子育て情報『【偉人の凸凹学】ゴッホの苦難の人生から学ぶ「0か100か」の生きづらさ。もっとラクに生きてゆくには?』

2017年9月19日 16:00

【偉人の凸凹学】ゴッホの苦難の人生から学ぶ「0か100か」の生きづらさ。もっとラクに生きてゆくには?


苦難の人、ゴッホの生涯。純粋過ぎるがゆえに…

こんにちは。『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法』著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。

今回の「偉人の凸凹学」シリーズは、「ひまわり」などの歴史的な傑作絵画を残した、後期印象派の巨匠・ゴッホです。

皆さんは、ゴッホの人生を知っていますか?

今でこそ、その絵画は、値が付けられない程の価値がありますが、生前、ゴッホの絵が売れたのは1枚だけだったとも言われています(諸説あり)。その才能は幾多の天才の中でも、際立って突出しているように思えますが、ゴッホほど苦しみに満ちた人生を送った画家も少ないのではないかと思います。

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オランダ出身の画家、フィンセント・ファン・ゴッホは、牧師の父を持ち、6人兄弟の事実上の長男として生まれました。
少年時代から、純粋で思い詰めやすく、カッとなりやすい性格でもあったそうです。そのため、対人面でうまくいかないことが多く、学校を中退したり、失恋を繰り返したり、画商や伝道師の仕事をしたものの、クビになってしまうなど、挫折の連続でした。

そして、ゴッホの最大の理解者で画商の、弟テオ(テオドルス)の勧めで画家となったものの絵は売れず、仕送りをしてもらって生涯ニート生活。以後亡くなるまでのわずか約10年間で、1600点の水彩・素描と800点以上の油彩画という、膨大な作品を残したのだそうです。

ゴッホは印象派の画家達との交流や、ジャポニズムの影響なども受けながら、才能を開花させてゆきますが、その絵の価値はなかなか世間に認められませんでした。そして、南仏・アルルでの、友人ゴーギャンとの共同生活はうまくいかず、自らの耳を切り落としたという、有名な「耳切り事件」を起こします。以降、弟の結婚などで不安定になり、発作や錯乱を繰り返し、自ら精神病院に入院し、療養します。

そして、ようやく才能が注目され始めた頃、拳銃で自殺(享年37才)。
その半年後、後を追うように、弟のテオも衰弱して亡くなりました。その後、ゴッホの絵画が世間に認められたのは、テオの妻ヨーと、甥フィンセントの尽力があったからと言われています。
こんな、苦難の連続だったゴッホを想うと、私は正直、「うちの子には才能なんてなくてもいいから、ゴッホのような人生は送らないで欲しい」

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