#004 「子どものために用意されたものは、大人にもいいはず」24歳の鍼灸師が“他人の子ども”と暮らして気づいたこと|渋谷の拡張家族ハウス「Cift」が描く未来の生き方
一人ひとり「健康」の定義は異なる。多様な40人のケーススタディ
アーヤ:Ciftのメンバーの子ども達と、Ciftのなかで一番一緒に過ごしていると思うけど、それは意識的に関わりたいって思っていたの? 工藤:いや、自分でも不思議なくらい、いつの間にか子どもたちと遊んでいましたね。 そもそも、「子ども」として特別意識をしていないんだと思います。アーヤさんとか他の大人のメンバーと子どもたちと、みんな同じ感じなんです。みんな居なくなったら寂しいし、みんなグレたら嫌だし…。だからあんまり、「子どもだから、赤ちゃんだから」みたいな感覚はないですね。
アーヤ:確かに私も、「私は大人、相手は子ども」みたいな意識で接することはないなぁ。むしろその子が見て、感じている世界のなかに、私もおじゃまさせてもらう感じかも。
でも、時には怒ったほうがいいんじゃないかって迷うこととかはない? 工藤:もともとそんなに人に怒れないタイプなんですよね。それに怒る理由ってあまりないと思っていて…。本当に死ぬところさえ防いでおけば、すべては経験だと思うので。怪我とかしても、だいたいのことは対処できる自信もありますし。ぶつけて痛いくらいなら、そこから学んで次にやらなくなりますしね。