2018年1月22日 11:55
【前編】30歳、プログラマー、大人の発達障害。私が掴んだ「人生をラクに生きる」サバイバル術
など、傷つけてしまうような言葉を何度もぶつけてしまいました。
以前は笑顔があふれていた夕食のだんらんは、暗い顔で黙って食事をとるだけの時間に。小学校に上がった弟まで「お兄ちゃんが休んでるなら僕も学校休みたい」と言いだす始末で、両親の顔はさらに暗くなっていきました。
そのころの私は、両親は自分のことも周りのことも、何でも知ってる万能な存在だと信じていました。それまでは、私が何も言わなくてもいろんなことを察してくれていたし、質問すれば何でも答えてくれていたからです。
「今までは何も説明しなくても全部分かってくれていたのに、どうして今のつらい気持ちを分かってくれないんだ!」なんてことをずっと考えていました。
両親の変化と、夢中になれるものとの出会いが、私を変えた
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毎日言い争う生活が1年半程続いたころ、徐々に光が見えてくるようになりました。
話し合いを通して、両親は何でも知っている万能な存在ではなく、ただのひとりの人間なんだということに気づいたのです。
両親はさまざまな本を読んだり専門家に相談するようになりました。そして、私への対応に変化があらわれてきたのです。母は仕事を休職し、不登校で家にいる私とよく話すようになりました。
以前は「なんで学校に行かないの?」から始まっていた毎朝のやり取りは、「別に休んでいいからね」「無理していかなくていいよ」という声かけに変わっていました。父親からは「休みたいなら休んでもいいけど、将来のことは自分で責任をとるんだぞ」と言われるようになりました。
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なかでも一番大きく変わったのは、両親がちょっとしたことでほめてくれるようになったことです。
特に母親はとても大げさにほめてくれるようになりました。ちょっといいことがあっただけで、とてつもなくすごいことをしたかのように大げさにほめてくれたのです!
それまではテストでいい点を取ったり家事を手伝ったりしても特に何も言ってくれませんでした。だから、初めて母親にほめてもらったとき、私は心底うれしくて、泣きじゃくりながら母親に頭をなでてもらったことを鮮明に覚えています。