまでもなく、大谷選手自身がそう考えていると思うので、余計なお世話ですが……。そして、「どうか故障することなく、シーズンを過ごしてほしい」と願うばかりです。(文/西沢 泰生)【著者PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年07月11日ダリの似顔絵作画:ディンドン20世紀に活躍した画家、サルバドール・ダリは奇人だ。くるんとカールしたおヒゲ、数々の奇行、溶ける時計の絵……。詳しくは後述するが、見た目も作品も、明らかに常人離れしている。彼はあまりにキャラが完成しすぎて「どうしておかしくなったのか」や「何を表現しようとしていたのか」については、意外と知られていない。奇人・ダリが誕生した背景には、子どものときに両親から植えつけられた強烈すぎるコンプレックスがあった。今回はダリが10代で背負った3つのコンプレックスとともに、彼の独特すぎる絵画の手法について紹介したい。■「長男の代わり」といわれた幼少期サルバドール・ダリは1904年にスペインで生まれた。父方・母方ともに由緒正しき家系。言うなれば超ボンボン。現代の日本だったら東京・世田谷生まれ、慶應義塾幼稚舎育ちみたいな家庭で育つ。彼には3つ上に兄がいたが、ダリが生まれる前に亡くなっていた。このことが、ダリの人生に大きな影響を与える。1909年のある日、ダリ少年は両親に長男のお墓の前へと案内される。そして現代風に言えば「実は兄がおるんやで。あんたが生まれる前に死んだけど」と、デカめの爆弾を投げられるのだ。ダリは「まじか。妹しか知らなかった」と5歳ながらに衝撃を受ける。ビビっているダリに両親はこう言った。「兄の名もサルバドール・ダリなんよ。まぁ言うなれば、あんたは兄の生まれ変わりやね」。初めての子どもを亡くした両親の悲しみもわかるが、このセリフはあまりにムゴい。ダリは当然「僕ってお兄ちゃんの代わりなんだ……」と悲しむ。そして健気にも「兄の代わりとして生きなければ両親に愛してもらえない」と考えるようになってしまうのだ。そんな彼はとても知的で早熟な子でありながら、意味もなく友人を橋から突き落とすなど、既に奇行はあったようだ。アイデンティティを喪失したことによる承認欲求が、幼い彼を奇行に走らせたのかもしれない。ダリは母親が元画家ということもあり、6歳ごろから絵を描き始める。母親は長男の生まれ変わりという背景もあってダリを溺愛。「ちょっと奥さん、聞いて!わが子の絵がすごいんですけど!」と絶賛するなど才能を応援してくれる存在であり、彼の心の拠り所だった。しかし父親が、母の優しさを凌駕(りょうが)するほどヤバかった。ダリに梅毒(性感染症の一種)の写真を見せては怖がらせるという、トリッキーすぎる虐待をしていたのだ。あれ、毒親ってそういう意味だったっけ……。画像検索はおすすめしないが、梅毒の写真はそこそこインパクトがある。ダリは子どもながら「こんな斑点できてしまうんか……性交渉って怖っ」とドン引きした。その結果、ダリは極度のお母さんっ子として育つ。しかし、悲しいことに愛する母親は、彼が16歳のころにがんで他界してしまう。そして、ここでも梅毒パパの暴走が止まらない。ママが他界してから即座に、嫁の妹と再婚したのだ。つまりダリからすれば、叔母が急に母になった。破天荒パパがダリに重い現実を背負わせすぎたんです。父親の“梅毒攻撃”と母親の死は、ダリの人生に強烈なインパクトを与えることになる。前者によって「女性恐怖症とED」に陥ってしまい、後者によって「マザーコンプレックス」になった。「強烈な自己承認欲求」も含めて、彼は10代という多感な時期に3つのコンプレックスを抱えることになるのだ。■生きづらさが内面の表現に向かわせたダリは18歳で名門のサン・フェルナルド美術アカデミーに入学するが、習うのは昔ながらの伝統的な手法ばかり。「もっと新しいことしたいんですけど」と、老舗企業の新卒社員みたいな不満を抱いていた。そんな尖り切っていたダリは、在学中に印象派ピカソのキュビスム(立体主義)などの前衛的な表現に影響を受けつつ、バルセロナで初の個展を開催して話題に。さらには教授に向かって「ホントに悪いけど、私は教授よりはるかに賢いのでテストは受けないぜ」と告げて中退。芸術の都・パリを訪問する。当時のパリで流行っていたのが『シュルレアリスム(超現実主義)』。よくお笑いで使われる「シュール」の語源になった芸術運動だ。シュルレアリスムは「無意識的に作品をつくること」を目指した。例えば、シュルレアリスムの創始者である詩人のアンドレ・ブルトンは「自動筆記」といって、ババーッと超高速で書き連ねることで、思考をせずに言葉を紡いでいた。「カッコウを飼ってみたいけど、月に4、5回は弁護士になるので、まだ岐阜で踊ったことがない」といった感じ。脳で考えないから支離滅裂だけれど「無意識下には存在する言葉」が出てくるわけだ。つまりシュルレアリスムとは、「無意識」というフィルタを通して、アーティストの心のなかや人生で影響を受けたことを、そのまんま正直に表現するという考えなのである。これだけのコンプレックスを持っていたダリが、人の内面を突き詰めるシュルレアリスムにハマったのは、自然な成りゆきだったと言っていいだろう。彼は無意識を表現するために「夢」を使った。肘かけ椅子に座って、指の間にスプーンを挟んだまま眠る。うとうとして酩酊状態になると、スプーンが落ちてアラーム代わりになる。まどろみのなかで見た映像を、キャンバスに描いていたんです。また、彼はシュルレアリスト時代に「偏執狂的批判的方法」を発明する。1つのイメージでも、記憶や妄想というフィルタを通すことで、人それぞれで見え方が違うという絵画理論だ。例えば「柴犬の写真」を見たとき、過去に柴犬を飼っていた人は「子どものときを思い出すわぁ」などと連想するだろう。結婚を決めた彼氏が柴犬を飼っていたら「休日は朝ごはんを食べて、近所の公園で散歩して……♪」と、理想の暮らしをイメージするかもしれない。ダリは「育ってきた環境によって捉え方は千差万別だ」と、SMAPの名曲『セロリ』の歌い出しみたいなことを言った。ダリはジャン・フランソワ・ミレーの絵画作品『晩鐘』について「夫は帽子で股間を隠しているんだと思う」と解釈したという。 (ちなみにダリは『晩鐘』を「この絵、なんだかトラウマ呼び覚ましてくる。見れば見るほど萎える」などと言いつつ、こよなく愛していた)。ミレー自身は「畑仕事中に聞こえてくる鐘の音に合わせて祈りを捧げている絵を描いたんだよ」と述べている。しかし、女性恐怖症でEDだったダリには無意識的にそう見えているんです 。有名なダリの作品『記憶の固執』(これが、前述の“溶ける時計の絵”)も、偏執的批判的手法を用いて描かれている。ダリは溶けていくカマンベールチーズを見て「あっ、時計だっ……!」と連想した。チーズ(終わりが“柔らかい”もの)を見て、時計(“硬くて”永続的なもの)を連想する。これもダリがEDにコンプレックスを持っていたことに由来しているのかもしれない。■大衆から承認されたダリの“心情”美術好きなら「ダリといえばシュルレアリスム」というイメージを持つ方も多いかもしれない。しかし、彼は先述した創設者の詩人・アンドレ・ブルトンと喧嘩して、シュルレアリスムの団体からは追放されている。その後、1934年に渡米。そこでダリを世間に売り出したのが愛妻・ガラだ。ダリは25歳のときにガラと出会う。彼は女性恐怖症のせいで経験もなかったが、10歳年上のガラの包容力にイチコロだった。ガラは緊張しすぎて笑いが止まらなくなったダリを優しく抱きしめ、勇気づけた。彼女は恋人であり、母でもあったのだ。そして超優秀なマネージャーでもあった。実は彼女、ダリと結婚する前にポール・エリュアールという詩人と結婚していて、ポールを有名にしている。ガラは無名の若手アーティストをプロデュースする能力に長けていた。ダリは後年、ガラが亡くなった際に「人生の舵をなくした」と途方に暮れた。それほどまでに、ダリはガラにすべてを委ねていたのだ。ダリはガラのマネジメントやプロモーションの甲斐もあって、アメリカで大ブレイクする。絵画だけでなくインテリアデザイン、演劇舞台美術の仕事など、とにかく大人気。ダリが作れば何でも売れた。ダリの奇人っぷり、ナルシストぶりが発揮されるのは、特にこのころからだ。「潜水服を着て講演会に登場し、しかも酸素供給がうまくいかず死にかける」「象に乗って凱旋門を訪問する」「“ははは、リーゼントだよ”とフランスパンを頭に乗せて取材にやってくる」「カリフラワーを詰めたロールスロイスでスピーチ会場にやってくる」「書店イベントで病院のベッドと偽医者・看護婦を配置し、自著を買ってくれた人に脳波のコピーをプレゼントする」など、どこからツッコめばいいのかわからないレベルのヤバい人となった。マスコミはダリの奇行を報道し、世間的に彼は「天才すぎておかしな人」というキャラクターになるわけだ。しかし、実はプライベートでは、まじめでおとなしい人であったそう。秋元康並みのキレ者だったガラの戦略も含めて、彼は「天才・ダリ」を演じていた部分も少なからずあったのではないか。かつて、妹のアナ・マリアが『妹が見たサルバドール・ダリ』という、ダリの私生活を書いた暴露本を出したことがある。ダリは大激怒して妹に「もう俺の財産は相続させねぇ!」と絶交したほか、友人たちに「この本は読むなよ!」と手紙を送った。それほどまでに「素顔の自分」をさらけ出すことに抵抗があるのだろう。彼は天才を演じまくった結果「毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。『サルバドール・ダリである』という喜びを」と発言するまでに至った。幼少期から少年期にかけて「自己承認欲求」に始まり、コンプレックスを背負い続けたサルバドール・ダリ。逆境からスタートした彼は、最終的に世間から「ナルシスト」と言われるほど自己肯定感に満ち溢れた。ダリの代名詞である「ナルシズム」はキャラクターだったのかもしれない。しかし、彼の名言に「天才を演じると、天才になれる」という言葉がある通り、逆境を跳ねのけて獲得した自己肯定は決してハリボテではなかったに違いない。(文/ジュウ・ショ)【PROFILE】ジュウ・ショ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。note→
2021年06月25日東京・青海にある赤塚不二夫会館の外観「ああ、やってしまった……」こんな経験はありませんか?例えば、徹夜で仕上げた企画書を保存しようと思ったのに、間違って全部消してしまった!ここまではいかなくても、「気合いを入れて書いた、長文メールの文章が消えてしまった」とか、そういうことってありますよね。あとは、保存のクリック1つで完了だったのに……。頭のなかは真っ白。そんなときに、なんとか立ち直らせてくれる「魔法の言葉」を紹介します。■赤塚不二夫の原稿が締め切り前に紛失!?私は本の執筆を生業としています。原稿はパソコンで作成していて、過去に何度も、「書き上げた原稿のデータを消してしまう」という失敗をしています。原因はいろいろです。完全に自分のミスだったり、原稿の作成中に突然、パソコンがクラッシュして、文章が全部飛んでしまうなど、不可抗力だったり。最近は、原稿を打っている途中でこまめに保存するクセがついていますが、つい先日もやらかしてしまいました。せっかく書き上げて、保存済みだった原稿に、別の原稿をコピペして上書き保存してしまったのです。8ページぶんの原稿が消え失せてしまい、「ウソでしょ」「やってしまった……」という言葉が、頭のなかを駆けめぐりました。こういったアクシデントが起こると、私はいつも「赤塚不二夫さんが編集者に言ったある言葉」を思い出して、書き直す気力を取り戻すようにしています。赤塚不二夫さんと言えば、『天才バカボン』や『おそ松くん』などで知られる大人気漫画家です。お亡くなりになった今でも、キャラクターがCMに使われたり、深夜にリメイク版のアニメが作られたりしていることはご存知のとおり。その赤塚先生が人気絶頂だったころのこと。なんと、徹夜で仕上げた原稿を、担当編集者がタクシーのなかに置き忘れるという事件が起こったのです。真っ青になって赤塚先生のもとに戻ってきた編集者。無くした原稿を探していては、締め切りに間に合いません。ひたすらに謝って、「もう1度、同じ原稿を描いてください」とお願いします。■さすがは赤塚不二夫!それを聞いた赤塚先生からは驚きの言葉が。「まだ(締め切りまでに)時間がある。飲みに行こう!」冗談ではなく、本当に、編集者を誘って飲み屋へ行く赤塚先生。ひと飲みしてから再び仕事場に戻り、締め切りまでに、描き直した原稿をきっちりと編集者に渡したのです。私が「仕事がおじゃんになったとき、気力を復活させるための魔法の言葉」として、ずっと使わせていただいているひと言を赤塚先生が言ったのは、描き直した原稿を編集者さんへ手渡すときでした。赤塚先生は、こう言って、編集者さんに原稿を渡したのです。「2度目だから、(最初より)もっと、うまく描けたよ」赤塚先生!あ、あなたは神ですか!間違って、せっかく書いた原稿を消してしまったとき。私は、いつも、赤塚先生の言葉を思い出し、こう考えるのです。「原稿は消えてしまったけど、消えてしまったおかげで、2回目は、もっとうまく書ける!」そう思って、最初から書き直す気力を呼び起こす。先日、8ページぶんの原稿を消してしまったときも、書き直しのときに、最初の原稿にはなかった話を盛り込むことができました。この考え方。強引ですが、企画書や長文のメール文面が消えてしまったときにも使えますよね。「2回目は、もっとうまく、書ける!」って。せっかくやった仕事がおじゃんになったとき。この言葉、ぜひ、使ってみてください。(文/西沢 泰生)【著者PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年06月24日レディー・ガガ先人や有名人たちが残した名言を穴埋めクイズにしてみました。今回は、外国人の言葉編。あなたは何問わかるでしょうか?1人で楽しんでもよいですし、誰かに先に「答え」を見てもらって、あなたの回答が合っているかどうか判定してもらうと、あーでもない、こーでもないと楽しんでいただけます。■考えることで記憶に残る、穴埋めクイズでは、問題。次の名言の〇〇に入る言葉は何でしょう?名言1「○をバカにする人間から離れなさい。器の小さい人間ほどケチをつけたがる」(マーク・トウェイン/アメリカの作家)ヒント:〇の部分は漢字1文字。あなたの周りにも、これにケチをつける人、いると思います。名言2「お金がないなら○○○○を出せ」(マーク・ザッカーバーグ/実業家・フェイスブックの創始者)ヒント:カタカナ4文字の言葉。おっしゃるとおり、これならお金はなくても出せます。名言3「威張(いば)る男の人って、要するにまだ〇〇でないということよ」(オードリー・ヘップバーン/女優)ヒント:漢字2文字。日頃、周りに威張り散らしている人には耳の痛い言葉。名言4「失敗は、成功を引き立たせるための○○○だ」(トルーマン・カポーティ/アメリカの作家)ヒント:漢字3文字。どこの家庭にもある、あるものに例えています。名言5「明日死ぬかのごとく生きろ。永遠に生きるがごとく○○」(マハトマ・ガンジー/インド独立の父)ヒント:平仮名なら3文字。確かに、こう考えて過ごしたら、有意義な人生になりそうです。名言6「夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。それは、『好奇心(Curiosity)』『自信(Confidence)』『勇気(Courage)』そして『○○』である」(ウォルト・ディズニー/実業家・ディズニーランド創業者)ヒント:漢字2文字。英単語なら、もちろんCではじまる言葉です。名言7「自分が○○する人間の意見だけを聞いてね。○○できない人間の意見は、あなたに対することだろうとなんだろうと無視するのよ」(レディー・ガガ/アメリカの歌手)ヒント:漢字2文字。批判されることが多い人は、こう考えるのがよいかも。名言8「〇〇〇〇〇をする暇があったら、解決策を探せ」(ヘンリー・フォード/自動車王と呼ばれたアメリカの実業家)ヒント:平仮名なら5文字。口を開けば、こればっかり言う人、たまにいます。名言9「1つの冷静な判断は、1000回の〇〇ほどの価値がある」(ウッドロウ・ウィルソン/第28代アメリカ大統領)ヒント:漢字2文字。日本の会社はこれが多い。名言10「計画のない目標は、ただの〇〇〇〇〇にすぎない」(サン=テグジュペリ/フランスの作家)ヒント:平仮名なら5文字。「いつかはやりたい」って言っているうちは、これでしかありません。■あなたは何問、解けましたか?では、「役に立つ名言10選穴埋めクイズ」の解答です。名言1「夢をバカにする人間から離れなさい。器の小さい人間ほどケチをつけたがる」(マーク・トウェイン/アメリカの作家)「そんな夢、叶いっこない」って言っている人は、自分でチャレンジしたことがない人です。そんな人の言葉を信用してはいけません。名言2「お金がないならアイデアを出せ」(マーク・ザッカーバーグ/実業家・フェイスブックの創始者)制作費がないテレビ局は、アイデアで面白い番組を作って視聴率を稼ぎます。アイデアはタダですから。名言3「威張(いば)る男の人って、要するにまだ一流でないということよ」(オードリー・ヘップバーン/女優)私の知人も、一流の人ほど、驚くほど腰が低くて、穏やかです。名言4「失敗は、成功を引き立たせるための調味料だ」(トルーマン・カポーティ/アメリカの作家)確かに成功談には、それを引き立たせる失敗談がつきものです。名言5「明日死ぬかのごとく生きろ。永遠に生きるがごとく学べ」(マハトマ・ガンジー/インド独立の父)ちなみに「マハトマ」は「偉大なる魂」という意味の敬称で、本名は、モハンダース・K・ガンジー。最初に就いた仕事は弁護士でした。名言6「夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。それは、「好奇心(Curiosity)」「自信(Confidence)」「勇気(Courage)」そして「継続(Constancy)」である」(ウォルト・ディズニー/実業家・ディズニーランド創業者)まさに「継続は力なり」ですね。1966年に亡くなっているディズニーの想いが、ずっと受け継がれていることも、驚くべき「継続」だと思います。名言7「自分が尊敬する人間の意見だけを聞いてね。尊敬できない人間の意見は、あなたに対することだろうとなんだろうと無視するのよ」(レディー・ガガ/アメリカの歌手)これ、とてもよい基準ですよね。無責任な他人の言葉に傷つかなくて済みます。名言8「荒さがしをする暇があったら、解決策を探せ」(ヘンリー・フォード/自動車王と呼ばれたアメリカの実業家)「〇〇だからできない」という簡単。「だから、こうやればできる」って、続けて言える人になりたいものです。名言9「1つの冷静な判断は、1000回の会議ほどの価値がある」(ウッドロウ・ウィルソン/第28代アメリカ大統領)私は個人的に、長くて建設的でない会議が多い会社には、未来はないと思っています。名言10「計画のない目標は、ただの願いごとにすぎない」(サン=テグジュペリ/フランスの作家)「いつかはやりたい」って言っているうちは、ただの夢物語。その「いつか」に年月日を入れ込むのが「計画」で、それを作ることが、「夢」を「目標」変える第1歩です。名言穴埋めクイズ、いかがでしたか? 1つでも、人生のヒントにしていただければ幸いです。(文/西沢泰生)【著者PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年06月16日(写真左から)明石家さんま、渡辺直美、大谷翔平人生を賢く生きるうえで、大いなるヒントになる、先人や有名人たちが残した名言。そのなかから10個を厳選して、穴埋めクイズにしてみました。あなたは何問わかるでしょうか?1人で挑戦してくれてもよいですし、誰かに次のページにある「答え」を先に見てもらって、あなたの回答が合っているかどうか判定してもらうと、あーでもない、こーでもないと楽しんでいただけるかと思います。■さっそく挑戦! “役に立つ名言クイズ”では、問題。次の名言の〇〇に入る言葉は何でしょう?名言1. 「医の基本は〇〇にある」(北里柴三郎/医学者・細菌学者)ヒント:〇〇の部分は漢字2文字。医療だけでなく、あらゆることに生かせる考え方です。名言2.「プロはいかなるときでも、〇〇〇〇をしない」(千代の富士/力士・第58代横綱)ヒント:平仮名なら4文字の言葉。この言葉を実行するのは、なかなか難しい……。名言3.「商売とは、〇〇を与えることである」(松下幸之助/実業家)ヒント:漢字2文字の言葉。確かに、この言葉を実現している企業は成功しています。名言4.「〇〇というものは1つできると、〇〇の上にまた〇〇がどんどん積み重なって、雪だるま式に大きくなるものである。だから、〇〇という階段を上がるだけで、カネはあとからついてくる」(本田宗一郎/実業家)ヒント:すべて漢字2文字の同じ言葉です。