2018年2月24日 16:30
発達障害のある息子が1年間支援いらずだったA先生の話。支援の本質って何だろう
おかげで、一生懸命がんばっても字が上手に書けない長男にも、さほどプレッシャーにならず、毎日泣かずに宿題に取り組めるようになりました。
そして、最初のうちは、A先生は長男を大きな声で注意せずにいてくれましたが、クラスに慣れてからは、長男だけを特別扱いすることはありませんでした。他のお子さん達と同じように、廊下を走れば「コラー!!」と、雷を落とされていたようです。
でも、学年末の面談のときにA先生は「最近は、怒られてもケロリとしていて、また男の子達と校庭へ走っていっちゃうんですよ」なんて目を細めながら、どことなく嬉しそうに語って下さいました。
このA先生のクラスでは、長男は「落ち着きのない問題児」ではなく、「ただの健全で元気な男の子」でいられたのです。
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10230001653
そして、A先生は長男だけでなく、クラスのどんなお子さんにも同じように、大らかで肯定的な温かい目線で接していました。おかげで、どの子も素直にのびのびと過ごし、その年には集団から孤立しがちな長男にも、仲良しの友だちができたのです。
実は、発達障害の診断のある・なしに関わらず、学校生活を送る上で障害となることがあれば、通常学級でも合理的配慮をお願いするのは、法的な根拠もあり、本来、堂々と主張して良いことなのです。
ですが、現在日本では、発達障害への社会的な理解や支援体制が、まだまだ十分とまでは言えないようで、特に、通常学級の中で配慮をお願いすると、他のお子さん達から「◯◯君だけズルイ」などと思われてしまう場合もあるようです。いわゆる「フツーの子」であっても、子どもはみんな発達の途上にあることに、変わりないのでしょう。
私は、障害のある子・方への配慮が当たり前の風景となる社会を望んでいますが、一方でそれぞれが必要とすることは違っても、どんな子も、大人から大事に特別に扱って欲しいと願う気持ちは、同じなのだと思います。
支援の本質とは、ひとりひとりの個性や気持ちに寄り添い、信頼関係を築いて、子どもたち全てを肯定的な温かい目で、大らかに成長を見守ってあげること。
本当の意味でのインクルーシブ教育とは、どんな子も特別で、どんな個性でも大事にしてあげること。
…なんじゃないかな、なんて、A先生を思い出しては、私はいつも思うのです。