ゴッホのジャポニスムに迫る「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」札幌、東京、京都の3都市で開催
と直面します。そのひとつは弟テオが家庭を持ったこと、もうひとつは日本のイメージの急激な変化でした。
1890年の近代化が進んだ日本は、もはや「楽園」ではなく、現実として見られるようになっていました。多くの人が「日本の夢」から目覚めさせられることになったのです。
フィンセント・ファン・ゴッホ《オリーヴ園》1889年、油彩・カンヴァス、クレラー=ミュラー美術館蔵
© Kröller-Müller Museum,Otterlo
フィンセント・ファン・ゴッホ《ポプラ林の中の二人》1890年、油彩・カンヴァス、シンシナティ美術館蔵(メアリー E. ジョンストン遺贈)
© Cincinnati Art Museum, Bequest of Mary E. Johnston, 1967.1430
1890年7月28日、ファン・ゴッホの「日本の夢」に火をつけた画商ビングが大浮世絵展の功績を認められてレジオン・ドヌール勲章を授与されたその日、ファン・ゴッホはオーヴェールの屋根裏部屋で腹に銃弾を抱えたまま、瀕死で床に横たわっていました。そして翌29日、静かにこの世を去ったのでした。
●第2部 日本人のファン・ゴッホ巡礼
●オーヴェール巡礼の旅
ファン・ゴッホ兄弟の墓(オーヴェール=シュル=オワーズ)