2017年7月21日 11:30
どうか、LD(学習障害)のある子には「できる子」として接してあげて下さい。
例えば、長男は四年生の時、47都道府県を漢字で答えるテストは、ほぼ白紙回答でお手上げでしたが、実は「地図パズル」などの立体的な形でなら、目隠しをしても、全ての都道府県名を触って当てられる、という特技があります。
知能検査では「視空間認知」という分野などに強さが見られる長男は、立体を使い、手で触って確かめるという方法なら、俄然分かりやすいのです。
それから、ラーメンを作った時に「かあちゃん、見て!秋田県!!」と、焼きのりで秋田県の形を、何も見ずに正確に表現して見せてくれたこともあります。
こんな長男の学習面の長所は、テストの回答用紙がのりで配布される日がやって来ない限り、学校で陽の目を見ることはないでしょう。
でも、現在は通常学級で学んでいる長男は、家での工夫・サポート・療育あそびを気長に続け、学校と連携して支援や合理的配慮をお願いしてきたことと、本人の自然な成長もあって、ほどほどに黒板を写して、ノートが取れるようになりました。
(ただし、「ノート書くのをがんばってると、先生の話が半分くらいしか分からない」とも言い、iPadで予習しています)
ケタの多い筆算も、自分なりに工夫してできるようになりました。
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そして最近は、学校の教科書は一旦脇に置いて、視覚的・体感的な学び方の工夫をしたり、彼の興味関心や理解度、集中力に合わせるなど「長男の学び方に合わせる」ことで、再び小さな頃のように、キラキラした目で「勉強が楽しい!」というようになりました。
LDのある子は、決して「勉強ができない」のではありません。
「その子に合った学び方」なら、できるのです。
たまたま、35-40人が1クラスで一斉一律に行われる、日本の小学校で伝統的な読み・書き・計算中心の授業スタイルが、その子が得意な学び方とは「違う」というだけのことなのです。そしてLDのある子が、無理をして自ら日本の集団教育のスタイルに合わせようとした結果、心身に大きな負担がかかってしまうように思えます。
そんな中で、LDのある子が通常級の授業や、テストや受験の際に、タブレットやパソコンの持ち込み、代読や代筆、別室受験や、試験時間の延長などの「合理的配慮」をお願いすることを「ズルイ」「不公平」だというのは、私は、視力の弱い人にメガネを使わないように求めるのと同じだと思うのです。