関西育ちのゲームクリエイター・小島秀夫監督、特別な存在だった“たこ焼き”との関係
おかげで、両手にもった卵も片手でそれぞれ同時に割る芸当も出来るし、林檎も一度も皮を途切れさせずに最後まで剥ける。特に卵焼きやプレーンオムレツは、僕の十八番の料理でもあった。僕にとっての料理は、彫刻や粘土をこねるといった造形行為に近いものだったのだ。中でも熱を加えると固まり、形が変わる卵や粉物の料理には興奮した。完成時の美しさが問われる卵料理、揚げ物、お好み焼き、中でも完全なる球体を求められるたこ焼きは特別な存在だった。
子供の頃、コンビニはまだなかった。出前を取るのは特別な機会に限る。学校から帰っても家に誰もいない“鍵っ子”だった僕にとっては、小腹が空いた時、台所に立つのは日常だった。
あくまでも自分が食べる為だが、グラハム・カーのように食べる観客を妄想して、料理に挑む。ただ空腹を満たすだけでなく、孤独感も軽減してくれた。それは、創作行為であり、エンタテインメントでもあったのだ。
上京して、関東発のたこ焼き“銀だこ”に出逢った。“銀だこ”は、表面を油で薄く揚げている。たこ焼きを揚げるなんて邪道だとは思ったが、食べてみてその食感と旨さに驚いた。たこ焼きは熱を含んだ状態では中の空気が膨張して球体を維持しているものの、皿に置くと萎んでしまう。