くらし情報『ニナ・メンケス作品に見る、#MeToo以降改めて問われる「映画」との向き合い方』

2024年5月11日 12:00

ニナ・メンケス作品に見る、#MeToo以降改めて問われる「映画」との向き合い方

日中は寝たきりの老人の介護をし、夜は狂騒のカジノへと出かけていく。ときにフィルダウスは湖の浮かぶ砂漠へも出掛けて行き、ネオンライトがぎらぎらと煌めく都市の情景は荒漠とした土地へ忽然と切り替わる。メンケスはそうして対極的なショットを次々と繋ぎ、動と静、生と死、躁と鬱といった二項対立が衝突し合う。

ニナ・メンケス作品に見る、#MeToo以降改めて問われる「映画」との向き合い方

ディーラーとして黙々とカードを配する労働そのものをじっとカメラで捉えていく長回しのショットなどは、反ドラマ的かつ映像におけるヒエラルキーの下位に置かれてきた「主婦」の家事労働をスクリーンに現前させたシャンタル・アケルマンによる『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』がしばしば引き合いに出される。あるいは、殺伐とした地に心許無くぽつんと佇む女の姿に、たった一本の映画だけを世に残したバーバラ・ローデンによる『WANDA/ワンダ』の何者でもない/なれなかったワンダを重ねて見ることもできるかもしれない。


ニナ・メンケス作品に見る、#MeToo以降改めて問われる「映画」との向き合い方

メンケス自身によれば、この映画は、「無言と不毛の孤立に取り巻かれた、だだっ広くて金儲け第一主義の心臓部」である「合衆国像」だという。フィルダウスはそうした社会から弾き出され、メンケスはつねに隔絶された女たちの姿をスクリーンに刻み込んできた。

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.