名言5.「どんなに的確な批評の言葉より、『〇〇〇〇〇』のひと言のほうが励まされるし、やる気も出るものです」(星野源/俳優、シンガーソングライター、文筆家)ヒント:平仮名なら5文字。人からこう言われると、確かに嬉しいかも。名言6.「『〇〇が定まっている人間は強い』というのが僕の信念です」(松山英樹/プロゴルファー)ヒント:〇〇の部分は、漢字2文字。松山選手はこの言葉を自ら証明しました。名言7.「〇〇な夢のほうが見失わない」(明石家さんま/お笑いタレント)ヒント彼の言うとおり、こういう夢は見失わないでしょう。名言8.「商売をするうえで重要なのは、競争しながらでも〇〇を守るということだ」(渋沢栄一/実業家)ヒント漢字2文字です。競争に勝つより大切なことは?名言9.「〇〇にとらわれたくない」(大谷翔平/メジャーリーガー)ヒント:メジャーリーグでピッチャーとバッターの両立、二刀流に挑戦している彼が、「とらわれたくない」と思っていること。簡単ですね。名言10.「〇〇のことを好きになったらどんなこともできるよ」(渡辺直美/お笑いタレント・女優)ヒント漢字2文字。私も、すべての始まりは、これだと思っています。■一度考えると、より頭に残る!では、「役に立つ名言10選穴埋めクイズ」の解答です。名言1.「医の基本は予防にある」(北里柴三郎/医学者・細菌学者)本当に大切なのは、病気を治すことではなく、病気にならないようにすること。会社にあてはめれば、リスク管理の大切さでしょうか。名言2.「プロはいかなる時でも、言い訳をしない」(千代の富士/力士・第58代横綱)プロは結果がすべて。でも、つい言い訳してしまいますよね……。名言3.「商売とは、感動を与えることである」(松下幸之助/実業家)エンターテインメント産業しかり。そして、「なんて便利なんだ!」「なんておいしいんだ!」って、どんな業界もすべて、感動を商売にしていますよね。名言4.「信用というものは1つできると、信用の上にまた信用がどんどん積み重なって、雪だるま式に大きくなるものである。だから、信用という階段を上がるだけで、カネはあとからついてくる」(本田宗一郎/実業家)現代は、昔以上に、信用がお金を生み出す時代になった気がしています。名言5.「どんなに的確な批評の言葉より、『おもしろい』の一言のほうが励まされるし、やる気も出るものです」(星野源/俳優、シンガーソングライター、文筆家)関西では、「おもろいやっちゃな」が最高の褒め言葉だと聞いたことがあります。名言6.「『目標が定まっている人間は強い』というのが僕の信念です」(松山英樹/プロゴルファー)アジア人史上初のマスターズ優勝はまさに快挙。高い目標を持つことの強さを体現してくれました。名言7.「大きな夢の方が見失わない」(明石家さんま/お笑いタレント)おっしゃるとおり、いつも目の前に、大きな夢があったら、見失いようがありません。名言8.「商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ」(渋沢栄一/実業家)道徳を守らない企業は、成長はしても、いつかは衰退する日が来るような気がします。名言9.「常識にとらわれたくない」(大谷翔平/メジャーリーガー)開拓者はいつも、「常識なんて、ただの思い込み」だということを教えてくれます。名言10.「自分のことを好きになったらどんなこともできるよ」(渡辺直美/お笑いタレント・女優)渡辺さんは、「今の自分が好き」と言い切っています。次々と夢をかなえる彼女の原動力です。名言穴埋めクイズ、いかがでしたか?穴埋めの部分を考えることで、名言がより印象に残ります。1つでも、人生のヒントにしていただければ幸いです。(文/西沢泰生)【著者PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年06月11日※画像はイメージですもし、元上司があなたの自宅に泊まりに来て、「いつか大切な日に飲もう」と思ってずっと大切にとっておいたワインを、勝手に飲んでしまったとしたら……。きっと、怒り狂いますよね。これは、そんな体験をしたにもかかわらず、その元上司から「ワインを勝手に飲んだ理由」を聞いて、思わず納得させられてしまった……という話です。■元上司の“衝撃行動”にア然前述の体験をしたのは、かつてアメリカのモルガン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)などに勤務し、「伝説のディーラー」と呼ばれ、現在は経済評論家として活躍されている藤巻健史(ふじまき・たけし)さんです。藤巻さんによれば、自分が伝説のディーラーとしてモルガン銀行で活躍できたのは、マーカスさんという切れ者の上司が、自分を信用して「大きな勝負」をさせてくれたからなのだとか。藤巻さんが「彼には絶対にかなわない」と言うほど優秀な銀行マンだったマーカスさんは、50代半ばにしてモルガン銀行をリタイア。早々に第二の人生へのチェンジを果たします。藤巻さんもその後、同銀行を退社し「投資家へのアドバイザー」へと転身しますが、恩人であるマーカスさんとの交友はずっと続いていたそうです。さて。お互いにもうモルガン銀行をリタイアしてからのこと。マーカス夫妻が日本に遊びにきた際、藤巻さんのお宅に1か月ほど滞在したことがありました。事件(?)が起こったのはそのときです。実は藤巻さん、自宅に小さなワインセラーを持っていて、その上段の棚に「いつか特別な日に開けよう」と、高級ワインを大切にキープしていました。ところが……。なんと、このマーカスさん。藤巻さんのお宅に滞在した初日から、勝手にワインセラーを開けると、このワインを開栓して飲んでしまうではありませんか!しかも、それが毎夕食ごとに続くのです。いくら恩義のある元上司とはいえ、これはいくらなんでも……。■抗議すると、意外な答えがたまりかねた藤巻さんは、マーカスさんに「それは特別な日のためのワインです」と抗議しました。すると、マーカスさんからはこんな言葉が返ってきたのです。「タケシ、特別な日などそうは来ない。日々を毎日大切に気持ちよく生きることが大切なのだよ」今、この瞬間を、いちばん大切にする!このマーカスさんの言葉。真理ですね。「いつか特別な日」って、確かに、なかなかやってきません。大切にキープしているうちに、ワインセラーの故障で、全部のワインをダメにしてしまうことだってあるかもしれません。だったら、出し惜しみしないで今、楽しんでしまったほうが、ある意味正解なのかも。禅の教えのなかに、「前後際断(ぜんごさいだん)」という言葉があります。ここでいう「前後」とは、「過去」と「未来」のこと。今さらやり直せない「過去」にとらわれるな。そして、どうなるかわからない「未来」のことを心配して不安がるな。そんな「過去」や「未来」は断ち切って、「今、この瞬間を生きなさい」というような意味です。私の知り合いの、あるセミナー会社の社長さん。新型コロナの影響で、予定していた約100本のセミナーが全部、キャンセルになってしまいました。正直、会社存続の危機。でも、あるとき開き直って、こう考えたそうです。「セミナーがなくなってしまったこと(過去)を、いつまでも悔やんでいても仕方ない。それに、先が読めないのに、これから会社がどうなってしまうのか(未来)と不安がっても意味がない」まさに、「前後際断」の境地に達したのです。そして、社員たちに、こう伝えました。「今期は、もう、売り上げがゼロでも構わない。目先の売り上げがないことにビクビクしないで、今できることとして、来期に向けて、仕事の種まきをやってほしい!」社長のこの言葉で、社員たちの不安は消えたといいます。2020年期は徹底的に種まきに特化した結果、’21年になってから、完全リモートでのセミナーの開催など、新たなビジネスが広がったそうです。先が見えないときは、後悔や未来の心配より「今、この瞬間にできることに特化!」アイデアだってそうですね。「とっておきのアイデア」を出し惜しみしていると、誰かに先を越されて後悔することになるかも。使ってしまえば、また次のアイデアが浮かんでくるものです。出し惜しみせず、「今」使いましょう。さて、かつての上司の言葉に、つい納得させられてしまった藤巻さん。結局、藤巻家のワインセラーは、マーカスさんが滞在していた1か月の間に空になったそうです。(文/西沢泰生)《参考:『コロナショック&Xデーを生き抜く お金の守り方』藤巻健史著/PHPビジネス新書》【著者PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年05月27日銭湯の壁画にも使われている葛飾北斎の『富嶽三十六景』『富嶽三十六景』をはじめ、庶民の生活や風景を描き続けた浮世絵師・葛飾北斎。日本国内はもちろん、19世紀の後半にヨーロッパでジャポニスム・ブームが起こってからは、ゴッホやドガなど西洋の芸術家にも影響を与えた。また絵画だけでなく、漫画文化にも貢献している“アート界の巨人”である。そんな天才・葛飾北斎は、絵に没頭し過ぎて「ザ・変わり者」な人生を送ったことでも有名だ。その背景には「創作に集中すること」また「常に初心を忘れずに向上心を保つこと」があった。■北斎、借用書に「屁クサイ」北斎は幼いころに苦労をした人物で、12歳ごろから貸本屋の丁稚(でっち)として働いている。この「貸本屋」がキーワードの1つだ。丁稚時代の経験によって大衆の暮らしに触れ、また、寺子屋に行かずとも読み書きができるようになった。さらに、挿絵に興味を持ったことで、6歳から抱いていた「絵を描きたい」という思いが強くなり、絵画の勉強をするように。その後、19歳で勝川派に入門して浮世絵師・勝川春章のもとで本格的に絵を始め、90歳で亡くなるまで71年間、絵を描きまくる。そんな北斎の人生は、まさに絵を極めるためにあった。その結果、絵画の歴史を変えるような作品をいくつも世に出した。特によく知られる作品は『北斎漫画』と『富嶽三十六景』だろう。北斎漫画は1814年、北斎が50歳を超えてから描き始めた作品で、総図数は約3900。彼自身が「漫(そぞ)ろに描いた絵のことだよ」と言う通り、浮世絵に比べて軽快なタッチで描かれている。本来は1巻で完結するはずだったが、売れに売れたため、北斎の没後まで発刊された江戸時代の超ベストセラーだ。現在の漫画のようにセリフがあるわけではないが、令和のいま見ても笑えるのがすごい。人間と自然に加え、神仏や妖怪などあらゆるものが描かれているのだが、ちょんまげ姿の男性が変顔でおどけていたり、町人がやたらハイテンションで踊っていたりと、何も考えなくても、ついクスッときてしまう。北斎は、借用書の署名に名前をもじって「屁クサイ」と書くなど、とてもユーモアに富んだ人としても知られている。北斎漫画には、まさに彼のユーモアが詰め込まれているんです。『富嶽三十六景』は1831年ごろに初版が刊行された。その名のとおり、富士山の版画集である。全46図のなかでも有名なのは、激しい大波と3隻の船、奥にのぞく富士山が描かれた『神奈川沖浪裏』だろう。その波の形状がハイスピードカメラで撮影したものとそっくりだった、という事実は話題になった。70歳を超えながら、北斎には亀田三兄弟なみの動体視力があったのか。それとも、天才の想像力が現実に追いついたのか……。なぜ再現できたのかは謎だが、とにかく『富嶽三十六景』が画壇に与えた衝撃は大きい。日本画に「名所絵」というジャンルを生み出すとともに、モネやセザンヌなど西洋の大物画家にも影響を与えたのだ。国内外を問わず功績をあげた北斎は、とにかく「絵を極めること」に向かって突き進む人生を送った。彼は勝川派を去った30代半ばから挿絵の依頼を大量に受注し、弟子もいたが、現状に甘んじてはいない。「初心を忘れないこと」「絵に集中すること」を大事にし、常に新しい表現を模索する”チャレンジャー”であった人だ。そして北斎は絵に没頭するあまり、ぶっとんだ私生活を送った。例えば、ちまたで話題のエピソードに「30回の改名」がある。彼は勝川春朗としてデビューして、今では葛飾北斎として知られている。しかし宗理(そうり)や戴斗(たいと)、為一(いいつ)、卍(まんじ)など、生涯で30回も改名しては、弟子に名前を譲りまくっている。その背景にはやはり「初心を忘れないため」という考えがあった。決して葛飾北斎という名前にあぐらをかかない。自分を常に刷新することで、絵に対して謙虚であり続けたのだ。そんな彼が70歳を超えてから名乗った号が「画狂老人卍」。もはやキラキラネームとか、そういうレベルではない。あまりに攻め過ぎている。歳を重ねたとて、彼の心は若かった。謙虚に絵に挑み続けた姿勢が、このユニークな”号”にもあらわれている。また、彼は改名癖とともに、引っ越し癖があったことでも知られている。その数、なんと93回。なぜそんなに引っ越すのかというと、シンプルに「汚れるから」だ。彼はまったく自炊をせず、食事をする際は「買う・もらう・出前をとる」の3択だった。しかし、絵に集中したいからゴミ出しなんてしない。包装はそのへんに捨てて、すぐに筆を持つ。その結果、部屋が汚れるので引っ越しをしていたわけなんです。また、北斎は9月から4月までずっとこたつに入っており、眠くなったらそのまま横になって起きたら絵を描く、という生活を続けていたそうだ。さらに、絵の邪魔をされたくなかったため、米や薪の業者が請求に来ると、画工料を包みのまま放ったという。Uber eatsの宅配員に、給料がまるまる入った茶封筒を渡すようなものだ。だから北斎は売れっ子画家にも関わらず、ずーっと貧乏だった。また、彼は人づき合いを極端に敬遠していた。ほとんど世間話をせず、知人にもあいさつしかしなかったという。さらには、人との交流をしたくないので、外出するときはお経を唱えながら歩いていた 。すさまじすぎる奇人っぷりだ。■北斎の向上心が集約された最期の言葉北斎がここまではちゃめちゃなプライベートを過ごしていたのは、言うまでもなく絵に集中したかったからだ。先述したように、彼は常に初心を忘れず、謙虚かつ真摯(しんし)に作品と向き合っていたんです。彼は75歳のころに出版した『富嶽百景』の最後に「6歳から絵を描いてきたが、70歳までに描いた絵は全然ダメだ。90歳まで描くときっと極まる 。100歳を超えたら、ようやく生きているような絵を描けるようになるだろう」といった言葉を書いている。日本絵画に新たなジャンルを確立し、藩主ですら頭を下げて北斎に屏風絵を頼み込むほど、彼の絵は認められていた。しかし、何より北斎自身が、その絵に満足していなかった。ここに、葛飾北斎という人のとんでもない才能があると思う。彼が生涯で描いた絵の枚数はおよそ3万4000点だ。仮に1日2枚描いたとしても、45年以上かかる。北斎は人物画、漫画、名所絵、妖怪画など、次々にモチーフや作風を変えながら、初心を忘れずに絵を描き続けていた。そんな北斎は「もう10年……いや、5年生きられたら本物の画家になれただろう」という言葉を最期に、90歳でこの世を去った。江戸時代の平均寿命は30歳代ともいわれる。北斎が驚くほど長生きできた理由の1つには「最後まで向上心をもって絵を描き続けたから」という事実もあるだろう。(文/ジュウ・ショ)【PROFILE】ジュウ・ショ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。note→
2021年05月23日“人生は、旅である”という言葉がありますが、こどもの頃『兼高かおる世界の旅』というTV番組が大好きで、毎週楽しみに見ていました。未知なる世界も魅力的でしたが、旅する兼高かおるさんもとても素敵でこんな大人になりたいと思ったものです。そんなこともあり20代の頃に縁あって福岡の旅行会社で3年ほど働いていたことがあります。旅行会社では、国内海外旅行の接客予約手配業務、パッケージツアーなどの添乗をしていましたが、旅という幸せな時間をサポートするお仕事は、直接お客様の喜ぶ顔を見ることができ、とても楽しかったのを覚えています。老若男女、様々な立場の方のお世話をさせていただいたのは、今になって思えばとても貴重な経験でした。この春、旅行を予定されている方も多いことでしょう。旅をテーマにした名作映画といえば、ベン・スティーラ監督・主演の『LIFE!』ですね!シネマの時間第4回は、ニューヨークの伝統ある雑誌社『LIFE』で働く平凡で空想癖のある主人公が、壮大な旅を経て人生を変えていくファンタスティックなヒューマン・ドラマ『LIFE!』をご紹介させていただきます!■映画『LIFE!』あらすじ - 世界を知ろう、お互いを知ろう、それが人生の目的だから©︎YUMIMOROTO主人公のウォルター・ミリーは、ニューヨークの伝統ある雑誌社『LIFE』の写真管理部で16年働いているベテラン社員。不器用な性格ゆえに人付き合いが苦手で、想いを寄せる同僚の女性シェリルにも話しかけることすらままなりません。変化のない単調な日々を過ごす彼の唯一の楽しみは、むなしい現実から逃避する刺激に満ちた空想をすることでした。空想の世界では、時にアクションヒーロー、時に勇敢な冒険者となり、シェリルに対しても情熱的な人間になることができたのです。そんなある日『LIFE』誌にもデジタル化の時代の波が押し寄せ、事業再編にともなう休刊が決定されてしまいます。『LIFE』誌代表のフォト・ジャーナリストであり冒険家のショーンは、誠実で質の高い仕事ぶりから、ウォルターのことを非常に信頼していました。世界中を飛び回る彼にとって仕事熱心なウォルターは、彼の写真を安心してゆだねることのできる志を共にしたかけがえのない存在だったのです。『LIFE』誌の休刊をいち早く知ったショーンは、ウォルターに宛ててこれまでの仕事ぶりに感謝を込めた手紙と最後の撮影フィルム、「素晴らしい仕事に感謝」という言葉と『LIFE』社のスローガンが印字された革財布の贈り物を届けます。しかし送られたはずの『LIFE』誌の最終号の表紙を飾る大切なネガが見当たりません。そこでウォルターは、一大決心をしてネガの在処を求めてショーンを探す冒険の旅へと出発するのです。ショーンを追って、北極圏のグリーンランドからアイスランドの火山地帯やヒマラヤへ。ありえないほど奇想天外な道のりは、はからずも彼の可能性を引き出し、人生を輝かしく一変させていくのでした。■この映画の主人公はあなたです!現状を抜け出して、新しい自分に変わりたい。日々の生活や仕事に追われ、それなりに充実しているけれど恋愛になかなか踏み込めない。なりたいものややりたいことが沢山あったはずなのに、夢を追いかけることを諦めてしまった主人公のウォルターは、誰もが「これって自分のことかも」と思い当たるキャラクターです。そんなウォルターが『LIFE』誌の最終号の表紙を飾る大切なネガを探すために、未知なる冒険の旅に出発。彼が、自分自身の可能性を見出し生き生きと変わっていく様子は、見る人すべてに勇気と希望を与え深い共感を覚えずにいられません。かけがえのない人生の瞬間を謳い上げた珠玉のストーリーは、あなた自身の物語でもあるのです!カメラマンのショーンからウォルターへ『LIFE』誌のための最後のフィルムとともに感謝の気持ちを込めて贈った皮財布には、映画の根底にあるメッセージでもある『LIFE』誌のスローガンが印字されており心に響きます。“世界を見よう”“壁を越える勇気を持とう”“いろんな人と出会い、お互いを知ろう”“そして感じよう”“それが人生の目的だから”そしてショーンは、「LIFE誌の最後の表紙には25番のネガを採用していただきたい。25番は俺の最高傑作だ。人生の真髄とはこれだ。いい仕事をしてくれ。信頼している。」とウォルターに宛てた手紙に書いていました。このネガが見当たらないためにウォルターは、“人生の真髄”を探す旅になるのですが、ネガに映し出された“人生の真髄”とは何だと思いますか?ただのロードムービーでないところがこの映画の素晴らしいところで、最後のシーンは何度見ても心あたたまり感動します。人生は短い。好きなこと、やりたいことがあるのなら、やってみるべきですね!■未知なる旅を彩る壮大なロケーションウォルターの旅を彩る壮大なロケーションも本作の見所のひとつです。空想の世界を抜け出し、北極圏のグリーンランドからアイスランドの火山地帯やヒマラヤへ。大自然の中に身を投じたウォルターが、ヘリコプターに飛び乗り、極寒の海にジャンプし、一日漁船員となり、荒々しい大地を駆け抜け、スケートボードで疾走し、ノシャック山を登頂し、過酷な雪山を越えていく光景は、息をのむほどの驚きと美しさに満ち溢れています。ようやくショーンを見つけたウォルターが、ふたりで幻のユキヒョウを見たり、夕暮れのなか現地の人達とサッカーをするシーンは、空想の世界以上の素晴らしさで男同士の友情にグッとくることでしょう。旅するなか素晴らしい多くの出会いを通して地味で平凡だったウォルターが、カッコ良く素敵に変わりはじめる瞬間を共有したみなさんは愛おしい幸福感でいっぱいになるに違いありません。また、ウォルターを取り巻く豪華なキャストも魅力的です。『LIFE』誌の表紙をになう冒険家のカメラマン、ショーン・オコンネルに扮するのは、『ミスティック・リバー』『ミルク』で二度のアカデミー主演男優賞に輝く名優ショーン・ペン。ウォルターが恋するヒロインのシェリルには、人気女優クリスティン・ウィグがあたたかな雰囲気で親しみやすく演じてウォルターの恋を応援せずにはいられません。また、ウォルターの母親を『アパートの鍵貸します』『愛と追憶の日々』などで伝説的な大女優シャーリー・マクレーンが存在感たっぷりに脇を引き締め安定の満足感です。■音楽とポスターの効果的な演出劇中の音楽やビジュアルも、効果的に演出されており素敵です。特に、ショーンを追ってアイスランドで酔っぱらいの運転手が操縦するヘリコプターに乗るかどうかの決断をするシーンで想いを寄せるシェリルが空想でギターを持ってDavid Bowieの名曲「Space Oddity」を歌いながら現れるのは印象的でした。まさにこの歌が、ウォルターに新しい世界へ一歩を踏み出す勇気を与えるのです。そしてオフィスのインテリアのビジュアルにも注目です。ご存知の通り、実際の『LIFE』誌はアメリカで2007年まで刊行し、写真を中心にアメリカの思想・政治・外交を世界に魅力的に伝える名グラフ雑誌ですが、現在は映画通りWEB上で事業を続けています。劇中では歴代の『LIFE』誌のカバーポスターがオフィスに飾られ、それがまた素敵なのです。特に、ウォルターがカメラマンのショーンを探すことに決めて廊下を走りだすシーンでは、モハメド・アリやジョン・レノン、宇宙飛行士などのヒーロー達が映し出されワクワク感をかき立ててくれます。是非、この機会に新しい自分へ人生観を広げてくれるヒューマン・アドベンチャー映画『LIFE!』をお楽しみください!■映画『LIFE!』作品紹介公式ホームページ:foxmovies.jp/life/movie©2013 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved.原題:THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY製作年:2013年製作国:アメリカ映倫区分:G配給:20世紀フォックス映画上映時間:114分監督:ベン・スティラー原作:ジェームズ・サーバー脚本:スティーブ・コンラッド製作:サミュエル・ゴールドウィン・Jr.、ジョン・ゴールドウィン、スチュアート・コーンフェルド、ベン・スティラー撮影:スチュアート・ドライバーグ美術:ジェフ・マン衣装:サラ・エドワ音楽:セオドア・シャピロ編集:グレッグ・ヘイデン■『LIFE!』キャストベン・スティーラー=ウォルタ・ミティショーン・ペン=ショーン・オコンネルクリステン・ウィグ=シェリル・メルホフシャーリー・マクレーン=エドナ・ミティアダム・スコット=テッド・ヘンドリックスバットン・オズワルト=トッド・マハールキャスリン・ハーン=オデッサ・ミティアートディレクション・編集・絵・文=諸戸佑美
