2021年6月28日 07:45
【インタビュー】池松壮亮×オダギリジョー、兄弟役共演で血のつながりを超えた“家族”に
海外の俳優を相手にするときのほうがむしろ純粋に芝居ができると僕は思っていて。だから、楽しめてはいます。その分、試されている気もしますし。
──日本語、韓国語、英語が飛び交う台詞の中、ソル(韓国人きょうだいの長女)に英語で話すときの剛(池松さん)は声を張っていますよね。兄(オダギリさん)と日本語で話すときの声はゆるいのに。
池松:それが人間ですよね(笑)。マスクをするようになってから声が随分と大きくなりました。相手に届けようとするからです。
──まさに、剛の中にはソルに“伝えたい”という気持ちがあり、オダギリさんのおっしゃった「純粋な芝居」にもなっている気がしました。池松:あとは言葉自体の変な浮つきと浮遊しているような感覚。いくら日本語で喋っていても伝わっていないわけですから。そこが、この映画の圧倒的な面白さの一つだと思っています。言葉の意味や本来の価値を超越すること、縛られた概念を飛び越え、生き延びるために手を組んで本来あったはずの大きな心の自由に触れること。いつの間にか真実を見失っていたもの達が出会い、こびりついた価値を捨て、再生していく物語ですから。
血のつながりだけではない「家族」