知っていますか? ピカソが「息抜き」として楽しんだ キュートな焼き物たち!
陶芸は自由に描くためのツール──本では、作品の合間にピカソの言葉が時折挟まれているのが印象的です。本全体のリズムもつくる役割も果していますが、そのなかのひとつに「ラファエロのように描くには4年かかった。
子どものように描くのは一生かかった」という言葉があります。
「ただ描くだけではなく、アートに昇華する訓練を幼少時からやっているから。ピカソは、
絵画とは何かということをずっと探求していました。絵でも陶芸でも、そこに精神性は求めていない。だから彼は抽象画を描かなかったんです。絵画という平面のなかで三次元のものを描くにあたり、どうやって本物らしく見せるか、つまり、
表現の方法を追求していた。
曲面を利用して立体的に描いている
それが、あるときは
キュビスムになったわけです。あれは形と、そのまわりの空気をどう表現するかという命題だから。だからこそ、デヴィッド・ホックニー然り、フランシス・ベーコン然り、横尾忠則然り、画家の連中はピカソを特別視していった。絵画とは何であるかを見せつけているという意味で、ピカソは特別な存在なんです」
──ゴッホのような精神性の特異さによる表現ではなく、あくまでも表現のうえでのバリエーションが評価されているんですね。
「子どもは、たとえば人間を描くとき、顔から描き始めますよね。画用紙いっぱいに顔から描くから、頭でっかちで、体はおまけでくっついてるみたいになる。大人から見るとそれは変なバランスだけれども、
子どもにとっては普通のこと。いちばん見えてくるものは顔であって、そう見えてるから、そう描いているだけなんです。
けれど、絵画としてそれをやろうとすると、難しい。それで苦労してるわけ」
──だって、すでに大人の見方や考え方をもっちゃってるわけですもんね。
「そう。彼は美術学校で学んでもいたわけだから。だから、わかる・わかんないは、どうでもいいんです。ガラクタでもなんでも、くっつけちゃえば新しいものになる。そういうものを考えていくのが好きだったんですね。でも、絵画の場合はいろんな取り決めがあるから。
どうしてもフレームという制限があって、そのなかで構図を考えていくものだから、その時点で子どものように無邪気には描けないわけです。陶芸はその点で、自由気ままに制作できるツールだったんでしょう」
──なるほど。ピカソが陶芸に没頭していった理由がわかった気がします!
国内でピカソの陶芸作品を所蔵しているのは、
箱根の彫刻の森美術館。また、
洋菓子店ヨックモックはコレクションをもっているので、青山本店の店内に飾ってあるのが見られます。子どものように無邪気に、感性のまま描いたピカソの陶芸。本で、実物で、解放的なピカソにふれてみてください。
『ピカソの陶芸』
監修・解説 岡村多佳夫
発行 パイ・インターナショナル
価格 ¥2,300(税別)
ピカソが没頭した陶芸の作品を201点収録。ピカソの陶芸の世界をポップで楽しく、テンポよく眺められるのは中島基文氏のブックデザインによる。
時折挟まれている生前のピカソの写真や言葉が内容に厚みを加えている。