子育て情報『発達障害のある子の大学受験。共通テストの合理的配慮申請に感じる高いハードル』

発達障害のある子の大学受験。共通テストの合理的配慮申請に感じる高いハードル

等が必要な場合も)、受験生の心身の負担は過大になってしまいます。

また、高校側が生徒全員に柔軟に対応している、自然な形で配慮している……等の場合も、書面化しなければ「配慮実績」にはなりません。例えば、長男が通っていた私立中高一貫校では、柔軟な教科担任の先生が「課題の提出は、自筆でもワープロでも、どっちでもいいですよ」など、口頭でクラス全員に言ってくれ、発達障害の有無にかかわらず、字を書くのが苦手な子はみんな助かりましたが、それだけでは書類上、実績とはなりません。自然な形で先生がさり気なく配慮してくれても、友だちが板書のノートを写させてくれても、書類に書ける配慮実績にはならないのです。

あるいは、例えば「文字が全く読めない訳ではないけど、文章を読むのに少々時間がかかる」などのLDグレーゾーンの子も、例えば、読字ガイド代わりに定規を当てるなど自分でちょっとした工夫をしながら定期テストなどを乗り切ってきた場合でも、同じことを「定規の持参使用」の配慮申請なしに共通テストで行うと、定規の使用は全科目禁止なので「失格」となります。

もちろん、不正のないよう持ち物等のチェックを厳しくする必要もあり、「診断書」同様、「配慮実績が必要」という線引きがあるのも理解できます。
でも、理解者や周りの教育環境に恵まれているかどうかにかかわらず、共通テストでは、どんな子にも公平・公正に大学入学のチャンスを与えてあげてほしいと私は思います。

そして、「配慮申請書」について。

基本的な個人情報や希望する配慮等を志願者本人と、保護者・担当教員等(校長・担任等の署名が必要)で相談の上記入する書類です。
したがって、当然ながら、受験生自身が受験上の合理的配慮を希望していることが大前提となります(保護者や担任の先生が「よかれ」と思って勝手に申請しないこと)。

そのためには、受験生が「自分は発達障害である」と受け容れ、「このような配慮があれば、受験できる」と理解していることが必要です。
このように、障害者本人が主体となって配慮等を求め、相手側と建設的な対話をしていく姿勢を「セルフアドボカシー」と言い、理念としては大変素晴らしいのですが、現実的には発達障害のある子が周囲の理解と協力なしに実行するのはハードルが高いように思います。障害受容や自己理解には時間がかかり、特に思春期・青年期の子には「自分だけ特別扱い」

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