学級崩壊の原因は発達障害の息子!?度重なる呼び出し、学校も休みがちに…迷いの中で決めた育児法
わが子を中心に学級崩壊?環境が変わり、席に座っていることが困難に……
小3になり、コチ丸は授業をおとなしく受けられなくなってきました。新しく担任になった先生は、授業の進め方がやや一方的だったこともあり、ただでさえ興味ないことには無関心なコチ丸は、授業への興味がすっかり薄れてしまったようです。落ち着きのない性格も相まって、じっと座っていることが苦痛になったのだと思います。
ある日、担任の先生から呼び出しを受けて学校へ行くと、「コチ丸くんを中心に学級崩壊が始まっている」と言われました。授業を座って受けていられないコチ丸は、授業中に教室内を歩いたり、担任の先生が授業をしている横で、教卓の上に腰掛けたりとやりたい放題で、ほかの子どもたちもつられて落ち着きがなくなってきているとのことでした。
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学校には発達障害の診断が出たことは伝えていましたが、小さな学校で特別支援学級の設置はなく、通級指導教室などの仕組みもまだ整っておらず、担任の先生は「コチ丸くんにおとなしくしてもらうしか方法がない」の一点張りでした。このままではらちが明かない!と思った私は、県の教育委員会に直接電話して現状を伝えました。すると、翌日には市に話がいき、小学校に伝わったのか、すぐに校長先生と面談をすることになりました。
母子家庭の中で、コチ丸にとっても私にとっても大きかった祖父の存在
その後は頻繁に学校から連絡をもらうようになり、担任の先生と校長先生とコチ丸と私で話し合いをしました。「席を立ちたい時は先生に断ってから行く」「授業1時間のうち、〇分以上は席に座る」など、ルールを決めて授業を受けるという話し合いを行いましたが、毎回守れるのは数回だけ。下手したら一度も守られることはないまま、コチ丸は教室を出ていったり歩き回ったりしてまた呼び出しを受ける……そんな繰り返しでした。
学校が面白くなくなってきたコチ丸は休むことも増えていきました。実家には私の祖父が一日中家にいたので、コチ丸は祖父に面倒を見てもらっていました。祖父は昔ながらの考え方の人だったので、コチ丸が学校に行かないことを随分と心配していました。同時に、母子家庭で育ったコチ丸にとって同性の祖父の存在は大きく、祖父のことをとても慕っていました。祖父はコチ丸が中学に入った年の夏に亡くなりましたが、最後までコチ丸が学校に通えないことを案じていたように思います。