2021年05月20日眩しい笑顔が素敵!日の丸を広げる、走る冒険家・Ponちゃん拳銃を突きつけられて、ホールドアップ。「命が惜しければ、金を出せ」日本では、なかなかない話。でも海外旅行では、国によっては、ありえない話ではありません。そんなとき、いったいどう対処すればいいのでしょうか?■「50ドルが命の値段です!」私がかつて、1986年に行われた『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)に参加し、アメリカへ行ったときのこと。ハワイのチェックポイントで勝ち抜いてアメリカ本土に飛ぶことが決まった挑戦者たちに対して、番組スタッフから、およそ次のような注意がありました。「皆さんは、これからアメリカ本土に上陸しますが、本土は観光地のハワイと違って、危険なことがたくさんあります。裏道に入ったら、昼間でも、拳銃を突きつけられてホールドアップされても不思議はありません。皆さんの誰かにもしものことがあったら、この番組は終わります。ですから、財布のなかに最低50ドルくらい入れておいて、いざというときは、財布ごと相手にあげてください。そうすれば、たぶん命は助かります。50ドルが命の値段です!」この注意が本当のことなのか、本土行きが決まって浮かれている出場者たちの気を引き締めるための「おどかし」だったのかはわかりません。でも、この「命の値段が50ドル」というフレーズは、やけに印象に残りました。■生まれて初めての「ホールドアップ」!鹿児島に、「走る冒険家」こと、Pon(ぽん)ちゃんという女性がいます。本名は岩元みささんといい、生まれは1993年。もともと陸上競技をやっていて、高校を卒業後「私自身が挑戦する姿で、周囲の人を勇気づけたい!」と考え、冒険家になった方です。日本で開催されるマラソンだけでなく、世界一過酷と言われる『サハラマラソン』や『イラニアンシルクロードウルトラマラソン』などにも参加されています。2018年の『イラニアンシルクロードウルトラマラソン』では230キロを走破して、日本人初の完走者として話題になったこともあります。このPonちゃん。南アフリカのケープタウンで、現地人の男性にナイフをつきつけられて、「money!」とお金を要求されたことがあるそうです。治安の悪い国に行くこともある冒険家ですから、「いつかはホールドアップに遭遇するかもしれない」と覚悟はしていました。しかし、実際にそうなってみると、怖い……。冷静を装ったけれど、本当に怖かったそうです。おとなしくお金を渡せば、命は助かるかもしれません。しかし、Ponちゃんの頭のなかに、怖いながらも、こんな思いが浮かんできたのです。(ここで私がお金を渡してしまったら、日本からの旅行者が、また同じ目に遭うかもしれない。そして、この人はこれからも同じ手段で、日本人やアジアの人たちからお金を奪い続けて生きていくことになるかもしれない。それは、どっちも嫌だ!)生まれて初めての「ホールドアップ」に恐怖を感じながらも、Ponちゃんはそう考えたのです。■ナイフをつきつける相手に伝えた言葉そんなことを考える間も、ナイフはずっと右の脇腹に突きつけられたまま。まさに絶体絶命。そのとき。(この人は、きっと、愛が足りていない)Ponちゃんは、そう感じました。そして、携帯の翻訳機能を使って、こんな言葉を相手に伝えたのです。「私は日本人です。日本人はアフリカ人のことが大好きです。私は、あなたと友だちになりたい」意外な言葉に驚く相手。すぐには受け入れられない様子。しかし、その後、何度か言葉をやりとりするうちに、相手は突きつけていたナイフをおろして、携帯にこんな言葉を打ち込んでくれたのです。「Sorry」(よかった!心が通じた!)安心したPonちゃんは思いました。(ここでこのままお別れしたら、この人は、あとから「あのときはうまく言いくるめられてしまった」と思うかもしれない……それも嫌だな……)そこで、提案しました。「友だちになってくれてありがとう。ナイフをおろしてくれてありがとう。友だちになった記念に、一緒に買い物に行きましょう。あなたは、何が欲しいのですか?」聞けば、その男性。本当にお金がなくて困っていて、赤ちゃん用のオムツが欲しいと。Ponちゃんは「これは、友だちになった記念だからね」と念押しをしたあと、2人でオムツを買いに行き、仲よくお別れしたそうです。なんて素敵なホールドアップの話でしょうか!Ponちゃんは言っています。「相手を脅して奪うのではなく、仲よくなって助け合うという関係性を、地球で生きていくみんなが大切にしていけたら、世界は平和に向かっていくと信じています」この話を聞いて思いました。「本当にお金に困ったときは、人差し指を相手に向けて、ホールドアップのまねをする。それをされた相手は、“好意としてあげられる額”のお金を黙って渡してあげなくてはならない」そんな慣習を世界中で「約束ごと」にしたら、世界中から「物騒(ぶっそう)な本物のホールドアップ」がなくなるのではないか?……と、そんな夢のようなことを考えてしまいました。(取材・文/西沢泰生)【PROFILE】走る冒険家Ponちゃん(岩元みさ)◎1993年7月4日生まれ。鹿児島県出身。『サハラマラソン(237km)』『ナミブレース(251km)』などで完走。2018年『イランシルクロードウルトラマラソン(230km)』では、最高気温63.1℃の中、日本人初完走。モチベーショナルスピーカーとして講演活動もしている。『走る冒険家Ponちゃん公式チャンネル』→【著者PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。『アタック25』『クイズタイムショック』などのクイズ番組に出演し優勝。『第10回アメリカ横断ウルトラクイズ』ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年05月17日フランスのオルセー美術館前の看板に飾られたゴッホの自画像世界でトップクラスに有名な画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。彼はわが道を突き進み続けた“ヤバい人生”を送ったことで知られる。特に、1956年に伝記映画『炎の人ゴッホ』が上映されてからは、世間的に「ゴッホ=情熱の画家」というようなイメージがついた。まったくその通りだ。彼が作品にかけるパッションはハンパじゃなかった。まぎれもなく天才だ。しかし、ゴッホは絵画にのめり込むあまり、「絵を描く前にやることがあるだろ」とツッコみたくなるほど、私生活がボロボロだった。常に情緒不安定かつ、自分で生活費を稼ぐ気がまったくない。ひと言で言うと「メンヘラでヒモの芸術家」なのだ。そんなゴッホのメンヘラっぷりがいかんなく発揮されたのが、先輩の画家、ポール・ゴーギャンと繰り広げた「耳切り事件」である。今回は、ちょっと常人では理解が追いつかない、ゴッホのドタバタな人生について見ていこう。■会社も伝道師も解雇され、キレて家出ゴッホは1853年にオランダで生まれた。少年時代からいわゆる“キレやすい子ども”で癇癪(かんしゃく)もち。親族を含めて周りとまったくなじめず、高校(国立高等市民学校)も中退してしまう。早々にニートとなった16歳の彼は、伯父のコネで画商の会社に就職し、約6年間のサラリーマン生活を送った。その後の奔放な人生をふまえると、6年間勤めただけでスタンディング・オベーションしたくなるくらいの快挙だ。ただ、ゴッホはサラリーマン時代、ずーっと人間関係がうまくいっていなかった。そのうえキリスト教にハマり、クリスマスの休暇申請を却下されたにも関わらず無視。実家に帰省した結果、解雇される。退職後はキリスト教の伝道師を目指して神学部の受験勉強をはじめるも、難しすぎてサボるように。父から、現代風に言うと「おまえはもはや、ただのニートだぞ。学資も自分で稼げよ」などと言い渡されて、さらにやる気をなくしてしまう。結局、受験はしなかったが、25歳で伝道師になる。ただ、教えが自己流すぎて先輩の牧師から「ゴッホ、あんたキリスト教をわかってないよ。解雇です」と告げられ、伝道師の道も断たれた。そのあげく「もう夢も希望もないよ……」とうつ状態で放浪生活をした果てに、ズタボロの状態で実家に帰ってくる。見かねた父親は「息子よ、もう精神科病院に行こう」と誘うも、病人扱いされたことにゴッホは激怒。ぶちギレて家出してしまう。当時、彼はとがりきったヤンキー高校生みたいなメンタルだった。仕事も親の援助もない。ゴッホは26歳にして、すでに絶望的だったんです。そんな状況のなか、彼を金銭的・精神的に支えたのが弟・テオドルス(通称・テオ)だ。ゴッホはテオのヒモになって、人物画や風景画を描く生活に入るのである。意外と遅い画家生活のスタートだった。■あらゆる人間関係が全滅するゴッホゴッホは画家になってからも、もちろんアルバイトなんてしない。28歳のとき、歳上のシングルマザーに恋をして求婚するも「あんた、ヒモでニートじゃん。無理よ、無理」といった具合にコテンパンに拒まれて、またも病む。しかし、諦めきれずにテオの金で交通費を捻出し、相手の実家に押しかけるも「ゴッホ、親の私が言うのもなんだが……脈ないぞ」などと相手の家族からドン引きされ、意気消沈して帰る。’82年、ゴッホはオランダのハーグにて、画家コミュニティにもまれる。そこで先輩の画家、アントン・モーヴに気に入られ、資金の援助を受けはじめた。しかし、ゴッホのヒモっぷりを甘く見てはいけない。彼は絵のモデルを務めていた女性と付き合い、彼女の家賃を援助していたのだ。「先輩からの援助金で彼女の家賃を払う」という、もうなんか、悲惨なマトリョーシカみたいな状況だった。この事実を知ったからか、モーヴはゆるやかにゴッホとの縁を切る。また、ゴッホは当時知り合ったほかの画家ともうまくなじめなかった。例えば「ゴッホさん、ちょっとだけ、ここを変えてみたら? もっとよくなりそうだよ」と指摘されると「てんめー! 誰にもの言ってんだ!」という具合にガチギレするので「……あいつ怖えよ」と、みんな関わらなくなるのだ。そのうえ、テオからの仕送りが遅れると「絵のモデルを雇えねえだろうが!」などと、金の無心をしている。ゴッホ、このとき29歳。とにかく周りが見えていなかった。ゴッホは三十路に突入してからも、周りの画家たちとケンカし、求婚しては振られ、パリで同居を始めたテオからの金で生活をしていた。しかも、絵がまったく売れないもんだから、もうゴッホのイライラは常にMAXだ。それを弟にぶつける毎日。テオは心労のあまり、妹に「もう限界。早く出ていかねえかな、あの残念な兄」というような手紙を出している。ゴッホは多少「売れるための絵」を描いた時期もあったが、マイワールドをほぼ変えないまま、35歳にして南フランスのアルルに移住。先輩画家、ポール・ゴーギャンに同居を打診し、有名な共同生活が始まるわけだ。前提として、ゴッホはゴーギャンを尊敬していた。だからゴーギャンが2人で住む家に到着する前に、テオにお金を催促して死ぬほど作品を描きまくった。合流の前にどうしても自信作を仕上げたかったのだろう。あの『ひまわり』シリーズの一部も、この時期に描いた作品だ。そして、ゴーギャンは予定より遅れて到着する。同居生活が始まると、ゴッホとゴーギャンはともに散歩して絵を描いたり、ぶどう畑を見に行ったりと楽しく過ごしていたが、だんだんとケンカが増えていく。というのも、2人は芸術観がまったく合わなかったのだ。ゴッホは色彩感覚こそ鋭いが、基本的に見たものを写実的に描く画家だった。一方、ゴーギャンは感覚を重要視する画家だ。目に映った光景を、自分の内面のフィルターを通してキャンバスに落とし込む作風である。ゴッホはもちろん、尊敬するゴーギャンの技法を素直に学ぼうとしていた。でも、言うときは言う。プロの画家、しかも先輩に向かって「いや、なんだその色彩は。のっぺりしすぎだろ」 ばりのツッコミを入れだした。こ……これは、ゴーギャンとしては恥ずかしい。そもそもゴーギャンは、好きな表現のためにあえて写実性を崩していて、それが彼のよさでもある。そこを指摘するのは、さすがにご法度だろう。米津玄師に「ミステリアスなムードをやめろ。まず髪を切れ」などと言ってしまうようなものだ。しかし、絵に関しては作風の違いでさえも看過できないほどに、ゴッホは自分の作品に熱いプライドを持っていた。「画家としての信念をどうしても曲げたくない」という思いの強さがよく分かるエピソードだ。■退院後に自画像を描く自己愛の強さ案の定、ゴーギャンとゴッホは大ゲンカ。ゴーギャンは去り際に「おまえの自画像の耳、変な形だな!」 と小学生みたいな悪口を残して、さっさとアルルの家を出てしまう。これが「耳切事件」に発展するわけだ。細かい状況は諸説あるが、剃刀(かみそり)で自分の耳を切り、共通の知り合いである女性に「大事にとっておいてね、これ」と言って渡し、警察に保護されて入院した。当時の新聞に「ヤバいやつ現る!」という内容の記事が出るほどの騒ぎだった。ゴッホの「情熱」を感じるのはここからだ。彼は入院後、わずか2週間ほどで一時帰宅してアルルの家に戻り、鏡を見ながら『耳のない自画像』を2枚描く。画家として「今の感情を残しておかねば」と思ったのかもしれない。当時、自分が一定間隔で”てんかん”の発作に襲われることをわかっていた彼は、安定した状態のうちに猛スピードで絵を描いていたという。 精神的、肉体的にボロボロで疲れきった状態にもかかわらず、一心不乱にキャンバスに向かい、少しでも作品を描こうとする狂気。一般人だったら、いったん絵筆を置いて寝るのではなかろうか。ここに、彼の画家としての並々ならぬ才能を感じる。また、題材として「自画像」を選ぶことにも驚く。「耳を失った自分」を描くことに意欲を燃やす姿には「強烈なナルシシズム」を感じる。彼は人生のほとんどで、他人となじまずに自分の内面とだけ向き合ってきた。自分勝手で怒りっぽいとともに、ものすごく繊細でもあったゴッホ。彼が「耳を切った自画像」を描いた背景には、「絵に対する情熱」だけでなく、生きづらさを抱えた「自分」に対しての情熱も感じられるのだ。さて、弟が画商だったのにも関わらず、生前に売れたゴッホの絵は数枚しかない(1枚という説もあり)。マイワールドに没入していた彼は、いわゆる”売れる絵”を描かなかった、というのもその理由のひとつだ。絵に対する情熱が強すぎて、プライベートはボロボロだったゴッホ。彼の”ヤバい人生”を知ると、より作品のエネルギーを感じられるかもしれない。(文/ジュウ・ショ)【PROFILE】ジュウ・ショ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。note→
2021年05月08日萩本欽一1週間に出演する番組の視聴率の合計から、かつては「視聴率100パーセント男」などと呼ばれていた、「欽ちゃん」こと、萩本欽一さん。今年2月には、第98回『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』の出演中に、同番組からの引退を宣言して話題にもなりました。これは、そんな萩本さんが、まだ、かけだしの芸人だったころの話です。■金欠で、うどんも食べられないときに最近は、上司と部下が一緒に食事をしても、上司が部下にご飯をおごるということは、めっきりなくなったのではないでしょうか。「先輩が後輩のご飯代を持つ」。そんな文化が、いまだに当然のように残っているのが、お笑い芸人さんの世界です。萩本欽一さんが、まだ無名の新人だったころ。お金がないので、お昼はいつも素うどんで我慢していたそうです。しかし、本当にカラッケツで、素うどんすら食べられないこともあったそうで、そんなときは、師匠や先輩をヨイショして、なんとかご飯をごちそうしてもらっていました。先輩のコメディアンが楽屋入りするときに、人差し指に小さなバッグをひっかけているのを見れば、スタタタッと近寄っていって、声をかけます。「師匠、指が折れます」そう言って、バッグを奪いとるようにしてお持ちする。バッグを持っていない先輩なら、小脇に抱えている新聞までも「お持ちします!」と言って奪いとる。そうすると、たいがいの先輩は「こいつ、お金がないな」って察してくれて、お小遣いをくれたり、ご飯に連れていってくれたりしたそうです。萩本さんは子どものころから、ガキ大将の機嫌をとるのが得意だったので、この「先輩ヨイショ」はお手のものだったのだとか。■お弁当をわけてもうためのワザそんなある日のこと。萩本さんは、同じ若手の漫才コンビ『青空球児・好児』の球児さんが、当時の大人気コメディアン・東八郎さんに対してやった、「お弁当をわけてもらうワザ」を見て、感心します。その日、東八郎師匠が楽屋入りするのを待ち構えていた球児さん。師匠が楽屋入りするのを見つけると、楽屋に届いていた東さん用のお弁当を手にとり、東さんの目の前へ駆け寄ります。そして、なんと弁当を勝手に開け、そのふたを東さんの目の前に差し出して、こう言ったのです。「師匠、ここが空いてます」言われた東さん。「勘弁してくれよ~」と言いながらも、お弁当の中身を3分の1くらい、そのふたに乗せてあげたのです!それを横で見ていた萩本さん。「こんな手があったのか!」と思いました。さっそく次の日。東師匠が楽屋入りすると、前日の球児さんのマネをして、師匠用のお弁当を勝手に開けて、そのふたを、師匠の目の前に差し出しました。そして、「師匠、ここが空いてます!」「なんだ、おまえもマネすんのか……」タメ息をつく東師匠。萩本さんは、そのときの東師匠の顔を今でも覚えているといいます。師匠は、やれやれという顔をしながらも、お弁当をわけてくれたそうで。東八郎さん、本当に優しい人だったのですね。これが、ダウンタウンの浜田さんだったら、鼻の穴に指を突っ込まれてシバキ倒されるかもしれません。あくまで私の勝手なイメージですが……。■「情けは人の為ならず」時は流れて、その後、萩本さんはテレビ界で大人気になりました。一方、東師匠は、そんな萩本さんに「息子が本気で芸能界に入りたいと言ったら味方になってくれ」と、まだ18歳だった息子さんを残して、52歳の若さで世を去ってしまいます。その息子さんの名は東貴博(あずま・たかひろ)。そう、タレントの東MAX(アズマックス)さんです。