戦後の日本の繁栄は、沖縄戦で散った20万柱の上にある。そんな歴史が忘れられていいのか。そう考えた宮沢さんは、沖縄の人に何か返したいと思うように。
「今度、その語り部の女性に再会したとき聴いてもらう曲を作ろう。沖縄戦を体験された方々に恥ずかしくない曲を、と思って作ったのが『島唄』です」
ストレートに反戦を歌っても、聞く耳を持ってくれない。レコード会社もデリケートな内容を歌うことに懸念を持っていた。
「だから表向きは、幼なじみの男女の別れを歌ったラブソングにしました」
サビの前の歌詞には、ウージの森(さとうきび畑)で出会った男女が、永遠の別れ(自決)をする、という意味を込めた。
しかし一方で、ウチナーンチュでもない自分が、沖縄の伝統楽器・三線で沖縄音楽を奏でることにためらいもあった。
「島唄っていうのは、沖縄民謡の総称でね。当然、こんなのは島唄じゃない、とお叱りを受けるだろうと思いました」
そんな宮沢さんの背中を押してくれた人がいた。『ハイサイおじさん』などのヒット曲で有名な沖縄の歌手、喜納昌吉さんだった。
「魂までコピーすれば、それはまねじゃない。この歌は、魂をとらえている。