なでしこジャパンが逆境のなかで輝かせた、ひたむきな「折れない心」の源泉
アジアの出場枠は「3」。中国に負けていたら、その後のすべての歴史が変わっていたことになる。
しかも、なでしこは2トップの一角、大野忍を右太もも裏の肉離れで欠いていた。中国戦前夜。大野はホテルで同部屋だった澤からこんな決意を打ち明けられた。
「シノ(大野)がドイツに行けるためにも絶対に勝つ。絶対にゴールを決めるからね」。
生きるか、死ぬかの一戦はなでしこの1点リードで迎えた後半17分に大勢が決する。
ダメ押し弾を決めたのは、大野のユニホームを重ね着して臨んだ澤だった。
世界一への序章となった澤の予告ゴールを、大野はこう振り返ったことがある。
「それをウチに捧げるとまで言ってくれて。超カッコよかったですよ」。
○海外組への支援制度に対して吹き荒れた逆風
6大会連続のワールドカップ出場を決める直前の2010年4月に、JFAは「なでしこジャパン海外強化指定選手制度」をスタートさせている。
なでしこは北京五輪で4位に入ったが、準決勝でアメリカ、3位決定戦ではドイツに完敗。フィジカルの差という壁を超えるために、海外挑戦を考える選手が増え始めていた。
しかし、海外移籍への手順や代理人契約に関するノウハウがない。