萩本さんは東師匠の亡きあと、貴博さんの「芸能界での父親」になりました。貴博さんを自分の劇団に入れ、芸能界で独り立ちさせたのです。安めぐみさんとの結婚式には、「父親の代役」として出席までしています。人マネで、弁当のふたを差し出した萩本さんに、やれやれという顔をしながらも、中身をわけてくれた東八郎さん。東さんも、まさか、自分にそんなことをした萩本さんに、息子の未来を託すことになるとは思わなかったことでしょう。なんだか不思議な縁(えにし)……。「情けは人の為ならず」という言葉を思い出す話です。(文/西沢泰生)《参考:『欽ちゃんの、ボクはボケない大学生』(萩本欽一著・文藝春秋刊)》【PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。「アタック25」「クイズタイムショック」などのクイズ番組に出演し優勝。「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『夜、眠る前に読むと心が「ほっ」とする50の物語』『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『朝礼・スピーチ・雑談 そのまま使える話のネタ100』(かんき出版)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年04月22日昔、久々に学生時代の友人に会ったとき。「久しぶりー!」と声をかけられても、誰だか全然わからなかったことがあります。「このイベントに参加しそうな私の知り合いって……?」と考えて、やっと「ああ、あの子か!」とわかったのですが、明らかに私を知っている風に話しかけてくる相手に、しばらくの間、ひやひやしながら話を合わせたのを覚えています。10年ぶりくらいだったから、彼女だとわからなかったのかと思いきや、私が気づかなかった理由はそうではありませんでした。10年も経っていれば、老けたり、太ったり、痩せたり、髪型がガラッと変わったりしてわからない、というのはよくあること。なかには、「お直し」をしたから顔が違っている、という人もいるかもしれません。しかし、彼女の場合は、昔と同じ体形で、髪型も昔とほぼ一緒、そこまで老けたなあという印象もなかったのに、それでも気づかなかった理由――。それは、彼女の「顔つき」が変わっていたから。■「なんか、顔、変になってる!」本当に失礼な話ですが、彼女だと気づいたときに私が真っ先に思ったことは、「なんか、顔、変になってる!」老けた、やつれた、整形した、そういうことではなく、何か言いようのない違和感のようなものを感じたのです。確実に以前とは違うけれど、「じゃあ、どこが違うのか?」と言われるとうまく説明できない、おかしな変化。それは、今までの生き様がそのまま顔に出てしまったかのような。今まで積み上げてきたカルマが顔を作っているかのような。もちろん、彼女は悪人などではなく、むしろ私以上に至極真っ当な生活を送っているため、悪行をはたらいたから悪人面になったとか、そういう話ではありません。ただ、昔、よく顔を合わせていたときのことを思い返すと、ある点においてはものすごく自分本位になったりと、少し変わったところもあり、当時は「悪い人ではないけれど、ちょっと付き合いづらいな」と感じていたこともあります。その「ちょっと変わったところ」が、10年分蓄積されて顔つきに現れてしまった、というのが、彼女の変化を説明するのに、一番しっくりくる理由ではないかと思います。■生き方、性格は顔に出る彼女に限らず、ある程度の年齢の人に対して、顔を見ればなんとなくその人の性格が想像できる、ということは、皆さんも経験しているのではないでしょうか?私も、サロンでお客様のBefore・Afterの写真を撮っていて、やはり顔つきと性格の傾向というものを感じます。目元が優しそうな人は、話してみたらやはり穏やかな人だったり、意志が強そうな目の人は、予想通り強かったり、逆に目の奥が怖い人には、朗らかな人なんていないし、口がへの字の人に「あの人、いつも感じがいいよね」と言われる人はいないのです。もちろん、万人がそうだということではなく、性格は顔に出る傾向がある、ということです。そして、こういうときに「全員がそういうわけじゃない! 顔で決めつけるな!」と言ってくる人もいると思いますが、その人は「そういうことを言いそうな顔」をしているのでしょう、きっと。■過去の「業」が自分の顔を形づくるココ・シャネルが遺した名言「20歳の顔は自然からの贈り物。50歳の顔はあなた自身の功績」は、まさにその通りであり、過去の「業」が自分の顔を形づくっているのは確実。因果応報ではないですが、いい生き方・考え方をしてきた人はいい顔つきが、必ずしもいいとはいえない生き方・考え方の人には、それ相応の顔つきがもたらされるのでしょう。だから「あれ? この人って……?」と、なんとなくイヤな感じがした場合は、極力距離を置くようにするとか、「人を見た目で判断するなんてよくない」なんて思わず、自分の感覚に従って行動した方が無難です。また、そのジャッジは自分にも下されている、と肝に銘じて、自分の普段の顔つきを意識することも必要。今、これを読んでいるこの瞬間、あなたはどんな顔をしていますか?※ この記事は2017年8月18日に公開されたものです。
2021年01月10日坂東眞理子さん「“断捨離”に“終活”。捨てたり、終わったり……こんなネガティブなフレーズが“人生の後半”に紐(ひも)づけられて、世にあふれています。私はいま74歳ですが、そんな言葉は好きじゃないな」と、語るのは大ベストセラー『女性の品格』の著者で昭和女子大学総長・理事長の坂東眞理子さんだ。人生100年時代と言われて久しい現在。「年を重ねることに対して、“人生下り坂、何もすることがない”など後ろを向かず、もっと前を向いて生きてほしい。50代、60代はこれからの新しい後半人生を切り開くパイオニアになってもらわなきゃ!」(坂東さん、以下同)■60歳で終活を考えるのは早すぎる近著『老活のすすめ』(飛鳥新社)では、笑顔の80歳になるための心得をまとめた。「60歳で悠々自適や、終活などを考えるのは早すぎる。今の時代、60代、70代はまだまだ元気な人も多いですから」タイトルにある老活は「おいかつ」と読む。坂東さん作の造語だ。年を重ねるごとに気弱になっていく自分に「おーい、カツ!」と喝(かつ)を入れたい、と思いを込めた。そもそも日本人女性の平均寿命は87・45歳。60歳の人の平均余命は29・17歳もある。1960年代ごろまでは日本人男性の平均寿命は60代後半だった。その名残でバリバリ働く60歳前後を過ぎると余生は好きにのんびり過ごしたいと考える人が多かった。だが、今や自由気ままに穏やかに暮らす老後など、もはや経済的、精神的にも難しい。長くなった老後のことを考えると不安しかない、という読者も少なくないだろう。老後に必要なお金とされる2000万円問題も、「定年後から20年かけて毎年100万円稼ぐと考えれば、無理なく近しい金額を備えられるのではないでしょうか」そのためにも子育てを終えたなら、少しずつでも準備をして、納得できる仕事に就けるよう目指そう。アラフィフ、アラカン世代は高学歴にもかかわらず、寿退社でキャリアを中断した人も多い。だからといって「もう正規の仕事には就けない」と諦めるのは早すぎる。これからは後半人生のステージに入った人々が学び、働き続ける社会なのだ。■後半の人生も、前向きに歩んで!「本学(昭和女子大学)も社会人向け1年制の大学院を開設します。このような流れは今後、増えていくはずです」とはいえ、50・80問題(※坂東さんによると50代の未婚の子が80代の親を看る社会問題)で、50代女性には“そろそろ親の介護が始まるから”と躊躇(ちゅうちょ)する人も多いかもしれない。「じっさいに起こるかどうか、わからないことを心配して何も動かないのはもったいない。私の知り合いの女性は数年前に“介護が始まるかもしれないから”と、素晴らしい仕事のオファーを断りました。でもね、そのお母様は今でもお元気なの。彼女“あの仕事、受ければよかったわ”と、悔しがっていましたよ」同様に自分が老後、子どもたちの負担にならないために今からできることはたくさんある。その第一歩が“私も自分なりに頑張ってきた”と人生を肯定することだ。他人の人生との比較ではなく、自分の尺度で「今の私」「過去の私」を受け入れること。そこから明るい後半人生は開ける。「自己肯定感を持って。頑張ってきた自分を知っているのは自分だけ。自分の人生を受け入れられた人は、自分にも周囲にも優しくなれます」そのうえで“あいうえお”(写真ページのイラスト参照)はやめて、以下に紹介する“かきくけこ”を目指す。さらには“新友”をつくる、“ベター”を目指す、今日の用事や行く場所を持つといった『人生後半の3か条』(次ページで解説)を今からすぐにでも実践したい。50歳、60歳はもちろん、80歳、90歳になってもこれらを大切にすること。それこそがこれからの時代の“新しい人生後半の生き方”の心得になるに違いない。【人生を明るくする「かきくけこ」】か……感動「なるほど」と感心、感激、感動する心を持ち続ける。き……機嫌よく意識して機嫌よく過ごすように努めるのが周囲への礼儀。く……工夫して同じことを繰り返さず、改善のための小さな工夫を。け……健康身体と心の健康が人生後半を充実して生きる基本。こ……貢献・交流新しい人と交流すると同時にできるだけ世話をし、貢献を。■坂東さんオススメ人生後半の3か条■「親友」ではなく「新友」をつくるべし!「親友」も大事だが、人生後半は新たな友人「新友」も大切。親友や旧友ばかりと付き合っていると世界が縮む。新しいことを始めることで「新友」もできる。■「ベスト」でなく「ベター」を目指すべし!オール・オア・ナッシング思考に陥るのではなく、気づいたときにやればいい、ベター・ザン・ナッシング(ゼロよりマシ)思考で気楽に何事も実践しよう。■「きょうよう」と「きょういく」を持つべし!今日用事(キョウヨウ)がある、今日行く(キョウイク)ところがあるのが大事。加齢とともに「行くところも、用事も誰かが与えてくれる」と受け身になりやすい。自分から積極的に仕事や用事をつくろう。(取材・文/松岡理恵)《PROFILE》坂東眞理子さん◎昭和女子大学総長。東大卒業後、’69年に総理府入り。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事などを経て、女性初の総領事(豪ブリスベーン)、内閣府初代男女共同参画局長を歴任。’04年、昭和女子大学学長を経て現職。ベストセラー『女性の品格』など著書多数。近著に『老活のすすめ』(飛鳥新社)
2020年10月14日現代の大切な価値観のひとつに多様性があります。「美しさの概念はひとつではない」化粧品メーカーをはじめ、さまざまな場所でこのような声を聞くようになりました。そんな時代だからこそ、ランジェリースタイリストである筆者からは、「自分だけの美しさ」をランジェリーで見つけるのも良いのではないか……と提案したい。私は約10年間ランジェリーの仕事をしてきました。その半分以上は百貨店での勤務。年齢でいうと下は10歳から、上は80代までの幅広いお客様と触れ合ってきました。もちろん年齢に限らずとも、理想とするランジェリーやバストへの考え方もさまざまなはず……と思いきや、「小さいバストは大きくする」「大きいバストはスリムに見えるように」といったように、”一般的”な理想の体型へと自分を合わせていくような方がほとんどでした。下着=体型補正のために着るものというイメージの方も多いと思いますが、下着(ランジェリー)には体型補正だけではない魅力がたくさん。”一般的”とはまた違う自分の美しさに気づかせてくれたり、自分の理想へ導いてくれるものだと私は考えています。■なりたい自分になるためのランジェリー選び自分の体型に自信をなくしていた20歳の頃、あるランジェリーショップの前を通りかかりました。そのランジェリーは、当時着けていたランジェリーの数倍の価格ではありましたが「試してみるだけでも……」と思って試着をし、鏡の中に映った自分を見ました。当時、「もっと痩せなければ自分は美しくない」と考えていましたが、その鏡の中に映った自分の姿を見たとき、「今のままでもいいところはある」と思えるようになったのです。その感覚は”諦める”、”開き直る”とはすこし違う、”ありのままを認める”という感覚だったと記憶しています。日本では、「体を補整する(バストのサイズを変える)」「洋服を着たときに透けないものにする」など、機能的な選び方をする傾向が強かったように感じます。ですが「この経験を伝えながら新しいランジェリーの選び方を広めたい!」と考えてから、私の気持ちの変化の正体について調べました。服飾分野にも広げて、被服と女性の心理についての本や論文を読み始めました。そこで、被服心理学(身に着ける被服が、人間の心理や行動において与える影響を研究した学問)に出会います。調べていくと、本の中にこんな記述を見つけました。人は現実の自己像と常に向き合っているが、被服を媒介として理想的な自己像に少しでも近づく事が可能となり、その結果心にうるおいがもたらされ、心理的充足感が得られるものと考えられる。――『新版被服心理学中川早苗編』発行所/日本繊維機械学会より引用20歳の頃の私は「痩せることで綺麗になる」「痩せなければ綺麗ではない」と思い込んでいました。ですがある日偶然に出会ったランジェリーを介して、自分がほんとうに理想とする美しさに近づくことができました。その結果、今のままでもいいところがあるという気持ちの変化を感じることができたのです。■まずは、好きなランジェリーを選んでみよう被服心理学の研究では「好きな被服は嫌いな被服よりも理想の自分に近いところにある」と言われています。皆さんの中にはさまざまな事情で、本当に好きな洋服やメイクを日常的にできない人もいると思います。装いに関しては周囲からの目を気にしてしまうこともあり、自分の好きを100%反映するのは難しいですよね。でも、洋服の下にあるランジェリーは人から見られることなく自分の好きを100%表現できるところであると私は考えます。ここからは、DRESS読者のみなさんがランジェリーを通して、自分の理想とする美しさに出会うための方法をお伝えしていきます。「価格」ではなく「好きという直感」で試着を百貨店に勤めていた頃からお客様には、購入するかどうかは別として「そのランジェリーを着けたご自身の美しさを感じてみてください」ということをお伝えしています。体験しなければ、感じることはできません。着けてみて「自分には似合わない」「やっぱり違うかも」「気後れしちゃう」など、いろいろな感情が湧くと思います。でも、自分を肯定できる感覚、理想の自分に近づいた感覚を持てる場合もあります。なので、まずは<試着をすること>をおすすめしています。「価格ではなく、好きの直感で試着を」とお伝えしている理由のひとつに高級ランジェリーを着けると自信が湧くというのは心理学の研究結果があります。必ずしも高級なランジェリーである必要はありませんが今自分が着けているよりも高価なランジェリーを選んで着けてみるのもおすすめです。まずはさまざまなランジェリーブランドを眺めてみてここからは、皆さんの運命のランジェリーになるかもしれないランジェリーブランドを紹介します。試着はちょっと……という場合には、まず”見る”ことから始めてみてください。1.オーバドゥフランスの高級ランジェリーブランド、セクシーでエレガントなテイストが人気。2.シャンタルトーマスフランスの高級ランジェリーブランド、女性っぽく魅惑的な世界観が人気。3.トレフルワコールのプレステージランジェリーブランド。繊細なデザインは、技術力が高いからこそなせる技。優美なデザインが人々を魅了している。4.L’ANGELIQUE(ランジェリーク)日本のランジェリーブランド。大人の肌を美しく見せてくれるアンニュイなカラーとナチュラルな着け心地が人気。5.ナオランジェリー日本のランジェリーブランド。深い思いやりこそが、最も美しいという考えのもと、女性の自尊心を満たすランジェリーを発表している。デザイナーのこだわりが細部にまで詰まっています。6.バサラシルクランジェリーブランド。フランスの最高級シルクサテン生地を使用。リラックス感のある着け心地と美しさが人気。7.プリスティンオーガニックコットンブランド。こだわり抜かれた素材の心地良さと、締め付け感のない着け心地が人気。***「雰囲気が好き」「なんか気になる」そんな風に感じたブランドはありましたでしょうか?価格にとらわれず、まずは好きを感じることから始めてみてください。そして、気になるブランド、商品があればぜひご試着を。今までの下着の概念に縛られることなく、自分の好きを信じて、ランジェリーを通して自分だけの美しさに気づく方が増えますように。そして、美しさの概念はひとつではありません。だからこそ、自分の理想の美しさへとアップデートしていくときに、ランジェリーその力になれたらランジェリースタイリストとしてこれ以上うれしいことはありません。皆さまのランジェリー選びの参考にしていただけたら幸いです。
2020年09月13日■「私は私のバストを、私なりに楽しもう」と決めた大きくて、おもわず谷間に目を奪われるような、色っぽいバスト。もちろん素敵だけれど、そういうバストだけが世間から「いい」と言われることには、昔から違和感がありました。私は若いころからずっと、胸が小さいほう。だから、“大きく” “セクシー”に見せるためには、寄せて上げたりパットを入れたりしなければなりません。でも本当に、わざわざそんなことをする必要があるのかな?たとえばドレスを着るときに、ボリュームのある胸だと華やかに見えるのはわかります。だけど、胸が小さいからこそシルエットがきれいに出せる洋服だってある。そもそも私自身、盛るためのパットなんてないほうが、つけていて心地よいのに……。そんなことをずっと考えていて、あるときから、人と比べるのをやめました。その人の雰囲気によって似合うファッションが違うように、バストの大きさによっても、似合う服や着こなしは変わります。なのにバストだけ、みんな同じ「良さ」を求める必要はありません。「私は私のバストで、私なりの楽しみ方をしよう」と決めたら、なんだか気持ちも楽になって。まず、下着の選び方が変わりました。「どうすれば大きく見えるか」「谷間がつくれるか」という視点が、いらなくなったんです。それまではワイヤーのあるものばかり選んでいたけれど、私のサイズならノンワイヤーでも充分。もちろん、パットもつけません。肩紐が細くて華奢で、すっきりと女性っぽく見えるデザインが、いっそう好きになりました。自分が本当に気に入るランジェリーを、ビジュアルやつけ心地で、心底楽しく選べるようになったんです。■背筋が伸びる「よいランジェリー」にも出会えた自分のバストを認めて、愛してあげる。その個性に合わせて、素敵な下着を選ぶ。そんな習慣ができてからしばらくして、この数年は「よいランジェリー」にも興味がわいてきました。20代のころは下着にまではなかなかお金をかけられず、上下セットで数千円のものばかり。「もしいま交通事故に遭って、万が一下着を見られることになったら、恥ずかしいな」なんて思うような柄物をつけていたこともありました……。だけど、昔のバイト仲間が夢を叶えてランジェリーデザイナーになり、自身のアトリエを開くということで、お祝いに駆けつけたとき。サイズを測ってもらい、はじめてオーダーの下着をつくってもらったんです。お洋服ではなく下着に何万円もかけるなんて、なんだかドキドキしてしまいました。でも、その下着は国産のコットンを使っていて、縫製も丁寧。繊細なレースやこだわりのデザインに、彼女の哲学がぎっしりと詰まっていました。気づけば製品だけでなく、彼女のアイデンティティや美学のファンにもなっていたんだと思います。「下着なんて誰にも見せないし」と思っていたけれど、こうして出会ってみれば、やっぱり良いものは良い。身につけるだけで、自分の背筋がすっと伸びたのを感じました。その日、家に帰ってから。私は迷いなく、いままでの古い下着をすべて捨てました。新しく手に入れた、この美しいランジェリーに似合う自分になれるように。前向きな断捨離は、私に大きなエネルギーをくれたんです。もしかしたら、若いころ一緒に夢を語り合っていたバイト仲間がつくった下着だから、という理由もあったかもしれません。彼女の名前は、栗原菜緒。いまをときめく「ナオランジェリー」の創業者です。■誰にも見せないからこそ、自分のスイッチを入れてくれる長くモデルをしてきたから、オンのときの下着は、飾り気のないベージュが鉄板。お洋服に響かない、シームレスなデザインが当たり前です。肩紐がうっかりのぞいたり、Tシャツから透けてしまったりするのは絶対に許せません。せっかくのファッションも台無しになる気がして、いつも注意しています。そんな感覚が強いせいか、オフのときも、私にとってのランジェリーは見せちゃいけないもの。もしくは、本当に特別な人にしか見せないもの。だからこそ、お気に入りをひそかに身につける楽しみも生まれました。自分だけの世界で、自分の気持ちを高めるスイッチを入れるような感覚です。たとえば、この春はおうちで過ごす時間が多かったと思います。私もそうで、毎日自粛してばかりいたけれど、それではなんだか気分が上がらない……。お出かけしないから、ファッションを楽しむ機会もありません。そこで、クローゼットで出番を待っていた、新しいランジェリーをおろしてみたんです。どこにも出かけない、誰にも見せない。完全に自分だけのためなんだけど、その時間がとてもよくて、気分が明るくなったのを実感できました。だからその勢いのまま、同じブランドの新商品を買ったりもして。自分のためだけに選び、自分のためだけにつけて、自分のためだけにまた新しいものを買うのは、とても豊かで幸せな時間でした。お洋服と違って、冒険しやすいのもおもしろいところ。みんなに見られる洋服では勇気が出なかったり、パブリックイメージとは違うデザインも、気軽にチャレンジできます。私はいままで、なんとなくずっと黒いランジェリーばかりつけていたけれど、ふと「もっと明るい色もいいかも?」と思い、いくつか試してみたんです。そうしたら案外、白も悪くない。ちょっとだけ、新しい扉があきました。■自分の魅力も、自分の幸せも、自分で決めるいま私にとって、ランジェリーは、自分の軸になるもののひとつです。たとえば、どれだけ素敵な下着をつけていても、姿勢が悪ければ台無し。バストを本当に美しく見せるためには、自分自身をはつらつとさせなければいけません。そのために私が日ごろから続けているのは、走ること。コロナ禍でランニングすることには賛否両論あったけれど、ソーシャル・ディスタンスをとってひとりで走るぶんには、いいことづくめです。自粛でもやもやした心も晴れるし、なにより筋肉がついて、姿勢がよくなる。自分を整えることとお気に入りのランジェリーは、実はこうやって、つながっているんだと思います。若いころは「大きなバストがいいのかなぁ」と悩んだこともあったけれど、本当は、バストの大小と美しさは関係ありませんでした。大切にするべきなのは、きっと「サイズ」じゃなくて「印象」。そして印象をつくるのは、姿勢のように自分で磨けるものや、心に秘めた「今日は素敵なランジェリーをつけている」という自信、なんだと思います。みんながみんな、おっぱいばっかり見てるわけじゃない。その上の顔つきとか、その奥にある生き方を、感じ取ってくれるはずです。SNSでは、毎日みんなの幸せそうな姿が流れてきますよね。ひとりで家にこもっているとき、たまに出かけたスーパーで仲良し家族を見かけると、急に寂しくなったりもして……。隣の芝生って、どうしても青く見えてしまいます。だけど、人生における幸せに、正解なんてありません。だったら自分が選んできた道に自信をもって、いつも小さな幸せを感じていたい。……人生の幸せも、バストの大きさやかたちも、ランジェリーの楽しみ方も、人それぞれ。ときどき揺らぐこともあるけれど、自分に合うものを見つけていけばいいのかなって、信じています。
