今すぐ知りたい! 親子のための、学ぶアプリ探検隊 いわさきちひろ 生誕一〇〇年 ~ちひろの目を通して考える「戦争」と「平和」
編集部:学研キッズネット編集部
酷暑だった夏が過ぎ、秋らしい季節になりました。8月といえば、原爆投下や終戦記念日など、73年前の戦争を思い起こさせる事柄が多いように思います。けれども、今年の夏を振り返ってみると、あまり戦争のことを考えなかったな、と感じました。
自分自身が子どもの頃は、戦争を扱ったドラマやニュース、ドキュメンタリーも多く、8月ともなればずいぶんそういったものを見聞きしたものです。飛行機の轟音や花火の破裂音にさえ戦争を思い起こし、おびえていた時期もありました。今の子どもたちには、「戦争」に対してそこまでの印象はなさそうです。
戦争が遠くなった。それは日本が戦争に巻き込まれていない期間が長くなったことを示している。
平和だということだ。でも本当にそれでよいのだろうか。そんなふうに思っていたときに、「いわさきちひろ生誕一〇〇年」というポスターの文字が目に飛び込んできました。
あどけないタッチの絵で知られる「いわさきちひろ」。生誕100年ということは、26歳で終戦を迎えたことになります。豊かな色彩で子どもを描き、数々の名作をのこしたちひろは、実は「平和」に対して深く心を寄せた人でもありました。
もし今、ちひろが生きていたら、この世の中をどのような思いで眺め、子どもたちにどんなメッセージを投げかけるのでしょうか。
「ちひろ美術館・東京」で広報を担当する高津つぐみさんに話を聞きました。
お話を聞いた高津つぐみさん
画家になる前に、反戦への強い思いがあった
――ちひろさんの娘時代は戦時中だったと思うのですが、どのような生活を送っていたのでしょうか。
高津:ちひろは女学校の教師の母と陸軍で建築技師をしていた父との間に生まれた3人姉妹の長女です。生まれは福井県武生(現・越前市)ですが、その後、娘時代の大半を東京で過ごしています。山の手のお嬢様として豊かな生活を送っていましたが、高等女学校(今でいう高校)に入学した年に満州事変※が起こり、長い戦争が始まることになりました。
※満州事変……満州(今の中国東北区)でおきた日本軍と中国軍との武力衝突。実質的には日本軍による中国への侵略戦争。じつは女学校在学中に岡田三郎助さんという洋画家に弟子入りしたり、両親にないしょで女子美術専門学校(現・女子美術大学)の願書を取り寄せたりと、絵に対する情熱はかいま見せているのですが、当時は女性が絵描きをやるなんてとんでもない、ということで、両親に反対されてあきらめています。