くらし情報『原作者・魔夜峰央「経済的苦境を救ってくれた『翔んで埼玉』」』

2019年1月26日 16:00

原作者・魔夜峰央「経済的苦境を救ってくれた『翔んで埼玉』」

が転校してくるところから、物語は動きだす……。

魔夜さんが『パタリロ!』、そして『翔んで埼玉』について語ってくれた。

■全部出さないと新しいものは入らない

新潟県で生まれた魔夜さん。高校を卒業後、大阪芸術大学に進学したが、2年生の冬休みに退学を決意。その後、新潟の実家に戻り、漫画を描いては東京に送った。20歳のとき、漫画誌『デラックスマーガレット』(集英社)に投稿した『見知らぬ訪問者』でデビューを果たす。

魔夜さんの転機となったのが、’78年に発表された『ラシャーヌ!』という作品だ。それまでシリアスな作品が多かったなかで、初めてコメディ要素の入った作品だった。


「“この路線ならいけるんじゃないか”、“ギャグも描けるんだ”と自信を得ました。自分にはそんな才能がないと思っていたのに」(魔夜さん・以下同)

そんな矢先、60ページの執筆依頼が舞い込む。そのとき描いたのが『パタリロ!』(’78年)。人気に火がつき、魔夜さんが描く原稿も、月に100ページを軽く超えるようになった。こうなると、アシスタントがいない新潟で、1人で描き続けるのは困難だ。

「『花とゆめ』の編集長に『東京に出たい』と相談したところ、“同業者が多く住んでいて、交通の便がいい西武線沿線がいいんじゃないか”と紹介されたのが、埼玉県の所沢でした」

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.