2020年07月22日言い訳をしない生き方のすすめ出典:byBirth気が付くと、口癖のように使っている「でも」「だって」「どうせ」という言葉たち。これらの自分を守るための言い訳をやめることで、あなたの人生はより豊かなものになります。言い訳をする癖がつくと、やっと訪れた成長のチャンスを逃したり、成功への道を自ら閉ざしてしまったりする可能性があります。“言い訳をしない”という習慣はすぐに身につくものではありませんが、毎日少しずつポジティブな気持ちを積み重ね、輝く未来を手に入れましょう。言い訳をしない方法とは?出典:byBirth「成功者は言い訳をしない」と言われますが、どうすれば言い訳をせずに過ごせるのでしょうか?ここからは、言い訳をしない具体的な方法を3つご紹介します。言い訳をしていることに気付くまずは、自身が言い訳をしていることに気付く必要があります。言い訳をしている人は、知らず知らずのうちに「でも」「だって」といったマイナスな言葉を使っていることが多いので、自分の口癖を意識してみてください。日常的に言い訳をしているのか自分では分からない場合は、家族や気心の知れた友人に聞いてみてもいいかもしれませんね。また、声に出していなくても、心の中で言い訳をする癖がついている人も少なくありません。何かが起きたら真っ先に言い訳を考えてしまう人は、このまま読み進めてみてください。「言い訳=損」を自覚する言い訳をすることは、結果的に損をすることになると覚えておきましょう。言い訳をしても現状は変わりませんし、何より言い訳は時間の無駄です。さらに、言い訳をすることで他人からの信用も失うでしょう。人生を変えたいなら、言い訳をするのをやめて現状を打破する方法を考えたいものです。失敗は成長に繋がる言い訳とは、自分が失敗したときの予防線です。あらかじめ言い訳をして、保身に走ってしまうのでしょう。そんな自分に気付いたときに考えたいのは、失敗は成長の糧になるということ。失敗を悪いことだと思っていると、何か問題に直面したときに必ず言い訳をしてしまいます。しかし、失敗することは悪いことではないはずです。「失敗してもいい」「失敗してこそ成長できる」と考えることができたら、言い訳をしない生き方にぐっと近付けるのです。言い訳をしないメリット出典:byBirth続いて、言い訳をしないメリットを3つご紹介します。他にもメリットはたくさんありますが、それはあなた自身が実感してみてください。可能性が広がる「どうせ私は○○だから~」と言い訳をしていると、それ以上の成長は見込めません。自分の能力のキャパシティを理解していることは良いことですが、その言い訳はあなたの成長を妨げているかもしれません。やりたいこと、幼い頃からの夢、憧れ…。それらを諦める必要はありません。言葉ひとつで、あなたの可能性を広げましょう。信用される言い訳をせずに正直に謝ったり、心の内を明かしたりできる人は、他人からの信用を得ることができます。反対に、言い訳をして保身に走る人は、徐々に信用を失うでしょう…。将来のビジョンが見えてくる言い訳をして成長の機会を逃してばかりいると、いつまで経っても将来のビジョンがはっきりすることはありません。自分に言い訳をせず、ひたむきに取り組んでいれば、だんだんとなりたい自分が見えてくるはずです。自分の気持ちに正直に生きましょう!出典:byBirth言い訳で保身したところで、何のメリットもありません。他人の信用を失う上に、自分自身もモヤモヤした気分になるはずです。言い訳をやめるには毎日の積み重ねが必要ですが、まずは言い訳をしている自分に気付き、それを受け入れることが大切です。人生をより豊かにするために、自分の気持ちに正直に生きていきたいですね。
2020年06月03日ドラァグ・クイーンもトランスジェンダーも女装家も、なんでも「オネエ」とまとめたがる乱暴な時代で、さらりとそれを引き受ける方の素顔に迫る連載『オネエのすっぴん』。今回は、女装パフォーマーのブルボンヌさんに話を伺いました。テレビのバラエティ番組出演から、ラジオパーソナリティ、講演まで幅広くこなすブルボンヌさん。彼が初めて女性装に惹かれたきっかけはなにか。そしてこれまでどんなことを願い、悩み、歩んできたのか。素顔のままで語っていただきました。ブルボンヌさんプロフィール女装パフォーマー/ライター。1990年にゲイのパソコン通信ネットワークを企画・設立。その後、ドラァグクイーンとして、全国のイベントやパレード、映画のキャンペーンなどに参加。と同時に、ゲイ雑誌『Badi』の編集主幹、ライター、エッセイストとして女性誌、映画雑誌、週刊誌などに連載、寄稿する。女装パフォーマー集団「Campy!ガールズ」のメンバーとして、全国のクラブイベント、各種メディアでも活躍。本名は斎藤靖紀。■着飾ることの力を教えてくれた母私が女装というか、着飾ることの魅力を最初に感じたのはオカンからなんです。母は若い頃にテレビの深夜番組に出てシャバダバ言ってた人でね。その後地方都市に移り住んで歓楽街でスナックを開くっていう、深夜番組に出てた女のお決まりコースをいったような人だったんですけど(笑)、やっぱりそういう世界で生きてる人だから、綺麗だった。授業参観に来てくれるとパッと目立ってね。男の先生からも「母ちゃん綺麗だな」って言われたり、時代ですよね。でもそれが私はうれしくって、自慢だった。オカンが出勤前に化粧をする姿を見て、かっこいいなっていつも思ってましたよ。彼女は主婦グループともつるまなくてね。ずっとひとりでいるもんだから「いいの?」と聞いても「群れるの嫌いなのよ」とさらっと言うような人でした。いつも堂々としていて、シングルマザーのまま私を大学まで出してくれて。母は私の誇りですね。あの人のもとで育ったことが、私に「自分は自分でいいんだ」と思わせてくれたんじゃないかな。私も幼い頃は人並みに、自分の女性的な部分というか、やわらかさをからかわれてしょげたりもしたんですけど、でもふさぎこむほどに苦しまなかったのはオカンの影響が大きいと思います。マジョリティでないことは決して悪ではないと、彼女を見て知っていましたから。■女装はやってみたかったけど、ドリフもおもしろくて私がはじめて女装をしたのは今から25年以上前。ただの余興だったんですよ。身内の小さなイベントで。それがまさか仕事になるなんて思ってもみなかった。面白いですよね、今じゃこれでテレビにも出てるんだから。そのイベントは仲のいいゲイの友人たちとやっていたんですけど、今Netflixで話題のル・ポール先生(※1)が出したアルバム『スーパーモデル・オブ・ザ・ワールド』が当時流行っていて、その曲でショーをやりたいよねってなったんです。じゃあ女装しなきゃ! ってみんなで騒いでね。だけどいざ準備を始めたらもう“上っ面女装”で。『プリシラ(※2)』みたいな映画を観たり、日本初のドラァグクイーン・ムービーと言われる『ダイヤモンドアワー』を見たりとか、表面的には最新のドラァグカルチャーを取り入れたりはしたんですけど、どちらかというと「ドリフたのしいね」みたいな人間の集まりだったので格好いいのはできなかったの(笑)。だから海外のドラァグカルチャーと日本のコミックカルチャーの融合みたいな感じで、たとえば『ガラスの仮面』のパロディー女装劇をやるとか、そういうことになったんです。メンバーはみんな面白い子ばかりでしたよ。「新しい何かをしたい人の集まり」という空気があったと思う。みんなで自主制作の映画を撮ったりしてね。その映画の脚本家も今じゃ売れっ子になられてるし、エスムラルダさん、肉乃小路ニクヨさん、バブリーナさん、皆さんそれぞれのフィールドで活躍されてます。実はマツコ(・デラックス)さんが初めてショーをしたのも私たちのイベントじゃないかな。今になってみたら、あれは日本らしいカルチャーの構築の仕方だったんじゃないかって……、思うことにしてます(笑)。■最後のお便り「ブルちゃんはもう、自虐なんてしなくていい」芸能界には、マツコさんやミッツさんが作ってくれた女装オネエ枠の端くれとして少し入らせてもらったんですけど。はじめはワイドショーとか雛壇のお仕事をさせてもらって、10年くらい前からかな、ラジオや講演のお仕事に力を入れるようになりました。「語り」の仕事と言えばいいかな。ラジオをやることになったときは、一番の武器であるビジュアルを奪われるので不安だったんですよ。聴いてる人からすると生温い、なよなよしたおじさんのトークにしかならないんじゃないかって。しかもオファーをいただいていたのがNHKのAM、その上お昼の番組っていうコンボだったから、聞いてくださる方は50〜70代が中心でね。みなさん「農作業しながら聴く」みたいな世界だったから、自分のことなんてきっと受け入れてくれないって思ったんです。でも、事務所の社長が「やってみないとわかんないじゃん!」って背中を押してくれてお受けして。でも、やっぱり私は自信がなかったんでしょうね。いざ始まってどうしたかっていうと、自虐のギャグを多用したんですね。「みなさん、得体の知れないオネエ声にひいてませんか?」とか「異物混入しちゃってごめんなさいね」とか言って。世間のおじいちゃん、おばあちゃんに嫌われたくなかったから、嫌われるより先に自虐を言えばいいんだって。小馬鹿にされている前提でいれば「気さくでいいヤツだな」くらいには思ってくれるんじゃないかと思ったんです。それで結局2年もやらせてもらって。ファンと言ってくださる方もできたり、たくさんお便りもいただけて、本当に頑張ってよかったと思ったんですけど、最終回でいただいたお便りに「ブルちゃんはいつも『自分なんて』って笑って言うけど、すごくステキな方なんだから、そんな風に思わなくていいのよ」って書いてあったんですね。「まっとうなこと言ってるんだから、自虐なんてしなくていい」って。「これまでありがとう」って。私、放送事故並にギャンギャン泣いちゃってね。あー全部バレてたんだって。ちゃんと伝わってたんだって。「女装は武装」って私はよく言うんですけど。女装を始めてからずっと、なんだろう、自分の中の弱さを払拭したくて。メイクして頭に花とか乗せて「ここまでやってんだから、えらそうに真ん中いっちゃうよ!」ってパワーをもらってきたんですけど、でもそれを続けてきた先で私が結果できたことは、素直な気持ちを語るということだったんだと思います。……この話、思い出すとやっぱダメだわ(笑)。新宿二丁目でひどいショーをやってた頃を知ってる他のドラァグ・クイーンの子が、今の私を見て「いい子ちゃんになったね」って言うこともあるし、そのことで切なくなることもありますけど、ひどい毒舌が笑いにはなりづらい時代で、私は今の自分が役に立てる一番いいフィールドに導いてもらったんだと思います。あとはもうババアの世代になりましたからね。語りの仕事を通じて、ほんの少しでも次の世代が今より生きやすくなるように貢献することが、今の自分のプライドなのかなって。■女装、ワーママ、わかりやすいタグを前にすぐ妄想する人々今女装してパフォーマンスをしたり、お店に立つ上で気にかけているのは、お客さんからジェンダーとかセクシュアリティにまつわる偏見を感じたときは、なるべく突っ込むってことかな。もちろんこの人なら大丈夫そうって人の場合にね、ユーモアを交えながら。たとえば、私に「女の私より女らしいわよ」と言ってくる女性ってよくいるんですけど、「束の間の女装だから女性性を濃縮して出せるけど、反動で家じゃクソジジイそのものよ!」って言っちゃいますね。実際普段の私は座ったら足も開いちゃうし、一人称も「俺」ですし。「女装」とか、きっと「ワーママ」とかもそうだと思うけど、わかりやすいタグを持ってると、こういう風に自分の妄想に当てはめたがる人って絶対に出てくるんです。でも人間っていうのは、そこまでひとつの塊じゃなくて、時間とかによって自分の中のある面をふんだんに出したり、演じたりもできるものじゃない。私は誰にだって内側に多面性があるんだってことを表現したくてこの仕事をしてるので、そういった妄想にはできるだけ突っ込むようにしていますね。■この世代、この感覚だからできることこれから先については……もう何もすることないかも。だめ?(笑)お店は3店舗(※3)も出させていただいて、全国でたくさんの方とお話する機会があって、今はありがたいことばかりなのでそれを失わうことが怖い、みたいになっちゃったね、歳のせいかな。ずっと二人三脚でやってきたうちの社長は白血病を五回くらい再発してる人だし、いつ失われるかわからないことがたくさんありますから。でもこの世代、この感覚だからできることはやっていきたいですね。ちょっと前は「女装大衆演劇ごっこ」というお昼のイベントを同世代の女装仲間とやりました。もう私たちはクラブイベントで深夜2時に「出番です」って言ってもらってもねって。体力ないよねって(笑)。だからずっと着席で、だけどうちらのそれなりに培った感覚で発信できるものをやろうってなりました。テーマも、若い子に無理にこびるというよりは、自分たちと同じように歳をとってきた子たちが感じる孤独とかを扱えたらいいなと思って作りました。「女装大衆演劇」って、やっぱババアの女装だからできる感じがあるじゃないですか、横文字ゼロで漢字6文字も並んじゃって。すごい野望はないけれど、これからもお店での接客とか講演とかラジオとかメッセージを伝えられることはやりつつ、自分の年とやってきたことに似合う表現で、心が動いたものがあればやっていきたいですね。……なんか、すること全然あったね(笑)。■どうでもいい人の話なんて、聞かなくていい。読者のみなさんに伝えておきたいことがあるとすれば、なんだろうな……。「どうでもいい人の話なんて聞かなくていいのよ」かな。若い頃にうちの社長と付き合ってた時期があったんですけど、社長はこの世代に珍しく人目をまったく気にしない人でね。ある日、街中で私と手を繋ごうとしてきたんです。そのときに私は反射的にそれを解いたんですけど、社長はきょとんとしていて。すごく考えさせられましたね。なんで私はもう会わないかもしれない人たちの目を気にして、こんなことしてるんだろうって。ラブラブなふたりの楽しい気持ちより自分の人生に関係ない人たちの目を大事にすることってなんなんだろうね? って、つきつめて考えてみると、なんのために生きてるんだろうね? って話にもなるじゃない。まぁ、最近社長と手を繋ごうとしたら、「もうそういうんじゃない!」って違う意味で振り払われましたけどね(笑)。誰かをジャッジするための枠組みなんて本当はないのに、「社会はこうだ」とか、「あの人はきっとこう思うに違いない」って、敵役を頭の中で生み出してまわりに配置して、何かを言われてることを想像しては、どんどん自分の行動範囲を狭めていく。自分の可能性を自分でつぶしてることが、本当はすごく多いと思います。私はラジオの仕事も講演の仕事も、「きっと受け入れてもらえない」と思い込んでいたけど、本当に挑戦してよかった。だから読者のみなさんも「周りにいるあの人がダメ出しをするだろう」とかそんなことを考えるんじゃなくて、私がしたいことはこうだと、私が今の世の中に求めることはこうなんだということを絶対信じてあげた方がいいと思います。それを信じられたなら、死ぬときだってきっと後悔しないんじゃないかな。もちろん大好きで尊敬してる人から「あんた今おかしなことしてるよ」って言われたときは聞いた方がいいですけどね。でも、そんなことってそうそうなくない?だいたいどうでもいい人の悪口を気にしちゃうんですよね。だから、どうでもいい人の話は気にしなくていいんだよってことは、まぁ……私はこんなこと言っておきながら、これからも気にしちゃうから(笑)、自戒もこめて、言っておきたいですね。「斎藤靖紀」が「ブルボンヌ」になるためのアイテムジュビィ クイーンの秘密メイクセットブルボンヌさん自身がプロデュースするメイクブランド。「ジュビィ フラットヴェール ムースファンデーション」「ジュビィ シャイニーピュア カラーUV(グロウ下地)」のセット。「女装のカバー力の源である舞台用ドーランをムース状にして一般女性が使える軽さに仕上げました。強めのグロー下地と合わせて、イヤなものは全部隠して、内側からのツヤを演出します」本インタビューは2020年3月5日に実施しています。新型コロナウイルスの流行に伴う社会の変化を受け、2020年5月13日のブルボンヌさんからのコメントを掲載します。ブルボンヌです。取材をお受けした当時は「プロデュースするお店を3店舗出せたし、もう何もすることない」なんて調子こいて語っていましたが、ご存知の通り新型コロナで世界は激変しました。近年の私を支えていた、お店は全店営業自粛中、講演も全てキャンセル、ラジオはリモート出演となりました。コスメも市場は売上半減です。無収入どころか家賃だけで大惨事、名指しで危険な場所扱いされた歓楽街がもとに戻るのはいったいいつになるんでしょう。「不要不急」という言葉が自身の存在意義を追い詰める中で、今や遠い昔にも思える、ノリノリだった頃の自分の発言を世間にお出しするなんて……と、この記事を世に出す決心がなかなかできずにいました。ですが、私はもともと何もないところから、自分がしたいと感じた変なことをして生きてきた身です。逆境こそ女装の見栄が生きるのだとも思います。正直しんどい。こんな弱ったアタシを見ないで、とも思う。でもやっぱり見て。女優女優女優。嘘を演じるの!オンラインでの配信や、営業が再開したらド派手マスク女装で店に立つなど、その時できることを必死にやってアタシなりに生き抜かなくては。皆さんもそれぞれのしんどさと取っ組み合って生きてらっしゃると思いますが、華麗に装って、自分を褒めまくって、最期に「アタシなりによくやったよ!」って誇れる人生を送りましょうね。プライドをお守りに。<DRESS編集部より>本連載では、ドラァグクイーンや女装パフォーマーの方にお話を伺っていますが、すべての方が「オネエ」を自称しているわけではありません。(※1)歌手、モデル、司会者としてマルチに活躍するアメリカのドラァグ・クイーン。主演のドラマシリーズ『AJ and the Queen』(Netflix)や、オーディション番組『ル・ポールのドラァグ・レース』(Netflix)が話題。(※2)3人のドラァグ・クイーンが主人公のロードムービー。1994年公開。(※3)ブルボンヌさんプロデュースの店舗は、2020年4月現在「Campy!bar」(新宿、渋谷)、「ASOBi」の3店舗Photo/友松利香(@tm_mt_)、Title logo/hinatä(@_1984hn)
