『デイアンドナイト』生みの親・阿部進之介の「受け入れる」人付き合い
を流しながら、朝方まで飲んでいました。
――そこまで飲むということは、何かの話題で盛り上がったと。
全然覚えてないですね(笑)。もう、7~8年も前ですから。
――『デイアンドナイト』は、そういう間柄の会話から生まれたんですよね。互いにオリジナルへのこだわりが一致したんですか?
監督は常に「オリジナルで撮りたい」と思っている方です。僕はオリジナルにこだわっていたわけではなくて。何かを表現しようとしたら必ずオリジナルになるので、その点でいえば一致しました。
――そして、プロデューサーとして山田孝之さんが後に加わることに。山田さんとはそれまでどのような関係性だったんですか?
10代の時に、仕事ではなくて一緒に遊んでいる時期が少しあって。その後、『クローズZERO II』(09)で共演しました。その頃から、時々飲みに行くようになって。
●否定してしまうと共感できなくなる
――なぜ、彼に声を掛けたんですか?
孝之をプロデューサーに、とか1ミリも思ってなくて。紙一枚にまとまらないような構想段階で、「監督と脚本を作っている」と伝えたらすごく興味を持ってくれて。あまり積極性を見せるタイプではないのでそれが意外で、監督と会う時に誘ってみたんです。