すべての服がすこしずつ大きいこの世界を、1日でも多く好きでいたい
という恐怖はいつでも同時に存在して、その恐怖に食い殺されそうになるとき、私は試着室から出られなくなった。着ている服のサイズが自分には大きすぎること、脚が短い上にそんなに細くないこと、友だちの視線で緊張して体がふるえてしまうことの恥ずかしさ、なにもかもが強迫的に襲ってきて、カーテンを開けようとする手を止めた。
どうしてこうなっちゃったんだろう、なにをすれば治るんだろう、と考えるのは、決まってお風呂に入っているときだった。湯船の中で、折りたたむと短すぎてドラえもんのあぐらみたいになる自分の脚を見るたびに、そうやって小6で止まってしまった体の成長のことを意識するたびに、自分ひとりだけが永遠に子どもなのだと泣きたくなった。
身内のことをこんなふうに言うのは変だけれど母はとても美しい人で、特に格好いいのはどんなにごつい腕時計でも似合ってしまう大きな手と真っ赤な口紅が似合う大きな唇だったから、そのどちらも譲ってもらうどころか借りることもできない自分はなんなのだろう、とよく思った。
■服って似合わなくても着ていいんじゃないのか?
背が低いことはかわいいことだよ、と言ったのは最初に付き合った恋人だったような気もするし、大学時代の部活の先輩だったような気もする。