2020年06月01日ドラァグクイーンもトランスジェンダーも女装家も、なんでも「オネエ」とまとめたがる乱暴な時代で、さらりとそれを引き受ける方の素顔に迫る連載『オネエのすっぴん』。第1回は、ドリアン・ロロブリジーダさんにお話を伺いました。大学在学中、「若手女装グランプリ」初出場にして優勝。紆余曲折ありながらも「今でもどうにか口紅を引き続けている」と語る彼の、これまでとこれから。ドリアン・ロロブリジーダさん プロフィールドラァグクイーン。新宿二丁目発本格DIVAユニット「八方不美人」や、好きな歌を好きな場所で“ただただ歌う”ユニット「ふたりのビッグショー」メンバーとしても活動。2019年夏には、日本航空による日本初の試みである「JAL LGBT ALLYチャーター」にスペシャルアテンダントとして搭乗するなど、活躍の場は多方面に渡る。本名はマサキ。■堂々としてればいい「ん、オカマ?羨ましいの?」ドラァグクイーンになったきっかけは、高校生のときに遊んでもらってた、近所に住むゲイの仲良しグループ。その中に昔ドラァグクイーンをやられてたって方がいて、初めてその方の女装をみたときに、まぁ!って衝撃を受けたの。もともとビジュアル系バンドが好きだったから自然に入れたのか、なんて素敵なんだろう!かっこいいんだろう!って釘付けになって。ハッキリとドラァグクイーンに憧れたのはあのときが最初です。マサキ少年の“女装魂”に火がついちゃったんだよね。そこから彼のメイクを真似てみたりするようになって、ちょっとずつ女装をする機会が増えていきました。でも最初はただの趣味ですよ。LGBTのパレードで女装して歩いたり、大学の学園祭を女装で練り歩いたりっていう。本格的に「ドリアン・ロロブリジーダ」として活動することになるきっかけは、新宿2丁目のあるクラブで開催された「若手女装グランプリ」。リル・グランビッチさんっていうドラァグクイーンに勧められてなんの気なしに出てみたら、いきなり優勝をいただけたんです。そこからドラァグクイーンとして本格的に活動が始まりました。仕事をいろいろといただけるようになって、なんやかんやあり、今もどうにか口紅を引き続けてる。そんな感じです。ドラァグクイーンの中には、普段のすっぴんの自分とクイーンとしての人格を使い分けてる方もいるんだけど、自分の場合はどちらも一緒。ドリアンはあくまでも「マサキくん」が派手な化粧をしてるだけなんだよね。抑圧された自我やジェンダーを開放するために……!みたいなことは全くなくて。ただこれが美しいと思うから、目立ちたいから、楽しいし、楽しませたいからやってるだけ。性格は、むかしっから明るかったですよ。自分がゲイだということで悩んだこともないし。小学生のころ母親に「あんたのせいでお兄ちゃん(編集部注:ドリアンさんの実兄)が”オカマ”の兄貴だって言われる」だなんて言われたこともあったけど。兄貴、気の毒よねぇ(笑)。 でも、それもあんまり気にしなかった。というのも”オカマ”よばわりされるような表現が、自分のセクシャリティから自然に出てきたものだったのか、それともおもしろいと思って意識的にやってたのかちょっとわかんなくて。とにかく「自分は”オカマ”の方がいい。羨ましいでしょ〜?」くらいに思ってました。でもどうなんだろう、それも当時周りにいた友達が良かったからなのかもしれない。こっちが堂々としていたら、そのまま受け入れてくれる人たちでしたから。だから、堂々とすることは今でも大事だなって思ってます。「実はゲイで……」と後ろ暗いことのように伝えてしまうと、相手だってそうとらえてしまう。だから「そうよ!オカマだよ!? 羨ましい?」という態度でいる。もちろん嫌がられることもなくはないけど、そんな人には「つまんないノンケ(※1)ね〜!」くらいにしか思わないかな。■営業マンもPRマンもパフォーマーも同じ。 まずは自分を好きになってもらうことからゲイであることよりよっぽど悩んだのは、大学を中退したときかな。大学に入って2丁目で遊びに遊んで、その上ゲイバーで働きだして、女装もはじめて。気付いたら単位数がえらいことになって思い切って中退。母親が泣いてね、自分もこれからどうしようって真っ暗な気持ちになりました。でも運良く香水メーカーに拾ってもらえて、そこからは「取り返さなきゃ!」ってがんばった。最初は営業をやらせてもらって、次がPR。それから転職してもずっとPRとしてキャリアを積んできました。会社員のマサキくんとドリアンの違いは、これまたあまりないんだよね。もちろん会社員の仕事のときはオネエ丸出しだと社会人としてNGだからそのあたりはちゃんと振る舞うけど、メンタリティとしては一緒。売るのは物だったり情報だったりブランド自体だったりしたけど、「まずは自分という人間を買ってくれ!」と思ってやってきたから。最初はアウェイだったお客さんがどんどん自分を見てくれるっていうのはクイーンのときも一緒です。「さあファンになってもらうぞ!イッツ、ショウタイム!」っていう気持ちで昼の仕事もやってきました。最近はありがたくもドラァグクイーンの仕事が忙しくなって、2月に「これ一本に賭けてみよう!」って昼の仕事をやめたんですけど、そうしたらこの世界の状況(新型コロナウィルス※2)で。先行きは“煮こごり”くらい不透明だけど、でも人生は一度きりだから。どうせなら死ぬときに「楽しかったー!」って言えるように、いろいろ挑戦していこうと思ってます。今はクラブイベントだけじゃなくて、一般企業のイベントでもMCやショーをさせていただいたり、『八方不美人』っていうグループでCDも出させていただいたりね。著名なアーティストのみなさんと一緒に大きなステージに立たせてもらえることも増えました。『八方不美人』のステージ(ドリアン・ロロブリジーダさん提供)だけど自分が今そんなことをできるのも、先輩たちが道を作ってくれたおかげ。もともとはアングラなものだったドラァグカルチャーを地上に出して、いろんな仕事とつないでくれた人たちがいる。だから自分も若い人たちにバトンをつないでいきたいって思います。そのためにも面白そう!と思う現場にはどんどん飛び込んで、「ドラァグクイーンって、こんなにいろんなことができるんだぞ!」ということを日本の人たちに知らしめたいですね。アングラな魅力は持っていながら、もっと道を広げていきたい。欧米の「Drag culture」の単純なコピーじゃなくて、日本がこの数十年で培ってきた「ドラァグ文化」の魅力を知ってほしいの。■楽しむから楽しい。 先輩たちが教えてくれたドラァグクイーン道。まぁ、でも、とは言っても吹いて飛ぶような仕事だから、周りからは「そんな生き方をしていて不安にならないの?」って聞かれたりしますけど、大学の中退もそうだし、自分には恥ずかしい失敗とか挫折が人生でたくさんあって。もう失うものはあんまりないって思う。今の自分の人生のゴールは「目指せ、野垂れ死に」なの。自分はきれいなお布団の上で死ねるとは思ってないんです。それだけこれまでの人生、すっごくおもしろかったり楽しいことをさせていただいてるから。いやーな死に方すると思うよ(笑)。そこまでどうぞご覧いただきたい、そう思ってます。今はもう1分後に死んでも後悔ないな。楽しかったなーって、今でもそう思える。もちろんこれからも目の前のひとりでも多くの人を笑わせたいし、笑顔にしたいから、ステージに立ち続けたいですけど。目の前の人を楽しませるコツは、まず自分が誰より楽しむことじゃないかな。楽しそうにしていれば、楽しい人たちが周りに増える。逆にずっと文句を言ってるような人って、そういう人しか寄ってこないじゃない。そう思うようになったのもドラァグクイーンをやってからです。仕事をしてると、しょっぱい現場なんてしょっちゅう出くわすんですよ。ステージ裏でバッチリメイクして「よし!」っていざステージに出たらお客さんが二人しかいないとか、他にもショウタイムに機材トラブルで音が一切出ないとか。控室がないからビルの外付けの非常階段でメイクするなんてこともあった。夜だし暗いし見えないっつーの!でもそういう現場で先輩たちが「こういうときの方が楽しいのよ」って教えてくれた。「笑っちゃうね」「なんか楽しくなってきた!」って。だから今では自分もああいう瞬間が一番楽しいって思うようになりましたね。「さあどうしよう!」って逆境を楽しむというか。もちろんいつもブツブツ文句は言うんだけど。言いながら、でもやる、みたいなね。この「じゃあどう楽しもう?」精神は自分の日常の中にも返ってきてますね。■ワーママ、オネエ、好きに呼ばせておけばいい。どんな呼び名であれ、どのみち私たちって素晴らしいしこれから先のことは、もうあと5年で40歳ですから、ひとまずそこまでは走り続けようと思ってます。5年なんてほんとに一瞬。ふんばりどきだと思ってます。できるなら女優デビューもしたいし、ダンスも習いたい。恋人も作りたいし、いろんなことをしてみたいです。「ドラァグクイーンにはこれくらいしかできないだろう」という誰かの思い込みを壊せるくらい、たくさんのことに挑戦していきたいです。読者のみなさんに伝えたいことは、なんだろう……、「あなたの魅力は、あなたに貼られたラベルごときでは到底表現し得ない」かな。今の時代って例えば母親だったらシングルマザーとかワーキングマザーとかなにかとラベルを貼られやすいし、それは迷惑なことでもあるけれど、でもそんなラベルなんてたいしたことない。あなたの魅力とは関係ないから。だからラベルは社会と戦うための単なる窓口だと思って、逆手にとって楽しんじゃおうよって言いたいです。自分もよく「オネエ」ってひとまとめにされるけど、でもこんなにいい男だし、メイクをすれば美人だし、PRの仕事もできるし、歌も歌えるのよ、いいでしょう〜?って思ってる。ドラァグクイーンをやるときも男装をすることがよくあるんだけど、ドラァグクイーン=女性の格好をするっていう固定観念を逆手にとって、ドラァグクイーンで男装、だけど壮絶に美しい、というのを見せて、見る人が混乱している様子を楽しみたいんです(笑)。人がそれぞれ持ってる「男らしさ」「女らしさ」の思い込みをグラグラ動かすきっかけになりたいって思う。だからあなたも何かラベルを貼られたら、そんなラベルは気にしないで、あなたのありのままを存分に出しちゃえばいいと思う。全身全霊のあなたで、貼られたラベルのイメージごと変えちゃえばいいのよ。私たちは何を貼られたって、どうしたって、どんな状況になったって、それはそれは素晴らしいんだから。自分は自分のことをすっごくダメな人間だと思うけど、でもすっごく愛してるの。どうしてこんな自己肯定の化け物みたいになったのかはわからないけど(笑)、そうなるには、小さなことからでも成功体験を積み重ねることじゃないかな。自分がやりたいことで誰かから褒められたり、頑張った結果を自分で褒めてあげることができたりっていうのが少しずつ自信や自愛につながると思うから。1日10回腕立てするとか、毎日ベッドメイキングをするとか、なんだっていいのよ。なにかひとつ続けていくと、自信は育まれていくと思う。だからまずは「なんか欲しがれ!」って言いたい。欲しがる対象は具体的なモノやコトだけじゃなく、「こういう自分になりたい」っていうのも含めて。「どうせ私なんて」っていうのはほんとに禁句。小さいことから欲しがっていく先に、自己肯定ってあると思うから。まぁ、ほどほどにしないとこんな化け物みたいになっちゃうけどね(笑)。ドリアン・ロロブリジーダさんの愛用アイテムポンズふきとるコールドクリーム「ドラァグの濃いメイクを落とすのは、これが一番。化粧のテクニックとかは、正直全然話せることはないのよ、本当にメイク下手だから(笑)」
2020年05月04日50代を迎え、さらに輝きを増す羽田美智子さん(51)。「40代までは自分が主役でもいいけれど、これからは相手を立てる生き方を」と思ったことで、「自分にも光が当たるよう」と話します。ドラマの主演を務めながら、今、思うことーー。「隕石が接近して地球滅亡まであと半年、というドラマのお話をいただいたのが昨年の秋でした。そのときは“非現実感”がおもしろそう、と思ったんですが、今、世界中がかつてない混沌とした状況に陥ってしまって。もちろん設定は違うけれど、時代が、地球が変わるときだと痛感しています」そう話すのは、ドラマ『隕石家族』(東海テレビ・フジテレビ系、土曜23時40分〜)で主演を務める羽田美智子さん。彼女が演じる主婦・門倉久美子は、あと半年の命と知り、自分に正直に生きたいと一念発起。「好きな人がいます!」と家族に告白し、高校時代の初恋の人のもとへと走ってしまう。「人生でやり残したことはないか?と考えたとき、久美子にとっては、かつての純愛を手に入れることだったんですよね。その気持ちをまったく理解できないわけではないし、むしろ、純粋に人を愛した記憶を大事にする部分には共感できて、『正直に生きるってどういうことだろう?』と、自身に問い直す機会にもなりました」また、羽田さんは「地球が滅亡するとして、自分にとって本当に必要なものは?」と自身に問い続けたそう。「すると思いのほか、きっとたいしたものじゃないな、って思えたんです。あの世に持っていける財産は、お金や評価ではないだろうし。人を純粋に愛して、愛されてよかった、という記憶くらい。そして、自分がどれだけ伝えられたか、ってことなんじゃないかな。結局は“あきらめる”ということ。ネガティブな言葉に聞こえますが、もともとは仏教用語で“明らかに眺めて物事に執着しない”という意味のようです。近年の自然災害を経験するたびに実感してきたこともあるんですが、極論『命さえあれば、なんとでもなる』、あらためて覚悟を決めたら、強くなれた気がします」“捨てる”選択をしたことで、心がふっと楽になったという。「あと、人生でやり残したことが、案外、何もなかったんです。結婚も離婚も経験できましたし(笑)、大切な仲間とも出会えました。ただ、そう思えるのも、50代になった今だからでしょうね。40代のころは『まだ何もできてない』という焦りの中にありました。人に『ありがとう』と言うばかりで、言われるような生き方をしてこられただろうか、寂しい人生ではなかっただろうか……」そんな思いもあり、5年前、故郷である茨城県常総市が水害に見舞われた際には、まっさきにボランティアに駆けつけた。「地元の同級生との交流が増え、『美智子が頑張っているから私たちも頑張るよ』と言ってもらうたびに、表舞台に立つ者として、同世代を引っ張る責任もあるのでは、と考えるようになりました。その昔、『女は40代までは楽しいけれど、50代からはみじめよ。鏡を見ればうんざりするし、あちこち不調が出てくるし』と言われたことがあったんです。でも『そんなことはない!』と証明したくって。『あとからくる人たちに“50代の希望”だと思われる存在になる!』って、周囲のスタッフたちにも宣言しちゃったんです(笑)」50歳からの生き方を見つめ直し、昨年にはオンラインショップ「羽田甚商店」をスタート。目の奥がビビッと開いた“本当にいい暮らしのモノ”だけを販売している。「50代からは、相手やモノを主役に立てる生き方をしたいな、と思って。自分の性格的に、人のためが自分のためになるだろうし、実際、それによって自分自身に光が当たっているように感じています」「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年05月01日月刊 湘南HEALTHISTAs では、【湘南ヘルシスタ】による、ヘルシーでハッピーなレポートを毎月お届けします!連載を担当する【湘南ヘルシスタ】とは、日々をヘルシーに楽しむ女性のこと。気づけば、2019年ももう残りわずか…!!月刊HEALTHISTAsでは、ホリスティックビューティーに欠かせない、ヘルシーでハッピーな人生観とは何かを、改めてシェアします。 「湘南ヘルシスタ」という生き方とは? 湘南女史カルチャーの根幹を知ると、貴女の人生観は多かれ少なかれ変わるでしょう。 湘南に移住しなくたっていい。今いる場所でできるヘルシスタ的な生き方があります。まず、心に誠実に正直に、本当の自分と向き合うことが第一歩。 HEALTHISTAs essenceは、そのお手伝いをします。 「毎日を自分らしく、丁寧に生きるということ。」まずは一番近しい人への愛。つまり自分自身のQOL。そしてすぐ隣にいる家族、友人へ。母として人間として、次世代の地球環境にも配慮していきます。♡ 母、妻、女であれ。でも得意分野も持つ。♡ 負荷を最小に無理をせず、シンプルに始める。そこに持っているエネルギーを十分つぎ込む。♡ 仲間と触れ合うことでエネルギーが増幅する。お互いを認め合い、価値観を共有しよう。♡ エゴを手放せているか、日常の立ち居振舞いを見直す。時には、考え方のパターンを変えてみることも重要。♡ とにかく楽しむ! 笑顔と好奇心は、魂を磨く。 ー What you feel is what you are!! ー変わるのは今この瞬間。決めるのは、貴女自身。 全ての女性に、心身ともに健康で豊かな人生を…湘南ヘルシスタは、貴女を応援します。 毎日を自分らしくヘルシーに過ごすエッセンス。ぜひ参考にしてくださいね。※効果や実感については個人の感想です。
2019年11月18日※写真はイメージです「なんとなく生きづらい」近年、そう感じている人が増えているようだ。家庭や職場などでうまくいかないことがあると、ふと「なんだか息がつまる」「自分はどこかおかしいのではないか」などと感じてしまう──。そんな経験がある人も少なくないのでは?そこで、カウンセリングと心理療法によって数多の悩みを解決に導いてきた心理カウンセラー・前田泰章氏に、“生きづらさの正体”と、自分でできる具体的な解決法について教えてもらった。■原因は「思考」や「行動」気分が落ち込みやすい・将来への不安が大きい・人との距離がうまくとれない・感情をため込んでしまう・甘えるのが苦手・家族やパートナーとの関係に問題がある・仕事が続かない・アルコールや買い物などに依存しがち・何をしても満たされない・過去のトラウマがフラッシュバックする……。人が抱える悩みはさまざまですが、「生きづらさ」を感じている方々には、ひとつの共通点があります。それは、いつも自分を責めていること。「私が生きづらいのは、自分が悪いせいだ」と思い込んでいるのです。上司にいつもつらく当たられるのも、夫婦関係がうまくいかないのも、恋愛に依存してしまうのも、すべて私の性格のせいだ、自分の存在に問題があるんだ……そんなふうに自分を責めていたら、生きていて苦しいのは当たり前です。けれども、私たちが生きづらさを感じてしまうとき、それはその人がもともと持っている人間性や個性のせいではありません。その原因は「思考」や「行動」にあります。人には知らず知らずに植えつけられてしまった思考・行動パターンがあり、それが生きづらさにつながっていることがほとんどなのです。例えば、「目上の人を前にすると萎縮してしまう」という悩み。これも思考・行動パターンのひとつです。「自分より立場が上の人とは、目も合わせられず、自分の意見を伝えられず、『はい』と言うことしかできない」というパターンができてしまっていれば、直属の上司、職場の先輩、取引先の社長など、相手が代わっても条件反射のように同じ対応をしてしまいます。これが「上司からのパワハラ」「仕事が続かない」といった悩みの原因になっていることがあります。なかには「怒りや悲しみというマイナスの感情は悪いものだから、表に出さない」というパターンができている人もいます。そういう人は感情を抑え込むためストレスがたまりますし、誰にも自分をさらけ出せず、孤独感を抱くようになることもあります。同じ思考や行動を続けている限り、そこから生まれる結果は同じです。転職しても、付き合う人を代えても、同じような生きづらさを感じることになります。それを解消するには、自分が繰り返してしまっている思考・行動パターンを見つけて、崩す必要があるのです。生きづらさの原因が、自分の性質や本質といった変えられないものではなく、後から作られた思考や行動であることがわかるだけでも、意識は前向きになります。後から作られた思考や行動は、壊して捨てることも、作り変えることもできます。そうすれば、いま抱えている生きづらさから、自分を解放することができます。思考や行動パターンを崩すために役立つ心理療法のひとつに、『白黒思考改善療法』があります。現状に不満があったり、大きな悩みを抱えていると、マイナスな感情に支配されてしまう場面が数多く出てきます。そういうときに気持ちを切り替え、一歩踏み出すために効果のある療法です。■「不安」の正体とは実際のやり方を説明する前に、不安な気持ちを引き起こすものの正体についてお話しましょう。人はなぜ不安になってしまうのでしょうか。まず、「お先真っ暗」という言葉をイメージしてみてください。