2022年2月6日 20:10
『メタルギア』生みの親・小島秀夫が明かす、3つのターニングポイントとは
ゲームの黎明期、市民権はなかったけれど、だからこそ僕でも入れたんだと思います」
そして1986年、コナミに入社。
「そこには、元バンドマンやグラフィックデザイナーになれなかった人など、同じように夢破れた人たちがたくさんいて、すごく楽しかったんです。物創りが命という人たちばかりで、人生で初めて話が合うという経験をしました」
これまでを振り返り、思い出されるのは、3つのターニングポイント。
「1つは、きつかった入社1年目。当時の彼女に振られ(笑)、“仕事があるからええわ!”と思っていた数日後に、新人ばかりで作ったゲームがボツになったんです。そうして心が折れているドン底の時に作っていたのが、『メタルギア』です。『メタルギア』がヒットしてからは、協力してくれる人も増え、すごくやりやすくなりましたよ。評価は大事で、僕が“この指止まれ”をした時に、“この人と一緒にやったほうが得だ”と思ってもらえるかどうか。
誰にも生活がありますから。ただ、そういう人は、自分で指を上げることはないんですよね。2つ目はプレイステーションの登場です。ゲームのイメージが大きく変わりました。開発者がクリエイターという肩書になり、『パラッパラッパー』など現役のミュージシャンやアーティストが携わり、そこからゲームがサブカルチャーになったんです。