配信で見る『刀ミュ』 シェイクスピアをも連想させる〜三百年の子守唄〜
桶狭間の戦い、敵は織田信長。いよいよ合戦!
今回は、長い年月をかけて歴史の流れのなかで生き家康を慈しみ育て、その家康の嫡男・信康まで育て、その父と子の悲劇を見届けることが物語の中心になっていることは揺るぎないが、興味深かったのは、その流れの中に演技論のようなものがさりげなく盛り込まれているように感じたことだった。
それは主として蜻蛉切に関する部分である。彼は主だった本多忠勝になりすましている。合戦前に「堂々とした演技ではないですか」と千子村正にからかわれ、「任務だから耐えているものの申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ」と気に病んでいた。
悩みながら月日はさらに流れ、元亀元年(1570年)6月、浅井・朝倉、織田・徳川がぶつかり合う姉川の戦い。史実では本多忠勝が大活躍することになっている。それを踏襲しないといけない蜻蛉切は自分が演じることで主を冒涜しているんじゃないかという思いに苛まれる。
ここで蜻蛉切を諭す物吉貞宗のセリフは、まるで演技論のように響いた。
「別の存在なんです」
「なろうと思わなくていんです」
「忠勝さまへの思いを戦にぶつければいいんです」
現実の話、俳優が歴史上のヒーローやゲームやアニメや漫画のキャラクターを演じるとき、おそらくこういう怖れを抱くのではないだろうか。