明るいですか?暗いですか?きっと誰もが「暗い」と答えるはずです。では、「暗い」イメージを頭に思い描くと、どんな気持ちになるでしょうか。クライエント(相談者)に同じ質問をすると、「不安な気持ち」「怖い」「絶望的な感じ」といった答えが返ってきます。みなさんも、同じようなマイナスな感情を持つのではないでしょうか。なぜ暗いイメージを思い描くだけで、不安な気持ちになるのか。それは人の思考パターンが原因です。人は先が見えない状況や正体がわからないものに、不安や恐怖を抱くものです。真っ暗な何も見えない場所に置かれたときはもちろん、そういう状況を想像するだけで、「もしかしたら暗闇のなかに、何か危険なものが潜んでいるかもしれない」「誰かが襲ってくるかもしれない」と悪い想像ばかりをして、怖くなったり心配になったりします。テレビのバラエティー番組でよく見かける「箱の中身を当てるゲーム(箱の中身はなんだろな? ゲーム)」は、そんな人間の心理をうまく利用しています。箱の中には何が入っているのかわからない不安と恐怖で、挑戦者は箱に手を入れるだけで大騒ぎ。さらに、手に何か触れようものなら、怖くて反射的に手を引っ込めてしまいます。手にチクッとした感触があれば、「何かにかまれた!」「もしかしたら、タランチュラの毒針!?」と悪い想像をして、さらに恐怖が倍増します。ところが、箱の中身が「タワシ」だとわかればどうでしょう?何も怖くはありませんよね?誰もが躊躇(ちゅうちょ)なく箱に手を入れられるようになります。私たちが抱く不安も同じようなものです。先のことは誰にもわかりません。だからこそ、未来のことを考えると悪いほう、悪いほうへと想像が広がってしまい、不安になりがちです。そして、怖くて箱の中に手を入れられないように、何も行動が起こせなくなります。「先が見えない不安」は行動の最大のハードルになるのです。■“完璧な成功”でなくてもいい見えない未来のことをいつまでも考えていると、心は不安で満たされてしまいます。そんなときは、未来に起こりうることを想定して「見える化」し、「白か黒か」「0か100か」といった両極端な考え方を矯正することで、不安をやわらげることができます。その際に大切なのは、「最高な未来」「最悪な未来」だけでなく、「最高まではいかないけれど、いい未来」「ほんの少しいい未来」「ほんの少し悪い未来」など、さまざまなシチュエーションの未来を想定しておくこと。人は「成功」と「失敗」、「100点がとれた」と「100点がとれなかった」など、「白か黒か」の2択で物事を判断しがちです。そうすると、“完璧な成功”以外はすべて失敗になってしまいますし、100点以外は何点だろうと0点と同じになってしまいます。そういう思考パターンだと、どうしても生きていくのが苦しくなりますよね。白か黒だけではなく、「少し成功した」「60点とれた」と、グレーな状況も認められるようにすることは、自己評価を高め、生きづらさをやわらげるために必要なことです。未来をイメージするときも「最高」「最悪」だけでなく、その間の状況も想定して未来の選択肢を増やしましょう。未来の解像度が高くなり、自分の中でよりはっきりと先が見通せるようになるので、将来の不安も薄れていきます。また、不安が強いときには、考えるのではなくイメージすると気持ちが楽になります。何か問題に直面したとき、人は「どうすれば問題が解決するだろう?」と考えてしまうものです。けれども、考えて問題が解決できるのは、経験や知識のあることだけ。そうでなければいくら考えても状況は変わりません。考えても解決策がわからないときには、考えるのをやめてしまいましょう。そして自分への問いを「問題が解決したらどうなっているだろう?」に変えて、想像(イメージ)するのです。考えているときは「問題」に意識が向いていましたが、問題が解決できた場合をイメージすると意識は「解決像」に集中しはじめます。解決像が想像できれば、それによって気持ちが前向きになり、行動を起こすモチベーションにつながります。このように、思考を改善するなかで不安や悩みが取り除かれていくことこそが、『白黒思考改善療法』で得られる大きな効果です。では、さらに具体的な実践方法について、実際に生きづらさを抱えている男性の例をもとにお伝えしましょう。■『白黒思考改善療法』の実践方法『白黒思考改善療法』は、(1)~(7)の問いから構成されています。転職すべきか悩んでいる矢野達郎さん(仮名)の例を用いて、(1)から順番に実践方法を説明していきます。1.あなたが、しなければならないとわかっているのに、行動を起こせないでいることを書き出してください【矢野さんの記入例】・転職実行すべきだとわかっていても、状況や気持ちの問題でできていないことはありませんか?矢野さんの場合は転職ですが、離婚や不倫関係の清算、資格や試験の勉強、禁煙、掃除、ダイエットなど、人によってさまざまです。思い当たることを書き出してください。【あなたの答え】2. 今のまま、それをしないでいたら、今後どうなりますか?【矢野さんの記入例】・ミスを繰り返し、威圧的な上司に怒鳴られ続ける・残業代が出ないので経済的に不安・土日出勤も当たり前なので、家族との時間がとれず娘がなつかない・うつ病になって退職し、妻とは離婚、実家で引きこもりになる矢野さんの場合は、転職をせずに今の会社に残って仕事を続けたら自分はどうなっているのか、未来を想像してもらいました。自分の場合はどうなるか、想像して書いてみましょう。また、実際のカウンセリングでは、その先の未来まで想像してもらいます。矢野さんに「その先、転職しない状態がさらに続いたら、どうなると思いますか?」と聞くと、「家族が崩壊して、離婚されてしまうかもしれない」とのことでした。みなさんも、可能であれば最悪のケースまで想像して、言語化してみてください。想像するのが難しければ、無理に書く必要はありません。【あなたの答え】A3. それをやったとして、最悪の場合、どうなりますか?【矢野さんの記入例】・使えないやつだとみなされリストラ・転職を繰り返す(1)で聞いた「しなければならないとわかっているのに、行動を起こせないでいること」ですが、頑張って行動できたとしても、うまくいくとは限りませんよね?ここでは、そのうまくいかなかった場合を想像して、そのときの自分の状況を書き出します。矢野さんの場合は、転職したけれどもうまくいかず、最悪の場合、どうなっているかを書き出してもらいました。【あなたの答え】Bこの(2)と(3)の質問の目的は、未来の「見える化」です。この場合の「見える化」とは、自分の未来に起こりうることを想定して、言葉で明確にすることです。転職できなかった場合や、転職してもうまくいかなかった場合など、自分にとって好ましくない将来像でもなんとなく想定できていると、どうなるかわからないよりも、ずっと気持ちは楽になります。原因不明で体調が悪くなったとき、病名がわからないと不安は大きくなりますが、病名がわかると少し気持ちが落ち着くのではないでしょうか。「病気である」という事実は変わりませんが、それでも原因がわかって見通しが立ったほうが、不安や恐怖はやわらぎます。人間の心理とはそういうものなのです。4.それがほんの少しうまくできた(うまくいった)としたら、どうなりますか?【矢野さんの記入例】・取引先とうまくやれている・契約数もまずまず・残業は多少あるが、家族との時間もとれ、娘もなついている(4)~(6)は、自分の未来の姿をイメージして、「見える化」するための質問です。(4)では、(1)で決めたことが、10点満点で2~3点くらいうまくいったケースをイメージしてみてください。【あなたの答え】C5. 幸運にも恵まれて、最高にうまくいったら、どうなりますか?【矢野さんの記入例】・部下20名の部長に昇進・年収も1000万円にUP・仕事が楽しくてしかたがない・次期、社長候補との呼び名も高い・500万円のレクサスの新車に乗っている(5)では、(1)で決めたことが、10点満点で10点うまくいったケースをイメージしてみてください。【あなたの答え】D6. (4)と(5)の中間を考えてみてください【矢野さんの記入例】・営業成績で上位に入る・会社からの評価もいい・ボーナスもUP(6)では、(1)で決めたことが、10点満点で5~6点くらいうまくいったケースをイメージしてみてください。【あなたの答え】E(4)~(6)の質問では、「失敗するかもしれない」「うまくいかないかもしれない」という考えを、意識的に「成功するかもしれない」「うまくいくかもしれない」という考えに切り替えることで、いい気分を先取りできるという効果があります。どうでしょうか?結果を少し細かくイメージしただけで、不安感はだいぶ減ったのではないでしょうか?では、次が最後の質問です。7.あなたは、A~Eのうち、どの選択肢を選びますか?1つ選んでください。(2)~(6)までの問いで想定した未来像をA~Eとすると、あなたはどの未来を選びますか?あなたが将来「自分はこうなっている」と思えるものを選んでみてください。そして、選んだ後に、「私は○という人生を選択した!」と声に出して3回宣言してください(○には、あなたが選んだアルファベットの内容が入ります)。周りに人がいたりして声が出せない場合は、心の中で宣言するだけでも大丈夫です。どんな感じがしますか?心の声に耳を傾けて違和感がある場合は、選択肢を変えてしっくりくるものを探してみましょう。矢野さんははじめ、Dの「(5)幸運にも恵まれて、最高にうまくいった」ときの未来像を選択しました。けれども「私はDという人生を選択した!」と宣言してもらったところ、「こうなったら最高ですけど、ちょっと違和感を覚える」とのこと。「年収1000万円で、次期社長候補」は無理かもしれないという気持ちがぬぐえなかったのです。そこで矢野さんは、改めてCを選び、同じように宣言したところ今度は違和感がなく、スッと受け入れられました。「これなら実現できそうな感じがした」そうです。■「これならできそう」という見込み感が第一歩この「できそう」という感覚がとても大切です。最後に宣言するのは、自分がどう感じるのか、自分の本心を確認するため。そこで矢野さんのように「実現できそう」とスッと受け入れられるものを選びましょう。白黒思考改善療法の(7)で「できそう」という感覚(見込み感)を大切にしてもらったのは、それが前向きな行動を起こすモチベーションにつながるからです。この見込み感のことを「セルフ・エフィカシー」といいます。セルフ・エフィカシーとは、カナダの心理学者アルバート・バンデューラが提唱した心理学用語で、日本語では「自己効力感」などと訳されます。人がある行動を起こそうとするとき、セルフ・エフィカシーを強く感じていると、その行動を行う可能性が高まるのです。例えば、現在の職場に不満があり、転職をしたいと思っていても、「転職してもうまくいかないかも」と思っていたらなかなか行動には移せません。反対に「転職したら自分の力が発揮できそう」「待遇がよくなりそう」と思えたら、採用情報を調べたり、応募したり、転職に向けた行動を起こしやすくなります。早稲田大学の岡浩一朗教授のチームが、20~70歳代の約2000人を対象に、ウォーキングについて調べた研究でも、「やってみる」「続ける」「やめる」という行動を左右するのは、セルフ・エフィカシーであることがわかったという結果が出ています。(日本経済新聞、2012年6月5日)「これならできそう」「できるかも」と思える解決像がイメージできれば、人は行動を起こしやすくなりますし、失敗や困難があってもあきらめにくくなります。さらに行動を起こした結果、うまくいけば、それが成功体験となり新たな行動につながります。なぜなら、セルフ・エフィカシーは成功体験によって高まるからです。成功体験を積み重ねることで、「自分ならできる」という気持ちが強くなり、さらに高い目標に向かって行動を起こすこともできるようになります。そして、それがさらに成功体験につながり、好循環が生まれます。ただ、白黒思考改善療法を行ったからといって、すぐに行動を起こさなければいけないかというと、そうではありません。「できそう」という前向きな気持ちが持てたら、それだけでOKです。行動を起こすための準備体操だと思ってください。また中には、ワークの(7)で、A(「今のまま、それをしないでいた」場合)がしっくりくる人や、どの選択肢にも違和感を感じるという人もいるでしょう。それは、まだ行動を起こすタイミングではないということかもしれません。そういう場合は、白や黒だけではなく、「自分にはたくさんの選択可能な未来がある」ということがわかるだけで十分です。それが安心感へとつながるはずです。<著者プロフィール>前田泰章(まえだ・やすあき)◎問題解決型カウンセラー。1976年生まれ。埼玉県出身。日本体育大学卒。ファミリーレストラン店長、キャリアコンサルタント、中学校教諭を経て心理療法に出あい、埼玉県川越市に「心のストレッチルーム」を開業。カウンセリングとさまざまな心理療法のメソッドを組み合わせた「問題解決型カウンセリング」を開発・実践している。通常なら1年以上、通院が必要となるケースでも半年間で快方に向かうなど、多くのクライエント(相談者)から高評価を得ている。著書に『「なんとなく生きづらい」がフッとなくなるノート』(クロスメディア・パブリッシング)。心のストレッチルームHP
2019年10月22日八方不美人男同士の恋愛を描いた『おっさんずラブ』が大ヒットするなど、身近になりつつあるLGBT。でもそれ、間違った知識じゃないですか? のぞいてみたいリアルなLGBTの世界へご案内!■八方不美人の3人が「LGBT」をやさしく解説最近よく『LGBT』という言葉を耳にするけれど、どういう人たちなのかを自信を持って言える人は少ないのでは?全国の20歳~59歳の男女6万人を対象に行った調査(電通調べ)によると、LGBT人口は全体の8・9パーセントを占め、左利きやAB型の人口と変わらない、11人に1人がLGBTということに。そんな今だからこそ知っておきたい、いろんなことを、ドラァグクイーンによる新宿二丁目発本格派ディーヴァ・ユニット『八方不美人』の3人に教えてもらいました!■ L=レズビアンエスム:「L」はレズビアン、女性を愛する女性ね。ドリアン:アカデミー賞で司会を務めたエレン・デジェネレスが今アメリカでいちばん有名なレズビアン!ホイみ:ジョディ・フォスター、『セックス・アンド・ザ・シティ』ミランダ役のシンシア・ニクソン、元テニス選手のマルチナ・ナブラチロワなどが有名です。G=ゲイドリアン:「G」はゲイ、男性として男性が好き。私たち3人はゲイです!ステージなどではこんな格好してるけど、ふだんはおじさんなの。エスム:エルトン・ジョン、ジョージ・マイケル、イアン・ソープ、リッキー・マーティン、おすぎとピーコ、マツコ・デラックスなどもゲイ。若い人に人気のけみお、声優の三ツ矢雄二、文学者のロバート・キャンベルも最近カミングアウトしたんだよね。■ B=バイセクシャルホイみ:同性も異性も恋愛やセックスの対象になるのが「B」のバイセクシュアル。「同性を好きになる割合:異性を好きになる割合」が7:3の人もいれば5:5の人もいるし、2:8の人も。ドリアン:レディー・ガガ、マドンナ、日本ではカズレーザーが有名ね。■ T=トランスジェンダーエスム:「T」はトランスジェンダー、生まれたときに診断された性とは違う性で生きたいと思う人たち。出生時の性と性自認(自分の性別を何だと思っているか)が一致しないから苦痛が大きくて、治療が必要になる状態を性同一性障害といって、これもトランスジェンダーに含まれるの。ホイみ:LGBは「どの性が好きか」という「性的指向」に関するカテゴリーだけど、Tは「自分はどちらの性なのか」という「性自認」に関するカテゴリーです。ドリアン:カルーセル麻紀、はるな愛、KABA.ちゃん、GENKING、中村中……以上、文字数の関係で、文中敬称略でお送りしました!ホイみ:またLGBTはご説明した4つだけではなく、セクシュアル・マイノリティーのカテゴリーを総称する広義の意味として使われる場合(※)もある、ということも覚えておいてくださいね。■ N=ノンケエスム:そして異性だけが恋愛対象の人を、私たちは「ノンケ」と呼びます。その気がない、というのが語源なんだけど、「ノー」ではなく、フランス語の「ノン」を使っているあたりにエスプリを感じる(笑)。とにかくノンケも含め、すべてのセクシュアリティーはグラデーションである、というのが大前提!■八方不美人が指南“これはやっちゃダメ!”エスム:「レズ」「ホモ」「オカマ」などは、レズビアンやゲイといった当人が自称する場合はいいけど、関係性のない他人が言うのは、かなり危険。ドリアン:自分で自分を「おばさん」と言うのはOKでも、知らない人から「おばさん」とか「ババア」と言われるのは嫌でしょう?それと同じで、気を悪くする人も多いの。あとはノンケって「タチ」か「ネコ」かを聞きたがるよね(笑)。エスム:タチは能動、ネコは受動ということです。ホイみ:ノンケの人は、セックスを「男性役割の人と女性役割の人がするもの」ととらえがちだけど、そう簡単なものではないんです。ドリアン:その前に、あなたが友達から「どんなセックスするの?」って聞かれたら、答えますか?性的なことはあくまでプライベートな問題だから、誰に聞いても無礼になる!ホイみ:会社や学校で「男と女、どっちが好きなの?」と聞くのもNGですよね。ドリアン:とんでもないことを聞いている、という自覚を持ってもらいたいよね。私たちはそれを言うことで、居場所がなくなったり、人生が変わってしまう可能性がある。そのことに、あなた責任取れますか?エスム:大事な秘密を話した人がベラベラ周りにしゃべったらどう思いますか、ということと同じね。思いやりやおもんぱかりを大事にして!エスム:セクシュアリティーを告白する「カミングアウト」は、あなたを信頼しているからこそできること。だから誰かに勝手に話す「アウティング」はしないでほしい。大変かもしれないけど、自分の心の中に秘めておいてあげて!ドリアン:手の甲側を頬に当てて「こっちなの?」とやる仕草は、時代錯誤のアナログ人間だってことを表しているようなもの。おじさんたちがやること多いけど、こんなことする人は見下げてOK。あんたたち、ダサいよ!ホイみ:異性装をする理由は、人それぞれ。身体の違和感から「違う性になりたい」「違う性の装いをしたい」という人もいれば、息抜き的に異性の格好を楽しむ人もいるし、クラブイベントなどを盛り上げるために、ドラァグクイーンとしてゴージャスに装う人もいます。必ずしも「異性になりたい」という人ばかりではなく、セクシュアリティーとも関係ありません。ドリアン:ゲイは「男の気持ちも、女の気持ちもわかる」と言われるけど、実はどちらもわからなくて、ゲイの気持ちしかわからない。なんならゲイの気持ちもわからないし、そもそも自分の気持ちもわからない!(笑)でも普通の人生を歩んでいる方よりはしょっぱい思いをしてきたので、イマジネーションや思いやり、配慮の術はもしかしたら多いのかもしれないわね。(取材・文/成田全)(※)「LGBTQ」「LGBTs」と表現される場合もある。《PROFILE》八方不美人2018年『八方不美人』でデビュー、’19年『二枚目』をリリース。作詞家の及川眠子(『淋しい熱帯魚』『残酷な天使のテーゼ』など)と作曲家の中崎英也(『早春物語』『あなたのキスを数えましょう~You were mine~』など)が全面プロデュースする、ドラァグクイーンによる新宿二丁目発本格派ディーヴァ・ユニット。現在、公式ファンクラブ「別嬪倶楽部」会員募集中!エスムラルダ(集合写真中央)’90年代から活動を始め、ホラー演出された情念系お笑いショーを得意としている。ライター、脚本家、歌手、舞台俳優、講演活動、テレビタレントなどマルチに活躍。東京都ヘブン・アーティストでもある。ドリアン・ロロブリジーダ(同右)2006年、初出場したドラァグクイーンコンテンストでいきなり優勝。180センチの長身にド派手なメイクと巨大なウイッグ、奇抜な衣装で観客の度肝を抜いている。男性シンガー「マサキ」としても活動中。ちあきホイみ(同左)敬愛する歌手ちあきなおみとホイットニー・ヒューストンから名前を拝借。2016年から女装を始め、幅広いジャンルの曲を歌いこなす。美しいファルセットで聴く人を魅了する。普段はスーツ姿の会社員。
