2015年9月18日 17:00
『テッド』と『ど根性ガエル』に描かれたホモソーシャルと恋愛
、三人でテッドの裁判のために図書館で調べ物をしたり、旅に出たりもする。
もちろん、そこは映画なので、恋愛感情は生まれないこともないのですが、サマンサは、ローリーのように、ジョンに「恋愛と友情、どっちが大事なの!」と詰め寄るようなことは、この先もないでしょう。なぜなら、ローリーとジョン、そしてテッドは、まず友情があり、「仲間」であったからだと思います。
○ホモソーシャルに関わってくる女性の変化
京子ちゃんが「人として扱ってよ」というのも、この話につながっているのではないかと思えます。京子ちゃんは、「みんなと同じで、友情でまずつながらせてよ」という気持ちを、あの言葉に込めていたのではないかと思うのです。
でも、ヒロシだってわかっていたのです。京子ちゃんに聞かせようと彼女のアパートの前で、ピョン吉と漫才をするヒロシの、「当たり前じゃないですかそんなこと、だって幼なじみですよ、ガキの頃からずっとずっと見てきたんだ。昨日今日ちょっとかわいいから惚れたのとはわけが違うんですよ」「決まってんじゃないですか。
人として仲間なのなんて当たり前じゃないですか。何があったってね、仲間は仲間ですよ、死ぬまでね。