くらし情報『嫉妬渦巻く大奥で玉の輿! その教訓は「一に引き、二に運、三に器量」だった』

2015年4月18日 00:00

嫉妬渦巻く大奥で玉の輿! その教訓は「一に引き、二に運、三に器量」だった

家光は30歳を過ぎても子どもがいませんでした。その理由は家光が男色家だったから。女性を近づけようともしなかったそうです。血筋が命とも言える将軍家でこれは由々しき事態! 家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)は、家光になんとか女性に興味を持ってもらおうと、身分に関係なく美しい女性を手当たり次第に大奥へ放り込んでいきます。

そのうちのひとりが、八百屋の娘・お玉でした。自分の身分が低いのを恥じていたお玉は、とても勉強熱心な娘でした。また、信仰心も厚く、寺社へたくさんの寄付を行うなど、心清らかで努力家な女性であったことが分かります。

そんなお玉はすぐに家光お気に入りの側室となり、20歳で徳松という男の子を産みます。
しかし、すでに家光には男の子がおり、徳松が将軍になれる可能性は限りなく低いものでした。ところが時は流れ、徳松の異母兄である4代将軍・家綱は子どもがいないまま死去。すると、将軍の座が徳松に回ってきたのです。5代将軍・綱吉の誕生でした。

こうして、八百屋の娘から将軍生母にまで登りつめたお玉。「玉の輿に乗る」という言葉は、高い身分の人が乗る輿の美称が語源なのですが、「お玉の名前が由来だ」

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