2019年09月25日子どもが生まれると、保育園に始まり、学校や習い事など、数々の局面で親としての選択を迫られることがありますよね。そんなときに、「子どもの生き方」について思いを寄せることもあるかもしれません。子どもたちが歩む人生にはさまざまな選択肢が待ち受けていますが、そんなときに親としてはどのように関わればいいのでしょうか。子どもの生き方についてのアンケートをもとに、考えてみたいと思います。■「自分のような生き方をしてほしい」親はたった3割!?アンケートでは、子どもに自分のような生き方をしてもらいたいか聞きました。その結果、「すごくそう思う」、「そう思う」、「少しそう思う」と答えた人があわせて32.3%となり、その度合いに大小はあるものの「子どもに自分のような生き方をしてほしい」と思っている親は約3割にとどまることがわかりました。一方で、「思わない」という回答は65.5%となり、6割以上の親たちが「自分のような生き方をしてほしくない」とは考えているようです。Q.子どもには自分のような生き方をしてほしい?すごくそう思う 8.3%そう思う 6.1%少しそう思う 17.9%思わない 65.5%その他 2.2%■親の思い1、「諦めた夢、子どもにはかなえさせたい」それでは、まずは「自分のような生き方はしてほしくない」と考えている親たちの思いについて、掘り下げていきたいと思います。「私は学生時代、友だちとは自由に遊べない、夢を持つこと、何かをやり遂げることができない家庭環境だったので、娘には自分をしっかり持って生きていってほしいです」(鳥取県 40代女性)「幼少期に否定されて育ったため、かなりマイナス思考な自分のようにはなってほしくないです。わが子には『いーじゃん! やってみよー!』と言うように心掛けております」(愛知県 40代男性)「バブルに踊らされ、人生しくじりどん底見ているので、子どもたちには後悔しない人生を歩んでほしい」(三重県 50代女性)「私は、経済的に夢を諦めたので子どもたちには、自分の夢をかなえてほしいです。夢をかなえてあげられるように、自分もがんばろうと思います」(静岡県 40代女性)どのコメントからも、自らのつらい経験を思い返して、子どもにはできれば同じ思いはさせたくないと考える親の気持ちが伝わってきます。ほかにも、「自分のようにモラハラな男性とは結婚しないで」とか、「生活のためにいやいやしている仕事なので、子どもにはそんな仕事はさせたくない」などという切実な声も届いていました。家庭環境や経済状況、また結婚や仕事など、人生のさまざまな局面で、親自身も苦労してきた場合、どうしても子どもには同じつらさを経験させたくないと思ってしまいますよね。大事な存在だからこそ、守ってあげたいという親の思いが伝わってきます。■親の思い2、「子どもは自分のコピーじゃない!」また、子どもと親は別の人間だから同じ人生は歩めないという意見も多く寄せられていました。「子どもには自分とは違う可能性があるので、その可能性を少しでもサポートしていけたらと思う」(愛媛県 40代男性)「子どもは自分のコピーではない。性格や特性が違うから、自分に合った生き方をしてほしい」(千葉県 50代女性)「小3の長女に対して、義母も夫も『将来は○○になるのが一番!』など勝手に将来を決めてうるさく言うけど、娘の将来は娘のもの。親なんて二の次で良いと思う」(茨城県 30代女性)筆者は男子2人の母なのですが、長男は自分と性格がまったく違うため、何をするときも少し離れたところから応援してきました。しかし、次男とは性格がとても似ていて、失敗の予測がつきやすく、つい口出しをしてしまうことが多くなってしまいがちです。子どもが歩む人生を見据えつつ、どの程度のサポートをしてあげればいいのか、悩みは深まるばかりです。■親の思い3、「私以上の幸せに」なかには「自分よりもいい人生を送ってほしい」という願いを抱く親たちもいるようです。「生き方とか人生観とか難しい話はともかく、子どもには自分以上に幸せになってほしいと思うのが親心」(千葉県 40代女性)「『何となく』、その言葉がぴったりの私の人生でした。先を深く考えず決める事ばかりで、後悔しまくりです。同じ人生を歩んでほしくないので、いろんな知識や常識を子どもには教えています」(神奈川県 30代女性)「自分の今までを全部否定する訳ではありませんが、私の様にはなってほしくない。嫌なことも良いこともいろいろな経験をして、後悔のないような生き方をしてほしいと思います」(岩手県 40代女性)そのほかにも「しっかり勉強して、知識、社会性、専門性を身に付けて親を越えて行ってほしい」という声もありました。たしかに、親としては子どもにはいい人生を送ってほしいと思うものですよね。そして比較できるものではありませんが、自分が歩んだものよりもいい人生を送ってほしいと考えてしまうのは、あたり前なのかもしれません。■親の思い4、「自分を見て同じ道を歩いて」一方、「自分のような生き方をしてもらいたい」と考えている人たちは、どのような考えを持っているのでしょうか。「『後悔のないように前進あるのみ!』というのが私のポリシー。そんな姿を見て、同じ道を歩いてくれている娘です」(宮崎県 40代女性)「信頼できる最愛のパートナーと結ばれ、かわいい子宝に恵まれてほしい。温かい家庭と信頼関係、そこだけは、自分と同じような生き方になってほしいな」(宮城県 30代女性)「子どもの頃からなりたかった職業につき、やりがいをもって仕事ができていて、嫁ぎ先でたくさんの良い友人ができて毎日楽しく過ごせている。娘にも息子にも自分がやりたいことを見つけ、楽しく充実した生活を送ってほしいなと思います」(神奈川県 40代女性)そのほかには、「学校を出て、普通に就職して家庭をもった。子どもにも同じような人生を送ってほしい」、「子どもには自分と同じように早く結婚して出産してもらいたい」などという、それぞれの人生を経た経験から来るアドバイスが寄せられていました。100%同じ人生を送ることはできなくても、自分が人生で「よかった」と思えたことは、子どもにもできれば同じように経験させてあげたいと思う人も多いでしょう。人生の先輩だからこその親の助言ができるポイントにもなりそうですね。■子どもに身につけてほしい力とは子どもに「親と同じような生き方」または「まったく異なる生き方」を望むとしても、親はどのような力を子どもに身につけてほしいと願っているのでしょうか?「自分の思うように生きてほしい。自分の選んだ道なら、失敗も受け入れざるを得ないし、その失敗の痛みと、はい上がる力、成功の快感を感じながら、なりたい自分になってほしい」(神奈川県 40代女性)「今は、私の時代とは全く違います。どんなに生きづらい世の中でも、強く楽しくまっすぐに歩んでいってほしいと願っています」(茨城県 40代女性)「元気で人の気持ちがわかる人間になってほしい。うそ付かずに、真っすぐな人間になってほしいです」(埼玉県 40代女性)「『あなたに会えてほんとうによかった』、そう言われる生き方をしてほしい。ただそれだけです」(東京都 40代女性)「人の迷惑にならない、犯罪を犯さない、できれば社会の役に立つ人間になってほしいです」(東京都 40代女性)「とにかく、事故や病気で親より早く逝く事がないように、大人になってほしいです」(埼玉県 40代女性)「一人一人、顔や性格が、違うように、生き方も違うと、思います。誰かのまねではなく、自分の人生を思い切り生きてほしい。願うなら、人に囲まれ、笑顔の多い人生を」(愛媛県 40代女性)■子どもの人生に親はどうかかわるべき?それでは親としては、子どもの生き方にどのように関わっていけばいいのでしょうか。いくつか、コメントからヒントが見つけられそうです。「子どもは親と同じような生き方をしなくてもいい。自分のありようを考えながら、つまずきながらでも。つまずいた時は、立ち止まってまた歩けばいいのです。歩き出すサポートはいくらでもします」(山梨県 50代女性)「子の可能性や将来の選択肢の幅を広げる手伝いまでが親の仕事」(宮崎県 40代女性)「子どもの人生は親が決めるものでもないし、親が決めていいものでもない。しかし、親を見てその後をついていきたいと思われるように、自分を磨いていきたい」(茨城県 30代男性)「適当に生きてきた事を後悔してるので子どもには私の失敗談をたくさん話して反面教師にしてほしい。適当に過ごすのではなく、自分できちんと考えて進んでいってほしい」(奈良県 30代女性)ここまで、子どもの生き方について、親の人生との関わりも含めて考えてきました。さまざまな理由から、子どもに親のような生き方をしてもらいたい人としてもらいたくない人がいること、その背景には親自身が生きてきた人生が大きく関わっていることが理解できます。寄せられたコメントのなかでもっとも多く出てきた言葉は、「子どもの人生は子どもの人生」というもの。子どもを心配する気持ちから、つい口出ししてしまったり、先回りして失敗を遠ざけたりしてしまう親のふるまいは、時に重要な役割を果たすこともあります。ただ、その度合いによっては、子どもの道を邪魔してしまいかねない場合もあるかもしれません。親と子の人生は別物だということを、強く認識しておく必要があるのだと痛感させられます。子どもの人生を考えるとき、忘れがちとなってしまう「自分の人生」。親と子の人生が同一のものではないということは、親の人生も親だけのものでもあります。もちろん親としてふるまわなければいけない側面もあるでしょうし、子育て中に我慢しなければいけないこともあるでしょう。でもパパママである前に、一人の人間として「したいことをする」「夢を持ってみる」「毎日を楽しく過ごしてみる」ことも、とっても大事なことだと思います。子どもの人生を応援しつつも、自分の人生を楽しむ親の姿は、子どもにも希望と勇気を与えられそうな気がします。Q.子どもには自分のような生き方をしてほしい?アンケート回答数:4974件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2019年08月25日ラジオパーソナリティー、コラムニストジェーン・スーさんすでに、ある程度の社会経験や年の功、それに加えて小金も備えた『週刊女性』の読者世代。それでも、理屈より気分を優先しがちで、かわいいと思われたい気持ちは消えず。そんな「女子」をいつまで名乗っていいものかと逡巡した経験がある人も多いはず。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』の著者、ジェーン・スーさんにその思いをぶつけると、「基本的に“女子”マインドはいくつになろうとあるもの。ただ、それを私たちは蒙古斑のようなものと勘違いして、いつか消えると思っていた。でもまったく消える気配はなく、気づくとそれは消えない刺青だった……という話です」女子マインドは刺青……、ならば、死ぬまで持っていてもいいってこと!?「女子マインドをわざわざ消す必要はありません。ただ、年齢を重ねるに従って自分の中の女子の部分はバランスよくコントロールできるようになったほうがいい。見せる場所、TPOに配慮して女子マインドを解放してということです。刺青も国際的には云々ともろもろ意見はあるでしょうが、今の日本では場所をわきまえずに露出するとギョッとする人も少なからずいる。それと同じです」■時代とともに変化するオバさん像また、オバさんや中年という呼称も、怯えず、嫌悪せず、そして言い訳にも使わずに、もう少しフラットに使えたらいい、というジェーンさん。自身も3月には『私がオバさんになったよ』という本を上梓している。「読者のみなさんから見たら私なんぞはまだ小童でしょうが、老いるとか年齢を重ねることをネガティブにとらえる必要はないということが大前提としてあると思います。いつまでもオバさんと人に呼ばせない圧をかけたりするのは、ちょっと違うかと」とはいえ、自分からへりくだって“もう年だから”“そういう年だから”などと思う必要もない。オバさんの印象をネガティブにしたのは’80年代後半の『オバタリアン』に負うところが大きい。羞恥心がなく、図々しくて無神経……中年女性のダメ要素をデフォルメして描いた漫画は流行語大賞にも選ばれた。「時代が過ぎ、オバさん像、中年像は明らかに変化しています。だからこそ、新しい中年の定義自体をオバさん自身が変える必要がある。“オバさんは駄目”という価値観ではいつまでたっても自分の加齢が受け入れられない。そこに痛々しさがにじみ出てくる。“オバさんーーそれは魅力的な生き物”と自分たちで書き換えようと声を大にして拡散したいですね」オバさんに対するネガティブなイメージは、「女は若く美しくてナンボ」とする考えを反映したもの。女性に向けられる過剰な「若さ信仰」とプレッシャーが、その根底にある。「これは男性の物差しで作られた考え。逆に男性は、若いより年齢を重ねて知識があって、社会的地位や経済力を持ち合わせている人が評価される。女性と男性が非対称にできている。だから、私たち女性と関係ないところで勝手に作られた価値観に乗っかる必要はありません。もちろん若々しくあることは素晴らしいけど、若いほうが価値があるというのとはまた違います」とはいえ、やっぱり自分より若く見える人がいるとモヤッとするし、若く見えると言われたほうがうれしい気持ちも正直ある……。「そこを否定するつもりはありません。でも、余興くらいのレベルにとどめておく。十分大人になって他者と横並びじゃなくてもそれほど不安にならない年齢になったのですから、そこをうまく利用してほしい」若さに憧れや執着を感じるのは、自分の中に男性的な価値観や物差しが内在していることの証。そこに気づいてほしい、とジェーンさんは語る。「自分の価値は自分で確立し、自分でつけることができる新しいタイプの中年、“ネオ中年”が増えてほしい。実際、“若くはないが死ぬほど楽しい!”というのがオバさんになった私の実感です。もう誰かにおもねる必要もありません。自分が楽しい状態、居心地のいい状態をどんどん作って、そこに遠慮しない……というのもネオ中年の生き方。そうあってほしい、と思います」ネオ中年が好きなように人生を楽しめれば“人生100年時代”の新しい生き方を切り開く、よき先駆者となるかもしれない。じぇーん・すー/1973年東京都生まれ。コラムニスト。TBSラジオ『生活は踊る』でパーソナリティーも務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞受賞。『私がオバさんになったよ』ほか著書多数
2019年06月13日企画展「竹久夢二という生き方-明治・大正・昭和を駆け抜けたロマンチスト-」が、2019年4月4日(木)から6月30日(日)までの期間、竹久夢二美術館にて開催される。竹久夢二は、センチメンタルな画風の「夢二式美人画」作品などで広く知られる画家・詩人。大正ロマンを象徴する存在として、今なお注目され続けている。本展では、夢二の「生き方」と「美の世界」にフォーカス。画家としてスタートした明治から、自身がデザインした雑貨を販売する「港屋絵草紙店」を開店した大正、闘病生活を送った昭和までを、『夢二画集 冬の巻』カバーや「暮笛」、「モントレーの丘から」といった日本画・デザイン作品・雑誌表紙絵などの作品約250点と共に追っていく。また、平成最後の年となる2019年、竹久夢二は生誕135年・没後85年を迎える。平成では、竹久夢二をめぐる平成年間の動向も振り返り、その魅力を深く追求する。【詳細】竹久夢二という生き方-明治・大正・昭和を駆け抜けたロマンチスト-会期:2019年4月4日(木)~6月30日(日)場所:竹久夢二美術館住所:東京都文京区弥生2-4-2時間:10:00~17:00TEL:03-5689-0462休館日:月曜日 ※ただしGW期間を含む4月23日(火)~5月6日(祝月)は無休で開館入館料:一般 900円、大・高生 800円、中・小生 400円※弥生美術館と二館併せて入場可能※20人以上は100円割引となる
2019年03月31日レスリング女子の吉田沙保里選手が8日、自身のSNSで現役引退を発表しました。ツイッターに「この度、33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断いたしました」と綴ったあと、「後日、改めてみなさんの前で引退のご報告と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います」と投稿しています。吉田選手は2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪、2012年のロンドン五輪での55キロ級で五輪3連覇を、2016年のリオデジャネイロ五輪での53キロ級で銀メダルを獲得。さらに、世界選手権では13連覇を達成(2014〜2015年は53キロ級)する偉業を成し遂げています。2012年には国民栄誉賞の受賞も話題になりました。リオ五輪後は選手兼コーチとして、日本代表と至学館大で後進の指導にあたっていました。これに対し、ツイッターでは・吉田沙保里選手、本当にお疲れ様でした!選手ではなくなってもきっと未来にも語られる伝説のファイターだと思います。・吉田沙保里さんレジェンドでした!お疲れ様でした。・吉田沙保里さんが引退と聞いてしまって何も手につかない・東京オリンピックに出ると思い期待してたので残念など、これまでの功績を称える声と引退を惜しむ声が多く見られました。引退後の道が明らかになるのはこれからですが、吉田選手には「総合格闘技の大会へ出てほしい」と期待する人も多数。今後の会見で吉田選手が何を語るのでしょうか――。画像/Shutterstock
2019年01月08日こんにちは。格闘家の青木真也です。AbemaTVの人気番組『格闘代理戦争』。推薦人である有名ファイターの推薦選手同士が、賞金300万円と格闘技団体「ONE」との総額1000万円契約を賭けて争うリアリティー番組です。現在放送のシーズンは女子選手で行われており、女子選手ならでは感情の出やすさで視聴者はもちろんのこと、関係者の感情までをも揺さぶっています。第5回目の今回は、『格闘代理戦争』決勝戦に進出している平田樹選手を取り上げます。1.柔道で培った身体能力の高さ彼女を見ていて、身体の軸(体幹)が強いなと最初に感じました。「身体が強い」と大まかな言葉で語られることが多い平田選手。体力的な強さはもちろんですが、自分が力を発揮する力、相手に力を伝える動作が上手な選手だと、僕は思います。力を持っていて、それをスムーズに出すことができて、相手に伝えることができます。力はあっても格闘技の中で出力できなかったり、伝えることができなかったりして、苦労する選手は少なくありません。キャリア初期で、それらができているのは武器だと思います。12年間闘ってきた柔道での経験で、彼女は身体の強さを獲得したといえるでしょう。柔道の名門クラブ「春日柔道クラブ」で柔道を始めて、高校は強豪校「創志学園」で活躍。高校総体に出場するなど柔道での実績も十分にあります。子どもの頃から組み合ってついた力はわかりやすく、誤解を恐れずに言うのであれば「使える筋肉」です。2.勝負の世界で生き抜いてきた勝負勘がある日本柔道の競技人口の多さは、他の格闘技系スポーツの中では群を抜いています。子どもの頃から試合を繰り返してきているので、勝負の世界を肌感覚で理解しているのだと思います。MMAに初挑戦したときも、極度に緊張することなく、落ち着いて試合に臨んでいた印象を受けました。さすがだなと感じました。自分ごとにして考えてみてください。観衆の前で手袋を少し厚くしたような素手同然のグローブで金網の中で殴り合う。そのときを冷静に迎えることができる“勝負度胸”のすごさは、格闘技経験のない方にも理解してもらえると思います。3.若さと可能性に満ちている彼女は19歳です。格闘技業界に限った話ではありませんが、若い世代は貴重です。これからのキャリアや業界の未来を考えると、35歳の僕よりも19歳の将来ある選手に投資した方が健全です。今から10年選手を続けても30歳に達しない。この若さに期待しないのはちょっと変。選手としての可能性も短いスパンではなく5年、10年単位で見ることで、彼女への期待感も増すのではないでしょうか。女子格闘技、格闘技の未来の一端を担っていると言っても言い過ぎではないと思います。4.SNSで見せる素顔と試合時とのギャップ格闘技選手と聞くと、男勝りな女性を思い浮かべる方も少なくはないでしょう。実際に格闘技界にいると、彼女たちは驚くほどに女性的です。格闘技をしていない一般女性よりも女性的なのではないかと思うくらいです。彼女のSNSを見ると、試合後にカレーを食べたり、同世代の女性となんら変わらない年頃の女の子、という感じ。練習が終わればメイクをして外に出るし、髪が傷まないようにケアを欠かさない。格闘技をすることで、女性らしく過ごす時間が限定されるからこそ、女性であることの意識を強く持っているように感じます。そんな姿と試合で見せる強さと荒々しさとのギャップが魅力的です。■勝負だから必ず、勝者と敗者に分かれる平田選手は、12月29日放送の『格闘代理戦争』内で、青木真也推薦の古瀬美月選手と決勝戦を闘います。17歳と19歳のふたりが争う決勝戦は、日本格闘技の未来を思い描かせるもの。ここでの結果の答え合わせはこの先にあるでしょう。どちらかが勝者、どちらかが敗者になります。どちらも勝者にしてあげたいのが本音なのだけども、勝負の世界は緩くなく、必ず明暗を分けます。僕の推薦選手である古瀬美月には、もちろんがんばってほしい。対戦相手の平田選手にもがんばってほしい。世の中を驚かせるような新時代のMMA。そして最先端、新時代に反するようなエモーショナルな伝統的な格闘技を魅せてほしい。主役は僕たちではない。主役はあなたたちなのだから。
2018年12月27日