2015年4月18日 00:00
嫉妬渦巻く大奥で玉の輿! その教訓は「一に引き、二に運、三に器量」だった
「玉の輿」。それは女性たちの憧れ。「でも、私にはムリムリ……」なんて端からあきらめるのは早いかも。だって、今より身分制度が厳しかった江戸時代に、庶民が将軍の寵愛を受けて玉の輿に乗ることもあったのだから。現代で例えるならば、一般人が総理大臣や大統領と結婚! というところでしょうか。
もちろん、玉の輿に乗るには秘訣があります。そこで見事玉の輿に乗った江戸時代・大奥のシンデレラたちから、その秘訣を紐解いてみましょう。
○側室は所詮女中、目指すは将軍の母
江戸城内にあった大奥は、徳川将軍の子どもを産んで育てるための空間でした。
およそ1,000人以上もの女性が暮らしていたそうです。ほとんどは、将軍や正室の身の回りのお世話をする女中たちでした。
彼女たちに将軍の手が付くと晴れて側室となるわけですが、それだけでは大して優遇されませんでした。側室となっても身分上は女中のままだったようです。男の子を産み、その子が将軍になって初めて権威を振るうことができ、玉の輿に乗ったと言えたのです。まずは、大奥の頂点に立った2人の娘を事例にしましょう。
○八百屋の娘のシンデレラストーリー
本格的に大奥が整えられたのは、3代将軍・家光の頃。